第76話 次に試されるもの
ディーンの家で過ごした休日が終わり、次の日の朝。
目を覚ました俺が最初に思い出したのは、古い魔導具の資料でも実技確認でもなく、昨日の盤上遊戯だった。
イザークが雨対策に資材を使いすぎて、肝心の道を伸ばせなくなった時の顔を思い出す。本人は最後まで納得していなかったが、二回目の勝負が終わった頃にはディーンへ「次まで置いとけよ」と言っていたから、かなり気に入ったらしい。
(俺もまたやりたいな)
寝台から身体を起こしながら自然にそう思えたことが、少しだけ嬉しかった。
昨日の出来事から何かを学ばなければならないわけではない。友達の家へ行って、遊んで、楽しかったからもう一度やりたい。ただそれだけで次を楽しみにしていい。
身体の状態にも気になるところはなかった。
腕や脚に疲労は残っておらず、魔力を意識しても違和感はない。昨日は剣も魔術も使っていないのだから当然と言えば当然だが、俺はいつもの確認を済ませると、余計な運動を追加せずに身支度を整えた。
朝食室へ向かう途中、廊下の窓から見える庭には薄い朝霧が残っていた。季節が進んだせいか朝の空気は以前より冷たく、窓越しでも冬が近づいているのが分かる。
朝食室へ入ると、リビアはすでに席についていた。
「おはよう、セス」
「おはよう」
昨日とは違って制服姿だ。
それだけなのに、昨日の水色のドレスを思い出した俺は、彼女の向かいではなく普段どおり近くの席へ座りながら少しだけ笑ってしまった。
「何?」
「昨日と全然違うなと思って」
「服?」
「うん。昨日のも似合ってたけど、制服見ると学園に戻った感じがする」
「セスもだよ。昨日はちゃんと友達の家へ遊びに行く服だったのに、今日はいつもの学園のセス」
「それはそうでしょ」
「でも、どっちも好き」
何でもないように言われ、パンへ伸ばしかけた手がわずかに止まる。
リビアは自分で言ってから少し恥ずかしくなったらしく、視線を飲み物へ落としていた。
(こういうの、不意打ちだよな)
昨日の夜にはキスまでしているのに、それとは別に、こういう一言で胸が温かくなる。
「俺も、昨日のリビアも今日のリビアも好きだよ」
返すと、今度は彼女の手が止まった。
「……朝から言い返さなくてもいいのに」
「リビアが先に言ったんだけど」
「そうだけど」
頬を少し赤くしたまま朝食へ戻るリビアを見て、俺もパンを手に取った。
昨日とは違う一日が始まる。
今日は学園だ。
◇
教室へ入ると、先に来ていたイザークが俺を見るなり手を上げた。
「クルセス」
「おはよう」
「次は勝つからな」
挨拶の直後に何を言われたのか、一瞬分からなかった。
けれど、机の近くで笑っているディーンを見てすぐ理解する。
「盤上遊戯?」
「それ以外に何がある」
「剣かと思った」
「剣でも勝つ」
「どっちなんだよ」
俺が笑うと、ディーンが横から口を挟んだ。
「昨日帰ってからも悔しがってたんじゃないのか?」
「別に悔しがってない。次は最初から食料と資材の配分を考えるだけだ」
「それを悔しがってるって言うんじゃない?」
少し離れた席からミリアナが呆れた声を投げてくる。
ナナリーもその隣で笑っていた。
「私たちも次は行ってみたいな」
「まだ次が決まったわけじゃないぞ」
ディーンが答える。
「今度はクルセスのところって話が出ただけで、確認してからだし」
「そうなの?」
ナナリーが俺を見る。
「うん。俺は来てほしいけど、屋敷を使う話だから俺だけでは決めてない。旦那様たちに確認してもらってるところ」
「公爵邸で遊ぶって考えると、急にすごい話に聞こえるね」
ミリアナの言葉に、ディーンが深く頷いた。
「分かる。昨日はうちに公爵令嬢が来るって母上が緊張してたけど、次は俺が公爵邸に行く側になるかもしれないんだよな」
「普通に来ればいいのに」
リビアが言う。
「オリビア様が言う普通と、俺たちの普通が同じかどうかが問題なんです」
「昨日だって普通に遊んだでしょう?」
「それはそうですけど」
ディーンはまだ何か言いたそうだったが、そこで教室前方の扉が開いた。
入ってきた教師の姿を見て、散らばっていた生徒たちがそれぞれの席へ戻っていく。
俺もリビアと短く視線を合わせ、自分の席へ向かった。
