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第96話 公爵令嬢様と、俺たちに届いた演習の評価


 翌朝、パウリー公爵邸の食堂へ向かう途中で、俺は廊下の窓から庭園へ目を向けた。


 昨日、リビアと並んで歩いた小道には朝露が残っており、東屋の屋根も柔らかな陽光を受けて明るく見えている。庭師たちはすでに仕事を始めていて、花壇の周囲を丁寧に整える姿が、まだ人通りの少ない庭園に静かな活気を与えていた。


(昨日は、あそこでずいぶん長く話したな。帰ってからもリビアは嬉しそうだったし、俺も久しぶりにゆっくりできた気がする)


 婚約者と庭園を散歩する。


 言葉にすれば、それほど珍しいことではないのかもしれない。けれど、これまで仕事や学院の予定を優先することが多かった俺にとって、自分からリビアを誘い、二人で過ごす時間を楽しみにするという経験は、思っていた以上に大きな意味を持っていた。


 特に印象に残っているのは、東屋で交わした約束だった。


 リビアは俺に、もっと自分の希望を伝えてほしいと言ってくれた。彼女の願いを叶えることだけが婚約者としての役割ではなく、俺自身が何を望んでいるのかを知ることも、リビアにとっては大切なのだという。


 頭では理解していたつもりでも、実際に言葉にするのはまだ少し難しい。


 それでも、昨日のリビアの笑顔を思い出すと、これからは自分の気持ちを伝えることを必要以上にためらわなくてもいいのだと思えた。


「セス、おはよう!」


 背後から聞こえた声に振り返ると、階段の方からリビアが歩いてくるところだった。


 今日も制服をきちんと着こなしており、銀青色の髪は朝の光を受けて淡く輝いている。俺の姿を見つけると自然に足取りが軽くなり、そのまま隣まで来て嬉しそうに微笑んだ。


「おはよう、リビア。よく眠れた?」


「うん。昨日は楽しかったから、気持ちよく眠れたよ。セスはどうだった?」


「俺もぐっすり眠れたよ。そういえば、今ちょうど昨日の庭園のことを考えてたんだ」


 そう答えると、リビアは目を丸くしたあと、頬をほんのり赤く染めた。


「本当? 実は私も、部屋で支度をしているときに思い出してたの。セスが自分から誘ってくれたことも、東屋でもう少し一緒にいたいって言ってくれたことも、全部嬉しくて」


 彼女はそこで言葉を区切り、少し恥ずかしそうに視線を落とした。


 普段は学院でも屋敷でも堂々としているリビアだが、こういうときには年相応の可愛らしい表情を見せる。その変化を間近で見られることが嬉しくて、俺もつられるように微笑んだ。


「それなら、また時間を作ろう。昨日みたいに、特別な用事がなくても一緒に過ごせたら嬉しいし」


「うん! でも、今度は私からも誘うね。セスがしたいことも聞くから、遠慮しないで教えてほしいな」


 俺たちはそんな話をしながら食堂へ向かった。


 朝食の席ではアルセス様もすでに着席しており、俺たちが並んで入ってくると、手元の書類から顔を上げて穏やかに微笑まれた。


「おはよう、二人とも。昨日は庭園で随分と楽しそうにしていたそうだね」


 その言葉に、リビアの足がわずかに止まった。


「お、お父様。どなたからお聞きになったんですか?」


「庭園を整えていた者たちからだよ。もちろん、二人の会話を聞いたという話ではない。ただ、いつもよりゆっくり散歩を楽しんでいたようだと聞いてね」


 アルセス様は何でもないことのように答えながら、俺たちへ席を勧められた。


 リビアは少し恥ずかしそうにしながらも俺の隣へ座り、父親へ向かって小さく頷く。


「……はい。とても楽しかったです。セスが誘ってくれたんですよ」


「ほう、それはよかった。セスも、少しずつ自分の希望を口にできるようになったのかな」


「はい。まだ慣れていないところもありますが、リビアが喜んでくれたので、これからも少しずつ伝えていこうと思っています」


 俺が答えると、アルセス様は満足そうに頷かれた。


「それでいい。相手を思いやることと、自分の気持ちを隠すことは同じではないからね。二人で相談して決める習慣は、これから先もきっと役に立つだろう」


 その言葉を聞いたリビアが、テーブルの下でそっと俺の手に触れた。


 驚いて隣を見ると、彼女は何も言わずに微笑んでいる。俺もその手を軽く握り返してから、朝食の準備を進める使用人たちへ視線を戻した。


 今日も学院では通常授業が予定されている。


 昨日の魔術安全講義で学んだ内容を思い返しながら、俺は今日の授業に必要な教科書を頭の中で確認していた。


 ただ、この時点では、交流演習に関する新しい知らせが学院で待っているとは思っていなかった。


     ◇


 学院へ到着すると、いつもの朝とは少し違う雰囲気が漂っていた。


 廊下を歩く生徒たちの間で、先日の共同演習について話す声がいつもより多く聞こえてくる。すれ違った上級生たちも、演習での判断や教師からの連絡について話しているようだった。


