第83話 最初の役割
第三班の役割が書かれた封筒を受け取ってから二日が経った。
気にならなかったと言えば嘘になる。学院へ向かう馬車の中でも、授業の合間でも、リビアが保管している封筒のことをふと思い出すことはあった。ただ、そのたびに中身を予想して準備を始めるほどではなく、昨日も剣術の授業では普段通りの基礎をこなし、夜は北方旅行記の続きを読んで過ごしている。
そして今日の放課後、ようやく第三班の六人で封筒を開けることになっていた。
「セス、今日は図書館に寄らないよね?」
朝の廊下を並んで歩きながら、リビアが確認してくる。窓から入る朝日は明るく、秋へ近づきつつある涼しい風が開いた窓から廊下へ流れ込んでいた。
「今日は第二演習準備室へ直行するよ。リビアも委員会はないんだろ?」
「うん。今日はないよ。次の試作品ができてから確認することになってるから」
「じゃあ、放課後にそのまま行こうか」
「サザリーも一緒に?」
「教室で聞いてみる。別々でもいいけど、同じ場所に行くなら一緒でもいいだろ」
そう答えると、リビアは「そうだね」と笑った。
以前なら、俺は放課後の予定があるだけで朝からそこへ意識を集中させていたかもしれない。必要な準備はないか、忘れていることはないか、想定できる問題はないかと考え続け、結果としてまだ始まってもいない出来事へ余計な力を使っていただろう。
今日は違う。
顔合わせのときに自分たちの得意分野と不得意分野は共有した。役割については学院側が仮割り当てを行っている。ならば、俺が今やることは封筒の中身を当てることではなく、授業を受けて、放課後になったら第二演習準備室へ行くことだけだった。
教室へ入ると、サザリーはすでに席について本を読んでいた。俺たちに気づいた彼が本を閉じたので、放課後について確認すると、すぐに頷く。
「僕も直接行くつもりだったよ。三人で行く?」
「そのつもり。封筒はリビアが持ってる」
「ちゃんと開けずに?」
サザリーが冗談めかして尋ねると、リビアは鞄へ手を添えながら胸を張った。
「もちろん。封もそのままだよ」
「俺もまだ見てないからな」
「クルセスが見ていたら、それはそれで問題だけどね」
「だから見てないって」
そんな会話をしていると、近くで聞いていたイザークが椅子の背もたれ越しに振り返った。
「いいなあ。第五班は明日なんだよ」
「役割確認が?」
「ああ。封筒はアルフォルド殿下が持ってる。本人が『全員で見るまで開けない』って言ってたから、俺が気になってもどうしようもねえ」
「殿下じゃなくても開けたら駄目だよ」
「分かってるって」
イザークは不満そうな口調のわりに、本気で規則を破るつもりはなさそうだった。
「でも、クルセスが何になるかは気になるな。普通に考えたら術式対応じゃねえの?」
「まだ予想するのか?」
「別に予想するだけならいいだろ。五属性全部使えるやつを術式対応に置かない方が変じゃねえか」
確かに、能力だけを見ればそう考えるのは自然だろう。
けれど学院側は、得意分野だけで役割を決めるわけではないと繰り返し説明している。六人に対して五種類の基本役割しかないため、どこかは重複する可能性もあるし、開始後に役割が変わることもある。
「俺は何でもいいよ。物資管理でも面白そうだし」
「お前、前にもそれ言ってたな」
「実際、嫌いじゃないから」
