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第52話 勝負が終わったあと、最初に会いたかったのは婚約者でした

「今の一撃――」


 レイモンド先生の声がそこで一度止まり、静まり返った第二剣術訓練場に、俺とアルフォルドの荒い呼吸だけが残った。


 俺の模擬剣はアルフォルドの胴防具へ触れている。一方、アルフォルドの剣も俺の右腕防具へ届いており、どちらも明確に外したとは言えない位置だった。


(どっちが先だった?)


 自分では分からない。


 最後の瞬間、俺はアルフォルドが剣を弾こうとした力を受け止めず、その方向へ逃がしながら剣先を戻した。アルフォルドもほぼ同時に軌道を修正し、俺の右腕へ打ち込んできている。


 体感では、本当にほとんど同時だった。


 だから判定を待つしかない。


 アルフォルドも動かなかった。額から汗が流れているが、それを拭おうともせず、レイモンド先生へ視線を向けている。


 先生はまず俺の剣先を見た。


 次にアルフォルドの剣。


 それから俺たちの足元と姿勢を順番に確認し、ようやく口を開いた。


「クルセス、有効一本」


 一瞬、言葉の意味が頭へ届かなかった。


「……俺?」


「そうだ」


 先生が頷く。


「アルフォルド殿下の打撃もほぼ同時に入っている。ただし、クルセスの剣が胴防具へ明確に接触した方がわずかに早い。時間にすれば、判定する意味があるか迷う程度の差だ」


 胸の奥から一気に熱が広がった。


「したがって第三本はクルセス。二本対一本で――この交流はクルセスの勝ちとする」


 その言葉が訓練場へ響いた直後、観覧区画から大きな声が上がった。


「よっしゃあ!」


 誰なのか確認するまでもない。


 イザークだ。


「うるさい」


 ミリアナの声も聞こえたが、本人もかなり嬉しそうだった。


「だって勝ったぞ!」


「見れば分かるって!」


「クルセス様、おめでとうございます!」


 ナナリーの声も重なる。


 ほかの見学生徒からも拍手や驚いた声が上がり、さっきまで張り詰めていた訓練場の空気が一気にほどけていく。


 俺はその中で、まだ剣を握ったままアルフォルドを見た。


「……勝った」


「ああ」


 アルフォルドが小さく息を吐いた。


 悔しそうだった。


 当然だと思う。


 俺だって負けていたら悔しかった。


 でも彼はすぐに剣を下げると、俺へ向けて右手を差し出した。


「今回はお前の勝ちだ、クルセス」


 その言葉を聞いた瞬間、嬉しさがようやく現実になった。


「ありがとう」


 俺も剣を左手へ持ち替え、差し出された手を握る。


「でも、本当に少しだけだった」


「分かっている。だから余計に悔しい」


「俺も一本目は取られたし」


「あれを取った時は、このまま行けると思ったんだがな」


「俺も二本目を取った時は、次も行けると思った」


「同じか」


「たぶん」


 顔を見合わせる。


 どちらからともなく笑った。


 勝ったことは嬉しい。


 ものすごく嬉しい。


 でも、アルフォルドが弱かったから勝ったわけではない。


 むしろ強かった。


 一本目を取られた時、本気でまずいと思った。二本目も何度か防具へ届きかけたし、最後だってほんの少し違えば俺の負けだった。