昨日の続きは、それだけだった。
◇
午前の授業が二つ終わり、三つ目の授業が始まる前だった。
普段なら次の教科書を準備する時間だが、その日は担任教師が数枚の紙を持って教室へ入ってきた。
「授業を始める前に、来月予定されている学年交流演習について説明する」
教室の空気が少し変わった。
俺も手元の教科書から顔を上げる。
交流演習については以前から予定だけ聞いていた。
同じ学年の生徒たちが普段とは違う組み合わせで課題へ取り組むらしいが、班分けも具体的な内容もまだ決まっていなかったはずだ。
「本日伝えるのは実施形式の概要までだ。班分けと各班の担当課題については後日発表するため、今ここで誰と組むのかを教師へ尋ねても答えられない」
先に釘を刺されたせいか、何人かの生徒が上げかけていた手を下ろした。
担任教師はそれを確認し、黒板へ大きく文字を書く。
『学年交流演習』
その下へ、さらに三つの項目が並んだ。
『複数人班』
『状況変化あり』
『評価対象――判断・共有・対応』
「今回の演習は、個人の戦闘能力だけを競うものではない。与えられた状況に対し、班内で情報を共有し、それぞれの役割を判断しながら課題へ対応することが主な目的となる」
教室のあちこちから小さな声が上がった。
俺は黒板を見る。
(状況変化あり、か)
以前聞いていた可能性の一つと近い。
ただし、今初めて教師から正式に説明されたのは、変化する条件へ班で対応するというところまでだ。
「先生」
一人の男子生徒が手を上げる。
「戦闘はあるんですか?」
「課題によっては模擬戦闘に近い要素が含まれる可能性はある。ただし、対人戦の勝敗を主目的とはしない。魔術、剣術、判断、連絡、移動、物資管理など、複数の能力を必要とする形式を予定している」
別の生徒が手を上げた。
「班は成績順ですか?」
「違う。詳細な基準は公表しないが、普段あまり同じ組み合わせにならない生徒同士が協力することも目的の一つだ」
その答えに、今度は教室全体が少しざわついた。
仲のいい相手と組めるとは限らない。
剣術が得意な者だけ、魔術が得意な者だけを集めるわけでもないらしい。
担任教師は生徒たちが落ち着くのを待ってから説明を続けた。
「もう一つ重要な点を伝える。開始時に与えられた条件が、最後まで維持されるとは限らない」
俺は黒板へ向けていた視線を教師へ移した。
「例えば、最初に使用可能とされた経路が途中で使用不能になる。利用出来る物資が変わる。班員の一部が別の役割を求められる。新しい情報が追加される。そういった変更が発生する可能性がある」
昨日の盤上遊戯が頭に浮かんだ。
雨が降って道が使えなくなった時、俺は市場を諦めて別の経路を作った。
もちろん、あれは遊びだ。
今度の演習とは違う。
それでも、最初の計画だけで最後まで進めるものではないという点は似ている。
「条件が変わった際、それまでの計画へ固執することが常に正しいわけではない。一方で、変更があったからといって、それまで積み上げたものをすべて捨てることも適切とは限らない。何を残し、何を変え、誰がそれを判断するのか。その過程も評価対象になる」
俺はその説明を聞きながら、少しだけ姿勢を正した。
(面白そうだな)
最初に浮かんだのは、不安ではなかった。
どんな課題なのか見てみたい。
誰と組むのかも分からない。
自分が剣を担当するのか、魔術を使うのか、それとも別の役割になるのかさえ分からない。
分からないことが多いからこそ、少し楽しみだった。
◇
「なお、来月には学年全体の実技確認も予定されているが、交流演習とは別の行事だ。実技確認の結果で交流演習の班や役割が機械的に決定されるわけではないため、混同しないように」
教師の説明に、俺は心の中で整理する。
実技確認は、剣術や魔術、学科など、現在どこまで出来るかを確かめるもの。
交流演習は、複数人で状況へ対応するもの。
目的が違う。
俺については実技確認の魔術部分に通常とは異なる安全手順が用意されているが、それがそのまま交流演習へ持ち込まれるわけでもない。
「交流演習で使用する魔術には、当然ながら学園の安全基準が適用される。個人の判断で未承認の術式や高出力魔術を持ち込むことは禁止する。また、自分の能力を示すために必要以上の負荷をかける行為も評価にはつながらない」
