第61話 友達との一本勝負なら、勝つこと以外にも見えるものがあります
翌朝、目を覚ました俺は、布団の中で腕を曲げ伸ばししてから、ゆっくり身体を起こした。
昨日の剣術授業では普段より少し多く動いたものの、肩や腕に張りはなく、脚にも重さは残っていない。アルフォルドとの試合で痛めた右腕も、意識して確かめなければ思い出さないくらいには元へ戻っていた。
(これなら大丈夫そうだな)
今日は放課後、イザークと短い一本勝負をする予定になっている。
教師の許可を取った第一剣術場の一角を使い、通常の身体強化まで。迅雷撃破や攻撃魔法は使わず、勝負時間は十分を上限として、どちらかが一本を取ればそこで終了する。
もちろん、今の時点で問題がなくても授業中に何かあれば中止だ。
そこまで考えてからベッドを降りると、俺はいつものように身支度を整えた。放課後に剣を振るのだから、朝から追加で身体を動かす必要はない。
窓を開けると、夜明けの冷たい空気が部屋へ流れ込んでくる。
昨日まで残っていた雨の湿気も薄れ、空には雲の切れ間が見えていた。
(今日は晴れそうだな)
雨天時の実技確認について委員会で色々考えているリビアには悪いけれど、剣を振る日としては晴れている方がありがたい。
もっとも、今日使うのは屋外ではなく剣術場なのだが。
そんなことを考えながら廊下へ出ると、階段へ向かう途中で見慣れた銀青色の髪が見えた。
「リビア、おはよう」
「おはよう、セス」
振り返ったリビアは俺の顔を見るより先に、視線を少し下げた。
腕。
脚。
それから、もう一度顔。
何を確認しているのかはすぐに分かった。
「痛いところなし。身体も重くないよ」
「まだ聞いてないよ?」
「顔に書いてあったから」
「そんなに分かりやすかった?」
「俺には」
答えると、リビアが少しだけ頬を膨らませた。
「それなら、今日はやるんだね」
「うん。授業で何もなければ」
「楽しみ?」
「楽しみ」
即答すると、リビアの表情が柔らかくなる。
以前なら、勝負だから勝たなければとか、見てもらうなら格好悪いところを見せられないとか、余計なことまで考えていたかもしれない。
もちろん勝つつもりではいる。
イザークと剣を合わせる以上、最初から負けてもいいと思って向かうつもりはない。
それでも今日は、アルフォルドと戦った時とは少し違う。
「リビア」
「何?」
「今日、ちゃんと見に来てね」
「うん」
「俺、見てほしいから」
一度伝えていることを、もう一度口にする。
リビアは少し驚いたように目を瞬かせたあと、嬉しそうに笑った。
「ちゃんと見る」
「うん」
「最初から最後まで」
「十分で終わるけど」
「セスがすぐ一本取ったら、もっと短いかもしれないでしょう?」
「イザーク相手にそれは簡単じゃないよ」
「じゃあ、イザーク君がすぐ取るかも」
「それは困る」
思わず笑うと、リビアも笑った。
勝ってほしいと言われるより、こうして普通に相手の勝ちも口にされる方が、今日は気楽だった。
◇
学園へ着くと、イザークはすでに教室にいた。
俺が席へ向かうより早く立ち上がり、まっすぐこちらへ歩いてくる。
「クルセス」
「おはよう」
「調子は?」
「問題なし」
「よし!」
握った拳を胸元へ引き寄せたイザークの顔には、隠す気もない笑みが浮かんでいる。
「朝から元気だね」
「そりゃ楽しみにしてたからな。殿下との試合が終わってから、まともに一本勝負してないだろ?」
「軽く合わせたけどね」
「固定位置で距離測ってたやつは勝負じゃねえよ」
「それはそうだけど」
先日の練習では、床の線を基準にして互いの踏み込みを確認した。
その結果、俺は最初の一歩が思っていたより小さく、その次で急に距離を伸ばす傾向があると分かった。一方のイザークは、初動の一歩が本人の感覚より大きい。
今日はそのことを互いに知った状態で向かい合う。
「イザーク」
「ん?」
「俺の二歩目、狙うつもり?」
聞いてみると、彼の笑顔が少しだけ固まった。