「次は勝つ」


 アルフォルドが言う。


「俺も次は負けない」


「次がある前提か?」


「ないの?」


「あるに決まっている」


 握っていた手を離す。


 それだけで、次の約束としては十分だった。


「二人とも、感想戦は後だ」


 レイモンド先生が近づいてきた。


「まず剣を置け。身体強化は解除済みだな?」


「はい」


「解除しています」


「クルセス、右腕を見せろ」


 言われて模擬剣を指定場所へ置き、右腕を差し出す。


 防具の上から受けた一撃だったので、強い痛みはない。ただ、勝敗が決まって気が抜けたせいか、さっきよりじんわりとした感覚が分かるようになっていた。


「痛みは?」


「今は二くらいです」


「動かせるか?」


「はい」


 肘を曲げ、手首を回し、指を開閉する。


 違和感はない。


「痺れ」


「ありません」


「握力低下は?」


 先生に渡された短い棒を握る。


「ないと思います」


「反対と比べる」


 左右で同じ動作を行う。


 大きな差は感じない。


「打撲程度だろうが、後で治療室へ寄れ。痛みが増えたらその時点で申告」


「はい」


 先生は次にアルフォルドの胴防具を確認する。


「殿下、痛みは?」


「一です。防具に当たっただけです」


「呼吸時の違和感」


「ありません」


「念のためこちらも治療室へ。王族だからではなく、今日の参加者だから行ってもらいます」


「分かっています」


 アルフォルドが苦笑した。


 俺も少し笑う。


 こういうところは本当に変わらない。


 誰だからではなく、必要だから確認する。


 その方が俺にはありがたかった。


「疲労は?」


「六くらいです」


 俺が答えると、アルフォルドも少し考える。


「私も六程度です」


「今日は追加の剣術訓練禁止。魔術訓練も高負荷のものは禁止だ。帰宅後に痛みや疲労が増した場合は、それぞれ保護者へ申告すること」


「はい」


「分かりました」


「それからクルセス」


「はい」


「最後の停止は良かった」


 思っていなかった言葉に、俺は瞬きをした。


「最後?」


「第三本だ。判定が出る前に俺が止めた時、身体強化まで即時に落とした」


「あ……はい」


「先日の魔術実習では、停止指示の瞬間に予定していた手順を続けかけたと聞いている。今回は出来ていた。それでいい」


 そう言われて初めて、自分が止まれたことを意識した。


 最後は勝敗がかかっていた。


 あと少し動けば、もっと明確に打ち込めたかもしれない。


 それでも先生の「止め」を聞いた瞬間、剣も身体も止めた。


(……ちゃんと止まれたんだな)


 勝ったこととは別のところで、少し嬉しくなる。


「ありがとうございます」


「礼を言うほどではない。当然のことを当然に出来るようにしろ」


「はい」


「アルフォルド殿下も停止は問題ありませんでした」


「ありがとうございます」


「では防具を外せ。見学者も訓練区画にはまだ入るな。片付けが終わるまで待て」


 先生の指示に従い、俺たちは壁際へ向かった。


     ◇


 防具を外すと、身体が急に軽くなった。


 胸当てを置き、腕の防具を外したところで右腕を見る。制服の上からでは分からないが、触ると少しだけ痛い。


(治療室は行こう)


