第51話 好きだと分かった翌日に、婚約者の前で平然としているのは無理があります
目を覚ました瞬間、昨日の夜に考えていたことを思い出した。
カーテンの隙間から差し込む朝の光はいつもと変わらず、窓の外から聞こえてくる鳥の声にも特別なところはない。身体にも疲れは残っておらず、頭痛もなければ、魔力の流れに違和感も感じなかった。
今日はアルフォルド殿下との剣術交流がある。
昨日までなら、起きた直後に考えるのはそっちだったと思う。
ところが今朝、最初に頭へ浮かんだのは剣ではなかった。
(俺、リビアが好きなんだ)
昨夜、自分の中でようやく名前をつけた気持ちだった。
眠って起きたら少し違って感じるかもしれないとも思っていたけれど、そんなことはなかった。むしろ一晩経ったことで、昨日より静かに胸の奥へ収まっている。
リビアに会いたい。
顔を見たい。
今日の剣術交流を見てほしい。
終わったら一緒に帰りたい。
卒業した後も、その先も一緒にいたい。
そういう一つ一つを並べ直してみても、昨夜出した答えを否定する理由は見つからなかった。
(……やっぱり好きなんだな)
胸の奥がじわりと熱くなり、俺は枕へ顔を半分埋めた。
分からなかった時より困っている気がする。
今までもリビアを可愛いと思ったし、近くにいると顔が熱くなることもあった。手を繋ぎたいと思ったことも、一緒にいたいと思ったこともある。
それなのに、それらへ「好き」という名前をつけただけで、急に全部の意味が変わって見えた。
(今日、普通に話せるかな)
そこで自分でも少しおかしくなった。
昨日まで普通に話していた相手だ。
幼い頃から知っている。
今さら会話の仕方が分からなくなる方がおかしい。
俺は布団から出ると、軽く身体を動かして状態を確かめた。肩、肘、手首、腰、膝、足首と順番に確認しても、気になるところはない。
剣を振ろうと思えば振れる。
でも今日はやらなかった。
昨日も通常の剣術授業には参加しているし、放課後にはアルフォルド殿下との交流がある。朝から動きを確認する必要は感じなかった。
(本番で殿下を見ればいい)
アルフォルド殿下だって練習を重ねている。
以前見た動きだけを相手に作戦を固めても意味がない。
今日は目の前にいる相手を見る。
それだけ決めて、制服へ着替えた。
ただし、鏡の前でネクタイを整えている途中、別の問題に気づいた。
(リビアに好きって言うの、いつにしよう)
手が止まった。
昨日の夜は、ちゃんと自分の言葉で伝えたいと思った。
その考えは今も変わらない。
けれど、いつ言うのかは決めていない。
今日の朝?
馬車?
学園?
剣術交流の後?
屋敷へ帰ってから?
候補だけならいくらでも出てくる。
(……いや、これ決め始めたら駄目なやつだ)
昔の俺なら、最適な時間、場所、言葉、相手の予定まで全部考え始めていたかもしれない。
でも、好きだと伝えることまで課題みたいに組み立てたくなかった。
勝負の結果とも結びつけない。
勝てたから言えるわけでも、負けたから言えなくなるわけでもない。
俺がリビアを好きなことは、今日の勝敗とは関係ない。
(言いたい時に、ちゃんと言えそうなら言おう)
それくらいでいい。
そう決めて部屋を出た。
◇
階段へ向かう廊下を歩いていると、前方の角から銀青色の髪が見えた。
それだけで足が一瞬止まりそうになった。
「おはよう、セス」
リビアがこちらへ気づき、いつものように笑う。
「……おはよう」
「どうしたの?」
「何が?」
「ちょっと遅かったから」
「何が?」
「返事」
言われて初めて気づいた。
たぶん、本当に少し間があった。
「考え事してた」
「今日の剣?」
「それもあるけど」
リビアが首を傾げる。
その仕草まで目に入る。
(好きだって分かってから見ると、なんか余計に可愛いな)
すぐに視線を外した。
「セス?」
「何?」
「顔赤くない?」
「……そう?」
「うん」
リビアが近づいてくる。
反射的に逃げそうになったが、逃げる理由もないのでその場にいた。
白い指が俺の額へ伸びる。
「熱ある?」
「ないと思う」
手のひらが額へ触れた。
柔らかくて、少しひんやりしている。
昨日までなら普通に受け入れられたはずなのに、今日は触れられた場所から熱が広がるような気がした。
(近い)
それ自体は以前にも何度も思った。
でも今は、その先まで分かってしまう。
(好きな子が近いから緊張してるんだ、これ)
理解した途端、余計に顔が熱くなった。
「やっぱり熱くない?」
「たぶん熱じゃない」
「本当に?」
「体調は大丈夫。起きた時に確認した」
「頭は?」
「痛くない」
