第9話 目立たないように魔術実習を受けるだけだったのに、先生に普通ではないと言われました
二時限目の魔術実習は、校舎の北側に設けられた第三演習場で行われるらしい。
一時限目を終えた俺たちは、実習用の手袋や杖を手にしたクラスメイトたちと一緒に、校舎から演習場へ続く長い渡り廊下を歩いていた。窓から差し込む朝の日差しは一時限目が始まる前より少し高い位置から床を照らしており、開け放たれた窓から入る風には、よく手入れされた芝と土の匂いが混じっている。
本来なら、授業と授業の間にある何でもない移動時間なのだろう。
けれど、今日の俺に限っては、どうやらそれだけでは済まないらしい。
「……増えてないか?」
前方を歩いている生徒たちの向こうへ視線を向けながら小声で尋ねると、隣を歩くリビアも同じ方向を確認した。俺たちと同じ第三演習場へ向かっている生徒の中には、明らかにクラスの違う制服章を付けた者まで何人か混ざっている。
「増えてるわね」
「第三演習場って、今日は俺たちのクラスだけで使うんだよな?」
「そのはずよ」
「じゃあ、何で別のクラスの人まで一緒に歩いてるんだ?」
「見に来たんでしょうね」
「授業を?」
「セスを」
迷いのない答えだった。
俺はもう一度周囲へ目を向けた。
ちょうど後方にいた男子生徒と目が合ったが、相手は慌てたように横を向いた。その横にいた女子生徒も何かを囁きながらこちらを見ているので、どうやらリビアの考えが正しいらしい。
「……そこまで珍しいことしたか?」
「昨日から何度同じ説明をすればいいの?」
リビアが呆れたように息を吐く。
「編入初日に剣術の模擬戦でイザーク様に勝って、五属性すべてに適性があることが知られて、その後はライゼル様の魔法を止めたのよ。しかも最後には複合魔法のフレイムストームへ自分から入っていって、本人を取り押さえたでしょう?」
「最後は言い方次第で俺がすごく危ない人に聞こえるぞ」
「危なかったのは事実でしょう?」
「それは否定しないけど」
昨日の学園長室であれだけ言われた以上、そこまで否定するつもりはなかった。
それでも、俺からすれば必要なことを一つずつやった結果に過ぎない。剣術では剣で戦い、魔法が飛んできたから防ぎ、止めなければ誰かが怪我をすると思ったからライゼル様を止めた。
その結果だけを並べれば目立つらしいが、自分から目立とうとしたことは一度もない。
「でも五属性に適性がある人くらい、王国中を探せば他にもいるんじゃないか?」
「いる可能性はあるわね。ただ、少なくとも私は今まで聞いたことがないわ」
「そんなに?」
「グレイヴから、外では簡単に見せないように言われていたんでしょう?」
「言われてた」
「だったら、少しは理由を考えなさいよ」
もっともなことを言われた。
グレイヴが意味もなく俺へ注意するとは思っていない。五属性を使えることが珍しいのは分かっていたつもりだったが、どうやら俺が考えていた以上に珍しいらしい。
「しかもセスは、適性があるだけじゃないもの」
リビアは歩きながら俺の方へ顔を向けた。
「火、水、風、土、雷を全部ちゃんと使えるでしょう? 複合魔法も一種類じゃないし、昨日みたいに相手の術式の流れを見ながら崩すこともできる」
「魔力の流れを見るくらいなら、訓練すればできるだろ」
「普通は暴れているフレイムストームを目の前にして、そこまで冷静に核を探さないの」
「でも、核を崩さないと近づけなかったから」
「だから、その考え方自体が普通じゃないのよ」
また同じことを言われてしまった。
最近、自分では普通の説明をしているつもりなのに、周囲から変な顔をされることが増えている。公爵家で暮らしている時はそこまで気にしたことがなかったので、学園に入ってから急に自分の基準がおかしいと言われ続けているような気分だった。
「分かった。今日は目立たないようにする」
「本当に?」
「先生に言われたことだけやる。勝手に高威力の魔法を使わないし、迅雷撃破も使わない。複合魔法だって、指示されなければ使うつもりはない」
そこまで言えば、さすがにリビアも安心すると思った。
ところが彼女は、少し考えた後で難しそうに眉を寄せた。
「……先生が変なことを言わなければいいけど」
「先生が指示したならやっていいだろ」
「そこが心配なのよ」
「何で?」
「先生がセスの実力をちゃんと測りたくなったら、普通の生徒より難しいことをやらせるかもしれないでしょう? そうしたら、セスは言われた通り全部やるじゃない」
「できることをわざと失敗する方が失礼だろ」
「それは私も嫌よ。でも、その結果また目立つの」
