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第41話 気になっていた古い道具を見せてもらったら、剣を振る時間までなくなりそうです

 翌朝、目を覚まして最初に考えたのはライゼルのことではなかった。


 昨日、ベルナルト先生が途中までしか教えてくれなかった中継板の材質についてだった。


「……今日なら見せてもらえるかな」


 まだ薄暗さの残る部屋で身体を起こしながら呟いてから、自分でも少しおかしくなる。二日前には第二応接室でライゼルと向かい合っていたのに、今の俺が気にしているのは古い魔力測定器に挟まれていた薄い板の材質なのだ。


 もちろん、ライゼルとの面会を忘れたわけではない。


 思い出そうとすれば、向かい側に座っていた顔も、謝罪の言葉も、自分が返した言葉もはっきり浮かぶ。それでも、目を覚ました瞬間から頭の中を占領するものではなくなっていた。


 昨日の夜、リビアと一緒に小説を読んだことも覚えている。


 馬を逃がした騎士が、宿代を払えなくなって働き始めたところまでだった。


「……あれも続き気になるな」


 古い測定器も気になる。


 小説も気になる。


 イザークと剣も振りたい。


 サザリーには三日後の共同学習について返事をしなければならない。


 一日の中にいくつも「やりたい」がある。


 少し前の俺なら、全部やるための時間割を今ここで作り始めていた気がする。


 朝に剣。


 登校中に読書。


 休み時間にベルナルト先生へ質問。


 昼にサザリーへ返事。


 放課後にイザークと剣。


 帰宅後に領地運営課題。


 夜に魔術書。


 余った時間でリビアとの小説。


 そこまで頭の中で並べたところで、俺はベッドから下ろしかけた足を止めた。


「……いや、待て」


 全部やらなくていい。


 昨日、自分で考えたばかりだ。


 問題が残っていても別のことをしていい。


 逆に、やりたいことがいくつもあっても、全部を一日に詰め込まなくていい。


 まず身体の状態を確かめる。


 昨日まで残っていた頭の重さは、ほとんど消えている。身体にも痛みはなく、魔力の流れもいつも通りだった。


 頭の疲れは一か二。


 剣を振っても問題はなさそうだ。


 窓の外を見ると、東の空が淡く明るくなり始めていた。昨日より少し冷えた朝で、窓硝子に触れると指先へひんやりした感触が返ってくる。


「朝は……軽くやるか」


 剣を振りたい。


 だから振る。


 ただし、今日は放課後にもイザークとやる可能性がある。


 なら朝から長くやる必要はない。


 俺は着替えを済ませ、木剣を持って庭へ向かった。


     ◇


 朝の訓練場には、まだ人が少なかった。


 夜露を含んだ芝の匂いと、冷たい空気。木剣を握った手にも、いつもより少し冷えが伝わってくる。


 身体を温めるところから始める。


 いきなり振らない。


 肩を回し、腕を伸ばし、足首と膝を確かめる。軽く走ってから基本の足運びを繰り返し、身体が温まってきたところで木剣を構えた。


 今日は速さを上げない。


 イザークとやる時に最近気になっている、相手の退き足を見すぎる癖を確認する。


 剣先。


 肩。


 腰。


 足。


 一つだけを追わず、全体を見る。


 架空の相手を想定して一歩踏み込み、剣を振る。


 そこで止まる。


 もう一度。


 今度は相手が半歩退いたと仮定して、追う。


 足だけを見ない。


 上体と剣の動きも視界へ入れる。


「……こっちの方がいいな」


 昨日、馬車の中で読んだ剣術書の内容を思い出す。


 相手の動きを読むために、一番動く場所だけを見てはいけない。部分へ集中しすぎれば、別の動きに反応するのが遅れる。


 理屈では分かる。


 でも実際に剣を持つと、相手の癖を知っているほどそこを見たくなる。


 イザークの退き足が改善してきたからこそ、余計に気になっていた。


 何度か足運びを繰り返したところで、屋敷側から鐘の音が聞こえた。


 予定していた時間だ。


 もう少し出来る。


 身体も軽い。


 あと十回くらいなら――。


 そう考えたところで、木剣を下ろした。


「今日はここまで」


 放課後にも出来る。


 出来なければ明日がある。


 俺は木剣を片づけ、屋敷へ戻った。


     ◇


 食堂へ入ると、すでにリビアが席についていた。


 俺を見るなり、彼女の視線が俺の髪から服、手元へと動く。


「剣やった?」


「うん」


「何分?」


「準備込みで三十分くらい」


「終わる時間は?」


「予定通り」


「もう少しやりたかった?」


「ちょっと」


「やめた?」


「やめた」


 リビアが満足そうに頷く。


「合格」


「何の試験?」


「セスが朝から無茶しない試験」


「そんなの受けてたの?」


「今作った」


