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第50話 大事な勝負の前日だからこそ、いつも通りに過ごしてみます

 翌朝、目を覚ました俺は、しばらく布団の中で天井を眺めていた。


 身体は軽い。


 頭痛もない。


 昨日の朝に二十分だけ剣を振ったが、腕や脚へ残っている疲労も感じなかった。起き上がって肩を回し、足首も動かしてみたものの、気になるところはない。


 アルフォルド殿下との剣術交流は明日。


(……今日はどうしよう)


 剣を振りたいかと聞かれれば、振りたくないわけではない。


 でも、昨日も一昨日も必要な練習は出来ている。


 学園の剣術授業もあった。


 明日のために確認したい動きがあるかと考えてみても、特には思いつかなかった。


 殿下がどう動くかは、実際に向かい合わなければ分からない。


 俺自身の剣も、一晩で別物になるわけではない。


(じゃあ、やらなくていいか)


 そう決めた。


 不思議なくらい簡単だった。


 前日だから休まなければならない、でもない。


 前日だから最後に確認しなければならない、でもない。


 今日は振る必要を感じない。


 それだけ。


 俺はベッドを出て、いつもの制服へ着替え始めた。


 剣を振らないなら、その分早く朝食室へ行ける。


 そう考えたところで、ふと昨日の夜を思い出した。


 リビアと海を見に行きたい。


 学園を卒業した後も、その先も一緒にいたい。


 俺は確かにそう言った。


(……今だけじゃなくて、先も)


 思い返すと、少し恥ずかしい。


 でも、取り消したいとは思わなかった。


 むしろ、昨日よりもしっくりきている。


 リビアと一緒にいる未来。


 それを想像しても、もう「俺なんかが」と最初に打ち消すことはなかった。


 俺はネクタイを整え、鏡の中の自分を見る。


「……たぶん、もう答え分かってるんだよな」


 小さく呟いた。


 胸が少しだけ速く鳴った。


 それでも今すぐ答えを出そうとはしなかった。


 今日は今日。


 明日は剣術交流。


 それとは別に、俺の気持ちについても逃げない。


 それでいい。


     ◇


 部屋を出て階段へ向かうと、途中の廊下でリビアと会った。


「おはよう、セス」


「おはよう」


 今日も銀青色の髪が朝の光を受けている。


 目が合った瞬間、自然に思った。


(可愛い)