「……何で聞くんだよ」
「やっぱり狙うんだ」
「今ので分かるのずるくねえか!?」
「聞いただけだよ」
「答えてねえだろ!」
「顔に出てた」
「お前もリビア様に同じこと言ってなかった?」
後ろからミリアナの声が飛んでくる。
振り返ると、彼女はナナリーと一緒にこちらを見ていた。
「聞こえてた?」
「それだけ大きな声で話していればね。朝から何の駆け引きをしているのかと思ったわ」
「クルセス様とイザーク様、今日の放課後に剣術場を使われるんですよね?」
ナナリーも知っているらしい。
「うん。十分だけだけど」
「見に行っても大丈夫でしょうか?」
「先生から、授業の邪魔にならない範囲なら見学してもいいって言われてる」
「でしたら私も行きたいです」
「私も」
ミリアナまで手を上げる。
イザークが少し驚いた顔をした。
「そんな見に来るようなもんじゃねえぞ?」
「そう言われると余計に見たくなるのよ」
「何でだよ」
「アルフォルド殿下との試合とは違うでしょう? 友人同士でどんな剣を使うのか気になるもの」
ミリアナに言われ、俺は少し納得した。
俺自身も、今日があの試合と同じものになるとは思っていない。
相手が違えば、戦い方も違う。
目的も違う。
「見られると緊張する?」
俺が尋ねると、イザークは一瞬だけ黙ったあと、口元を上げた。
「するわけねえだろ。むしろ見てろって感じだ」
「じゃあ大丈夫だね」
「おう。クルセスから一本取るところ見せてやる」
「俺も取られるつもりないよ」
視線がぶつかる。
昨日までの軽口とは少し違う熱が胸の奥に生まれた。
(やっぱり楽しみだ)
勝ちたい。
その気持ちはきちんとある。
◇
午前中は魔術史と算術、それから領地運営の授業が続いた。
剣のことばかり考えて授業が頭に入らない、ということもない。イザークは何度か落ち着かなそうに足を動かしていたが、教師に一度視線を向けられてからは大人しくなった。
領地運営では、冬季前の街道整備について扱われた。
雪の多い北部と比較的温暖な南部では同じ整備計画を使えず、地形だけでなく物流量や代替路の有無まで考える必要があるらしい。
明日はサザリーとの共同課題がある。
授業内容が関係する可能性はある。
そう思った瞬間、手が止まりかけた。
(これは普通に授業の内容だ)
課題対策として想定問題を作るのとは違う。
必要なところを普通にノートへ書き留める。
教師が黒板へ描いた二本の街道図を写しながら、俺はそれ以上先回りして考えなかった。
授業が終わると、隣のイザークが大きく息を吐いた。
「終わった……」
「まだ午前中だよ」
「分かってる。でも今日は頭より身体使いてえ」
「午後まで我慢」
「お前、よく普通に授業受けられるな」
「明日の課題もあるから」
「それ考えてたのか?」
「考えてない。授業聞いてただけ」
「何が違うんだ?」
俺が説明しようとすると、前の席にいたサザリーが振り返った。
「クルセスは、今日の授業を共同課題へ当てはめて予測することは避けたという意味だろう」
「そう」
「なるほど」
イザークが頷いたあと、少し考える。
「俺なら絶対、明日これ出るんじゃねえかって考えるけどな」
「俺も考えそうになったよ」
「じゃあ何でやめたんだ?」
「出るか分からないから」
今日の街道整備が明日の課題に関係する保証はない。
人口三千人程度の農村地域という条件だけで、街道問題が必ず出ると決めつければ、当日別の問題が出た時に最初から見方が偏る。
サザリーが静かに頷いた。
「その方が私としても助かる。私も昨夜、想定を作りかけてやめた」
「サザリーも?」
「ああ。倉庫、橋、井戸、医療、街道、農地、治水。考え始めればいくらでも候補が出る」
「結構考えてるじゃん」
イザークの指摘に、サザリーがわずかに視線を逸らした。
「候補を思いつくことと、条件を設定して解答まで作ることは違う」
「本当か?」
「本当だ」
珍しく少し強めに答えたサザリーを見て、俺は笑ってしまった。