 昨日のベルナルト先生と同じことを言っている。


「最近、皆その場で試験とか勉強とか作らない?」


「セスに必要だからじゃない?」


「俺のせい?」


「半分くらい」


 グレイヴが紅茶を置きながら口元を緩める。


「残り半分は皆が楽しんでいるのでしょう」


「グレイヴまで」


「事実です」


 旦那様は新聞から目を上げ、俺を見る。


「今日は調子が良さそうだな」


「はい。頭は一か二くらいです」


「なら昨日よりは戻ったか」


「はい」


「面会のことは?」


 問い方は昨日と同じく穏やかだった。


 俺は少しだけ考える。


「今朝は、起きた時には考えてませんでした」


「そうか」


「忘れたわけじゃないです」


「分かっている」


「思い出せば普通に思い出します。でも、最初に考えたのは別のことでした」


「何を?」


「古い魔力測定器の中継板です」


 旦那様が一度瞬きをした。


 リビアが吹き出す。


「やっぱり?」


「何が?」


「朝、部屋を出る時に、今日はベルナルト先生から資料見せてもらえるかなって考えてたの」


「俺も」


「同じじゃない」


「リビアも気になってるんだろ?」


「気になるよ。セスほどじゃないけど」


「そう?」


「私は自分の結界資料も気になるから」


「それも見たい」


「セスの研究じゃないでしょう」


「でも面白い」


「そう言って全部抱えるの禁止」


「抱えてないよ。見たいだけ」


「見たら考えるでしょう?」


「考える」


「質問するでしょう?」


「する」


 昨日ベルナルト先生にも同じことを言われた。


 旦那様が新聞を畳む。


「元気になったようで何よりだ」


「会話だけで分かります?」


「十分分かる」


 グレイヴも頷いている。


 俺としては普通に話しているだけなのだけれど、二人には何か違いが見えるらしい。


「それで、今日は放課後どうするの?」


 リビアがパンをちぎりながら尋ねる。


「イザークと剣やるかも」


「かも?」


「授業終わった時の状態で決める」


「うん」


「リビアは?」


「図書館へ行きたい。昨日は結界の本を十五分しか読めなかったから」


「一緒に帰る?」


「セスが剣するなら、時間合わないかも」


「じゃあ別でもいいか」


「うん。終わる時間が近かったら一緒に帰ろう」


「分かった」


 以前なら、リビアが図書館へ行くなら俺も行くか、俺が剣をするなら待ってもらうか、どちらかを考えていた。


 今は、それぞれ好きなことをして、時間が合えば一緒に帰ればいいと思える。


 その方が楽だった。


     ◇


 登校の馬車では、昨日読んだ小説の話になった。


「騎士、あの後どうなると思う?」


 リビアが窓の外を見ながら聞く。


「宿で働き続ける」


「旅が終わるでしょう」


「馬探すんじゃない?」


「普通はそうだと思う」


「でも、あの主人公ちょっと抜けてるから」


「まだ二十ページくらいしか読んでないのに、もう評価厳しくない?」


「馬逃がした」


「それをずっと言ってる」


 リビアが笑う。


 俺もつられて笑った。


「今日、続き読む?」


「夜に時間あったら」


「俺も」


「ベルナルト先生の資料を持ち帰って、ずっと考えてたりしない?」


「資料は持ち帰れないと思う」


「じゃあ安心」


「何で?」


「持ち帰れたら絶対読むから」


「読むよ」


「でしょう?」


 俺は否定出来なかった。


 しばらくして馬車が大通りへ入る。


 朝の店先では荷物を運ぶ人たちが行き交い、パン屋の前から焼きたての香りが流れてきた。学園へ向かう生徒の馬車も少しずつ増えている。


「セス」


「何?」


「昨日、私じゃない人を好きになるのを想像したでしょう?」


 突然話題が変わった。


 俺は一瞬言葉に詰まる。


「……した」


「どんな感じだった?」


「何で聞くの?」


「気になったから」


 リビアは俺を急かす様子もなく待っている。


 昨日は、別の誰かと手を繋ぐところを想像した。


 ナナリーやミリアナの顔まで思い浮かべてしまったけれど、何かが違った。


「変だった」


「変?」


「うん」


「嫌だった?」


「たぶん」


「どうして?」


「分からない」


「そっか」


 リビアはそれ以上追及しなかった。


 でも少し嬉しそうだ。


「何で笑ってるの?」


「笑ってないよ」


「笑ってる」


「ちょっとだけ」


「理由は?」


「教えない」


「ずるい」


「セスだって分からないって言ったでしょう?」


「俺は本当に分からないんだよ」


「私は分かってるけど教えないの」


「もっとずるいじゃん」


 リビアの笑みが深くなる。


 俺は少し納得出来ないまま、窓の外へ視線を向けた。


