第84話 友達を迎える日
交流演習の第三班で最初の役割が決まった翌日、学院から新しい日程変更の連絡はなかった。
放課後まで待っても追加の予定が掲示されなかったため、その日の夕食前、俺はグレイヴと一緒にアルセス様の執務室を訪れていた。友人たちをパウリー邸へ招く日について、以前挙げていた二つの候補のうち、全員の都合が合いやすかった方で正式に決めるためだ。
「学院側から新しい予定は出ていないんだな?」
「はい。少なくとも今日の放課後まではありませんでした。交流演習の班ごとの確認はありますけど、それも休養日とは重なっていません」
執務机の向こうで書類を確認していたアルセス様は、俺の返事を聞いてからグレイヴへ視線を向けた。
「屋敷側は?」
「問題ございません。小食堂と西側談話室を使用できるよう整えております。天候が良ければ庭へ出られるようにもしておきますが、当日の判断で構わないでしょう」
「料理は?」
「昼食については料理長へ伝達済みです。ただし、参加される皆様の好みについては、セスから自然に把握している範囲だけ確認いたします」
そこでアルセス様の視線が俺へ戻る。
「自然に、か」
「父さんにも、わざわざ調査するなって言われました」
「それはそうだろう。友人を昼食へ招くたびに家令並みの事前調査を始められては、招かれる側も落ち着かん」
「俺もそこまではしませんよ」
「以前のお前なら、必要だと思えばやりかねなかったから言っている」
反論しようとして、少しだけ考える。
友人が屋敷へ来る。失礼がないようにしたい。全員が楽しめるようにしたい。そう考えた結果、好き嫌いから飲み物の好みまで細かく調べ始める自分は、確かに想像できなくもなかった。
「……今はしません」
「ならいい」
アルセス様の口元がわずかに緩む。
執務室の窓からは夕方の光が差し込み、机の上に積まれた書類の端を赤く染めていた。仕事中に時間を取ってもらっているため、俺も必要以上に話を長引かせるつもりはない。
「では、次の次の休養日で正式に決めていいですか?」
「ああ。招くのは以前聞いた七人で変わらないな?」
「はい。俺とリビアを含めて、ディーン、イザーク、サザリー、ナナリー、ミリアナです」
アルフォルド殿下とカイザー殿下にも以前声をかけているが、二人は警護や家同士の形式が大きくなりやすいことから今回は辞退している。将来的にもっと気軽な形で遊ぶ話は出ているものの、まだ日程も方法も決まっていない。
「分かった。当日は私も屋敷にいる予定だが、友人同士の集まりへ長居するつもりはない。都合が合えば昼食前に挨拶くらいはしよう」
「ありがとうございます」
「礼を言われるほどのことでもない。お前とオリビアの友人だろう」
何気なく返された言葉だった。
けれど、胸の奥へ少しだけ温かいものが残る。
(俺とリビアの友人、か)
ディーンたちは学院の友人で、もちろんリビアだけの客でも俺だけの客でもない。分かっていたはずなのに、アルセス様からそう言われると、今度の集まりがより自分自身の予定として感じられた。
グレイヴが隣で静かに一礼する。
「それでは、正式にその日程で準備いたします。セスから皆様へ明日お伝えください」
「はい」
「ただし、セス」
アルセス様に呼ばれ、俺は顔を上げた。
「当日は友人として遊べ」
「……はい」
「お前が茶を淹れたいなら淹れればいい。皿を運びたいなら一度くらい運んでも構わん。だが、招いた友人を座らせて、お前だけが給仕に回るような真似はするな」
「分かっています」
「なら、それでいい」
同じ内容をグレイヴからも聞いている。
それでもアルセス様まで改めて言ったのは、俺がこの屋敷で長く執事見習いとして過ごしてきたからだろう。友人を迎える日だからといって、その時間だけ突然これまでの習慣が全部消えるわけではない。
だからこそ、意識して役割を選ぶ必要がある。
俺は二人へ一礼して執務室を出た。
廊下へ出ると、少し離れた窓辺でリビアが待っていた。壁へ寄りかかるようなことはせず、窓の外を眺めていた彼女が俺に気づいて振り返る。
「決まった?」
「うん。次の次の休養日で正式に決定。アルセス様もその日は屋敷にいる予定だって。時間が合えば最初に挨拶するくらいで、あとは俺たちだけで過ごしていいって」
「よかった」
リビアの表情が明るくなる。
「じゃあ、明日みんなに伝えられるね」
「うん。父さんたちも準備を始めてくれるって」
「セスは?」
「俺?」
「何か準備する?」
聞かれて、すぐにいくつかのことが頭へ浮かんだ。
昼食の内容。茶葉。盤上遊戯。庭へ出るなら座る場所。全員の好み。到着時刻。使用する部屋の確認。
けれど、そのほとんどはすでに屋敷側が準備しているか、当日決めればいいことだった。
