第85話 友人たちと過ごす午後
西側談話室の大きな窓から、午後の日差しが差し込んでいた。
庭を歩いていたときよりも少し雲が増えているものの、雨が降りそうな気配はない。開けられた窓から流れ込む風は穏やかで、卓上に並べられた盤上遊戯の説明書が時折小さく揺れている。
俺たち七人は、先ほど相談して決めた通り、最初に簡単な盤上遊戯を楽しむことにしていた。
「それで、この駒を動かせばいいの?」
ナナリーが手元の小さな木製の駒を持ち上げながら、ディーンへ尋ねる。
「そう。自分の番になったら、手持ちの駒を一つ置くか、盤上の駒を動かすかを選ぶんだ。ただし、移動できる場所には制限があるから、そこだけ注意してくれ」
「相手の駒を取ることもできる?」
「できるけど、取った駒は自分のものにはならない。盤の外へ戻すだけだね」
ディーンが説明書を指差しながら答えると、ミリアナも身を乗り出して盤面を確認した。
今回選んだのは、色分けされた木製の駒を使い、盤上に決められた形を作る遊戯だった。複雑な計算や長い戦略を必要とするものではなく、初めて遊ぶ人でも数回手を動かせば基本的な規則を覚えられる。
もっとも、規則が簡単だからといって、必ずしも勝つのが簡単とは限らないらしい。
「つまり、相手が形を作りそうになったら邪魔して、自分の形を完成させればいいんだな?」
イザークが確認すると、ディーンは頷いた。
「大まかにはそうだね。ただし、相手を邪魔することばかり考えていると、自分の駒が足りなくなるよ」
「なるほど。じゃあ攻撃と防御の配分が重要ってことか」
「イザーク、何でも戦いに例えるね」
ミリアナが笑う。
「分かりやすいだろ?」
「本人にはね」
ナナリーが呆れたように返し、談話室に笑い声が広がった。
俺はそのやり取りを聞きながら、盤の端に置かれた駒を一つ手に取った。
磨かれた木の表面は滑らかで、指先にちょうど収まる大きさだった。こうした遊戯は以前から知っていたが、執事見習いとして過ごしていたころは、遊ぶ側より準備する側になることの方が多かった。
今日は違う。
俺もほかのみんなと同じように駒を持ち、勝ったり負けたりしながら午後を過ごすつもりだった。
「セス、最初はどうする?」
隣に座るリビアが、こちらへ顔を向ける。
「まず一回やってみたいかな。説明を聞くだけより分かりやすそうだし」
「私も。細かいところは遊びながら確認しよう」
「じゃあ、最初は練習にする?」
サザリーが提案すると、イザークが少しだけ眉を上げた。
「練習ってことは勝敗なし?」
「そういうこと。初めての人もいるし、最初から順位を付ける必要はないだろう?」
「……まあ、それならいいか」
イザークが納得したところで、俺たちは駒を配り始めた。
人数が多いため、一度に全員が参加するのではなく、最初は四人ずつ遊び、残りの三人が盤面を見ながら規則を覚える形にする。最初の組み合わせはナナリー、ミリアナ、イザーク、ディーンになった。
俺とリビア、サザリーは少し離れた椅子へ座り、盤面を眺める。
「イザーク、いきなり中央を取りにいったね」
リビアが小声で言った。
「剣術でも前へ出るのが好きだからな」
「でも、あれだと次にミリアナが横へ置いたら……」
俺が言いかけると、サザリーが笑いながら首を横へ振った。
「今は見ている側だから、助言しない方がいいんじゃない?」
「あ、そうだな」
危うく口を出すところだった。
盤上の動きを見れば、次に何が起こりそうか考えたくなる。それ自体は自然なことだが、だからといって遊んでいる本人たちへ全部教える必要はない。
俺は椅子へ座り直し、目の前の勝負を見守った。
予想通り、イザークは序盤から積極的に中央へ駒を集めた。しかし、その間にナナリーが端の方で形を作り始め、ミリアナが別の方向から進めている。
