第6話 魔法師団長の御子息様、廊下で本気の魔法を撃つのは無理があります
「ファイアランス」
ライゼル・シュザー様の右手に集まっていた赤い魔力が、一気に形を持った。
炎。
それも先ほどの火球とは比べものにならない。
細く鋭く圧縮された炎が一本の槍となり、熱によって周囲の空気を歪ませながら、彼の掌の前でゆっくりと回転している。
ただ炎を固めただけではない。
先端へ魔力を集中させ、貫通力を高めている。
もし、あれが人間へまともに当たれば。
火傷だけでは済まない。
「ライゼル様!」
お嬢様の声が廊下へ響いた。
「今すぐ魔法を消してくださいませ!」
「嫌だ」
紫色の髪をした少年は、こちらから一度も視線を逸らさない。
「そいつさえ消えれば、全部元通りになる」
「何が元通りになるというのですか!」
「リビアが僕を見る」
「見ません!」
即答だった。
「セスがいようといまいと、私は貴方をそういう意味で見ることなどありません!」
「今は、そう思い込まされているだけだ」
「誰に!?」
「そいつに決まっている!」
炎の槍が、さらに強く燃え上がる。
お嬢様の足元から広がった結界が、周囲の生徒たちを包んだ。
透明な膜が幾重にも重なり、俺たちと見物していた生徒たちの間へ壁を作る。
「皆様、下がってください!」
お嬢様の言葉に、周囲の生徒たちが一斉に動いた。
悲鳴を上げる者。
友人の腕を引いて走る者。
状況を理解できず立ち尽くしていた者も、近くの生徒に引っ張られて結界の奥へ下がっていく。
廊下の左右に並ぶ教室からも、生徒たちが顔を出していた。
「何があった!?」
「魔法だ!」
「ライゼル様が!」
「先生を呼んで!」
騒ぎが一気に広がる。
「セス」
背後から、お嬢様の声。
「下がって」
「リビアこそ下がれ」
「私なら結界で防げるわ」
「だからって前に出るな」
「でも」
「俺が先にいる」
短く言った。
自分でも驚くほど自然に出た言葉だった。
お嬢様が黙る。
俺は右手を前へ出した。
ライゼル様の炎の槍。
属性は火。
なら、水で受けるのが最も簡単だ。
ただし、先ほどのファイアボールより遥かに魔力密度が高い。
普通のアクアウォールでは、貫かれる可能性がある。
「クルセス」
第一王子アルフォルド殿下が、険しい声で俺を呼んだ。
「避けろ! あれは受けるな!」
殿下も魔法の危険性を理解している。
銀髪のカイゼル殿下は、すでに周囲の生徒を逃がすため、近くにいた者へ指示を飛ばしていた。
「そこの君たち、階段側へ! 押すな! 走る必要はない!」
サザリー様も、結界の内側で別の生徒へ声をかけている。
「教師を呼んでください。魔法科の先生を優先して」
「は、はい!」
この状況でも冷静だ。
一方、ライゼル様だけは止まらない。
「消えろ」
炎の槍が放たれた。
速い。
一直線に俺の胸へ飛んでくる。
「アクアウォール!」
俺の前へ、水の壁を展開する。
先ほどより厚く。
魔力を中央へ集中。
炎の槍が水面へ突き刺さった。
ジュッ――!
