第36話 会うと決めた次の日も、俺たちの学園生活は普通に続くらしい
朝、目を覚ました時、窓の外では細かな雨が降っていた。
強い雨ではない。薄い灰色の雲から落ちてくる雨粒が庭の石畳を濡らし、窓ガラスには小さな水滴がいくつも筋を作っている。いつもなら鳥の声が聞こえる時間なのに、今日は屋根や木の葉を叩く柔らかな雨音の方がよく聞こえた。
ベッドの上で身体を起こし、肩と腕を軽く動かしてみる。昨日は放課後にイザークと四十分だけ剣を振ったけれど、身体に残っている疲れは一くらいで、痛みはどこにもない。魔力疲労もなく、頭の重さもほとんど感じなかった。
ただ、昨日レイモンド先生へ伝えた言葉だけは、起きてすぐに思い出した。
ライゼルと会いたい。
俺は自分でそう決めた。
リビアが会うからでも、先生たちが準備してくれたからでも、ライゼルを待たせたくないからでもない。俺自身が、一度あいつと話してみたいと思ったからだ。
「……変わってないな」
一晩寝ても、その気持ちは変わっていなかった。
だからといって、早く会いたくて仕方がないわけでもない。楽しみという言葉は絶対に違うし、緊張がなくなったわけでもなかった。
会うと決めた。
でも、まだ日程は決まっていない。
今のところ、それだけだった。
ベッドから降りて制服へ着替えた後、窓辺まで歩く。庭では雨に濡れた木々の葉がいつもより濃い色をしていて、遠くの訓練場所にも人影はなかった。
剣を振るか少し迷ったけれど、外は雨だし、昨日も練習している。
今日はやめておこう。
そう決めたところで、机の上に置いてある古い魔力測定の本へ視線が向いた。
「……朝食まで二十分」
昨日なら、その二十分を全部読書に使ったかもしれない。
けれど本へ手を伸ばしかけたところで、ふと止まった。
別に何かしなくてもいいのではないか。
窓の外では雨が降っている。
朝食まで二十分ある。
身体も疲れていない。
なら、その二十分を埋めなくても困らない。
少し考えてから、俺は本ではなく窓際の椅子へ座った。背もたれへ身体を預け、何も持たずに庭を見る。
雨粒が池の水面へ落ちるたび、小さな輪が広がっていく。庭師が整えた低木の枝先から雫が落ち、その下にある葉を揺らしていた。
何もしない時間というのは、昔なら落ち着かなかった。
スラムにいた頃は、何もしない時間があるなら食べ物を探した方がよかった。公爵家へ来てからは、空いている時間があるなら仕事を覚えたり、剣や魔術を練習したりした方が役に立てると思っていた。
今でも、何かをしている方が好きだ。
剣も、本も、魔術も楽しい。
でも。
「……雨見るのも悪くないな」
誰に聞かせるでもなく呟いた。
十分ほどそうしていると、逆に本が読みたくなってきた。
そこで初めて机へ移り、古い魔力測定の本を開く。
残りの時間は十数分。
ちょうどいい。
◇
「朝から何もしていなかった時間がある?」
朝食の席で話すと、リビアが妙な顔をした。
食堂の大きな窓にも雨粒が付いている。外が暗い分、室内では魔導灯が点けられていて、その暖かな光が白いテーブルクロスや銀の食器へ柔らかく反射していた。
「何、その反応」
「だってセスでしょう?」
「俺だけど」
「本当に?」
「朝から偽物にならないよ」
向かいに座る旦那様が新聞から顔を上げ、俺とリビアを交互に見た。隣に控えているグレイヴは表情を変えていないけれど、たぶん会話は全部聞いている。
「何分だ?」
グレイヴが尋ねた。
「十分くらい」
「その後は?」
「本読んだ」
「やはりな」
「何でちょっと安心してるの?」
「いきなり四十分何もしなかったと言われれば、体調不良を疑う」
「俺、そんなに?」
「そんなにだ」
リビアまで頷いている。
「でも、ちゃんと何もしない時間を選んだのはいいことじゃない?」
「うん。雨見てた」
「楽しかった?」
「楽しいっていうか、静かだった」
言いながら、少し考える。
「嫌じゃなかった」
「ならいいと思う」
リビアが微笑んだ。
昨日、俺たちはライゼルと会いたいと学園へ伝えた。
それなのに、今朝最初に長く話しているのは、俺が十分間雨を見ていたことだった。
少し変な気もする。
でも、それでいいのだと思う。
「昨日の返事については、学園からこちらにも連絡があった」
旦那様が新聞を畳んだ。
俺とリビアの意識が自然にそちらへ向く。
「面会を希望したこと?」
「そうだ。二人の意思を確認したため、これから学園側で日程を調整するとのことだった」
「いつになるかは?」
「まだ聞いていない」
「今日決まるかもしれない?」
「可能性はあるだろうな。ただし、今日決まらなくても何も問題はない」
先に言われた。
「分かってます」
「本当に?」
「昨日からそればっかりだな」
「お前が何度も待たせることを気にするからだ」
「もう気にしてないよ」
そこまで言って、少し考える。
「……前よりは」
「それなら十分だ」