 別に我慢する理由はない。


 剣術交流前にリビアとも、必要なら治療して帰ると話している。


 むしろ治療室へ行かずに帰れば怒られる。


「右腕どうだ?」


 隣で防具を外していたアルフォルドが聞いてきた。


「少し痛い。でも二くらい」


「最後のか?」


「たぶん」


「悪かった」


「勝負なんだから謝らなくていいよ」


「それはそうだが」


「俺も胴に当てたし」


「私の方はほとんど痛くない」


「ならよかった」


 防具を片付けながら話していると、アルフォルドが少し黙った。


「クルセス」


「何?」


「最後、なぜ剣を受けなかった?」


「弾こうとした時?」


「ああ。普通なら握りを強くして耐えると思った」


「耐えたら、そのまま外まで弾かれると思ったから」


「だから力を抜いた?」


「うん。弾かれるなら、弾かれる方向へ一回逃がして、戻した方が早いかなって」


「その場で考えたのか?」


「たぶん」


「たぶん?」


「考えたっていうより、そうした方がいい気がした」


 アルフォルドが額へ手を当てる。


「それを言われると腹が立つな」


「何で?」


「こちらはお前の剣を弾いた後の動きまで考えていた」


「俺だって考えてたよ」


「『気がした』と言っただろう」


「途中までは考えてた」


「途中から感覚か」


「たぶん」


「次までに対策する」


「じゃあ俺も別のこと考える」


「だから次がある前提で話すな」


「さっき自分であるって言っただろ」


「そうだったな」


 また笑う。


 第一王子と元スラムの平民だった俺。


 身分だけを並べれば、こうして剣の感想を言い合っている方がおかしいのかもしれない。


 でも学園では、もうそれだけではない。


 アルフォルドは友人で、剣では競う相手だ。


 俺は今日勝った。


 次は向こうがもっと強くなる。


 だったら俺も強くなりたい。


 それでいい。


「片付け終わったか?」


 レイモンド先生に聞かれ、俺たちは周囲を確認する。


「はい」


「こちらも終わっています」


「よし。見学者、入っていいぞ。ただし剣には触るな」


 許可が出た途端、イザークが一番に入ってきた。


「クルセス!」


「近い」


「最後の何だよ!」


「何が?」


「弾かれたのに戻したやつ!」


「今殿下とも話してた」


「俺にも説明しろ!」


「何でそんなに興奮してるんだよ」


「するだろ!」


 後ろから来たミリアナが呆れたように肩をすくめる。


「イザーク君、自分が戦ったみたいになってるよ」


「見てたらやりたくなるだろ!」


「今日はやらないよね?」


「……やらない」


「今ちょっと迷ったでしょう?」


「先生いるし」


「先生がいなかったらやる気だったんだ」


「軽くだぞ」


「駄目だろ」


 俺が言うと、イザークが不満そうにこちらを見る。


「お前に言われると何か腹立つ」


「何でだよ」


「昔のお前なら絶対この後振ってた」


「昔の俺の話だろ」


「それはそうだけど」


「明日やればいいじゃん」


「……そうする」


 素直に引いた。


 それが少し嬉しい。


 俺だけが変わったわけではなく、周りとのやり取りも変わっている。


「クルセス様」


 ナナリーが近づいてくる。


「おめでとうございます」


「ありがとう」


「最後、どちらが先か全然分かりませんでした」


「俺も分からなかった」


「先生には分かるんですね」


「判定する意味があるか迷うくらいだったらしいけど」


「それでも一本は一本だよ」


 ミリアナが言う。


「クルセス君、すごかった」


「ありがとう」


「殿下もすごかったです」


 ミリアナがアルフォルドを見る。


「一本目、あんなに綺麗に入ると思わなかった」


「あれは私も上手くいったと思う」


 アルフォルドが答える。


「二本目からクルセスに読まれ始めたが」


「殿下も俺の動き読んでたよ」


「互いに途中から読み合いになっていましたね」


 サザリーが穏やかに口を挟む。


「最初に見せた動きが、その後の判断材料になる。領地管理の判断と――」


 そこで自分から止まった。


「……似ていると言いかけましたが、やめておきます」


「何で?」


「ベルナルト先生から、何でも別分野へ一般化しないようにと言われたばかりでしょう」


「ああ」


「剣は剣として考えましょう」


「うん」


 カイゼル殿下が笑う。


「サザリーまで止まれるようになりましたね」


「クルセスと学習していると、自分にも必要だと分かりました」


「俺のせい?」


「おかげ、と言っておきます」


「それならいいけど」


 みんなの声が重なる。


 剣術交流の緊張が完全に解けていく。


 その中で、俺はまだ一人だけ話していない人を探した。


 探すまでもなかった。


 少し離れた場所に、リビアが立っている。


 目が合った。


 彼女はすぐには近づいてこなかった。


 俺が友人たちと話し終えるのを待っていたらしい。


(会いたい)


 同じ訓練場にずっといた。


 試合中も見てくれていた。


 それでも、終わった今は近くへ行きたい。


 俺はイザークたちへ「ちょっと行ってくる」とだけ言い、リビアの方へ歩いた。


     ◇


「リビア」


「セス」


 近くまで行くと、リビアの表情がはっきり見える。


 嬉しそうだった。


 でも、それだけではない。


 少しだけ目元が潤んでいるようにも見えた。


「勝った」


「うん」


「見てた?」


「全部見たよ」


 昨日約束した通りの答えだった。


「最初から最後まで、全部」


「そっか」


「おめでとう、セス」


「ありがとう」


 言われた瞬間、勝った時とは別の嬉しさが胸へ広がった。


 観覧区画から拍手された時も嬉しかった。


 イザークに騒がれたのも、ナナリーやミリアナに褒められたのも嬉しい。


 アルフォルドに勝ちを認めてもらえたことも嬉しかった。


 でも、リビアから言われると違う。


(好きな子に見てもらって、褒めてもらうのって、こんなに嬉しいんだな)