 もう驚かない。


 リビアを見て可愛いと思う。


 綺麗だとも思う。


 それが自分の中にあること自体には、だいぶ慣れてきた。


「……何?」


「可愛いなって思った」


「慣れない!」


 リビアがすぐに顔を赤くした。


「俺はちょっと慣れてきた」


「何に?」


「思うことに」


「言うことには慣れなくていいから!」


「でも聞かれたし」


「セスの顔が何か考えてる顔だったから聞いただけでしょう?」


「じゃあ聞かなければいいのに」


「気になるの!」


 朝の静かな廊下へ少し大きめの声が響いた。


 リビアが自分で気づいて、慌てて声を落とす。


「……もう」


「ごめん」


「笑いながら言わないで」


「だって」


「何?」


「嬉しいから」


「何が?」


「リビアが俺の考えてること気にしてくれるの」


 今度はリビアが完全に黙った。


 頬だけでなく耳まで赤くなっていく。


「……朝から多い」


「何が?」


「セスが」


「俺?」


「もういい。朝食行く」


「うん」


 歩き始めたリビアの隣へ並ぶ。


 彼女は少しだけ早足だったが、俺を置いていくほどではなかった。


「今日、剣は?」


「やってない」


 リビアが足を緩める。


「前日だよ?」


「うん」


「休むって決めたの?」


「休むっていうより、今日は振らなくていいかなって」


「身体は?」


「問題ない」


「じゃあ、本当に自分で?」


「うん」


 リビアは数歩歩いてから、柔らかく笑った。


「そっか」


「また嬉しい?」


「うん。でも今日はそれだけ」


「褒めないの?」


「もう特別なことじゃなくなってきたから」


 その言葉に、俺も少し笑った。


「それ、父さんと同じこと言ってる」


「グレイヴも?」


「昨日言われた。自分で決められるなら毎回特別扱いする必要ないって」


「じゃあ私もそうする」


「うん」


 その方がいい。


 休むことが出来たから褒められる。


 止まれたから褒められる。


 ずっとそうではなく、いつか当たり前になればいいと思っていた。


 たぶん、少しずつそうなっている。


     ◇


 朝食室では、旦那様もグレイヴも明日の剣術交流について何も言わなかった。


 普通に朝食を食べる。


 パンと卵料理。


 温かいスープ。


 今日の予定を簡単に確認する。


 それだけだった。


「旦那様」


「どうした?」


「明日のこと、何も聞かないんですか?」


「昨日聞いた」


「そうですけど」


「何か変更があるのか?」


「ありません」


「なら聞くことはない」


「……はい」


 旦那様が新聞へ視線を戻す。


 グレイヴも何も言わない。


 リビアだけが少し笑っている。


「セス」


「何?」


「もしかして、心配されたい?」


「違うよ」


「じゃあ何で聞いたの?」


「前日だから何か言われるかと思っただけ」


 グレイヴが紅茶を注ぎながら答える。


「学園の教師が立ち会い、条件も決まっている。迅雷撃破も攻撃魔術も使わない。お前自身も条件を理解している。それ以上、今朝言うことはない」


「うん」


「勝ちたいなら勝ちに行け」


「いいの?」


「剣を交えるのに、負けるつもりで行く方が相手へ失礼だろう」


 胸の奥が少し熱くなる。


「分かった」


「ただし」


「何?」


「帰ってこい」


 一瞬だけ、昔のことを思い出した。


 ライゼルとの面会へ向かう朝にも、似た言葉をもらった。


 でも意味は違う。


 明日は命を懸ける戦いではない。


 普通の剣術交流だ。


 だから俺も普通に答える。


「帰ってくるよ」


「ならいい」


 グレイヴはそれ以上何も言わなかった。


     ◇


 馬車へ乗る。


 いつものようにリビアの隣へ座る。


 肩が触れる。


 もう、それを意識して座る場所を決めることもほとんどない。


「明日、私も見るからね」


「うん」


「緊張する?」


「リビアに見られるの?」


「そう」


「するかも」


「嫌?」


「逆」


 リビアを見る。


「見てほしい」


「……うん」


「勝つところだけじゃなくて、ちゃんと剣振ってるところ」


「全部見る」


「失敗しても?」


「見る」


「負けても?」


「見るよ」


 すぐ返ってきた。


「勝っても負けても、セスが剣を振ってるところを見たい」


「そっか」


 嬉しい。


 勝ったところを見せたい気持ちはある。


 格好いいところを見せたいとも思う。


 でも、それだけではない。


 俺が剣を振っているところをリビアに見てほしい。


 その気持ちは前からあった。


「リビア」


「何?」


「明日、来てくれるの嬉しい」


「うん」


「たぶん、いつもより頑張れる」


「頑張りすぎないでね」


「そこ?」


「そこ」


 二人で笑った。


     ◇


 学園へ着くと、朝から妙にイザークが落ち着かなかった。


「明日だな」


「うん」


「本当に今日練習しないの?」


「しないよ」


「放課後も?」


「しない」


「朝も?」


「してない」


「マジか」


「何でイザークが不安そうなの?」


「俺なら振りたくなる」


「振りたいなら振ればいいんじゃない?」


「いや、お前が殿下とやるから」


「イザークはやらないだろ」


「見る側にも気持ちってもんがあるんだよ」


 よく分からない。


「楽しみにしてくれてるってこと?」


「まあ、そう」


「ありがとう」


「そこで素直に礼言うのやめろ。何か恥ずかしい」


「何でだよ」


 ナナリーが近くで笑っている。


「イザーク様、クルセス様のこと本当に好きですよね」


「剣の相手としてな!」


「友達としてじゃないの?」


 俺が聞く。


「それもだよ!」


「じゃあいいじゃん」


「朝から調子狂うな……」


 イザークが頭を掻く。


 ミリアナも教室へ入ってきた。


「何の話?」


「イザークが明日の勝負楽しみにしてるって」


「楽しみだよね!」


「ミリアナも見るの?」


「予定なければ行く。ナナリーもでしょう?」


「はい。邪魔にならない場所からですが」


 俺は少しだけ驚いた。


「そんなに見に来るの?」


「だって第一王子殿下とクルセス君だよ?」


「普通の剣術交流だよ」


「その普通の基準がおかしいの」


「そうかな」


「そうだよ」


 ミリアナが即答した。


     ◇


 午前の授業は歴史、法学、魔術理論。


 どれも特別な内容ではなかった。


 歴史では古い領地境界の変遷。


 法学では契約成立条件。


 魔術理論では属性魔術の形成速度について。


 アルフォルド殿下との剣術交流前日だからといって、授業内容が変わるわけではない。


 俺も普通にノートを取った。


 魔術理論では少し気になる話が出た。


「術式形成速度と、魔力変換速度を混同しないように」


 ベルナルト先生が黒板へ二つの言葉を書く。


「魔力が目的属性へ変換されても、術式そのものの形成に時間がかかれば発動は遅れます。逆に、術式形成が速くても属性変換に時間がかかる術者もいる」


 俺はペンを止める。


 属性切り替え。


 古い測定器。


 中継板。


 以前なら、すぐ繋げたかもしれない。


(今の授業だけじゃ関係あるか分からない)