「身体は?」
「問題ない」
「魔力は?」
「普通」
リビアは俺の顔をしばらく見ていたが、やがて額から手を離した。
「じゃあ、緊張?」
「……たぶん」
「今日の剣術交流?」
答えようとして止まる。
嘘をつく必要はない。
でも全部言えば、それはほとんど告白になってしまう。
「それもある」
「それも?」
「うん」
リビアが少し不思議そうにした。
「他にもあるの?」
「ある」
「聞いていい?」
胸が強く鳴った。
ここで言ってもいい。
そう思った。
でも、朝食室へ向かう廊下で、しかも今はアルフォルド殿下との剣術交流当日の朝だ。
場所が悪いから駄目、というわけではない。
ただ、今はまだ口に出す準備が出来ていない。
「もうちょっと待って」
そう答えると、リビアの表情が柔らかくなった。
「うん」
「ごめん」
「謝らなくていいよ」
「でも気になるだろ?」
「気になる」
「だよな」
「すごく気になる」
リビアが少し笑う。
「でも、セスが話せる時でいい」
「ありがとう」
「その代わり」
「何?」
「今日の体調で隠してることだったら駄目だからね」
「それはない」
「ならいい」
そう言って歩き始める。
俺も隣へ並んだ。
肩が触れるほど近くはない。
それでも、朝の廊下を一緒に歩いているだけで嬉しい。
(……これ、ずっと前からだったんだろうな)
名前が分からなかっただけで、気持ちは急に生まれたわけではない。
そのことも、今なら分かる。
◇
朝食室へ入ると、旦那様とグレイヴはすでに席についていた。
「おはようございます」
「おはよう」
いつも通り挨拶をして席につく。
朝食は焼いたパンに卵料理、野菜の入ったスープ、それから薄く切った果物だった。温かな湯気と焼きたてのパンの匂いが広がる中、グレイヴが紅茶を注いでくれる。
「体調は?」
短く聞かれた。
「問題ない。頭痛なし、身体も魔力も違和感なし」
「朝の訓練は?」
「してない」
「理由は?」
「昨日授業で振ってるし、今日の放課後が本番だから。朝に確認したい動きもなかった」
「分かった」
それだけで終わった。
休んだから褒められることも、念を押されることもない。
自分で状態を見て、自分で決めた。
今はそれで十分らしい。
旦那様もスープを一口飲んでから俺を見る。
「楽しめそうか?」
「はい」
「緊張は?」
「少しあります」
「そうか」
旦那様は頷いた。
「なら普通だな」
「普通ですか?」
「勝ちたい相手と剣を交えるなら、何も感じない方が不自然だろう」
「確かに」
「怪我だけはするな、と言いたいところだが、剣を交えれば多少はあるかもしれん。必要な治療を受けて帰ってこい」
「はい」
昨日のグレイヴと似ている。
勝つなとは誰も言わない。
無茶をするなとも、もう何度も繰り返さない。
決められた条件を守って、本気で勝ちに行く。
それを認めてもらえている。
パンへ手を伸ばした時、隣のリビアと目が合った。
彼女は何も言わず、小さく笑う。
俺も笑い返そうとした。
ところが昨夜の答えが頭へ戻ってきて、視線を一度皿へ落とした。
「セス?」
「何でもない」
「本当に?」
「うん」
「……やっぱり今日ちょっと変」
旦那様の視線がこちらへ向く。
グレイヴも一瞬だけ俺を見る。
「体調じゃないから」
先に言っておいた。
「なら自分で処理しろ」
グレイヴが淡々と言った。
「うん」
「何なの?」
リビアだけが納得していない。
「後で」
「さっきもそれ言った」
「ごめん」
「……待つけど」
頬を少し膨らませた。
それを見て、また可愛いと思う。
今度は言わなかった。
朝からこれ以上自分で自分を追い込む必要はないと思った。
◇
馬車では、当然のようにリビアの隣へ座った。
向かいの席は空いている。
以前なら、わざわざ隣へ座る理由を考えていた時期もあった。
今は考えない。
ここがいいから座る。
馬車が動き出すと、車輪が石畳を踏む一定の振動が座席から伝わってきた。朝の街には通勤や荷運びの馬車が増え始めており、窓の外では店先を掃く人や荷車を押す商人の姿が流れていく。
「今日、委員会ある?」
「昼に少しだけ。雨天時の待機教室について先生から返事が来る予定なの」
「一室追加出来そう?」
「まだ分からない。使えるならかなり楽になるけど、他の実習予定もあるから」
「そっか」
「セスは?」
「今日は放課後まで普通に授業」
「研究は?」
「予定ない」
「剣は?」
「授業にあればやるけど、自主練はしない」
「じゃあ、本当に本番まで普通に過ごすんだ」
「うん」
リビアが少し嬉しそうに笑う。
「何?」
「前だったら、絶対何かしてた気がする」
