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第97話 公爵令嬢様は、俺の知らない一面も見つけたいらしい


 朝のパウリー公爵邸には、焼きたてのパンの香りが漂っていた。


 食堂へ続く廊下では使用人たちが朝の仕事を進めており、窓の外に広がる庭園にも、すでに庭師たちの姿が見える。昨日の夕方、リビアと二人で紅茶を楽しんだ部屋の前を通りかかったとき、俺は思わず足を緩めてしまった。


 学院で共同演習の講評を受けたあと、俺たちは屋敷へ戻り、父さんに仕事の予定を確認してから一緒にお茶を飲んだ。普段なら自分で準備したくなるところだったが、昨日はほかの使用人たちに任せ、リビアと向かい合ってゆっくり話す時間を楽しむことができた。


(昨日は、思っていたよりずっと落ち着けたな。誰かに仕事を任せることも、自分の希望を伝えることも、少しずつ自然にできるようになってきたのかもしれない)


 もちろん、たった数日で長年の習慣が変わるわけではない。


 それでも、以前なら仕事を優先していた場面で、自分からリビアと過ごす時間を望めたことは、俺にとって確かな変化だった。何より、その気持ちを伝えたときのリビアの笑顔が、今も鮮明に思い出せる。


「セス、おはよう!」


 背後から明るい声が聞こえ、俺は振り返った。


 階段の方から歩いてきたリビアは、今日も学院の制服をきちんと着こなしている。銀青色の髪が朝日を受けて柔らかく輝き、俺を見つけた途端、嬉しそうに目元を和らげた。


「おはよう、リビア。今日は少し早いね」


「うん。昨日、セスとお茶を飲んでいるときに、今日の朝も一緒に過ごせたらいいなって思ったの。だから、いつもより少しだけ早く支度を終わらせちゃった」


 そう言って微笑む彼女の頬には、ほんのりと赤みが差している。


 俺は嬉しくなって、自然に手を差し出した。


「それなら、食堂まで一緒に行こうか。俺もリビアと話しながら歩きたいし」


 リビアは一瞬だけ驚いたように俺の手を見つめ、それから満面の笑みを浮かべた。


「うん!」


 彼女の指が俺の手に重なり、温かな感触が伝わってくる。


 以前なら、屋敷の中でこうして手をつなぐことに少し戸惑っていたかもしれない。けれど、今は婚約者として彼女と並んで歩くことが、少しずつ当たり前になってきていた。


 食堂へ向かう途中、リビアがふと思い出したように口を開いた。


「そういえば、セス。昨日の講評で、先生が情報の共有についてお話ししていたでしょう?」


「うん。全員が同じことを理解しているとは限らないから、判断の理由もきちんと伝える必要があるって話だね」


「そう、それ。それを聞いてから、私、セスのことでも少し考えたことがあるの」


 俺は思わず彼女の顔を見た。


「俺のこと?」


「うん。セスって、私の知らないことをまだまだたくさん知っているんじゃないかなって。魔術や剣術だけじゃなくて、お屋敷のお仕事とか、普段の生活の中で覚えたこととか」


 リビアは楽しそうに話しながら、俺の手を軽く握り直した。


「私、セスのことをよく知っているつもりだったけど、考えてみたら、まだ知らないこともいっぱいあるんだろうなって思ったの」


 その言葉に、俺は少し考え込んだ。


 リビアとは幼い頃から長い時間を一緒に過ごしてきた。俺が何を得意としているかも、どんなときに無理をしやすいかも、彼女はよく理解してくれている。


 けれど、確かにすべてを話したことがあるわけではない。


 日々の仕事の中で覚えた小さな工夫や、学院へ入る前に経験した出来事については、わざわざ話題にする機会がなかったものも多いだろう。


「そうかもしれないね。俺も、リビアの知らないことがあると思うし」


「でしょう? だからね、これからはそういうことも、少しずつ教えてほしいな」


 彼女はそう言って、期待するように俺を見上げた。


 俺は頷きながら微笑んだ。


「うん。俺も、リビアのことをもっと知りたいよ」


 すると、リビアは嬉しそうに笑ったあと、少しだけ照れくさそうに視線を落とした。


「……そういうことを自然に言ってくれるようになったの、本当に嬉しい」


 その言葉に、俺まで少し恥ずかしくなった。


 けれど、彼女の手を離したいとは思わなかった。


 俺たちはそのまま食堂へ向かい、朝食の席でも穏やかな会話を楽しんだ。


     ◇


 学院へ到着すると、廊下の掲示板の前に数人の生徒が集まっていた。


 普段から連絡事項が掲示される場所だが、今日は見慣れない案内が一枚追加されている。俺たちが近づくと、そこには学院図書室からの協力依頼が記されていた。


『図書室蔵書整理協力者募集』


 見出しの下には、授業終了後の一定時間、図書室で蔵書の点検と整理を行うため、希望する生徒の協力を募ると書かれている。


 対象となるのは、貸出記録と実際の配架状況の照合、傷んだ書物の確認、分類札の整理などらしい。専門的な補修は担当者が行うため、生徒が勝手に本を修理したり、資料を別の場所へ移動させたりしないよう注意事項も添えられていた。