凄まじい蒸気が爆発するように広がった。
「きゃっ!」
「うわっ!」
周囲から声が上がる。
視界が一瞬、白く染まった。
熱い蒸気が顔へ触れる。
だが、槍は止まった。
水の壁の中央に突き刺さったまま、炎が小さくなっていく。
最後には音を立てて消えた。
「……」
ライゼル様が僅かに目を見開いた。
「防いだ?」
「今ので終わりにしてください」
水の壁を消す。
床へ落ちた水が、薄く廊下を濡らした。
「これ以上は、さすがに教師の方々も黙っていないと思います」
「黙れ」
「ライゼル様」
「平民のくせに」
彼の表情が歪む。
「僕と同じ場所に立っているだけでも不愉快なのに、リビアの隣にいる?」
「俺は」
「リビアが、そいつを見て笑っていた」
声が震えている。
怒りだけではない。
焦り。
嫉妬。
恐怖。
そういうものが、混ざっているように見えた。
「僕には、あんな顔をしたことがない」
「当然ですわ」
お嬢様の声が飛ぶ。
「ライゼル様とセスは、全く違いますもの」
「リビア!」
「私が誰へ笑いかけるかまで、貴方に決められる覚えはありません!」
「僕は!」
ライゼル様の魔力が膨れ上がった。
先ほどより大きい。
火の魔力と。
風の魔力。
二つが混ざる。
嫌な感じだ。
「ライゼル、やめろ!」
アルフォルド殿下が叫んだ。
「廊下で複合魔法を使うな!」
「邪魔するな!」
ライゼル様が腕を振った。
「ウィンドカッター!」
今度は炎ではない。
目に見えにくい風の刃が、複数。
しかも。
「まずい!」
狙いが俺だけではない。
ライゼル様の魔力が乱れている。
放たれた風の刃は扇状に広がり、俺、お嬢様、第一王子たち。
さらに、結界の奥へ避難している生徒たちの方向へまで飛んでいった。
「リビア!」
考える前に身体が動いた。
足へ雷の魔力を流す。
「迅雷撃破!」
視界が変わる。
音が遠くなる。
周囲の動きが遅く見えた。
最優先。
お嬢様。
俺は地面を蹴った。
一瞬で距離を詰め、お嬢様の前へ立つ。
「セス!?」
風の刃が迫る。
木剣は持っていない。
なら。
足へ雷の魔力を集中。
「はっ!」
回し蹴りを叩き込む。
目には見えにくい風の塊が、雷をまとった脚へ触れた。
衝撃。
空気が弾ける。
風の刃が崩れ、細かな風圧となって周囲へ散った。
「なっ!?」
誰かの声が聞こえた。
構っている暇はない。
「リビア、動くな!」
「え?」
次。
結界の奥にいる生徒。
迅雷撃破の速度をさらに上げる。
床を蹴る。
一人目。
女子生徒へ向かう風刃。
拳で横から叩き、軌道を逸らす。
二人目。
男子生徒の頭上。
跳ぶ。
踵を落とし、風の刃を地面へ叩きつける。
三本目。
ミリアナ様の方向。
「伏せて!」
「きゃっ!」
反射的に屈んだ頭上を越え、俺が風刃の前へ入る。
手のひらへ雷魔力を集める。
「雷掌!」
叩く。
風が弾ける。
残り。
視線を動かす。
ナナリー様。
「ナナリー様!」
「はい!?」
アシュが彼女を抱えるように引き寄せていた。
結界がある。
だが、安心はできない。
お嬢様が張った膜の一枚へ風刃がぶつかる。
透明な表面に波紋が走った。
耐えた。
よし。
その瞬間。
視界の端に三本の風刃が見えた。
第一王子。
カイゼル殿下。
サザリー様。
「……」
一瞬だけ考えた。
あの人たちは、お嬢様へ求婚している。
つまり。
俺の敵。
いや。
違う。
敵ではない。
ただ面倒なだけだ。
でも。
「まあ……」
あれくらい、自分たちで何とかしてくれるだろう。
「セス!?」
お嬢様が俺の考えを察したような声を上げた。
「何だ?」
「今、あちらを見て諦めたでしょう!?」
「王族と高位貴族だ。自分の身くらい守れるだろ」
「それはそうだけど!」
予想通りだった。
「ライトシールド!」
アルフォルド殿下の前へ、白く輝く盾が現れる。
光魔法。
王家の血を引く者だけが使えるとされる特殊属性。
風の刃が光の盾へぶつかり、弾けた。