 俺が不思議に思っていると、教室の入口付近でガレスがこちらに気づき、大きく手を振った。


「おはよう、クルセス! オリビア様もおはようございます。二人とも、今日の掲示は見たか?」


「おはよう、ガレス。掲示って、何か新しい連絡があったのか?」


「演習の振り返りについてだよ。今朝、廊下の掲示板に案内が出てたんだ。今日の午後、担当の先生から各班へ講評があるらしい」


 ガレスはそう説明しながら、教室の奥を指差した。


 そこではサザリーが机の上に資料を広げており、俺たちの会話が聞こえたのか、こちらへ顔を上げた。


「おはよう。ガレスの言うとおり、今日の午後に講評の時間が設けられるようだね。ただ、掲示には総合順位を発表するとは書かれていなかったよ」


 俺たちはサザリーの席へ近づき、彼が書き写していた連絡内容を確認した。


 案内には、共同演習に参加した各班が指定された時間に担当教師から振り返りを受けること、その際には演習中の判断や連携について確認することが記されている。評価の詳細については各班で説明されるようだが、ほかの班の成績や順位を公表するという記載はなかった。


「なるほど。俺たちがどう判断したのか、先生たちからも意見をもらえるんだな」


 俺が呟くと、サザリーは頷いた。


「演習が終わった直後は、どうしても自分たちの視点からしか振り返れなかったからね。監督していた先生方が何を見ていたのか、聞けるのはありがたいと思う」


「俺はちょっと緊張するけどな。あの坂道のところとか、もっと上手いやり方があったって言われそうだし」


 ガレスは苦笑しながら、後頭部をかいた。


 共同演習では、物資を運ぶ途中で滑りやすい斜面や障害物に対応する必要があった。俺たちは魔術を使わず、全員の安全と荷物の状態を確認しながら進んだが、ほかにも選択できる方法があったかもしれない。


 それを考えること自体は、悪いことではないはずだ。


「指摘があったら、次に活かせばいいと思うよ。俺だって、全部正しかったとは思ってないから」


 俺が答えると、ガレスは少し驚いたように目を見開いた。


「クルセスでも、そう思うんだな」


「もちろん。あのときは自分たちで考えて決めたけど、ほかの人から見れば違うことに気づくかもしれないだろ?」


 俺の言葉に、ガレスはしばらく考え込んだあと、納得したように頷いた。


「そっか。そう考えれば、あんまり身構える必要もないか。怒られるために集まるわけじゃないもんな」


「うん。演習の結果だけじゃなくて、判断した理由も確認するための時間なんだと思う」


 リビアがそう言って微笑むと、サザリーも資料を閉じながら同意した。


「それに、第三班は全員で役割を分担していたからね。誰か一人の判断だけを振り返っても、全体は分からないと思う。レオル先輩やエミリアさんにも、それぞれ聞いてみたいことがあるよ」


 俺はその言葉を聞き、午後の講評が少し楽しみになった。


 自分たちが経験した出来事を、ほかの視点から見直す。


 それは、演習を終えたあとだからこそできる学びなのだろう。


     ◇


 午前の授業が始まると、教室の空気は次第に落ち着いていった。


 最初の授業では歴史に関する講義が行われ、教師は過去の交易路がどのような理由で整備され、地域の発展へ影響していったのかを説明していた。地図には山脈や河川が描かれ、そこを通る複数の街道について、当時の人々が何を重視して道を選んだのかという話が続いている。


 俺はその説明を聞きながら、共同演習で経路を選んだときのことを思い出していた。


 あのとき、俺たちは東側の経路と西側の経路を比較し、運搬する物資の重量や通行条件を踏まえて西側を選択した。東側の経路そのものが悪かったわけではなく、その時点で自分たちが持っていた荷物や情報に合う道を選んだということだった。


 歴史上の交易路も、単純に距離が短ければよいというものではないらしい。


 通行の安全性や季節による変化、運搬する物の種類、途中で補給できる場所の有無など、複数の事情が重なって道が選ばれてきたのだと教師は説明していた。


(こうして考えると、演習でやったことも、ただの特別な課題じゃないんだな。実際の仕事や生活でも、似たような判断が必要になるんだ)


 俺は教科書の余白へ、道を選ぶ際の条件について簡単に書き留めた。


 授業の終わりに教師が質問を受け付けると、何人かの生徒が手を上げ、街道の維持費や通行税について尋ねていた。俺もそのやり取りに耳を傾けながら、同じ道でも利用する人の立場によって重要な条件が変わるのだと理解した。


 休み時間になると、サザリーが俺の席へやってきた。


「クルセス、さっきの授業で先生が説明していた交易路の話、少し興味深かったね」


「うん。運ぶ物や季節によって使いやすい道が変わるっていうのは、演習にも通じるところがあると思ったよ」


 俺が答えると、サザリーは嬉しそうに頷いた。


「僕も同じことを考えていたんだ。ただ、演習と違って、現実の街道は何年も使い続けることになるから、最初の判断だけでなく、その後の維持も重要になるんだろうね」


 彼は手元のノートを開き、教師が説明していた街道の整備費用について指を添えた。


「たとえば、短い道でも毎年大きな修繕が必要なら、少し遠回りでも安定した道の方が長い目で見れば有利かもしれない。そういう判断は、僕たちが思っているより複雑なんだと思う」


「確かに。俺たちは決められた時間の中で荷物を届ければよかったけど、実際の街道なら、次に通る人のことも考えないといけないんだな」


 俺たちがそんな話をしていると、近くで聞いていたガレスが椅子を引き寄せた。


「二人とも、授業が終わっても難しい話してるな。でも、道の維持って聞くと、ちょっと分かる気がする。俺の家の近くにも雨が降るとぬかるむ道があるんだけど、毎回そこを避ける荷馬車がいるんだよ」