「……みんなの好みで、俺が知ってることだけ父さんに伝える。それくらいかな」
「盤上遊戯を選んだりは?」
「当日でいいって言ってたしな。何種類か用意してくれるみたいだから、その場で決めればいいと思う」
「うん」
「リビアは何かしたい?」
「私は……みんなと庭を歩きたいかな。天気がよかったらだけど」
「じゃあ晴れたら庭に出よう」
「雨だったら?」
「西側談話室で遊ぶ」
「それだけ?」
「それだけ」
答えると、リビアが嬉しそうに笑った。
「それなら大丈夫そう」
「何が?」
「セスが『雨だった場合の代替予定を三つ用意しよう』とか言わなかったから」
「俺、そこまでやると思われてる?」
「前ならやったかもしれないでしょう?」
アルセス様と似たことを言われてしまった。
俺は苦笑しながらリビアの隣へ並び、二人で食堂へ向かった。
◇
翌朝、教室へ入ってすぐに俺たちは友人たちへ日程が正式に決まったことを伝えた。
「本当に決まったの?」
ナナリーが目を輝かせる。
「うん。次の次の休養日。昼食より少し前に来てもらって、夕方になる前には解散する予定」
「やった!」
喜んだナナリーの隣で、ミリアナもほっとしたように笑う。
「家にも今日伝えておくね。服装は前に聞いた通りでいいのよね?」
「普通の外出着で大丈夫。贈り物もなし」
「分かった。そこは絶対に守る」
ミリアナが妙に力を込めて言う。
どうやら公爵家へ行くということで、家族から「何か持たせるべきではないか」と言われる可能性をかなり警戒しているらしい。
「もし家の人に言われたら、パウリー家側から不要って言われてるって伝えて」
リビアが助け舟を出す。
「正式な家同士の訪問じゃなくて、学院の友人として遊びに来てもらうだけだから」
「それなら説明しやすい。ありがとう、オリビア」
ミリアナは素直に礼を言った。
イザークは日程よりも別のことが気になるらしく、俺へ身を乗り出す。
「盤上遊戯あるんだよな?」
「あるよ」
「ディーンの家でやったやつ?」
「それもあると思う。他にも何種類か用意してくれるって」
「よし。今度こそ最下位は避ける」
「目標が低くない?」
ナナリーが笑うと、イザークは真剣な顔で首を横へ振った。
「前回を知らないから言えるんだ。あれはまず最下位を抜けるところから始めるべきなんだよ」
「そんなに負けたの?」
「一回だけだ。でも一回で十分悔しい」
「オリビアが一位だったんだよね」
ミリアナが尋ねると、ディーンが頷いた。
「一位がオリビア、二位がサザリー、俺が三位、クルセスが四位で、イザークが最後」
「待て、順位を全部言う必要あったか?」
「説明として分かりやすいだろ」
ディーンが平然と返し、周囲から笑いが起こった。
俺も前回は四位だったので偉そうなことは言えない。
「俺も今度はもう少し上に行きたいな」
「セスも本気でやるの?」
リビアが尋ねる。
「遊びなんだから、本気で勝ちに行ってもいいだろ?」
「いいけど、私も負けないよ」
「じゃあ今度は勝つ」
「受けて立ちます」
リビアが公爵令嬢らしい澄ました表情を作ったものの、口元には笑みが残っている。
その様子を見ていたサザリーが、少しだけ呆れたように息を吐いた。
「二人とも、当日まで盤上遊戯の研究を始めないでよ」
「しないよ」
「しない」
俺とリビアの返事が重なり、今度はサザリーまで笑った。
そこへアルフォルド殿下とカイザー殿下もやってきた。
「日程が決まったのか?」
アルフォルド殿下に尋ねられ、俺は頷く。
「はい。次の次の休養日になりました」
「そうか。楽しんでこい」
「殿下たちも、また別の機会に」
「ああ。ただ、我々まで公爵邸へ押しかけると、友人同士の集まりでは済みにくくなる。今回はその人数がちょうどいいだろう」
アルフォルド殿下は残念そうにするでもなく、穏やかにそう言った。
カイザー殿下も肩をすくめる。
「俺としては盤上遊戯だけなら学院で十分だけどな。王子二人が公爵邸へ遊びに行くより、空き教室で盤を囲んでる方がまだ面倒が少ない」
「それはそれで目立つと思うけど」
俺が言うと、カイザー殿下は笑った。
「多少はな。だが警護担当が胃を痛める程度が違う」
「基準がそこなんですか?」
「大事だぞ。自分が楽しむために周りへ無意味な負担を増やさないというのは」
冗談めいた口調だったが、言っていること自体は真面目だった。
アルフォルド殿下も否定しない。
「学院内なら警備体制が元から整っている。もし本当にやるなら、その方が現実的だろう。ただし、今は日程を決める必要はない」
「はい」
未来の遊びの予定まで一度に決めなくていい。
俺たちはその話をそこで終え、授業の準備へ移った。