どうやら、俺とリビアでは「目立たない」の意味が少し違うらしい。
俺は自分から余計なことをしなければいいと思っている。
リビアは、俺が普通にやった結果まで含めて目立たないでほしいと思っている。
そんなことを言われても、できることをできないふりするのは違うと思う。
「だったら普通にやるしかないな」
「その結論になるのよね……」
リビアが小さくため息を吐いたところで、後ろから聞き覚えのある声が飛んできた。
「朝から同じ話を何度しているんだ?」
振り返ると、少し離れたところからアルフォルド殿下、カイゼル殿下、サザリー様の三人が歩いてくるところだった。昨日の騒動を一緒に経験したせいか、三人とも以前ほど俺を警戒した目では見ていない。
ただし、アルフォルド殿下だけは俺とリビアの距離を確認した後、妙に複雑そうな表情を浮かべた。
「今日は手を繋いでいないのか?」
「授業へ移動しているだけですから」
「なぜ私はそれを聞いて少し安心しているんだ……」
「殿下?」
「何でもない」
アルフォルド殿下は疲れたように額へ手を当てる。
その横で、カイゼル殿下が楽しそうに笑った。
「それで、今日は何をやらかす予定なんだ、セス?」
「何もやらかす予定はありません」
「昨日もそう思っていたんだろう?」
「昨日は巻き込まれただけです」
「結果としてフレイムストームへ突っ込んだじゃないか」
「必要だったので」
答えた瞬間、リビアがこちらを見た。
その視線で昨日の約束を思い出し、俺は少しだけ言葉を直す。
「……必要だとは思いました。ただ、次からはもっと安全な方法も考えます」
「よろしい」
リビアが満足そうに頷いた。
カイゼル殿下はそのやり取りを見て、口元を緩める。
「もう教育が始まっているな」
「何の教育です?」
「自分を大切にする教育じゃないか?」
「それなら昨日から先生たちにもされています」
「自覚があるなら何よりだ」
笑いながら言われ、俺は少しだけ肩を落とした。
昨日までは、自分が怪我をしなければ問題ないと思っていた。けれど今は、実際に怪我をしたかどうかだけではなく、危険なことをすればリビアや周囲の人間が心配するのだと少しずつ分かり始めている。
だから今日は、本当に余計な危険を冒すつもりはない。
「それにしても、今日の魔術実習は興味深いな」
それまで静かに話を聞いていたサザリー様が口を開いた。
「俺ですか?」
「君だけではない」
彼の視線がリビアへ向く。
「オリビア嬢の結界魔法も、昨日かなり注目されている。ウィンドカッターが飛び交う中で複数人を守りながら何枚もの障壁を維持していたのを見た生徒は多いからな」
「私まで?」
リビアが少し驚いたように目を瞬かせる。
その反応を見た瞬間、俺はなぜか嬉しくなった。
昨日から広まっている噂は、俺がライゼル様を倒したという話ばかりだった。
けれど、本当はリビアだってすごかった。
あの状況で周囲の生徒を守り続け、俺が前へ出る間も後ろを任せられるだけの障壁を維持した。リビアがいたからこそ、俺は背後を気にせずライゼル様へ近づくことができた。
「リビアの方が、もっと見てもらった方がいいと思います」
「セス?」
「昨日の結界、すごかっただろ。俺が前へ行けたのも、リビアが後ろを守ってくれてたからだし」
思ったことをそのまま口にしただけなのだが、リビアは僅かに頬を赤くした。
「そういうことを急に言わないで」
「何で?」
「嬉しいけど、恥ずかしいから」
「本当のことだろ」
「本当でもよ」
リビアは照れたように顔を逸らした。
カイゼル殿下が俺たちを交互に見てから、また小さく笑う。
「相変わらず無自覚でやってるのか」
「何がです?」
「いや、いい。そのうち分かるかもしれないから、それまで楽しみにしておく」
「最近、皆そればかりです」
「今は分からない方が面白い」
何が面白いのか俺には分からない。
問い返しても答えてくれそうにないので諦めると、ちょうど第三演習場へ続く扉が見えてきた。
外へ出た瞬間、校舎の中とは違う開放的な空気が肌へ触れた。
第三演習場は、以前使った剣術場よりもかなり広い。腰ほどの高さの石壁が周囲を囲み、その外側には見学用の段差が何段か設けられている。
中央には踏み固められた土と短く刈られた芝が広がり、奥には魔術用の標的として使うらしい石柱や金属板が並んでいる。四隅には結界用の魔導具らしい柱が一本ずつ立っており、暴発した魔法が演習場の外へ飛び出さないようになっているようだった。
俺たちが中へ入った時には、すでにエレナ先生が中央付近で教材と測定器を準備していた。