 胸の奥には、昨日感じたのと似た小さな引っかかりが残っていた。


 でも今は、それを無理に言葉へ変えない。


     ◇


 教室へ入ると、イザークがすぐ俺のところへ来た。


「今日どうだ?」


「頭一か二。朝三十分剣やった」


「じゃあ放課後は?」


「授業終わった時に大丈夫ならやる」


「了解」


 それだけで話が終わる。


 以前なら「出来るならやる」と即答していたと思う。


「そうだ」


 俺は鞄を机へ置きながらサザリーを探す。


 少し離れた席で資料を整理していた彼が、こちらへ気づいた。


「サザリー」


「何だ?」


「昨日の話」


「三日後の共同課題か」


「うん。予定確認したけど大丈夫だった」


「なら三日後でいいか?」


「うん。ただ、何か学園の予定が入ったら相談していい?」


「当然だ」


「じゃあ三日後、放課後」


「第二学習室を取っておく」


「ありがとう」


 正式に決まった。


 前回の共同学習では、俺が情報を集めすぎて判断を遅らせる癖と、サザリーが必要な情報まで切り捨てて早く決めすぎる癖を互いに確認した。


 次はサザリー側から条件変更を出すらしい。


「今回は何やるの?」


「今聞くのか?」


「駄目?」


「条件変更へ対応する練習なのに、事前に条件を知ってどうする」


「確かに」


「当日は前回より情報を減らす」


「減らすの?」


「ああ。その代わり、途中で必要な情報を追加する」


「面白そう」


「お前は本当にこういう課題が好きだな」


「サザリーもだろ?」


「否定はしない」


 彼の口元が少し緩んだ。


 友人として。


 第39話に言われた言葉を思い出す。


 以前なら、その一言を何度も考えていたかもしれない。


 今は、嬉しかったという感覚だけが自然に残っていた。


     ◇


 午前の授業は数学と歴史だった。


 数学では物流費の計算に近い問題が出て、途中からサザリーとの課題を思い出したけれど、勝手に条件を増やすのはやめた。


 歴史では百年以上前の領地再編について扱った。貴族家の統廃合と王家の調整が中心で、俺には知らない制度が多く、ノートへ質問を書き足していく。


 休み時間になったところで、カイゼル殿下が俺のノートを覗き込んだ。


「また質問が増えてる」


「授業だから」


「先生が全部答えたら休み時間終わりそうだね」


「全部聞くわけじゃないです」


「昔の君なら?」


「……聞いたかもしれません」


「成長したね」


「それ今日二回目です」


「まだ午前中なのに?」


「皆言うんですよ」


 アルフォルド殿下も近くで笑っている。


「最近のクルセスは、出来ることと今やることを分けるようになったからな」


「殿下まで」


「悪い意味ではない」


「分かってます」


「剣の方は?」


「今日はイザークと出来そうならやります」


「私との約束も忘れていないか?」


 アルフォルド殿下との対戦。


 以前から約束したままだ。


「忘れてません」


「ならいい。急がない」


「殿下はいつ空いてます?」


「今聞くのか?」


 サザリーと同じ返しをされた。


「聞くだけです」


「来週なら二日ほど空く可能性がある。ただ、まだ王宮側の予定が確定していない」


「じゃあ決まってからで」


「そうしよう」


 今度は無理に候補日を押さえなかった。


 剣は逃げない。


 相手も逃げない。


 たぶん。


「何だ、その顔は」


「殿下が急に国へ帰ったりしないかなって」


「私はこの国の第一王子だ」


「あ」


「どこへ帰すつもりだ?」


 カイゼル殿下が吹き出す。


「それ、僕と間違えてない?」


「すみません」


「クルセス、まだ頭二くらい残ってるんじゃないか?」


「今ので三になったかもしれません」


「疲労じゃなくて恥ずかしさだろう」


 周囲で聞いていた何人かも笑っていた。


 俺は顔が熱くなるのを感じながら席へ戻った。


     ◇


 昼休みは、昨日と同じように何人かで食堂へ向かった。


 今日はリビアも最初から一緒だ。


 席へ着いたところで、ナナリーが俺とリビアを交互に見る。


「今日はお二人とも、昨日より顔色が良いですね」


「頭一か二」


「私も二くらいかな」


「その数字、本当に便利になってますね」


 ミリアナが笑う。


「私も使おうかな。今日の空腹八」


「それ疲労じゃないよ」


 イザークが言う。


「でも分かりやすいでしょう?」


「昼飯食えばゼロになるな」


「たぶん」


 俺も笑いながら料理へ手を伸ばす。


 今日は煮込み肉と根菜、それにパンだった。温かい湯気が上がり、午前中ずっと教室にいた身体へ香辛料の匂いが心地よく感じる。


「クルセス、午後は魔術理論だろ?」


 サザリーが尋ねる。


「うん」


「例の古い測定器を見るのか?」


「見せてもらえたら」