午前中は魔術理論と数学、午後は剣術だった。
交流演習の開始時役割が決まったからといって、授業内容が変わるわけではない。俺はいつも通り指定された課題をこなし、剣術でも班の連絡・誘導役として何か特別な訓練をすることはなかった。
ただ、授業の途中で教師から指示を受け、それを組んでいる相手へ伝えたとき、昨日の話が少しだけ頭をよぎった。
伝える内容を変えない。
必要なことだけを正確に渡す。
だからといって、それを交流演習の訓練にするつもりはない。普段の授業で自然にやっていることの中にも、役割へつながるものがあるのだと気づいただけだった。
授業後、俺は追加で何かすることなく木剣を戻した。
今日は第三班の集まりもない。
リビアには委員会があり、サザリーは図書館へ寄ると言っている。イザークは第五班の役割確認の日なので、アルフォルド殿下と一緒に別の準備室へ向かう予定だった。
「クルセス!」
着替えを終えて廊下へ出たところで、イザークに呼び止められた。
「今日、俺たちも封筒開けるからな」
「うん」
「終わったら役割教える」
「別に急がなくていいぞ?」
「俺が言いたいんだよ」
「じゃあ聞く」
「おう」
それだけ言うと、イザークはアルフォルド殿下の待つ方へ走りかけ、途中で教師の視線に気づいて歩き直した。
俺は思わず笑う。
今日はリビアを待つ予定もないので、そのまま図書館へ向かおうかとも思ったが、廊下の窓から見えた空が思った以上に明るかった。
風も弱い。
(たまには外でもいいか)
俺は図書館へ向かう道を変え、中庭へ出た。
学院の中庭には授業を終えた生徒が何人か残っている。友人同士で話している者もいれば、一人で本を読んでいる者もいる。植え込みの間を抜ける風には少し涼しさが混じっていたが、日差しの下なら過ごしやすかった。
空いているベンチへ座り、鞄から北方旅行記を取り出す。
今日は雪の町そのものではなく、北部の宿場について書かれた章を読むことにした。
旅人が集まる宿では、食事や寝床を提供するだけでなく、街道の状態を共有する役割もあるらしい。雪崩、凍結、橋の破損、魔物の目撃情報。情報が古ければ危険につながるため、宿の主人が「いつ」「誰から」聞いた情報なのかを記録する地域もあるという。
(ベルナルト先生との研究でも、いつの記録かは大事だったな)
自然に思い出したが、そこで研究用の手帳を取り出すことはしなかった。
これは旅行記だ。
面白いと思ったから読んでいる。
役に立つことがあれば覚えておけばいいし、忘れても困らない。
ページをめくっていると、しばらくして中庭の入口からサザリーが現れた。図書館へ行くと言っていたはずなので、俺は少し意外に思って顔を上げる。
「サザリー?」
「やっぱりここにいた」
「俺を探してたの?」
「少しだけ。図書館へ行ったらいなかったから、帰ったのかと思ったんだけど、窓から中庭が見えてね」
サザリーは俺の隣へ座るのではなく、少し間を空けた場所へ腰を下ろした。
「何かあった?」
「大したことじゃないよ。昨日の第三班の話で、一つだけ言い忘れていたことがあったから」
「何?」
「僕が情報整理として記録を取る場合でも、全部を僕一人の手元へ集める必要はないと思う」
俺は本へ栞を挟んで閉じる。
「どういうこと?」
「昨日は『確認済み』と『推測』を分ける話をしただろう? でも僕が全部を記録しようとすると、僕のところへ情報が集まるまで班全体が待つ形になるかもしれない。連絡・誘導の君やレオル先輩が先に知った情報を、必要な相手へ直接渡した方がいい場面もあると思ったんだ」
「ああ、なるほど」
「もちろん課題が分からないから、これ以上は決められない。でも、『情報整理担当に一度全部集める』と決めたわけではないことだけ、次に六人で集まったとき確認しておきたい」
「いいと思う。俺も昨日、サザリーに全部伝えてから動くのかなって少し考えてた」
「それを固定すると遅くなる可能性があるからね」
サザリーはそこまで話すと、肩の力を抜いた。
「それだけ。今から作戦会議をしたいわけじゃないよ」
「分かってる」
「ならよかった。僕も今日は本を借りるだけだから」
「何読むの?」
「経済史。授業とは関係ないやつ」
「好きだなあ」
「クルセスに言われたくないよ。旅行記を読みながら古代の記録を思い出してる顔をしてたでしょう?」
「顔で分かるの?」
「何となく」
笑いながら言われ、俺も笑った。
サザリーはそのまま図書館へ向かい、俺は中庭で旅行記を読み続けた。
班の役割について考えることと、それだけを考え続けることは違う。
必要なことを思いついたなら、次に会ったとき共有すればいい。それ以上は今やらなくてもいい。
◇
同じころ、リビアは第二予備教室で委員会の試作品を確認していた。