昨日、ライゼル様の治療状況を学園長室へ報告しに来た魔術担当の先生だ。
俺に気づいた瞬間、エレナ先生は一度こちらを見た後、なぜかゆっくり空を仰いだ。
「……先生?」
「何でもありません」
「今、俺を見てため息を吐きませんでした?」
「気のせいです」
絶対に違うと思う。
けれど追及する前に、先生は手を叩いて生徒たちを集め始めた。
「はい、全員こちらへ。今日は基礎制御の確認と、属性ごとの精度測定を行います。昨日のような実戦形式ではありませんので、必要以上に出力を上げないこと」
最後の一言で、なぜか何人かが俺を見た。
「俺を見ないでください」
思わず言うと、周囲から小さな笑いが起こる。
エレナ先生も少し口元を緩めたが、すぐに表情を戻した。
「特にクルセス君は、今日は本当に必要以上のことをしないように」
「分かっています」
「その返事を昨日も聞いた気がするんですよね」
「昨日とは違います。今日は授業ですから」
「昨日も授業の日でしたよ」
「……そうでした」
言い返せなかった。
横ではリビアが楽しそうに笑っている。
ところが、生徒たちが位置につき始めたところで、俺は演習場の外側にいる人の多さに気づいた。
「先生、あの人たちは?」
見学席を指差す。
そこにはすでに十数人ほどの生徒が集まっており、俺たちのクラスとは違う制服章を付けた者も多い。
「見学希望者です」
「授業中ですよね?」
「空き時間の者と、担当教師から許可を取った者だけです」
「そこまでして見るものなんですか?」
「私も聞きたいです」
エレナ先生は疲れたように眉を下げた。
「朝から『五属性の編入生が今日魔術実習をするらしい』という話が広まっています。勝手に演習場の周囲へ集まられるより、決めた場所から静かに見学させた方が安全だと判断しました」
「……すみません」
「あなたが広めたわけではないので、そこは謝らなくていいです。ただし、余計なことは本当にしないでください」
「俺もそのつもりです」
そこでまたリビアが強く頷いた。
「お嬢様まで頷かないでください」
「昨日も同じようなことを言っていたでしょう?」
「今日は違うって」
「だったら証明してね」
「分かった」
今度こそ、本当に普通に授業を受ける。
そう決めたところで、実習が始まった。
最初に行うのは、思っていた以上に基礎的な内容だった。
自分の適性属性の魔力を杖先へ集め、一定の大きさと出力のまま維持する。
火属性なら小さな火球、水なら水球、風なら小さな渦、土なら固まり、雷なら弱い放電。光や無属性についても、それぞれ制御しやすい形を作って維持するらしい。
「今日は出力を競う授業ではありません。魔力量を増やすより、形と出力を一定に保つことを優先してください」
エレナ先生の説明を受け、生徒たちが数人ずつの組へ分けられる。
俺とリビアは同じ組になった。
他にはナナリー様、ミリアナ様、アルフォルド殿下、サザリー様がいる。カイゼル殿下は別の組へ移動したが、少し離れた場所からこちらへ面白そうな視線を向けていた。
「では、こちらの組はオリビアさんから始めましょう」
「はい」
呼ばれたリビアが一歩前へ出る。
先生から指定されたのは無属性だった。
俺にも無属性魔法はいくつか使えるが、身体強化や魔力感知など単純なものが中心で、リビアのような複雑な障壁を作ることはできない。
リビアは杖を胸の前で構え、一度静かに呼吸を整えた。
次の瞬間、杖先からほとんど色のない薄い光が広がり、掌より少し大きな透明の障壁が一枚生まれた。
見た目は薄い。
けれど、魔力の流れにほとんど偏りがない。
表面だけを固めているのではなく、全体へ同じ密度で魔力が行き渡っている。
「そのまま維持してください」
「はい」
エレナ先生が専用の測定器を近づけると、小さな針がゆっくり動いた。
俺には数値の基準までは分からない。
ただ、先生の表情を見れば結果は良いのだと分かった。
「安定率はかなり高いですね。では、全体の魔力量を増やさず、同じ大きさの障壁を二枚に分けてください」
「分かりました」
リビアの眉が僅かに動く。
それでも、迷いはなかった。
一枚だった障壁の中央に細い線が入り、そのまま左右へ滑るように分かれていく。大きさも厚さもほとんど同じで、分割した瞬間の揺らぎも僅かしかない。
「三枚」
先生が続ける。
リビアは呼吸を乱さず、一枚をさらに分ける。
「四枚」
今度は少しだけ時間が掛かった。
それでも四枚の障壁は崩れず、それぞれが均等な距離を保ったまま宙へ浮かんでいる。
周囲のクラスメイトから小さなどよめきが起こった。
「すごいな」
思わず声が出た。
その瞬間、リビアの視線が一度だけこちらへ向いた。