「俺もそう思う」
「でも今は?」
「今日の殿下を見てから考える」
「そっか」
肩が軽く触れた。
馬車の揺れのせいでもある。
けれどリビアは離れず、俺も離れない。
触れている場所が妙に気になる。
(昨日までだって同じことしてたのに)
自覚しただけでこんなに変わるのはずるいと思う。
「セス」
「何?」
「やっぱり緊張してる?」
「してる」
「剣?」
「……それも」
リビアが俺の顔を覗き込む。
「朝からずっとそれ言ってる」
「うん」
「他の緊張は教えてくれないの?」
「今はまだ」
「分かった」
それ以上は聞かなかった。
ただ、肩は離れない。
そのことが嬉しかった。
◇
教室へ入ると、イザークがすぐに寄ってきた。
「体調!」
「何でお前が確認するんだよ」
「いいから」
「問題なし」
「朝練!」
「してない」
「本当に?」
「本当」
「睡眠!」
「普通に寝た」
「朝飯!」
「食べた」
「よし」
「お前は俺の何なんだ」
「今日の試合を楽しみにしてる友達」
あまりにも迷いなく言われて、少し笑った。
「ありがとう」
「だから素直に礼言うなって」
「じゃあ何て言えばいいんだよ」
「分かんねえけど」
イザークが頭を掻いていると、ミリアナとナナリーもやってきた。
「クルセス君、今日だね」
「うん」
「緊張してる?」
「少し」
「珍しく素直」
「俺、いつも素直じゃない?」
「自分のことになるとちょっと変」
「そうかな」
「そうだよ」
ナナリーが控えめに笑う。
「私も放課後は見学出来そうです。先生に確認しました」
「ありがとう」
「邪魔にならない場所にいますね」
「別に見られるのは大丈夫」
以前なら少し気になったかもしれない。
今は、友人たちが見てくれること自体が嬉しい。
「リビアも来るし」
自然に口から出た。
ミリアナの眉が上がる。
「オリビア様が見るの、嬉しい?」
「うん」
即答した。
言った後で、自分でも少し驚く。
でも否定する理由はない。
「見てほしいから」
ミリアナとナナリーが顔を見合わせた。
イザークも俺を見る。
「何?」
「いや」
「何だよ」
「前より迷わなくなったなって」
「そう?」
「前だったら『婚約者だから来るだけ』とか『心配してるだけ』とか言ってなかった?」
そこまで言っていたかは覚えていない。
でも、似たようなことは考えていた気がする。
「今は?」
ミリアナが聞く。
「見てほしいよ」
「何で?」
答えようとして、胸が鳴った。
理由は分かっている。
(好きだから)
そこまで言えば、本人へ伝える前に友人へ言うことになる。
それは違う気がした。
「俺が見てほしいから」
「そこまでかあ」
ミリアナが妙に楽しそうな顔をする。
「何?」
「何でもない」
「絶対何かあるだろ」
「本人が自分で考えることだから」
「……最近それ、みんな言わない?」
「みんな待ってるんじゃない?」
「何を?」
「さあ?」
教えてくれなかった。
ただ、今なら少し分かる。
たぶん、周りにはかなり前から見えていたんだと思う。
(俺だけ分かってなかったのか)
それは少し恥ずかしい。
◇
午前の授業が始まる。
最初は法学だった。
今日扱ったのは契約の変更条件で、当事者双方の合意による変更と、一方的に変更出来る例外条件についてだった。昨日までならかなり興味を持って聞けた内容なのに、今日は何度か意識が別のところへ向かいそうになる。
アルフォルド殿下との剣術交流。
それもある。
でも、それ以上に前の方に座るリビアの銀青色の髪が目に入る。
(集中しろ)
ノートへ視線を戻す。
教師が黒板へ書いた条件を書き写す。
少し経つ。
また視界の端へリビアが入る。
(……俺、今までこんなに見てたのかな)
たぶん見ていた。
剣術授業でも探した。
図書館から戻ってくるのを待ったこともある。
委員会へ行った日は、帰ってから会いたくなった。
全部、急に始まったことではない。
ただ理由を知ったせいで、今は自分が何をしているのかまで分かる。
「クルセス」
「はい」
教師に呼ばれ、反射的に顔を上げる。
「今説明した変更条件を一つ」
「当事者双方の合意による変更です」
「もう一つ」
「契約内に、一定条件下で一方が変更出来る条項を事前に設けている場合です。ただし、その条項自体が法に反する内容なら認められません」
「よろしい」
答えられた。
隣のイザークが小声で言う。
「聞いてたんだな」
「聞いてるよ」
「オリビア様見てたから」
「……見てた?」
「見てた」
顔が熱くなる。
「先生に言うなよ」
「言わねえよ」
「あとリビアにも」
「それは自分で何とかしろ」
小声で笑われた。
◇
