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第6話 魔法師団長の御子息様、廊下で本気の魔法を撃つのは無理があります



「ファイアランス」


 ライゼル・シュザー様の右手に集まっていた赤い魔力が、一気に形を持った。


 炎。


 それも先ほどの火球とは比べものにならない。


 細く鋭く圧縮された炎が一本の槍となり、熱によって周囲の空気を歪ませながら、彼の掌の前でゆっくりと回転している。


 ただ炎を固めただけではない。


 先端へ魔力を集中させ、貫通力を高めている。


 もし、あれが人間へまともに当たれば。


 火傷だけでは済まない。


「ライゼル様!」


 お嬢様の声が廊下へ響いた。


「今すぐ魔法を消してくださいませ!」


「嫌だ」


 紫色の髪をした少年は、こちらから一度も視線を逸らさない。


「そいつさえ消えれば、全部元通りになる」


「何が元通りになるというのですか!」


「リビアが僕を見る」


「見ません!」


 即答だった。


「セスがいようといまいと、私は貴方をそういう意味で見ることなどありません!」


「今は、そう思い込まされているだけだ」


「誰に!?」


「そいつに決まっている!」


 炎の槍が、さらに強く燃え上がる。


 お嬢様の足元から広がった結界が、周囲の生徒たちを包んだ。


 透明な膜が幾重にも重なり、俺たちと見物していた生徒たちの間へ壁を作る。


「皆様、下がってください!」


 お嬢様の言葉に、周囲の生徒たちが一斉に動いた。


 悲鳴を上げる者。


 友人の腕を引いて走る者。


 状況を理解できず立ち尽くしていた者も、近くの生徒に引っ張られて結界の奥へ下がっていく。


 廊下の左右に並ぶ教室からも、生徒たちが顔を出していた。


「何があった!?」


「魔法だ!」


「ライゼル様が!」


「先生を呼んで!」


 騒ぎが一気に広がる。


「セス」


 背後から、お嬢様の声。


「下がって」


「リビアこそ下がれ」


「私なら結界で防げるわ」


「だからって前に出るな」


「でも」


「俺が先にいる」


 短く言った。


 自分でも驚くほど自然に出た言葉だった。


 お嬢様が黙る。


 俺は右手を前へ出した。


 ライゼル様の炎の槍。


 属性は火。


 なら、水で受けるのが最も簡単だ。


 ただし、先ほどのファイアボールより遥かに魔力密度が高い。


 普通のアクアウォールでは、貫かれる可能性がある。


「クルセス」


 第一王子アルフォルド殿下が、険しい声で俺を呼んだ。


「避けろ! あれは受けるな!」


 殿下も魔法の危険性を理解している。


 銀髪のカイゼル殿下は、すでに周囲の生徒を逃がすため、近くにいた者へ指示を飛ばしていた。


「そこの君たち、階段側へ! 押すな! 走る必要はない!」


 サザリー様も、結界の内側で別の生徒へ声をかけている。


「教師を呼んでください。魔法科の先生を優先して」


「は、はい!」


 この状況でも冷静だ。


 一方、ライゼル様だけは止まらない。


「消えろ」


 炎の槍が放たれた。


 速い。


 一直線に俺の胸へ飛んでくる。


「アクアウォール!」


 俺の前へ、水の壁を展開する。


 先ほどより厚く。


 魔力を中央へ集中。


 炎の槍が水面へ突き刺さった。


 ジュッ――!