机の上には、色と番号に加えて外枠の形を変えた数種類の札が並べられている。
赤い一番は丸い枠、青い二番は四角、黄色の三番は三角といった単純な組み合わせではない。色だけ、番号だけ、形だけのどれか一つへ依存しすぎないよう、どの組み合わせが離れた場所から識別しやすいかを比較するための試作品だった。
「前回より情報が増えましたけど、逆に見づらくなっているものもありますね」
マリエッタ・クロードが二枚の札を並べながら言う。
リビアも少し離れた位置から眺め、頷いた。
「これだけ要素を増やすと、立ち止まって全部確認しようとする人が出るかもしれません。混同を減らすために情報を増やしたのに、それで流れが止まったら意味がないですよね」
「では、形を使う案そのものをやめますか?」
「ううん。まだ比べたいです。今日は人数も少ないから、実際に歩いてもらって、どの札なら一度で分かるかだけ確認しませんか?」
「そうしましょう」
委員たちが廊下へ移動し、少人数での確認が始まった。
実際に歩いてみると、予想通り、形を複雑にしすぎた札では視線が長く留まる。逆に外枠の一部だけを変えたものは、色と番号の補助として自然に認識できる者が多かった。
ただし、人数が少ないため混雑時に同じ結果になるとは限らない。
「今日はここまでですね」
マリエッタが記録をまとめる。
「はい。次は候補を減らして、小人数でもう一度確認してから実人数に近づけましょう。雨の日の確認は、実際に雨が降ったときじゃないと分からない部分も多いですし」
「天候だけは委員会で決められませんからね」
「それは仕方ないです」
リビアは笑った。
委員会が終わり、廊下へ出る。
今日はセスと待ち合わせをしていない。彼が図書館にいるかもしれないし、先に帰っているかもしれない。
(どっちでもいいけど、まだいたら一緒に帰りたいな)
そう思いながら玄関へ向かっている途中、中庭へ通じる窓から見慣れた黒髪が見えた。
ベンチに座り、本を読んでいる。
リビアの足が自然に止まった。
セスは周囲を気にすることもなく、本へ視線を落としている。少し前なら、彼が一人でいる姿を見れば「私を待っていたのかな」と考えたかもしれない。
今は違う。
彼はたぶん、自分が読みたいからそこにいる。
それでも、自分が声をかければきっと顔を上げてくれる。
その両方が嬉しかった。
リビアは中庭へ向かう扉を開けた。
◇
「セス」
声をかけられて顔を上げると、リビアが立っていた。
「委員会終わった?」
「うん。セスはここにいたんだね」
「今日は外で読みたくなって」
「隣、いい?」
「もちろん」
俺が少し横へずれると、リビアは隣へ座った。
まだ日差しは残っているが、夕方の風は少し冷たい。リビアの髪が風に揺れ、銀青色の細い束が肩へ流れた。
「委員会どうだった?」
「形を加えた札を試したよ。でも複雑にすると逆に見る時間が長くなっちゃうから、候補を減らしてもう一度試すことになったの」
「じゃあ、形を付ければ解決ってわけじゃなかったんだ」
「うん。でも補助として使えそうなものはあったよ。まだ決めないけどね」
「そっか」
俺はそれ以上案を出さず、彼女の話を聞いた。
「セスはずっと本読んでたの?」
「途中でサザリーが来た。昨日の役割のことで一つ共有したいことがあったみたいで」
俺はサザリーが話していた内容を簡単に説明する。
情報整理役へすべての情報を一度集めると固定せず、必要なら連絡・誘導から直接ほかの役割へ渡すことも考える。ただし、まだ課題が分からないため、それ以上の具体的な作戦は決めない。
「サザリーらしいね」
「うん。次に六人で会ったとき確認するって」
「私もその方がいいと思う。たとえば私が結界を維持していて、すぐに知る必要があることなら、サザリーを経由しなくても直接教えてほしいもの」
「そうだよな」
それだけ確認すると、交流演習の話は自然に終わった。
「そうだ。みんなに日程伝えたし、あとは当日だな」
「うん。楽しみ」
「リビア、庭歩きたいって言ってたよな」
「晴れたらね」
「天気はどうしようもないしな」
「雨でも楽しいと思うよ」
「盤上遊戯もあるし」
「イザーク、今度こそ最下位を避けるって言ってたね」
「俺も四位だったから、人のこと笑えないけど」
「私は一位だったけどね」
少し得意そうな横顔に、俺は笑った。
「次は勝つから」
「いいよ。私も負けないから」
中庭に残っていた生徒が少しずつ減っていく。
俺たちもそろそろ帰ろうと立ち上がり、正門へ向かった。
馬車に乗ると、リビアが俺の持っている旅行記を指差す。
「今日どこまで読んだの?」
「宿場の話。雪道の情報を旅人同士で共有するんだけど、いつ誰から聞いた情報か記録する場所もあるんだって」