次の授業は魔術理論だった。
昨日の術式形成速度と魔力変換速度の違いから続く内容だったが、今日は属性ごとの術式構造差が中心で、古い測定器へ直接結びつけられるような新しい話は出なかった。
だから無理に結びつけない。
気になったところだけノートへ書く。
授業後、ベルナルト先生がこちらを見ることもなかった。
それでいい。
研究は今日でなくても進められる。
午後には剣術交流がある。
頭の中を全部一つのことへ使う必要はない。
◇
昼休みになると、リビアは委員会の確認へ向かった。
「行ってくるね」
「うん」
「すぐ戻ると思う」
「分かった」
席を立つ彼女を見送る。
教室を出る直前、リビアが一度振り返った。
目が合う。
小さく手を振られたので、俺も振り返した。
それだけなのに嬉しい。
「顔」
カイゼル殿下が言った。
「何ですか?」
「緩んでいますよ」
「え?」
慌てて頬へ触れる。
アルフォルド殿下が向かいで昼食を取りながら小さく息を吐いた。
「朝からあれだ」
「殿下も気づいてたんですか?」
「教室へ入った時からな」
「そんなに?」
「そんなにだ」
サザリーまで頷いた。
「昨日とは少し違いますね」
「何が?」
「クルセス自身が分かっている顔をしています」
心臓が跳ねた。
「何を?」
「それは私が言うことではないでしょう」
「サザリーまでそれ言うの?」
「本人が言うべきことを友人が先に言うのは無粋ですから」
分かっている。
やっぱりみんな分かっている。
「……俺、そんなに分かりやすい?」
「はい」
カイゼル殿下が即答する。
「殿下は?」
アルフォルド殿下を見る。
「何がだ」
「俺、分かりやすいですか?」
「分かりやすい」
「イザーク」
「俺に振るな。分かりやすい」
「ミリアナ」
「すごく」
「ナナリー」
「えっと……以前よりは」
最後だけ少し優しかった。
「そんなにか……」
両手で顔を覆いたくなる。
「安心してください」
カイゼル殿下が笑う。
「何をですか」
「おそらく、一番近くにいる方は待ってくださっています」
リビア。
直接名前は出されなかった。
でも誰のことかは分かる。
「……知ってます」
「なら問題ないでしょう」
「問題はないですけど」
恥ずかしい。
でも嫌ではない。
少し前なら、ここまで言われたら必死に否定していたかもしれない。
今は否定するものがない。
「クルセス」
アルフォルド殿下が呼ぶ。
「はい」
「それはそれとして、午後は負けない」
空気が変わった。
俺も顔を上げる。
「俺も負けません」
「ならいい」
殿下が少し笑う。
恋愛のことと剣は別。
友人であることと、勝負で勝ちたいことも別。
その方が分かりやすい。
◇
リビアが戻ってきたのは十分ほど後だった。
「ただいま」
「おかえり」
「待機教室、一室追加出来そう」
「本当?」
「うん。ただ、雨の日だけ使う前提で、通常授業の片付けが終わっていることが条件。だから最終的には実技確認の時間割と合わせて確認することになった」
「じゃあ確定じゃない?」
「まだ。でも前よりは進んだ」
「そっか」
リビアが俺の隣へ座る。
「何話してたの?」
一瞬、周囲が静かになった気がした。
「……今日の剣術交流」
嘘ではない。
「本当?」
「それも話した」
「それも?」
朝と同じ返しをされた。
ミリアナが笑いを堪えている。
「何?」
「何でもないです、オリビア様」
「絶対何かあるでしょう?」
「クルセス君に聞いてください」
「セス?」
リビアがこちらを見る。
逃げられない。
「後で」
「また?」
「ごめん」
「今日三回目」
「数えてたの?」
「気になるもの」
「……ちゃんと話すから」
自然に口から出た。
リビアの目が少し大きくなる。
「今日?」
「今日かどうかは……」
「そこは決まってないのね」
「うん」
「分かった」
彼女はそれ以上追及しなかった。
周囲から何とも言えない視線を感じる。
「何だよ」
「何でもない」
イザークまで同じことを言った。
◇
午後の授業が終わる頃には、朝からあった落ち着かない感じが少し変わっていた。
恋心を自覚したことへの緊張はまだある。
でも、それとは別に身体が剣を振る準備へ切り替わっていく。
最後の授業が終わる。
教室の空気が少しざわついた。
「行くか」
アルフォルド殿下が立ち上がる。
「はい」
俺も立つ。
リビアも席を離れた。
「セス」
「うん」
「後でね」
「うん」
「見てるから」
「……うん」
その一言で胸が熱くなる。
でも今度は、顔を逸らさなかった。
「見てて」
「うん」
リビアが笑う。
それだけで、剣を振る理由が増えた気がした。
勝ちたい。