「へえ、図書室の整理か」


 俺が呟くと、隣で案内を読んでいたリビアが顔を上げた。


「セス、興味ある?」


「うん。図書室にはいつもお世話になっているし、何か手伝えることがあるなら参加してみたいな」


 俺は掲示をもう一度確認した。


 募集は希望制で、参加できる時間帯を担当者へ伝えればよいらしい。授業やほかの活動を優先して構わないことも明記されている。


「私も参加してみたいな。普段は本を借りるばかりだから、図書室がどうやって管理されているのか、ちょっと興味があるの」


 リビアは楽しそうに言った。


 俺は彼女の顔を見て頷く。


「それなら、今日の授業が終わったあとに担当の人へ聞いてみようか。時間が合えば、一緒に参加できるかもしれないし」


「うん!」


 そのとき、後ろから聞き慣れた声がした。


「おはよう、クルセス。オリビア様もおはようございます。二人とも、図書室の案内を見てたのか?」


 振り返ると、ガレスとサザリーが並んで歩いてきたところだった。


「おはよう。ちょうど今、見ていたところだよ」


 俺が答えると、ガレスは掲示へ目を向け、少し困ったように眉を寄せた。


「蔵書整理かあ。俺、ああいう細かい分類はあんまり得意じゃないんだよな。番号がいっぱい並んでると、途中で何を見てたのか分からなくなりそうでさ」


 サザリーはその言葉を聞き、穏やかに微笑んだ。


「でも、作業内容によってはガレスにもできることがあると思うよ。重い本を運ぶ必要があるかもしれないし、書棚の整理なら、決められた順番を確認しながら進めればいいんだから」


「そう言われると、ちょっと気になるな。俺でも手伝えることがあるなら、参加してみてもいいかもしれない」


 ガレスはもう一度掲示を読み、募集時間を確認した。


 俺はそんな二人のやり取りを見ながら、昨日の共同演習の講評を思い出していた。


 得意なことは人それぞれ違う。


 けれど、得意でないからといって、その活動に参加できないわけではない。必要な役割を理解し、分からないことを確認しながら進めれば、協力できることはきっとあるはずだ。


「サザリーも参加するの?」


 俺が尋ねると、彼は少し考えてから頷いた。


「興味はあるよ。特に、分類の方法や記録の照合については勉強になりそうだ。ただ、今日はほかにも確認したい資料があるから、参加するなら時間を調整しないといけないね」


「それなら、無理に今日じゃなくてもいいんじゃないか? 募集期間は何日かあるみたいだし」


 ガレスが言うと、サザリーは掲示を見直した。


「本当だね。ありがとう、ガレス。僕も少し急いで考えすぎていたかもしれない」


 そんな会話を交わしているうちに、始業を知らせる鐘が鳴った。


 俺たちはそれぞれ教室へ向かい、午前の授業を受けることにした。


     ◇


 午前の授業は、文献の読み取りと記録の扱い方についての講義だった。


 教師は古い行政記録の写しを配り、そこに書かれた情報から何が分かるのか、また、何を断定してはいけないのかを説明していた。


 資料には、ある地方で行われた物資の移送記録が記されている。


 日付、運搬した物資の種類、担当者の名前、到着した場所などが並んでいたが、途中の経路や移動にかかった時間については詳しい記載がなかった。


「この記録から、物資が目的地へ届けられたことは確認できます。しかし、どの道を通ったかについては書かれていません。皆さんなら、この情報をどのように扱いますか?」


 教師の問いかけに、何人かの生徒が手を上げた。


 俺は配られた資料へ目を落としながら、記録に書かれていることと、そこから想像できることを頭の中で分けていった。


(目的地へ到着したことは分かる。でも、経路までは書かれていない。地図を見れば候補は考えられるけど、それを事実として扱うのは違うんだろうな)


 やがて教師に指名されたサザリーが、落ち着いた声で答えた。


「記録から確認できる事実と、地理的な条件から推測できる内容を分ける必要があると思います。経路を考えること自体はできますが、別の資料がない限り、実際にどの道を通ったかは断定できません」


「そのとおりです。記録を読むときには、書かれていない部分を自分の想像で補ってしまわないよう注意しなければなりません」


 教師は満足そうに頷き、黒板へ確認事項を書き加えた。


 授業が進むにつれ、俺は図書室の蔵書整理についても少し考えるようになった。


 本を分類するということは、単に棚へ並べるだけではないのだろう。


 必要なときに探せるようにすること。


 どこに何があるのか、誰が見ても分かるようにすること。


 そして、記録と実際の状態が一致しているか確かめること。


 そう考えると、屋敷での備品管理と似ている部分も多い。


 俺は以前、備品の所在が記録と合わなかったとき、担当している使用人へ確認したことを思い出した。自分で全部調べようとするのではなく、実際に管理している人へ尋ねたことで、必要な情報を早く得ることができたのだ。


