第28話 友達と放課後に剣を振るだけなのに、婚約者へ帰る時間を約束する必要がありますか
翌日の放課後、俺は教室の時計を見てから鞄を閉じた。
今日の授業はこれで終わりだが、すぐに帰る予定ではない。昨日イザークと約束した通り、これから剣術の練習をすることになっている。
追加測定については、まだ先生から連絡がない。
ライゼルの件も同じだった。
シュザー家当主と学園側の事前面談については、結果がまとまってから俺たちへ伝えると言われている。だから今の俺に出来ることはなく、昨日の夜も考え始めそうになったところで、それ以上はやめた。
情報が来てから考える。
今はそれでいい。
「クルセス、行けるか?」
前の席からイザークが振り返る。
「行けるよ。着替えてから第二剣術訓練場だろ?」
「ああ。先生にも使用許可取った」
「早いな」
「昨日のうちにな」
イザークが得意そうに胸を張った。
「お前に『予定確認してから』って言われたから、俺もちゃんと確認したんだぞ」
「俺のせい?」
「お前が最近やたら計画的だから、何か俺まで影響されてる」
「いいことじゃない?」
「たぶんな」
イザークは笑いながら自分の鞄を持ち上げた。
俺も立ち上がろうとして、隣から向けられている視線に気づく。
リビアだ。
「何?」
「何時まで?」
「剣?」
「うん」
「一時間くらいって昨日言っただろ?」
「覚えてるわ」
「じゃあ何で聞いたの?」
「確認」
リビアは机の上の教科書を鞄へしまいながら、少しだけ目を細める。
「一時間くらい、よね?」
「……一時間」
「本当に?」
「何で俺じゃなくてイザーク見るの?」
「二人でやるからよ」
俺の視線につられるように、リビアもイザークを見る。
イザークの表情が少し引きつった。
「パ、パウリー様。大丈夫です。一時間です」
「本当に?」
「はい」
「二人とも熱中して、『あと一本だけ』を十回くらい繰り返したりしない?」
「……」
「……」
俺とイザークは同時に黙った。
ありそうだ。
「ほら」
リビアが小さく息を吐く。
「二人とも同じ顔してる」
「でも、一時間って決めたから」
「時計を見る?」
「見る」
「イザーク君も?」
「見ます」
「どっちかが続けたいって言ったら?」
「もう片方が止める」
俺が答えると、イザークがこちらを見た。
「俺がお前を止めるのか?」
「俺もイザーク止めるよ」
「お前に止められるの何か悔しいな」
「俺も同じ」
「そこ張り合わないで」
リビアが呆れたように言うと、近くで帰り支度をしていたミリアナが吹き出した。
「二人とも、パウリー様に子供みたいに確認されてる」
「俺たち十五だよ」
「そういう意味じゃないと思う」
ナナリーも笑いながら会話へ加わる。
「でも、時間を決めておくのはよいと思います。クルセス様はもちろんですが、イザーク様も剣術になると周りが見えなくなることがありますから」
「ナナリーまで」
「事実でしょう?」
「……否定はしない」
イザークが肩を落とす。
その様子を見ていたアルフォルド殿下が、少し離れた席から呆れたように口を開いた。
「クルセスだけではなく、イザークまで管理され始めたのか」
「殿下もやります?」
「なぜ俺まで参加する」
「剣術好きでしょう?」
「好きだが、今日は予定がある」
「じゃあ今度」
何気なく言っただけだった。
けれど、アルフォルド殿下は少し意外そうに俺を見る。
「……俺も誘うのか?」
「嫌ならいいですけど」
「嫌とは言っていない」
「じゃあ今度」
「ああ」
短く返事をしてから、殿下は少しだけ口元を緩めた。
以前なら、俺と殿下が放課後に剣を振る約束をするなんて考えもしなかった。
そもそも第一王子だ。
リビアの婚約者候補だった人でもある。
俺が平民の執事見習いだった頃なら、気軽に「今度」と言える相手ではなかった。
今も立場がなくなったわけではない。
でも、学園の中では少し違う。
授業を受ける。
昼食を食べる。
冗談を言われる。
剣の話をする。
そういう時間が積み重なるうちに、殿下という立場だけを見て話すことが減ってきた。
「では、俺は先に失礼する」
アルフォルド殿下が鞄を持って立ち上がる。
「クルセス」
「はい」
「イザークを壊すなよ」
「壊しませんよ」
「イザークもだ。クルセスを煽るな」
「何で俺にはそっちなんですか?」
「お前はやりそうだからだ」
「ひどい!」
教室に笑いが広がった。
アルフォルド殿下も笑いながら出ていく。
「じゃあ俺たちも行く?」
「ああ」
イザークが立ち上がる。
俺も鞄を持ったところで、リビアが制服の袖を軽く摘まんだ。
「セス」
「何?」
「終わったら?」
「迎えに来る」
「……うん」
リビアの表情が柔らかくなる。
昨日はリビアが委員会を終えるのを俺が待った。
今日は逆だ。
「どこにいる?」