隣ではカイゼル殿下が素早く腰の短剣を抜き、風刃の軌道を読んで身を逸らした。
「危ないな」
軽い声。
そのまま短剣の腹で風の刃を横へ流している。
サザリー様は。
「アースウォール」
足元から、小さな土壁を出した。
魔術は得意ではないと聞いていたが、防御する程度なら問題ないらしい。
風刃が壁へ食い込み、砕けた土が床へ散る。
「ほら」
俺はお嬢様を見る。
「大丈夫だった」
「結果論です!」
「でも大丈夫だった」
「そういう問題ではないわ!」
「今はこっちだ」
俺は再びライゼル様を見る。
彼は呆然としていた。
「……今のを」
震える声。
「全部、止めた?」
「全部ではありません」
第一王子たちの分は自分で止めてもらった。
「貴様……何なんだ」
「執事見習いです」
「ふざけるな!」
「ふざけていません」
「執事が!」
ライゼル様の魔力が再び膨れ上がる。
もう駄目だ。
話が通じる状態ではない。
しかも、今度は周囲を巻き込んだ。
お嬢様まで。
俺の中で、何かが切り替わった。
「ライゼル様」
俺は一歩、前へ出る。
「警告はしました」
「何だ」
「俺への攻撃だけなら、まだ我慢できます」
「……」
「でも」
声が、自分でも分かるほど低くなった。
「お嬢様へ当たる可能性のある魔法を撃った」
ライゼル様の顔が僅かに引きつる。
俺はさらに一歩。
「それは許せません」
「セス」
背後からお嬢様の声。
「……やってしまいなさい」
「リビア」
「今回は止めません」
「いや、止めるところは止めてくれ」
「では、死なない程度に」
「基準がおかしい」
「骨折二本までなら」
「具体的にするな」
こんな状況なのに、少しだけいつもの調子へ戻れた。
「貴様が」
ライゼル様が歯を食いしばる。
「僕へ、何ができる!」
両手を広げた。
火。
風。
二属性の魔力が、再び集まる。
今度は明らかに大技だ。
「ライゼル!」
第一王子殿下が叫ぶ。
「そこまでだ! 王族として命じる、魔法を解け!」
「嫌だ!」
「命令だ!」
「リビアは僕のものだ!」
「誰のものでもありませんわ!」
お嬢様の怒声。
「いい加減にしてくださいませ!」
「リビア!」
「その呼び方もやめてください!」
火と風が混ざる。
炎は風で勢いを増す。
廊下の温度が上がった。
壁に掛けられた絵画が熱で揺れる。
床の水が蒸発を始めた。
これはまずい。
「セス」
「分かってる」
「結界を強めるわ」
お嬢様が両手を前へ出した。
「多重結界!」
透明な膜が、俺たちの背後へ何重にも張られる。
生徒たち。
ナナリー様。
ミリアナ様。
教師が到着するまで、何としても守るつもりらしい。
「リビア」
「何?」
「後ろを頼む」
一瞬。
お嬢様の瞳が揺れた。
俺が昔使っていた言葉だった。
危ない遊びをして、誰かに見つかりそうになったとき。
俺が先へ行き、お嬢様に後ろを見てもらう。
そんな子供の頃。
「……任せて」
返事も、昔と同じだった。
俺は笑う。
正面へ向き直る。
「来い!」
ライゼル様が叫んだ。
「フレイムストーム!」
炎が爆ぜた。
廊下の幅いっぱいに広がる火炎。
風によって渦を巻き、巨大な炎の波となって押し寄せてくる。
「うわああ!」
「熱い!」
「下がれ!」
結界の向こうから悲鳴。
俺は足へ雷魔力を集中。
「迅雷撃破」
身体が軽くなる。
そして。
前へ。
「セス!?」
炎の中へ走り込んだ。
普通なら自殺行為だ。
だが、魔法には核がある。
術者から放たれた魔力の流れ。
火と風を繋いでいる中心。
そこを崩せば。
「見えた」
右前方。
魔力が最も濃い場所。
俺は手へ水魔力を集中させた。
「アクアブレイク!」
拳を突き出す。
圧縮した水が、槍のように炎の中心へ突き刺さった。
爆発。
水蒸気。
炎が左右へ裂ける。
俺はその隙間を走り抜けた。
「なっ!」
ライゼル様の顔が見えた。
距離。
五歩。
三歩。
一歩。
「来るな!」
ライゼル様が咄嗟に右手を上げる。
「ファイア――」