(図書室でも、まず担当の人の説明を聞くことが大切なんだろうな。自分が知っている方法を、そのまま当てはめればいいわけじゃない)


 俺はそう考えながら、教師の説明をノートへ書き留めた。


 授業の終わりには、資料の扱い方について短い課題が出された。


 俺たちはそれぞれ、記録から確認できる事実と推測できる内容を分けて記入し、提出することになった。


 提出を終えて席へ戻ると、リビアがこちらへ微笑みかけた。


「セス、さっきの授業、面白かったね」


「うん。共同演習の講評で聞いたことともつながっていた気がするよ」


「私もそう思ったの。記録が残っていても、そこに書かれていないことまで分かったつもりになっちゃいけないんだね」


 彼女はそう言いながら、手元のノートを閉じた。


「図書室の整理も、きっと同じように丁寧な確認が必要なんだろうな」


「そうだね。もし今日参加できたら、担当の人にいろいろ教えてもらおう」


 俺が答えると、リビアは嬉しそうに頷いた。


     ◇


 昼休みには、いつものようにガレスとサザリーが俺たちの席へやってきた。


 食堂は多くの生徒で賑わっており、窓際の席にも明るい日差しが差し込んでいる。俺たちは昼食を取りながら、午前の授業や図書室の募集について話していた。


「そういえば、クルセス。お前って、屋敷でも本の管理とかしてるのか?」


 ガレスが尋ねてきた。


 俺は少し考えてから答えた。


「屋敷の書庫で、整理や確認を手伝うことはあるよ。でも、学院の図書室ほどたくさんの人が利用するわけじゃないから、管理の方法は違うと思う」


「へえ。じゃあ、あの番号とかも全部覚えてるのか?」


「全部は覚えてないよ。必要なときに確認できるよう、分類や記録の場所を把握しておくことの方が大切だと思う」


 俺がそう説明すると、ガレスは感心したように頷いた。


「なるほどな。俺、そういうのって、頭のいい人が全部暗記してるんだと思ってた」


 その言葉に、サザリーが小さく笑った。


「全部覚えるより、必要な情報を正確に探せる方が大切な場合もあるよ。もちろん、よく使うものは自然に覚えるだろうけどね」


「そういうもんなのか。俺も、剣の型なら何度も練習してるうちに覚えるし、それと似てるのかな」


 ガレスは少し考え込んだあと、納得したように頷いた。


 俺はその様子を見て、思わず微笑んだ。


 ガレスは細かな記録を扱うことに苦手意識があるようだが、理解できないまま放っておくことはしない。自分の経験に置き換えながら考えようとする姿勢は、彼の大きな長所だと思う。


 リビアも同じように感じたのか、穏やかな声で言った。


「ガレスさんは、実際にやってみると分かることも多いんじゃないかな。図書室の整理も、最初に説明を聞いてから少しずつ覚えればいいと思うの」


「オリビア様にそう言ってもらえると、ちょっと安心します」


 ガレスは照れくさそうに笑い、食事を続けた。


 そのとき、近くの席から聞き慣れた声がした。


「皆さん、こんにちは。こちらに座ってもよろしいでしょうか?」


 振り返ると、エミリアが盆を持って立っていた。


「もちろん。どうぞ」


 リビアが答えると、エミリアは嬉しそうに微笑み、空いている席へ腰を下ろした。


 俺たちは挨拶を交わし、自然と図書室の話題になった。


「図書室の整理ですか。私も掲示を見ました。今日は参加できないんですけれど、別の日なら少しお手伝いできるかもしれません」


 エミリアはそう言いながら、興味深そうに俺たちを見た。


「皆さんは、今日参加されるんですか?」


「俺とリビアは、授業が終わったら担当の人に聞いてみるつもりだよ」


「そうなんですね。もし参加できたら、どんな作業だったか教えていただけると嬉しいです」


 俺が頷くと、エミリアは安心したように微笑んだ。


 ガレスもその会話を聞きながら、少し考え込んでいた。


「俺も今日、時間があれば行ってみようかな。サザリーはどうする?」


「僕は今日は資料を確認したいから、別の日にしようと思う。でも、参加するなら、作業内容を教えてくれるとありがたいね」


「分かった。じゃあ、俺が先に見てくるよ」


 ガレスはそう言って、少し得意そうに笑った。


 俺たちはその様子に笑いながら、昼食を続けた。


 こうして何気ない活動について話していると、共同演習のときとは違った形で、仲間たちとの距離が近づいていることを感じる。


 特別な課題がなくても、同じことに興味を持ち、一緒に何かをしてみようと思える。


 それは、学院生活の中で少しずつ増えてきた、大切な変化なのだろう。


     ◇


 午後の授業を終えると、俺とリビアはガレスと一緒に図書室へ向かった。


 廊下には授業を終えた生徒たちの声が響いていたが、図書室の入口へ近づくにつれて、周囲は少しずつ静かになっていく。重厚な扉の向こうには高い書棚が並び、紙と木の混ざった落ち着いた香りが漂っていた。