「図書室か、委員会室。今日は少しだけ確認したい書類があるの」
「じゃあ終わったら委員会室に行く」
「一時間後?」
「一時間後」
「分かった」
リビアが袖から指を離す。
「待ってる」
「うん」
「……クルセス」
イザークが教室の出口から呼ぶ。
「何?」
「俺、先に行ってていいか?」
「何で?」
「何か待ってるの気まずい」
「普通に待てばいいだろ」
「お前には分からない」
「またそれ?」
教室に残っていた生徒たちが笑う。
リビアまで顔を赤くしながら笑っていた。
◇
第二剣術訓練場は、授業で使う第一訓練場より少し狭い。
その代わり、放課後の自主練習に使われることが多く、壁際には木剣や防具が整然と並んでいる。高い位置に設けられた窓から夕方の光が斜めに差し込み、磨かれた床へ細長い影を落としていた。
今日は俺たち以外にも数人の生徒がいる。
上級生らしい三人組が奥で型を確認し、反対側では教師立ち会いのもと二人の生徒が模擬戦をしていた。
俺とイザークは使用記録へ名前を書き、着替えてから壁際の木剣を選ぶ。
「今日は何やる?」
俺が聞くと、イザークは少し考えた。
「まず昨日のやつ」
「受け流し?」
「ああ。魔術の結界から持ってきたってやつ」
「俺もまだ出来たばっかりだよ」
「だからいいんだよ」
「何が?」
「完成してから教わると、お前の場合たぶん意味分からない」
「何で?」
「『こうすれば出来る』で終わるから」
「分かりやすくない?」
「出来る奴にはな!」
イザークが木剣を肩へ乗せる。
「お前、前に足運び聞いた時も『相手が動いたら合わせればいい』って言っただろ」
「合わせるだろ?」
「それが出来ねえから聞いてるんだよ!」
少し離れた場所にいた上級生の一人がこちらを見て笑った。
声が大きかったらしい。
「じゃあ今日はちゃんと説明する」
「頼む」
「でも俺も昨日覚えたばっかりだから、間違ってたら先生に聞こう」
「……お前、本当に変わったな」
「何が?」
「前なら、とりあえずやってた」
「そう?」
「そうだよ」
言われてみれば、そうだったかもしれない。
自分が出来るなら、それでいいと思っていた。
誰かへ教える時も、相手が出来なければ何度も見せればいいと考えていた。
でも、それだけでは伝わらないことがある。
昨日、リビアから結界を教わってよく分かった。
「じゃあ最初、普通に打って」
「おう」
向かい合う。
イザークが木剣を構える。
「速さは?」
「半分くらい」
「分かった」
踏み込み。
右上から木剣が来る。
俺は正面で受けず、接触した瞬間に剣先の方向を少し変える。
力が横へ抜け、イザークの剣が俺の肩の脇を通過した。
「これ」
「……昨日見た時より分かりやすいな」
「遅いから」
「もう一回」
二度目。
三度目。
角度を変える。
俺が受けるだけではなく、今度はイザークにもやってもらう。
「もっと力抜いて」
「抜いてる!」
「入ってる」
「お前の基準じゃなくて?」
「……分からない」
「そこは分かれよ」
「先生呼ぶ?」
「まだいい」
イザークが笑う。
「もう一回」
繰り返す。
何度目かで、俺の剣が少し横へ流れた。
「今の」
「出来た?」
「たぶん」
「たぶんかよ」
「俺、先生じゃないし」
「昨日からそれ気に入ってるだろ」
「便利だから」
イザークがもう一度構える。
今度は少し動きが滑らかだった。
俺が打つ。
イザークが受ける。
完全には流れないが、さっきより衝撃が逃げている。
「おお」
「出来た?」
「六十点」
「何でお前まで点数制なんだよ!」
「リビアがやってたから」
「影響受けすぎだろ!」
また上級生が笑っている。
今度は俺も少し恥ずかしくなった。
「じゃあ点数なし」
「最初からそうしろ」
「でも今の良かったよ」
「……それでいい」
イザークが満足そうに頷く。
その後も何度か確認した。
十分ほど続けたところで、一度水分を取る。
まだ時間はある。
「次どうする?」
「普通に一本やりたい」
「模擬戦?」
「ああ。ただし授業と同じくらいで」
「迅雷撃破なし」
「当たり前だ!」
「魔術もなし」
「剣術訓練場だぞ!」
「身体強化は?」
「授業で許可されてる範囲なら」
「分かった」
条件を一つずつ確認する。
以前なら、こんなことはしなかった。
やれば分かる。
危なくなったら止める。
そう考えていた。
でも、始める前に決めておいた方が楽だ。
「勝敗は?」
「一本」
「有効打?」
「教師の判定がないから、明確に入ったら自己申告」
「分かった」
「あと」
イザークが壁の時計を見る。
「残り三十五分」
「覚えてた」
「パウリー様に怒られたくない」
「怒らないと思うよ」
「お前にはな!」
どういう意味だろう。
◇
訓練場の中央で向かい合う。
さっきまでの練習とは空気が変わる。
イザークは笑っていない。
俺も木剣を構える。
呼吸。
足の位置。
距離。