「俺も似たような感じだから大丈夫」
「君に慰められると、少し不安になるな」
「何で?」
「君も止められなければ調べ続ける側だからだ」
「最近は止まるよ」
「知っている。だから言っている」
サザリーの声には、以前のような心配よりも軽い冗談が混じっていた。
それが少し嬉しい。
◇
昼休み、いつもの顔ぶれが集まった。
アルフォルドとカイゼルも今日は一緒で、俺が席へ着くなりカイゼルが楽しそうな顔を向けてくる。
「聞いたぞ。今日はイザークとやるらしいな」
「誰からですか?」
「本人」
「イザーク……」
「何だよ。別に秘密じゃねえだろ」
「そうだけど」
アルフォルドは食事の手を止めず、俺とイザークを交互に見た。
「条件は?」
「十分。一本取ったら終了です。通常の身体強化までで、迅雷撃破と攻撃魔法は禁止。先生の許可も取ってます」
「なるほど」
「殿下も見ます?」
イザークが尋ねる。
「時間が合えばな」
「来てくださいよ」
「随分と自信があるな」
「あります」
即答するイザークに、カイゼルが笑う。
「昨日までのクルセスならともかく、今日のクルセスは強いかもしれないぞ」
「何が違うんですか」
「恋人に見てもらう男は強い」
危うく飲んでいた水をむせそうになった。
「カイゼル殿下」
「何だ?」
「変なこと言わないでください」
「変か? オリビア嬢が見に来るのだろう?」
「来ますけど」
隣に座っているリビアを見ると、彼女も少し頬を赤くしていた。
「セスが見てほしいって言ったから」
「ほう」
「リビア」
「本当でしょう?」
「本当だけど」
否定は出来ない。
カイゼルが面白そうに俺を見る。
「以前より堂々としてきたじゃないか」
「その話、最近よくされるんですけど」
「実際そう見えるから仕方ない」
そこでアルフォルドが静かに口を挟んだ。
「だが、見ている相手を意識しすぎるなよ」
「はい」
「俺との時もそうだったが、剣を合わせる相手は目の前にいる」
「分かってます」
「ならいい」
短い言葉だった。
それでも、アルフォルド自身が俺と戦ったからこそ出る言葉なのだと思う。
イザークも真面目な顔で頷いた。
「俺もリビア様じゃなくて、ちゃんと俺見てもらわないと困るからな」
「見るよ」
「よし」
「でも、リビアにも見ててほしい」
「欲張りかよ」
「別に両方出来るでしょ」
「出来るけど!」
また周囲に笑いが広がった。
ナナリーは口元を押さえて笑い、ミリアナは「本当に言うようになったわね」と呟いている。
リビアは恥ずかしそうにしながらも、どこか嬉しそうだった。
◇
午後の授業を終えたあと、俺とイザークは第一剣術場へ向かった。
第一剣術場は、アルフォルドとの試合で使った第二剣術場より少し広い。通常授業で複数組が同時に練習出来るよう、床にはいくつもの区画線が引かれていた。
高い窓から傾き始めた日差しが入り、磨かれた床の一部を明るく照らしている。壁際には練習用の木剣と防具が並び、少し離れた場所では上級生数名が教師の監督下で型の確認をしていた。
俺たちが使うのは入口から最も遠い一区画だ。
担当教師へ改めて許可を確認し、防具を身につける。
「クルセス」
「何?」
「今の調子は?」
「痛みゼロ。疲労もほとんどなし」
「俺も問題なし」
「じゃあ予定通り」
「おう」
木剣を一本選び、軽く握る。
重さを確認してから数度振るが、違和感はない。
しばらくすると見学者も集まり始めた。
リビア。
ミリアナとナナリー。
サザリー。
少し遅れてアルフォルドとカイゼルまで来た。
「本当に来たんですか」
「イザークが来いと言ったからな」
アルフォルドが答える。
「俺は面白そうだからだ」
カイゼルは隠す気もない。
「クルセス様、頑張ってください」
ナナリーが声をかける。
「イザークもね」
ミリアナが付け足すと、イザークが振り返った。
「俺はついでかよ!」
「両方応援してるわよ」
「絶対今付け足しただろ!」
緊張していた空気が少しだけ緩む。