「よし、これで次に……あれ?」
イザークが手を止める。
「どうしたの?」
ナナリーが尋ねると、彼は盤面を見つめたまま唸った。
「俺が次に置こうと思ってた場所、ディーンに取られてる」
「さっき置いたよ」
「気づかなかった……」
ディーンが穏やかに答えた直後、ナナリーが自分の駒を置いた。
「あ、これで完成じゃない?」
全員が盤面を確認する。
確かに、ナナリーの駒が規定の形を作っていた。
「完成だね。ナナリーの勝ち」
ディーンが告げると、ナナリーは嬉しそうに両手を合わせた。
「やった! 初めてなのに勝てた!」
「練習だから勝敗なしじゃなかったのか?」
イザークが言う。
「練習でも完成したら嬉しいでしょう?」
「それはそうだけどな」
不満そうに見えても、イザークの口元には笑みが残っていた。
そのあと、俺たちも順番に参加した。
実際に遊んでみると、規則は簡単でも相手の動きを読むのは意外と難しい。自分が作りたい形だけを見ていると別の場所で完成されてしまうし、相手の邪魔ばかりしていると手持ちの駒が減ってしまう。
俺が参加した最初の勝負では、リビアが二手先で完成する配置を作っていたことに気づかず、最後にあっさり負けてしまった。
「……あれ?」
盤面を見つめる俺の隣で、リビアが楽しそうに笑う。
「セス、そっちばかり見てたでしょう?」
「完全に見落とした」
「ふふっ。勝ちました」
「おめでとう。次は気をつける」
「次も勝つよ?」
「それは困るな」
そんなやり取りをしていると、向かい側のイザークが腕を組んだ。
「お前ら、普通に勝負してるときは仲いいのに容赦ねえな」
「遊びだからこそ、手加減しない方が楽しいだろ?」
俺が答えると、リビアも頷いた。
「セスに勝たせてもらっても嬉しくないもの」
「まあ、それは分かる」
イザークは納得したように頷いたが、次の勝負でサザリーに負けると、また悔しそうな顔になっていた。
何度か組み合わせを変えて遊んでいるうちに、談話室の空気はすっかり普段の教室と変わらなくなっていた。
ナナリーとミリアナは勝つたびに喜び、ディーンは規則の説明をしながら自分も楽しんでいる。サザリーは相手の動きをよく見ているものの、時折意外な見落としをして笑われていた。
イザークは相変わらず勝負に熱心だったが、最初のころより周囲の駒を確認するようになっている。
そしてリビアは、俺が思っていた以上に勝負事が好きらしかった。
勝てば嬉しそうに笑い、負ければ少し悔しがる。
学院で見せる完璧な公爵令嬢の表情とは違う、幼いころから俺が知っている彼女の姿だった。
(こういうリビアを、みんなが普通に見てるんだな)
そう思うと、何となく嬉しくなる。
彼女が俺の前だけで素を見せてくれることは、もちろん嬉しい。
けれど、友人たちの前でも肩の力を抜いて笑えるなら、それはもっといいことなのだろう。
やがて最初の遊戯を片づけ、前回ディーンの家で遊んだ盤上遊戯へ移ることになった。
「今度こそ一位を狙う」
イザークが宣言すると、ナナリーがすかさず返す。
「さっきも似たようなこと言ってたよね?」
「今度は本気だ」
「さっきは本気じゃなかったの?」
「本気だったけど、今度はもっと本気だ」
言い返せなくなったらしいイザークの様子に、全員が笑った。
俺も笑いながら盤を運ぶのを手伝った。
ただし、準備が終わるとそのまま席へ戻る。
使用人が必要なものを整えるまで立って待つのではなく、友人たちと一緒に駒を並べる。それが今日の俺の役割だった。
◇
盤上遊戯を始めてしばらくしたころ、談話室の扉が控えめに叩かれた。
入ってきたのは、飲み物の準備を担当している使用人だった。
「セス様。お茶のご用意が整いましたが、いかがなさいますか?」