「何の測定器?」


 ミリアナが聞く。


「昔の魔力測定。たぶん、属性を切り替えた時の変化を見るのに使ってた道具」


「たぶん?」


「記録が全部揃ってないから」


「また危ないことしないでしょうね?」


「しないよ」


「本当に?」


「何で皆疑うの?」


 イザークがパンをちぎりながら俺を見る。


「実績」


「最近やってない」


「だから確認してるんだろ」


「見るだけ。作らない。使わない。自分で試さない」


「よし」


「何でイザークに許可もらってるんだろ」


「友達だから」


 あっさり返ってきた。


 俺の手が少し止まる。


「……そっか」


「何だよ」


「いや」


「変なやつ」


 イザークはもう食事へ戻っている。


 サザリーも特に反応しない。


 ナナリーとミリアナは少しだけ笑っていた。


 友達だから心配する。


 それを、俺は最近になってやっと自然に受け取れるようになってきた気がする。


「リビアは今日図書館?」


 ミリアナが話題を変える。


「うん。結界の資料を見たいの」


「セスとは別?」


「今日は別」


「寂しくない?」


 聞かれたリビアが俺を見る。


 俺も彼女を見る。


「少しは?」


 リビアが答える。


「少しなんだ」


「だって帰ったら会えるもの」


「なるほど」


「セスは?」


 今度は俺へ来た。


「何が?」


「オリビア様と別行動で寂しくない?」


 考える。


 以前なら、寂しいという言葉自体がよく分からなかった。


 今は。


「ちょっとは」


 口にしてから、自分でも少し驚いた。


 リビアの目が丸くなる。


「セス?」


「何?」


「今、ちょっと寂しいって言った?」


「言ったけど」


「もう一回」


「何で?」


「聞きたいから」


「嫌だよ」


「何で!」


「恥ずかしい」


 食卓に笑いが広がる。


 俺はパンへ逃げるようにかじりついた。


 向かいのカイゼル殿下が面白そうに俺を見ている。


「クルセス、ずいぶん素直になったね」


「殿下まで言わないでください」


「いいことじゃないか」


「そうですけど」


 隣を見ると、リビアがまだ嬉しそうだった。


 別々に過ごせる。


 でも、少し寂しい。


 その二つは一緒にあっていいらしい。


     ◇


 午後の魔術理論が終わると、ベルナルト先生が教卓の資料をまとめながら俺を見た。


「クルセス。今日の状態は?」


「身体ゼロ、魔力ゼロ、頭二くらいです」


「昨日より下がったか」


「はい」


「なら来い」


「見せてもらえるんですか?」


「そのために呼んだ」


 俺はすぐ立ち上がる。


 リビアも鞄を持った。


「オリビアも来るか?」


「よろしければ」


「構わない。ただし今日は閲覧だけだ」


「はい」


「触らない?」


 俺が確認する。


「資料には触れていい。現物はない」


「現物ないんですか?」


「残っているのは構造図と使用記録の写しだ。実物が現存するという記録は、今のところ確認出来ていない」


「分かりました」


 俺たちはベルナルト先生について、教員棟の小さな資料室へ向かった。


 普段生徒が自由に入る場所ではない。


 廊下の奥にある扉を先生が鍵で開けると、乾いた紙と古い革の匂いが流れてきた。室内には壁一面の棚が並び、窓から差し込む午後の光の中で細かな埃が浮かんでいる。


 中央の机には、すでに数枚の紙が用意されていた。


「これが昨日言っていたものだ」


 ベルナルト先生が一枚を俺たちの前へ置く。


 古い図面を現代の紙へ写したものらしい。


 中央に小さな魔石。


 その手前に、術者が魔力を流すための接触部。


 そして、その間に薄い板状の部品が描かれている。


「これが中継板……」


 思わず身を乗り出しかけて、机へ手をつく前に止める。


 リビアが横で俺を見る。


「近い」


「見たいんだよ」


「紙は逃げないよ」


「分かってる」


 椅子へ座り直し、図面を見る。


 板は想像していたより小さい。


 手のひらよりずっと小さく、薄い長方形だ。


「これ、魔力を増幅する部品じゃないんですか?」


「記録上は違う」


 先生が別の写しを示す。


「ここを読め」


 古い表現を現代語へ直した注釈がついている。


 俺は指で文字を追った。


「……『術者より出づる力を直接石へ触れさせず、一度、板を通し、その揺れを見定める』」


「揺れ」


 リビアも同じ言葉へ反応する。


「魔力量ではなく、変化を見るため?」


「可能性が高い」


 ベルナルト先生が頷く。


「直接魔石へ流した場合、流入量が大きすぎると発光変化が速く、細かな差を観測しにくい。中継板を通すことで何らかの形で応答を鈍らせた、あるいは特定の変化だけを拾った可能性がある」