 そのままノートへ授業内容だけを書く。


 ベルナルト先生と目が合った。


 先生が少しだけ眉を上げる。


 何も言わない。


 俺も何も聞かない。


 授業が終わった後。


「クルセス」


 呼び止められた。


「はい」


「質問は?」


「あります」


「あるんですね」


「でも今の授業と古い測定器が関係あるか分からないので、今日はいいです」


 先生が少し黙った。


「何です?」


「いえ。以前なら授業終了と同時に来たと思いまして」


「最近みんな昔の俺と比べません?」


「変化が大きいからでしょう」


「質問しない方がいいってことじゃないですよね?」


「もちろんです。必要な時は聞きなさい。ただし、今すぐ聞かなくても困らない疑問なら、保留しても構わない」


「はい」


「次に資料を見る機会があれば、その時に確認しましょう」


「分かりました」


 これで終わり。


 疑問は消えていない。


 でも持ったままでいい。


     ◇


 昼休み。


 アルフォルド殿下もいつものように食事へ来た。


 明日剣を交える相手なのに、昨日までと何も変わらない。


「クルセス」


「はい」


「明日の最終確認だ」


「お願いします」


「放課後、第二剣術訓練場。授業終了後、着替えと準備をして集合。レイモンド先生が立ち会う」


「はい」


「模擬剣と防具は学園側が用意する。互いの私物剣は使用しない」


「はい」


「迅雷撃破、攻撃魔術は禁止。通常の身体強化のみ許可」


「はい」


「勝敗条件は、教師が開始前に説明する」


「分かりました」


「体調不良があれば延期」


「殿下もですよ」


 アルフォルド殿下が一瞬止まった。


「俺も?」


「当然でしょう」


「俺が確認している側なのだが」


「殿下が体調悪いのにやったら駄目じゃないですか」


 カイゼル殿下が笑い始めた。


「アルフォルド、クルセスに心配されていますよ」


「分かっている」


「今日の体調は?」


 俺が聞く。


「問題ない」


「なら明日の朝も確認してください」


「……分かった」


 リビアが隣で笑っている。


「何?」


「セスが人に同じこと言うようになったなって」


「体調確認は大事だろ」


「うん」


「リビアも明日ね」


「私も?」


「見学でも体調悪かったら休んで」


「分かった」


「何だこれ」


 イザークが笑う。


「剣術交流前の会話か?」


「大事でしょう?」


「大事だけど」


 アルフォルド殿下が静かに息を吐く。


「まあいい。明日は互いに問題ない状態でやろう」


「はい」


「そして」


 殿下の表情が少し変わる。


「勝つ」


 真っ直ぐな言葉だった。


 俺も自然に笑う。


「俺も勝ちます」


 空気が少しだけ張る。


 でも嫌ではない。


 明日が楽しみだ。


「やっぱりいいな」


 イザークが言う。


「何が?」


「その感じ」


「だから何なんだよ」


「剣やる奴には分かる」


「俺も剣やるんだけど」


「自分のことだと分かんないんだよ」


 よく分からなかった。


     ◇


 午後には通常の剣術授業があった。


 明日が交流だからといって、俺だけ見学する理由はない。


 ただし内容は軽い基礎練習だった。


 教師が俺を見る。


「クルセス」


「はい」


「明日交流だな」


「はい」


「今日は授業内容だけ。終わった後の追加練習は禁止とは言わないが、勧めない」


「追加しません」


「ならいい」


 今日の課題は受け流し。


 二人一組で模擬剣を合わせ、相手の力を正面から止めるのではなく、角度をずらして逃がす。


 相手はイザークだった。


「よろしく」


「おう」


 構える。


 俺から軽く打ち込む。


 イザークが受ける。


 以前より受け方が滑らかだ。


「今の良かった」


「だろ?」