俺は手元の駒を置き、顔を上げた。
「ああ、ありがとう。予定通り、最初の一回は俺が淹れるよ」
「承知いたしました。茶器と湯は隣室へご用意しております」
「分かった」
立ち上がると、リビアがこちらを見る。
「セス、お茶?」
「うん。前に話してた通り、一回だけ俺が淹れようと思って」
「じゃあ、私も一緒に行こうかな」
「リビアも?」
「お手伝いしたいから」
そう言われて、俺は少しだけ考えた。
茶を淹れること自体は慣れている。七人分なら一人でも十分にできるし、茶器の扱いも難しくない。
けれど、リビアが一緒にやりたいと言っている。
ならば、断る理由はなかった。
「じゃあ、一緒に行こうか」
「うん」
俺たちは友人たちへ少し席を外すことを伝え、隣室へ向かった。
廊下へ出ると、談話室の笑い声が扉越しに少し遠くなる。
リビアは俺の隣を歩きながら、楽しそうに尋ねてきた。
「セス、どのお茶にするの?」
「今日は香りが強すぎないものがいいかなって。食後だし、みんなで飲むから」
「サザリーは濃すぎない方が好きだったよね」
「うん。だから少し軽めに淹れるつもり」
「私もそれがいいと思う」
隣室へ入ると、茶器と湯、それに数種類の茶葉が用意されていた。
担当の使用人が一礼し、必要な説明をする。
俺は礼を言ってから茶葉を確認し、最も飲みやすそうなものを選んだ。
「リビア、カップを並べてもらっていい?」
「もちろん」
彼女は嬉しそうに頷き、用意された七客のカップを卓上へ並べ始めた。
俺は茶葉の量を量り、湯の温度を確認する。
いつもなら手が勝手に動く作業だった。
けれど今日は、隣でリビアがカップを並べている音を聞きながら、少しだけゆっくり進める。
「セスって、本当にお茶を淹れるのが上手だよね」
「仕事で覚えたからな」
「でも、仕事だからだけじゃないでしょう?」
「……そうかも」
俺は茶葉をポットへ入れながら考えた。
茶を淹れること自体は嫌いではない。
誰かが美味しいと言ってくれるのも嬉しい。
ただ、以前はその嬉しさと、執事として失敗してはいけないという気持ちが混ざっていた気がする。
今日は違った。
友人たちに飲んでもらいたい。
それだけで十分だった。
「リビアも飲むんだから、好みがあったら言ってくれよ」
「私はセスが淹れてくれるお茶なら何でも好きだけど」
「それだと参考にならないな」
「じゃあ、少しだけ香りが柔らかい方がいい」
「分かった」
俺が笑うと、リビアも笑った。
湯を注ぎ、茶葉が開くのを待つ。
その間、リビアはカップの位置を少し整え、俺が淹れやすいようにしてくれた。
時間になったところで茶を注ぐと、淡い香りが室内へ広がった。
「いい香り」
「うん。これなら飲みやすいと思う」
俺たちは七人分のカップを盆へ並べ、担当の使用人と一緒に談話室へ戻った。
扉を開けると、イザークが盤面を睨みながら唸っているところだった。
「どうした?」
俺が尋ねると、ディーンが笑いながら答える。
「イザークがまた自分の駒を動かす場所を間違えたんだ」
「間違えてねえ。ちょっと考え直してるだけだ」
「もう置いたでしょう?」
ナナリーが指摘する。
「だから考え直してるんだよ」
「それは駄目だよ」
ミリアナまで笑いながら言い、イザークは観念したように肩を落とした。
俺は盆を卓上へ置き、一人ずつ茶を渡していく。
「今日は俺が淹れたから、よかったら飲んでみて」
「クルセスが?」
ディーンが少し驚いたようにカップを見る。
「うん。仕事じゃなくて、俺が淹れたかったから」
「そういうことなら、ありがたくいただくよ」
ディーンが一口飲み、穏やかに笑った。
「美味しい。香りが柔らかくて飲みやすいね」
「よかった」
ナナリーとミリアナも口を付け、嬉しそうに感想を言ってくれた。