「面白そう」
「今度読む?」
「セスが読み終わったら借りたい」
「じゃあ先に返さないようにする」
「返却期限は守ってね?」
「それはもちろん」
俺たちは笑い合った。
屋敷へ戻ると、グレイヴから友人を招く日程が正式に屋敷内へ共有されたことを聞いた。小食堂と西側談話室は使えるように整え、庭については当日の天候次第。昼食も友人同士で食べやすい内容を中心にするという。
「セス、皆様のお好みで把握していることはございますか?」
「イザークは肉料理が好き。ディーンは前に甘い焼き菓子も普通に食べてた。サザリーは紅茶なら濃すぎない方が好きだったと思う。ナナリーとミリアナは……そこまで分からない」
「十分です。分からないことを無理に埋める必要はございません」
「嫌いなものも聞いてないけど、大丈夫?」
「一般的な昼食をご用意し、極端に好みの分かれる食材を避けます。必要であれば当日お尋ねできます」
「そっか」
それなら俺が事前に全部把握する必要はない。
「セスは当日、どうされますか?」
「どうって?」
「お茶です。以前、ご自身で淹れたいのであれば構わないと申し上げましたが」
少し考える。
友人たちに自分で茶を淹れて出すのは嫌ではない。むしろ、やりたい気持ちはある。
「一回だけ、俺が淹れてもいい?」
「もちろんです」
「でも、そのあとは父さんたちに任せる」
「承知しました」
「俺が淹れたいから淹れる。それならいいんだよね?」
「ええ。それでよろしいかと」
グレイヴの返事は簡潔だった。
俺もそれ以上確認しなかった。
友人を迎える。
茶を淹れる。
一緒に食事をして、遊ぶ。
晴れていれば庭へ出る。
それだけでいい。
◇
そして、待っていた休養日は思っていたより早くやってきた。
朝、目を覚まして最初に聞こえたのは雨音ではなかった。
窓を開けると、薄い雲はあるものの空は明るく、庭の木々が穏やかな風に揺れている。少なくとも今すぐ雨が降りそうな様子はない。
(庭にも出られそうだな)
それだけ確認し、俺は窓を閉めた。
友人たちが来るからといって、いつもより早く起きたわけではない。身支度も普段の休養日と同じ時間で整えた。
今日は執事服ではなく、外出にも使える私服だ。
鏡の前で襟を整えていると、扉が叩かれた。
「セス、入っていい?」
「いいよ」
扉を開けて入ってきたリビアも、学院の制服ではなかった。
淡い青を基調としたワンピースに薄手の上着を合わせ、髪も学院へ行く日より少し柔らかくまとめている。公爵令嬢として人前へ出るための華美な装いではなく、本当に友人を迎えるための私服なのだろう。
「どう?」
リビアが少しだけ両腕を広げる。
「似合ってる。可愛い」
「……ありがとう」
すぐに答えると、彼女の頬がわずかに赤くなった。
「セスも似合ってるよ」
「ありがとう」
「今日は執事服じゃないんだね」
「友達として迎えるんだから、こっちの方がいいかなって」
「うん。私もそう思う」
二人で朝食へ向かう。
食堂ではアルセス様もすでに席についていた。
「おはようございます」
「おはよう。二人とも今日は随分と楽しそうだな」
「そう見えます?」
「見える」
俺とリビアは顔を見合わせる。
否定する理由もないので、そのまま席へ着いた。
「友人たちは昼前だったな」
「はい。到着時刻は少しずれるかもしれないので、全員がそろってから昼食にします」
「それでいい。私もそのころには執務室にいる。全員そろったら一度知らせてくれ」
「分かりました」
「それ以外は、お前たちで好きに過ごせ」
アルセス様はそう言って朝食へ戻った。
俺も食事をしながら、今日の予定を頭の中で確認する。
全員がそろったらアルセス様へ知らせる。
昼食。
その後は天気を見て庭か西側談話室。
盤上遊戯も用意されている。
俺が茶を淹れるなら一度だけ。
それ以上は決めていない。
(これくらいでいいんだよな)
食後、俺は小食堂を一度だけ見に行った。
長めの卓には七人分の席が用意され、窓の外には庭が見える。けれど、皿やカトラリーの配置へ手を出すことはしなかった。準備を担当している使用人たちがいる以上、俺が途中から触ればかえって邪魔になる。
西側談話室にも盤上遊戯が数種類置かれていた。
「セス」
後ろからグレイヴに呼ばれる。
「確認は済みましたか?」
「うん。もう触らないよ」
「それがよろしいでしょう」
「父さん、俺が何か直すと思って見に来た?」
「可能性は考えておりました」
「信用してよ」
「現在は信用しておりますので、声をかけるだけに留めております」
返す言葉がなく、俺は苦笑した。
「じゃあ、俺はリビアと待ってる」
「はい。最初の馬車が到着しましたらお知らせいたします」