アルフォルド殿下と本気で剣を交えたい。
そしてリビアに見てほしい。
どれも俺自身が望んでいることだ。
◇
第二剣術訓練場は、普段の授業で使う訓練場より少し小さい。
その代わり観覧用の区画があり、教師が安全を確保しながら模擬戦や試験を行いやすい構造になっている。高い位置に並ぶ窓から午後の光が差し込み、磨かれた床の一部を長く照らしていた。
中央にはすでに模擬剣が二本。
壁際には防具。
レイモンド先生が書類を確認している。
「来たな」
「お願いします」
俺とアルフォルド殿下がほぼ同時に頭を下げる。
「まず体調」
先生がアルフォルド殿下を見る。
「問題ありません」
「クルセス」
「問題ありません。頭痛、身体の痛み、魔力の違和感なしです」
「睡眠」
「取れてます」
「食事」
「昼も食べました」
「よし」
先生は書類へ印をつけた。
「見学者はあちらだ。訓練区画へ入るな」
視線を向ける。
リビア。
イザーク。
ミリアナ。
ナナリー。
カイゼル殿下。
サザリー。
ほかにも数人、許可を取った生徒が来ている。
思っていたより多い。
「結構いるな……」
「嫌なら今から追い出すか?」
レイモンド先生が聞く。
「いえ、大丈夫です」
「アルフォルド殿下は?」
「問題ありません」
「なら続ける」
先生が俺たちの間へ立つ。
「今日の目的は公式戦ではない。互いの現在の剣術を確認する交流だ。だが勝敗はつける」
俺は頷く。
アルフォルド殿下も同じだった。
「使用可能なのは学園支給の模擬剣、指定防具、通常の身体強化のみ。攻撃魔術は禁止。クルセスは迅雷撃破を一切使用しない」
「はい」
「はい」
「身体強化についても、教師が危険と判断した出力は止める。停止指示が出た時点で即時解除。異論は?」
「ありません」
「ありません」
「勝敗条件を説明する」
訓練場が静かになる。
「有効打二本先取」
二本。
「頭部、胴、腕、脚への明確な打撃を教師が有効と判断した場合に一本。防具があるとはいえ、危険な打撃は禁止。首、関節への故意の攻撃も禁止」
先生が続ける。
「武器を落とした場合、それだけでは一本としない。ただし追撃可能な状況まで成立していれば教師判断で有効。場外は一度目警告、二度目は一本。転倒も自動では一本にならない」
なるほど。
単純に当てればいいわけではない。
実戦に近い判断を残しながら、安全側へ調整されている。
「一本ごとに一度止める。体調と防具を確認してから再開。時間制限は一本につき十分。十分で有効打がなければその一本は無効として休憩後に次へ進む。全体の準備を含め一時間以内で終了する」
「分かりました」
「はい」
「質問は?」
「ありません」
アルフォルド殿下も首を振った。
「では着替えて準備しろ。十分後に開始する」
◇
防具を身につける。
胸当て。
腕。
脚。
手袋。
普段より少し重い。
でも動きを妨げるほどではない。
模擬剣を握る。
重さを確かめる。
自分の剣とは違う。
柄の感触も、重心も少し違う。
(これに合わせる)
数度だけ軽く振る。
確認はそれで終わり。
「セス」
観覧区画から声がした。
リビアだ。
近づきすぎない範囲でこちらを見ている。
「どう?」
「大丈夫」
「重くない?」
「少し。でも殿下も同じ剣だから」
「そっか」
「リビア」
「何?」
「ちゃんと見てて」
朝から何度目か分からない。
でも今は、はっきり言いたかった。
「うん」
リビアが頷く。
「全部見る」
胸の奥が温かくなる。
「ありがとう」
「頑張って」
「うん」
それ以上は話さなかった。
今は剣の時間だ。
◇
訓練場中央へ出る。
向かいにはアルフォルド殿下。
防具を身につけた姿は、普段の制服姿より少し大きく見えた。
「クルセス」
「はい」
「敬語は要らない」
「え?」
「剣を交えている最中まで『殿下』と考えていては遅れる」
「でも」
「今だけだ」
少し迷う。
「……分かった」
「それでいい」
アルフォルドが剣を構える。
俺も構えた。
呼吸が変わる。
周囲の音が遠くなる。
リビアがいる。
イザークもいる。
友人たちが見ている。
でも、今は正面の相手だけを見る。
アルフォルドの重心。
足。
肩。
剣先。
呼吸。
(前に見た時と少し違う)
構えそのものが大きく変わったわけではない。
でも、以前より力が抜けている。
剣先の揺れが少ない。
俺と戦うために何か一つだけを変えたのではなく、普通に練習して強くなったのだと思う。
嬉しくなる。
(これなら、面白い)
レイモンド先生が俺たちの間を確認し、片手を上げた。
「身体強化、許可」
無属性の魔力を身体へ巡らせる。
迅雷撃破ではない。