「本当に美味しいね」
「これ、茶葉は何を使ってるの?」
ミリアナに尋ねられ、俺は用意した茶葉の名前と、少し軽めに淹れたことを説明する。
「へえ。そんなに細かく変わるんだ」
「湯の温度や時間でも結構違うよ」
「今度、家でも試してみようかな」
「最初は説明書通りで十分だと思う。慣れてから好みに合わせればいいし」
そう答えたところで、イザークがカップを置いた。
「うまいな、これ」
「ありがとう」
「お前、剣も魔術もできて茶まで淹れられるの、やっぱりおかしくねえか?」
「茶は練習すれば誰でも上達するだろ」
「そういう話じゃねえんだよなあ」
イザークが呆れたように笑う。
以前なら、自分の何がそんなに珍しいのか分からず、少し困っていたかもしれない。
今は、彼が褒めてくれていることくらいは分かる。
「じゃあ、褒め言葉として受け取っておく」
「最初からそうしろよ」
その返事に、また笑いが起こった。
俺は最後に自分のカップを取り、リビアの隣へ座った。
茶器の片づけは使用人が担当してくれる。
俺が立ち上がる必要はない。
カップを持ち上げると、隣のリビアが小さな声で言った。
「セス、楽しそうだった」
「お茶を淹れてるとき?」
「うん。私も楽しかった」
「また一緒にやろうか」
「いいの?」
「もちろん」
リビアの表情が明るくなる。
その笑顔を見ながら、俺も茶を一口飲んだ。
自分で淹れたものだから味はある程度分かっているはずなのに、今日はいつもより美味しく感じた。
◇
午後の時間は、思っていた以上に早く過ぎていった。
盤上遊戯では、前回と同じようにリビアが強さを見せたものの、今回はナナリーが予想外の手で上位へ入り、ディーンも安定した判断で得点を重ねていた。
イザークは序盤こそ苦戦していたが、途中から周囲の動きをよく見るようになり、最後には何とか最下位を避けることに成功した。
「よし!」
結果が出た瞬間、イザークが拳を握る。
「最下位じゃない!」
「目標達成おめでとう」
ミリアナが笑いながら拍手する。
「でも一位じゃなかったね」
ナナリーが続けると、イザークは少しだけ悔しそうに口を尖らせた。
「そこは次だ」
「また次がある前提なんだ」
「あるだろ?」
イザークが俺を見る。
俺は少し考えてから頷いた。
「また遊びたいな」
「だろ?」
「ただ、次も同じ場所とは限らないけど」
「どこでもいい。学院でも、誰かの家でも」
ディーンが笑う。
「俺の家もまた使っていいよ。父上も母上も、前回は楽しそうだったって言ってたし」
「それなら次はナナリーの家とか?」
ミリアナが冗談めかして言うと、ナナリーは目を丸くした。
「えっ、うち?」
「冗談だよ。無理に順番にする必要はないでしょう?」
「びっくりした……」
ナナリーが胸を押さえる。
その様子に、俺は少しだけ考えた。
誰かの家へ集まることが、義務のようになってしまうのは違うだろう。
集まりたいときに、集まれる場所で遊ぶ。
それで十分なはずだ。
「次は学院の空き教室でもいいかもな。アルフォルド殿下とカイザー殿下も、機会があれば一緒に遊びたいって言ってたし」
俺が言うと、サザリーが頷いた。
「それなら参加しやすい人も増えるかもしれないね。ただ、教室を使うなら学院の許可が必要だろうけど」
「そこはそのとき確認すればいいよ」
「うん」
話はそれ以上具体的には進まなかった。
次の集まりの日程も場所も決まっていない。
けれど、また集まりたいという気持ちだけは全員にあるらしい。
それが嬉しかった。
やがて夕方が近づき、窓から入る光が少しずつ赤みを帯び始めた。
使用人から帰りの馬車の準備が整ったことを知らされ、俺たちは盤上遊戯を片づける。
今度は全員で自然に手を動かした。
