第18話 属性を切り替えているだけなのに、先生から『一度止めろ』と言われました
五つの結晶を前にしたまま、俺は次の指示を待っていた。
さっきまで火、水、風、土、雷の順番を入れ替えながら一秒間隔で魔力を流していたが、自分の中には疲労らしいものがほとんど残っていない。手のひらにも痺れはなく、胸や頭に違和感もない。それでも先生たちが測定器を確認している以上、勝手に続きを始めるつもりはなかった。
以前なら、待っている間に少しくらい感覚を確かめても問題ないと思ったかもしれない。今は右手を下ろしたまま、床へ刻まれた術式や先生たちの動きを眺めている。
少し離れた見学区域では、リビアも黙って待っていた。俺と目が合うと一度だけ小さく頷き、それ以上何も言わない。
見ているから任せろ。
昨日交わした言葉を思い出すと、それだけで落ち着いて待てた。
「ハロルド先生」
測定器を覗き込んでいたセレナ先生が、低い声で隣の教師を呼んだ。
「こちらも確認してください。第一系列と第二系列で、ほとんど同じ値が出ています」
「……本当ですね」
ハロルド先生が記録板を受け取り、何度か目盛りを確認する。ベルナルト先生もすぐに近づき、三人で小声のやり取りを始めた。
俺には何が問題なのか分からない。
一秒間隔で属性を変えられたことだろうか。
でも、先生たちは測定を始める前から間隔を少しずつ縮めると言っていた。なら一秒くらいまでは想定していたはずで、それだけならここまで慎重に記録を確認する理由が分からなかった。
「先生」
我慢出来ずに声をかける。
「質問してもいいですか?」
ベルナルト先生がこちらを向いた。
「もちろん。勝手に試すより百倍いい」
「毎回それ言われるんですか?」
「少なくとも今日の間は言うつもりだよ」
「……じゃあ聞きます。何を確認してるんですか?」
ベルナルト先生はすぐには答えず、ハロルド先生を見る。二人が短く頷き合ったあと、先生は五つの結晶を指した。
「切り替えの速さそのものより、切り替える時に何が起きているかを見ている」
「何が起きてる?」
「普通、属性を変える時には一度それまでの属性変換を弱める。完全に止める人もいれば、基礎魔力まで戻して次の属性へ変える人もいる。熟練者ならその時間はかなり短く出来るが、それでも切り替えの境目は記録に出るんだ」
俺は五つの結晶を見た。
「俺には出てないんですか?」
「出てはいる」
「じゃあ普通じゃないですか」
「最後まで聞きなさい」
横からエレナ先生に注意された。
「はい」
「君の場合、属性の境目はある。火が水へ変わったことも、水が雷へ変わったことも器具はきちんと拾っている。ただし、その境目で基礎となる魔力流量がほとんど落ちていない」
ベルナルト先生が説明しながら、二本の指を並べる。
「例えば水を流している。次に火へ切り替える。普通ならこの間で水属性の変換を解除し、次に火属性へ変換するため、ほんの短い時間でも流れに谷が出来る」
「はい」
「君にはその谷がほとんどない」
「……それって、昨日言ってた話ですか?」
「そうだね」
先生の口元が楽しそうに上がった。
「魔力を流すことと、属性へ変換することを、かなり明確に別々の操作として扱っている可能性が高い」
言われても、自分の中では特別なことをしているつもりがない。
「グレイヴにそう習ったんだと思います」
「そこも後で詳しく聞きたいところだ。もっとも、教えられただけで誰にでも出来るなら、我々もここまで悩まない」
「そういうものですか」
「そういうものだよ」
ベルナルト先生は楽しそうだが、エレナ先生は対照的に慎重だった。俺の立っている位置から床の術式、さらに五つの結晶へ順番に視線を動かし、最後に学園長を見る。
「一秒までは安定しています。ただ、ここから先は指示方式を変えた方がいいと思います」