俺は談話室を出て、リビアのいる玄関側の小さな待合へ向かった。
彼女は窓辺に立ち、門の方を眺めている。
「まだ?」
「まだ。でも、そろそろだと思う」
「緊張してる?」
「少し」
「リビアでも?」
「セス、それ前にも言ったよね。私だって緊張するよ」
「ごめん」
「でも、嫌な緊張じゃないの。楽しみだから落ち着かない感じ」
「俺も同じかも」
学院では毎日のように会っている友人たちなのに、自分たちの家へ迎えるとなると少し違う。
しばらくすると、門の方から馬車の車輪が石畳を進む音が聞こえてきた。
使用人の一人が静かに入ってくる。
「セス様、オリビア様。ディーン・ロスベル様がお着きになりました」
「来た」
俺とリビアは同時に立ち上がった。
玄関へ向かう途中で、俺は無意識に歩く速度を上げかける。それに気づいて少しだけ緩めると、隣のリビアが楽しそうにこちらを見た。
「急いでもディーンは逃げないよ」
「分かってる。でも待ってたから」
「私も」
玄関扉が開き、外の明るい光が広いホールへ差し込む。
使用人に案内されて入ってきたディーンは、学院で見る制服姿とは違い、落ち着いた茶系の外出着を身につけていた。公爵邸へ入ったことで少し緊張しているのか、最初は背筋がいつもより伸びていたが、俺たちを見つけるとすぐに表情を緩めた。
「クルセス、オリビア。今日は招いてくれてありがとう」
「ようこそ、ディーン」
「来てくれてありがとう。まだ最初だけど」
俺がそう答えると、ディーンは玄関ホールを一度見回したあと、小さく息を吐いた。
「自分の家に来てもらったときより緊張するな」
「普通にしてていいよ」
「公爵邸でクルセスに言われると、前より説得力あるな」
「どういう意味?」
「前だったら、お前の方が俺より緊張してそうだったから」
言われて、俺は少しだけ考える。
「そうかも」
否定できなかった。
ほどなくして、二台目の馬車が到着した。
今度はナナリーとミリアナがほぼ同じ時刻に着き、その少し後にサザリーが来る。イザークは最後だったが、遅刻ではなく予定時刻より少し前には到着していた。
「全員いるな?」
玄関ホールで人数を確認しながら、イザークが周囲を見る。
「俺で最後?」
「最後だけど、時間には間に合ってるよ」
「よし。じゃあ問題なし」
「まずそこを気にするんだ」
ナナリーが笑う。
学院では見慣れた七人が、今日は制服ではなく私服でパウリー邸の玄関ホールに集まっている。
それだけで、少し不思議だった。
「じゃあ、最初にアルセス様へ挨拶しに行こうか。時間を取ってくれてるから」
俺が言うと、さっきまで笑っていた全員の姿勢が少しだけ整った。
「やっぱり公爵閣下に会うのか」
イザークが声を落とす。
「挨拶だけだよ。そんなに緊張しなくても大丈夫」
「お前はそう言うけどな」
「父さん、怖くないよ?」
リビアが首を傾げる。
ナナリーが何とも言えない顔になる。
「オリビアにとってはお父様だから……」
「そうだった」
リビアが少し困ったように笑い、空気が和らいだ。
俺たちは執務室ではなく、その隣にある応接室へ案内された。
アルセス様はすでに待っていた。
全員が礼をすると、アルセス様は必要以上に形式ばった挨拶を求めることなく、一人ずつ顔を確認する。
「よく来てくれた。学院では娘とセスが世話になっているようだな」
「こちらこそ、いつもお世話になっています」
ディーンが代表するように答えた。
アルセス様は頷き、ほかの面々へも視線を向ける。
「今日は家同士の訪問ではない。オリビアとセスの友人として招いているのだから、必要以上に堅くならなくていい。もちろん屋敷の中で危険なことをされては困るが、それ以外は二人と好きに過ごしてくれ」
「ありがとうございます」
今度は全員の声が重なった。
アルセス様の視線がイザークのところで少し止まる。
「君がイザークか」
「はい!」
イザークの背筋がさらに伸びた。
「セスと何度か剣を合わせていると聞いている」
「はい。二度ほど」
「そうか。今日は庭で本気の試合を始めないようにな」
「しません!」
あまりにも即答だったので、俺は笑いそうになるのを堪えた。
アルセス様もわずかに口元を緩める。
「冗談だ。楽しんでいってくれ」
挨拶は本当にそれだけだった。
応接室を出た瞬間、イザークが大きく息を吐く。
「緊張した……」
「だから大丈夫って言っただろ」
「大丈夫なのと緊張するのは別だ」
「それはそうか」
サザリーが静かに頷く。
「でも、僕は少し安心したよ。もっと形式的な挨拶になる可能性も考えていたから」
「今日は友達として来てもらってるからね」
リビアが答える。
「じゃあ、小食堂へ行こうか。そろそろ昼食の時間だと思う」