「遅い」
詠唱を終える前に懐へ入った。
迅雷撃破。
解除。
雷をまとったまま攻撃すれば、本当に大怪我をさせる。
俺は右足で地面を踏み込み。
「歯ぁ、食いしばってください!」
「何――」
膝。
顔面。
「ぐふっ!」
鈍い音。
ライゼル様の身体が後ろへ浮いた。
そのまま数歩分、地面を滑る。
「ライゼル!」
アルフォルド殿下の声。
紫色の髪が床へ広がった。
「……う」
完全には意識を失っていない。
鼻を押さえ、呻いている。
「痛っ……」
「生きていますね」
「当たり前でしょう!」
お嬢様が結界を解除しながら走ってきた。
「セス!」
「リビア」
「怪我は!?」
俺の両肩を掴む。
「火傷してない!?」
「してない」
「本当に?」
「ああ」
「髪は!?」
「少し焦げたかも」
「え!?」
お嬢様の顔色が変わった。
「どこ!?」
「毛先だけ」
「見せて!」
「後でいい」
「よくありません!」
俺の頭を両手で掴み、左右へ動かす。
「リビア」
「動かないで!」
「ライゼル様が倒れてる」
「生きているのでしょう?」
「一応」
「なら後です」
優先順位がおかしい。
「オリビア」
第一王子殿下が近づいてきた。
「怪我はないか?」
「ございません」
お嬢様は俺の髪を確認しながら答えた。
殿下を見てすらいない。
「クルセスが守ったのか」
「当然ですわ」
「当然なのか?」
「セスですもの」
なぜか誇らしげだ。
俺は返答に困る。
「クルセス」
今度はカイゼル殿下が近づいた。
銀色の髪。
柔らかな笑顔。
隣国の第二王子と聞いていたが、第一印象はアルフォルド殿下より少し軽い。
「初対面で悪いが、一つ聞いても?」
「何でしょうか」
「今、僕たちの風刃だけ放置したよね?」
「……」
「見たよ?」
笑っている。
だが、目が少し怖い。
「お嬢様と周囲の生徒を優先しました」
「うん」
「殿下方なら自力で防げると判断しました」
「なるほど」
カイゼル殿下は頷く。
「合理的ではある」
「ありがとうございます」
「でも、少し傷つくな」
「申し訳ございません」
「僕はいい」
カイゼル殿下はアルフォルド殿下を見る。
「そっちの王子様、顔が引きつってるから」
「引きつってなどいない!」
「いや、完全に置いていかれた顔だったよ」
「黙れ、カイゼル!」
「敵国……ではないか。友好国の王子へ黙れは酷いな」
「今はお前の話ではない!」
二人が言い合い始める。
王子というのは、もう少し静かな人たちだと思っていた。
「クルセス」
サザリー様が近づく。
「先ほどの動きは、編入試験でも使った魔法か?」
「迅雷撃破ですか?」
「ああ」
「そうです」
「雷を身体へ流し、反応速度を上げているように見えた」
「その認識で合っています」
「危険では?」
「制御を失えば危険です」
「では、なぜ使う」
「必要だったので」
サザリー様は黙る。
視線が俺からお嬢様へ。
お嬢様から、床へ倒れているライゼル様へ移る。
「君は」
「はい」
「オリビアを守るためなら、躊躇しないのだな」
「当然です」
「……そうか」
短い返事。
そこに何が込められているのかは分からない。
「クルセス様!」
ナナリー様が走ってきた。
お嬢様の反応が早い。
俺の前へ一歩出る。
「そこで止まってくださいませ!」
「え?」
「先ほどのように抱きつくのは禁止です!」
「抱きつくつもりは」
「本当ですか?」
「……少しだけ、安心して」
「本当だったのですね!」
ナナリー様が視線を逸らした。
「だって、炎の中へ入っていかれたので!」
「気持ちは分かります」
お嬢様の声が少しだけ柔らかくなる。
「私も心臓が止まるかと思いました」
「オリビア様も?」
「当然です!」
「では、一緒に怒りませんか?」
「それは良い考えですわ」
「何で同盟を組むんですか」
嫌な予感がする。
「クルセス様」
ナナリー様が頬を膨らませる。
「炎へ飛び込むなんて危険です!」
「必要だったので」