そこで何故か、少し離れた席のカイゼルが俺を見た。
目が合う。
銀髪の王子は何も言わず、わずかに口元を上げた。
(何で俺を見るんだ)
以前なら心当たりがなかったかもしれない。
今はある。
休むべきところで動こうとしたことも、自分で出来るなら自分がやった方が早いと考えていたこともある。
でも、最近は教師から同じ注意を何度もされることは減った。
俺はカイゼルへ「分かってる」という意味で小さく眉を上げて返した。
それを見た彼は、満足そうに前を向いた。
◇
説明が終わった後、通常授業が始まった。
だからといって教室の興味がすぐ交流演習から離れるわけではない。
授業中に話す生徒はいなかったものの、休み時間になるとあちこちで班分けの予想が始まった。
「俺とクルセスは分けられそうだな」
イザークが言う。
「何で?」
「剣使えるやつ二人を同じ班にするより、分けた方がよくないか?」
「でも班分けの基準は分からないって先生言ってたよ」
「予想くらいいいだろ」
「それはそうだけど」
サザリーもこちらへ来る。
「むしろ、普段一緒にならない者を組ませると言っていたから、僕たちは全員分かれる可能性もあるね」
「サザリーとも?」
「十分あると思うよ。君とはすでに共同課題を経験しているからね」
以前サザリーと取り組んだ領地課題を思い出す。
俺たちは考え方が近いところがある一方で、二人とも早い段階で同じ案へ納得しすぎることがあると分かっている。
もし再び組むならそこへ注意する必要があるが、今回の目的を考えれば別の相手と組む方が自然かもしれない。
「誰とでもやってみたいかな」
俺が言うと、イザークが少し意外そうな顔をした。
「オリビアと別でも?」
「別でもいいよ」
即答すると、今度は近くにいたディーンまでこちらを見る。
「そこ即答するんだ」
「だって授業でしょ?」
「まあ、そうだけど」
俺はリビアの方を見る。
彼女はナナリーたちと話していたが、こちらの会話が聞こえたらしく視線が合った。
「私も別でも大丈夫だよ」
リビアがこちらへ来ながら答える。
「セスが誰とどういうふうに課題やるのか、後で聞くのも面白そう」
「俺もリビアの話聞きたい」
「同じ班になったら?」
「それはそれで一緒にやる」
「うん」
それだけで話はまとまった。
以前の俺なら、リビアと同じ班なら彼女を守ることを最初に考えていたかもしれない。
別の班なら、彼女の方が気になったかもしれない。
今も危険があれば心配するし、同じ班なら守るべき場面では動く。
けれど、リビアは俺に守られるだけの人ではない。
剣も魔術も学問も出来る。
結界に関しては俺より詳しい。
委員会でも、自分で考えて他の生徒と協力している。
(リビアならリビアの班で普通にやるよな)
そう思える。
彼女を信じることと、大切に思うことは反対ではない。
◇
昼休みになると、いつもの顔ぶれが食堂へ集まった。
当然、話題は交流演習になる。
「俺は戦闘役がいい」
席へ着いて間もなくイザークが言った。
ミリアナがパンをちぎりながら呆れた顔をする。
「先生の説明、聞いてた?」
「聞いてた。戦闘だけじゃないんだろ。でも戦闘がある班ならそっちがいい」
「希望を取るとは言ってなかったよ」
ナナリーが笑う。
「じゃあ当たったら頑張る」
「そこは素直なんだ」
ディーンは少し考え込んでいた。
「俺、何が出来るんだろうな」
「何って?」
俺が聞く。
「剣ならイザークやクルセスの方が上だろ。魔術だって俺より得意なやつはいくらでもいる。サザリーみたいに頭が切れるわけでもないし」
昨日の盤上遊戯を思い出す。
「でもディーン、昨日ずっと安定してたよね」
「何が?」
「領地。大きく稼いでなかったけど、食料なくならなかったし、道も止まらなかった」
「あれ遊びだぞ?」
「遊びだけど、何か起きても困らないようにしてたのはディーンでしょ」
サザリーが頷いた。
「僕もそう思う。交流演習が何を求めるかはまだ分からないけれど、目立つ能力だけが役割ではないはずだよ」
ディーンは少し困ったように笑う。
「昨日の遊びで評価されるとは思わなかった」
「評価してるわけじゃないよ」
俺はスープを一口飲んでから続ける。