「五属性持ちが物資箱の数を数えてたら、ちょっと面白いけどな」
イザークが笑う。
俺もつられて笑ったが、不思議と馬鹿にされたとは感じなかった。魔術を使えることと、物資を扱うことのどちらが上という話ではない。演習に必要なら、どちらも役割の一つなのだろう。
やがて教師が入ってきたため会話は終わり、そのまま午前の授業が始まった。
その日の授業では、交流演習について新しい情報は出なかった。午後の剣術でも特別な班別訓練はなく、基本姿勢と間合いを中心にした通常の内容が続く。
俺は指定された組み合わせで相手と木剣を交え、踏み込みが大きくなりすぎないよう注意しながら動いた。以前イザークとの試合で気づいた、自分では一定だと思っていた最初の一歩と二歩目の差も、今では必要以上に意識しなくなっている。癖を消そうとするのではなく、必要なら変えられるものとして扱えばいい。
授業が終わると、身体には心地よい疲労が残った。
俺は水分を取り、呼吸が落ち着いてから着替える。交流演習の顔合わせがあるからといって追加で木剣を振ることもなく、リビアとサザリーが待つ教室へ戻った。
「大丈夫?」
俺が戻ると、リビアが最初に尋ねてくる。
「うん。普通の授業だったし、疲れもいつも通り」
「じゃあ行こうか」
彼女はそれ以上細かく確認しなかった。
俺たち三人は鞄を持って教室を出る。放課後の廊下には同じように班別確認へ向かう生徒が何人もおり、普段より少し賑やかだった。窓の外からは運動場に残る生徒たちの声も聞こえ、まだ学院全体が一日の終わりへ向かう途中にあることが分かる。
第二演習準備室へ着くと、ガレスとエミリアがすでに来ていた。
「お、来たな」
ガレスが片手を上げる。前回より明らかに表情が柔らかく、俺たち三人を見ても緊張した様子はなかった。
「レオル先輩は?」
「まだ。上級学年の授業が少し延びてるらしい。先生から伝言が来てた」
エミリアが答える。
「じゃあ待とうか」
俺たちは前回と同じ長机を囲んだ。リビアは鞄から封筒を取り出したものの、机の中央へ置くだけで封には触れない。
ガレスの視線が露骨に封筒へ向かう。
「二日間ずっと持ってたんだよな、それ」
「うん」
「よく開けなかったな」
「学院の決まりだもの」
「俺が持ってたら、開けないけど毎晩眺めてたかもしれない」
「それ、余計に気になるだけじゃない?」
エミリアに指摘され、ガレスが唸る。
俺たちが笑っていると、廊下から足音が近づいてきた。ほどなく扉が開き、レオル先輩が申し訳なさそうな表情で入ってくる。
「待たせてすまない。授業の確認が長引いた」
「大丈夫です。まだ何も始めてません」
リビアが答えると、レオル先輩は空いていた席へ座った。
これで六人がそろった。
机の中央には、学院の紋章で封をされた封筒が一つある。
「じゃあ、開けようか」
リビアが全員を見回す。
誰からも異論は出なかった。
彼女は封を丁寧に外し、中から折り畳まれた一枚の紙を取り出した。すぐに一人で読むのではなく、机の中央へ広げて全員から見える向きへ整える。
俺も自然に身を乗り出した。
紙の上部には「交流演習・第三班 開始時基本役割」と書かれ、その下に六人の名前が並んでいる。
最初に目へ入ったのは、自分の名前だった。
クルセス・シルフィール――連絡・誘導。
(連絡・誘導……俺が?)