旦那様はそれ以上追及しなかった。
グレイヴが俺の皿へ視線を落とす。
「今日の放課後は?」
「まだ決めてない」
「明日はサザリー殿との勉強だったな」
「うん。一時間」
「なら、今日のうちに予定を詰め込む必要もない」
「分かってる」
「剣は?」
「イザークに誘われても今日はたぶんやらない」
「たぶん?」
「授業終わった時の状態見て決める」
グレイヴが小さく頷いた。
「それでいい」
以前なら、朝の時点で今日の予定を全部決めていたかもしれない。
剣を振る。
本を読む。
リビアと過ごす。
空いている時間があれば、さらに何かを足す。
今は、放課後になってから決めてもいいと思える。
「リビアは?」
俺が尋ねる。
「今日は委員会があるの」
「そうなの?」
「うん。昼休みに少しだけ」
「放課後じゃないんだ」
「今日は昼だけ。来月の学年実技確認で使う教室について、生徒側から希望をまとめるの」
「それ、リビアの委員会がやるの?」
「全部ではないわ。先生方が決める前に、移動が重ならないよう生徒側の意見を聞くのよ」
「面白そう」
「セスが参加すると話が長くなりそうだから呼ばない」
「何で?」
「『この教室から訓練場まで何分ですか』『雨の日はどうしますか』『魔術組と剣術組が逆方向から来たらどうしますか』って始めるでしょう?」
言おうと思えば、たぶん言う。
「……聞いた方がよくない?」
「ほら」
リビアが笑った。
旦那様も呆れたように息を吐く。
「セス。お前は参加者であって運営者ではない」
「分かってます」
「本当に?」
「今日は皆それ言うな」
雨の朝でも、食堂の空気はいつもと変わらなかった。
◇
学園へ向かう馬車では、雨音が屋根を一定の調子で叩いていた。
窓は閉められているけれど、外の景色は見える。道を行く人々は傘や外套を使い、商店の軒下では店員が濡れた石畳を掃いていた。
俺とリビアは向かい合って座っている。
最近は隣へ座ることも増えたけれど、毎回そうするわけではない。
「今日、ライゼルの日程が決まったらどうする?」
リビアが聞いた。
「どうするって?」
「緊張する?」
「すると思う」
「今は?」
「二くらい」
「低いね」
「まだ決まってないから」
「私は三」
「何で俺より高いの?」
「昨日から少し考えてたから」
「何を?」
リビアは膝の上に置いた鞄の留め具を指先で撫でながら、窓の外へ視線を向けた。
「何を言うか」
「決めた?」
「全部は決めてない」
「俺も」
「でも、絶対に言いたいことはある」
「自分で選んだってこと?」
「うん」
リビアの横顔から、笑みが少し消える。
「私はセスを自分で選んだ。それを理解出来なくてもいいけど、違う意味に変えないでほしい。それだけは言いたい」
「うん」
「セスは?」
「俺は……」
昨日まとめた四つのことを思い出す。
自分がリビアを惑わせていないと証明しようとしない。
ライゼルが俺を嫌っていても、それだけなら問題にしない。
謝罪を聞いても、その場で許すか決めなくていい。
何かあっても、自分一人で全部対処しようとしない。
「言いたいことより、やらないことの方が決まってるかも」
「セスらしいような、前のセスらしくないような答えね」
「どっち?」
「今のセスらしい」
「ならいいか」
馬車が緩やかに曲がり、車輪が水溜まりを踏んだ。小さな水音が外から響き、リビアが一瞬だけ窓へ目を向ける。
「俺さ」
「うん」
「面会で、ライゼルに何かすごいこと言わないといけないのかなって、最初は思ってた」
「すごいこと?」
「ちゃんと納得させるとか。俺がリビアの婚約者でいい理由を説明するとか」
「しなくていいよ」
「うん。今はそう思ってる」
俺がリビアの婚約者になった理由を、ライゼルに認めてもらう必要はない。
旦那様は認めている。
リビア自身が望んでいる。
俺も、少しずつだけれど、それを悪いことだと思わなくなってきた。
「でも」
リビアが俺を見る。
「私は聞きたいけど」
「何を?」
「セスが、私の婚約者でいてもいいって思える理由」
「……それ、今聞く?」
「今じゃなくていい」
彼女の唇に少しだけ悪戯っぽい笑みが浮かんだ。
「いつか聞かせて」
「難しいな」
「時間はあるでしょう?」
「たぶん」
「なら待つ」
その言い方が妙に胸に残った。
ライゼルを待たせることは、俺が背負わなくていい。
でもリビアが俺の答えを待つと言うのは、少し違う感じがした。
嫌ではない。
むしろ、ちゃんと考えたいと思った。
◇
午前の王国法基礎では、契約責任について扱った。
雨のせいで教室は普段より少し暗く、窓際の席にも魔導灯の光が届いている。濡れた制服や外套を廊下の掛け場へ置いてきた生徒が多いためか、教室にはわずかに湿った空気が残っていた。
「契約が成立するためには、何が必要か」
教師が黒板へ三つの項目を書く。
当事者。
意思。
合意。