「俺がそう思っただけ」
「それなら……まあ、ありがとう」
ディーンの表情が少し柔らかくなった。
その横でイザークが腕を組む。
「じゃあ俺は?」
「勢いがある」
「それ褒めてるか?」
「決断は速かったよ」
サザリーが助けるように言った。
「間違った方向にも速かったけど」
「やっぱり褒めてないだろ!」
食卓に笑いが広がった。
周囲の生徒たちも交流演習の話をしているらしく、食堂は普段より少し騒がしい。誰と組むか、何をするのか、魔術を使うのか、屋外なのかといった予想があちこちから聞こえてくる。
まだ何も決まっていないからこそ、好きに予想出来る。
俺もそれを楽しいと思った。
◇
午後は通常の魔術授業だった。
今日扱うのは、指定された量の魔力を一定時間維持し、合図で止める基礎訓練。
俺だけの特別な訓練ではなく、全員が同じ内容を行う。
第二魔術訓練場へ移動すると、冷たい風が頬を撫でた。屋外部分と屋根付き部分を持つ訓練場には複数の教師が配置され、生徒たちは決められた間隔を空けて並ぶ。
エレナ先生が前方へ立った。
「今日の目的は出力量そのものではありません。指定された範囲を維持し、合図で確実に止めることを確認します。高く出せる者も、低い出力しか扱えない者も、指定範囲から外れれば同じく修正対象です」
説明を聞きながら、俺は自分の位置を確認する。
今日は属性変換を繰り返す訓練ではない。
指定された一属性を使うだけだ。
俺に割り当てられたのは土だった。
以前、低出力へ戻した際に土の形成物がわずかに高さを残したことがあるが、今日は出力を上下させる試験ではない。一定範囲を維持し、止めるだけなので、その現象を再現しようとする理由もない。
(今日は今日の課題だけ)
合図が出る。
俺は土属性へ変換した魔力を指定された術式へ流し、目の前の区画へ小さな土柱を作った。
高さを一定に保つ。
大きくする必要はない。
周囲では火の小球、水の塊、風の流れ、土の形成物がそれぞれ維持されている。教師たちが列の間を歩き、出力の揺れや姿勢を確認していた。
「維持」
エレナ先生の声が通る。
俺は余計な調整を加えず、そのまま保った。
少し離れた場所では、一人の生徒の水球が徐々に大きくなっている。担当教師が声をかけると、その生徒は慌てて出力を落とした。
「他人を見て自分の出力を変えないでください。自分へ指定された範囲を維持すること」
エレナ先生の言葉に、何人かが前へ視線を戻す。
俺も土柱だけを見る。
やがて停止の合図が出た。
魔力供給を切る。
土柱の形成が止まり、術式が解除される。
「クルセス」
「はい」
呼ばれたためエレナ先生を見る。
「停止後の違和感は?」
「ありません」
「魔力状態は?」
「問題ないです」
「では終了です。追加はありません」
「はい」
それだけだった。
以前の低出力確認について何か言われることもない。
俺も尋ねなかった。
今日の授業は今日の授業だ。
◇
訓練終了後、道具を片づけていると、近くにいたカイゼルが寄ってきた。
「本当に追加を求めなくなったな」
「何が?」
「今のだ。エレナ先生に『もう一回やっていいですか』くらい言うかと思った」
「言わないよ。終わりって言われたし」
「昔のお前なら?」
少し考える。
「気になることがあったら聞いてたかも」
「だろう?」
「でも今は、気になることがあっても今日やる必要があるかは別だって分かってる」
カイゼルは一瞬だけ黙り、その後で楽しそうに笑った。
「お前、変わったな」
「そんなに?」
「かなり。ただし、面白くなくなったわけではない」
「何で面白さが基準なの?」
「俺にとって重要だからだ」
相変わらずだ。
そこへアルフォルドも歩いてくる。
「交流演習の班分けが気になるのか?」
カイゼルが聞く。
「気にはなる。ただ、王族だからといって特別な班へ入れられることはないと聞いている」
「俺も?」
「お前もだろう」
「それは楽しみだ」
カイゼルは本当に楽しそうだった。
俺は二人を見る。
「アルフォルドも、普段組まない人と組みたい?」
「そうだな。立場上、私に意見を言いにくい者と同じ班になる可能性もある。その場合、私自身がどう振る舞うべきかを見る機会にもなるだろう」
第一王子らしい答えだと思う。