 俺はこれまでにも何度かこの図書室を利用している。


 最近では、北方の雪深い地域について書かれた紀行文を読んだこともあった。雪に埋もれやすい道で使われる高い標識の話が印象に残っており、学院の案内表示について考えるきっかけにもなった。


 けれど、普段は本を探して読むことが目的だったため、図書室の管理がどのように行われているのか、詳しく知る機会はなかった。


 受付へ向かうと、担当の女性が書類を整理しているところだった。


 俺たちが挨拶すると、彼女は顔を上げて穏やかに微笑んだ。


「こんにちは。何かお探しでしょうか?」


「こんにちは。掲示板で蔵書整理の協力者募集を見たのですが、今日参加することはできますか?」


 俺が尋ねると、担当者は手元の予定表を確認した。


「はい。今日はまだ参加できる人数に余裕があります。お三方とも希望されますか?」


「はい、お願いします」


 俺が答えると、リビアとガレスも頷いた。


 担当者は俺たちの名前と参加できる時間を確認し、簡単な説明を始めた。


 今日の作業は、図書室の奥にある一般書架の一部について、記録と実際の配架状況を照合することらしい。棚ごとに分類番号が決められており、並び順が正しいか、貸出中の本が誤って記録に残っていないかなどを確認する。


 ただし、傷んだ本を見つけた場合は自分で修理せず、担当者へ報告するよう注意された。


「書物は見た目より傷みやすいものです。特に古い本は、無理に開いたり、背表紙を引っ張ったりすると破損することがあります。分からないことがあれば、必ず声をかけてください」


 担当者はそう説明し、俺たちへ記録用の用紙を渡した。


「今日は最初ですから、難しい作業はお願いしません。こちらの棚について、番号と書名を確認し、記録と違うものがあれば印を付けてください。移動させる必要がある場合も、先に確認をお願いします」


 俺たちは説明を聞き、指定された書棚へ向かった。


 そこには歴史や地理に関する書物が並んでおり、棚の端には分類を示す札が取り付けられている。普段なら興味のある本を探して通り過ぎる場所だが、今日は一冊ずつ状態を確かめる必要があった。


「さて、どうやって進めようか」


 俺が尋ねると、リビアが記録用紙へ目を落とした。


「まず、棚の上から順番に確認するのがよさそうだね。セスが番号を読み上げて、私が記録と照らし合わせるのはどうかな?」


「それなら、俺は確認が終わった本の位置を見ておくよ。間違って並んでるものがあったら、教えればいいんだろ?」


 ガレスがそう言うと、俺は頷いた。


「うん。ただ、勝手に動かさないようにしよう。担当の人から、移動するときは確認するように言われてるからね」


「分かってる。今日はちゃんと、説明されたとおりにやるよ」


 ガレスは少し照れくさそうに笑い、書棚の前へ立った。


 俺たちは役割を決め、作業を始めることにした。


     ◇


 最初のうちは、思っていたより順調だった。


 俺が書名と分類番号を読み上げ、リビアが記録用紙と照合する。ガレスは棚の並び順を確認し、番号が飛んでいるところや、ほかの本より奥へ押し込まれているものがないかを見ていた。


 書棚には大小さまざまな本が並んでおり、革張りの装丁が施されたものもあれば、簡素な布張りのものもある。古い本の背表紙には文字が薄くなっているものもあり、読み取る際には少し注意が必要だった。