「もう一回」


「来い」


 次。


 少し角度を変える。


 イザークが受け流す。


 剣先が横へ逃げる。


「上手くなったな」


「お前に何回もやられたからな」


「俺?」


「正面から受けると力負けするから、嫌でも覚える」


「それ褒めてる?」


「半分な」


 交代。


 今度は俺が受ける。


 イザークの剣を正面で止めず、少し斜めへ。


 力が流れる。


「クルセス」


 教師が近くから声をかける。


「今のは流しすぎだ。相手の剣を逃がした後、自分の姿勢まで開いている」


「はい」


「もう少し小さく」


「分かりました」


 もう一度。


 今度は角度を小さくする。


「そこ」


「はい」


 明日のための特別練習ではない。


 普通の授業。


 でも、こういう一つ一つが俺の剣になっている。


 それでいい。


     ◇


 授業が終わる。


 イザークが模擬剣を戻しながら俺を見る。


「この後どうする?」


「帰る」


「本当に?」


「本当に」


「ちょっとくらい――」


 イザークが言いかけて、自分で止めた。


「いや、やめとく」


「何?」


「俺が誘ったらお前やりそうだから」


「今日はやらないよ」


「なら帰れ」


「イザークもやりすぎるなよ」


「俺は明日試合ないから」


「それでも」


「分かった分かった」


 笑いながら手を振る。


 俺も着替えへ向かった。


     ◇


 放課後、リビアは委員会も図書館の予定もなかった。


 昇降口で合流する。


「帰る?」


「うん」


「剣やらない?」


「授業でやったから」


「そっか」


 それだけ。


 並んで馬車へ向かう。


「セス」


「何?」


「明日、楽しみ?」


「うん」


「怖くない?」


 少し考える。


「負けるのは嫌だよ」


「うん」


「痛いのも嫌」


「防具あるけど、当たったら痛いものね」


「でも怖いっていうより、楽しみ」


「そっか」


「リビアは?」


「楽しみ。でも少し心配」


「怪我?」


「うん」


「無茶しないよ」


「知ってる」


「なら大丈夫」


「それでも心配するの」


 馬車の前で足を止める。


 リビアは少し困ったように笑った。


「セスが今は無茶しないって分かってても、心配しなくなるわけじゃないよ」


「そっか」


「嫌?」


「嫌じゃない」


 むしろ嬉しい。


 心配させたいわけではない。


 でも、心配してくれること自体を拒む必要もない。


「じゃあ、明日終わったらちゃんと怪我ないか見せる」


「うん」


「何かあったらすぐ言う」


「うん」


「これでいい?」


「いい」


 リビアが笑う。


 俺も笑った。


     ◇


 帰りの馬車では、明日の話はほとんどしなかった。


 代わりに、昼食で出た料理の話をした。


「今日の白身魚、美味しかったね」


「ソース何だったんだろ」


「香草と……柑橘系かな」


「今度厨房で聞いてみようかな」


「作るの?」


「作れそうなら」


「私も食べたい」


「じゃあ覚えたら作る」


「楽しみ」


 そんな話をする。


 明日は剣術交流。


 でも今日は今日。


 馬車が少し揺れ、リビアの肩が俺へ当たる。


 そのまま離れない。


 俺も寄る。


「セス」


「何?」


「明日の夜も、こうして帰れるよね」


「帰れるよ」


「うん」


「勝っても負けても」


「うん」


「怪我しても?」


「大怪我は嫌」


「しないようにする」


「小さい怪我なら?」


「治療して帰る」


「じゃあ待ってる」


 俺はリビアを見る。


「一緒に帰ろう」


「うん」


 明日の勝負の後。


 もう、その先の予定がある。


 帰る。


 リビアと一緒に。


 それが妙に安心した。


     ◇