 ガレスはそう言って、机の上へ指で簡単な道筋を描いた。


 普段はまっすぐ通れる場所でも、雨のあとには荷車の車輪が取られやすくなるらしい。近くの住民はそれを知っているため、少し遠くても別の道を使うことがあるのだという。


 サザリーは興味深そうに聞き入り、実際にその道を利用する人の判断について質問していた。


 俺は二人の会話を聞きながら、ガレスが演習中に地面の状態へ注意を向けていた理由を、少し理解できた気がした。


 人それぞれに、これまで経験してきたことがある。


 その経験が、同じ景色を見たときの気づき方を変えるのだろう。


     ◇


 昼休みになると、俺たちは食堂でエミリアと合流した。


 今日はレオル先輩も時間を合わせてくださり、第三班の六人が久しぶりに同じテーブルへ集まることになった。


 食堂は昼食を取る生徒たちで賑わっていたが、窓際の席には比較的落ち着いた空気が流れている。俺たちは盆を置いて席へ着き、食事を始めながら午後の講評について話した。


「レオル先輩も、今日の連絡をご覧になりましたか?」


 サザリーが尋ねると、レオル先輩は頷いた。


「ああ。上級生の方にも同じ案内が届いている。担当教師から、演習中の判断について確認する時間を取るそうだ」


 レオル先輩は落ち着いた声で答えたあと、全員の顔を順に見た。


「講評を受ける前に、一つだけ確認しておきたい。もし先生方から改善点を指摘されたとしても、それを誰か一人の失敗として扱わないようにしよう。あのときの判断は、班として相談して決めたものだからな」


 その言葉に、エミリアが小さく頷いた。


「はい。私も、物資の確認に時間がかかったところが少し気になっていたんです。でも、皆さんが待ってくださったおかげで、慌てずに確認できました」


「そこは必要な時間だったと思うぞ。封印の状態とか数の確認を飛ばしてたら、あとで困ったかもしれないし」


 ガレスがそう言うと、エミリアは安心したように微笑んだ。


 俺も彼の意見に同意した。


「俺たちは、ただ早く到着するだけが目的じゃなかったからね。荷物をきちんと届けることも条件だったし、確認の時間を取ったのは間違いじゃなかったと思う」


 レオル先輩は俺たちの話を聞きながら、穏やかに頷いた。


「そうだな。ただ、確認が必要だったことと、その進め方に改善の余地があるかどうかは別の話だ。先生方から何か指摘があれば、そこは素直に聞こう」


 俺たちはその言葉に頷いた。


 リビアは少し考えてから、エミリアへ目を向けた。


「エミリアさん、演習のときに物資の確認を担当してくれてありがとう。私も、あの場で何を優先すべきか考えるとき、記録が整理されていたから判断しやすかったの」


 エミリアは驚いたように顔を上げ、それから照れくさそうに微笑んだ。


「ありがとうございます。私も、皆さんが必要な情報を伝えてくださったので、記録をまとめやすかったんです」


 そんな会話が続くうちに、午後の講評に対する緊張も少しずつ和らいでいった。


 ガレスは食事を進めながら、ふと思い出したように俺へ目を向けた。


「そういえば、クルセス。演習が終わってから、また剣の稽古はしてるのか?」


「普段の練習は続けてるよ。ただ、最近は授業やほかの予定もあったから、特別に時間を増やしたりはしてないかな」


「そっか。俺もそろそろ、もう少ししっかり練習したいと思ってたんだよな。今度、時間が合ったら付き合ってくれないか?」


 ガレスは少し身を乗り出し、期待するように俺を見た。


 以前の俺なら、予定を確認する前に引き受けていたかもしれない。


 けれど、今日は自分の予定も大切にしたいと思っていたので、少し考えてから答えることにした。


「もちろん、俺も一緒に練習したいよ。ただ、今週は屋敷で確認したい仕事もあるから、予定を見てから決めてもいいかな?」


 ガレスは一瞬だけ目を丸くしたあと、すぐに笑った。


「当たり前だろ。別に今日じゃなくてもいいんだからさ。都合のいい日があったら教えてくれよ」


「うん、ありがとう」


 俺が答えると、隣に座っていたリビアが嬉しそうに微笑んでいた。


 その表情を見て、昨日の約束を思い出す。


 誰かの希望を聞くことと、自分の予定を大切にすることは、どちらか一方を選ばなければならないものではない。


 ガレスも、俺がすぐに引き受けなかったことを気にしている様子はなかった。


(こうして相談すればいいんだな。何でもその場で決めなくても、相手を大切にできるんだ)