意外ではあった。
けれど、嫌だとは思わなかった。
むしろ、その役割で何を求められるのか興味が湧く。
続いて他の名前を確認する。
オリビア・パウリー――術式対応。
サザリー・レグナード――情報整理。
ガレス・フォルナー――前衛対応。
エミリア・ハース――物資管理。
レオル・ヴァーグナー――連絡・誘導。
連絡・誘導だけが二人だった。
「俺とクルセスが同じか」
レオル先輩が最初に口を開いた。
「六人だからどこかが二人になるとは思っていたけれど、連絡・誘導だったんだね」
「俺、前衛か術式だと思ってた」
ガレスが俺を見ながら率直に言う。
「俺も少し意外だった」
「嫌じゃないのか?」
「全然。むしろ何するのか気になる」
俺が答えると、ガレスは少しだけ目を丸くした。
「お前、本当に何でもいいんだな」
「何でもいいっていうより、やったことのない役割もやってみたいんだよ。連絡・誘導って、剣や魔術の強さだけじゃできなさそうだし」
演習の具体的な課題はまだ知らない。それでも役割名から考えれば、班員同士や指定地点間の情報をつないだり、人を安全に移動させたりする仕事が含まれるのだろう。
俺が普段使う魔力感知や身体能力が役立つ可能性はあるが、それだけで成立する役割ではなさそうだった。
「私は予想通りかな」
リビアが自分の名前を指で示す。
「結界があるから、術式対応になる可能性は高いと思ってた」
「でも、リビア一人なんだな」
「うん。ただ、術式対応って書いてあるからって、魔術を使うのが私だけって意味じゃないと思うよ。セスもガレス君もエミリアさんもレオル先輩も魔術を使えるし」
「役割名を能力の使用許可と混同しない方がよさそうだね」
サザリーが言う。
彼の情報整理は、六人の中ではかなり分かりやすい割り当てだった。本人も驚いていないらしく、紙を見ながら静かに考えている。
「僕の場合、情報整理という名前だけなら得意分野に近い。ただ、実際の演習では何を情報として扱うか分からない。地図かもしれないし、時間や人数、物資、魔術条件かもしれない。だから今の段階では『整理する役』以上の意味を付けない方がいいと思う」
「前衛対応も、敵と戦うとは限らないってことか?」
ガレスが尋ねる。
「そうだと思う。障害物への対応かもしれないし、危険区域の先頭確認かもしれない。そもそも戦闘があるとすら言われてないからね」
「なるほどな」
ガレスは少し残念そうな顔をしたものの、すぐに紙へ視線を戻した。
「でも、前に出る役なら俺には合ってそうだ」
「地図は私たちが一緒に確認しようね」
エミリアが穏やかに付け加える。
「それは助かる」
「私は物資管理かあ……」
今度はエミリアが自分の役割を見ながら呟いた。
「嫌?」
ガレスが尋ねると、彼女は首を横へ振った。
「嫌じゃないよ。ただ、応急手当の経験があるから、そっちに近い何かになるかと思ってたの。でも考えてみたら、物資の中に救護用品が入る可能性もあるよね」
「まだ何が配られるか分からないから、そこも決めつけない方がいいかな」
俺が言うと、エミリアは頷いた。
「そうだね。水とか食料とか、道具かもしれないし」
役割表を開いただけなのに、少し話すだけでいくつもの可能性が出てくる。
そのとき、扉が二度ノックされた。
俺たちが顔を上げると、前回とは別の男性教師が入ってきた。交流演習の運営補助を担当しているらしく、手には数枚の資料を持っている。
「第三班、全員そろっているな」
「はい」
レオル先輩が代表して答える。
「役割表は確認したか?」
「今、確認したところです」
「では基本規則を説明する。前回より少し具体的になるが、課題そのものはまだ公開しない。質問は説明後に受ける」
教師は黒板の前へ移動し、五つの役割名を書いていった。
前衛対応。
術式対応。
情報整理。
物資管理。
連絡・誘導。
「まず、この名称は担当者以外の行動を禁止するものではない。前衛対応でなければ剣を使えない、術式対応でなければ魔術を使えない、という意味ではない」
さっきリビアとサザリーが話していた通りだった。