「セス」
お嬢様の声が低くなる。
「その言葉は禁止します」
「なぜ?」
「危険なことを正当化するのに便利すぎるからです」
「実際必要だった」
「だから禁止です!」
「理不尽だな」
「命が大切だから言っているの!」
お嬢様が俺の胸を指で押した。
「セスが私を守ってくれるのは嬉しいわ」
「なら」
「でも、セスが死んだら意味がないの!」
強い声だった。
周囲の空気が少し静かになる。
お嬢様の瞳が揺れている。
本気で怖かったのだ。
俺が炎の中へ消えた瞬間。
もしかすると。
二度と出てこないのではないかと。
「……ごめん」
自然に謝った。
「次からは、もう少し安全な方法を考える」
「絶対?」
「ああ」
「本当に?」
「約束する」
お嬢様はしばらく俺を見つめた。
「では、許します」
小さく息を吐く。
ナナリー様も胸を撫で下ろした。
「私もです」
「ナナリー様に許可を求めた覚えはないのですが」
「命の恩人には長生きしていただきたいので」
「ありがとうございます」
「そこ! 二人だけで会話しない!」
「リビア、今のは普通の会話だ」
「今後のために警戒しています」
疲れる。
でも。
少しだけ。
楽しいと思ってしまっている自分もいる。
「何をしている!」
廊下の向こうから怒声が響いた。
全員が振り返る。
走ってくる教師たち。
先頭にいるのは、レイモンド先生。
その後ろに魔術科のエレナ先生。
さらに、学園長のオズワルド先生までいる。
「全員、その場を動くな!」
レイモンド先生の声。
床には水。
焦げ跡。
崩れた土壁。
倒れているライゼル様。
そして。
廊下中央に立つ俺たち。
先生の顔が、見る見る険しくなっていく。
「……シルフィール君」
「はい」
「私は今朝、何と言いましたか?」
「何か問題があれば、教師へ相談するように、と」
「覚えているのですね」
「はい」
「では」
先生は一度、深く息を吸った。
「なぜ編入初日の昼休みに、廊下が半壊しかけているのですか!?」
「俺が壊したわけではありません!」
「分かっています!」
「では、なぜ俺に!」
「あなたを中心に問題が発生しているからです!」
「理不尽です!」
「私もそう思います!」
教師と生徒で意見が一致してしまった。
レイモンド先生は額を押さえた。
「エレナ先生、ライゼル君を」
「分かりました」
エレナ先生が倒れているライゼル様のところへ向かう。
膝をつき、鼻や頭部を確認する。
「意識はありますか?」
「……あります」
「どこが痛いですか?」
「鼻……と、顔全部」
「顔面へ何を受けたのですか?」
「膝です」
エレナ先生が俺を見る。
「あなたですね?」
「はい」
「迅雷撃破は?」
「解除してからです」
「それなら、まだ良かったです」
「良くないだろ!」
ライゼル様が起き上がろうとして顔を押さえた。
「痛っ!」
「動かないでください」
先生に押さえられる。
お嬢様が小さく呟いた。
「もう一発くらい」
「リビア」
「何も言っていないわ」
「聞こえた」
「幻聴よ」
「最近、幻聴が多いな」
「疲れているのね」
「原因が隣にいる気がする」
「気のせいよ」
会話をしていると、学園長がゆっくりこちらへ来た。
穏やかな顔。
しかし。
目が笑っていない。
「アルフォルド殿下」
「はい」
「何があったのか、最初から御説明いただけますか?」
「私が?」
「この場で最も身分が高く、状況を客観的に説明できそうなのが殿下です」
カイゼル殿下が横から口を挟む。
「僕も王族ですよ?」
「他国の王族ですので」
「なるほど。合理的だ」
「感心している場合か!」
アルフォルド殿下が咳払いをする。
「原因は、ライゼルだ」
「殿下!」
床から声が飛ぶ。
「事実だ」
「僕は!」
「最初に火球を撃った」
「……」
「その後、ファイアランス。さらにウィンドカッター。最後にフレイムストーム」
学園長の眉が、一つずつ上がっていく。
「廊下で?」
「廊下で」