頬が僅かに赤くなる。
「集中してください」
エレナ先生が苦笑した。
「だって、セスが急に褒めるから……」
「俺のせい?」
「少しだけ」
そう言いながらも、四枚の障壁はほとんど揺れていない。
先生は測定器を見て、感心したように頷いた。
「昨日、多数の生徒を守りながら維持できた理由が分かります。単純な強度だけではなく、分割した状態でも制御精度が落ちにくい。これはかなり優秀です」
見学席からも感心したような声が上がった。
それを聞いて、俺は嬉しくなる。
昨日は俺がライゼル様を倒したという話ばかりが先へ広がった。
でも、リビアがすごかったことも、こうして他の人にちゃんと見てもらえる。
「リビア」
「何?」
「やっぱりすごいな」
「もう、今言わないでってば」
「でも本当だろ」
「あとでいっぱい言って」
「いっぱい?」
「……今のは忘れて」
何か変なことを言ったらしく、リビアはさらに頬を赤くした。
俺には何がまずかったのか分からなかったが、先生から障壁を解除するよう指示されたため、それ以上は聞かないことにする。
続いてナナリー様、ミリアナ様、サザリー様が順番に実習を行った。
ナナリー様は魔力を立ち上げるまで少し時間が掛かる代わりに、形成した後の維持がとても安定している。ミリアナ様は逆に初動が速く、最初の形も綺麗だが、長く維持すると少しずつ揺らぎが大きくなるようだった。
サザリー様の土魔法は特に形状制御が上手かった。
最初は拳ほどの土塊だったものを、先生の指示に従って四角形へ変える。角も辺もほとんど歪まず、同じ量の土を使ったまま細長い板状へ変形させても崩れない。
「やっぱり上手いですね」
俺が感心して言うと、サザリー様は僅かに肩をすくめた。
「君に言われると、素直に喜んでいいのか少し悩むな」
「何でです?」
「あとで自分の番になれば分かる」
「?」
意味が分からない。
続いてアルフォルド殿下の番になった。
殿下が杖を構えると、先端へ淡い光が集まる。
昨日使っていたライトシールドよりずっと小さいが、かなり澄んだ光だった。
「殿下もすごいですね」
「君に褒められると複雑だ」
「サザリー様にも同じことを言われました」
「だろうな」
「何でなんです?」
「今から分かる」
同じようなことを二人に言われた。
嫌な予感がする。
そして、その予感の理由を確かめる番が来た。
「では、クルセス君」
「はい」
俺は一歩前へ出た。
エレナ先生は手元の記録板を確認してから、少し考えるように俺を見る。
「まずは火属性からお願いします。先ほど説明した通り、出力は最低限で構いません」
「分かりました」
目立たない。
普通にやる。
先生に言われた以上のことはしない。
そう意識しながら杖を構え、先端へ火属性の魔力を集めた。
大きくする必要はない。
むしろ大きくすれば、またリビアに何か言われる。
だから掌ほどの火球を一つ作り、そのまま同じ大きさで止めた。
「……」
エレナ先生が黙った。
俺は少し待つ。
先生は火球と測定器を交互に確認している。
「先生?」
「もう少しだけ魔力量を増やしてください」
「はい」
指示に従い、火球を少し大きくする。
炎が揺れないよう、供給量も同じだけ調整する。
また先生が黙った。
「大きすぎました?」
「いえ。大きさではありません」
先生は測定器を俺へ近づける。
針がほとんど動かない。
「魔力の揺れが少なすぎます」
「揺れた方がいいんですか?」
「良くありません。安定している方が当然いいです。ただ、普通はもう少し揺れます」
「そうなんですか?」
「そうです」
周囲の視線が俺へ集まる。
俺は横にいるリビアを見る。
「これ、目立ってる?」
「もう十分」
「何もしてないぞ」
「普通にやったからよ」
納得できない。
先生の指示通りにしただけなのに。
「では次、水属性へ切り替えてください」
「はい」
火属性への魔力変換を止め、水属性へ切り替える。
杖先の火球が消え、その位置へほとんど同じ大きさの水球が生まれる。
続いて風。
土。
雷。
全て同じくらいの大きさと出力で維持する。
エレナ先生の表情が、属性を変えるたびに少しずつ険しくなっていった。
「クルセス君」
「はい」
「属性を切り替える際、魔力の流れを一度止めていますか?」
「いいえ」
「では、どうしているんです?」
「流れ自体はそのままで、属性だけ変えています」
先生が額へ手を当てた。
「それを当然のように言わないでください」
「普通は違うんですか?」
「普通は、一度魔力を散らすか、少なくとも流れを組み直します。完全に流れを維持したまま属性だけを切り替えられる生徒は、少なくとも基礎課程ではほとんどいません」