「開始時には各自この役割を基準として動く。ただし、演習中には役割変更を求められる場合がある。また、班の判断で一時的な補助や引き継ぎを行うことも認められる。ただし、役割を無視して全員が好き勝手に動くのは評価対象上、不利になる可能性がある」
教師は黒板の「役割変更」という文字の下へ線を引く。
「重要なのは、自分の役割だけを見ることではない。誰が何を把握し、誰へ何を伝える必要があるかを考えろ。たとえば情報整理が重要な情報を持っていても、前衛対応へ届かなければ意味がない。物資管理が不足を把握しても、班全体が知らなければ判断を誤る」
そこで俺は、自分の役割名へもう一度目を向けた。
(連絡・誘導って、思ってたより中心に近いのかもしれないな)
目立つという意味ではない。
むしろ逆で、情報を持っている人と必要としている人の間をつなぐ役割なのだろう。
「連絡・誘導は二名配置されている。これは第三班だけではない。六人班では複数配置される役割が班ごとに異なる。二名だから常に一緒に動けという意味でもない。分かれて情報を運ぶ場合もあれば、一人が誘導、一人が連絡を担当する場合もある。状況に応じて判断しろ」
レオル先輩が小さく頷く。
俺も頭の中で、役割を少しだけ具体的に捉え直した。
教師の説明はさらに続いた。
「次に、演習中に条件変更が発生する可能性がある。開始時に有効だった判断が最後まで正しいとは限らない。条件変更が伝えられた場合、古い情報と新しい情報を混同しないこと。確認できていない推測を事実として共有しないこと」
その言葉には、ベルナルト先生との研究で何度も意識してきた考え方と似たものを感じた。
分かっていることと、推測していることを分ける。
ただし、ここで研究の話へ結びつける必要はない。交流演習では交流演習として、その考え方を使えばいいだけだ。
「また、今回の演習は個人の戦闘力を競うものではない。課題達成だけでなく、安全規則、情報共有、判断変更、役割間連携も確認する。高出力魔術や未許可技術を使って課題を強引に突破しても、それが適切な行動でなければ高い評価にはならない」
俺は無意識に背筋を伸ばした。
教師の視線が俺だけへ向いたわけではない。教室全体へ向けた説明だ。
それでも、この規則は俺にとってかなり分かりやすかった。
(できるからやる、じゃない。必要かどうかを見て決める)
それなら、今まで積み重ねてきたことをそのまま使える気がした。
説明が終わると、教師は質問を受け付けた。
最初に手を上げたのはエミリアだった。
「物資管理の物資は、開始前に内容を確認できますか?」
「確認時間は設ける。ただし、開始後に追加や変更が発生する可能性はある」
「分かりました」
次はガレスが尋ねる。
「前衛対応が負傷した場合、役割は自動で交代になりますか?」
「負傷の程度による。演習上の模擬負傷と、実際の体調不良・怪我は区別する。実際の異常があれば演習より安全を優先し、教員へ申告すること。評価を気にして隠すな」
「はい」
俺はその説明を聞きながら、自分の体調についても同じだと理解した。
来月の実技確認でも、異常を申告したこと自体を不利益にしないと説明されている。交流演習でも同じく、安全より評価を優先する理由はない。
サザリーは条件変更の伝達方法について尋ねた。
「条件変更は班全員へ同時に伝えられるのでしょうか。それとも、一部の役割だけへ伝達される可能性がありますか?」
教師は少しだけ口元を上げた。
「それは答えられない」
「なるほど」
「ただし、今の質問を覚えておくことは止めない」
具体的な答えではないが、サザリーは満足したようだった。
レオル先輩は連絡・誘導の二人が離れて行動する場合、連絡手段として自前の魔術を使えるか確認した。
「学院規則の範囲で、普段の授業において使用が認められている技術なら可能。ただし、演習開始時に追加制限が提示された場合はそちらを優先する」
「承知しました」
リビアは結界について尋ねた。
「術式対応として結界を使う場合、班員の移動を制限する可能性があります。開始前に班員へ私の結界の基本的な特徴を共有しても構いませんか?」
「構わない。ただし、今から演習専用の新術式を開発する必要はない。既存技術の共有に留めろ」
「はい」