「私もそう思う」
学園長が頷いた。
「クルセス。いったん測定区域から出なさい」
「はい」
言われた通り外へ出る。
すぐにリビアが近づいてきたが、測定区域との境界線を越えることはなかった。俺が自分から彼女の近くへ行くと、最初に顔を見られ、その次に手を確認される。
「大丈夫?」
「うん」
「疲労は?」
「ほとんどない」
「ほとんど?」
そこだけ拾われた。
「最初よりは魔力を使ってるから、全く同じではないって意味。疲れたってほどじゃないよ」
「それならいいけど、ちゃんとその言い方を先生にもしてね」
「分かった」
今の俺にとっては「問題ない」でまとめてもいい程度の差だった。それでも測定をしている以上、少しでも変化があるなら伝えた方がいいのだろう。
「エレナ先生」
俺から声をかけると、装置の確認をしていた先生が振り向いた。
「どうしたの?」
「疲れたほどじゃないですけど、最初より魔力を使った感じはあります」
「どの程度?」
「十段階なら……一くらい?」
「身体の疲労は?」
「そっちはゼロです」
先生は少しだけ目を細め、記録用紙へ書き込んだ。
「申告ありがとう。そういう情報も必要だから、今後もその調子で」
「はい」
答えると、隣のリビアが嬉しそうにしている。
「何?」
「ちゃんと言えたなって」
「約束したから」
「うん」
昨日から何度も似たことを言っている気がする。それでもリビアが安心するなら、言葉にする意味はあるのだろう。
その間にも、先生たちは中央の装置を組み替えていた。
五つの結晶はそのままだが、中央に置かれていた銀色の輪が持ち上げられ、その内側へ透明な板が一枚差し込まれる。さらに床の術式から細い光の線が伸び、五つの結晶と銀色の輪を順番につないでいった。
「何ですか、それ」
俺が尋ねると、セレナ先生が手を止めずに答えた。
「属性遷移測定環です。魔力の属性が変化する瞬間を、通常の出力測定器より細かく記録します」
「最初から使わなかったんですか?」
「必要がなければ使いません。準備にも調整にも時間がかかりますし、通常の学生測定なら五つ同時に接続することもありません」
「五つ全部つなげて大丈夫なんですか?」
「だから確認しているところです」
なるほど。
俺は素直に待つことにした。
やがて調整が終わると、ハロルド先生から再び測定区域へ入るよう指示される。ただし今度は五つの結晶へ直接魔力を流すのではなく、中央の銀色の輪へ右手を向けるよう言われた。
「先ほどまでは、こちらが属性名を読み上げてから切り替えてもらいました。しかし一秒より短くなると、声による指示そのものが測定の邪魔になります」
「じゃあ、どうするんですか?」
「光で知らせます」
ハロルド先生が手元の小さな装置を示す。五つの色を持つ魔石が並んでいて、指定した属性と同じ色が光る仕組みらしい。
「光った属性へ切り替える。それだけでいいです。ただし、光る前に予測して変えないこと」
「分かりました」
「順番は無作為にします」
「はい」
「もう一つ。速さを競わないでください」
エレナ先生が念を押す。
「光を認識してから、自分が安全に切り替えられる速度で変えること。無理に反応を縮める必要はないわ」
「それだと切り替え速度を測れないんじゃないですか?」
「あなたが自然にどれくらいで切り替えているかを先に見るの。限界測定じゃないと言ったでしょう?」
「ああ、そういうことですか」
やっと意図が分かった。
自分で最速を出そうとするのではなく、普段通りに変えた時の速度を測る。
それなら簡単だ。
「準備は?」
「大丈夫です」
俺は銀色の輪へ右手を向ける。
まず無属性のまま魔力を流した。
透明な板の中央に白い光が灯り、その周囲にある銀色の輪が淡く輝く。
「基礎流量、安定」
「開始します」