「魔力を弱めた?」


「それも候補だが、まだ断定出来ない」


「昨日言ってた材質は?」


 俺が尋ねると、先生は別の紙を取り出した。


「原文では『灰透晶』と記されている」


「聞いたことないです」


「私も」


 リビアが首を振る。


「現代にはその名の素材はない。ただし、古い鉱物目録を照合した結果、記述が非常によく似る素材が見つかった」


「何ですか?」


「薄灰晶石だ」


 今度は知っている。


「魔道具の……調整板に使うやつ?」


「そうだ」


 薄灰晶石。


 魔力をほとんど蓄えない代わりに、通した魔力の流れをわずかに均す性質がある。現代では高精度の魔道具内部で、急激な魔力流入を抑える補助材として使われることがある。


「でも」


 俺は図面を見る。


「均すなら、変化を見るのには逆じゃないですか?」


「そこが問題だ」


 ベルナルト先生の口元が少し上がる。


 先生も気になっているらしい。


「現代の薄灰晶石は、魔力流の急変を緩和する。だが古い記録では、中継板を通した方が『揺れ』を観測しやすいと読める」


「同じ素材じゃない?」


「可能性はある」


「加工方法が違う?」


 リビアが言う。


「それもある」


「厚さとか?」


 俺も図面へ目を落とす。


「あるいは、そもそも『揺れ』の意味を我々が間違えている」


 先生の言葉に、俺は黙る。


 そうだ。


 古い言葉を、今の知識で勝手に当てはめているだけかもしれない。


「属性の切り替えじゃない可能性もある?」


「十分にある」


「じゃあ、この道具が俺の切り替えを見るのに使えるとはまだ言えない」


「その通りだ」


 先生が俺を見る。


「だから作るな」


「作りません」


「似た素材を持ってきて魔力を通すな」


「しません」


「自分の火と水を切り替えて発光差を見るな」


「しませんって」


 リビアが横で笑っている。


「先生、セスがやりそうな順番を全部先に言ってますね」


「過去の傾向から予測した」


「最近やってないのに」


「最近やらなくなったからこそ、今のうちに習慣へ固定する」


「分かりました」


 俺はもう一度図面を見る。


 使えないと分かってがっかりしたわけではない。


 むしろ、分からないことが増えた。


 灰透晶と薄灰晶石は同じなのか。


 同じなら、加工が違うのか。


 揺れとは何なのか。


 この道具は属性切替を見ていたのか。


 それとも、もっと別の魔力変化を見ていたのか。


「先生」


「何だ」


「次に調べるなら何からですか?」


「良い質問だ」


 ベルナルト先生が図面を指先で軽く叩く。


「まず素材の同定だ。現代の薄灰晶石と古い灰透晶が同じものかを、文献で詰める。次に、この装置が何を測ろうとしていたかを別の使用記録から探す」


「作る前に?」


「当然だ」


「どのくらいかかります?」


「分からん」


「一週間?」


「分からん」


「一か月?」


「分からんと言っている」


「半年?」


「クルセス」


「はい」


「分からないものは分からないまま持っておけ」


「……はい」


 またそれだ。


 でも以前ほど苦しくない。


「手伝っていいですか?」


「文献整理ならな。ただし授業と他の予定を削ってまでやるな」


「はい」


「オリビアも興味があるなら参加して構わない。お前の結界研究と接点が出る可能性もある」


「本当ですか?」


 リビアの表情が変わる。


「魔力の急変を緩和する素材なら、結界の外層補強に使えるかもしれない?」


「すぐ実用へ飛ぶな」


「セスみたいなこと言ってる」


「俺まだ何も言ってないよ」


「顔が言ってた」


「どんな顔?」


「試したい顔」


 先生がため息をつく。


「二人揃うと危険性が増すのか減るのか分からんな」


「止め合います」


 リビアが答える。


「たぶん」


「たぶんを付けるな」


 資料室の静かな空気の中で、俺たちの笑い声が小さく響いた。


     ◇


 資料室を出た時には、放課後になっていた。


 廊下の窓から差し込む光が少し橙色へ変わり始めている。


「思ったより時間かかった」


 俺が言うと、リビアが時計を見る。


「四十分くらい」


「そんなに?」


「セス、質問してたから」


「リビアもしてた」


「私は三つくらい」


「俺は?」


「数えてない」


 たぶん多かった。


 頭の状態を確認する。


 疲れてはいない。


 むしろ面白かったせいで少し気分が高揚している。


 ただ、今からイザークと剣を始めれば、帰宅は遅くなる。


「剣、どうするの?」


 リビアが聞く。


「やりたい」


「うん」


「でも長くはやらない」


「何分?」


「三十分くらい」


「朝も三十分やったよ」


「あ」


 忘れていたわけではない。


 でも資料を見ている間に、朝の剣がずいぶん前のことのように感じていた。


「じゃあ二十分?」


「そういう問題?」


「違う?」