「次は、地理資料の二十四番……『北部山岳地帯の交易記録』だね」


 俺が読み上げると、リビアは記録用紙へ目を落とした。


「うん、あるよ。書名も番号も一致してる。次は二十五番かな」


 俺は隣の本へ視線を移した。


 ところが、そこに並んでいたのは二十六番だった。


「あれ、二十五番がないね」


 俺が呟くと、ガレスが書棚へ顔を近づけた。


「本当だ。二十四の次が二十六になってる。誰かが借りてるのかな?」


「可能性はあるけど、ここでは分からないね。記録には何か書いてある?」


 俺が尋ねると、リビアは用紙を確認した。


「この一覧には貸出中の印がないみたい。でも、貸出記録は別に管理されているって説明だったから、ここだけでは判断できないね」


 俺たちは顔を見合わせた。


 普段なら、近くの棚を探したくなるところだ。


 けれど、担当者からは、記録と違うところがあれば印を付け、勝手に本を移動させないように言われている。


「じゃあ、ここは欠けている番号として記録しておこう。あとで担当の人に確認してもらえばいいよね」


 俺が言うと、リビアは頷き、該当する欄へ印を付けた。


 ガレスも納得したように頷いた。


「なるほど。こういうとき、勝手に探して動かすと、かえって分からなくなるかもしれないんだな」


「そうだね。俺たちが確認できたのは、今この棚に二十五番がないってことだけだから」


 俺はそう答えながら、次の本へ目を向けた。


 作業を続けていると、今度はガレスが何かに気づいた。


「なあ、クルセス。こっちの本、番号は合ってるんだけど、少し斜めになってないか?」


 彼が指差したのは、棚の端に置かれた厚い本だった。


 ほかの本より少し大きく、背表紙の上部が手前へ傾いている。よく見ると、隣の本との間に隙間ができており、支えが不十分になっているようだった。


「確かに、少し傾いてるね」


 俺が答えると、リビアも書棚を覗き込んだ。


「でも、無理に押し込むと傷んじゃうかもしれないね。担当の方へ聞いてみようか」


 俺たちは作業を一度止め、受付の担当者へ声をかけた。


 事情を説明すると、担当者はすぐに書棚まで来てくれた。


「確認してくださってありがとうございます。この本は少し大きいので、隣の本と同じように並べると傾きやすいんです」


 担当者は本の状態を確かめ、棚の端に置かれていた支えを調整した。


「本の大きさによっては、並べ方を変えた方がよい場合もあります。ですが、分類の順番もありますから、勝手に位置を変えると探しにくくなることがあるんですよ」


 その説明に、俺たちは頷いた。


 ガレスは少し感心したように書棚を見つめていた。


「本を並べるだけでも、いろいろ考えることがあるんですね」


「そうですね。利用する人が探しやすいことと、本を傷めずに保管すること、その両方が大切なんです」


 担当者は穏やかに答え、俺たちへ礼を述べてから受付へ戻っていった。


 俺はその後ろ姿を見送りながら、屋敷での仕事について考えていた。


 食器を収納するときも、見た目だけを整えればよいわけではない。


 使いやすさや安全性、破損を防ぐための置き方など、いくつもの条件を考える必要がある。


 図書室の仕事も、それと似ているのかもしれない。


(やっぱり、知らない仕事には知らない工夫があるんだな。普段利用している場所でも、こうして手伝ってみると見え方が変わる)


 俺は少し嬉しくなりながら、次の本の確認を始めた。


     ◇


 作業を続けているうちに、ガレスの様子が少し変わってきた。


 最初は分類番号を確認するたびに眉を寄せていたが、しばらくすると、番号の並び方に規則があることへ気づいたらしい。


「なあ、これって、同じ分野の本は番号が近くなるように並んでるんだよな?」


「うん。大きな分類があって、その中でさらに細かく分かれているみたいだね」


 俺が答えると、ガレスは書棚の端にある分類札を見た。


「なるほど。だったら、全部の番号を一つずつ覚えなくても、どの辺りに何があるかは分かるようになるのか」


 彼はそう言いながら、少し嬉しそうに笑った。


「俺、こういうの苦手だと思ってたけど、思ってたより面白いかもしれない」


 その言葉に、リビアが微笑んだ。


「よかった。ガレスさんが気づいてくれたおかげで、さっきの本の傾きも確認できたし、すごく助かってるよ」


「いや、俺は気になったところを言っただけですけど……でも、役に立てたならよかったです」


 ガレスは少し照れくさそうに答えた。


 俺はそんな二人の会話を聞きながら、作業を続けた。


 しばらくして、リビアが記録用紙へ目を落とし、首を傾げた。


「セス、ちょっといい?」


「どうした?」


「この本、書名は合っているんだけど、記録の方には別の版って書いてあるみたいなの」


 俺は彼女の隣へ移動し、用紙を覗き込んだ。


 そこには同じ書名が二つ記されており、一方には改訂版であることを示す記載があった。


 書棚にある本の背表紙を確認すると、確かに書名は一致しているものの、版を示す文字が少し薄くなっている。


「本当だ。これだけだと、どっちなのか分からないね」


 俺が答えると、リビアは少し考え込んだ。


「中を開けば分かるかもしれないけど、古い本だから、勝手に確認しない方がいいよね」


「うん。担当の人に聞こう」


 俺たちは再び担当者へ声をかけた。


 担当者は本を受け取り、丁寧に表紙を開いて奥付を確認した。


「こちらは改訂前の版ですね。記録の方にある新しい版とは別の本です。よく気づいてくださいました」


 担当者はそう説明し、該当する記録へ印を付けた。


 どうやら、同じ書名の本が複数あるため、記録を照合するときには版の違いにも注意する必要があるらしい。


「書名が同じでも、内容が変わっていることがあるんですね」


 リビアが尋ねると、担当者は頷いた。


「ええ。特に地理や歴史に関する本は、新しい情報が加えられることがあります。古い版にも価値がありますが、どちらを探しているのか分かるようにしておくことが大切なんです」