俺たちは七人で廊下を歩いた。
普段なら俺が先に立って案内することも多い場所だが、今日はリビアと並び、その少し後ろを友人たちが歩いている。
途中で使用人とすれ違えば、俺は自然に会釈する。
それだけだった。
仕事を探す必要はない。
小食堂へ入ると、庭へ面した大きな窓から明るい光が差し込み、卓上にはすでに昼食の準備が整えられていた。
「わあ……」
ナナリーが窓の外を見る。
「庭、ここからでもすごく綺麗」
「食べたあと、天気がこのままなら歩こうよ」
リビアが嬉しそうに答える。
「行きたい!」
ミリアナも窓へ近づきかけたが、料理が運ばれてくるのを見てすぐに席へ戻った。
席順は厳密には決めていない。
俺とリビアが隣に座り、ほかのみんなも自然に好きな場所を選ぶ。
使用人たちが料理を並べ始めたとき、俺の身体は一瞬だけ昔からの習慣で動きかけた。
空いた皿がある。
次の料理が来る。
なら、自分も手伝える。
そう考えたところで、俺は椅子から立たなかった。
給仕を担当している使用人が、何の問題もなく料理を置いていく。
(俺がやらなくても、ちゃんと進むんだよな)
当たり前のことだ。
それでも、今日はその当たり前を自分の身体で覚える日なのかもしれない。
「セス?」
隣からリビアに呼ばれる。
「何でもない。何から食べようかなって思ってた」
「私はこれ気になる」
リビアが示したのは、香草を使った鶏肉料理だった。
「じゃあ俺もそれから」
「真似した?」
「美味しそうだったから」
「ならいいよ」
向かい側でイザークがすでに肉料理を見て嬉しそうな顔をしている。
「これ、うまそうだな」
「イザーク、まだ食べてないでしょう?」
ミリアナに言われ、彼は頷く。
「見れば分かる」
「食べてから言いなよ」
「じゃあ食う」
早速口へ運び、数秒後には満足そうな表情になった。
「ほら、うまい」
「それはよかったね」
笑いが広がる。
食事が始まってしまえば、そこが公爵邸の小食堂だということを全員が少しずつ忘れていくようだった。
学院の授業の話。
交流演習の班の話。
イザークとアルフォルド殿下が第五班でどんな役割になったのかという話も出た。
「そういえば、昨日言うって言ってたよな」
俺が尋ねると、イザークは待ってましたとばかりに顔を上げる。
「俺は前衛対応だった」
「やっぱり」
「何だよ、その反応」
「似合ってるから」
「まあな。それでアルフォルド殿下は情報整理」
「殿下が?」
「俺も意外だった。でも本人は普通に受け入れてたぞ。『王族だから指揮役になるわけではないと言われていただろう』って」
アルフォルド殿下らしい返事だった。
「ほかの班員の役割は?」
サザリーが尋ねる。
「それは本人たちのことだから、ここで全部話していいか分からない。演習の秘密ってわけじゃないだろうけど」
「それなら無理に話さなくていいよ」
「そうする」
イザークがそこで止めたことに、俺は少し感心した。
自分の役割は話しても、ほかの班員の情報まで勝手に共有しない。
交流演習が競争形式になるかどうかすら分からないが、それ以前に本人たちがどこまで話したいかの問題でもある。
話題は自然に別のものへ移っていった。
昼食が終わるころには、最初にあった緊張はほとんど消えていた。
「このあと、庭に行く?」
リビアが尋ねる。
全員が窓の外を見る。
朝より少し雲は増えているものの、雨の気配はない。
「行きたい」
ナナリーがすぐに答え、ミリアナも頷く。
「俺も。食った直後に盤上遊戯より、少し歩きたい」
「イザークは食べすぎただけじゃない?」
「それもある」
堂々と認めるので、また笑いが起こった。
「じゃあ庭へ行こう」
俺は立ち上がった。
そのとき、食器を片づけるため使用人が入ってくる。
一瞬だけ身体がそちらへ向きかけたが、今度は止まることに迷わなかった。
「お願いします」
それだけ伝え、俺は友人たちと一緒に小食堂を出る。
廊下を歩きながら、ディーンが俺の横へ来た。
「クルセス」
「ん?」
「今、手伝おうとした?」
「……分かった?」
「ちょっとだけ。でもやめたな」
「今日は友達として過ごせって、父さんにもアルセス様にも言われてるから」
「そっか」
ディーンはそれ以上何も言わず、少しだけ笑った。
庭へ続く扉が開く。
外へ出ると、柔らかな風が頬を撫でた。
手入れされた木々の葉が揺れ、花壇には季節の花が並んでいる。以前リビアと庭園の本を読んでから、この庭を見る目も少し変わった気がする。通路の曲がり方や、歩いた先で景色が少しずつ変わるように植木が配置されていることへ、前より自然に目が向く。
「こっち」
リビアがみんなを誘う。
俺はその隣を歩いた。