最後に俺も手を上げた。
「連絡・誘導が二人いる場合、開始前に担当を『連絡役』『誘導役』へ分けておいた方がいいですか?」
「学院側からは指定しない。固定した方がいいと班で判断するならそうしても構わないが、状況によって役割が逆転する可能性は考えておけ」
「分かりました」
説明を終えた教師は、次回までに特別な訓練は不要だと念を押して部屋を出ていった。
扉が閉まると、ガレスが大きく息を吐く。
「思ってたより戦闘だけじゃなさそうだな」
「最初からそう言われてたでしょう?」
エミリアが笑う。
「分かってたけど、前衛って書かれたらちょっと期待するだろ」
「剣を使う場面はあるかもしれないよ。ただ、それだけじゃないってことでしょうね」
リビアが答えると、ガレスは「まあな」と頷いた。
俺は役割表を見ながら、レオル先輩へ視線を向けた。
「先輩、連絡・誘導の二人、今のうちに分けますか?」
「僕は分けない方がいいと思う」
返答は早かったが、レオル先輩はそのまま決定するのではなく、理由を続ける。
「課題が分からない状態で『僕が連絡、君が誘導』と決めると、それ自体が先入観になる。僕は風を使った遠距離合図に多少慣れているから連絡向きに見えるだろうが、場所によっては君の魔力感知や身体能力の方が適しているかもしれない」
「俺もそう思います。じゃあ、今は二人とも両方を意識する?」
「それがよさそうだ。ただし、他の四人はどう思う?」
レオル先輩が全員へ尋ねた。
俺は少し嬉しくなった。
上級生で経験もある彼が、俺との話だけで決定せず、自然に班全体へ確認している。顔合わせで「学年を理由に班長になるつもりはない」と言っていたのは、ただの遠慮ではなかったらしい。
「賛成」
サザリーが答える。
「情報整理から連絡・誘導へ渡す内容も、誰か一人に固定しない方がいいと思う。状況によって近い方へ渡せた方が速いから」
「私もその方がいいです」
エミリアも続き、ガレスとリビアも異論はなかった。
「じゃあ、最初は固定しない」
俺が確認すると、レオル先輩が頷いた。
「そうしよう」
次に話したのは、それぞれの役割で今のうちに共有しておくべきことだった。
リビアは自分の結界について、攻撃を防ぐ壁のような使い方だけでなく、一定範囲を囲ったり、一方向からの干渉を防いだりする調整が可能だと説明した。ただし、範囲、強度、維持時間を同時に最大へできるわけではなく、状況によって配分が変わる。
「だから、『結界があるから全部防げる』とは考えないでほしいの。広くすれば強度や維持に影響するし、強くすればその分だけ魔力も使うから」
「壊れそうになったら分かる?」
ガレスが尋ねる。
「ある程度は分かるよ。でも、急に強い負荷が来たら余裕がないこともある。そのときは声をかけるから、結界の内側にいるから安全だって決めつけないで」
「分かった」
エミリアは物資を受け取った際、最初に種類と数を全員へ共有したいと提案した。
「私だけが数を知ってる状態にしたくないんです。途中で離れる可能性もあるし、もし私が役割変更になったら引き継げなくなるので」
「それ、いいと思う」
俺が言う。
「全部覚える必要はなくても、何があるかくらいはみんな知ってた方がよさそう」
「うん。細かい残数は私が管理して、重要な増減があったら共有する形かな」
サザリーは情報整理について、事実と推測を分けて記録する方法を提案した。
「たとえば『東側通路が使えない』と実際に確認した場合と、『東側は危険そうだから使えないかもしれない』では意味が違う。口頭だけだと混ざる可能性があるから、僕が記録できる状況なら分けておくよ」
「それ、連絡するときも分けた方がいいな」
俺が言うと、レオル先輩も頷いた。
「『確認済み』と『推測』を言葉の最初に付けてもいいかもしれない。急いでいるときほど、そこが混ざると危険だ」
「じゃあ、それは覚えておこう」
サザリーが手元の紙へ書き込む。
ガレスは前衛対応として、何をするか分からない以上、勝手に先行しないことだけは決めておきたいと言った。
「俺、前に出るのは好きだけど、連絡聞かずに走っていったら前衛じゃなくて迷子だからな」