普段使う身体強化。
筋肉へ無理に出力を押し込まず、動きを補助する程度に整える。
アルフォルドの身体にも魔力が巡る。
光属性は使っていない。
同じ条件。
「第一本」
先生の手が下がる。
「始め!」
床を蹴った。
同時だった。
俺とアルフォルドの距離が一気に縮む。
最初に動いたのは向こうの剣だった。
右上からの斜め。
速い。
でも見える。
俺は正面から止めず、剣の腹を合わせて外へ流した。
金属ではない模擬剣同士がぶつかり、乾いた音が訓練場へ響く。
その瞬間、アルフォルドの左足が前へ入った。
(近い)
流された剣を戻すより早く、柄に近い部分を使って俺の剣を押し上げようとしてくる。
俺は一歩引く。
追ってくる。
速い。
以前より明らかに連続が滑らかだ。
横薙ぎ。
身体を沈めて避ける。
下から返す。
アルフォルドが剣を立てる。
ぶつかる。
押す。
押し返される。
(力も上がってる)
単純な身体強化の出力だけなら、俺の方が上かもしれない。
でも押し切るほどではない。
しかも、ここで力任せに行けば姿勢が崩れる。
俺は押す力を抜いた。
アルフォルドの身体がわずかに前へ流れる。
その横へ回る。
「っ!」
アルフォルドがすぐ反応した。
剣を振る余裕はない。
だから肩からぶつからないぎりぎりの位置で身体を回し、俺との正面を維持する。
(対応速い)
剣先を伸ばす。
胴。
アルフォルドが半歩下がる。
届かない。
そのまま俺の腕へ返しが来る。
剣を引き戻して受ける。
乾いた音が続く。
観覧区画から息を呑む音が聞こえた。
でも誰のものかは分からない。
今は見ない。
アルフォルドの目だけを見る。
笑っていた。
ほんの少し。
たぶん俺も同じ顔をしている。
「やっぱり速いな」
アルフォルドが短く言う。
「そっちも」
「まだだ」
踏み込んでくる。
今度は正面。
剣が来る。
受ける。
重い。
そこからアルフォルドは一度剣を離した。
(来る)
右。
違う。
剣先だけ右へ見せて、足は左へ。
俺の反応を見ている。
剣へ反応しすぎれば身体の横を取られる。
足を見る。
でも足だけでも駄目だ。
イザークとの練習で覚えた。
肩。
腰。
全体。
アルフォルドの腰がわずかに沈む。
(左)
俺も動いた。
交差する。
アルフォルドの剣が俺の胴を狙う。
俺の剣はアルフォルドの腕へ。
どちらが先か。
「止め!」
レイモンド先生の声が響いた。
身体が止まる。
剣も止める。
アルフォルドも同時だった。
俺の剣先は彼の右腕防具の少し手前。
アルフォルドの剣は俺の胸当てへ触れている。
「アルフォルド殿下、有効一本」
先生の判定。
観覧区画がざわめいた。
「……取られた」
「紙一重だった」
アルフォルドが息を整えながら言う。
「でもそっちが先だった」
「ああ」
悔しい。
かなり悔しい。
でも、それ以上に楽しい。
(次、取り返す)
先生が近づき、防具を確認する。
「クルセス、痛みは?」
「ありません」
「頭」
「問題なし」
「魔力」
「問題なし」
「アルフォルド殿下」
「問題ありません」
「二分休憩」
俺たちは一度離れる。
◇
水を飲む。
呼吸は少し速いが、苦しくはない。
身体強化の出力も問題ない。
「セス」
リビアが声をかける。
「うん」
「大丈夫?」
「大丈夫」
「痛くない?」
「胸当てに軽く触れただけ」
「そっか」
心配そうだった表情が少し緩む。
「どうだった?」
俺から聞いた。
「何が?」
「俺の剣」
リビアの目が少し丸くなる。
それから笑った。
「格好よかった」
心臓が一度、大きく鳴った。
「……そっか」
「顔赤いよ」
「今それ言う?」
「だって本当だもの」
「次あるのに」
「じゃあ終わってから言う?」
「それも困る」
「どうすればいいの?」
「分かんない」
リビアが笑った。
「でも、ちゃんと見てるよ」
「うん」
それだけでいい。
俺はもう一口水を飲み、アルフォルドを見る。
向こうも水を飲みながら、こちらを見ていた。
目が合う。
笑われた。
「何?」
「いや」
「何だよ」
「楽しそうだと思ってな」
「そっちも」
「否定はしない」
休憩が終わる。
俺たちは再び中央へ向かった。
◇
「第二本」
一本取られている。
次を落とせば負け。
だからといって、焦って全部変える必要はない。
最初の一本で分かったことがある。
アルフォルドは以前より連続攻撃が滑らかになっている。
剣だけでなく、足と身体全体でこちらの反応をずらしてくる。
そして俺が力を抜いて位置を変えることも警戒している。
(じゃあ、次はどうする)
全部を決める必要はない。
まず見る。
「始め!」