 凄まじい蒸気が爆発するように広がった。


「きゃっ!」


「うわっ!」


 周囲から声が上がる。


 視界が一瞬、白く染まった。


 熱い蒸気が顔へ触れる。


 だが、槍は止まった。


 水の壁の中央に突き刺さったまま、炎が小さくなっていく。


 最後には音を立てて消えた。


「……」


 ライゼル様が僅かに目を見開いた。


「防いだ?」


「今ので終わりにしてください」


 水の壁を消す。


 床へ落ちた水が、薄く廊下を濡らした。


「これ以上は、さすがに教師の方々も黙っていないと思います」


「黙れ」


「ライゼル様」


「平民のくせに」


 彼の表情が歪む。


「僕と同じ場所に立っているだけでも不愉快なのに、リビアの隣にいる?」


「俺は」


「リビアが、そいつを見て笑っていた」


 声が震えている。


 怒りだけではない。


 焦り。


 嫉妬。


 恐怖。


 そういうものが、混ざっているように見えた。


「僕には、あんな顔をしたことがない」


「当然ですわ」


 お嬢様の声が飛ぶ。


「ライゼル様とセスは、全く違いますもの」


「リビア!」


「私が誰へ笑いかけるかまで、貴方に決められる覚えはありません!」


「僕は!」


 ライゼル様の魔力が膨れ上がった。


 先ほどより大きい。


 火の魔力と。


 風の魔力。


 二つが混ざる。


 嫌な感じだ。


「ライゼル、やめろ!」


 アルフォルド殿下が叫んだ。


「廊下で複合魔法を使うな!」


「邪魔するな!」


 ライゼル様が腕を振った。


「ウィンドカッター!」


 今度は炎ではない。


 目に見えにくい風の刃が、複数。


 しかも。


「まずい!」


 狙いが俺だけではない。


 ライゼル様の魔力が乱れている。


 放たれた風の刃は扇状に広がり、俺、お嬢様、第一王子たち。


 さらに、結界の奥へ避難している生徒たちの方向へまで飛んでいった。


「リビア!」


 考える前に身体が動いた。


 足へ雷の魔力を流す。


「迅雷撃破!」


 視界が変わる。


 音が遠くなる。


 周囲の動きが遅く見えた。


 最優先。


 お嬢様。


 俺は地面を蹴った。


 一瞬で距離を詰め、お嬢様の前へ立つ。


「セス!?」


 風の刃が迫る。


 木剣は持っていない。


 なら。


 足へ雷の魔力を集中。


「はっ!」


 回し蹴りを叩き込む。


 目には見えにくい風の塊が、雷をまとった脚へ触れた。


 衝撃。


 空気が弾ける。


 風の刃が崩れ、細かな風圧となって周囲へ散った。


「なっ!?」


 誰かの声が聞こえた。


 構っている暇はない。


「リビア、動くな!」


「え?」


 次。


 結界の奥にいる生徒。


 迅雷撃破の速度をさらに上げる。


 床を蹴る。


 一人目。


 女子生徒へ向かう風刃。


 拳で横から叩き、軌道を逸らす。


 二人目。


 男子生徒の頭上。


 跳ぶ。


 踵を落とし、風の刃を地面へ叩きつける。


 三本目。


 ミリアナ様の方向。


「伏せて!」


「きゃっ!」


 反射的に屈んだ頭上を越え、俺が風刃の前へ入る。


 手のひらへ雷魔力を集める。


「雷掌!」


 叩く。


 風が弾ける。


 残り。


 視線を動かす。


 ナナリー様。


「ナナリー様!」


「はい!?」


 アシュが彼女を抱えるように引き寄せていた。


 結界がある。


 だが、安心はできない。


 お嬢様が張った膜の一枚へ風刃がぶつかる。


 透明な表面に波紋が走った。


 耐えた。


 よし。


 その瞬間。


 視界の端に三本の風刃が見えた。


 第一王子。


 カイゼル殿下。


 サザリー様。


「……」


 一瞬だけ考えた。


 あの人たちは、お嬢様へ求婚している。


 つまり。


 俺の敵。


 いや。


 違う。


 敵ではない。


 ただ面倒なだけだ。


 でも。


「まあ……」


 あれくらい、自分たちで何とかしてくれるだろう。


「セス!?」


 お嬢様が俺の考えを察したような声を上げた。


「何だ?」


「今、あちらを見て諦めたでしょう!?」


「王族と高位貴族だ。自分の身くらい守れるだろ」


「それはそうだけど!」


 予想通りだった。


「ライトシールド!」


 アルフォルド殿下の前へ、白く輝く盾が現れる。


 光魔法。


 王家の血を引く者だけが使えるとされる特殊属性。