 俺はそのことを、少しずつ実感し始めていた。


     ◇


 午後の講評は、通常授業を終えたあと、指定された教室で行われた。


 第三班の六人が到着すると、室内には担当教師が二人待っており、机の上には演習時の記録と思われる書類が並べられていた。


 窓から差し込む午後の光が机の端を照らし、開かれた窓からは校庭で活動する生徒たちの声がかすかに聞こえてくる。


 俺たちは教師の案内に従い、横に並べられた席へ腰を下ろした。


「第三班の皆さん、先日の共同演習、お疲れ様でした」


 担当教師は穏やかな声でそう切り出した。


「今日は、演習の結果だけでなく、途中でどのような判断をしたのかについても確認します。皆さん自身の振り返りと、監督側の記録を照らし合わせながら進めていきましょう」


 教師はまず、第三班が指定された物資をすべて届け、必要な情報確認を行い、六人全員で最終地点へ到着したことを確認した。


 その説明を聞いて、ガレスが小さく息を吐く。


 結果そのものは演習終了時にも確認されていたが、改めて教師から説明を受けると、無事に終えられたことを実感できたのだろう。


「ただし、条件を満たしたことと、すべての判断が最善だったことは同じではありません」


 教師はそう続け、机の上に広げた経路図へ指を置いた。


「まず、皆さんが西側の経路を選んだ理由を聞かせてください。東側にも通行可能な区間はありましたが、なぜそちらを選ばなかったのでしょうか」


 その質問に、レオル先輩が俺たちへ視線を向けた。


 誰が答えるかを一方的に決めるのではなく、当時の判断に関わった者が説明できるようにしてくださっているのだろう。


 俺はサザリーと目を合わせ、彼が軽く頷いたのを確認してから口を開いた。


「東側の経路については、運搬する物資の重量と通行条件を確認しました。その結果、俺たちが持っていた荷物をそのまま運ぶには、条件に合わない区間があると判断しました」


 教師は頷き、続きを促した。


「西側にも滑りやすい斜面や障害物がありましたが、班員で役割を分担すれば安全に通れると考えました。荷物を運ぶ順番や足元の確認についても相談し、全員で移動できる方法を選びました」


 俺が説明を終えると、サザリーが記録の内容を補足した。


「東側を選ばなかったのは、距離や難易度だけで判断したからではありません。確認できた条件を比較し、当時の荷物の状態では西側が適切だと考えました。ただ、東側のすべての区間を詳しく調べたわけではないので、そちらが常に不適切だと判断したわけではありません」


 教師は二人の説明を聞き、満足そうに頷いた。


「その区別は重要です。皆さんの記録からも、確認した事実と推測を分けようとしていたことが分かります」


 俺はその言葉を聞き、少し安心した。


 サザリーが演習中に何度も意識していたことが、きちんと評価されていたからだ。


 けれど、教師の説明はそこで終わらなかった。


「一方で、経路を決めたあとの情報共有には改善の余地があります。皆さんは判断の理由を理解していましたが、その説明が班員全員へ同じ順序で伝わったかという点では、少し曖昧な部分がありました」


 俺は思わず背筋を伸ばした。


 確かに、経路を決めるときには全員で相談したものの、確認した情報をどの順番で共有するかまでは、十分に意識していなかったかもしれない。


 教師は記録へ目を落としながら続けた。


「特に、移動を始める直前には、荷物の担当や先頭を歩く者の確認を優先していましたね。その判断自体は理解できますが、経路選択の理由を簡潔にまとめて共有しておけば、途中で状況が変わったときにも対応しやすかったでしょう」


 その指摘に、レオル先輩が頷いた。


「おっしゃるとおりです。役割分担の確認は行いましたが、経路選択の理由を改めて全員へ共有するところまでは、十分にできていなかったと思います」


「そうですね。演習中は問題が起きませんでしたが、別の条件であれば、その不足が影響した可能性はあります」


 教師は穏やかに答えた。


 俺はそのやり取りを聞きながら、演習中の場面を思い返していた。


 誰かが道を選ぶ理由を理解していても、それがほかの全員へ伝わっていなければ、状況が変わったときに判断が遅れるかもしれない。


 自分が分かっていることと、全員が分かっていることは違う。


 昨日の魔術安全講義でも似たようなことを考えたが、こうして具体的な指摘を受けると、その重要性がよりはっきりと感じられた。


     ◇


 続いて、教師は物資の確認と運搬について話を進めた。


 保存食や飲料水、応急処置用の布包み、記録用紙束、封印付きの木箱について、それぞれの確認がどのように行われたかを記録と照らし合わせていく。


 エミリアは少し緊張した様子で背筋を伸ばしていたが、教師から質問を受けると、落ち着いた声で答え始めた。


「物資の数と状態については、移動前と必要な確認地点で照合しました。封印付きの木箱は番号を確認し、開封せずに運搬しています。途中で荷物の持ち方を変えた際にも、担当者同士で状態を確認しました」


 教師は記録を確認しながら頷いた。


「その点は丁寧に対応できていましたね。特に、物資を移動させたあとで記録と実物を照合していたことは評価できます」


 エミリアの表情が少し明るくなった。


 けれど、教師は続けて、確認に時間をかける場面での役割分担について質問した。


「確認作業そのものは適切でしたが、担当者以外が待機している時間をどう使うかについては、もう少し工夫できたかもしれません。皆さんは、その間にどのようなことをしていましたか?」


 ガレスが手を上げ、当時の状況を説明した。


「俺は荷物を動かさないように見ていました。ほかの人が確認している間、勝手に持ち替えたりすると数が分からなくなると思ったので。ただ、待っている間に次の移動の準備までできたかって言われると、そこまでは考えてませんでした」