「書面があれば必ず契約が成立する、というわけではない。逆に、書面がなくとも契約として認められる場合がある。重要なのは、誰が、何について、どのような意思を示し、それが相手と合致したかだ」
俺はノートへ書き写しながら、少しだけ手を止めた。
意思。
昨日から何度も考えている言葉だった。
「先生」
斜め前の生徒が手を上げる。
「親が子供の代わりに約束した場合は?」
「年齢と内容による。未成年者について保護者が一定の権限を持つ場合はあるが、何でも本人の意思を無視出来るわけではない。特に婚姻や将来の身分に大きく関わる契約は、王国法上も本人の意思確認が重視される」
教室の何人かが反応した。
貴族の子供が多い学園では、婚約は遠い話ではない。
俺も少し気になった。
ライゼルとリビアの間には、正式な婚約の約束はなかった。
シュザー家当主も、そんな約束をしたことはないと言っている。
それなのに、ライゼルは自分がリビアの婚約相手になると思っていた。
どうしてそうなったのか。
まだ分かっていない。
俺が考えていると、教師が黒板へ新しい言葉を書いた。
「ただし、ここで注意してほしい。法的に成立しているかどうかと、当事者がどう受け止めているかは別の問題だ。今日は法律の授業だから前者を扱う。後者まで法律だけで解決出来ると思わないように」
俺はノートへその一文も書いた。
何となく、今の俺には大事な気がした。
ライゼルがどうして自分を婚約相手だと思っていたのか。
それを知ることと、俺たちが会うこと。
たぶん同じ問題ではない。
「クルセス」
教師に名前を呼ばれた。
「はい」
「今日は静かだな」
「質問あります」
「やはりあるのか」
教室に笑いが起きる。
「まだしてないですよ」
「顔を見れば分かる」
最近、先生たちに同じことを言われる。
「親同士が子供の前で『将来結婚したらいい』って何回も話してたら、それは契約になりますか?」
教室の空気が少し変わった。
具体的すぎたかもしれない。
教師はすぐには答えず、俺の質問を一度整理するように顎へ指を当てた。
「それだけでは通常、婚約契約の成立とは認められない。だが、家同士の正式な合意、本人への通知、具体的な条件、社会的な扱いなどが加われば話は変わる」
「じゃあ、周りが勝手にそう思ってただけなら?」
「法的な婚約とは別だ。ただし」
教師はそこで一度教室全体を見渡した。
「今日は個別の事件相談ではないから一般論として聞け。周囲の大人が曖昧な期待を長期間与え続ければ、子供がそれを事実だと思い込むことはあり得る。しかし、それが他者の意思を無視してよい理由にはならない」
「はい」
「クルセス。何か具体的な案件を考えているなら、授業後に相談しなさい。教室で結論を出す話ではない」
「分かりました」
それ以上は聞かなかった。
隣のリビアも何も言わない。
ただ、俺がノートへ戻る時、ほんの少しだけこちらを見た。
まだ分からない。
ライゼルがどうしてああなったのか。
でも、分からないままで会ってもいいのだと思う。
面会までに全部の謎を解く必要はない。
◇
授業が終わると、廊下へ出たところでサザリーに呼び止められた。
「クルセス」
「何?」
「明日の件だ」
「勉強?」
「ああ。放課後、図書館の第二学習室を一時間取れた」
「予約したの?」
「昨日のうちにな」
「早いな」
「約束したのだから、場所くらい確保する」
サザリーはいつも通り落ち着いた表情をしている。窓の向こうではまだ雨が続いていて、廊下を歩く生徒たちの靴音も普段より少し湿って聞こえた。
「課題は?」
「二つ用意した」
「もう?」
「お前が情報を集めすぎる場合と、私が早く判断しすぎる場合を試すと言っただろう」
「楽しそう」
「勉強だぞ」
「勉強でも楽しそうじゃん」
サザリーが一瞬黙った。
「お前は時々、理解しにくいところで楽しそうになるな」
「サザリーも嫌いじゃないだろ?」
「否定はしない」
「じゃあ同じ」
「一緒にするな」
口ではそう言うけれど、本気で嫌がってはいない。
「ただ」
サザリーの声が少し低くなる。
「明日、予定変更が必要なら遠慮なく言え」
「ライゼルのこと?」
「ああ」
「日程が明日になったら?」
「そちらを優先しろ」
「でも部屋取ったんだろ?」
「また取ればいい」
「課題も作ったのに」
「腐るものではない」
「……そっか」
昨日までなら、せっかく準備してもらったのだから変更出来ないと思ったかもしれない。
サザリーは俺の顔を見て、小さく息を吐いた。
「今、申し訳ないと思ったな」
「ちょっと」
「まだ変更すら決まっていない」
「そうだけど」
「なら今は考えるな」
「サザリー、最近グレイヴみたいになってない?」
「それは褒めているのか?」
「たぶん」
「なら受け取っておく」
そこへイザークが通りかかった。
「何の話?」
「明日の勉強」
「クルセスが?」
「俺だって勉強するよ」