俺はリビアを見る。
彼女は何も大きな声では言わず、目が合ったところで小さく頷いた。
それだけで十分だった。
(見てて)
声には出さず、木剣を握り直す。
◇
勝負を見る教師が区画の中央へ立つ。
「確認する。一本先取、上限十分。頭部への強打は禁止。通常の身体強化のみ使用可。迅雷撃破を含む特殊強化、攻撃魔法は禁止。俺が止めたら理由に関係なく即座に停止しろ」
「はい」
「はい!」
「勝敗より安全優先だ。友人同士だからこそ熱くなりすぎるな」
俺とイザークは互いに頷く。
開始位置へ下がった。
木剣を構える。
向かい側のイザークも笑みを消した。
普段は騒がしいくらいの彼が、剣を持つと空気を変える。
アルフォルドほど隙の少ない構えではない。
その代わり、最初の踏み込みが速い。
そして、先日の確認で分かった通り、その一歩は本人が思っていたより大きい。
(知ってる。でも、向こうも俺のことを知ってる)
俺の最初の一歩が小さいこと。
二歩目で距離が伸びること。
互いに一つずつ、自分では気づいていなかった癖を知っている。
「始め!」
教師の声が響く。
イザークが動いた。
予想通り速い。
最初の一歩で大きく距離を詰め、木剣が右から入ってくる。
受ける。
乾いた音が剣術場へ響いた。
そのまま押し返さず、少し角度を変えて流す。
イザークが半歩下がる。
俺は追わない。
互いに一度距離を作る。
「おお……」
誰かの小さな声が聞こえた。
でも見ない。
今はイザークを見る。
彼の右肩。
足。
剣先。
イザークが再び踏み込む。
今度は一歩目が少し小さい。
(変えてきた)
自分の癖を知ったから、意識している。
なら、以前の感覚だけで距離を読むのは危ない。
剣先が伸びる。
俺は横へ動いて避け、そのまま一歩を入れた。
小さく。
そして二歩目。
いつもなら、ここで大きく伸びる。
だがイザークはそれを待っている。
彼の足が、俺の二歩目へ合わせて動きかけた。
(やっぱり)
俺は二歩目を伸ばさなかった。
短く置く。
「なっ」
イザークの目がわずかに開く。
俺が来るはずだった位置へ、彼の剣が先に動いていた。
そこにはいない。
空いた側へ木剣を振る。
しかしイザークもすぐに身体を捻った。
木剣同士がぶつかる。
一本にはならない。
「くっそ!」
「惜しかった」
「お前、自分の癖を直すの早くねえ!?」
「直したっていうか、今だけ変えただけ!」
「十分だろ!」
言葉を交わしながら距離を取る。
教師から注意は飛ばない。
続行。
◇
見学していたオリビアは、無意識に胸元で両手を重ねていた。
アルフォルドとの試合の時とは違う。
あの日は、セスが勝つかどうかと同じくらい、無理をしないか、怪我をしないかという不安がどこかに残っていた。
今はもちろん怪我をしてほしくない。
けれど、目の前のセスが危険なところまで自分を追い込むのではないかという恐怖は、以前ほど強くなかった。
教師の指示を聞く。
決めた条件を守る。
必要なら止まる。
それをもう何度も見ている。
だから今日は、剣そのものを見る余裕があった。
「変えましたね」
隣でサザリーが小さく言う。
「うん」
オリビアも頷く。
先日の固定位置を使った練習については、セス本人から聞いていた。
最初の一歩が小さく、二歩目で急に距離が伸びる。
イザークはそこを狙った。
セスも、それを分かって変えた。
「でも、ずっと変えるわけじゃないと思う」
オリビアが言うと、アルフォルドが視線を剣術場へ向けたまま答えた。
「俺もそう思う。癖を消すのではなく、選択肢にするつもりだろう」
「選択肢?」
ナナリーが尋ねる。
「二歩目を伸ばすこと自体が悪いわけではない。相手に知られているのに毎回同じなら問題になるというだけだ」
アルフォルドの説明に、カイゼルが笑う。
「知られた癖を逆に使うことも出来るしな」
その言葉が終わるより早く、剣術場で再び乾いた音が響いた。
◇
イザークは、今度こそ俺の二歩目を待っている。