 教師は彼の説明を聞き、ゆっくりと頷いた。


「勝手に動かさなかったことは適切です。ですが、確認作業を妨げない範囲で、次に必要な情報を整理したり、周囲の安全を確かめたりすることもできたでしょう」


 その言葉に、俺も思い当たることがあった。


 演習中は、誰かが作業しているときに余計なことをしないよう注意していた。けれど、邪魔をしないことと、何もしないことは同じではない。


 必要な確認を妨げずにできる準備があるなら、役割を分担して進めてもよかったのかもしれない。


 ただし、勝手に判断して動けば、かえって混乱を招く可能性もある。


 その違いを考えていると、リビアが静かに手を上げた。


「先生、一つ質問してもよろしいでしょうか」


「どうぞ、オリビアさん」


「確認作業をしている人の負担を増やさずに、ほかの人が次の準備を進めるには、最初に担当する内容を決めておく方がよいのでしょうか。それとも、その場で必要なことを相談した方がよいのでしょうか」


 教師は少し考えてから答えた。


「状況によりますね。あらかじめ決められる役割は決めておく方が混乱しにくいでしょう。ただ、予想していなかったことが起きた場合には、担当を固定しすぎず、状況に応じて相談する必要があります」


 教師はそこで、俺たち全員を見渡した。


「大切なのは、誰が何をしているかを互いに理解していることです。役割分担は、人を縛るためではなく、協力しやすくするためのものですから」


 その言葉に、俺は深く頷いた。


 役割を決めることも、必要に応じて変更することも、どちらも大切なのだろう。


 演習中に俺たちが考えていたことが、教師の説明によって少しずつ整理されていくようだった。


     ◇


 最後に取り上げられたのは、斜面と障害物を通過した際の判断だった。


 教師は記録の一部を確認しながら、ガレスへ質問した。


「ガレス君、滑りやすい場所を通る際、足元の状態について何か気づいたことはありましたか?」


 ガレスは少し考えてから、当時の様子を説明した。


「地面が湿っているところと、比較的乾いているところがありました。荷物を持ったまま急いで進むと危ないと思ったので、歩く位置を確認しながら進みました」


「その判断は適切でした。では、もし途中で一人が足を滑らせた場合、どうするつもりでしたか?」


 その質問に、ガレスはすぐには答えなかった。


 俺たちは演習中、滑らないようにするための対策は相談していた。


 けれど、実際に誰かが足を滑らせた場合の対応について、どこまで具体的に決めていただろうか。


 ガレスは少し考え込んだあと、正直に答えた。


「まず荷物を無理に支えようとしないで、安全を優先するつもりでした。でも、そのとき誰が声をかけて、誰が周りを確認するかまでは、決めてなかったと思います」


 教師は彼の答えを否定せず、穏やかに頷いた。


「正直に振り返れているのはよいことです。皆さんは危険を避けるための行動を取れていましたが、もし問題が起きた場合の対応については、もう少し具体的に共有できたでしょう」


 俺はその説明を聞きながら、昨日の魔術安全講義で発言した内容を思い出した。


 危険を感じた人が中止を伝えられること。


 全員が同じ状況を見ているとは限らないこと。


 その考え方は、魔術を使う場面だけでなく、物資を運ぶような作業にも当てはまるのだろう。


 レオル先輩が教師へ向かって口を開いた。


「今回の演習では、幸い大きな問題は起きませんでした。しかし、もし誰かが足を滑らせたり、荷物の状態が変わったりした場合に、全員が同じ対応を取れたかどうかは分かりません。次に同じような作業をする機会があれば、その点も事前に確認したいと思います」


「その考え方でよいでしょう」


 教師は満足そうに頷いた。


「皆さんが今回の演習で学ぶべきことは、条件を満たして到着する方法だけではありません。自分たちの判断を振り返り、次に同じ状況へ置かれたとき、より安全で確実な行動を選べるようになることも重要です」


 その言葉を聞き、俺は静かに息を吐いた。


 演習を終えたときには、無事にすべての条件を満たせたことが何より嬉しかった。


 けれど、今はそれだけではない。


 あのとき何を考え、何を見落とし、次にどうすればよいのか。


 そうしたことまで含めて、演習は俺たちの学びになっているのだろう。


 教師は最後に、第三班の総合的な講評を伝えてくれた。


「皆さんは、それぞれの得意なことを活かしながら、互いに協力して課題へ取り組めていました。特に、判断を一人へ集中させず、複数人で確認しようとしていた点はよかったと思います」