 昨日までなら、ここまで明確には分からなかった。


「セス?」


「何?」


「また考え事?」


「うん」


「今日、多いね」


「昨日からちょっと増えた」


「昨日から?」


「うん」


 リビアの瞳がわずかに動く。


 朝から俺が何度も「後で」と言っていたことを覚えているはずだ。


「それって、朝から言ってたこと?」


「……関係ある」


「そっか」


 それ以上聞かない。


 待ってくれている。


 そのことが今はよく分かる。


「右腕」


 リビアの視線が俺の腕へ落ちた。


「痛い?」


「二くらい」


「治療室行く?」


「行く」


「よかった」


「一緒に来る?」


 言ってから、少しだけ緊張した。


 別に大げさな誘いではない。


 治療室まで一緒に歩くだけだ。


 それでも、今は自分がなぜ誘ったのか分かっている。


 リビアと一緒にいたいから。


「うん。行く」


 すぐに答えてくれた。


「アルフォルド殿下も行くから、途中まではみんな一緒かもしれないけど」


「それでもいいよ」


「うん」


「それにしても」


 リビアが少し笑う。


「格好よかった」


「……また言うの?」


「終わったら言っていいでしょう?」


「さっきも言ってた」


「試合中だったから控えめにしたの」


「あれで?」


「うん」


「じゃあ今は?」


「すごく格好よかった」


 顔が熱くなる。


「リビア」


「何?」


「俺、今そういうのに弱いかもしれない」


「前から弱かったよ?」


「そうなの?」


「私が褒めると、いつも少し困った顔してたもの」


「知らなかった」


「セスは自分のこと、あんまり見てなかったから」


 その言葉に、返事が少し遅れた。


 責める言い方ではなかった。


 ただ事実として言っている。


 たぶん、その通りだと思う。


 自分が何をしたいのか。


 何が嬉しいのか。


 誰といたいのか。


 昔は、そういうことを後回しにする方が普通だった。


「今は?」


 俺が聞く。


「前より見てると思う」


「自分のこと?」


「うん」


「そっか」


「だから今日も、楽しそうだった」


「楽しかったよ」


「勝ったから?」


「それもあるけど、殿下と剣をやるのが楽しかった」


「うん」


「リビアが見てるのも嬉しかった」


 口に出してから、もう照れを誤魔化そうとは思わなかった。


 リビアの頬が少し赤くなる。


「……私も、見られて嬉しかった」


「見られて?」


「セスが時々こっちを見てくれたでしょう?」


「休憩の時?」


「うん」


「見たかったから」


「それが嬉しかったの」


 目が合ったままになる。


 少し前なら、どちらかが照れて視線を外していたかもしれない。


 今日は俺も、すぐには外さなかった。


(好きだな)


 自然に思う。


 もう疑問ではない。


 答えだ。


 目の前にいるリビアが好きだ。


 笑っている顔も、心配してくれるところも、剣を見て格好いいと言ってくれるところも、俺が答えを出すまで待ってくれているところも。


 全部を一つずつ理由として数えなくてもいい。


 好きだから好き。


 今なら、それでもいい気がする。


「クルセス、治療室へ行くぞ」


 後ろからレイモンド先生に呼ばれた。


「はい!」


 現実へ戻る。


 リビアが小さく笑った。


「行こう」


「うん」


     ◇


 治療室まではアルフォルドとレイモンド先生、それから俺とリビアの四人で向かった。


 イザークたちは訓練場の片付け確認が終わった後、そのまま帰るらしい。別れる前にイザークから「明日感想戦しようぜ」と言われたが、実際に剣を振るかどうかは明日の身体次第だと答えておいた。