さっき短くしたから、次も変えると思うかもしれない。
それとも、一度見せたから今度は元へ戻すと読むか。
(考えても、イザークの頭の中までは分からない)
なら、自分から動く。
一歩目。
小さく入る。
イザークが剣を少し引く。
二歩目。
今度は伸ばす。
「来た!」
イザークも動いた。
俺の進路へ剣を置く。
予想されている。
それでも止まらない。
ただし、真正面へは入らない。
二歩目で伸ばした距離をそのまま使い、最後に身体の向きをずらす。
木剣が肩の横を通った。
俺の剣先もイザークへ向かう。
だが届く前に、彼が身体を沈めた。
「うおっ!」
低い位置から剣が返ってくる。
受ける。
腕に衝撃が伝わる。
強い。
でも問題ない。
押し合わず、離れる。
イザークが笑っていた。
「楽しいな!」
「うん!」
俺も笑っているのが分かった。
勝負中なのに。
いや、勝負中だからかもしれない。
相手が俺の癖を知っている。
俺も相手の癖を知っている。
だから、ただ速く動くだけでは通じない。
変える。
読まれる。
さらに変える。
そのやり取りが楽しい。
◇
三分ほど経った頃、最初に変化をつけたのはイザークだった。
これまで大きかった一歩目を意図的に小さくし、俺が距離を取ると思った瞬間に二歩目を大きく踏み込んでくる。
(俺の真似か)
いや、違う。
俺の動きをそのまま真似したのではない。
自分の大きな初動を逆に利用している。
普段より来ない。
そう思わせてから来る。
「っ!」
木剣が胸元へ迫る。
身体を捻る。
完全には避けきれない。
剣先が防具をかすめた。
「止め!」
教師の声。
俺もイザークも即座に止まる。
一本か。
そう思ったが、教師は俺の胸元を確認してから首を横へ振った。
「浅い。明確な有効打とは取らない。続行」
「惜しい!」
イザークが悔しそうに声を上げる。
「危なかった……」
俺は一度息を整える。
今のは本当に近かった。
イザークも変えてきた。
俺だけが相手の癖を利用しているわけではない。
(当たり前だよな)
友達だからこそ、互いの剣を知っている。
俺が成長する間、イザークが止まっているわけではない。
「再開!」
再び構える。
今度は、さっきまでより少しだけ慎重になる。
◇
五分を過ぎても一本は決まらなかった。
俺が優勢な時間もあれば、イザークが押す時間もある。
純粋な速さなら俺の方が上だ。
迅雷撃破を使わなくても、身体強化の精度では負けていない。
けれど、イザークは俺との練習回数が多い。
俺がどんな時に剣先を見るのか。
どんな距離で踏み込むのか。
どちらへ避けることが多いのか。
細かな癖を知っている。
俺も同じだ。
「残り四分!」
教師の声が飛ぶ。
まだ時間はある。
焦る必要はない。
イザークが踏み込む。
大きい。
いつもの一歩。
俺は後ろへ下がらず、横へずれる。
剣を受ける。
次。
イザークが続けて振る。
俺は一歩目を小さく置いた。
彼の視線が足元へ一瞬だけ落ちる。
(見た)
二歩目を警戒している。
なら。
踏み込まない。
代わりに、その場で剣を返す。
イザークが反応する。
受けられる。
だが、その瞬間だけ足が止まった。
俺はそこで初めて二歩目を使った。
大きく伸びる。
「っ!」
イザークが下がる。
追う。
ただし三歩目までは伸ばさない。
追い込みすぎれば、逆に返される。
木剣を振る。
イザークが受ける。
乾いた音。
俺は剣を引く。
彼が反撃へ移ろうとした。
その瞬間、先日の固定位置練習で見たものが頭に浮かぶ。
イザークの初動は、自分が思っているより大きい。
なら、反撃の最初も。
俺はわずかに後ろへ引いた。
イザークが踏み込む。
やはり大きい。
距離が一気に詰まる。
そこへ正面から合わせず、半歩だけ斜めへ動く。
イザークの剣が俺の横を通る。
空いた肩。
木剣を止めるように当てる。
軽い音がした。
「止め!」
教師の声が響いた。
俺もイザークも、その場で完全に動きを止める。