 俺は隣に座るリビアへ目を向けた。


 彼女もこちらを見ており、嬉しそうに微笑んでいる。


「一方で、情報共有の順序や、予想外の事態への対応については、まだ改善できる部分があります。今日の講評を、次の活動へ活かしてください」


 教師はそう締めくくり、俺たちへ記録の確認を促した。


 正式な総合順位についての説明はなく、ほかの班と比較した評価も示されなかった。


 けれど、俺にはそれで十分だった。


 自分たちができたことと、まだ足りなかったこと。


 その両方を知ることができたのだから。


     ◇


 講評が終わり、教室を出ると、廊下には夕方の光が差し込んでいた。


 ほかの班もそれぞれ講評を受けているのか、少し離れた教室から生徒たちの声が聞こえてくる。


 俺たちは廊下の端へ移動し、邪魔にならない場所で少しだけ話すことにした。


「いやあ、思ったよりいろいろ指摘されたな」


 ガレスが苦笑しながら言った。


 けれど、その表情は落ち込んでいるというより、何かを納得したあとのように見えた。


「でも、言われてみれば確かにってことが多かったよ。俺、滑らないようにすることばっかり考えてて、誰かが滑った場合のことまではちゃんと考えてなかったし」


 エミリアも小さく頷いた。


「私も、確認作業を丁寧に進めることは意識していましたけれど、その間にほかの方が何をできるかまでは、十分に考えられていませんでした」


「でも、エミリアさんが丁寧に確認してくれたこと自体は、ちゃんと評価されてたよね」


 リビアがそう言うと、エミリアは少し照れくさそうに微笑んだ。


「はい。それは、とても嬉しかったです」


 サザリーは手元の資料を確認しながら、落ち着いた声で話した。


「僕は、情報を記録することと、情報を共有することの違いを改めて考えさせられたよ。記録が残っていても、必要な人へ伝わっていなければ、十分とは言えないんだね」


「そうだな。俺も、みんなが理解していると思い込まないようにしたい」


 俺が答えると、レオル先輩が穏やかに微笑んだ。


「皆、よい振り返りができていると思う。今回の演習は終わったが、ここで学んだことは、これからの授業や生活でも活かせるはずだ」


 その言葉に、俺たちは頷いた。


 少しして、レオル先輩が次の授業の準備があると言って先に離れ、エミリアも自分の教室へ戻ることになった。


 俺たちは互いに挨拶を交わし、それぞれの帰り支度へ向かう。


 別れ際、エミリアが俺たちへ向かって微笑んだ。


「今日は皆さんと一緒に講評を受けられてよかったです。また、食堂でもお話しできたら嬉しいです」


「もちろん。また一緒に食べよう」


 俺が答えると、彼女は嬉しそうに頷いた。


 ガレスも大きく手を振り、サザリーは丁寧に会釈する。


 こうして自然に次の約束が生まれることが、俺には嬉しかった。


 演習が終わったからといって、そこでできた関係まで終わるわけではない。


 むしろ、一緒に経験したことがあるからこそ、これからも話せることが増えていくのだろう。


     ◇


 帰り支度を終えたあと、俺とリビアは学院の廊下を並んで歩いていた。


 窓の外では、校庭で活動していた生徒たちが片づけを始めており、夕方の光が建物の壁を淡く照らしている。授業を終えた生徒たちが行き交う中、俺たちは人の流れを避けながらゆっくりと進んだ。


「セス、今日の講評、どうだった?」


 リビアが尋ねてきた。


 俺は少し考えてから答えた。


「よかったと思う。できていたことも分かったし、足りなかったことも分かったから。特に、情報を共有する順番については、今まであまり意識してなかったな」


「うん。私も、結界を使うときのことを考えちゃった」


 リビアはそう言って、少し真剣な表情になった。


「結界を張ることだけを考えていたら、周りの人が何をしようとしているのか分からなくなることもあるかもしれないでしょう? だから、誰を守るために、どこへ結界を張るのかを伝えることも大切なんだろうなって」


「確かに。俺も魔術を使うとき、自分が制御できるから大丈夫だと思うだけじゃ足りないんだろうね」


 俺たちはそんな話をしながら、廊下の曲がり角へ差しかかった。


 そこで、向こうから歩いてきたマリエッタ先輩と顔を合わせた。


「あら、オリビアさん。クルセス君も、こんにちは」


「こんにちは、マリエッタ先輩」


 リビアが挨拶すると、マリエッタ先輩は手元の資料を抱え直し、穏やかに微笑んだ。


「ちょうどよかったわ。昨日の案内表示の確認について、少しだけ伝えておきたいことがあったの」


 俺たちは足を止め、先輩の話へ耳を傾けた。


 マリエッタ先輩によると、昨日集めた意見は委員会で整理を進めており、表示を見る位置によって評価が変わる点や、色だけでなく番号や枠の形を組み合わせる必要性について、複数の意見が出ているらしい。