相手の肩。
視線。
全部を見る。
「始めるぞ」
「うん」
イザークが動いた。
速い。
授業の基礎練習より明らかに速いが、決めた範囲は超えていない。
横薙ぎ。
受ける。
そのまま流す。
イザークは崩れない。
昨日と違い、俺が受け流すことを知っている。
最初から踏み込みを浅くしている。
「やっぱりやると思った!」
「知ってるなら避けるだろ!」
「だから避けた!」
言いながら次の攻撃が来る。
俺は半歩下がる。
木剣の先が制服の胸元をかすめる。
そこから踏み込む。
イザークが受ける。
俺の剣を横へ逃がした。
「出来てる!」
「今言うな!」
反撃が来る。
避ける。
距離を取る。
楽しい。
授業の模擬戦とも違う。
勝たなければならないわけではない。
誰かを守る必要もない。
危険な相手を止める必要もない。
ただ、剣を振る。
相手の動きを見て、自分の動きを変える。
失敗しても次がある。
それがこんなに楽しいとは、以前はあまり考えたことがなかった。
イザークが大きく踏み込む。
今度は受け流さない。
正面から受ける。
木剣同士がぶつかり、乾いた音が訓練場へ響いた。
「っ!」
イザークが押す。
俺も押す。
「クルセス!」
「何?」
「こういう時まで普通に返事すんな!」
「聞かれたから!」
「聞いてねえ!」
力を抜く。
イザークの身体が前へ出る。
その脇を抜ける。
振り向く。
剣を出す。
イザークも振り向きざまに木剣を合わせた。
また音が響く。
周囲で練習していた生徒たちが少しずつこちらを見るようになっていた。
上級生三人組の一人が腕を組み、もう一人は小声で何か話している。
教師も、別の模擬戦を見ながら時々こちらへ視線を向けていた。
速度は上げすぎていない。
身体強化も授業の範囲。
問題はない。
でも、イザークは強い。
以前戦った時より、俺の動きを見ている。
力だけで押さない。
俺が流す可能性を考えて踏み込む。
フェイントも混ぜる。
「それ!」
肩へ来ると思った剣が途中で止まり、下へ落ちる。
脇腹。
避けきれない。
木剣が制服へ軽く触れた。
「……入った」
「よし!」
イザークが大きく息を吐く。
「一本」
「俺の負け」
「っしゃあ!」
声が訓練場へ響く。
上級生たちから拍手が起きた。
「やったな、イザーク!」
「クルセスから取ったぞ!」
「今のフェイント良かった!」
イザークが驚いて周囲を見る。
「見てたんですか!?」
「途中からな」
「お前ら結構面白かったぞ」
少し離れていた教師も歩いてくる。
「最後はイザークの一本だな」
「はい!」
「クルセス」
「はい」
「お前、途中から受け流しを狙いすぎたな」
「……やっぱり?」
「新しく覚えた動きを使いたいのは分かるが、それだけになると読まれる」
「はい」
「イザークはそこをよく見ていた」
「ありがとうございます!」
イザークが嬉しそうだ。
俺も悔しくないわけではない。
負けた。
次は取りたい。
でも、それ以上に面白かった。
「もう一本」
口から出かける。
そこで時計を見る。
残り二十分ほど。
一本なら出来る。
たぶん。
でも、始めればもう一本やりたくなるかもしれない。
イザークも時計を見る。
目が合った。
「……どうする?」
「やりたい」
「俺も」
「でも一時間」
「うん」
二人で黙る。
教師が怪訝そうに見る。
「何だ?」
「一時間で終わる約束してるんです」
「誰と?」
「リビア」
「パウリー公爵令嬢と」
イザークも答える。
教師は一瞬黙り、それから小さく笑った。
「なら守れ」
「はい」
「残りは基礎を確認して終われ。今からもう一本やれば、たぶんお前たちは終わらん」
「先生まで分かるんですか」
「見ていれば分かる」
仕方ない。
「じゃあ次回」
「おう」
イザークが木剣を差し出す。
俺も軽く合わせた。
「次は負けない」
「俺も次はもっと取る」
「一本勝負なのに?」
「じゃあ三本にする」
「時間増えるだろ」
「二時間」
「リビアに聞かないと」
「何で本当に許可制なんだよ!」
また周囲から笑いが起きた。
◇
残り時間は教師に言われた通り、足運びと受けの確認に使った。
最後の五分で木剣を片づけ、汗を拭き、水を飲む。
時計を見る。
約束した一時間より、まだ三分早い。
「終わった」
「終わったな」
イザークが長椅子へ腰を下ろす。
息は少し上がっているが、無理をした様子はない。
「疲労は?」
「何でお前に聞かれるんだよ」
「俺も聞かれるから」
「身体二。疲れたけど普通」
「痛いところは?」
「ない。お前は?」
「身体一。痛みゼロ」
「魔力は?」
「使ってないからゼロ」
「……これ毎回やってるのか?」
「最近は」
「大変だな」
「慣れた」
むしろ、言葉にすると分かりやすい。
疲れているか。
痛いか。
まだ出来るか。
以前は全部まとめて「動ける」で判断していた。