今度は俺から動かなかった。
アルフォルドもすぐには来ない。
数歩分の距離を挟んで向かい合う。
剣先がわずかに動く。
足も動く。
互いに少しずつ位置を変える。
床を擦る靴音が静かな訓練場へ響いた。
(来ないなら、こっちから)
一歩。
アルフォルドの剣先が少し上がる。
もう一歩。
反応する。
(俺を待ってる)
なら行く。
一気に踏み込む。
胴。
アルフォルドが受ける。
予想通り。
俺は剣を押し込まず、そのまま下へ滑らせた。
相手の剣が一瞬下がる。
腕を狙う。
避けられる。
追わない。
半歩戻る。
アルフォルドが来る。
(やっぱり)
こちらが退いた瞬間を狙っていた。
正面からの突きに近い伸び。
首は禁止されているため狙いは胸。
俺は身体を横へずらし、剣で軌道を押す。
アルフォルドの剣が胸の横を通る。
今度は俺が近い。
肩。
腕。
どちらでも届く。
剣を振る。
アルフォルドが身体を捻る。
腕防具へ触れそうになる。
だが届かない。
そのまま向こうが回る。
(離れる)
追う。
一歩。
アルフォルドが突然止まった。
(まずい)
追わせた。
剣が下から来る。
俺は無理に止まらず、踏み込んだ勢いを横へ逃がした。
剣が胸当ての前を通る。
身体が流れそうになる。
足を踏み直す。
アルフォルドもこちらを追うため姿勢を変える。
ほんの一瞬。
互いに崩れている。
(今)
剣を短く振る。
大きく振らない。
狙いは胴。
アルフォルドも剣を戻す。
間に合うか。
模擬剣がぶつかる。
弾かれる。
俺の剣先がずれる。
アルフォルドの剣も外へ流れる。
まだ終わらない。
近い。
剣を戻すより、足。
右へ。
アルフォルドも回る。
正面を取らせない。
俺も取らせない。
互いの剣が短い距離でぶつかる。
一度。
二度。
三度。
大きく振る余裕がない。
腕だけで振れば力が死ぬ。
腰を使う。
でも大きく回せば隙になる。
アルフォルドの肩が動いた。
(上)
剣を上げる。
違った。
足元へ低い軌道。
「っ!」
慌てて脚を引く。
防具へかすった。
「続行!」
有効ではない。
でも危なかった。
(上手い)
俺が肩を見ていることまで利用された。
楽しい。
もっと見たい。
もっと試したい。
でも次を取られたら終わる。
その事実が、頭の中を冷やしてくれる。
(楽しむだけじゃ駄目だ。勝つ)
アルフォルドが距離を取る。
俺も追わない。
呼吸を整える。
残り時間は分からない。
でも、まだ先生から時間の声はない。
アルフォルドの額に汗が見える。
俺も同じだと思う。
身体強化は安定している。
痛みなし。
息もまだ持つ。
(次)
剣を構え直す。
アルフォルドも構える。
静かな数秒。
そして今度は、ほぼ同時に床を蹴った。
◇
最初の打ち合いは正面。
互いに受ける。
すぐ離す。
アルフォルドが右へ。
俺は左へ回る。
また正面。
相手が踏み込む。
俺は一歩下がる。
さらに来る。
もう一歩。
アルフォルドの目が変わった。
(来ると思ってる)
俺が三歩目も下がると考えている。
だから下がらない。
前へ出た。
「!」
距離が一気に潰れる。
アルフォルドの剣は振り切れない。
俺も同じ。
でも、それでいい。
身体をぶつけないようぎりぎりで止め、剣の根元を相手の剣へ当てる。
押す。
アルフォルドが耐える。
押し合いにはしない。
すぐ力を抜く。
一本目と同じ。
だからアルフォルドも反応した。
俺が横へ回ると思って足を動かす。
(そこ)
今回は回らない。
下がった。
アルフォルドだけが横へ動く。
一瞬、正面がずれる。
俺の剣が動く。
胴。
アルフォルドが戻す。
間に合わない。
模擬剣が防具へ明確に触れた。
「止め!」
先生の声。
俺はすぐ剣を引く。
アルフォルドも止まった。
静寂。
「クルセス、有効一本」
次の瞬間、観覧区画から声が上がった。
「よし!」
イザークだ。
ミリアナも何か言っている。
でも俺が最初に見たのはリビアだった。
両手を胸の前で握って、嬉しそうに笑っている。
目が合う。
リビアが大きく頷いた。
俺も少しだけ頷き返す。
「やられた」
アルフォルドが言った。
「一本目の動き使った」
「ああ。だから横へ来ると思った」
「そう思うかなって」
「なるほど」
悔しそうなのに笑っている。
「次は引っかからない」
「俺も同じことはしない」
「なら次だ」
一本対一本。
次を取った方が勝つ。
先生が防具と体調を確認する。
問題なし。
休憩へ入る。
◇
水を飲みながら、呼吸を整える。
身体は少し熱い。
腕にも疲れが出始めている。
でも痛みではない。
まだ動ける。
「疲労は?」
レイモンド先生が聞く。