ただ、アルフォルド自身はそれを堅苦しく語っているわけではない。
「クルセスと同じ班なら、それはそれで面白そうだが」
「剣の勝負にはならないよ?」
「分かっている」
「でも絶対途中で競うだろ、お前たち」
カイゼルが笑う。
「荷物を運ぶ速さとかで」
「競わないよ」
「本当か?」
「……課題による」
「ほらな」
否定しきれなかった。
◇
放課後、俺はリビアと一緒に校舎を出た。
今日は二人とも委員会や研究の予定がないため、そのまま帰る。
夕方の空は薄い雲に覆われており、朝より風が強くなっていた。校門へ向かう生徒たちの多くが交流演習について話していて、俺たちの前を歩く二人組からも班分けを予想する声が聞こえてくる。
「みんな楽しみなんだね」
リビアが言う。
「リビアも?」
「楽しみ。でも、ちょっと緊張もするかな」
「班が分からないから?」
「それもあるけど、条件が途中で変わるってところ。委員会で予定を作る時とは違って、わざと困る状況を出されるんでしょう?」
「たぶん」
「セスは楽しそう」
「分かる?」
「説明聞いてる時、顔に出てたよ」
「そんなに顔に出るかな」
「研究の時ほどじゃないけど」
そこまで違いが分かるらしい。
「面白そうだと思ったよ。最初に決めた方法で駄目なら、その時ある情報で考え直すんでしょ?」
「セス、そういうの好きだよね」
「好きなのかな」
「好きだと思う。領地の課題でもそうだったし、昨日の盤上遊戯でも楽しそうだった」
俺は歩きながら考える。
決められた正解を覚えることも嫌いではない。
学科の勉強だって好きだ。
でも、状況を見て考える方が確かに楽しい。
「リビアは何が得意そう?」
「まだ課題が分からないから何とも言えないよ」
「結界使える場面なら強そう」
「使っていいならね。でも、使えるからって私が結界だけ担当するとも限らないでしょう?」
「そうだね」
「剣を使うかもしれないし、連絡役かもしれない。物資管理だったらセスの方が得意そうだけど」
「サザリーも強そう」
「ディーン君もね」
昨日の盤上遊戯を思い出し、二人で笑った。
◇
「セス」
「ん?」
「さっき、イザーク君に私と別の班でもいいって即答したでしょう?」
「うん」
「嬉しかった」
意外な言葉に、俺は隣を見る。
リビアは前を向いたまま歩いている。
「寂しくないって意味じゃないよ。同じ班なら嬉しいし、一緒にやりたいとも思う」
「うん」
「でも、別でも大丈夫ってセスが普通に思ってくれたことが嬉しかったの」
以前、リビアが一人で委員会へ行き、俺が別の予定を過ごすことが増えた頃にも似た話をした。
ずっと一緒にいるから安心するのではなく、離れていてもまた会えるから安心出来る。
今は、それが学園の中でも普通になってきている。
「俺も、リビアなら大丈夫だと思ってる」
「危ない課題でも?」
「危険なら心配はするよ。でも学園の演習だし、先生もいる。それに、リビアは強いから」
「セスほどじゃないよ」
「俺と比べなくていいでしょ」
「それ、セスが言う?」
「何で?」
「前は自分を基準にして、他の人が危ないかどうか考えることあったから」
「……あったかも」
否定出来ない。
自分なら耐えられる。
自分なら出来る。
だから自分がやる。
逆に、相手が自分と同じように出来ないなら守る。
そんな考え方をしていたことはある。
でも、それでは相手が何を出来るのかを見ていない。
「リビアが何出来るかは知ってるつもり」
「うん」
「だから、別の班になっても後で話聞くの楽しみにしてる」
「私も。セスが知らない子と組んだら、その子から見たセスの話も聞いてみたい」
「何で?」
「面白そうだから」
「カイゼルみたいなこと言わないでよ」
リビアが声を立てて笑った。
◇
馬車へ乗る前、校門近くで後ろから声をかけられた。
「パウリー嬢」
振り返ると、マリエッタ・クロード先輩が数人の委員会生徒と一緒に歩いてくるところだった。
「マリエッタ先輩」
「ちょうどよかった。明日の委員会だけれど、開始時刻が少し早くなったから伝えておくわ」
「何かありましたか?」
「実人数で確認した時の記録をまとめ終えたの。大きな問題はなかったけれど、廊下側で札を確認する人が一か所に集まりやすかったでしょう? そこを少し直した配置案が出来たから、明日はそれを見る予定」