一瞬、剣術場が静かになる。
教師が位置を確認する。
「有効打。クルセスの一本」
息を吐いた。
「よし……」
小さく声が漏れる。
向かいでは、イザークが天井を仰いでいた。
「あーっ! やられた!」
その声に、見学していたミリアナが笑う。
「惜しかったじゃない」
「惜しいじゃ勝ちにならねえ!」
「でも、胸元かすったところは本当に危なかったよ」
俺が言うと、イザークがこちらを向く。
「あれ取ってほしかったなあ」
「俺は取られなくてよかった」
「そりゃそうだろ」
互いに木剣を下ろす。
握手の代わりに、拳を軽く合わせた。
「次は取る」
「俺も負けないよ」
「次いつ?」
「今決めない」
「やっぱり?」
「明日は共同課題だし」
「ああ、そうだった」
イザークは一瞬残念そうな顔をしたものの、すぐに頷いた。
「じゃあまた今度だな」
「うん」
それで終わる。
今すぐ次の日程を決めなくても、また剣を合わせる機会はある。
◇
防具を外していると、アルフォルドが近づいてきた。
「面白かった」
「ありがとうございます」
「俺との試合の時とは随分違ったな」
「やっぱりそう見えました?」
「ああ」
アルフォルドはイザークにも視線を向ける。
「互いに相手の癖を知っている分、技術より先に読み合いがあった。特に途中からは、直すのではなく利用し始めていたな」
「俺もですか?」
イザークが尋ねる。
「お前もだ。最初の踏み込みを小さくしただろう」
「分かりました?」
「見ていればな」
イザークが少し嬉しそうに笑う。
カイゼルも後ろから近づいてきた。
「クルセス、お前は器用すぎるせいで、癖を指摘されるとすぐ消せるのが厄介だな」
「消えてないですよ」
「分かっている。だから余計に厄介だ」
「どういう意味ですか?」
「癖をなくすのではなく、出すか出さないか選び始めたということだろう?」
言われて、俺は少し考える。
完全にそこまで意識していたわけではない。
でも、近い。
「たぶん」
「自覚が薄いのか」
「今分かりました」
「本当に面倒な奴だな」
カイゼルが呆れたように笑う。
その後ろでは、サザリーが何か考えるように顎へ指を当てていた。
「サザリー?」
「いや」
「何?」
「明日の課題と似ていると思っただけだ」
「途中で変えるところ?」
「ああ。ただし、剣術と領地運営を同じものとして扱うつもりはない」
「俺も」
状況が変われば判断を変える。
その部分は似ている。
でも剣で一歩を変えることと、領地で人の生活に関わる判断を変えることは重さも影響も違う。
「明日は明日で考えよう」
「そのつもりだ」
サザリーが頷く。
◇
「セス」
呼ばれて振り返る。
リビアが少し離れたところに立っていた。
俺は木剣を片づけてから彼女のところへ向かう。
「どうだった?」
「格好よかった」
「本当?」
「うん」
即答された。
嬉しい。
たぶん顔にも出た。
リビアが少し笑う。
「でもね」
「うん」
「勝ったところだけじゃないよ」
「他に?」
「楽しそうだった」
その言葉に、俺は一度イザークを見る。
彼はミリアナと何か言い合いながら防具を片づけていた。
「楽しかったよ」
「分かった」
「そんなに?」
「うん。途中からずっと笑ってた」
「俺が?」
「イザーク君も」
自分ではそこまで意識していなかった。
勝つために相手を見て、考えて、動きを変えていた。
でも、それが楽しかった。
「アルフォルド殿下との時は、もっと張り詰めてた?」
「少し違った。あの時も楽しそうなところはあったけど、今日はもっと……」
リビアが言葉を探す。
「いつものセスに近かった」
「いつもの俺?」
「うん。私と剣を合わせる時とか、イザーク君と練習してる時のセス」
「そっか」
「勝ちたいけど、それだけじゃない顔」
俺には見えない自分の顔だ。
だから、リビアが見ていてくれてよかったと思う。
「見に来てもらってよかった」
「私も見られてよかった」
「ありがとう」