「いや、するのは知ってるけど、嬉しそうだから」
「条件変わる領地課題やる」
「……俺には何が楽しいのか分からない」
「剣の読み合いと似てるよ」
「似てないだろ」
「条件見て相手がどう動くか考えるじゃん」
「領地課題に相手いるのか?」
「住民とか商人とか天候とか」
「天候と読み合うな」
サザリーが額へ手を当てる。
俺は結構似ていると思う。
◇
昼休みになると、リビアは委員会へ向かった。
「じゃあ行ってくるね」
「うん」
「お昼、先に食べてていいから」
「待たなくていい?」
「たぶん三十分くらいかかるもの」
「分かった」
以前なら、一緒に食べるために待っていたかもしれない。
今日はリビアがそう言うなら先に食べる。
俺はイザーク、ナナリー、ミリアナと一緒に食堂へ向かった。
雨の日の食堂はいつもより混んでいる。普段なら中庭や屋外の休憩場所で昼食を取る生徒も室内へ集まっているらしく、あちこちから話し声と食器の触れ合う音が重なっていた。
「オリビア様は?」
ナナリーが空いている席へ腰を下ろしながら尋ねた。
「委員会」
「セスは行かないの?」
ミリアナが続ける。
「俺、委員じゃないよ」
「でも前なら付いていきそう」
「何で?」
「護衛みたいに」
「ああ」
確かに。
学園へ来たばかりの頃なら、リビアがどこかへ行くと聞けば、自分も近くにいるべきだと思ったかもしれない。
「今は?」
「委員会に俺いらないだろ」
「オリビア様が困ったら?」
「先生も他の生徒もいるし、リビア自身で何とか出来る」
口にしてから、自分でも少し驚いた。
でも、違和感はない。
ナナリーが柔らかく笑う。
「いいですね」
「何が?」
「信頼している感じがします」
「前も信頼してたよ」
「前は信頼していても、ご自分で全部守ろうとしていたでしょう?」
「……そうかも」
「今は少し違います」
俺はスープを飲みながら考える。
リビアは強い。
剣も使える。
結界なら俺よりずっと上手い。
頭もいい。
それを知っていたのに、前の俺は「それでも自分が守らないと」と考えていた。
今は。
必要なら助ける。
でも、必要になる前から俺が全部引き受けなくてもいい。
「ところで」
イザークがパンをちぎりながら俺を見る。
「今日は剣どうする?」
「やらない」
「即答だな」
「明日サザリーと勉強あるし、昨日やったから」
「分かった」
「イザークは?」
「今日はやる。先生に足運び見てもらう」
「雨なのに?」
「室内だろ」
「あ、そっか」
「お前、本当に剣やってるのか?」
「やってるよ」
ミリアナが笑う。
「クルセス君、今日は何するの?」
「放課後?」
「うん」
「まだ決めてない」
「図書館?」
「行くかも」
「オリビア様と?」
「リビアの予定次第」
「別々でも?」
「別々でもいいよ」
最近はそれが普通になってきた。
リビアが図書館へ行く。
俺が剣を振る。
別々の本を読む。
後で話す。
ずっと一緒にいることだけが、婚約者らしいわけではないらしい。
食事の途中で、委員会を終えたリビアが食堂へ入ってきた。
人の多い室内を見渡し、俺たちの卓を見つける。
その瞬間、目が合った。
リビアが笑う。
俺も手を上げた。
それだけなのに、少し嬉しかった。
「お待たせ」
「待ってないよ。先食べてた」
「うん。そうしてって言ったもの」
リビアが俺の隣の空席へ座る。
「委員会どうだった?」
「教室の移動経路について三案に絞ったわ」
「雨の日は?」
「出た」
「やっぱり」
「セスがいたら絶対聞くと思ってた」
「誰か聞いた?」
「私」
「リビアじゃん」
「だって必要でしょう?」
「同じだろ」
俺たちのやり取りを聞いていたイザークが呆れた顔をした。
「結局似てるんじゃないか」
「どこが?」
「そこ」
ナナリーとミリアナまで笑っている。
リビアは少し頬を赤くしながら昼食を取り始めた。
◇
午後は魔術史だった。
古代から現代までの魔導具の変化について扱い、ちょうど俺が読んでいる古い魔力測定器にも近い時代の話が出てきた。
「昔の魔導具が現代より優れていた、という単純な理解は誤りです」
教師が教卓の上へ古い魔石の模型を置く。
「現代より高度な技術が一部存在したことは事実ですが、再現性、安全性、材料調達、維持費などを無視して比較することは出来ません」
俺はノートを取りながら、朝読んだ測定器を思い出した。
古い測定法をそのまま再現する。
それが正解とは限らない。
「先生」
「クルセス。今日は何だ」
「昔の測定器って、現代の魔石で作り直したら同じ反応出ますか?」
「何を測定する器具だ?」
「魔力を流してから発光が変わるまでの時間とか、その直前の揺れを見るやつです」
教師の表情が変わった。
「どこで読んだ?」
「図書館の古い測定法の本です」
「書名は?」
答えると、教師は少し考えた。
「かなり古い資料だな。実物が残っているかは分からないが、構造記録なら資料庫にある可能性がある」