「他の生徒がいる状態で?」
「いた」
「結界は?」
「オリビアが途中から張った」
学園長は目を閉じた。
しばらく動かない。
やがて。
「ライゼル・シュザー君」
静かな声。
「はい……」
「後ほど、学園長室へ」
「……はい」
「シュザー侯爵家にも連絡します」
「それは!」
「当然です」
「父上には!」
「当然、御報告します」
ライゼル様の顔が絶望に染まった。
魔法師団長である父親は、かなり厳しい人なのだろうか。
「そして」
学園長が俺を見る。
「クルセス・シルフィール君」
「はい」
「あなたも学園長室へ」
「なぜですか!?」
「ライゼル君へ膝蹴りをしたのでしょう?」
「正当防衛です!」
「事情を聞く必要があります」
「分かりました……」
逃げられないらしい。
「私も行きます!」
お嬢様が手を上げた。
「オリビアさんは授業へ」
「ですが、セスは私を守っただけです!」
「分かっています」
「なら!」
「あなたは当事者でもあります。後ほど話は聞きます。しかし、今は午後の授業へ戻ってください」
「嫌です」
「オリビアさん」
「セスだけ呼ばれるなら、私も行きます」
「リビア」
「何?」
「授業へ行け」
「嫌よ」
「俺は大丈夫だから」
「でも」
「先生方がいる」
お嬢様は黙った。
学園長を見る。
レイモンド先生を見る。
最後に俺へ戻る。
「……本当に?」
「ああ」
「勝手にどこかへ行かない?」
「学園長室から?」
「セスなら窓からでも出そう」
「出ない」
「絶対?」
「絶対」
「……分かったわ」
渋々。
本当に渋々、頷いた。
「でも、授業が終わったらすぐに行くから」
「分かった」
「待っていてね」
「分かった」
「先に帰らないで」
「分かった」
「他の女の子と話さないで」
「それは関係ないだろ」
「大切です」
「先生、早く連れていってください」
「私もそうしたほうが良いと思います」
レイモンド先生と意見が一致した。
お嬢様は不満そうに頬を膨らませた。
「クルセス様」
ナナリー様が声をかける。
「私も後ほど伺います」
「ナナリー様まで?」
「目撃者ですので」
「……」
お嬢様の目が細くなる。
「私より先に行くつもりでは?」
「授業が終わる時間は同じです」
「教室から一緒に行きます」
「分かりました」
また妙な勝負が始まりそうだ。
「アルフォルド殿下」
学園長が今度は第一王子を見る。
「殿下にも、後ほど御時間をいただきます」
「分かった」
「カイゼル殿下も」
「僕も?」
「目撃者です」
「はいはい」
「サザリー君も」
「承知しました」
結局。
かなりの人数が事情聴取を受けることになった。
ライゼル様はエレナ先生と別の教師に支えられ、救護室へ運ばれていく。
俺も学園長とレイモンド先生に挟まれる形で歩き始めた。
「セス!」
背後から声。
振り返る。
お嬢様が立っている。
心配そうな顔。
「大丈夫だから」
俺が言うと。
お嬢様は少しだけ迷い。
「……うん」
頷いた。
その後ろでは、第一王子。
隣国の王子。
宰相の息子。
ナナリー様。
ミリアナ様。
大勢の生徒たち。
皆が、俺を見ている。
編入初日。
まだ午後の授業すらまともに受けていない。
なのに。
剣術で学年最強候補に勝ち。
子爵令嬢から王子様と呼ばれ。
魔法師団長の息子を膝蹴りで沈め。
これから学園長室へ連行される。
「……」
俺は天井を見上げた。
朝。
校門の前で思った。
平穏な学園生活を送りたい。
今なら、はっきり分かる。
そんなもの。
最初から無理だった。
「シルフィール君」
「はい」
レイモンド先生が、疲れた声で言う。
「明日は、普通に登校してくださいね」
「俺も、そのつもりです」
「何も起こさずに」
「俺から起こしたことは一つもありません!」
「それが一番困るのです!」
先生の悲痛な声が、廊下へ響いた。
こうして。
王立学園へ編入した初日。
俺は人生で初めて。
学園長室へ呼び出されることになった。