言ってから、俺は自分の身体を確かめる。
腕に痛みなし。
脚も問題なし。
息はもう整っている。
疲労は三くらい。
「身体も大丈夫」
「聞こうと思ってた」
「また顔に書いてあった」
「もう、セスには隠せない気がする」
「全部は分からないよ」
「そう?」
「うん。だから分からない時は聞く」
昨日までのキスの話だってそうだった。
リビアの顔だけ見て、怖くないと決めつけることは出来ない。
聞かなければ分からないことはある。
「リビアも聞いてね」
「何を?」
「俺のこと。分からない時」
「うん」
リビアが柔らかく頷いた。
◇
見学していた皆と別れ、俺たちは帰りの馬車へ向かった。
夕方の校舎には、部活動や自主練習へ向かう生徒の声が残っている。中庭を横切る時、少し冷たい風が吹き、リビアの銀青色の髪が揺れた。
「明日は共同課題だね」
「うん」
「緊張してる?」
「少し楽しみの方が大きい」
「サザリー君と二人でやるんでしょう?」
「先生もいるけどね」
「途中で条件が変わるんだよね」
「それ以上は知らない」
「今日みたいに対応出来そう?」
「どうだろう」
剣なら身体で分かる。
相手が踏み込んだ。
剣が動いた。
距離が変わった。
それに対して、領地運営の判断は数字や報告、人の生活が絡む。
「同じようには出来ないと思う」
「そうなの?」
「今日の剣は、変えて失敗しても一本取られるくらいだったから」
「うん」
「でも明日の課題は想定でも領地の話だから、判断変えたら誰かに影響出るはずだし」
「そうだね」
「だから、変えられるってだけで簡単に変えない方がいい気がする」
リビアが少し考えながら頷く。
「じゃあ、変える理由だけじゃなくて、変えない理由も必要なんだ」
「たぶん」
「面白そう」
「リビアもやってみたい?」
「少し」
「今度似たの授業で出るかもね」
「出たら一緒の班になりたい」
「俺も」
そんな話をしながら馬車へ乗った。
◇
帰りの馬車では、最初のうちは明日の共同課題について話していた。
ただ、問題内容が分からない以上、話せることには限りがある。
だから途中から、今日の一本勝負へ話が戻った。
「イザーク君、本当に惜しかったね」
「胸のところ?」
「うん。私、一瞬取られたと思った」
「俺も」
「セスも?」
「剣先当たったから」
「怖くなかった?」
「怖いっていうより、やられたって思った」
「それでも次に変えられたんだ」
「一回当たりそうになったから、同じ距離にしない方がいいかなって」
「すぐ考えてるんだね」
「リビアも結界の時そうじゃない?」
「私はもっと考えてから変えるよ」
「そうなの?」
「セスよりは」
少し得意そうだ。
「じゃあ今度剣合わせた時、教えて」
「何を?」
「俺が早く変えすぎてるところ」
「分かるかな」
「リビアなら分かるかも」
「じゃあ見る」
俺たち自身の剣術練習は、まだ日程を決めていない。
今決める必要もない。
明日は共同課題。
その後にも授業や実技確認の準備がある。
空いたところで、お互いがやりたい日にやればいい。
リビアの手が座席の上へ置かれている。
今日はどうしようかと少し考えたあと、俺は自分の手をその近くへ置いた。
指先が触れる。
リビアがこちらを見る。
「繋ぐ?」
「うん」
手を重ねる。
勝負のあとの高揚が少しずつ落ち着いていく。
こうして帰る時間まで含めて、今日を楽しみにしていたのかもしれない。
◇
屋敷へ戻ったあと、俺はグレイヴへ今日の一本勝負について簡単に報告した。
「怪我は?」
「なし。疲労は三くらい」
「明日は?」
「朝問題なければ普通に授業。放課後はサザリーとの共同課題だから、朝の剣はしない」
「分かった」
グレイヴはそれだけ確認すると、すぐ別の話へ移った。
「旦那様から、先日の件についてはもう少し待つようにとのことだ」
「先日の件?」
「婚約者として何を学ぶ必要があるか、お前が尋ねただろう」
「ああ」
少し前、自分からグレイヴへ聞いたことを思い出す。