 廊下には放課後の生徒がまだ残っている。


 部活動や自主練へ向かう者、図書館へ向かう者、帰宅する者が行き交い、窓の外では傾き始めた陽射しが校舎の影を長く伸ばしていた。


「殿下」


 歩きながら俺が呼ぶと、アルフォルドが振り返る。


「何だ?」


「次やるなら、今日と同じ条件?」


「もう次の話か」


「さっきあるって言っただろ」


「言ったが、今決めることではない」


「それもそうか」


「次までに互いに変わっているかもしれない。条件はその時に教師と相談すればいい」


「分かった」


 自分から先の予定を決めようとしていたことに気づく。


 でも今回は、焦っているわけではない。


 単純にまたやりたいと思っただけだ。


「殿下も楽しかった?」


「負けた直後の相手に聞くか?」


「俺だったら負けても楽しかったと思う」


「……まあ、楽しかった」


「ならよかった」


「次はもっと楽しくしてやる」


「それ、勝つって意味?」


「当然だ」


「じゃあ俺も」


「お前は少し黙れ」


 アルフォルドが笑う。


 その後ろでリビアも笑っていた。


     ◇


 治療室では、予想通り大きな問題はなかった。


 俺の右腕は軽い打撲。


 冷却と簡単な治療魔術だけで済み、今夜は強い負荷をかけず、痛みが増えるなら屋敷側へ報告するよう指示された。


 アルフォルドも胴に軽い打撲がある程度で、呼吸や肋骨に異常はない。


「これなら明日の通常授業も、朝の状態を確認して問題なければ参加して構いません。ただし剣術がある場合は教師へ今日の打撲を申告してください」


 治療担当の先生が言う。


「分かりました」


「はい」


 処置が終わる。


 アルフォルドは王宮の迎えが来ているため、校舎玄関で別れることになった。


「クルセス」


「何?」


「今日はありがとう」


 意外な言葉だった。


「俺もありがとう」


「次は勝つ」


「俺も負けない」


「そればかりだな」


「殿下が言うからだろ」


「ではまた明日」


「また明日」


 手を軽く上げて別れる。


 王族相手の挨拶としてはかなり軽い。


 でも、今はそれでいいと言われている気がした。


     ◇


 学園の正面玄関を出ると、夕方の空気が頬へ触れた。


 昼より気温が下がっている。


 空はまだ明るいが、西の端だけ少し橙色になり始めていた。


 迎えの馬車が並ぶ場所まで、リビアと二人で歩く。


「終わったね」


 リビアが言った。


「うん」


「勝ったね」


「うん」


「嬉しい?」


「嬉しい」


「よかった」


 歩きながら右腕を軽く動かす。


 治療のおかげで、痛みは一程度まで下がっている。


「腕は?」


「さっきより楽」


「本当に?」


「本当。痛み一くらい」


「ならよかった」


 リビアの歩く速さが少しゆっくりになる。


 俺も合わせる。


 急いで馬車へ行く必要はない。


 今日の勝負を思い返す。


 一本目。


 二本目。


 三本目。


 どれも頭に残っている。


 でも、今一番意識しているのは剣ではなかった。


(朝からずっと後でって言ってる)


 リビアは待ってくれている。


 そして俺は、もう答えを知っている。


 今言うことも出来る。


 学園の玄関から馬車へ向かう途中。


 周りにはほかの生徒もいる。


 別に、それが駄目なわけではない。


 ただ――。


(ここで言いたい?)


 自分へ聞く。


 少し違う気がした。


 恥ずかしいから逃げているのか。


 それとも、ちゃんとリビアだけに向けて言いたいのか。


 考える。


「セス?」


「うん」


「また考えてる」


「考えてる」


「朝からのこと?」


「うん」


 今度は誤魔化さなかった。


 リビアの足がほんの少しゆっくりになる。


「まだ待った方がいい?」


「……うん」


 口に出すと、自分の中で理由が見えた。


「でも、言わないつもりじゃない」


「うん」


「ちゃんと話したい」


「うん」


「ただ、ここじゃない気がする」


 リビアが少しだけ目を見開いた。


 それから、とても柔らかく笑った。


「分かった」


「ごめん」


「だから謝らなくていいって」


「気になってるのに」


「気にはなってるよ」


「すごく?」


「すごく」


「だよな」


「でも」


 リビアが俺を見る。


「セスが『ちゃんと話したい』って言ってくれたから、それで十分」


 胸の奥が温かくなる。


 この人に言いたい。


 改めて思う。


 誰かに言われたからではない。


 婚約者だから言わなければならないわけでもない。


 リビアがずっと好きだと言ってくれたから、その返事として義務的に返すわけでもない。


 俺自身が伝えたい。


(俺が好きだから、言いたいんだ)