「そうなんですか……」
知らなかった。
俺としては、火へ変えていた魔力を水へ変え、その次は風へ変えるだけだ。全部止めて一から作り直す必要がないから、そうしているに過ぎない。
「先生、これも目立ってますか?」
「すでに十分目立っています」
またリビアが先に答えた。
「お嬢様に聞いてない」
「でも先生も同じ答えでしょう?」
エレナ先生は何も言わなかった。
否定しないということは、同じ答えらしい。
見学席の方からもざわめきが広がっており、何人かが俺の手元を指差して話している。
「……普通にやってるだけなのに」
「そこが問題なのよ」
「難しいな」
「今さら分かったの?」
リビアの言葉へ反論できないまま、次の実習へ移ることになった。
「続いて精度測定を行います」
エレナ先生は演習場奥に並ぶ標的を示した。
距離は二十メートルほど。
円形の板へ何重かの輪が描かれ、中央へ近いほど高い精度として記録されるらしい。
「威力を測る訓練ではありません。標的を壊す必要はないので、必要最低限の出力で正確に当ててください」
最初に何人かの生徒が挑戦した。
火球が中央より少し右へ当たり、水弾が内側の輪へ入る。風の塊は途中で少し軌道がずれたものの、それでも標的から外れることはなかった。
王立学園へ入るだけあって、皆かなり上手い。
自分以外の同年代がこうして魔法を使うところをじっくり見るのは、俺にとって少し新鮮だった。
公爵家ではグレイヴや護衛、使用人たちと訓練することが多い。
相手は皆、俺より年上だった。
だから、同年代の人間がどのように魔力を扱うのかを比較する機会はほとんどなかった。
「クルセス君」
「はい」
呼ばれたので標的の前へ立つ。
「属性は好きなもので構いません」
「では、水で」
火より周囲を傷つけにくく、威力も抑えやすい。
掌より小さな水弾を作る。
標的まで二十メートル。
風は弱い。
固定標的なので動かない。
必要以上に力を込める理由もない。
俺は中央を見て、そのまま水弾を放った。
軽い音を立て、水弾が標的へ当たる。
中央。
きちんと狙ったところに入った。
これなら問題ないと思い、先生の方へ顔を向ける。
しかし、周囲が妙に静かだった。
「……何です?」
エレナ先生が測定板を見る。
「ほぼ中心点です」
「はい」
「一回目で」
「止まってますから」
「そういう問題ではありません」
どういう問題なのだろう。
標的は動かない。
距離もそれほど遠くない。
中心を狙うように作られているなら、中心へ当てる方がいいはずだ。
「セス」
リビアが額へ手を当てている。
「何だ?」
「目立たないって言ったでしょう?」
「狙えって言われたから狙っただけだぞ」
「真ん中じゃなくてもいいの!」
「でも真ん中の方が測定結果はいいだろ」
「そうだけど……もう!」
やっぱり理不尽だと思う。
正確に当てる訓練で正確に当てて怒られるとは思わなかった。
「もう一度やりましょう。今度は風属性で」
エレナ先生から指示され、小さな風の塊を作る。
同じように標的へ放つ。
中央付近へ当たった。
「土」
小さな石礫を作る。
中央。
「火」
小さな火球。
これもほぼ中央。
「雷――」
先生が言いかけて、止まった。
「先生?」
「……雷はやめておきましょう」
「威力は落とせますけど」
「そういう問題ではありません」
見学席から小さな笑いが起こった。
俺は何を間違えたのか分からない。
「クルセス君」
「はい」
「間違ってはいません」
「なら良かったです」
「ただ、基礎課程の測定としては、非常に扱いに困ります」
「どういう意味ですか?」
「五属性それぞれでほぼ同程度の精度を出されると、どの属性を重点的に指導すべきなのか判断しづらいという意味です」
なるほど。
そこでようやく少し分かった。
「もっと遠くからやれば差が出るかもしれません」
「やりません」
「動く標的なら――」
「やりません」
「威力を上げて――」
「それもやりません」
全部先に断られた。
周囲から笑いが起こる。
「先生、俺は真面目に提案してます」
「知っています。だから止めているんです」
「どういう意味ですか?」
「今は『クルセス君がどこまでできるか試す時間』ではありません。クラス全員の基礎を確認する授業です」
「……分かりました」
言われてみれば、その通りだった。
俺だけで授業時間を使うわけにはいかない。
「本当に分かりましたか?」
「分かりました」
「では、追加で試そうとしないこと」
「しません」
先生はまだ少し疑わしそうだったが、それ以上は言わなかった。