 その説明を聞き、俺は興味深く感じた。


 同じ名前だからといって、同じ内容とは限らない。


 それは、資料を扱うときにも、情報を伝えるときにも気をつけるべきことなのだろう。


 担当者が戻ったあと、リビアは少し嬉しそうに俺を見た。


「セス、今の話、面白かったね」


「うん。俺も勉強になったよ。書名だけじゃなくて、版まで確認する必要があるんだね」


「私、普段は読みたい本を探すことばかり考えてたから、こういう違いを意識したことがなかったの」


 彼女はそう言って、書棚に並ぶ本を見渡した。


「一冊ずつ、ちゃんと管理してくれている人がいるんだね」


 その声には、静かな感心が滲んでいた。


 俺も同じ気持ちだった。


 図書室は、ただ本が並んでいる場所ではない。


 誰かが記録を整え、傷んだ本を確認し、利用する人が必要な資料を探せるようにしてくれている。


 その積み重ねがあるからこそ、俺たちは普段、何気なく本を借りることができるのだろう。


     ◇


 予定していた作業時間が終わる頃には、指定された棚の確認も一区切りついていた。


 俺たちは記録用紙をまとめ、担当者へ提出した。


 担当者は内容を確認し、丁寧に礼を述べてくれた。


「皆さん、ありがとうございました。初めての作業でしたのに、落ち着いて確認してくださって助かりました」


「こちらこそ、いろいろ教えていただいてありがとうございました」


 俺が答えると、リビアとガレスも礼を述べた。


 担当者は記録用紙へ目を落としながら、少し微笑んだ。


「特に、分からないところをそのままにせず、確認してくださったのがよかったですね。蔵書整理では、無理に判断しないことも大切なんです」


 その言葉に、俺は昨日の講評を思い出した。


 情報を確認すること。


 判断した理由を共有すること。


 そして、自分たちだけでは分からないことを、必要な相手へ尋ねること。


 今日の作業でも、同じようなことが大切だった。


 俺たちは担当者へもう一度礼を述べ、図書室を出ることにした。


 廊下へ出ると、窓の外には夕方の光が広がっていた。


 授業を終えた生徒たちの姿は少なくなっており、校庭の方からは遠くで片づけをする声が聞こえてくる。


 ガレスは大きく伸びをしながら、満足そうに笑った。


「いやあ、思ってたより楽しかったな。最初は番号ばっかりで大変そうだと思ったけど、慣れてくると結構面白かった」


「ガレスが楽しめたならよかったよ」


 俺が答えると、彼は頷いた。


「うん。サザリーにも話してやろうかな。あいつ、記録の確認とか好きそうだし」


 リビアも微笑んだ。


「きっと興味を持ってくれると思うよ。エミリアさんにも、今日のことを教えてあげたいね」


「そうだな。今度、時間が合えばみんなで参加してもいいかもしれない」


 ガレスはそう言って、少し考え込んだ。


「でも、今日は俺、ちょっと疲れたかも。剣の稽古とは違う疲れ方だな」


 俺は思わず笑った。


「細かいところをずっと確認してたからね。普段とは違うことをすると、疲れるのも無理ないと思うよ」


「だよな。今日は帰ったら、少しゆっくりすることにするよ」


 ガレスはそう言って笑い、俺たちへ手を振った。


「じゃあ、また明日な!」


「うん。また明日」


 俺たちは彼を見送り、二人で帰りの馬車へ向かった。


     ◇


 馬車へ乗り込むと、リビアは窓の外を少し眺めたあと、俺へ顔を向けた。


「セス、今日は楽しかったね」


「うん。図書室の仕事について、知らなかったことをいろいろ教えてもらえたよ」


 俺が答えると、彼女は嬉しそうに頷いた。


「私ね、今日のセスを見ていて、ちょっと思ったことがあるの」


「どんなこと?」


 リビアは少し考えてから、穏やかな声で話し始めた。


「セスって、何でもできるように見えるでしょう? 魔術も剣術も、お屋敷のお仕事も、とっても上手だし。でも、今日の図書室では、知らないことをちゃんと知らないって言って、担当の方に教えてもらってたよね」


 俺はその言葉に少し驚いた。


「うん。図書室の管理については、知らないことが多かったからね」


「それが、なんだか嬉しかったの」


 彼女はそう言って、少し照れくさそうに微笑んだ。


「セスが何でも一人でできる人だから好きなんじゃなくて、分からないことをちゃんと聞いたり、誰かと一緒に考えたりするところも、私は好きなんだなって思ったから」


 俺はしばらく言葉を返せなかった。


 リビアは昔から、俺のことをよく見てくれている。


 けれど、今日のような何気ない場面でも、そんなふうに感じてくれていたとは思わなかった。


(俺は、リビアに格好いいところを見せたいと思うことがある。でも、彼女が見ているのは、それだけじゃないんだな)