ハロルド先生の声と同時に、手元の魔石が一つ光った。
赤。
火。
考えるより先に変える。
銀色の輪が赤く染まる。
次は青。
水。
緑。
風。
紫白。
雷。
茶。
土。
色が変わるたび、俺は同じように属性を切り替えた。
速くしようとは考えていない。
光を見る。
何色か認識する。
その属性へ変える。
ただそれだけだ。
しばらく続いたところで、ハロルド先生が手を止める。
「終了」
俺はすぐに魔力を止めた。
「どうでした?」
「少し待ってください」
また待つ。
先生たちが測定器へ集まる。
俺はその間に自分の状態を確認した。魔力を使った感覚は先ほどより少し増えたが、身体には何もない。
「疲労二くらいかな」
今度は聞かれる前に言う。
エレナ先生がこちらを見た。
「魔力だけ?」
「はい。身体はゼロ。頭痛も痺れもないです」
「了解」
記録される。
それだけのことなのに、見学席のリビアがまた少し嬉しそうにしていた。
やがてハロルド先生が顔を上げる。
「平均反応時間を出しました」
「どのくらいですか?」
俺が尋ねると、先生は少し困った顔をした。
「数値だけ伝えても比較対象がないと分かりにくいでしょう」
「普通はどのくらいなんです?」
「そこが難しいところです。二属性間の切り替えと、五属性を無作為に切り替える測定では条件が違いますから」
「じゃあ俺のは?」
「少なくとも、光を認識してから属性遷移が始まるまでの遅延が非常に短い。さらに問題なのは、その後です」
「問題?」
「悪い意味ではありません」
最近この説明を何度も聞いている気がする。
「切り替え中の魔力流量がほぼ一定です。先ほどの測定と同じ傾向ですが、今回の装置ではよりはっきり確認出来ました」
セレナ先生が透明な板を指した。
「ここを見てください」
板の中には細い光の線が残っていた。
横方向へ伸びる一本の線が、途中で赤、青、緑、紫、茶へと次々に色を変えている。
「これが俺の魔力?」
「正確には、時間ごとの流量と属性状態を重ねた記録です」
「ずっとつながってますね」
「そうなんです」
先生の声が少し低くなった。
「通常なら、属性が変わる境目で線が細くなるか、一度途切れます。あなたの場合、色だけが変わっている」
俺は記録を眺めた。
「でも、さっきベルナルト先生が言ってた通りですよね。流しながら最後で属性を変えてるなら」
「理屈ではね」
ベルナルト先生が横から入る。
「問題は、君がそれを五属性すべてで、ほぼ同じ精度でやっていることだ」
「難しいんですか?」
「普通は」
「グレイヴなら出来ると思います」
「それは後で確認したいね」
「本人に?」
「出来れば」
グレイヴが学園へ呼ばれて、俺の魔力操作について先生たちに囲まれている光景を想像すると少し面白い。本人はいつもの顔で淡々と答えるのだろう。
「もう一回やりますか?」
「やる」
ベルナルト先生が答えた直後、エレナ先生が横から睨んだ。
「あなたが決めない」
「もちろん安全確認の上でだよ」
「顔が研究者になってるわよ」
「教師でもある」
「今は研究者の方が強いでしょう」
先生同士のやり取りを見ていると、学園長が咳払いした。
「次は条件を一つだけ変える」
その一言で二人とも静かになる。
「クルセス。今までは光を見てから属性を選んだ。次は順番をあらかじめ決める」
「それだと速くなると思います」
「それを見る。ただし最速ではない。一定の拍に合わせて切り替える」
ハロルド先生が別の器具を持ってくる。
小さな振り子だった。
「最初は一秒に一回。火、水、風、土、雷。この順番を繰り返します」
「分かりました」
「その後、問題がなければ間隔を縮める。ただしこちらの指示なしに速くしない」
「はい」
もう何度目か分からない注意だが、今度は笑わずに答えた。
再び魔力を流す。
白。