後ろではナナリーとミリアナが花の話をし、ディーンとサザリーは庭の広さについて話している。イザークは訓練に使えそうな場所を探しているのかと思ったが、今日は意外にも普通に景色を眺めていた。
「剣振りたくならない?」
俺が聞くと、イザークは呆れたようにこちらを見る。
「俺を何だと思ってるんだよ」
「剣が好きな友達」
「合ってるけど、庭を見たら全部訓練場所に見えるわけじゃねえよ」
「よかった」
「ただ、あっちの広場は動きやすそうだな」
「見てるじゃん」
「見るだけだ」
イザークが笑う。
少し先で聞いていたリビアも肩を揺らしていた。
庭の奥まで進み、木陰のある場所で一度足を止める。
ナナリーが周囲を見回しながら、感心したように息を吐いた。
「学院で毎日会ってるのに、こういうところで集まると全然違うね」
「分かる」
ミリアナも頷く。
「制服じゃないからかもしれないけど、みんなちょっと違って見える」
「クルセスなんて特にそうじゃない?」
ディーンが俺を見る。
「俺?」
「執事服でも制服でもないし」
「今日は友達として迎える日だから」
「うん。ちゃんとそう見える」
その言葉に、俺は少しだけ目を瞬いた。
ちゃんと友達として見える。
別に執事であることを隠したいわけではない。
それでも今日は、それだけではない自分でこの場所にいる。
「セス」
隣のリビアが小さく呼ぶ。
「楽しんでる?」
俺は庭にいる友人たちを見た。
ディーンがいて、イザークがいて、サザリーがいる。ナナリーとミリアナも楽しそうに話している。
隣にはリビアがいる。
誰かへ茶を運ぶ必要もなく、次の料理を確認する必要もない。
ただ、このあと何をして遊ぼうか考えている。
「うん。すごく楽しい」
「私も」
リビアが笑った。
そのあと、俺たちはしばらく庭を歩いた。
特別な事件は起きなかった。
重要な話し合いもない。
交流演習の作戦を詰めることもなければ、将来について答えを出すこともない。
それでも、友人たちが自分たちの屋敷を歩き、笑い声がいつもと違う庭へ広がっている光景を、俺は何度も見た。
やがてイザークが言う。
「そろそろ盤上遊戯やろうぜ」
「やっぱりそれが目的だったんじゃない?」
ナナリーが笑う。
「違う。昼飯も庭も楽しんだ。そのうえで次は勝負だ」
「今度こそ最下位脱出?」
「最下位脱出どころか一位を狙う」
「目標上がったね」
みんなで笑いながら西側談話室へ戻る。
扉の向こうには、すでにいくつかの盤上遊戯が用意されていた。
俺はその中から一つを選ぼうとして、ふと手を止める。
「どれやる?」
自分で決めず、みんなへ尋ねた。
それだけで六人から違う意見が返ってきた。
簡単なものから始めたいというナナリー。
前回と同じものをやりたいイザーク。
せっかくだから別のものを試したいミリアナ。
どれでもいいと言いながら説明書を確認し始めるサザリー。
前回と同じものなら説明できるというディーン。
そして、俺の隣で楽しそうに盤を眺めているリビア。
誰か一人が正しいわけではない。
今日の予定に正解が一つあるわけでもない。
「じゃあ、最初は簡単なのを一回やって、そのあと前のやつにする?」
俺が提案すると、全員が納得した。
「それで決まり」
リビアが盤を手に取る。
俺も反対側を持った。
二人で卓上へ運ぼうとすると、イザークがすぐに駒の箱を持ち、ミリアナとナナリーが椅子を整える。ディーンは説明書を取り、サザリーは人数に合わせた遊び方を確認していた。
誰かが指示したわけではない。
それぞれが自然に動いただけだった。
俺は盤を置きながら、その様子を眺めた。
(交流演習も、こんなふうにいくとは限らないけど)
課題があり、役割があり、評価もある演習と、友人同士の遊びはまったく同じではない。
それでも、自分一人で全部をやらなくても物事が進むということだけは同じだった。
「セス、座ろう」
リビアに呼ばれ、俺は彼女の隣へ腰を下ろした。
「今度は負けないからな」
イザークが向かいで宣言する。
「まずルール覚えてから言いなよ」
ナナリーが説明書を指差す。
「覚える。覚えたうえで勝つ」
「じゃあ私も勝つ」
「ミリアナまで?」
「遊びなんだから勝ちたいでしょう?」
「それはそうだ」
笑い声が重なる。
窓の外では午後の日差しが庭を照らし、開けた窓から柔らかな風が入ってきていた。
まだ一日は終わっていない。
このあと俺は、一度だけみんなのために茶を淹れるつもりだ。
仕事だからではない。
自分がそうしたいからだ。
それ以外の時間は、みんなと同じ卓を囲んで遊ぶ。
今日はそれでいい。
俺は配られた最初の駒を手に取り、向かいに座る友人たちを見た。
学院とは違う場所で、同じ友人たちと過ごす午後は、まだ始まったばかりだった。