今は少し違う。
「でもさ」
イザークが水筒を閉じる。
「今日のお前、楽しそうだったな」
「剣?」
「ああ」
「楽しかったよ」
「ならよかった」
「何で?」
「前にライゼルの件あっただろ」
イザークの声が少し落ちる。
訓練場の中では、まだ他の生徒たちが剣を振っている。木剣の音が一定の間隔で響き、俺たちの会話だけが特別に目立つことはない。
「お前、あの後も普通にしてたけどさ」
「うん」
「剣振るたびに思い出したりしないのかなって、ちょっと思ってた」
「フレイムストーム?」
「それも。あいつ止めた時、最後は膝だったけど、その前はずっと戦ってただろ」
「そうだな」
思い出す。
火。
風。
悲鳴。
リビアの結界。
周囲にいた生徒たち。
俺は前へ出た。
あの時のことが消えたわけではない。
「思い出す時はあるよ」
「……そうか」
「でも、今日の剣とは違う」
「違う?」
「あの時は止めないといけなかった。今日はイザークと遊んでるみたいなもんだろ」
「遊びって言うと先生に怒られそうだけどな」
「練習しながら遊んでる?」
「もっと怒られそうだ」
俺たちは笑う。
「でも、分かる」
イザークが少し間を置く。
「俺も今日楽しかった」
「じゃあまたやろう」
「ああ」
「次はアルフォルド殿下も誘う?」
「……本当に呼ぶのか?」
「約束したし」
「殿下と俺とお前?」
「駄目?」
「駄目じゃないけど、何かすげえな」
「何が?」
「いや、お前やっぱり分かってねえわ」
「また?」
「第一王子と公爵令嬢の婚約者と俺が放課後に剣振るんだぞ」
「イザークも貴族だろ」
「そういう問題じゃねえ!」
「じゃあどういう?」
「もういい」
イザークは笑いながら立ち上がった。
「ほら、迎え行くんだろ?」
「うん」
「時間ぴったりだぞ」
時計を見る。
本当に一時間だった。
「守れた」
「パウリー様に報告しろ」
「イザークも来る?」
「何で?」
「一緒に守ったし」
「俺まで褒めてもらいに行くのかよ!」
「嫌?」
「……ちょっと面白そうだけど嫌だ」
「どっち?」
「帰る!」
イザークは荷物を持って先に訓練場を出ていった。
◇
着替えを済ませ、委員会室へ向かう。
放課後の校舎は少しずつ静かになっていた。
西側の窓から差し込む夕日が廊下を橙色に染めている。開いた窓から入る風には昼間より冷たさがあり、遠くの運動場から掛け声が聞こえてきた。
急ぐ必要はない。
でも、自然と歩く速度が少し上がる。
リビアが待っている。
そう思うと、早く行きたい。
委員会室の前へ着き、扉を軽く叩く。
「はい」
中から声がする。
「セスです」
数秒後、扉が開いた。
「セス」
リビアが顔を出す。
「終わった?」
「終わった」
「時間は?」
「一時間」
「本当に?」
「三分早く終わった」
「……すごい」
「何でそこまで驚くの?」
「偉いわ」
「子供みたいに褒めるなよ」
「だって約束守ったもの」
「約束したから」
俺が答えると、リビアが少しだけ目を細めた。
「ちょっと待ってね。あと一枚だけ片づけるから」
「うん」
「中で待つ?」
「邪魔じゃなければ」
「大丈夫よ」
委員会室へ入る。
中にはリビア以外にも三人の生徒がいた。
長机の上には書類が広げられ、壁際には行事予定を書いた大きな板が置かれている。
「パウリー様の婚約者?」
一人の女子生徒が俺を見る。
「はい。クルセスです」
「知ってるわ」
「ですよね」
最近は名前を言ってから「知っている」と返されることが多い。
「五属性の」
「そっちですか」
「初日に色々あった人」
「そっちも」
「執事の」
「それでお願いします」
女子生徒が笑う。
「本人はそこが一番いいのね」
「一応、本業なので」
「婚約者は?」
「それもです」
答えた瞬間、書類をまとめていたリビアの手が止まった。
「セス」
「何?」
「今、すごく自然に言った」
「昨日も言っただろ」
「昨日より自然だった」
「そう?」
「うん」
委員会の生徒たちが俺とリビアを交互に見る。
一人の男子生徒が小さく咳払いした。
「パウリー嬢、書類」
「……はい」
リビアの顔が赤くなる。
「ご、ごめんなさい」
「いや、別にいいけど」
男子生徒は笑いを堪えているようだった。
俺は邪魔にならないよう壁際へ移動する。
机の上にある大きな紙が目に入った。
交流演習。
昨日リビアが話していた行事だ。
細かい内容はまだ書かれていない。
日程。
使用予定施設。
必要な教員数。
運営補助。
班分け。
いくつかの欄は空白のままだ。
リビアが言っていた通り、本当にまだ決まっていないらしい。
「クルセス君」
先ほどの男子生徒が俺へ声をかける。
「はい」
「交流演習、興味ある?」
「あります」
「即答だね」
「何するかまだ分からないですけど」
「そこも含めて?」
「はい」
俺は掲示用の紙を見る。