「見られます?」
「学生が単独で入れる資料庫ではない」
「先生となら?」
「何をするつもりだ」
「見るだけです」
「本当に?」
「本当に」
教室の何人かが笑う。
「今は見るだけ」
言い直すと、さらに笑われた。
「今は、を付けるな」
「でも、使えるか気になるじゃないですか」
「気になることと試してよいことは別だ」
「分かってます」
「なら、授業後に書名をもう一度教えなさい。ベルナルト先生とエレナ先生にも確認する」
「はい」
嬉しくなってノートへ大きく印を付ける。
古い測定器。
もし構造が分かれば、俺の属性切り替えを外から観察する方法の参考になるかもしれない。
ただし。
作る。
使う。
そこまではまだ決めない。
見るだけ。
調べるだけ。
俺はノートの横に、自分でそう書いた。
◇
授業が終わった後、俺は教師へ書名を伝えた。
それから教室へ戻ると、リビアが鞄を整理しながら待っていた。
「遅かったね」
「測定器の資料、資料庫にあるかもしれないって」
「本当に?」
「先生が確認してくれる」
リビアの顔が一気に興味深そうになる。
「構造まで残ってる?」
「分からない。でも記録あるかもって」
「見たい」
「だろ?」
「うん」
俺たちは顔を見合わせた。
たぶん今、同じことを考えている。
「セス」
「うん」
「勝手に作らない」
「リビアも」
「勝手に使わない」
「うん」
「二人だけで試さない」
「分かってる」
「じゃあ見たい」
「俺も」
ちょうどそこへレイモンド先生が教室の入口から顔を出した。
「クルセス、オリビア嬢」
俺たちの会話が止まる。
先生の姿を見ただけで、胸の奥が少し固くなった。
「今、少しいいか?」
「はい」
「大丈夫です」
リビアも鞄から手を離した。
レイモンド先生はこちらへ入ってくると、周囲にまだ数人の生徒が残っていることを確認した。
「廊下へ出よう」
それだけで、何の話か分かった。
俺とリビアは鞄を持ち、先生と一緒に教室を出た。
放課後の廊下には、部活動や自主練習へ向かう生徒たちが行き交っている。窓の外では朝から続いていた雨がようやく弱まり、灰色の雲の切れ間が少し明るくなっていた。
人通りの少ない渡り廊下の手前で、先生が足を止める。
「面会の日程についてだ」
やっぱり。
俺は一度息を吸った。
朝は二だった緊張が、急に四くらいまで上がる。
隣を見ると、リビアも少し姿勢を正していた。
「決まったんですか?」
「候補が出た」
「候補?」
「ああ。まだ確定ではない」
先生はそう前置きした。
「最短で三日後の放課後。もう一つは五日後の放課後だ」
三日後。
思っていたより近い。
胸の奥が少し強く鳴った。
「三日後……」
リビアが小さく繰り返す。
「二人の授業予定、教師側の予定、第二応接室の使用状況、ライゼル側の指導予定を合わせると、その二つが候補になる」
「どっちか選ぶ?」
「今日選ぶ必要はない」
俺が聞く前に言われた。
「……最近先に言われる」
「お前が聞くからな」
「明日でも?」
「ああ」
「明後日でも?」
「三日後を選ぶなら、明日のうちには返事がほしい。安全準備の最終確認がある」
「じゃあ期限あるじゃないですか」
「今回は日程調整だから当然だ」
「なるほど」
何でも期限がないわけではない。
それもそうだ。
「五日後なら?」
「明後日までで構わない」
「ライゼルは?」
リビアが尋ねた。
「どちらの日程でも従うと答えている。二人が後の日を選んでも異議は出さない」
「早い方がいいとか言ってない?」
「言っていない」
「分かりました」
リビアの声は落ち着いている。
俺は頭の中で予定を並べる。
明日はサザリーと一時間の勉強。
三日後。
五日後。
剣の約束は固定されていない。
追加測定もまだ日程未定。
「クルセス」
「はい」
「今、全部の予定を並べているだろう」
「……何で分かるんですか?」
「顔だ」
「先生たち皆それ言うな」
「予定の確認は必要だ。ただし、空いているから早い方にする、だけで決める必要はない」
「はい」
「二人とも、自分がどちらの方が落ち着いて会えそうかも考えなさい」
俺は頷いた。
リビアも静かに息を吐く。
「先生」
「何だ?」
「三日後を選んでも、当日になって無理だと思ったら?」
「中止出来る」
「五日後でも?」
「同じだ」
「ライゼル側がもう部屋に入ってても?」
「中止出来る」
「分かりました」
先生は俺を見る。
「クルセスも質問は?」
「あります」
「何だ」
「当日の朝は大丈夫でも、授業中に疲れたら?」
「申告しろ」
「どのくらいで中止?」
「数字で決めるつもりか?」
「便利ですよ」
「お前にはな」
先生が少し苦笑する。
「一律の数字は決めない。身体状態、精神状態、魔力状態を確認して判断する。本人たちが会いたくないと言えば、それだけでも止められる」
「会いたいって決めたのに?」