そこへサザリー様が小さく笑いながら近づいてくる。
「ようやく分かったか?」
「何がです?」
「私たちが君に褒められると複雑な理由だ」
「まだ分かりません」
「そうか」
サザリー様は諦めたように肩をすくめた。
次に行われたのは、二人一組での魔力干渉を利用した制御練習だった。
片方が小さな魔力球を一定の場所へ維持し、もう片方が自分の魔力を接触させて指定された輪の中へ誘導する。相手の魔力を壊さず、押しすぎず、互いの力を感じながら動かすことが目的らしい。
「クルセス君とオリビアさんで組んでください」
「分かりました」
「はい」
リビアが俺の正面へ立つ。
最初は俺が水球を作る側になった。
「セス、動かさないでね」
「分かってる」
「余計に硬く固定したりもしないで」
「何でそんな念押しするんだ?」
「セスだから」
「理由になってない」
リビアは笑いながら杖を構える。
俺も胸の高さに小さな水球を作り、その場へ留めた。
次にリビアが薄い無属性障壁を作る。
昨日のように人を守るための厚いものではなく、紙より少し厚い程度の小さな障壁だ。
その端が水球へ触れた。
ほんの僅かな圧力が加わる。
俺は水球の形だけを崩さないようにしながら、位置はリビアの力へ任せた。
「……やりやすい」
リビアが呟く。
「そうか?」
「抵抗がほとんどないもの。普通は相手の魔力と触れた時に少し反発するから、それを調整しながら動かすのよ」
「じゃあ、俺が押し返してないからじゃないか?」
「それもあるけど、魔力の表面がすごく均一なの。どこへ触れても反応が同じだから、障壁の力を変えなくていい」
「リビアが上手いからじゃないか?」
「それもあると思うわ」
「自分で言った」
「だって、本当でしょう?」
リビアは少し得意そうに笑った。
そういうところは昔から変わらない。
何でもできるのに、必要以上に謙遜するような人ではない。
自分が努力してできるようになったことは、ちゃんと自分の力として認めている。
俺は、そこが結構好きだった。
障壁に押された水球が、決められた輪の中へゆっくり入る。
「成功ですね。では交代してください」
エレナ先生に言われ、今度はリビアが魔力球を作る。
無属性の半透明な球体だった。
俺は水属性の薄い膜を作り、表面へそっと触れさせる。
その瞬間、指先へ伝わる感覚に少し違和感を覚えた。
「リビア」
「何?」
「これ、かなり崩れにくく作ってる?」
「分かるの?」
「ああ。外側だけを固めてるんじゃなくて、中までほとんど同じ密度になってる」
リビアの顔が少し明るくなる。
「昨日から意識して練習していたの」
「昨日から?」
「もっと強い障壁を作れるようになりたかったから。昨日みたいなことがまたあった時、もっと余裕を持って皆を守れた方がいいでしょう?」
そこまで聞いて、胸の奥が少し重くなった。
「俺が無茶したから?」
「半分は」
「残り半分は?」
「私自身が、もっと上手くなりたいから」
その答えを聞いて、少しだけ安心した。
全部俺のためだと言われたら、嬉しくないわけではない。
ただ、俺が心配を掛けたせいでリビアが無理をするのは嫌だった。
リビア自身が強くなりたいと思っているのなら、俺はそれを応援したい。
「じゃあ、俺ももっと上手くなる」
「どうしてそうなるの?」
「リビアに負けたくないから」
「私に?」
「ああ」
リビアが一瞬だけ目を丸くする。
その後、とても嬉しそうに笑った。
「いいわ。私も負けない」
「望むところだ」
互いに顔を見合わせる。
そのまま俺が魔力球を輪へ動かそうとすると、横から先生の声が飛んできた。
「二人とも」
「はい?」
「授業中に勝負を始めないでください」
「まだ始めてません」
「これから始める顔でした」
「顔で分かるんですか?」
「分かります」
また怒られた。
横を見ると、リビアは笑いを堪えている。
「リビアも同じだろ」
「私は何も言ってないもの」
「顔で分かったらしいぞ」
「それは先生がすごいのよ」
「俺だけ悪いみたいになってないか?」
「気のせいよ」
今度は俺も少し笑った。
その後も実習は続いた。
エレナ先生は俺だけを特別扱いするわけではなく、一人一人の魔力を見ながら細かく助言していく。
ナナリー様には、魔力を作る直前に力みすぎているから、立ち上がりを急がなくていいと教えていた。
ミリアナ様には、最初の出力を少し抑えれば後半まで安定しやすいと説明する。
サザリー様には形状制御の長所を伸ばすため、土を薄く広げる練習を勧めていた。
アルフォルド殿下の光魔法については、強度が高い分だけ魔力量を使いすぎる傾向を指摘している。