「条件で変わる課題とかあるんですよね?」
「去年はあったらしいよ」
「どんな?」
「俺たちも詳細は知らない。毎年内容を変えるから」
「そうなんですか」
「事前に分かったら対策出来るだろ?」
「確かに」
「ただ、剣や魔術だけで決まる行事ではないよ」
「それ昨日聞きました」
「パウリー嬢から?」
「はい」
「なるほど」
男子生徒が少し笑う。
「なら、楽しみにしておくといい」
「はい」
聞きたい。
でも、今はまだ決まっていない。
なら、待つ。
昨日から何度もやっていることだ。
「終わったわ」
リビアが最後の書類を重ねる。
「帰れる?」
「うん」
「じゃあ行こう」
委員会の生徒たちへ挨拶をして、部屋を出る。
扉が閉まったところで、リビアがすぐ俺を見る。
「怪我は?」
「ゼロ」
「疲労は?」
「身体一。魔力ゼロ」
「勝った?」
「負けた」
「え?」
リビアが足を止める。
「イザーク君に?」
「うん。一本取られた」
「……大丈夫?」
「何が?」
「悔しくない?」
「悔しいよ」
「そうよね」
「でも楽しかった」
リビアの表情が少し変わる。
「楽しかったの?」
「うん」
俺たちはまた歩き始める。
「昨日教えてもらった受け流し使ったら、途中から読まれた」
「もう使ったの?」
「使った」
「本当に剣へ持っていったのね」
「先生にも、考え方は使えるって言われた。でもそればっかり狙ったから負けた」
「じゃあ私のせい?」
「何で?」
「私が教えたから」
「違うよ。俺が使いたかっただけ」
「……そっか」
「それにイザークが上手かった」
「ちゃんと相手が上手かったって言えるのね」
「言うだろ」
「昔のセスなら、『俺が失敗しただけです』って全部自分の方へ持ってきそうだから」
「そんなこと……」
否定しかける。
やりそうだ。
「……するかも」
「でしょう?」
「でも今日は違う。俺も失敗したし、イザークも上手かった」
「うん」
「次は勝つ」
「楽しそうね」
「楽しいよ」
言葉にすると、また少し嬉しくなる。
「リビア」
「何?」
「放課後に友達と剣やるの、楽しい」
リビアがゆっくり瞬きをした。
「……うん」
「何?」
「何でもない」
「また?」
「嬉しかっただけ」
「リビアが?」
「セスがそういうこと言うようになったから」
リビアは前を向く。
「学園に来る前のセスって、訓練は全部『必要だから』だったでしょう?」
「そうかな」
「剣は私を守るため。魔術も私を守るため。勉強も執事として必要だから。仕事はもちろん仕事だから」
「……うん」
「楽しいからやるって、あんまり言わなかった」
言われてみる。
確かにそうかもしれない。
必要だから覚えた。
出来た方が役に立つから。
リビアを守れるから。
旦那様の家で働けるから。
それは今も大切だ。
でも、今日の剣は違った。
「次もやりたい」
「うん」
「アルフォルド殿下も誘う」
「……アルフォルド殿下?」
リビアの声が少し変わった。
「今日約束した」
「いつ?」
「教室で」
「私いた?」
「いたよ」
「聞いてなかった……」
「イザークと三人でやるかも」
「そう」
「嫌?」
「嫌じゃないわ」
「本当に?」
「本当に」
少し間がある。
「……ただ」
「ただ?」
「私も見たい」
「剣?」
「うん」
「来れば?」
「いいの?」
「何で駄目なの?」
「邪魔じゃない?」
「ならないだろ」
「……じゃあ行く」
「うん」
それで決まった。
簡単だ。
でもリビアは嬉しそうだ。
「セス」
「何?」
「今日はちゃんと迎えに来てくれたね」
「約束したから」
「私、待ってる間ちょっと楽しみだった」
「俺が来るの?」
「うん」
「何で?」
「迎えに来てもらうの、好きみたい」
「じゃあまた行く」
「……いいの?」
「予定なければ」
「うん」
「リビアも来てくれるだろ?」
「どこに?」
「俺が待ってる時」
「もちろん」
「じゃあ同じだ」
リビアは少し黙った。
そのあと、俺の袖を軽く掴む。
「手?」
「……うん」
俺から手を差し出す。
リビアの指が重なる。
絡める。
「セス」
「何?」
「最近、私が言う前に出してくれるね」
「繋ぎたいって分かるから」
「私が?」
「俺も」
リビアの足が一瞬だけ遅くなる。
「……俺も?」
「うん」
「セスも繋ぎたいから?」
「そう言っただろ」
「言ったけど」
「じゃあ何?」
「何度聞いても嬉しいの」
「そういうもの?」
「そういうもの」
なら、いい。
◇
正門へ向かう途中、後ろから声をかけられた。
「クルセス」
振り返る。
レイモンド先生だった。
隣にはエレナ先生もいる。
俺とリビアは足を止める。
「先生」
「今帰りか?」
「はい」
「少しだけ時間はあるか?」
俺は隣を見る。
リビアも俺を見る。
「あります」
「私も大丈夫です」
「そうか」
レイモンド先生の表情は普段と変わらない。