「地図が苦手って言ってたもんね」
「エミリア、それ毎回言うつもりか?」
「ガレスが一人で行こうとするたびに言うかも」
軽いやり取りに笑いが起こる。
けれど、ガレスが自分から「勝手に先行しない」と言ったことは大きいと思った。俺たちはまだ一度しかまともに話していないが、少なくとも彼は剣が得意だから自分が先頭で全部解決すると考える人ではない。
「クルセスは?」
サザリーに尋ねられ、俺は少し考える。
「連絡するとき、自分で判断して内容を変えないようにしたい」
「内容を変えない?」
「たとえばサザリーから『確認済みで東側は通れない』って言われたのに、俺が途中で『たぶん北も危ない』って思ったとして、それを一緒にして『東と北が通れない』って伝えたら駄目だろ?」
「そうだね」
「自分の判断を足すなら、誰から受け取った情報か、自分が追加で考えたことかを分ける。急いでるときにそこまで長く話せるかは分からないけど、少なくとも混ぜないようにはしたい」
口にしながら、ベルナルト先生との研究で何度も確認してきたことが自然と頭へ浮かんだ。
記録に同じ言葉があるからといって同じ物とは限らない。
似た構造があるからといって同じ機能とは限らない。
事実と推測を混ぜない。
研究で覚えた考え方が、別の場所でも役に立つのかもしれない。
「それなら僕も助かるよ」
サザリーが言う。
「情報整理側で区別しても、伝える途中で混ざったら意味がないから」
「じゃあ、俺とレオル先輩でそこは気をつける」
「分かった」
六人で話しているうちに、役割表を開いた直後より、それぞれの仕事が少しだけ形を持ち始めた。
それでも、具体的な動きを決めるところまでは進めない。
課題が分からないからだ。
「そろそろ今日はここまででいいんじゃないかな」
レオル先輩が窓の外を見ながら言った。
夕方の光はすでに低く、準備室の床に長い影を落としている。
「役割は確認した。基本規則も聞いた。開始前に共有しておきたいこともある程度話せた。これ以上は課題を想像して作戦を作ることになる」
「俺も賛成です」
俺はすぐに答えた。
もっと話そうと思えば話せる。
連絡手段を細かく決めたり、リビアの結界の種類を全部聞いたり、ガレスの剣術の型を確認したり、エミリアが扱える物資量を想定したりすることもできる。
けれど、それは今必要なことではない。
「じゃあ、次の学院からの連絡まで特別なことはしない?」
エミリアが確認する。
「普段の授業は普通にやる。それだけでいいと思う」
サザリーが答え、全員が同意した。
役割表は次回も使うため、今回はレオル先輩が保管することになった。上級生だからではなく、次の確認日に最も早く準備室へ来られる予定だからという単純な理由だった。
部屋を片づけて廊下へ出る。
前回と違い、今日は六人とも最初から同じ方向へ少し歩いた。階段へ着いたところでエミリアとガレスが別れ、さらに一階でレオル先輩とも帰路が分かれる。
「クルセス」
別れる直前、ガレスが俺を呼んだ。
「何?」
「連絡・誘導、意外だったけど似合うかもしれないな」
「まだ何もしてないぞ?」
「だから『かもしれない』だよ。お前、俺らの話聞くの結構うまいし」
そう言ってガレスは笑い、エミリアと一緒に別の廊下へ歩いていった。
俺は少しだけその場に残ってしまった。
「セス?」
リビアに呼ばれ、歩き出す。
「いや、似合うって言われると思わなかったから」
「私はちょっと分かるよ」
「リビアも?」
「うん。セスって、自分が何かする方が目立つけど、人が困ってることに気づくのも早いでしょう? それを全部自分で解決しようとしないなら、人と人の間をつなぐのは合ってると思う」
「最後の条件が重要だな」
「とっても重要」
リビアが真面目な顔で頷いたため、サザリーが横で笑った。
「でも、僕も同意するよ。連絡・誘導なら、クルセスが自分で動く力と、他人へ任せる力の両方が必要になる。今回の演習では面白い役割だと思う」
「先生たち、そこまで考えて割り振ったのかな」
「さあ。そこは分からない」
サザリーはすぐに首を横へ振った。