「セスが今やりたいなら、少しだけやるのはいいと思う。でも朝やった分まで忘れて、いつもの放課後練習をそのままやるのは違うと思う」


「……確かに」


 俺は考える。


 剣を振りたい。


 イザークとも約束している。


 でも約束は「出来そうなら」だった。


「顔出して決める」


「うん」


「リビアは図書館?」


「今から三十分くらい行く」


「じゃあ時間近いかも」


「終わったら玄関で待ち合わせする?」


「うん。俺が先なら待つ」


「私が先でも待つ」


 そこで別れた。


 俺は第二剣術訓練場へ。


 リビアは図書館へ。


     ◇


 訓練場では、イザークがすでに木剣を振っていた。


 俺を見ると動きを止める。


「来たな」


「来た」


「やる?」


「朝三十分やったの忘れかけてた」


「帰れ」


「早いよ」


「じゃあ何しに来たんだ」


「少しならやりたい」


 イザークが俺を見る。


「体調は?」


「頭二。身体は問題なし」


「資料見たんだろ?」


「何で知ってるの?」


「昼に言ってた」


「ああ」


「頭使った後に朝の分忘れて剣やろうとした?」


「忘れたわけじゃないって」


「じゃあ?」


「遠くなってた」


「同じだろ」


「違う」


「どっちでもいい。今日は打ち合いなし」


「え」


「足だけやるぞ」


「足?」


「俺の退き足見たかったんだろ?」


「何で分かった?」


「最近そこばっか見てるから」


 ばれていた。


「じゃあ頼む」


「十分」


「短くない?」


「朝三十分やった」


「十五分」


「十二分」


「細かい」


「じゃあ十分」


「十二分でお願いします」


「何でそこ譲らないんだよ」


 結局、十二分になった。


 イザークが剣を構え、俺は間合いを取る。


 打ち合わない。


 踏み込む。


 イザークが退く。


 追う。


 足だけを見ない。


 肩と腰。


 剣先。


 重心。


 前より退き足が滑らかだ。


 以前は右へ逃げる時に一瞬だけ上体が遅れていたのに、それがかなり減っている。


「もう一回」


「あと八分」


「分かってる」


 繰り返す。


 俺が追うだけではなく、途中から交代した。


 今度はイザークが踏み込み、俺が退く。


「クルセス」


「何?」


「今、俺の足見た」


「見た?」


「見た」


「自分じゃ分からなかった」


「もう一回」


 今度は意識して全体を見る。


 剣先が動く。


 肩が沈む。


 足が来る。


 退く。


「今の方がいい」


「やっぱり?」


「ああ。反応も速い」


 十二分はすぐ終わった。


「終わり」


 イザークが木剣を下ろす。


「もう?」


「十二分」


「本当に?」


「時計見ろ」


 見る。


 本当だった。


「あと一回だけ」


「駄目」


「何で?」


「俺が止める練習」


「イザークの?」


「お前の」


「俺が止められる練習?」


「そう」


「そんなのある?」


「今作った」


「今日三回目だよ、その言い方」


「何の話だ?」


「何でもない」


 俺も木剣を下ろした。


 少し物足りない。


 でも、嫌ではない。


「次はちゃんとやろう」


「体調良い日に朝やらず来い」


「分かった」


「アルフォルド殿下ともやるんだろ?」


「うん。来週候補」


「決まったら教えろ」


「見に来る?」


「行く」


「じゃあ、イザークともまたやろう」


「その前に俺の退き足、もっと直す」


「楽しみにしてる」


 木剣を片づけ、俺たちは一緒に訓練場を出た。


     ◇


 玄関へ向かう途中でイザークと別れる。


 俺が待ち合わせ場所へ着いてから五分ほどすると、図書館側の廊下からリビアが歩いてきた。


 腕に二冊の本を抱えている。


「借りたの?」


「一冊だけ。もう一冊は明日返す」


「何か見つかった?」


「少し」


「何?」


 聞くと、リビアが俺を見る。


「馬車で話す」


「何で?」


「セスも中継板の話したいでしょう?」


「したい」


「じゃあ帰りながら交換」


「分かった」


「剣は?」


「十二分」


「十二?」


「イザークと交渉した」


「何で二分増やしたの?」


「十だと短いと思って」


「十二なら満足?」


「少し」


「本当に?」


「物足りないけど、今日はいい」


「そっか」


 リビアが笑う。


「じゃあ帰ろう」


「うん」


     ◇


 馬車が動き始める。


 今日は向かいではなく、自然と隣へ座った。


 別に手を繋ぐわけではない。


 お互いが持っている資料を見せやすいからだ。


「先にセスから」


「灰透晶っていう昔の素材名が出てきた」


「うん」


「現代の薄灰晶石と記述が似てるらしい」


「魔力流を均すやつ?」


「知ってる?」


「結界用の魔道具でも補助材に使うことあるから」


「やっぱり」


 俺は資料室で見た構造を出来る範囲で説明する。