急いでいる様子もない。
それだけで、緊急の話ではなさそうだと思った。
「シュザー家の件だ」
やっぱり。
繋いでいたリビアの手に少し力が入る。
俺も無意識に握り返しかけて、途中で力を緩めた。
「何か決まったんですか?」
「すべてではない。だが、昨日シュザー家当主との事前面談を行った」
昨日。
俺たちが結界を練習していた頃だろうか。
「結果、聞けますか?」
「ああ。ただ、ここで立ち話にする内容ではない」
レイモンド先生が校舎の方を見る。
「今日はもう遅い。明日の放課後、時間をもらいたい」
「明日?」
俺は考える。
今のところ予定はない。
追加測定も告げられていない。
「大丈夫です」
「オリビア嬢は?」
「私も大丈夫です」
「では明日。前と同じ学園長室だ」
「ライゼルは?」
俺が聞くと、エレナ先生がすぐに答えた。
「来ません」
「シュザー家の当主は?」
「来ません。明日は私たちから、昨日の面談内容をあなたたちへ伝えるだけです」
胸の奥が少し緩む。
自分が緊張していたことに、その時気づいた。
「分かりました」
「それと」
レイモンド先生が俺を見る。
「今日の時点で、会うかどうかを決める必要はない」
「……はい」
「明日話を聞いた後も同じだ。必要なら持ち帰って考えればいい」
「分かりました」
前なら、先生にそこまで言われても、早く決めなければと思ったかもしれない。
今は違う。
「聞いてから考えます」
「ああ。それでいい」
レイモンド先生が頷く。
エレナ先生は俺たちの繋いだ手を一度見てから、少しだけ表情を和らげた。
「今日はもう考えすぎないこと」
「まだ何も聞いてないですし」
「それでも考える人がいるから言ってるの」
「俺?」
「あなた」
「……気をつけます」
「オリビア嬢もね」
「はい」
「では明日」
先生たちが去っていく。
俺とリビアはその場に少し残った。
生徒たちが横を通り過ぎる。
正門の向こうでは馬車が並び、御者たちが主人を待っている。
「セス」
「うん」
「気になる?」
「気になる」
「私も」
「でも明日だな」
「うん」
「今考えても分からない」
「うん」
リビアが息を吐く。
「前より上手になったね」
「何が?」
「待つこと」
「そうかも」
「私も見習わないと」
「リビアも?」
「私だって気になるもの。シュザー家当主が何を話したのか。ライゼルが家ではどうだったのか。これからどうするつもりなのか」
「うん」
「でも、今は知らない」
「明日聞く」
「そうね」
歩き出す。
手は繋いだまま。
「今日どうする?」
リビアが聞く。
「帰ってから?」
「うん」
「夕食食べる」
「その後」
「本読む」
「シュザー家のことは?」
「考えないようにする」
「出来る?」
「……たぶん」
「正直」
「リビアは?」
「私もたぶん」
「じゃあ、もし考え始めたら?」
「お茶する?」
「一緒に?」
「うん」
「それならいいかも」
昨日までは、何かを考えないために別のことをするのは逃げているような気がしていた。
でも今は少し違う。
明日になれば情報が来る。
その前に答えを作る必要はない。
なら、今日の夜までそのことで埋めなくてもいい。
「グレイヴには話す?」
「明日説明があるってことだけは言う」
「お父様にも伝わると思うわ」
「先生から?」
「たぶん」
「じゃあ俺たちが全部説明しなくていいか」
「うん」
また一つ、背負わなくていいものを見つけた。
◇
帰りの馬車では、最初の数分だけシュザー家のことが頭に残っていた。
昨日、学園長たちとシュザー家当主が話した。
何を話したのか。
ライゼルが家で何を言っているのか。
父親は息子のことをどう考えているのか。
未来の面会に同席するのか。
考えればいくらでも浮かぶ。
でも、どれも今は答えがない。
窓の外へ目を向ける。
夕暮れの街を人々が歩いている。
店先では夕食用の食材を買う人が集まり、パン屋からは焼き上がったばかりの香りが流れてきた。道端では子供が母親の手を引き、何かをねだっている。
学園の外では、今日も普通の一日が終わろうとしている。
「セス」
「何?」
「考えてた?」
「ちょっと」
「私も」
「じゃあお互い様だな」
「うん」
リビアが隣で少し身体を寄せる。
肩が触れる。
「別の話しようか」
「何話す?」
「今日の剣」
「イザークに負けた話?」
「詳しく聞きたい」
「俺が負けたの嬉しい?」
「違うわよ」
「じゃあ何でそんな楽しそうなの?」
「セスが楽しそうに話すから」
「そう?」
「うん」
俺は今日の模擬戦を思い出す。
「最初は昨日の受け流し使ったんだよ」
「うん」
「最初は効いた。でも途中からイザークが踏み込み浅くしてきて」
「対応されたのね」
「そう。それでも使おうとしてたら、最後フェイント入れられた」
「どこに?」
「脇腹」
「痛くなかった?」