 その違いが、今ははっきり分かる。


     ◇


 馬車へ乗ると、いつものようにリビアの隣へ座った。


 剣術交流が終わった疲れのせいか、座席へ身体を預けた途端に全身から少し力が抜ける。


「疲れた?」


「うん。六から五くらいには下がったけど」


「眠い?」


「少し」


「寝てもいいよ」


「リビアは?」


「いるよ」


「じゃあ少し寝ようかな」


「どうぞ」


 目を閉じようとして、やめた。


「どうしたの?」


「寝たらもったいない気がした」


「何が?」


「一緒に帰る時間」


 言った後、自分でも驚いた。


 リビアも固まった。


 馬車の車輪が石畳を踏む音だけが数秒続く。


「……セス」


「何?」


「今日、本当にどうしたの?」


「俺も朝からちょっと困ってる」


「何に?」


「自分に」


「自分?」


「うん」


 リビアの頬が少しずつ赤くなる。


 俺もたぶん同じだ。


「寝る?」


 彼女が聞く。


「やっぱり起きてる」


「無理はしない?」


「疲れが上がったら寝る」


「分かった」


 馬車が揺れる。


 肩が触れた。


 今日はそのままにする。


 手を繋ぐ必要はない。


 でも、離れたいとも思わない。


「セス」


「何?」


「今日ね」


「うん」


「最後の一本、すごく怖かった」


「やっぱり?」


「二人とも同時に当たったように見えたから。どっちが勝ったかも分からなかったし、それより怪我してないかって思った」


「そっか」


「でも先生が止めたら、二人ともすぐ止まったでしょう?」


「うん」


「あれ見て、ちょっと安心した」


 リビアが窓の外へ視線を向ける。


「前だったら、セスが勝つかどうかより、無茶しないかばっかり考えてたと思う」


 俺は黙って聞いた。


「今日はもちろん心配だったけど、それだけじゃなくて、普通にどっちが勝つんだろうって見られた」


「それ、いいこと?」


「私にとっては」


 リビアがこちらを見る。


「セスが止まれるって、前より信じられるから」


 その言葉は、勝ったと言われた時とは違う場所へ届いた。


「……そっか」


「うん」


「俺も、今日は止まれると思ってた」


「本当に?」


「先生に止められたら止まるって、始まる前から普通に思ってた」


「前は?」


「前は……」


 少し考える。


「止まらなきゃとは思ってた。でも勝つために必要なら、ちょっとくらいって考えたかもしれない」


「うん」


「今は、それやって勝っても駄目だって分かる」


「うん」


「今日、迅雷撃破使って勝っても意味ないし」


「それは反則だもの」


「そうなんだけど」


「ふふ」


 リビアが笑う。


 俺も笑った。


「それに」


 続ける。


「無茶して怪我したら、一緒に帰れなくなるかもしれないし」


 リビアの笑みが止まった。


「……それ、考えてたの?」


「試合中は考えてないよ」


「今?」


「今思った」


「そっか」


 リビアが少し俯く。


 銀青色の髪が頬へ落ちる。


「嬉しい」


「何が?」


「帰ることまで大事にしてくれるの」


「大事だよ」


 自然に答えた。


「リビアと帰るって約束してたし」


「うん」


「帰りたかったし」


「……うん」


 声が小さくなる。


 俺も照れて窓へ目を向けた。


 夕方の街が流れていく。


 それでも肩は離れなかった。


     ◇


 屋敷へ戻ると、グレイヴが玄関で待っていた。


 俺の姿を見る。


 次に右腕。


 最後に顔。


「結果は?」


「勝った」


「そうか」


「二対一」


「怪我」


「右腕に軽い打撲。治療室で処置済み。今は痛み一くらい」


「アルフォルド殿下は?」


「胴に軽い打撲。そっちも処置済み」


「停止指示」


「全部従った」