 術者。


 中継板。


 魔石。


 直接流すのではなく、一度板を通して「揺れ」を見る。


「でも、薄灰晶石なら変化を滑らかにするでしょう?」


「そう。それなのに昔の記録だと揺れを見やすくするみたいに読める」


「加工方法?」


「候補」


「厚さ?」


「それも候補」


「別の素材?」


「それも」


「言葉の意味が違う?」


「先生も言ってた」


「分からないことばっかり」


 リビアの声は楽しそうだった。


「面白いだろ?」


「うん」


「リビアの方は?」


 彼女が借りてきた本を膝へ置く。


「前に見た、周囲の魔力密度で外層への供給を変えていたかもしれない記録の別写しがあった」


「本当に変えてた?」


「まだ分からない。でも、少し違う表現があったの」


「どんな?」


「外層を『満たし続ける』んじゃなくて、『減りに応じて戻す』みたいな意味に読める箇所」


「必要な分だけ補う?」


「かもしれない」


「ずっと一定量流すんじゃなくて?」


「うん。でも訳し方の問題かもしれないから、先生に確認する」


「それ、中継板と似てない?」


「どこが?」


「変化をそのまま流すんじゃなくて、間に何か挟んで調整する感じ」


 言ってから、俺は止まる。


 リビアも少し考える。


「似てるようにも見えるけど」


「まだ繋げない方がいい?」


「うん」


「だよな」


 同じ時代の魔術技術だからといって、全部同じ仕組みとは限らない。


「でも覚えておく」


「私も」


 そこで話を止める。


 すぐに仮説を大きくしない。


 以前なら、屋敷へ着くまでずっと二人で可能性を増やしていたかもしれない。


「ところで」


 リビアが本を閉じる。


「小説の続き」


「あ」


「忘れてた?」


「忘れてない」


「今の『あ』は?」


「研究の話してたから切り替わっただけ」


「今日読む?」


「夕食後?」


「うん」


「読みたい」


「じゃあ昨日の続きから」


「馬見つかるかな」


「セス、そればっかり」


「大事だろ。旅するのに」


「主人公より馬を心配してない?」


「馬は悪くないから」


 リビアが声を上げて笑った。


 その肩が俺の腕へ軽く当たる。


 離れない。


 俺も離れなかった。


     ◇


 屋敷へ戻った後、グレイヴへ今日の状態と行動を報告した。


「朝に三十分、放課後に十二分ですか」


「うん」


「なぜ十二分?」


「イザークと交渉した」


「交渉する必要がありましたか?」


「十より二分長い」


「そうですね」


「呆れてる?」


「少し」


 グレイヴはそう言いながらも笑っていた。


「ただ、朝に行ったことを思い出して時間を減らしたのなら、それでいいでしょう」


「リビアに言われるまで、朝の分が遠くなってたけど」


「なら次は自分で気づけるようになればいい」


「うん」


「資料は?」


「見た」


 中継板の話を簡単にする。


 グレイヴは魔術師でもあるから、薄灰晶石も知っていた。


「同じ素材だと思う?」


「現物も詳細な加工記録もないなら、私は断定しません」


「やっぱり?」


「名前が変化しただけという可能性もあれば、似た性質の別物という可能性もあります。古代の素材名は産地名や見た目だけで呼ばれている場合もありますから」


「産地……」


「セス」


「何?」


「今から調べませんよ」


「まだ何も言ってない」


「顔に出ています」


 今日二回目だ。


「夕食まで休みます」


「それがよろしい」


 自室へ戻る。


 机の上にはサザリーとの課題。


 棚には魔術書。


 引き出しにはライゼル面会前のメモ。


 どれも今すぐ触る必要はない。


 俺はベッドへ座った。


 朝と放課後に剣を振った。


 授業も受けた。


 古い資料も見た。


 今日は十分やった。


「……休もう」


 横になる。


 窓の外から、屋敷へ戻ってきた使用人たちの声が微かに聞こえる。


 目を閉じる。


 眠るつもりはなかった。


 でも、少しだけ意識が落ちた。


     ◇


 夕食後。


 俺の部屋の扉が軽く叩かれた。


「セス、入っていい?」


「いいよ」


 リビアが昨日の小説を持って入ってくる。


「ちゃんと休んだ?」


「ちょっと寝た」


「何分?」


「分からない」


「時計見なかった?」


「見てない」


「昨日の私と同じ」


「たぶん二十分くらい」


「じゃあ読む?」


「うん」


 昨日と同じソファへ座る。


 今日も一冊を二人で読む。


 肩が触れる距離。


 リビアが栞を抜く。


「昨日ここまで」


「主人公が宿で働き始めたところ」


「そう」


「馬は?」


「まだ言ってる」


 ページを開く。


 主人公は朝から薪割りをさせられていた。


 騎士なのに薪割りが下手で、宿の主人に怒られている。


「弱くない?」


「剣と薪割りは違うでしょう」


「でも斬るじゃん」


「セス、薪を剣で斬るつもり?」