「決め直してもいい」
その言葉が、少し意外だった。
「一回決めても?」
「ああ」
「当日に?」
「当然だ」
俺は少し黙った。
会うと決めた。
だから、もう変えてはいけないと思っていたわけではない。
でも、どこかで「決めたなら行くものだ」と考えていた気がする。
「分かりました」
「よし」
レイモンド先生はそれ以上話を広げなかった。
「今日は候補を伝えるだけだ。明日、二人の希望を聞く。別々の希望でも構わない」
「別々だったら?」
「調整する」
「どっちかが我慢する?」
「その場合も含めて話す。今ここで先の問題まで解くな」
「はい」
また止められた。
でも、前ほど恥ずかしくない。
自分が先まで考えすぎることは、もう分かっている。
「では、今日は帰っていい」
「はい」
「ありがとうございます」
先生が離れていく。
俺とリビアはその場に残った。
廊下の窓を雨粒がゆっくり流れている。
三日後。
五日後。
さっきまで日程すら決まっていなかった面会が、急に近づいた気がした。
◇
「どうする?」
リビアが聞いた。
俺はすぐには答えなかった。
「今決めない」
「うん」
「リビアは?」
「私も」
それで会話が終わるかと思ったけれど、リビアは窓の外を見たまま動かなかった。
「でも」
「何?」
「三日後って聞いたら、少し怖くなった」
俺は彼女の横顔を見る。
さっきまで落ち着いていた表情に、ほんの少し硬さが戻っている。
「会いたくなくなった?」
「それは違う」
「うん」
「会いたい。でも、日が決まるって考えると……本当に会うんだって思った」
「俺も」
「セスも?」
「緊張、今五くらい」
リビアが少し笑った。
「私は六」
「高いな」
「候補を聞く前は三だったのに」
「じゃあ今日は決めない方がいいな」
「うん」
俺たちは歩き出した。
正門へ向かう生徒たちの流れとは反対に、訓練場へ向かう生徒もいる。遠くから木剣の触れ合う音が聞こえ、イザークはもう練習を始めているのかもしれない。
剣を振りたいとは思った。
身体を動かせば、少し頭が軽くなる気もする。
でも。
「今日は帰ろうかな」
俺が言うと、リビアがこちらを見る。
「図書館は?」
「測定器の本、読みたいけど、家でも読める」
「私は少し図書館に行こうかな」
「結界?」
「うん。昨日の続き、少しだけ」
「そっか」
そこで気づく。
「じゃあ別々?」
「嫌?」
「全然」
むしろ自然だった。
「俺は先帰る」
「うん」
「リビアは?」
「三十分くらい読んでから帰る」
「馬車は?」
「別のを出してもらえるわ」
「分かった」
以前なら、面会候補日を聞いた直後にリビアを一人で残すなんて考えなかったかもしれない。
でも、今のリビアは図書館へ行きたいと言っている。
俺は帰りたい。
それなら、別々でいい。
「帰ったら話す?」
リビアが尋ねる。
「日程?」
「それも。でも、今すぐ決めるんじゃなくて」
「うん」
「夕食の後くらいに」
「いいよ」
「それまでは?」
「俺、本読む」
「結局読むのね」
「読みたいから」
「それならいい」
リビアが笑う。
「セス」
「何?」
「先に帰っても、私のこと気にして何回も時計見ないでね」
「……何で分かった?」
「するつもりだったの?」
「一回くらいは」
「一回ならいい」
「何回から駄目?」
「自分で考えて」
「難しいな」
今度は二人で笑った。
◇
帰りの馬車に一人で乗るのは、少し久しぶりだった。
窓の外では雨がほとんど止み、雲の向こうから夕方の光が薄く差し始めている。濡れた石畳がその光を反射し、街全体がいつもより少し明るく見えた。
隣には誰もいない。
向かいにもいない。
静かだ。
最初の数分は、妙に広く感じた。
いつもならリビアが座っている場所を見る。
でも、寂しいから迎えに戻ろうとは思わない。
リビアは自分が読みたい本を読んでいる。
俺は自分が帰りたいから帰っている。
あとで会える。
「三日後か、五日後か」
小さく呟く。
早く終わらせたいから三日後。
それは違う。
怖いから五日後。
それだけで決めるのも違う気がする。
なら、何を基準にするのか。
考え始めて、途中で止めた。
今決めないとさっき言ったばかりだ。
俺は鞄から古い魔力測定の本を取り出しかける。
けれど馬車の揺れの中で読むと、少し目が疲れそうだった。
本も戻す。
「……何もしないか」
窓の外を見る。
朝と同じだった。
雨の景色を見ているだけ。
ただ朝と違って、今の頭の中には三日後と五日後という二つの日付がある。
それでも、その二つを今すぐ選ばなくていい。
馬車が屋敷へ着くまで、俺はほとんど何もしなかった。
◇
屋敷へ戻ると、グレイヴが玄関で迎えた。
「お帰り、セス」
「ただいま」
「オリビア様は?」
「図書館。三十分くらいしてから帰るって」
「そうか」
それだけだった。