「触れただけ。一本の判定」
「そっか」
「次は使いすぎない」
「私の結界も同じよ」
「何が?」
「力を逃がすことばかり考えたら駄目。受け止めた方がいい時もあるし、弾いた方がいい時もある」
「……剣と同じだ」
「そうかもしれないわね」
「じゃあ次それ教えて」
「私が?」
「うん」
「結界を?」
「使い分け」
「……いいの?」
「何が?」
「まだ私から教わってくれるの?」
「昨日、まだ教えてって言っただろ」
「言った」
「じゃあ教えて」
「うん」
リビアが嬉しそうに笑う。
「次は、弾く結界と流す結界を使い分けましょう」
「いつ?」
「明日は学園長室でしょう?」
「その後は?」
「たぶん、やらない方がいいと思う」
「何で?」
「話の内容によっては、セスも私も疲れるかもしれないから」
俺はすぐに反論しなかった。
以前なら「魔術くらい出来る」と言っていたと思う。
「じゃあ明後日?」
「予定がなければ」
「分かった」
「……すぐ受け入れた」
「駄目?」
「嬉しい」
「最近それ多いな」
「セスが嬉しいことするからよ」
「俺、普通にしてるだけだけど」
「それはもう聞き飽きたわ」
リビアが笑う。
俺も笑った。
明日の話は気になる。
でも、今は今日の話をしている。
それでいい。
◇
屋敷へ戻ると、グレイヴが玄関ホールにいた。
俺たちの帰宅を待っていたわけではなく、ちょうど使用人へ指示を出していたらしい。俺たちに気づくと、手元の書類を閉じた。
「お帰りなさいませ、お嬢様。セス」
「ただいま、グレイヴ」
「ただいま」
「本日は剣術の自主練習だったな」
「うん」
「予定通り一時間?」
「一時間。身体疲労一、痛みゼロ、魔力疲労ゼロ」
グレイヴが一瞬黙る。
「……何?」
「いや」
「何?」
「私が聞く前にすべて言うようになったな」
「駄目?」
「まさか」
グレイヴの口元がほんの少しだけ緩む。
「よい変化だ」
「ありがとう」
「イザーク君との練習はどうだった?」
「負けた」
「ほう」
「一本取られた」
「悔しいか?」
「悔しい。でも楽しかった」
グレイヴの表情が変わる。
ほんの少しだけだが、目元が柔らかくなった。
「そうか」
「うん」
「なら、よい稽古だったのだろう」
「またやる」
「時間と体調を考えるなら構わない」
「アルフォルド殿下も誘うかも」
「……殿下を?」
「今日約束した」
グレイヴが眉間へ指を当てる。
「セス」
「何?」
「お前は時折、自分の立場に慣れる速度だけがおかしいな」
「何で?」
「いや。学園内で殿下ご本人が了承しているなら、私から言うことではない」
「リビアも見るって」
「それならなおさら問題はないだろう」
「うん」
そこで、俺はもう一つ思い出す。
「あと、明日学園長室に呼ばれた」
「シュザー家か」
「知ってる?」
「旦那様のもとにも学園から連絡が入っている」
やはり俺が説明する必要はなかったらしい。
「昨日、シュザー家当主と学園側が面談したって」
「ああ」
「グレイヴは内容知ってる?」
「概要のみだ」
「聞いていい?」
口にしてから、少し迷う。
明日説明を受ける。
なら、今ここで聞く必要はあるのか。
グレイヴは俺の顔を見ていた。
「知りたいか?」
「……気になる」
「ならば答えることは出来る。ただし、学園からお前たちへ直接説明する内容と、私が旦那様から聞いた概要では細部が異なる可能性がある」
「そっか」
「どうする?」
以前なら聞いた。
少しでも早く知ろうとしたと思う。
俺は隣を見る。
リビアも俺を見ている。
「明日でいい」
自分で答えた。
「学園から聞く」
「分かった」
グレイヴはそれ以上何も言わなかった。
止めもしない。
褒めもしない。
ただ、俺の選択をそのまま受け取った。
「夕食まで少し時間がある。身体を冷やす前に着替えてこい」
「うん」
「お嬢様も、お疲れでしょう」
「私は委員会だけよ」
「頭を使うことも疲労です」
「……セスに言ってるみたい」
「お二人ともです」
俺とリビアは顔を見合わせた。
「じゃあ着替える?」
「うん」
「夕食の後、お茶する?」
「する」
「約束ね」
「うん」
リビアと別れ、自分の部屋へ向かう。
◇
夕食の後。
俺とリビアは屋敷の小さな談話室にいた。
今日は俺が茶を淹れた。
仕事としてではない。
俺が飲みたかったし、リビアにも飲むか聞いたら「飲む」と言ったから用意した。
窓の外はもう暗い。
室内には暖色の魔導灯が灯り、テーブルの上には紅茶と小さな焼き菓子が置かれている。
「セス」
「何?」
「今日、楽しかった?」
「剣?」
「一日全部」
聞かれて考える。
授業。
昼食。
イザークとの剣。
リビアを迎えに行った。
シュザー家の話を明日聞くことになった。
最後だけは楽しいとは違う。
でも。
「楽しかった」
「そっか」
「リビアは?」
「私も」
「委員会あったのに?」