「やらないよ」


「絶対やらないでね」


「やらないって」


 読み進める。


 やがて主人公は、逃げたと思っていた馬が町外れの農家で保護されていることを知る。


「あ」


「見つかったね」


「よかった」


「セス、主人公より嬉しそう」


「馬が悪くなかった」


「そこ?」


 ページをめくる。


 主人公は宿代を稼いでから馬を迎えに行くことを決める。


「すぐ行かないんだ」


「宿代払わないと」


「騎士なのに金ないの?」


「旅の途中で財布も落としたって書いてあったでしょう」


「この人、旅向いてない」


「また言ってる」


 リビアが笑う。


 俺も笑う。


 読みながら、ふと気づく。


 肩が触れている。


 昨日もそうだった。


 今日は昨日より、そのことが気になる。


 嫌だからではない。


 むしろ逆だ。


 リビアの体温が服越しに伝わる。


 少し動けば離れられる。


 でも動きたくない。


「セス?」


「何?」


「ページ、もう読んだ?」


「あ」


 文字を追うのが止まっていた。


「ごめん。もう一回読む」


「考え事?」


「ちょっと」


「研究?」


「違う」


「剣?」


「違う」


「ライゼル?」


「違う」


「じゃあ何?」


 答えようとして、止まる。


 肩。


 近い距離。


 離れたくないと思ったこと。


「……分からない」


 またそれだ。


 でもリビアは笑わなかった。


「そっか」


「うん」


「じゃあ、分かったら教えて」


 昨日と同じ言葉。


「うん」


 もう一度ページへ視線を戻す。


 今度はちゃんと読む。


 それでも、肩の温かさは消えない。


     ◇


 三十分ほど読んだところで、今日は本を閉じた。


「面白かった」


「馬見つかったしね」


「そこだけじゃないよ」


「分かってる」


「次は?」


「明日?」


「時間あったら」


「うん」


 リビアが本を抱えて立ち上がる。


 俺も扉まで送る。


「明日は図書館?」


「まだ決めてない。セスは?」


「イザークとは今日やったし、ベルナルト先生の資料も今日見た」


「じゃあ何する?」


「明日決める」


「本当に?」


「うん」


「前なら今決めてたのに」


「最近それで困らないって分かったから」


「いいことだね」


 リビアが扉へ手をかける。


 そのまま出ていくかと思ったけれど、一度こちらへ振り返った。


「セス」


「何?」


「さっきの分からないこと」


「うん」


「急いで分からなくていいからね」


「……うん」


「おやすみ」


「おやすみ、リビア」


 扉が閉じる。


 一人になった部屋で、俺はしばらくその場に立っていた。


 分からないこと。


 今日はたくさんあった。


 灰透晶が薄灰晶石と同じなのか分からない。


 古い測定器の「揺れ」が何を意味するのか分からない。


 中継板が俺の属性切替を測るのに使えるのかも分からない。


 リビアの古い結界記録と関係があるのかも分からない。


 そういうものは、資料を探して、先生に聞いて、少しずつ確かめればいい。


 なら。


「……これも同じなのかな」


 リビアが近くにいると落ち着く。


 一緒にいるのが好きだ。


 手を繋ぐのも好きだ。


 婚約者でなくなるのは嫌だ。


 別の誰かを好きになる自分を想像すると、変な感じがする。


 肩が触れていると、離れたくないと思った。


 それでも、それを何と呼ぶのかはまだ分からない。


 以前の俺なら、答えが分からないこと自体を問題にしていたかもしれない。


 早く答えを出さなければ。


 間違ってはいけない。


 相手を待たせてはいけない。


 そう思って、分からないまま何かを決めようとしていた。


 でも、古い測定器だって、資料一枚を見ただけで答えを決めてはいけない。


 分からないなら、分からないまま次の情報を待つ。


 自分で危ない実験をして答えを急がない。


 人の気持ちを魔術研究と同じにするのは変かもしれないけれど、少なくとも急いで間違った答えを作るよりはいい。


 俺は魔導灯を少し落とし、ベッドへ向かった。


 二日前にはライゼルと話した。


 昨日は皆と普通に授業を受けた。


 今日は古い測定器の資料を見て、イザークと十二分だけ剣をやって、リビアと小説を読んだ。


 明日何をするかは、まだ決めていない。


 それでも困らない。


 分からないことが残っていても、次の日は来る。


 そしてたぶん、答えは全部を一度に見つけるものではない。


 古い魔術のことも。


 俺自身のことも。


 リビアの隣にいる時、胸の奥で少しずつ形を変えているこの感情のことも。


 今夜はまだ、名前をつけなくていい。


 そう思いながら目を閉じると、最後に浮かんだのは古い中継板の図面ではなく、俺の肩へ触れていたリビアの温かさだった。

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