 胸の奥が温かくなり、俺は彼女の手をそっと握った。


「ありがとう、リビア。そう言ってもらえると、嬉しいよ」


 リビアは俺の手を握り返し、柔らかく微笑んだ。


「ふふっ。私、これからもセスの知らない一面を見つけたいな」


「それなら、俺もリビアの知らない一面を見つけたいよ」


 俺がそう答えると、彼女は少し驚いたように目を丸くした。


「私の?」


「うん。リビアだって、俺の知らないことをたくさん考えてると思うし、好きなことや興味のあることも、まだ全部聞けてるわけじゃないだろ?」


 リビアは少し考えてから、嬉しそうに微笑んだ。


「そうかもしれないね。じゃあ、これからはお互いに、もっといろんなことを話そうね」


「うん。俺も楽しみにしてる」


 俺たちは顔を見合わせ、小さく笑った。


 馬車は石畳の道をゆっくりと進み、窓の外には夕方の街並みが流れていく。


 しばらくして、リビアが俺の肩へそっと頭を預けた。


「ねえ、セス。今日、図書室で本を確認していたときのことなんだけど」


「うん?」


「セスが古い本を持つとき、すごく丁寧だったでしょう? あれって、お屋敷で覚えたの?」


 俺は少し考えてから答えた。


「そうだね。屋敷の書庫でも、古い本を扱うことがあるから。でも、最初から上手にできたわけじゃないよ」


 リビアは興味深そうに顔を上げた。


「そうなの?」


「うん。父さんに、紙の端を無理に引っ張らないこととか、背表紙だけを持って抜き出さないこととか、いろいろ教えてもらったんだ。最初は力の入れ方が分からなくて、ずいぶん慎重になってたと思う」