そしてリビアには、複数障壁の強度を均等にするだけでなく、場所によって意図的に強弱を付ける方法を提案していた。
それを見ていると、少し不思議な気持ちになった。
今まで俺がしてきた訓練は、どちらかといえば「できるようになること」を優先していた。
スラムにいた頃は、生き残るために必要なことを覚えた。
公爵家へ来てからは、グレイヴや護衛たちから剣術や魔法の扱いを教わり、できないことを一つずつ減らしていった。
でも、ここでは少し違う。
皆、同じ魔法を使うわけではない。
同じ属性でも得意なことが違う。
速く魔法を作れる人。
長く維持できる人。
強くできる人。
細かく形を変えられる人。
守ることに向いた人。
攻撃へ向いた人。
俺が自分では思いつかなかった使い方をしている者もいる。
単純に誰が強いかだけを比べるのではなく、それぞれの長所と短所を先生が見つけ、その人に合った課題を与えていく。
それが少し面白かった。
今までは、学園へ通う意味について深く考えたことがなかった。
学問も魔法も剣術も、ある程度なら屋敷で教えてもらえる。
だから、リビアと同じ場所へ通うことや、旦那様やグレイヴから必要だと言われたことの方が、俺にとっては大きな理由だった。
でも、こうして同年代の人間がいろいろな方法で魔法を使っているのを見ると、ここでしか学べないものもあるのかもしれないと思う。
授業の終わりが近づいた頃、エレナ先生が全員を中央へ集めた。
「今日はここまでにします。次回以降は、今日の結果をもとに各自の課題を少しずつ変えていきます」
先生は手元の記録板を確認しながら、一人ずつ簡単に次の課題を伝えていった。
最後に俺の名前が呼ばれる。
「クルセス君については、通常の基礎測定だけでは判断が難しいので、別途確認を行います」
「別途?」
思わず聞き返すと、周囲の生徒たちも少しざわついた。
「特別授業という意味ではありません。五属性それぞれの出力、精度、切り替え速度、それから複合した際の安定性を、一度きちんと測る必要があります」
「今日やりますか?」
「やりません」
即答だった。
周囲から笑いが起こる。
「なぜです?」
「今始めたら、あなた一人で昼まで使うからです」
「そんなに掛かりますか?」
「五属性全部あるでしょう?」
「はい」
「複合魔法も複数使える」
「はい」
「さらに迅雷撃破という独自の身体強化まである」
「はい」
「全部確認していたら終わりません」
そこまで説明されれば、さすがに分かった。
「後日、学園長や他の教師とも相談して方法を決めます。ただし、先に言っておきますが、危険な高出力試験はしません」
「分かりました」
「迅雷撃破も高出力は禁止です」
「昨日言われました」
「複合魔法も、こちらが指定した組み合わせだけにしてください」
「はい」
「勝手に新しい組み合わせを試さないこと」
「試しません」
答えると、先生は少し疑わしそうに俺を見る。
「本当に?」
「先生、俺を何だと思ってるんですか?」
俺としてはかなり真面目に聞いたのだが、演習場のあちこちから笑いが起こった。
エレナ先生も困ったように眉を下げる。
「編入初日にフレイムストームへ入った生徒です」
「それは必要だと思ったので……」
言いかけたところで、リビアの視線を感じた。
昨日の約束を思い出す。
「……でも、次からは自分の安全も考えます」
言い直すと、エレナ先生の表情が少しだけ柔らかくなった。
「それならいいです。昨日言われたことを、ちゃんと覚えていてください」
「はい」
「本当に忘れないでね」
今度はリビアまで言ってくる。
「分かってるって」
そう返したところで、授業終了の鐘が鳴った。
張られていた演習場の結界がゆっくり弱まり、見学していた生徒たちも立ち上がり始める。
道具を片付けながら周囲へ耳を向けると、いくつもの話し声が聞こえてきた。
「五属性全部、ほとんど同じ精度だったぞ」
「属性切り替える時、魔力を止めてなかったよな?」
「それよりオリビア様の障壁もすごかった」
「四枚に分けても全然崩れてなかった」
最後の言葉が聞こえた瞬間、俺は隣にいたリビアを見る。
「聞いたか?」
「何を?」
「リビアのことも言ってた」
彼女にも聞こえていたらしい。
銀青色の瞳が少しだけ泳ぎ、頬に薄く赤みが差す。
「……聞こえてたわ」
「良かったな」
「うん」
小さな返事だった。
けれど、その声はとても嬉しそうだった。
それを聞いて、俺まで嬉しくなる。
自分が褒められた時より、素直に嬉しい気がする。
「セス」
「何だ?」
「今日の実習、どうだった?」