イザークが大きな盤を持ち、サザリーが駒の数を確認する。ナナリーとミリアナは箱へ駒を戻し、ディーンが説明書をまとめた。
俺とリビアも手伝いながら、最後に卓上へ何も残っていないことを確認する。
「楽しかったね」
リビアが言うと、ナナリーがすぐに頷いた。
「うん。本当に楽しかった」
「私も。最初は公爵邸って聞いて緊張したけど、来てよかった」
ミリアナが笑う。
「また遊びに来てもいい?」
その問いに、俺は自然に答えていた。
「もちろん。またみんなで集まろう」
リビアも隣で頷く。
「今度は違う遊びもしてみたいね」
「じゃあ、次は私も何か持ってこようかな」
ナナリーが楽しそうに言った。
そんな会話をしながら玄関へ向かう。
外へ出ると、昼間より少し涼しい風が吹いていた。門の近くにはそれぞれの家の馬車が待っており、御者たちが静かに準備を整えている。
「今日はありがとう」
ディーンが最初に礼を言った。
「こちらこそ、来てくれてありがとう」
「今度は学院でも遊ぼう」
「うん」
サザリーとも軽く言葉を交わし、ナナリーとミリアナには帰り道に気をつけるよう伝える。
イザークは最後まで盤上遊戯の順位を気にしていたが、馬車へ乗る直前には満足そうな顔になっていた。
「クルセス、次は剣でも勝負しようぜ」
「また?」
「まただよ。盤上遊戯だけじゃ終われねえ」
「予定が合えばな」
「約束だからな」
「まだ日程は決めてないぞ?」
「分かってる!」
イザークが笑いながら馬車へ乗り込む。
最後の馬車が門を出るまで見送ると、玄関前には俺とリビアだけが残った。
夕方の空は淡い橙色に染まり、庭の木々が長い影を落としている。
「みんな帰っちゃったね」
リビアが少し名残惜しそうに言った。
「うん。でも楽しかった」
「私も」
彼女は俺の隣へ一歩近づき、そっと手を伸ばしてきた。
俺は自然にその手を取る。
「セス、今日はありがとう」
「俺もありがとう。リビアが一緒にいてくれてよかった」
「私もセスと一緒に迎えられて嬉しかった」
握った手が少しだけ強くなる。
俺たちはそのまま屋敷へ戻った。
◇
玄関ホールへ入ると、グレイヴが待っていた。
「皆様、お帰りになられましたか」
「うん。全員無事に馬車へ乗ったよ」
「それは何よりです。お二人とも、お疲れではございませんか?」
「少しだけ。でも楽しかったから」
俺が答えると、リビアも頷いた。
「私も大丈夫。今日は本当に楽しかった」
「それはようございました」
グレイヴは穏やかに微笑んだ。
「お茶も美味しかったって言ってもらえたよ」
「そうですか」
「リビアにも手伝ってもらった」
「それは何よりです」
グレイヴの視線がリビアへ向く。
「お嬢様も、お楽しみいただけましたか?」
「はい。セスと一緒に準備するのも楽しかったです」
「それはよろしゅうございました」
グレイヴは一礼し、使用人たちへ片づけを任せるため、その場を離れた。
俺は少しだけ玄関ホールを見回す。
さっきまで友人たちの声が響いていた場所は、いつもの静けさを取り戻していた。
それでも、何となくまだ賑やかさが残っているような気がする。
「セス?」
リビアに呼ばれ、俺は顔を上げた。
「何でもない。ちょっと今日のこと思い出してた」
「まだ終わったばかりなのに?」
「そうだな」
二人で笑う。
「少し休もうか」
リビアが提案した。
「うん。今日はもう何もしなくていいかな」
「じゃあ、小さな居間で一緒に座ろう」
「いいよ」
俺たちはいつもの小さな居間へ向かった。
窓際の長椅子へ並んで座ると、外から庭の葉が揺れる音が聞こえてくる。日中はあれほど賑やかだったのに、今は二人だけだった。
リビアが俺の肩へ軽く寄りかかる。
「セス、今日一番楽しかったのは何?」
「一番?」