「得意分野だけでは決めないと言っていたけれど、個人の成長課題まで狙っているとは説明されていない。だから『学院がクルセスを成長させるためにこの役割へした』と考えるのは推測だね」
「……そうだな」
俺は思わず笑った。
「今の、情報整理っぽい」
「もう役割が始まっているのかもしれないね」
「それも推測でしょう?」
リビアが突っ込むと、サザリーが珍しく言葉に詰まり、三人で笑いながら玄関へ向かった。
◇
その日の帰りの馬車で、リビアは俺の隣へ座っていた。
窓の外では夕暮れの王都がゆっくり流れ、仕事帰りらしい人々や買い物を終えた住民が通りを行き交っている。商店の軒先では夜に向けた灯りが少しずつ点き始めていた。
「術式対応、どう?」
俺が尋ねる。
「楽しみだよ。でも、ちょっと緊張もするかな」
「リビアでも?」
「するよ。結界が得意だからって、演習で必要な結界を全部うまく作れるとは限らないもの。それに、私が術式対応だからこそ、セスが術式の方へ入ってきたくなる場面もあると思う」
「……ありそう」
俺は素直に認めた。
リビアが困っていて、自分なら魔術で対応できると思えば、助けに入りたくなるだろう。それ自体が悪いとは思わない。役割を越えた補助は禁止されていないし、必要なら助けるべき場面もある。
問題は、それが本当に必要かどうかだ。
「そのときは、俺の役割を捨ててまで行く必要があるか考えるよ」
「うん。私も、セスが来てくれたら助かるのか、それとも自分でできるのかをちゃんと言う」
「それなら大丈夫そうだな」
「たぶんね。でも、実際にやってみないと分からないよ」
「うん」
その「分からない」が嫌ではなかった。
俺は座席の上で手を少し動かし、リビアの手へ触れる。彼女も自然に指を重ねた。
「そういえば、友達を家に呼ぶ日はどうする?」
「学院の予定、今日も追加されなかったね」
「じゃあ、明日くらいには第二候補で決めてもいいのかな」
「グレイヴに聞いてみようか。みんなもそっちの方が都合いいって言ってたし」
「うん」
交流演習の役割が決まった直後なのに、次に話しているのは友人を屋敷へ招く日のことだった。
それが少しおかしくて、俺は笑った。
「どうしたの?」
「いや、俺たち、演習の話ばっかりになるかと思ってた」
「役割が決まったからって、一日中それだけ考える必要ないでしょう?」
「そうだな」
屋敷へ戻ると、俺たちは玄関でグレイヴへ今日の予定が終わったことを伝えた。
「交流演習の開始時役割が決まったよ」
「そうですか」
「俺は連絡・誘導。リビアは術式対応」
グレイヴの眉がほんのわずかに動いた。
「セスが連絡・誘導ですか」
「意外?」
「少々。ただし、不向きだとは思いません」
「ガレスにも似たようなこと言われた」
「ガレス様というのは、第三班の剣術を得意とされる方でしたね」
「うん」
顔合わせの話をしたときに伝えていたため、グレイヴも名前を覚えていた。
「連絡・誘導であれば、情報を正確に扱うことに加えて、相手が必要としていることを判断する場面もあるでしょう。執事として学んできたことの一部も、形を変えて役立つかもしれません」
「執事の経験が?」
「たとえば、旦那様からの指示を別の使用人へ伝える際、自分の解釈で内容を変えてはいけません。一方で、相手が理解できる形へ整えて伝える必要はあります。まったく同じとは申しませんが、似た部分はございます」
「ああ……」
確かにそうだ。
言われた言葉を一字一句そのまま繰り返すことだけが正確な伝達ではない。誰に何を伝えるのかを理解し、意味を変えない範囲で必要な形へ整えることもある。
「ただし、演習は学院の教育です。執事業務と同じだと思い込まず、先生方の説明を優先してください」
「分かってる」
「それで結構です」
グレイヴはそれ以上口を出さなかった。
「それと父さん。友達を呼ぶ日のことだけど、今日も学院から日程の追加はなかった。みんな二つ目の候補日の方が都合がいいみたい」
「承知しました。明日まで学院側から予定変更がなければ、旦那様と最終確認をいたしましょう」
「ありがとう」
これで友人を招く予定も、もう少しで正式に決まりそうだった。
その夜、夕食後に俺は自室で北方旅行記を開いた。