演習場を出る準備をしながら尋ねられ、俺は少し考えた。
「面白かった」
「目立ったことじゃなくて?」
「そっちは……もう仕方ない気がしてきた」
「諦めたの?」
「少しだけ」
リビアが笑う。
俺もつられて口元を緩めた。
「でも、皆の魔法を見るのは本当に面白かった。サザリー様の土魔法も、アルフォルド殿下の光も、ナナリー様やミリアナ様の制御も、俺とは全然違う」
「セスでもそう思うのね」
「当たり前だろ。俺は俺のやり方しか知らないんだから」
自分ができることは、自分にとって当たり前になりやすい。
でも、それが他の人にも同じとは限らない。
今日の実習で、それが少し分かった。
「学園、悪くないかもしれない」
何となくそう言うと、リビアが歩き出しかけた足を止めた。
「本当?」
「ああ。昨日は色々ありすぎたけど、授業自体は面白い。屋敷じゃ同年代がこんなに集まって魔法を使うところなんて見られないしな」
俺がそう答えると、リビアの表情がゆっくり柔らかくなった。
「……良かった」
「何でリビアがそんなに安心するんだ?」
「だって、セスが学園を嫌いになったら嫌だもの」
「何で?」
「一緒に通いたかったから」
リビアは少し照れたように笑った。
その笑顔を見た瞬間、胸の奥にまたあの感覚が生まれた。
昨日、帰り道で「セスとこうして帰れるのが嬉しい」と言われた時にも感じたものだ。
痛くはない。
苦しくもない。
むしろ少し温かい。
ただ、何なのかはまだ分からない。
「俺も」
「え?」
「リビアと一緒なら、悪くないと思う」
自然に口から出た。
その瞬間、リビアがまた止まった。
「……セス」
「何だ?」
「今日、私を何回困らせるつもり?」
「困らせた?」
「そういうところよ」
リビアの頬は赤い。
けれど怒っているようには見えない。
むしろ、少し嬉しそうだ。
それなら問題ないと思い、俺は歩きながら次のことを考える。
「昼、どうする?」
「一緒に食べる」
「それは知ってる」
「今日は絶対に一緒」
「昨日も一緒だっただろ」
「途中から事件になったでしょう?」
言われて、昨日の昼休みを思い出した。
本当なら普通に昼食を取るはずだった。
それが途中でライゼル様が現れ、あの騒動へ繋がった。
「今日は大丈夫だろ」
「そう願うわ」
「俺も」
二人で演習場を出る。
廊下の向こうから、次の授業へ向かう生徒たちが歩いてきた。
その中の何人かが俺を見て、そのまま友人へ何かを囁く。
「さっき見た?」
「五属性全部使ってたって」
「オリビア様の障壁もすごかったらしいよ」
また噂が増えそうだ。
ただ、今度はリビアの名前も一緒に聞こえた。
それなら、少しだけ悪くない気がする。
「……リビア」
「何?」
「今日の平穏、まだ残ってると思う?」
リビアはすぐには答えなかった。
少し考えるように視線を上げ、それから楽しそうに笑う。
「昼食を食べ終わるまでは信じましょう」
「短くないか?」
「昨日よりは長いわよ」
「基準がおかしくなってる」
そんなことを話しながら、俺たちは次の場所へ向かった。
魔術実習は終わった。
誰も怪我をしていない。
何も壊していない。
俺も昨日の約束を忘れず、危険なことはしていない。
少し目立ってしまったことを除けば、かなり平穏な授業だったと思う。
だから、このまま昼食まで何も起こらなければ、編入二日目は昨日よりずっと普通の日になるはずだ。
そう考えながら歩いていると、背後からエレナ先生と別の教師が話している声が僅かに聞こえてきた。
「……通常の測定器だけでは足りないかもしれませんね」
「五属性すべてですか?」
「はい。それに、制御精度が高すぎます。複合魔法まで含めるなら、測定条件から作り直した方がいいかもしれません」
俺はそのまま前を向いた。
聞かなかったことにしよう。
隣を見ると、リビアも同じ話を聞いていたらしく、少しだけ口元を緩めている。
「セス」
「何も聞いてない」
「私、まだ何も言ってないわよ」
「ならいい」
「逃げたわね?」
「昼飯行こう。今日は普通に食べるんだろ?」
「誤魔化した」
リビアが楽しそうに笑いながら隣へ並ぶ。
俺も少しだけ歩く速度を上げた。
少なくとも今日の魔術実習で、俺は一つ分かったことがある。
どうやら俺が思っている「普通」と、学園の皆が思っている「普通」は、かなり違うらしい。
それでも、授業そのものは楽しかった。
リビアも一緒にいる。
皆がどんな魔法を使うのかを見るのも面白い。
だったら、多少目立つくらいなら仕方がないのかもしれない。
ただし、昼食くらいは普通に食べたい。
今はそれだけを願うことにした。