振り子が動く。
火。
水。
風。
土。
雷。
一秒ごとに変える。
順番が分かっている分、さっきより楽だった。
「次、半秒」
振り子の速度が上がる。
俺はその拍へ合わせる。
赤、青、緑、茶、紫白。
五つの色が次々に入れ替わり、銀色の輪の光が目まぐるしく変化する。
それでも難しくない。
むしろ、剣の型を一定の拍で繰り返す感覚に近かった。
「安定しています」
セレナ先生の声が聞こえる。
「流量低下なし」
「属性混濁は?」
「検出限界以下です」
「次は四分の一秒」
ハロルド先生が学園長を見る。
学園長が俺を見る。
「クルセス」
「はい」
「状態は?」
「魔力疲労二。身体ゼロ。違和感なしです」
「続けられるか?」
「はい」
「では行う。無理に合わせるな。遅れたら遅れたままでいい」
「分かりました」
振り子の設定が変わる。
今度はかなり速い。
けれど、目で追えないほどではなかった。
「開始」
火。
水。
風。
土。
雷。
火。
水。
風。
土。
雷。
一定の流れを保ったまま、変換点だけを切り替えていく。
俺の感覚では、魔力そのものは一本の川のようなものだった。
川を止めているわけではない。
流れ続ける水へ、出口のところで色をつける。
赤。
青。
緑。
茶。
紫。
次々に色を変えるだけだ。
難しくない。
「……混濁なし」
セレナ先生の声が、さっきより硬い。
「遷移時間は?」
「測定中です」
「基礎流量は?」
「変化なし」
先生たちの声が聞こえる。
それでも俺は振り子だけを見る。
「終了」
学園長の声。
即座に止める。
俺は右手を下ろした。
「どうですか?」
今度は誰もすぐに答えなかった。
まただ。
「先生?」
「クルセス」
エレナ先生がこちらへ来る。
「身体は?」
「大丈夫です」
「疲労」
「魔力が三くらい。身体はゼロです」
「頭痛、吐き気、胸部違和感、指先の痺れ」
「全部なし」
「よし。区域から出て」
「はい」
俺は素直に外へ出た。
リビアのところへ戻ると、今度は彼女から水を渡してくれる。俺は礼を言って受け取り、半分ほど飲んだ。
「速かったわね」
「そう?」
「見てる方は、途中から色の違いが分かりにくかったもの」
「俺は順番分かってたから」
「それでもよ」
リビアは俺の手を見てから、そっと指先へ触れた。
「本当に痺れてない?」
「うん」
「冷たくもない?」
「普通だと思う」
彼女の指先が俺の手の甲を軽く撫でる。
測定中だから状態を確認しているだけだと分かっているのに、なぜかそこへ意識が向いた。昨日、自分から手を繋ぎたいと思った時と似た感覚が胸に浮かび、俺は少しだけ視線を逸らす。
「セス?」
「何?」
「やっぱり何かある?」
「ないよ。手は本当に平気」
「じゃあ何で目を逸らしたの?」
「……何でもない」
「最近それ多いわね」
リビアが不思議そうに首を傾げる。
自分でも説明出来ない。
ただ、触れられていることを前より意識するようになった気がする。
嫌ではない。
むしろ、その逆だから余計に困る。
「リビア」
「何?」
「手、もう大丈夫だから」
「あ、ごめんなさい」
彼女が離そうとする。
その瞬間、なぜか惜しいと思った。
俺はほとんど考えず、離れかけた指を自分の指で軽く捕まえた。
「……セス?」
「いや」
何をしているのだろう。
「別に、離さなくてもいいかなって」
口にすると急に恥ずかしくなる。
リビアはしばらく何も言わなかった。
やがて、俺が軽く掴んでいた指をそのまま絡めてくる。
「じゃあ、少しだけ」
「うん」
測定区域の外。
先生たちは記録を確認している。
俺たちはその邪魔にならない場所で、ただ手を繋いで待つ。
以前なら、先生や使用人以外の人がいる場所でこんなことをするのは気になったかもしれない。今は少し恥ずかしいけれど、離したいとは思わなかった。