 風の刃が光の盾へぶつかり、弾けた。


 隣ではカイゼル殿下が素早く腰の短剣を抜き、風刃の軌道を読んで身を逸らした。


「危ないな」


 軽い声。


 そのまま短剣の腹で風の刃を横へ流している。


 サザリー様は。


「アースウォール」


 足元から、小さな土壁を出した。


 魔術は得意ではないと聞いていたが、防御する程度なら問題ないらしい。


 風刃が壁へ食い込み、砕けた土が床へ散る。


「ほら」


 俺はお嬢様を見る。


「大丈夫だった」


「結果論です!」


「でも大丈夫だった」


「そういう問題ではないわ!」


「今はこっちだ」


 俺は再びライゼル様を見る。


 彼は呆然としていた。


「……今のを」


 震える声。


「全部、止めた?」


「全部ではありません」


 第一王子たちの分は自分で止めてもらった。


「貴様……何なんだ」


「執事見習いです」


「ふざけるな!」


「ふざけていません」


「執事が!」


 ライゼル様の魔力が再び膨れ上がる。


 もう駄目だ。


 話が通じる状態ではない。


 しかも、今度は周囲を巻き込んだ。


 お嬢様まで。


 俺の中で、何かが切り替わった。


「ライゼル様」


 俺は一歩、前へ出る。


「警告はしました」


「何だ」


「俺への攻撃だけなら、まだ我慢できます」


「……」


「でも」


 声が、自分でも分かるほど低くなった。


「お嬢様へ当たる可能性のある魔法を撃った」


 ライゼル様の顔が僅かに引きつる。


 俺はさらに一歩。


「それは許せません」


「セス」


 背後からお嬢様の声。


「……やってしまいなさい」


「リビア」


「今回は止めません」


「いや、止めるところは止めてくれ」


「では、死なない程度に」


「基準がおかしい」


「骨折二本までなら」


「具体的にするな」


 こんな状況なのに、少しだけいつもの調子へ戻れた。


「貴様が」


 ライゼル様が歯を食いしばる。


「僕へ、何ができる!」


 両手を広げた。


 火。


 風。


 二属性の魔力が、再び集まる。


 今度は明らかに大技だ。


「ライゼル!」


 第一王子殿下が叫ぶ。


「そこまでだ! 王族として命じる、魔法を解け!」


「嫌だ!」


「命令だ!」


「リビアは僕のものだ!」


「誰のものでもありませんわ!」


 お嬢様の怒声。


「いい加減にしてくださいませ!」


「リビア!」


「その呼び方もやめてください!」


 火と風が混ざる。


 炎は風で勢いを増す。


 廊下の温度が上がった。


 壁に掛けられた絵画が熱で揺れる。


 床の水が蒸発を始めた。


 これはまずい。


「セス」


「分かってる」


「結界を強めるわ」


 お嬢様が両手を前へ出した。


「多重結界!」


 透明な膜が、俺たちの背後へ何重にも張られる。


 生徒たち。


 ナナリー様。


 ミリアナ様。


 教師が到着するまで、何としても守るつもりらしい。


「リビア」


「何?」


「後ろを頼む」


 一瞬。


 お嬢様の瞳が揺れた。


 俺が昔使っていた言葉だった。


 危ない遊びをして、誰かに見つかりそうになったとき。


 俺が先へ行き、お嬢様に後ろを見てもらう。


 そんな子供の頃。


「……任せて」


 返事も、昔と同じだった。


 俺は笑う。


 正面へ向き直る。


「来い!」


 ライゼル様が叫んだ。


「フレイムストーム!」


 炎が爆ぜた。


 廊下の幅いっぱいに広がる火炎。


 風によって渦を巻き、巨大な炎の波となって押し寄せてくる。


「うわああ!」


「熱い!」


「下がれ!」


 結界の向こうから悲鳴。


 俺は足へ雷魔力を集中。


「迅雷撃破」


 身体が軽くなる。


 そして。


 前へ。


「セス!?」


 炎の中へ走り込んだ。


 普通なら自殺行為だ。


 だが、魔法には核がある。


 術者から放たれた魔力の流れ。


 火と風を繋いでいる中心。


 そこを崩せば。


「見えた」


 右前方。


 魔力が最も濃い場所。


 俺は手へ水魔力を集中させた。


「アクアブレイク!」


 拳を突き出す。


 圧縮した水が、槍のように炎の中心へ突き刺さった。


 爆発。


 水蒸気。


 炎が左右へ裂ける。


 俺はその隙間を走り抜けた。


「なっ!」


 ライゼル様の顔が見えた。


 距離。


 五歩。


 三歩。