俺は口を挟まず、二人の話を聞く。
どうやら雨天時の導線確認は、俺が参加していない間にも予定どおり進んでいたらしい。
「分かりました。少し早めに行きます」
「お願い。クルセス君は明日も待たなくて大丈夫だからね」
突然こちらへ話が向いた。
「待つ予定ないですよ」
「あら、先に言えるようになったのね」
「前から言えます」
「そうだったかしら?」
マリエッタ先輩が笑う。
リビアまで一緒に笑っていた。
「では、また明日」
「はい。お疲れさまでした」
先輩たちが離れていく。
俺はリビアを見る。
「実人数の確認、うまくいったんだ?」
「うん。話してなかった?」
「細かいところまでは聞いてない」
「大きな問題はなかったよ。中庭側から校舎側へ一方向に流す形も、人数を増やして確認出来たの。ただ、教室へ入る前に札を見直す人が多くて、少し詰まりやすい場所があったから、そこをどうするか考えてる」
「じゃあ明日はその続き?」
「うん」
「頑張って」
「セスは?」
「特に予定ないから、図書館寄るか、そのまま帰る」
「待つ?」
「待たない」
「即答だ」
「だって先輩にも言ったし」
リビアは楽しそうに笑った。
「終わったら屋敷で話すね」
「うん」
それでいい。
リビアの委員会はリビアの予定だ。
俺には俺の時間がある。
◇
屋敷へ戻ると、玄関でグレイヴから一つだけ報告があった。
「セス、お嬢様。昨日のお話について旦那様へ確認いたしました」
俺とリビアは顔を見合わせる。
「ディーンたちを呼ぶ話?」
「はい」
グレイヴは頷く。
「旦那様としては、学園のご友人を私的に招くこと自体に異存はないとのことでございます。ただし、人数と候補日が決まりましたら、その時点で改めて確認するようにとのことでした」
「じゃあ、呼んでもいい?」
「現段階では『招待してよい方向で調整可能』という状態でございます。まだ日程も参加者も決まっておりませんので、正式な招待ではございません」
「分かった」
昨日と同じだ。
俺自身は来てほしい。
屋敷側も基本的には問題ない。
でも、まだ日時も人数も決まっていない。
「明日ディーンに話していい?」
「もちろんでございます。ただし、まずは候補を相談する段階とお伝えください」
「うん」
グレイヴは俺の返答を確認すると、今度は別の話へ移った。
「それから、学園より来月の交流演習に関する案内も届いております。ご家庭で特別に準備していただくものは現時点ではないとのことです」
「今日、学園でも説明されたよ」
「左様でございましたか」
「班も課題もまだ秘密だって」
「では、発表をお待ちください」
「うん」
それ以上の話はなかった。
グレイヴも、俺が何か特別な訓練を始めるか確認しない。
俺も始めるつもりはない。
班も課題も分からない状態で準備しようとしても、出来ることは限られている。
普段の授業を普通にやっていればいい。
◇
夕食後、俺は旅行記を持って小居間へ向かった。
リビアは今日は別の本を持っている。
俺たちは同じ長椅子へ座ったものの、すぐに話し始めず、それぞれの本を開いた。
暖炉では小さな火が燃えており、時折薪が弾ける音がする。
しばらく旅行記を読み進めてから顔を上げると、リビアも同じ頃に本から視線を外した。
「セス」
「何?」
「交流演習、誰と組むと思う?」
「昼にもその話したでしょ」
「予想してみたくなったの」
「当たらないと思うよ」
「遊びだからいいの」
それなら俺も考えてみる。
「普段一緒にならない人なら、ディーンとも分かれるかも」
「最近は一緒に昼食食べてるもんね」
「ナナリーやミリアナとも普通に話すし……全然知らない人と組む可能性もあるのかな」
「同じ学年だから顔は知ってても、話したことない人は結構いるよね」
「いる」
学年全員と親しいわけではない。
名前と顔が一致する程度の生徒もいれば、授業で同じ空間にいるだけの生徒もいる。
「そういう人と組むのも面白そう」
「緊張しない?」
「すると思う。でも、何考える人か知らないから」
「それが面白いの?」
「うん」
リビアが俺の顔をしばらく見てから微笑む。
「セス、本当に学園好きになったね」