 屋敷へ戻った後、俺は明日の準備だけ確認した。


 制服。


 訓練着は学園。


 防具も模擬剣も学園側。


 特別に持っていくものはない。


 体調だけ整えればいい。


 確認は五分もかからなかった。


(終わり)


 以前なら、ここから動きの確認をしたかもしれない。


 アルフォルド殿下の剣筋を思い出し、対応を何種類も考えたかもしれない。


 でも今日はしない。


 明日、目の前の殿下を見る。


 それでいい。


     ◇


 夕食後。


 自室で本を読んでいると、扉が叩かれた。


「セス?」


「どうぞ」


 リビアが入ってくる。


 手には旅騎士の小説。


「読む?」


「うん」


 昨日の続き。


 明日は剣術交流。


 でも、今夜はいつも通り本を読む。


 ソファへ並ぶ。


 肩が触れる。


「手は?」


 リビアが聞いた。


 俺は少し考える。


「今日は繋がなくていいかな」


「うん」


「嫌?」


「全然」


「今日はこっちがいい」


 少し肩を寄せる。


 リビアも寄ってくる。


「これ?」


「うん」


「分かった」


 本を開く。


 旅騎士たちは、昨日泊まった宿を出て次の町へ向かっている。


 途中、小さな丘の上から海が見えた。


「あ」


 リビアが声を出す。


「海」


「昨日話したばっかりなのに」


「偶然だね」


 挿絵には、遠くまで続く水面が描かれている。


「こんな感じなのかな」


「実物はもっと広いんじゃない?」


「見たいね」


「うん」


「一緒に」


「うん」


 もう、そこに迷いはない。


 俺はリビアと海を見たい。


 いつか一緒に行きたい。


 その先も、一緒にいたい。


 ページをめくる。


 物語は穏やかに進む。


 途中でリビアが笑い、俺も笑う。


 明日のことを忘れているわけではない。


 でも、考え続ける必要もなかった。


     ◇


 一時間ほど読んで、今日は終わりにした。


「そろそろ寝た方がいいね」


 リビアが本を閉じる。


「うん」


「明日早く起きる?」


「いつも通り」


「剣は?」


「朝決める」


「まだ決めてないんだ」


「うん。でも多分やらない気がする」


「何で?」


「今日授業で振ったから」


「そっか」


 立ち上がる。


 部屋の前まで送るため、一緒に廊下へ出た。


 夜の屋敷は静かだった。


 壁の魔導灯が淡い光を落としている。


 リビアの部屋の前へ着く。


「じゃあ、おやすみ」


「うん。おやすみ」


 いつもならここで別れる。


 でも今日は、リビアが扉へ手をかける前に俺を見た。


「セス」


「何?」


「明日、頑張って」


「うん」


「勝ってほしい」


「うん」


「でも、無事に帰ってきて」


 その言葉に、胸の奥が強く動いた。


 グレイヴにも似たことを言われた。


 でも、リビアから言われると少し違う。


「帰ってくる」


「絶対?」


「うん」


「約束?」


「約束」


 リビアが笑う。


「じゃあ、明日」


「また明日」


 扉が閉まる。


 俺は少しだけその場に立っていた。


(無事に帰ってきて、か)


 以前の俺なら、勝つためなら多少の怪我は仕方ないと思ったかもしれない。


 今も、勝負で完全に無傷とは限らない。


 でも、勝つことと自分を壊すことは同じではない。


 明日は全力で勝ちに行く。


 ただし、決められた条件の中で。


 終わったらリビアと帰る。


 それでいい。


     ◇


 自室へ戻る。


 寝る準備を済ませ、灯りを一つだけ残した。


 明日のことを考える。


 アルフォルド殿下。


 第一王子。


 剣の腕も高い。


 以前見た時より強くなっているだろう。


 俺も変わった。


 どちらが勝つかは分からない。


 それでいい。


(楽しみだな)