 一歩。


「来るな!」


 ライゼル様が咄嗟に右手を上げる。


「ファイア――」


「遅い」


 詠唱を終える前に懐へ入った。


 迅雷撃破。


 解除。


 雷をまとったまま攻撃すれば、本当に大怪我をさせる。


 俺は右足で地面を踏み込み。


「歯ぁ、食いしばってください!」


「何――」


 膝。


 顔面。


「ぐふっ!」


 鈍い音。


 ライゼル様の身体が後ろへ浮いた。


 そのまま数歩分、地面を滑る。


「ライゼル!」


 アルフォルド殿下の声。


 紫色の髪が床へ広がった。


「……う」


 完全には意識を失っていない。


 鼻を押さえ、呻いている。


「痛っ……」


「生きていますね」


「当たり前でしょう!」


 お嬢様が結界を解除しながら走ってきた。


「セス!」


「リビア」


「怪我は!?」


 俺の両肩を掴む。


「火傷してない!?」


「してない」


「本当に?」


「ああ」


「髪は!?」


「少し焦げたかも」


「え!?」


 お嬢様の顔色が変わった。


「どこ!?」


「毛先だけ」


「見せて!」


「後でいい」


「よくありません!」


 俺の頭を両手で掴み、左右へ動かす。


「リビア」


「動かないで!」


「ライゼル様が倒れてる」


「生きているのでしょう?」


「一応」


「なら後です」


 優先順位がおかしい。


「オリビア」


 第一王子殿下が近づいてきた。


「怪我はないか?」


「ございません」


 お嬢様は俺の髪を確認しながら答えた。


 殿下を見てすらいない。


「クルセスが守ったのか」


「当然ですわ」


「当然なのか?」


「セスですもの」


 なぜか誇らしげだ。


 俺は返答に困る。


「クルセス」


 今度はカイゼル殿下が近づいた。


 銀色の髪。


 柔らかな笑顔。


 隣国の第二王子と聞いていたが、第一印象はアルフォルド殿下より少し軽い。


「初対面で悪いが、一つ聞いても?」


「何でしょうか」


「今、僕たちの風刃だけ放置したよね?」


「……」


「見たよ?」


 笑っている。


 だが、目が少し怖い。


「お嬢様と周囲の生徒を優先しました」


「うん」


「殿下方なら自力で防げると判断しました」


「なるほど」


 カイゼル殿下は頷く。


「合理的ではある」


「ありがとうございます」


「でも、少し傷つくな」


「申し訳ございません」


「僕はいい」


 カイゼル殿下はアルフォルド殿下を見る。


「そっちの王子様、顔が引きつってるから」


「引きつってなどいない!」


「いや、完全に置いていかれた顔だったよ」


「黙れ、カイゼル!」


「敵国……ではないか。友好国の王子へ黙れは酷いな」


「今はお前の話ではない!」


 二人が言い合い始める。


 王子というのは、もう少し静かな人たちだと思っていた。


「クルセス」


 サザリー様が近づく。


「先ほどの動きは、編入試験でも使った魔法か?」


「迅雷撃破ですか?」


「ああ」


「そうです」


「雷を身体へ流し、反応速度を上げているように見えた」


「その認識で合っています」


「危険では?」


「制御を失えば危険です」


「では、なぜ使う」


「必要だったので」


 サザリー様は黙る。


 視線が俺からお嬢様へ。


 お嬢様から、床へ倒れているライゼル様へ移る。


「君は」


「はい」


「オリビアを守るためなら、躊躇しないのだな」


「当然です」


「……そうか」


 短い返事。


 そこに何が込められているのかは分からない。


「クルセス様!」


 ナナリー様が走ってきた。


 お嬢様の反応が早い。


 俺の前へ一歩出る。


「そこで止まってくださいませ!」


「え?」


「先ほどのように抱きつくのは禁止です!」


「抱きつくつもりは」


「本当ですか?」


「……少しだけ、安心して」


「本当だったのですね!」


 ナナリー様が視線を逸らした。


「だって、炎の中へ入っていかれたので!」


「気持ちは分かります」


 お嬢様の声が少しだけ柔らかくなる。


「私も心臓が止まるかと思いました」


「オリビア様も?」


「当然です!」


「では、一緒に怒りませんか?」


「それは良い考えですわ」


「何で同盟を組むんですか」


 嫌な予感がする。


「クルセス様」


 ナナリー様が頬を膨らませる。


「炎へ飛び込むなんて危険です!」