公爵令嬢の婚約者として、礼儀や社交、他にも何か学ぶべきことがあるのか。
「まだ決まってない?」
「急いで決める必要がないという意味だ。旦那様も、学園生活との兼ね合いを見てからでいいと考えている」
「分かった」
「気になるか?」
「気にはなる」
「自分で調べ始めるほどか?」
一瞬考える。
「そこまではしない」
「そうか」
「必要なこと決まってから教えて」
「そのつもりだ」
グレイヴがわずかに笑う。
以前の俺なら、待てと言われても、最低限これくらいはと勝手に本を探していたかもしれない。
でも今は、旦那様とグレイヴが考えているなら待てる。
何もしていないわけではない。
学園で学んでいることも、きっと将来のどこかへつながる。
「それと」
「何?」
「今日の勝負はどうだった」
「勝ったよ」
「そうではない」
「楽しかった」
答えると、グレイヴは満足したように頷いた。
「ならいい」
◇
夕食後、今日はリビアと長く過ごさず、自室で休むことにした。
疲労は大きくない。
それでも明日は共同課題があるし、今日は剣も振った。
何より、昼間からずっと色々なことを考えていたせいか、身体より頭の方が少し疲れている。
部屋へ戻る前、廊下でリビアと会った。
「今日は休む?」
「うん。明日あるから」
「分かった」
「リビアは?」
「少し本読んでから寝る」
「昨日の続き?」
「そう」
「俺も読みたかったな」
「明日でも読めるよ」
「じゃあ明日」
「共同課題で疲れてなかったらね」
「うん」
そこで会話が途切れる。
昨日なら、キスのことを考えていたかもしれない。
今日も忘れたわけではない。
リビアの顔を見ると、したいという気持ちはちゃんとある。
でも、今夜それを確かめる必要はない。
「おやすみ、リビア」
「おやすみ、セス」
リビアが少しだけ迷ったように見えたあと、一歩近づいた。
「セス」
「何?」
「手だけ」
「うん」
差し出された手を握る。
抱きしめるほど近づかず、指を絡めるほど強くもない。
ただ手のひらを合わせる。
数秒。
それだけで、リビアが満足そうに笑った。
「今日はこれでいい」
「俺も」
手を離す。
「明日、頑張ってね」
「うん。楽しんでくる」
「そっちなんだ」
「勝ちたいけど、課題だから」
「そうだね」
最後にもう一度笑い合って、別れた。
◇
自室へ戻り、ベッドへ腰を下ろす。
今日の一本を思い返す。
イザークは俺の二歩目を狙った。
俺はそれを変えた。
するとイザークも自分の一歩目を変えた。
最後は、互いに知っている癖を消すのではなく、逆に利用しながら動いていた。
(癖があること自体が悪いわけじゃないんだな)
分かっていれば選べる。
出す。
変える。
利用する。
相手がどう受け取るかまで含めて考えられる。
ただ、それを明日の共同課題へそのまま当てはめるつもりはない。
剣と領地運営は違う。
サザリーも同じことを言っていた。
明日は明日の条件を見る。
人口約三千人。
予算金貨百二十枚。
冬までに生活基盤を安定させる。
今知っているのはそれだけだ。
問題は三つ。
途中で新しい情報が一つ。
最初の判断を維持しても変えてもいい。
理由を説明する。
(何が出るんだろう)
考えたくなる。
けれど、そこで止める。
予想を作る必要はない。
明日、見ればいい。
灯りを落とし、横になる。
今日、イザークに勝ったことは嬉しい。
リビアに格好よかったと言われたことも嬉しい。
アルフォルドやカイゼルに自分の剣の変化を言われたことも、サザリーと明日の話をしたことも楽しかった。
どれか一つだけではない。
学園に来てから、こういうものが随分増えた。
(明日はサザリーと何が出来るかな)
勝負とは違う。
でも、たぶん今日と同じくらい楽しめる。
答えを最初から持っていないからこそ、見えるものもある。
そう思いながら目を閉じると、今日剣を振った心地よい疲労が身体へ広がり、眠気がゆっくりと意識を包んでいった。