「委員会も嫌いじゃないもの。それに、終わったらセスが来るって分かってたから」
「待ってた?」
「うん」
「俺も昨日待ってた」
「知ってる」
「明日は?」
「一緒に学園長室」
「それは待ち合わせじゃないな」
「終わった後、一緒に帰る」
「うん」
「それを楽しみにしておけばいいんじゃない?」
俺はカップを持ったまま、リビアを見る。
「明日の話、嫌な内容かもしれないよ」
「うん」
「会いたくなくなるかもしれない」
「うん」
「逆に、会ってもいいって思うかもしれない」
「それもあるわ」
「分からないな」
「分からないね」
リビアが焼き菓子を一つ取る。
「でも、帰る時は一緒でしょう?」
「うん」
「なら、それだけは決まってる」
なるほど。
明日の全部が分からないわけではない。
話を聞く。
その後、リビアと帰る。
そこまでは決まっている。
「じゃあ、帰り何する?」
「何するって?」
「馬車で」
「お話する?」
「シュザー家の?」
「話したかったら。それ以外でもいいわ」
「本読む?」
「それでもいい」
「手繋ぐ?」
リビアの手が止まった。
「……うん」
「じゃあそれで」
「セス」
「何?」
「どうして今それを普通に予定へ入れたの?」
「嫌?」
「嬉しい」
「ならいいだろ」
「いいけど」
リビアが顔を赤くして紅茶を飲む。
俺も自分のカップへ口をつけた。
少しだけ熱い。
でも、落ち着く。
明日のことを考えないわけではない。
気になる。
少し緊張もする。
それを無理に消す必要もないのだと思う。
「リビア」
「何?」
「俺、明日ちょっと緊張すると思う」
言ってから、自分の胸の中を確かめる。
間違っていない。
「うん」
「でも怖いってほどじゃない」
「私も。少し緊張する」
「そっか」
「言えて偉い?」
「俺が?」
「うん」
「リビアもだろ」
「じゃあ二人とも偉い」
「自分で言うんだ」
「いいじゃない」
笑う。
それで少しだけ肩の力が抜けた。
明日になれば、シュザー家当主が学園へ何を話したのか分かる。
それを聞いた俺がどう思うのかは、まだ分からない。
リビアがどう感じるのかも、俺が先に決めることではない。
会うのか。
会わないのか。
何を言うのか。
許すのか。
許さないのか。
全部を一度に決める必要はない。
今日、イザークとの模擬戦で負けたからといって、剣術の全部が決まったわけではなかった。
今日出来なかったことは、次に試せる。
結界も同じだ。
交流演習だって、まだ何も決まっていない。
人とのことも、きっと似ている部分がある。
ただ、剣や魔術と違って、正解が一つではないだけだ。
「セス」
「何?」
「考え込んでる?」
「ちょっと」
「何考えてたの?」
「明日全部決めなくていいって」
「うん」
「それと、今日イザークに負けたの悔しいって」
「急に混ざったわね」
「あと結界の続き」
「それも?」
「交流演習も楽しみ」
「いっぱいあるね」
「うん」
俺は少し笑った。
「前より考えること増えた」
「嫌?」
「逆」
「逆?」
「楽しいことも増えたから」
リビアが黙った。
何か変なことを言っただろうか。
でも、その表情は嫌そうではない。
「セス」
「うん」
「学園、来てよかった?」
以前にも聞かれた。
以前にも答えた。
だから今度は考えなかった。
「来てよかった」
リビアの目元が柔らかくなる。
「私も」
「リビアは前から通ってただろ」
「そうじゃなくて」
「何が?」
「セスが来てくれてよかった」
「ああ」
俺は焼き菓子を一つ取る。
「俺もリビアがいてよかった」
「……セス」
「何?」
「今日はもう、それ以上言わないで」
「何で?」
「寝られなくなるから」
「先生に言う?」
「何を!?」
「眠れなかったら言えって」
「そういう意味じゃないわ!」
リビアの声が談話室へ響いた。
扉の外を通りかかった使用人の足音が一瞬だけ止まり、そのまま何事もなかったように遠ざかっていく。
「声大きいよ」
「誰のせいよ!」
「俺?」
「セス以外に誰がいるの!」
怒っているように見える。
でも、口元は少し笑っている。
俺も笑った。
明日には、また少し重い話を聞くことになる。
だからこそなのかもしれない。
今夜くらいは、まだ知らないことを無理に考えず、今日あった楽しいことを話していていい。
俺は紅茶をもう一口飲んだ。
向かいではリビアがまだ赤い顔をしている。
その顔を見ながら、明日の学園長室を思い浮かべる。
緊張はある。
けれど、以前のように一人で何もかも受け止めなければならないとは思わなかった。
先生たちがいる。
リビアがいる。
話を聞いて、分からなければ分からないと言えばいい。
決められなければ、その日は決めなくてもいい。
そして終わったら、一緒に帰る。
それだけはもう決まっている。
なら、今夜はそれで十分だった。