 純粋にそう思う。


 そして、もう一つ。


 今日、何度もリビアを見た。


 朝に可愛いと思った。


 明日見に来てくれるのが嬉しい。


 終わったら一緒に帰りたい。


 いつか一緒に海を見たい。


 卒業した後も、その先も一緒にいたい。


 彼女が俺の未来にいることを、自然に想像している。


(……好きなんだろうな)


 今までで一番はっきり、その言葉が浮かんだ。


 胸が大きく鳴った。


 でも、否定しなかった。


 違うとも思わなかった。


 むしろ。


(うん)


 静かに息を吐く。


 それが一番近い。


 大事だから。


 婚約者だから。


 幼馴染だから。


 守りたいから。


 そういうものだけでは説明出来ない。


 会いたい。


 近くにいたい。


 見ていたい。


 触れたい時がある。


 一緒に笑いたい。


 俺のことを見てほしい。


 彼女のことを知りたい。


 先の時間にもいてほしい。


 別の誰かでは嫌だと思う。


 リビアがいい。


(俺、リビアが好きなんだ)


 今度は、頭の中で最後まで言えた。


 驚くほど静かだった。


 何かが弾けるような感覚もない。


 世界が変わったわけでもない。


 ただ、今まで一つずつ拾ってきた気持ちへ、ようやく名前がついた。


 嬉しかった。


 少し怖い。


 すごく恥ずかしい。


 でも、嫌ではない。


 間違っているとも思わない。


 俺はベッドへ腰を下ろし、両手で顔を覆った。


「……これ、本人に言うのか」


 想像しただけで顔が熱くなる。


 リビアはずっと俺を好きだと言ってくれている。


 俺の答えを待つとも言ってくれた。


 だったら、俺も言いたい。


 でも今夜、勢いのまま部屋へ走っていくのは違う気がする。


 明日は剣術交流。


 それを告白のための何かにするつもりもない。


 勝ったら言う。


 負けたら言わない。


 そんな条件をつける気もなかった。


 俺がリビアを好きなことと、明日の勝敗は別だ。


(ちゃんと、自分の言葉で言いたい)


 いつ言うかはまだ決めない。


 明日かもしれない。


 もう少し後かもしれない。


 でも、もう「分からない」とは言わない。


 答えは出た。


 俺はリビアが好きだ。


 そして、婚約者として彼女の隣にいたい。


 それを考えた瞬間、以前なら必ず浮かんでいた言葉を思い出した。


 公爵令嬢と元平民。


 主人と執事。


 身分が違いすぎる。


 俺なんかが婚約者になるのは無理だ。


 今も身分差が消えたわけではない。


 俺が元スラムの孤児だった事実も変わらない。


 リビアが公爵令嬢であることも変わらない。


 それでも。


(無理だから離れたいとは、もう思わない)


 むしろ逆だった。


(俺がリビアの隣にいたい)


 胸の奥に、その気持ちがまっすぐ残る。


 まだ「俺こそが相応しい」と胸を張れるほどではない。


 知らないことも、出来ないこともある。


 これから考えなければならないことも多い。


 でも、最初から自分を候補の外へ追い出す必要はない。


 リビアが選んでくれた。


 そして今は、俺も彼女を選びたい。


 そこまで考えて、ようやく少し笑えた。


「……明日、普通に剣振れるかな」


 たぶん振れる。


 恋心へ名前がついたからといって、剣の握り方を忘れるわけではない。


 明日はアルフォルド殿下と剣を交える。


 勝ちたい。


 楽しみたい。


 そして終わったら、リビアと一緒に帰る。


 その後のことは、その時考えればいい。


 灯りを消す。


 暗くなった部屋で目を閉じる。


 明日は大事な勝負の日だ。


 けれど眠りへ落ちる直前、俺の胸にあったのは勝敗への緊張ではなかった。


(俺、リビアが好きなんだな)


 もう一度そう思っても、今度は迷わなかった。

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