「四くらいです」
「頭」
「一」
「痛み」
「一以下です」
「魔力」
「問題なし」
「アルフォルド殿下」
「疲労四。ほか問題なしです」
「続行可能と判断する。だが次で最後だ。途中でも危険と見たら止める」
「はい」
「はい」
先生が離れる。
俺は水筒を置く。
「セス」
リビア。
「うん」
「楽しい?」
「すごく」
「顔見れば分かる」
「リビアも?」
「楽しいよ。ちょっと怖いけど」
「怖い?」
「当たりそうになると」
「そっか」
「でも、ちゃんと止まれてる」
「うん」
「先生もいるし」
「うん」
以前なら、心配させないために「大丈夫」だけで終わらせていたかもしれない。
今は、リビアが怖いと思っていることもそのまま聞ける。
「次、最後」
「うん」
「勝ってくる」
自然に言った。
リビアの表情が明るくなる。
「うん。行ってらっしゃい」
「行ってくる」
背を向ける。
中央へ戻る。
◇
アルフォルドも立っていた。
「最後だな」
「うん」
「勝つぞ」
「俺も」
剣を構える。
一本ずつ。
次で決まる。
でも不思議と焦りはなかった。
相手を見る。
自分の身体を見る。
条件を守る。
勝つために考える。
それだけ。
迅雷撃破は使わない。
攻撃魔術もない。
五属性も関係ない。
今ここにあるのは、剣と身体強化だけだ。
それが嬉しかった。
アルフォルドが第一王子だからでもない。
俺が五属性持ちだからでもない。
ただ、剣を振る二人として向かい合っている。
「第三本」
レイモンド先生の声が訓練場へ響く。
俺は一度だけ深く息を吸った。
吐く。
視界の端に、観覧区画がある。
リビアがいる。
でも見るのは後。
今はアルフォルド。
「始め!」
動く。
今度はどちらが先だったのか、自分でも分からなかった。
剣がぶつかる。
強い。
受ける。
流す。
戻す。
アルフォルドも同じように対応する。
一度目の打ち合いでは何も起きない。
二度目。
三度目。
互いに相手の癖をもう知り始めている。
俺が力を抜けば警戒される。
アルフォルドが肩を動かしても、今度はそれだけでは反応しない。
足を見る。
腰を見る。
目を見る。
全部を見る。
(面白い)
剣が横から来る。
受け流す。
追撃。
下がる。
止まる。
アルフォルドも止まる。
こちらの前進を待っている。
(なら)
行かない。
数秒、互いに動かない。
先にアルフォルドが笑った。
「来ないか」
「待ってるんだろ」
「分かったか」
「さすがに」
「なら変える」
次の瞬間、本当に変わった。
大きく踏み込む。
速い。
今までより深い。
(っ!)
剣を合わせる。
重い。
押される。
足が半歩滑る。
場外までは遠い。
でも、このまま受け続けるのはまずい。
横へ逃がす。
アルフォルドが追う。
俺が一歩。
向こうも一歩。
距離が切れない。
(ここで下がり続けたら取られる)
なら前。
踏み込む。
剣をぶつける。
アルフォルドの剣が外へ。
俺の剣も弾かれる。
互いに無防備になる一瞬。
先に戻した方が取る。
腕だけでは遅い。
足を使う。
身体を回す。
剣を戻す。
アルフォルドも戻している。
狙いは俺の胴。
俺は相手の腕。
(届く)
そう思った瞬間。
アルフォルドの剣筋が変わった。
胴ではない。
俺の剣へ向かっている。
(弾く気だ)
剣を引けば間に合う。
でもそれでは攻撃が消える。
なら。
俺は握りを少し緩めた。
剣同士がぶつかる。
衝撃。
完全に抵抗しない。
弾かれる方向へ自分から剣を動かす。
軌道が外へ逸れる。
アルフォルドの剣も勢いで流れる。
俺の手首が返る。
流された力をそのまま使う。
大きく回さない。
剣先を短く戻す。
アルフォルドも気づいた。
身体を引く。
剣を戻す。
互いの間に、ほんのわずかな距離。
俺は踏み込んだ。
アルフォルドも踏み込む。
剣が走る。
どちらが先か。
分からない。
ただ、今度は止めない。
有効打になるまで。
「――止め!」
鋭い声が響いた。
俺は即座に腕を止めた。
身体強化も落とす。
アルフォルドも止まる。
呼吸だけが聞こえる。
俺の剣は――。
アルフォルドの胴防具へ触れていた。
向こうの剣も、俺の右腕防具へ触れている。
ほとんど同時。
訓練場が静まり返る。
レイモンド先生が俺たちの位置を見る。
俺の剣。
アルフォルドの剣。
足。
身体。
しばらく何も言わない。
(どっちだ)
心臓の音が大きい。
アルフォルドも黙って判定を待っている。
観覧区画も静かだ。
リビアの顔を見る余裕はない。
先生が一歩近づいた。
「今の一撃――」
そこで、俺は初めて息を止めていたことに気づいた。