「追加訓練」


「しない」


「分かった」


 質問はそれで終わった。


「……勝ったことには何かないの?」


 思わず聞く。


 グレイヴが俺を見る。


「言ってほしいのか?」


「別に、そういうわけじゃないけど」


「おめでとう」


「何か適当じゃない?」


「面倒だな、お前」


 リビアが隣で笑っている。


 グレイヴもほんの少しだけ口元を緩めた。


「よくやった。だが今日は休め」


「うん」


「夕食まで部屋へ戻るか?」


「その前に旦那様へ報告する」


「旦那様は執務室だ。結果だけなら俺からでも伝えられる」


「自分で行く」


「なら五分程度にしろ。長話は夕食時でも出来る」


「分かった」


 以前なら勝った後に剣を振り返りたくなったと思う。


 今日はその気持ちはあるけれど、今すぐでなくていい。


 明日になって身体に問題がなければ、ノートへ気づいたことを書けばいい。


 アルフォルドともまた話せる。


 急ぐ必要はない。


     ◇


 旦那様への報告を終え、夕食を食べ、入浴まで済ませた頃には疲労もかなり下がっていた。


 右腕の痛みはほとんどない。


 それでも今日は剣には触らない。


 魔術の研究もしない。


 自室へ戻ろうとしたところで、廊下の先にリビアがいた。


「あ」


 向こうも俺に気づく。


「セス」


「今から部屋?」


「うん。セスも?」


「そうしようと思ってた」


「今日は読書、どうする?」


 いつもの共有している旅行騎士小説のことだ。


 疲れているなら休んでもいい。


 そう言いたいのだと思う。


 俺は身体の状態を確かめた。


 眠気は少しある。


 でも読書出来ないほどではない。


「少しだけ読みたい」


「本当に?」


「うん」


「疲れたらすぐ終わる?」


「終わる」


「じゃあ少しだけ」


 自然に二人で歩き始める。


 いつもの場所へ向かう。


 その途中で、朝からずっと胸の中にあることを思い出す。


(ちゃんと話したい)


 その気持ちは変わっていない。


 今は屋敷。


 周囲に友人はいない。


 勝負も終わった。


 勝ったから言うわけではない。


 負けていても、たぶん同じことを考えていた。


(……今日、言う?)


 自分へ聞く。


 心臓が速くなる。


 怖い。


 でも、嫌な怖さではない。


 言ったら何かが変わる。


 リビアはずっと俺を好きだと言ってくれているし、俺たちはもう婚約者だ。


 それでも、俺が自分の意思で「好き」と返すことには意味がある気がする。


「セス?」


「何?」


「止まってるよ」


 気づけば廊下の途中で足が止まっていた。


「あ、ごめん」


「大丈夫?」


「うん」


「疲れた?」


「違う」


 リビアがこちらを見る。


 朝と同じ。


 俺が何かを抱えていると分かっている顔だ。


 でも聞かない。


 待っている。


(言いたい)


 今度は、はっきりそう思った。


 ただ、廊下の途中ではなく、落ち着いて向き合いたい。


「リビア」


「うん」


「本読む前に、少し話していい?」


 リビアの目が大きくなる。


 ほんの一瞬だけ、息を止めたように見えた。


「……うん」


「朝から言ってたこと」


「うん」


「ちゃんと話したい」


 声にすると緊張が強くなる。


 それでも逃げたいとは思わなかった。


 リビアの頬が少し赤くなる。


「分かった」


 静かな返事だった。


「じゃあ、座って話そう」


「うん」


 二人で歩き出す。


 さっきまで何度も通ってきたはずの廊下なのに、今日は少しだけ長く感じた。


 俺はもう、自分の気持ちの名前を知っている。


 あとは、それをリビアへ渡すだけだった。

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