「うん」
俺は少し考えた。
盤上遊戯も楽しかった。
庭を歩いたのも楽しかった。
みんなで昼食を食べたことも、茶を淹れたことも、どれも嬉しかった。
「……選べないな」
「ふふっ。私も」
「リビアは?」
「全部楽しかったけど、セスがみんなと普通に笑ってたのが嬉しかったかな」
そう言われて、俺は少しだけ目を瞬いた。
「俺が?」
「うん。セス、今日はずっと楽しそうだった」
「リビアも楽しそうだったよ」
「それはセスが隣にいたから」
彼女がさらりと言う。
俺は思わず顔が熱くなるのを感じた。
「……そういうこと、普通に言うよな」
「本当のことだもの」
リビアは少しだけ顔を上げ、俺を見つめた。
銀青色の髪が肩から滑り、窓の光を受けて柔らかく輝いている。
「セス」
「ん?」
「今日、嬉しかった」
「うん」
「これからも、こういう日があるといいな」
「あるよ」
俺は迷わず答えた。
「またみんなで集まろうって話したし。次は学院かもしれないし、ディーンの家かもしれないけど」
「うん」
「リビアと二人で過ごす日も、友達と遊ぶ日も、どっちも楽しみだよ」
そう言うと、リビアの表情が少し柔らかくなった。
「私も」
彼女はもう一度俺の肩へ寄りかかる。
俺はその髪へ軽く頬を寄せた。
しばらく何も話さず、二人で夕方の庭を眺める。
やがてリビアが小さく笑った。
「セス、今日のお茶、本当に美味しかったよ」
「ありがとう」
「また淹れてね」
「もちろん」
「今度は二人だけでも」
「うん」
俺は彼女の手を握り直した。
今日は友人たちを迎える日だった。
けれど、最後にこうしてリビアと静かに過ごす時間も、同じくらい大切だった。
◇
翌朝、学院へ向かう馬車の中で、リビアは昨日のことを楽しそうに話していた。
ナナリーが最初の遊戯で勝ったこと。
ミリアナが思った以上に勝負好きだったこと。
イザークが最下位を避けて大喜びしていたこと。
ディーンとサザリーが盤面を見ながら、時々真剣な顔になっていたこと。
俺も思い出しながら笑う。
「次は何して遊ぼうかな」
「まだ次の予定も決まってないのに?」
「考えるくらいならいいだろ?」
「うん。私も考えてる」
二人で笑っているうちに学院へ着いた。
教室へ入ると、昨日遊びに来た友人たちがすでに集まっていた。
「おはよう、クルセス!」
イザークが元気よく声をかけてくる。
「おはよう。昨日は楽しかったな」
「おう。次は絶対一位取る」
「まだ言ってるの?」
ナナリーが笑う。
「当然だろ」
いつもの教室。
いつもの友人たち。
昨日は公爵邸で一緒に過ごしたのに、今日はまた学院で顔を合わせている。
そのことが、何となく嬉しかった。
授業が始まる少し前、担任が教室へ入ってきた。
「全員、少し聞いてくれ」
教室のざわめきが収まる。
「交流演習について、次の案内が届いている。各班の開始時役割の確認は順次終了しているが、いよいよ演習本番へ向けた説明に入る」
俺は自然に姿勢を正した。
隣のリビアも教師へ視線を向ける。
「明日の放課後、全班合同で演習の実施場所と基本課題の説明を行う。ただし、当日の条件変更については事前に公開しない。各班は開始時役割を確認したうえで参加すること」
教室の空気が少し変わった。
ついに、具体的な課題が分かるらしい。
俺はサザリーと顔を見合わせた。
彼も少しだけ目を輝かせている。
リビアが隣で小さく笑った。
「楽しみだね、セス」
「うん」
昨日までは友人たちと遊んでいた。
今日はまた学院で授業を受ける。
そして明日には、交流演習の具体的な課題が示される。
俺は胸の奥に湧いてきた期待を感じながら、教師の次の説明へ耳を傾けた。
第三班の六人で取り組む最初の大きな課題が、もうすぐ始まろうとしていた。