けれど数ページ読んだところで、机の端に置いた小さな紙へ目が向く。役割表そのものはレオル先輩が保管しているため手元にはないが、忘れないよう自分の役割名だけを書いておいたものだ。
『連絡・誘導』
その文字を見つめる。
(剣でも魔術でもないんだな)
だからといって、がっかりはしていない。
むしろ少し楽しみだった。
五属性を使えることは俺の一部だし、剣を振るうことも好きだ。それでも、それ以外のことを任されたときに自分が何をできるのかは、まだよく知らない。
今までの俺なら、得意なことを使って役に立とうとした。
今回は、与えられた役割の中で必要なことを見つける。
似ているようで、少し違う。
俺は役割名を書いた紙を畳み、引き出しへ入れた。
予習のためではなく、ただ覚えておくための一枚だ。
そのあと旅行記へ戻ると、雪の街道を進む旅人たちが宿場で道の状態を共有する場面が続いていた。昨日も読んだ情報交換の習慣について、今日は実際の旅人同士の会話が紹介されている。
先に通った者が雪崩の危険を伝え、これから向かう者が迂回路を選ぶ。
たった一つの情報で、誰かの進む道が変わることがある。
(連絡って、ちゃんと届かなかったら意味がないんだよな)
そんなことを考えたところで、俺は小さく笑った。
「……結局、演習のこと考えてるな」
誰もいない部屋で呟きながらも、本を閉じることはしなかった。
考えること自体を止める必要はない。
特別な訓練を始めたり、まだ分からない課題の作戦を作ったりしなければ、日常の中で気づいたことまで追い払う必要もないだろう。
しばらく読み進めていると、扉が控えめに叩かれた。
「セス、まだ起きてる?」
リビアの声だった。
「起きてるよ」
返事をすると扉が開き、寝間着へ着替える前らしいリビアが顔を覗かせた。手には昨日と同じ北方旅行記とは別の薄い本を持っている。
「少しだけ一緒に読んでもいい?」
「もちろん」
俺が椅子をずらすと、リビアは隣へもう一脚持ってきた。
「何読んでたの?」
「昨日の続き。雪の街道で情報交換する話」
「面白い?」
「うん。ちょうど連絡・誘導のことを考えてた」
「やっぱり考えてたんだ」
「少しだけ」
リビアが笑う。
「私も結界の本を持ってこようか迷ったけど、やめたの」
「どうして?」
「演習のために新しいことを始めなくていいって言われたから。それに今夜は、こっちを読みたかったし」
彼女が見せてくれたのは、王都の庭園についての本だった。
以前図書館から借りていたものとは別の本らしい。貴族邸の大庭園ではなく、市民にも開放される小規模な庭園や広場が多く紹介されている。
「じゃあ今日は別々に読む?」
「うん。でも隣で」
「分かった」
二人で同じ机を使い、それぞれ別の本を開く。
ページをめくる音が時々重なるだけで、しばらく会話はなかった。
それでも静かすぎるとは思わない。
俺は雪の街道を読み、リビアは庭園の本を読む。肩がときどき触れ、どちらかがページをめくるたびに紙の擦れる音がする。
少しして、リビアが俺の肩へ軽く寄りかかった。
「セス」
「ん?」
「連絡・誘導、楽しみ?」
「うん。まだ何するか分からないけど、楽しみだよ」
「よかった」
「リビアは?」
「私も。術式対応だからって結界だけ使うことにはならないと思うし、みんなとどう動くのか楽しみ」
「同じ班でよかったな」
「うん。でも、同じ班じゃなくてもきっと楽しかったと思う」
「俺もそう思う」
そう答えてから、俺はリビアの方を見る。
彼女もこちらを見ていた。
同じ班だから安心するのではなく、同じ班になったから一緒にやれることが楽しみだと思える。それは似ているようで、たぶん違う。
俺たちは少しだけ笑い合い、それぞれの本へ視線を戻した。
交流演習で俺に与えられた最初の役割は、連絡・誘導。
それが最後まで続くかは分からない。
何を伝え、誰をどこへ導くのかもまだ知らない。
それでも、分からないままでも始められる準備はできていた。
全部を知ってから動くのではなく、必要な情報が来たら受け取り、そのとき一緒にいる人たちと考える。
第三班には俺一人ではなく、六人いる。
今は、それだけ分かっていれば十分だった。