「……あの二人は放っておいていいんですか?」
少し離れた場所からセレナ先生の声が聞こえた。
「婚約者ですから」
エレナ先生が答える。
「測定に影響がないなら問題ないでしょう」
「聞こえてます」
俺が言うと、ベルナルト先生が笑った。
「ならちょうどいい。クルセス、手を繋いだままで聞いてくれて構わないよ」
「それはそれで恥ずかしいんですけど」
「離す?」
リビアが尋ねる。
「……このままでいい」
自分で答えた途端、先生たちの視線が一瞬だけ集まった。
何だろう。
「何ですか?」
「いや」
エレナ先生が少し笑う。
「測定以外でも成長してるのね」
「魔術の話してください」
余計に恥ずかしくなった。
ベルナルト先生が記録用紙を広げる。
「では魔術の話をしよう。四分の一秒間隔でも、君の魔力流量はほぼ一定だった」
「はい」
「属性の混濁もほとんど検出されていない」
「混濁って?」
「例えば火から水へ切り替える途中で、短時間だけ両方の性質が不安定に混ざる状態だ。意図して複合させるのとは違う」
「俺にはそれがない?」
「少なくとも今回の速度ではね」
今回の速度。
その言い方が気になった。
「もっと速くするんですか?」
「そこを今相談している」
エレナ先生が答える。
「測定器はまだ追える。でも、あなた自身の安全と、測定する意味を考えないといけない」
「意味?」
「限界を知ることが今日の目的じゃないと言ったでしょう」
「はい」
「四分の一秒で安定していることが分かった。それだけでも授業上は十分すぎる情報なの。ここからさらに速くして、ただ『どこまで出来るか』を探すだけなら、今日やる必要はないわ」
言われてみればその通りだ。
俺はもっと速く出来るか知りたい。
でも、それは俺が知りたいだけで、学園が今日必要としている情報とは限らない。
「じゃあ、ここで終わりですか?」
「切り替え速度については、いったんね」
「……分かりました」
少し残念だった。
でも、そこで止める。
リビアの手を握ったまま待っていると、彼女がこちらを見上げた。
「ちゃんと止まれた」
「残念ではあるけどね」
「残念って言ってもいいのよ」
「いいの?」
「やりたいと思うことまで悪いわけじゃないでしょう? やりたいからって勝手にやらなければ」
その言葉に、少し納得した。
我慢出来る人になるというのは、何も欲しがらなくなることではない。
やりたいと思ったまま、今はやらないと選べればいい。
「じゃあ、いつか測れますか?」
先生たちへ尋ねる。
「必要があれば」
学園長が答えた。
「あるいは、訓練として安全な条件を整えた上でな」
「分かりました」
それなら十分だ。
楽しみを次に残しておく。
昨日覚えたばかりの考え方が、今日も役に立った。
「ただし」
ベルナルト先生が一枚の記録を持ち上げる。
「切り替え速度をここで止めるのは、情報が足りないからではない。むしろ逆だ」
「逆?」
「君がどう切り替えているかについては、かなり見えてきた」
先生は透明な記録板をこちらへ向ける。
そこには、先ほどより細かく色を変える一本の線が刻まれていた。
「火から水へ。水から風へ。風から土へ。土から雷へ。どの遷移でも、基礎流量がほとんど変わっていない。属性変換だけが、極めて短い区間で入れ替わっている」
「はい」
「だから、次に知りたいのは速さではない」
ベルナルト先生の指が、色の変わる境目を示した。
「この境目を、君がどれだけ正確に制御出来るかだ」
俺は記録板を見る。
「精度測定ですか?」
「その一部だね」
エレナ先生が近くの机から別の器具を持ってきた。
今度は結晶ではない。
手のひらほどの小さな円盤だった。
表面には細かな同心円が刻まれ、その中心には針ほどの小さな穴が開いている。
「次は、出力を上げない」