以前なら「なぜ一緒ではない」と聞かれる気がしていたけれど、グレイヴはもう俺たちが別々に動くことへ何も言わない。
「学園から何かあったか?」
「面会の候補日出た」
グレイヴの表情が少しだけ引き締まる。
「いつだ?」
「三日後か五日後」
「決めたのか?」
「まだ」
「そうか」
「明日返事する」
「なら今日は考える時間があるな」
「うん」
俺は少し迷ってから尋ねた。
「グレイヴならどっちにする?」
「私なら?」
「うん」
「答えない」
「何で?」
「私が会うわけではないからだ」
予想していなかった答えだった。
「でも相談していいって先生が」
「相談はしていい。なら、質問を変えろ」
「どう変えるの?」
「『どちらを選ぶべきか』ではなく、『決める時に何を考えればいいか』なら話せる」
「ああ」
それなら分かる。
「じゃあ、何考えればいい?」
グレイヴは少しだけ考えた。
「まず、授業や予定との兼ね合い。次に、当日までに必要な心の準備。そして、終わった後に休める時間があるか。私ならその三つは確認する」
「早い方がいいかは?」
「早く済ませたいだけなら、理由としては弱いと思う」
「遅い方が安全?」
「時間を置けば必ず安全になるわけでもない」
「じゃあ三日後でも五日後でも、条件次第?」
「そうだ」
俺は頷いた。
「ありがとう」
「どういたしまして」
「リビアとも話す」
「そうしなさい。ただし」
「何?」
「二人で同じ日を選ばなければならないと思うな」
先生と同じことを言われた。
「違ったら?」
「違った時に話せばいい」
「……最近、それ多いな」
「何がだ?」
「問題起きてから考えればいいって」
「まだ起きていない問題まで先に解こうとするお前には、ちょうどいい」
言い返せなかった。
◇
自室へ戻り、制服から着替える。
机には朝読んでいた本が置かれたままだった。
俺は椅子へ座り、栞の位置から続きを開く。
古い測定器についての記述。
魔石の発光。
変化までの時間。
術者によって現れる揺らぎ。
読み始めると、思ったより集中出来た。
面会の日程を忘れたわけではない。
でも、本の内容を追っている間は、そちらへ意識が引っ張られない。
しばらくすると、気になる記述を見つけた。
古い測定器は、単純に魔力を流し込むだけではなく、術者と魔石の間に薄い中継板を置いていたらしい。
「中継板……?」
材質名は古い呼び方で、現代の何に当たるのか分からない。
役割も曖昧だ。
ただ、直接魔石へ流した場合と中継板を通した場合で、発光変化の出方が異なるという記録がある。
俺はノートへ写す。
そこで、ふと手を止めた。
中継板。
俺の魔力。
変換前。
無属性。
考えがつながりそうになる。
でも、まだ資料が足りない。
「……先生に聞く」
紙の端へ大きく書いた。
自分で試す、ではない。
先生に聞く。
それを書いたところで、廊下から足音が聞こえた。
扉が軽く叩かれる。
「セス?」
「リビア?」
「入っていい?」
「うん」
扉が開き、私服へ着替えたリビアが顔を出した。
「お帰り」
「ただいま」
「図書館どうだった?」
「面白い記録があった」
「俺も」
二人同時に言って、少し笑う。
「先にどっち?」
リビアが聞く。
「日程?」
「研究」
「ああ」
「日程は夕食後って言ったでしょう?」
「そうだった」
「セスから」
「中継板っていうのが――」
説明し始める。
リビアは俺の机の横へ椅子を持ってきて座った。
彼女の方は、古式多層結界の外層維持について新しい記録を見つけたらしい。一定量を維持する方式だけでなく、周囲の魔力密度や衝撃頻度に応じて供給量を変えていた可能性があるという。
「でも、まだ一つの資料だけ」
「じゃあ確定じゃない?」
「うん。別の記録も探す」
「面白いな」
「でしょう?」
面会候補日を聞いた日の夕方。
俺たちは結局、最初に魔術研究の話をしていた。
それが少し嬉しかった。
◇
夕食後。
俺とリビアは屋敷の小さな談話室へ移った。
旦那様とグレイヴには候補日が出たことだけ伝えてある。旦那様もどちらを選べとは言わず、決まったら教えろと言っただけだった。
窓の外では雨が完全に止んでいる。
雲の隙間から夜空が少しだけ見え、庭では濡れた草木が魔導灯の光を受けて淡く光っていた。
俺とリビアは同じソファに座っている。
間には少しだけ隙間がある。
「考えた?」
リビアが尋ねた。
「少し」
「私は三日後かなって思ってる」
思っていたより早く答えが出た。
「理由は?」
「明日は普通に授業があって、セスはサザリー様と勉強でしょう?」
「うん」
「明後日は私も委員会がない。放課後も空いてる」
「面会はその次の日」
「うん。準備する時間はあると思う」
「五日後じゃなくていい?」
リビアは膝の上で両手を重ね、少し考えてから頷いた。
「待つ時間が長い方が、私は考えすぎそう」
「ああ」
「怖いから早く終わらせたい、ではないよ」
「うん」