 俺がそう説明すると、リビアは楽しそうに笑った。


「ふふっ。小さい頃のセスが、一生懸命に本を扱う練習をしているところ、ちょっと見てみたかったな」


「そんなに面白いものじゃなかったと思うけど……でも、父さんには何度も教えてもらったよ」


 俺は当時のことを思い出しながら、少し照れくさくなった。


 グレイヴ父さんは、俺が仕事を覚え始めた頃から、細かなことまで丁寧に教えてくれた。


 何かを失敗したときも、ただ叱るのではなく、なぜそうなったのかを考えさせてくれることが多かった。


 そのおかげで、今では当たり前のようにできる仕事も増えたのだと思う。


「セスは、グレイヴのことを本当に大切に思ってるんだね」


 リビアが静かに言った。


 俺は頷いた。


「うん。父さんがいなかったら、今の俺はなかったと思う。仕事のことだけじゃなくて、いろんなことを教えてもらったから」


 リビアはその言葉を聞き、穏やかに微笑んだ。


「私も、グレイヴには感謝してるよ。セスが頑張ってきたことを、ずっと近くで見守ってくれていたんだもの」


 俺は彼女の横顔を見つめながら、静かに頷いた。


 これまでの自分を振り返ると、たくさんの人に支えられてきたことが分かる。


 父さんも、アルセス様も、屋敷の使用人たちも。


 そして、いつも隣にいてくれたリビアも。


 俺が一人でできるようになったと思っていたことの中にも、誰かから教わったことや、助けてもらったことがたくさんある。


 それを忘れずにいたいと思った。


     ◇


 パウリー公爵邸へ戻ると、玄関では父さんが出迎えてくれた。


 俺たちは帰宅の挨拶を済ませ、学院で図書室の蔵書整理に参加したことを報告した。


 父さんは少し意外そうに眉を上げたあと、穏やかに微笑んだ。


「図書室の整理か。それはよい経験になっただろう」


「うん。書名や分類番号を確認するだけじゃなくて、本の状態や並べ方にもいろいろ工夫があるんだって分かったよ」


 俺が答えると、父さんは頷いた。


「書物は、保管するだけでは意味がない。必要な人が必要なときに利用できるよう、状態と所在を把握しておくことが大切だからな」


「そうだね。今日、担当の人にも似たようなことを教えてもらったよ」


 父さんは俺の言葉を聞き、少し嬉しそうに目を細めた。


「そうか。お前が新しい仕事に触れ、そこから学べたのなら何よりだ」


 そのとき、リビアが楽しそうに口を開いた。


「グレイヴ、今日ね、セスが古い本を扱うとき、とても丁寧だったの。それで、昔グレイヴに教えてもらったことを思い出したって話してくれたんだよ」


 父さんは一瞬だけ驚いたように俺を見た。


 俺は少し照れくさくなりながら頷く。


「うん。昔、書庫で本の扱い方を教えてもらったことを思い出したんだ」


 父さんはしばらく俺を見つめたあと、穏やかに微笑んだ。


「よく覚えていたな。あの頃のお前は、何かを教えると、すぐに自分でできるようになろうとしていた。だが、慌てずに確かめることも大切だと、何度も話したものだ」


「……そうだったね」


 俺は思わず苦笑した。


 確かに、当時の俺は早く一人前になりたいという気持ちが強かった。


 父さんに迷惑をかけたくない。


 仕事を任せてもらえるようになりたい。


 そんな思いから、できるだけ早く覚えようとしていたのだと思う。


 父さんはそんな俺へ、何度も同じことを教えてくれた。


 急ぐことよりも、確実に覚えること。


 分からないことは、そのままにしないこと。


 そして、必要なときには誰かへ助けを求めること。


 今になって考えると、最近俺が学んでいることも、父さんが昔から教えてくれていたこととつながっている。


「父さん、ありがとう」


 俺がそう言うと、父さんは少し驚いたように目を見開いた。


「どうした、急に」


「いや、今日いろいろ思い出して……今まで教えてもらったことが、ちゃんと役に立ってるんだなって思ったから」


 父さんはしばらく俺を見つめたあと、穏やかに微笑んだ。


「そうか。それなら、教えた甲斐があったというものだ」


 その声はいつもと変わらず落ち着いていたが、どこか嬉しそうに聞こえた。


 リビアも隣で微笑んでいる。


 俺は少し照れくさくなりながらも、父さんへもう一度礼を述べた。


     ◇


 夕食までには少し時間があったため、俺とリビアは屋敷の小さな談話室で過ごすことにした。


 窓の外では庭園の木々が夕風に揺れ、部屋の中には穏やかな光が差し込んでいる。使用人が用意してくれた紅茶の香りが漂う中、俺たちは向かい合って腰を下ろした。


「セス、今日は本当にいろんなことがあったね」


 リビアはそう言いながら、紅茶の杯をそっと持ち上げた。


「うん。図書室の仕事も面白かったし、父さんと昔のことを話せたのもよかったよ」


 俺が答えると、彼女は嬉しそうに微笑んだ。


「私ね、今日のセスを見ていて、また一つ好きなところが増えた気がするの」


 その言葉に、俺は思わず杯を持つ手を止めた。


「また?」


「うん。セスが知らないことを知ろうとするところも、教えてもらったことを大切にしているところも、すごく素敵だなって思ったの」


 リビアは少し照れくさそうに笑った。


「それに、今日はガレスさんとも一緒に作業できたでしょう? セスが自然にみんなと協力しているところを見ると、私まで嬉しくなるんだ」


 俺はその言葉を聞き、胸の奥が温かくなるのを感じた。


 以前の俺は、自分ができることを増やすことばかり考えていた。


 誰かに頼られるようになりたい。


 リビアを守れるようになりたい。


 父さんの役に立てるようになりたい。


 その気持ちは今も変わっていない。


 けれど、最近は少し違うことも考えるようになった。


 自分ができることを増やすだけでなく、誰かと一緒に考えること。


 相手の得意なことを知り、必要なときには頼ること。


 そして、自分の知らないことを教えてもらうこと。


 そうした経験が、俺の世界を少しずつ広げてくれているのだと思う。


「リビア」


 俺が呼びかけると、彼女は顔を上げた。


「うん?」


「俺も、今日リビアの好きなところが増えたよ」


 リビアは目を丸くした。


 それから、頬をほんのり赤く染める。


「……どんなところ?」


 俺は少し考えてから、素直に答えた。


「今日、図書室で分からないことがあったとき、リビアはすぐに決めつけずに、ちゃんと確認しようとしてただろ? それに、ガレスが楽しめるように声をかけてたところも、すごくいいなって思ったんだ」


 彼女はしばらく俺を見つめていた。


 やがて、嬉しそうに微笑む。


「……そんなところまで見てくれてたんだ」


「うん。リビアのことは、ちゃんと見ていたいから」


 そう答えた途端、彼女の頬がさらに赤くなった。


「もう、セスったら……最近、本当にずるいよ」


 リビアは恥ずかしそうに笑いながら、紅茶の杯をそっと置いた。


 俺は少し戸惑いながら首を傾げる。


「ずるい?」


「うん。そんなふうに自然に嬉しいことを言ってくれるんだもの。私、どうしたらいいか分からなくなっちゃう」


 そう言いながらも、彼女の表情はとても幸せそうだった。


 俺はその笑顔を見つめ、静かに微笑んだ。


「それなら、俺も少しずつ慣れていくよ。リビアに喜んでもらえるなら、ちゃんと伝えたいから」


 彼女は嬉しそうに頷いた。


「うん。私も、セスにたくさん伝えるね」


 俺たちは顔を見合わせ、小さく笑った。


 窓の外では、夕暮れの光が庭園を淡く染めている。


 今日一日を振り返ると、特別な事件が起きたわけではなかった。


 それでも、図書室で知らなかった仕事を学び、仲間と協力し、父さんから教わったことを思い出すことができた。


 そして、リビアの新しい一面を知ることもできた。


 俺は目の前で微笑む彼女を見つめながら、これから先も、こうして一緒に新しいことを見つけていけたら嬉しいと思った。


「ねえ、セス」


 リビアが少し身を乗り出した。


「今度、また図書室へ行かない? 整理のお手伝いでもいいし、普通に本を探しに行くのでもいいの。セスと一緒なら、きっと楽しいと思うから」


 俺はその言葉に頷いた。


「うん。俺も行きたいよ。今度は、リビアが興味のある本も一緒に探してみたいな」


 彼女は嬉しそうに微笑んだ。


「約束だよ?」


「うん、約束」


 俺たちはそう言って、そっと手を重ねた。


 まだ知らないことは、きっとたくさんある。


 それは本の中にも、学院の中にも、日々の生活の中にも。


 そして、すぐ隣にいる大切な人の中にも、きっとあるのだろう。


 俺はリビアの手の温もりを感じながら、これから彼女と一緒に過ごす時間が、ますます楽しみになっていた。

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