先生は円盤を俺へ見せる。
「速さも求めない。その代わり、指定された属性を、指定された量だけ、指定された場所へ通してもらう」
「中心の穴ですか?」
「そう」
「小さいですね」
「だから精度測定なのよ」
少し面白そうだ。
思わず円盤へ顔を近づける。
「魔術にします?」
「まだしない。属性魔力のまま」
「五属性全部?」
「最初は一つずつ」
「分かりました」
俺が答えると、エレナ先生がすぐには円盤を設置しなかった。
「その前に休憩」
「また?」
「また」
「魔力疲労三ですよ?」
「三になったでしょう?」
「でも七残ってます」
「そういう計算をするな」
学園長に即座に止められた。
「十段階で三の疲労なら七割使える、という意味ではない。疲労は単純な残量計ではないぞ」
「……確かに」
「今の納得は良い」
先生たちが少し笑う。
俺は仕方なく椅子へ戻った。
それでも今度は、休憩そのものを無駄だとは思わなかった。
測定結果を整理する時間でもある。
身体の変化を確認する時間でもある。
そして、次に何をするのか楽しみにしている時間でもある。
「セス」
リビアがまだ繋いでいた手を軽く揺らした。
「何?」
「水、もう一杯飲む?」
「飲む」
「じゃあ待ってて」
今度は自分から取りに行こうとせず、彼女が注いでくれるのを待った。
カップを受け取る時、指先が少し触れる。
それだけで、また意識する。
何なのだろう。
最近の俺は、リビアの手や顔を妙に気にしすぎている気がする。
でも、今は測定中だ。
これも後で考えればいい。
俺は水を飲みながら、先生たちが設置していく小さな円盤を眺めた。
五属性を使えること。
五属性すべてで出力や安定性にほとんど差がないこと。
魔力の流れを止めず、属性だけを切り替えているらしいこと。
四分の一秒間隔でも、その流れが乱れなかったこと。
今日だけで、自分が今まで知らなかったことをいくつも知った。
それでも測定は、まだ途中だ。
次は速さではなく、精度。
その後には持続安定性があり、問題がなければ複合魔術も残っている。
一日で全部終わらないかもしれないと、最初に先生たちは言っていた。
俺はそれでいいと思える。
急がなくても、続きを知る機会はなくならない。
目の前ではエレナ先生が円盤の位置を調整し、ベルナルト先生が記録用紙へ新しい欄を書き足している。学園長は時計を確認し、残り時間と俺の状態を考えているようだった。
少し前の俺なら、その間にも自分で何か出来ないか考えていた。
今は椅子へ座り、リビアが隣にいて、先生たちの準備が終わるのを待っている。
待つことも、誰かへ任せることも、少しずつ出来るようになってきた。
やがてエレナ先生が顔を上げる。
「準備出来たわ」
俺は立ち上がりかけた。
けれど、先生がまだ「来て」と言っていないことに気づき、途中で止まる。
「行っていいですか?」
一瞬、訓練場が静かになった。
エレナ先生が目を瞬かせ、ベルナルト先生が口元を押さえる。学園長はわずかに眉を上げ、ハロルド先生とセレナ先生までこちらを見ていた。
「……何ですか?」
「いや」
エレナ先生が小さく息を吐き、少しだけ笑った。
「ちゃんと聞けるようになったなと思って」
「そこまでですか?」
「そこまでよ」
見学席からリビアまで嬉しそうに笑っている。
「行っていいわ」
「はい」
今度こそ立ち上がる。
繋いでいた手を離す時、リビアの指が最後に少しだけ俺の指先へ触れた。
「行ってらっしゃい」
「行ってくる」
俺は測定区域へ戻った。
床の中央には、先ほどまでなかった細かな円盤が置かれている。
次に調べるのは、どれだけ速く出来るかではない。
どれだけ正確に出来るのか。
俺にとって当たり前だった五つの属性を、一つずつ知り直すための測定は、まだ終わりそうになかった。