 ただし、どの案を採用するかについては、まだ結論が出ていないとのことだった。


「今は、どの意見がどの条件で出されたものなのかを整理しているところよ。正式に採用するかどうかを決めるには、もう少し確認が必要だと思っているの」


 マリエッタ先輩はそう説明し、リビアへ目を向けた。


「昨日協力してくれた皆さんにも、お礼を伝えておいてくれるかしら。実際に歩いて確認してもらったことで、委員会だけでは気づきにくかった点も見えてきたから」


「はい。必ずお伝えします」


 リビアは嬉しそうに答えた。


 俺も先輩へ礼を述べる。


「こちらこそ、参加させていただいてありがとうございました。俺たちも、普段何気なく見ている表示について考えるきっかけになりました」


 マリエッタ先輩は少し驚いたように目を丸くし、それから柔らかく微笑んだ。


「そう言ってもらえると嬉しいわ。改善案がまとまるまでにはまだ時間がかかると思うけれど、急いで決めるより、必要なことをきちんと確認していきたいの」


 その言葉に、俺は今日の講評を思い出した。


 情報を集めることと、それを適切に共有すること。


 判断するために必要な条件を確認すること。


 どちらも、演習で学んだことと通じる部分がある。


 リビアも同じようなことを考えていたのか、真剣な表情で頷いていた。


 先輩と別れたあと、俺たちは再び歩き始めた。


「委員会の活動も、少しずつ進んでるんだね」


 俺が言うと、リビアは嬉しそうに微笑んだ。


「うん。でも、すぐに結果を出そうとしないところが、マリエッタ先輩らしいなって思った。私も、ちゃんと見習いたいな」


「リビアも十分丁寧に取り組んでると思うよ。昨日だって、協力してくれた人の意見を大切にしてたし」


 俺がそう答えると、彼女は少し照れくさそうに笑った。


「ありがとう。でもね、私もまだ勉強中だから。セスと一緒に、いろんなことを学んでいけたら嬉しいな」


 俺はその言葉に頷いた。


 学院では、授業だけでなく、さまざまな経験を通して学ぶことができる。


 その一つ一つを、リビアと一緒に考えていけるのは、とても幸せなことだと思った。


     ◇


 帰りの馬車へ乗り込むと、窓の外には夕方の街並みが広がっていた。


 通りには買い物を終えた人々や荷車が行き交い、店先では一日の営業を終える準備が進められている。石畳を進む車輪の音が穏やかに響く中、俺たちは向かい合う席ではなく、いつものように隣同士へ腰を下ろした。


 リビアは窓の外を少し眺めたあと、俺へ視線を向けた。


「ねえ、セス。今日の講評を聞いて、私、一つ思ったことがあるんだ」


「どんなこと?」


 俺が尋ねると、彼女は少し考えてから口を開いた。


「演習のとき、セスは私たちの意見を聞いてくれたでしょう? それがすごく嬉しかったの。でも、今日の先生のお話を聞いて、意見を聞くだけじゃなくて、みんなが同じことを理解しているか確かめるのも大切なんだなって思ったの」


 俺はその言葉に頷いた。


「うん。俺もそう思ったよ。相談して決めたつもりでも、誰かが理由を十分に理解してなかったら、あとで困るかもしれないからね」


「そうだよね。だから、これから何かを一緒にするときには、私もちゃんと確認するようにしたいな」


 リビアはそう言って、俺の手へそっと指を伸ばした。


 俺は自然にその手を握り返し、彼女の顔を見つめた。


「俺も気をつけるよ。リビアに任せることも、俺が引き受けることも、お互いに分かっていた方が安心できるし」


 そう答えると、彼女は満足そうに微笑んだ。


 しばらくの間、俺たちは窓の外を眺めながら、今日の出来事について話していた。


 ガレスが剣の稽古へ誘ってくれたこと。


 エミリアが物資の確認について評価されていたこと。


 サザリーが情報共有の重要性を改めて考えていたこと。


 そして、レオル先輩が班全体の判断を振り返る姿勢を示してくださったこと。


 誰か一人だけが優れていたという話ではない。


 それぞれが自分の役割を果たし、足りなかったことを見つけ、次へ活かそうとしている。


 俺はそんな仲間たちと一緒に演習へ参加できたことを、改めて嬉しく思った。


 やがて、リビアが俺の肩へそっと頭を預けた。


「……セス」


「どうした?」


「今日は、ちょっとだけ甘えてもいい?」


 俺は彼女の横顔を見つめ、静かに微笑んだ。


「もちろん。疲れた?」


「少しだけ。でも、それよりも、セスの隣にいたいなって思ったの」


 彼女はそう答えながら、俺の手を少し強く握った。


 俺はその温もりを感じ、昨日の庭園で交わした約束を思い出した。


 リビアは俺に、もっと甘えてほしいと言ってくれた。


 けれど、どうすればいいのか、まだ完全には分かっていない。


 何かを頼むことだけが、甘えるということなのだろうか。


 それとも、こうして隣にいることを望むのも、その一つなのだろうか。


 そんなことを考えていると、リビアが少し顔を上げた。


「セス、何か考えてる?」


 俺は少し迷ったあと、正直に答えることにした。


「……昨日、リビアが俺にも甘えてほしいって言ってくれただろ? それで、どうしたらいいのかなって、ちょっと考えてたんだ」


 その言葉に、リビアは目を丸くした。


 けれど、すぐに嬉しそうな笑顔を浮かべる。


「ふふっ。そんなに難しく考えなくてもいいんだよ」


「そうなの?」


「うん。例えばね、疲れたときに少し休みたいって言ってくれてもいいし、一緒にいたいときに誘ってくれてもいいの。昨日みたいに、もう少しここにいたいって言ってくれるだけでも、私はすごく嬉しいよ」