「でも、もう会いたいって決めたから、必要以上に先へ延ばさなくてもいいかなって」
俺はその言葉を聞きながら、自分の気持ちを探す。
三日後。
五日後。
どちらを聞いた時も緊張した。
でも、三日後が嫌だとは思わなかった。
「俺も三日後でいいかも」
「本当に?」
「うん」
「私に合わせた?」
「違う」
すぐ答えた。
リビアは俺の顔をじっと見る。
「理由は?」
「明日サザリーと勉強して、明後日は今のところ何もない。面会の前日に剣とか魔術の追加測定入れなければ、たぶん余裕ある」
「予定だけ?」
「それと」
一度言葉を止める。
「五日後にしても、たぶんずっと考えるから」
「私と同じ?」
「少し」
「怖いから早く?」
「それは違うと思う」
自分の中を確かめる。
「会いたいって決めた気持ちが、今はちゃんとあるから。三日あれば十分考えられる気がする」
「うん」
「でも明日の朝、やっぱり五日後がいいって思ったら?」
「変えていい」
「先生にもそう言われた」
「じゃあ、今は三日後希望?」
「うん」
「私も」
二人の答えが同じになった。
でも、合わせたわけではない。
それが分かる。
「明日先生に言おうか」
「うん」
そこで日程の話は終わった。
終わったはずなのに、胸の奥が少し落ち着かない。
「リビア」
「何?」
「三日後なんだな」
「まだ確定じゃないけどね」
「候補通れば」
「うん」
「本当に会うんだな」
リビアが少し黙った。
その横顔にも、俺と同じような緊張が見える。
「怖くなった?」
「少し」
「俺も」
「やめたい?」
「今はやめたくない」
「私も」
それだけ確認すると、不思議と少し呼吸が楽になった。
怖くないふりをしなくていい。
緊張していても会いたいと思っていい。
「セス」
「うん」
「今日は手、繋ぎたい」
昨日とは逆だった。
昨日の馬車では、リビアに聞かれても俺は繋がなくていいと答えた。
今日は。
「俺も」
そう答えて、ソファの上へ置かれていた彼女の手へ自分の手を重ねる。
指が触れ、ゆっくり絡む。
いつものように強く握るわけではない。
ただ、そこにいることが分かる程度。
「昨日は要らなかったのにね」
リビアが小さく笑う。
「今日は欲しい」
「うん」
「変?」
「全然」
「毎回同じじゃなくていい?」
「いいでしょう?」
「そっか」
彼女の肩が少し近づいた。
俺も離れなかった。
窓の外から、屋根の端に残っていた雨水が落ちる音がする。
三日後。
まだ正式決定ではない。
明日、先生へ希望を伝える。
それまでは、また普通に授業を受ける。
サザリーとの勉強もある。
イザークとの剣も、いつかまたやる。
古い測定器の資料も見たい。
リビアの結界研究も続く。
ライゼルと会うことは大きい。
たぶん、当日はもっと緊張する。
でも、それだけが俺たちの毎日ではない。
「セス」
「何?」
「明日、サザリー様との勉強楽しみ?」
「うん」
「面会の日程決める日なのに?」
「それとこれは別だろ」
リビアが少し目を丸くした後、嬉しそうに笑った。
「うん。そうね」
「リビアも明日、図書館行く?」
「授業が終わった時に決める」
「俺みたい」
「セスが真似したんでしょう?」
「どっちが先だよ」
「私」
「絶対?」
「たぶん」
「たぶんじゃん」
二人で笑う。
繋いだ手は、そのままだった。
今夜は欲しいから繋いでいる。
不安だから絶対に離せないわけでも、婚約者ならいつもこうしなければならないわけでもない。
三日後かもしれない面会について、俺はまだ全部の答えを持っていない。
ライゼルの謝罪を聞いた時、何を思うのか。
許せるのか。
まだ腹が立つのか。
何も言えなくなるのか。
分からない。
それでも、今の俺が決められることはあった。
会いたい。
今のところ、三日後でいい。
怖くなったら怖いと言う。
疲れたら止まる。
リビアも先生たちもいることを忘れない。
そして明日は、明日の授業を受ける。
「……よし」
「何?」
「今日はもう考えるの終わり」
「本当に?」
「うん」
「じゃあ何する?」
俺は机の上に置いてきた本を思い出した。
でも、少し考えて首を横へ振る。
「何もしなくてもいいかな」
リビアが驚いたように俺を見る。
朝と同じ反応だった。
「そんなに驚く?」
「だってセスが、一日に二回も」
「何もしないって言っただけだろ」
「歴史的な日かもしれない」
「大げさだよ」
「グレイヴに報告しないと」
「やめて」
リビアが笑い、俺もつられて笑った。
結局、俺たちは本を開かなかった。
手を繋いだまま、雨上がりの庭を眺めたり、今日の授業の話をしたり、昼の委員会でリビアが聞いた話を聞いたりした。
面会のことも、途中で一度だけ話した。
でも、それだけだった。
三日後かもしれない。
まだ確定ではない。
だから今夜は、今夜の時間を過ごせばいい。
そのことが、以前よりずっと自然に思えるようになっていた。