「必要だったので」


「セス」


 お嬢様の声が低くなる。


「その言葉は禁止します」


「なぜ?」


「危険なことを正当化するのに便利すぎるからです」


「実際必要だった」


「だから禁止です!」


「理不尽だな」


「命が大切だから言っているの!」


 お嬢様が俺の胸を指で押した。


「セスが私を守ってくれるのは嬉しいわ」


「なら」


「でも、セスが死んだら意味がないの!」


 強い声だった。


 周囲の空気が少し静かになる。


 お嬢様の瞳が揺れている。


 本気で怖かったのだ。


 俺が炎の中へ消えた瞬間。


 もしかすると。


 二度と出てこないのではないかと。


「……ごめん」


 自然に謝った。


「次からは、もう少し安全な方法を考える」


「絶対?」


「ああ」


「本当に?」


「約束する」


 お嬢様はしばらく俺を見つめた。


「では、許します」


 小さく息を吐く。


 ナナリー様も胸を撫で下ろした。


「私もです」


「ナナリー様に許可を求めた覚えはないのですが」


「命の恩人には長生きしていただきたいので」


「ありがとうございます」


「そこ! 二人だけで会話しない!」


「リビア、今のは普通の会話だ」


「今後のために警戒しています」


 疲れる。


 でも。


 少しだけ。


 楽しいと思ってしまっている自分もいる。


「何をしている!」


 廊下の向こうから怒声が響いた。


 全員が振り返る。


 走ってくる教師たち。


 先頭にいるのは、レイモンド先生。


 その後ろに魔術科のエレナ先生。


 さらに、学園長のオズワルド先生までいる。


「全員、その場を動くな!」


 レイモンド先生の声。


 床には水。


 焦げ跡。


 崩れた土壁。


 倒れているライゼル様。


 そして。


 廊下中央に立つ俺たち。


 先生の顔が、見る見る険しくなっていく。


「……シルフィール君」


「はい」


「私は今朝、何と言いましたか?」


「何か問題があれば、教師へ相談するように、と」


「覚えているのですね」


「はい」


「では」


 先生は一度、深く息を吸った。


「なぜ編入初日の昼休みに、廊下が半壊しかけているのですか!?」


「俺が壊したわけではありません!」


「分かっています!」


「では、なぜ俺に!」


「あなたを中心に問題が発生しているからです!」


「理不尽です!」


「私もそう思います!」


 教師と生徒で意見が一致してしまった。


 レイモンド先生は額を押さえた。


「エレナ先生、ライゼル君を」


「分かりました」


 エレナ先生が倒れているライゼル様のところへ向かう。


 膝をつき、鼻や頭部を確認する。


「意識はありますか?」


「……あります」


「どこが痛いですか?」


「鼻……と、顔全部」


「顔面へ何を受けたのですか?」


「膝です」


 エレナ先生が俺を見る。


「あなたですね?」


「はい」


「迅雷撃破は?」


「解除してからです」


「それなら、まだ良かったです」


「良くないだろ!」


 ライゼル様が起き上がろうとして顔を押さえた。


「痛っ!」


「動かないでください」


 先生に押さえられる。


 お嬢様が小さく呟いた。


「もう一発くらい」


「リビア」


「何も言っていないわ」


「聞こえた」


「幻聴よ」


「最近、幻聴が多いな」


「疲れているのね」


「原因が隣にいる気がする」


「気のせいよ」


 会話をしていると、学園長がゆっくりこちらへ来た。


 穏やかな顔。


 しかし。


 目が笑っていない。


「アルフォルド殿下」


「はい」


「何があったのか、最初から御説明いただけますか?」


「私が?」


「この場で最も身分が高く、状況を客観的に説明できそうなのが殿下です」


 カイゼル殿下が横から口を挟む。


「僕も王族ですよ?」


「他国の王族ですので」


「なるほど。合理的だ」


「感心している場合か!」


 アルフォルド殿下が咳払いをする。


「原因は、ライゼルだ」


「殿下!」


 床から声が飛ぶ。


「事実だ」


「僕は!」


「最初に火球を撃った」


「……」


「その後、ファイアランス。さらにウィンドカッター。最後にフレイムストーム」


 学園長の眉が、一つずつ上がっていく。


「廊下で?」


「廊下で」


「他の生徒がいる状態で?」


「いた」


「結界は?」


「オリビアが途中から張った」