「前から嫌いじゃないよ」
「知ってる。でも、前は勉強する場所とか、私についてくる場所って感じも少しあったから」
否定しようとして、やめた。
入学した頃の俺にとって、学園へ来る大きな理由の一つがリビアだったことは間違いない。
彼女のそばにいる。
彼女に何かあれば守る。
それが俺の中では当たり前だった。
今は違う理由もたくさんある。
「友達出来たからかな」
「それだけ?」
「先生たちもいるし、研究も出来る。剣も楽しいし、魔術も知らないこと多いし……授業も結構好き」
「じゃあ卒業する時、寂しくなるかもね」
「まだ先でしょ」
「うん。だから今は楽しめばいいよ」
リビアはそう言って、また本を開いた。
俺も旅行記へ戻る。
卒業後のことは、まだ決めていない。
だからといって、今すぐ決める必要もない。
学園にいる今は、ここで出来ることを楽しめばいい。
◇
しばらくして、リビアがページをめくる手を止めた。
「明日、委員会だから少し遅くなるね」
「うん」
「セスは本当に待たない?」
「待ってほしい?」
俺が聞き返すと、リビアは少し考えた。
以前なら、俺の方から待つと言っていたかもしれない。
今は彼女がどうしたいかを聞く。
「今日は……待たなくていいかな」
「分かった」
「でも帰ったら話したい」
「それは俺も聞きたい」
「じゃあ決まり」
リビアの表情が柔らかくなる。
同じ場所へ帰る。
別々に過ごす時間があっても、夜になればまた会える。
それが普通になってきた。
「セスは図書館行くの?」
「まだ決めてない。授業終わった時に読みたかったら行く」
「旅行記の続き?」
「それもあるけど、借りてるから屋敷でも読めるんだよね」
「じゃあ別の本?」
「その時決める」
「予定を決めてないセス、珍しい」
「そう?」
「前なら放課後に空き時間があったら、何するか朝には決めてそう」
「……そうだったかも」
俺は笑った。
「でも、明日の俺が決めてもいいでしょ」
「うん」
リビアも笑う。
◇
夜、自室へ戻ってから机へ向かう。
今日の交流演習について、学園から配られた案内だけは確認した。
複数人班。
条件変更あり。
判断、共有、対応を評価。
班分けと詳細課題は後日。
実技確認とは別。
未承認の術式や必要以上の高出力は禁止。
書かれているのは、それだけだ。
俺は案内を机の引き出しへ入れた。
追加で訓練計画を書く必要はない。
班を予想して準備する必要もない。
まだ知らないものを、知らないまま待っていればいい。
(誰と組むんだろうな)
楽しみではある。
同時に、少し緊張もする。
もしほとんど話したことのない相手と組めば、最初に互いが何を出来るのか確認するところから始まるだろう。
自分が五属性を使えることを、どの程度前提にするのかも課題次第だ。
剣が必要になるかもしれない。
魔術ではなく、荷物や連絡を担当するかもしれない。
最初に任された役割が途中で変わる可能性もある。
それでも、全部を俺がやる必要はない。
班でやる演習なのだから、他の人が出来ることはその人へ任せればいい。
俺が出来ることも、必要な時に出せばいい。
その時にならなければ分からない。
俺は机から離れ、窓辺へ立った。
夜の庭には薄い月明かりが落ちている。昼間よりさらに冷えたのか、窓硝子へ近づくと外気の冷たさが伝わってきた。
昨日は友達の家で遊んだ。
今日は交流演習の話を聞いた。
明日はリビアが委員会へ行き、俺には特別な予定がない。
その先には実技確認もある。
ベルナルト先生からまた連絡が来るかもしれない。
旦那様との勉強も、ディーンたちを屋敷へ招く相談も残っている。
一つの道だけを進んでいる感じはしない。
いくつもの予定が、それぞれ別の方向へ伸びている。
けれど、それを以前ほど落ち着かないとは思わなくなった。
(全部、今の俺の生活なんだ)
その考えをわざわざノートへ書こうとは思わなかった。
昨日と同じように、覚えていればいい。
忘れたとしても、必要になればその時また考えればいいこともある。
俺は窓から離れ、寝台へ向かった。
交流演習で何が起きるのかは、まだ知らない。
誰と同じ班になるのかも分からない。
だからこそ、発表される日を少し楽しみにしながら、俺は灯りを落とした。