 彼女はそう説明しながら、俺の肩へ再び頭を預けた。


「セスが何かをお願いしてくれると、私もセスの役に立てるんだって思えるから」


 俺はその言葉を聞き、胸の奥が少し温かくなるのを感じた。


 これまでの俺は、リビアを守ることや、彼女の願いを叶えることばかり考えていた。


 けれど、彼女もまた、俺の力になりたいと思ってくれている。


 その気持ちを受け取ることも、俺たちの関係にとって大切なのだろう。


「……それなら、リビア」


 俺が呼びかけると、彼女は顔を上げた。


「うん?」


「今日は、屋敷に帰ったら少しだけ一緒にお茶を飲まない? 講評のことも、もう少しゆっくり話したいし……それに、まだリビアと一緒にいたいから」


 言い終えた途端、少し照れくさくなった。


 けれど、リビアは驚いたように俺を見つめたあと、嬉しそうに微笑んだ。


「もちろん!」


 彼女は俺の手を両手で包み込むように握り、頬をほんのり赤く染めた。


「セスから誘ってくれるの、やっぱり嬉しいな。今日は私も、もう少し一緒にいたいと思ってたの」


「それならよかった。帰ったら父さんにも予定を確認して、時間が取れそうならお茶を用意してもらおうか」


「うん。でも、セスが自分で全部準備しようとしちゃ駄目だよ?」


 リビアは少しだけ悪戯っぽく笑った。


 俺は思わず苦笑する。


「分かってるよ。今日はちゃんと、お願いするつもりだから」


「ふふっ。約束だよ?」


 彼女の声には、嬉しさが滲んでいた。


 俺はその笑顔を見ながら、今日の講評で学んだことを思い返した。


 役割を分担すること。


 必要な情報を共有すること。


 相手が何を考えているのか、確認すること。


 それは演習の中だけで必要なことではない。


 こうしてリビアと過ごす時間にも、同じように大切なことがあるのだろう。


     ◇


 パウリー公爵邸へ戻ると、玄関では父さんが出迎えてくれた。


 俺たちは帰宅の挨拶を済ませ、学院で共同演習の講評を受けたことを簡単に報告した。


 父さんは俺たちの話を聞き、穏やかに頷いた。


「なるほど。結果だけでなく、判断の過程についても確認があったのだな」


「うん。できていたこともあったけど、改善できるところもいろいろ見つかったよ」


「それはよい経験になっただろう。自分たちだけでは気づけなかったことを知る機会は、貴重だからな」


 父さんはそう答えたあと、俺たちの顔を交互に見た。


「ところで、今日はこのあと何か予定があるのか?」


 俺はリビアと顔を見合わせた。


 彼女は嬉しそうに微笑み、俺が答えるのを待っている。


 その様子に少し照れくさくなりながらも、俺は父さんへ向き直った。


「実は、リビアと少しお茶を飲みたいと思ってるんだ。もし仕事の予定に問題がなければ、しばらく一緒に過ごしてもいいかな?」


 父さんは一瞬だけ目を細めた。


 それから、穏やかに微笑む。


「もちろんだ。今日の仕事については、ほかの者たちで対応できる。お前が無理に手を出す必要はない」


「ありがとう、父さん」


「それと、お茶の準備も使用人たちへ任せなさい。お前は今日は、婚約者としてお嬢様との時間を楽しむといい」


 その言葉に、リビアが嬉しそうに微笑んだ。


「ありがとうございます、グレイヴ」


「いえ、お嬢様。どうぞごゆっくりお過ごしください」


 父さんは丁寧に礼をしてから、使用人へお茶の準備を指示した。


 俺はその様子を見ながら、少し不思議な気持ちになった。


 以前の俺なら、自分でお茶を用意しようとしたかもしれない。


 けれど、今日は父さんの言葉に甘えて、準備を任せることにした。


 その方が、リビアと過ごす時間をゆっくり楽しめる。


 それに、仕事を任された使用人たちも、慣れた様子で準備を進めてくれている。


 俺が何でも自分でしなくても、屋敷はきちんと動いているのだ。


 リビアはそんな俺の様子を見て、嬉しそうに笑った。


「セス、今日はちゃんとお願いできたね」


「うん。まだちょっと慣れないけど、こうして任せてもいいんだなって思ったよ」


「ふふっ。そうだよ。私も、セスとゆっくりお茶を飲めるのが嬉しいもの」


 俺たちは顔を見合わせ、小さく笑った。


 やがて案内された部屋には、温かな紅茶と焼き菓子が用意されていた。


 窓の外では夕日が庭園を照らし、昨日二人で歩いた小道が、淡い金色に染まっている。


 俺たちは向かい合って席へ着き、今日の出来事について改めて話し始めた。


 共同演習はすでに終わっている。


 けれど、そこで得た経験は、こうして日々の生活の中にも少しずつ残っているのだろう。


 俺は紅茶の香りを感じながら、目の前で楽しそうに話すリビアへ視線を向けた。


 彼女の話を聞くことも、自分の気持ちを伝えることも、今はどちらも大切にしたいと思える。


 それが、昨日までの俺と比べて、ほんの少しだけ変わったところなのかもしれない。


「セス、どうしたの?」


 リビアが不思議そうに首を傾げた。


 俺は微笑みながら、素直に答えた。


「いや、こうして一緒に過ごせるのが嬉しいなって思ってたんだ」


 その言葉に、リビアは少しだけ目を見開いた。


 それから、頬を赤く染めて嬉しそうに微笑む。


「……もう、セスったら。そんなこと言われたら、私、もっと一緒にいたくなっちゃうよ」


 俺は彼女の言葉を聞き、静かに笑った。


「それなら、もう少し一緒にいようか」


「うん!」


 リビアは嬉しそうに頷き、紅茶の杯をそっと持ち上げた。


 窓の外では、夕暮れの光が少しずつ柔らかくなっていく。


 俺たちはその穏やかな時間の中で、今日学んだことや、これから一緒にしたいことについて、ゆっくりと話し続けた。


 演習で学んだことを、すぐにすべて身につけられるわけではない。


 自分の気持ちを伝えることも、誰かへ頼ることも、まだ少しずつ練習している途中だ。


 それでも、隣にはリビアがいて、学院には一緒に学べる仲間たちがいる。


 そのことを思うと、これから先も、きっと少しずつ成長していける気がした。


 俺は目の前のリビアへ微笑みかけながら、もう一度、彼女と過ごすこの時間を大切にしたいと思った。

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