 学園長は目を閉じた。


 しばらく動かない。


 やがて。


「ライゼル・シュザー君」


 静かな声。


「はい……」


「後ほど、学園長室へ」


「……はい」


「シュザー侯爵家にも連絡します」


「それは!」


「当然です」


「父上には!」


「当然、御報告します」


 ライゼル様の顔が絶望に染まった。


 魔法師団長である父親は、かなり厳しい人なのだろうか。


「そして」


 学園長が俺を見る。


「クルセス・シルフィール君」


「はい」


「あなたも学園長室へ」


「なぜですか!?」


「ライゼル君へ膝蹴りをしたのでしょう?」


「正当防衛です!」


「事情を聞く必要があります」


「分かりました……」


 逃げられないらしい。


「私も行きます!」


 お嬢様が手を上げた。


「オリビアさんは授業へ」


「ですが、セスは私を守っただけです!」


「分かっています」


「なら!」


「あなたは当事者でもあります。後ほど話は聞きます。しかし、今は午後の授業へ戻ってください」


「嫌です」


「オリビアさん」


「セスだけ呼ばれるなら、私も行きます」


「リビア」


「何?」


「授業へ行け」


「嫌よ」


「俺は大丈夫だから」


「でも」


「先生方がいる」


 お嬢様は黙った。


 学園長を見る。


 レイモンド先生を見る。


 最後に俺へ戻る。


「……本当に?」


「ああ」


「勝手にどこかへ行かない?」


「学園長室から?」


「セスなら窓からでも出そう」


「出ない」


「絶対?」


「絶対」


「……分かったわ」


 渋々。


 本当に渋々、頷いた。


「でも、授業が終わったらすぐに行くから」


「分かった」


「待っていてね」


「分かった」


「先に帰らないで」


「分かった」


「他の女の子と話さないで」


「それは関係ないだろ」


「大切です」


「先生、早く連れていってください」


「私もそうしたほうが良いと思います」


 レイモンド先生と意見が一致した。


 お嬢様は不満そうに頬を膨らませた。


「クルセス様」


 ナナリー様が声をかける。


「私も後ほど伺います」


「ナナリー様まで?」


「目撃者ですので」


「……」


 お嬢様の目が細くなる。


「私より先に行くつもりでは?」


「授業が終わる時間は同じです」


「教室から一緒に行きます」


「分かりました」


 また妙な勝負が始まりそうだ。


「アルフォルド殿下」


 学園長が今度は第一王子を見る。


「殿下にも、後ほど御時間をいただきます」


「分かった」


「カイゼル殿下も」


「僕も?」


「目撃者です」


「はいはい」


「サザリー君も」


「承知しました」


 結局。


 かなりの人数が事情聴取を受けることになった。


 ライゼル様はエレナ先生と別の教師に支えられ、救護室へ運ばれていく。


 俺も学園長とレイモンド先生に挟まれる形で歩き始めた。


「セス!」


 背後から声。


 振り返る。


 お嬢様が立っている。


 心配そうな顔。


「大丈夫だから」


 俺が言うと。


 お嬢様は少しだけ迷い。


「……うん」


 頷いた。


 その後ろでは、第一王子。


 隣国の王子。


 宰相の息子。


 ナナリー様。


 ミリアナ様。


 大勢の生徒たち。


 皆が、俺を見ている。


 編入初日。


 まだ午後の授業すらまともに受けていない。


 なのに。


 剣術で学年最強候補に勝ち。


 子爵令嬢から王子様と呼ばれ。


 魔法師団長の息子を膝蹴りで沈め。


 これから学園長室へ連行される。


「……」


 俺は天井を見上げた。


 朝。


 校門の前で思った。


 平穏な学園生活を送りたい。


 今なら、はっきり分かる。


 そんなもの。


 最初から無理だった。


「シルフィール君」


「はい」


 レイモンド先生が、疲れた声で言う。


「明日は、普通に登校してくださいね」


「俺も、そのつもりです」


「何も起こさずに」


「俺から起こしたことは一つもありません!」


「それが一番困るのです!」


 先生の悲痛な声が、廊下へ響いた。


 こうして。


 王立学園へ編入した初日。


 俺は人生で初めて。


 学園長室へ呼び出されることになった。

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