第15話 二人きりで昼食を食べるだけなのに、どうして朝から婚約者が落ち着かないんですか
学園へ通い始めて三日目の朝。
屋敷を出る前から、今日は少しだけいつもと違っていた。
何か大きな事件が起きたわけではない。シュザー家から新しい返事が届いたわけでもなければ、追加測定の日程が決まったとも聞いていない。朝食も普段通りで、使用人たちもいつもと変わらず動いていた。
違ったのは、リビアだった。
「セス」
「何?」
「今日のお昼なんだけど」
朝食を終えて玄関へ向かう途中、隣を歩いていたリビアが急にそう切り出した。
俺は鞄を持ち直しながら顔を向ける。
「昼?」
「昨日、言ったでしょう?」
「たまには二人で食べようって話?」
「そう。それ」
そこまで言うと、リビアは少しだけ視線を逸らした。
珍しい。
こういう話を持ち出した本人なのに、なぜか今日は歯切れが悪い。
「今日食べたいの?」
「……駄目?」
「駄目じゃないよ」
「本当に?」
「俺から言っただろ。たまには二人でって」
そう答えると、リビアは目に見えて表情を明るくした。
そこまで喜ぶことだろうか。
「じゃあ今日」
「うん」
「場所は?」
「昨日の東棟の裏庭でもいいんじゃない?」
「でも、昨日はみんないたでしょう?」
「今日は二人だけなんだから、別に問題ないだろ」
「そうだけど……」
まだ何か気になるらしい。
「他に行きたい場所ある?」
「ないわ」
「じゃあ決まり」
俺がそう言うと、リビアは少しだけ笑った。
やっぱり朝から変だ。
玄関へ出ると、すでに馬車が準備されていた。
グレイヴは今日は屋敷に残るらしく、いつもの御者と護衛が待っている。
「行ってきます」
俺が声をかけると、グレイヴは一礼した。
「行ってらっしゃいませ」
それから俺を見る。
「クルセス」
「何?」
「今日は学園で何も起こさないように」
「俺が起こしてるわけじゃないって」
「その台詞は昨日も聞きました」
「本当にそうなんだけど」
「分かっています」
意外な返事だった。
「ただし、何か起きた場合でも、まず周囲を頼ることを忘れないように」
「はい」
「そして、怪我をしたら隠さず申告すること」
「分かってる」
「『大したことはない』で済ませない」
「……分かってる」
「『血が出ていても動ける』は怪我ではない、という考え方も禁止です」
「そこまで言う?」
「言わなければならない実績があるので」
横でリビアが笑っている。
「リビアも何か言ってよ」
「グレイヴの言う通りだもの」
「またそれか」
味方がいない。
とはいえ、昨日ほど嫌ではなかった。
こうやって言われること自体が、誰かに見られているということなのだと少しずつ分かってきたからかもしれない。
馬車へ乗り込む。
今日は俺が先に外へ出て、リビアへ手を差し出した。
「どうぞ――」
言いかけて止める。
昨日と同じ。
「リビア」
「うん」
彼女はすぐに手を重ねた。
その表情が少し嬉しそうだったので、俺も何となく気分が良くなる。
馬車が動き出す。
王都の朝は、すでに人の流れが増え始めていた。
商店の戸が開き、荷車が市場へ向かい、学園へ向かうらしい生徒の馬車も何台か見える。
「セス」
「何?」
「今日、本当に二人でお昼食べるのよね?」
「さっき決めたばっかりだろ」
「確認」
「何回確認するんだよ」
「だって」
リビアが少し頬を膨らませる。
「セス、みんなが来たら普通に『一緒に食べる?』って言いそうだから」
「……」
「今、心当たりあったでしょう?」
「少し」
「やっぱり」
たしかに、ナナリーやミリアナ、アルフォルド殿下たちに声をかけられたら、そのまま一緒に食べてもいいと思ったかもしれない。
でも今日は約束した。
「分かった。今日は二人」
「絶対?」
「絶対」
「うん」
満足したらしい。
それからしばらく黙って窓の外を見ていたが、口元がずっと緩んでいる。
「そんなに楽しみ?」
「楽しみよ」
「ただ昼食食べるだけだぞ」
「セスと二人で、でしょう?」
「そうだけど」
「それが大事なの」
俺にはまだ、その違いが完全には分からない。
でも、昨日から何度か似たことを言われている。
一緒にいる。
隣にいる。
二人で過ごす。
そういうものに、リビアは俺よりずっと意味を感じているらしい。
学園へ着く。
正門を通ると、今日もちらちらと視線を感じた。
ただ、初日や二日目ほど露骨ではない。
噂が少し落ち着いたのか、それとも見慣れてきたのか。
「今日は昨日より静かだな」
「三日目だもの」
「そのうち普通になる?」
「セスが何もしなければ」
「俺、何もしてないって」
「剣術で勝った」
「授業だった」
「五属性を使った」
「授業だった」
「フレイムストームの中に入った」
「それは事件だった」
「ほら」
「最後だけだろ」
そんな話をしながら校舎へ向かう。
今日も俺はリビアの半歩後ろへ下がらないように意識していた。
昨日より少し自然に出来ている。
「ちゃんと隣」
リビアが小さく言う。
「気づいた?」
「もちろん」
「褒めていいぞ」
「えらいえらい」
「子供扱いしてない?」
「してないわよ」
絶対している。
教室へ入ると、すでにナナリーとミリアナが来ていた。
「おはようございます」
「おはよう」
挨拶を返す。
ナナリーが俺たちを見て、少しだけ首を傾げた。
「今日も一緒なんですね」
「婚約者だからな」
俺が普通に答えると、ミリアナが少し笑う。
「クルセス様、最初の日より堂々と言うようになりましたね」
「そう?」
「初日はもう少し、『婚約者だけど執事でもあるので』みたいな感じでした」
「そんなだった?」
リビアを見る。
「かなり」
「そうなのか」
自覚はなかった。
「少しずつ変わってるんじゃないですか?」
ナナリーが言う。
「何が?」
「立ち位置、です」
昨日の礼法授業の話は、どうやら同じクラスの生徒にも見られていたらしい。
「半歩後ろに下がる癖のこと?」
「はい。今日、廊下で見かけた時はちゃんと並んでました」
「みんな見てるんだな……」
「有名なので」
「それ、まだ続いてる?」
「しばらくは続くと思います」
諦めるしかない。
席へ荷物を置いていると、アルフォルド殿下たちも入ってきた。
「おはよう」
「おはようございます」
俺が挨拶すると、アルフォルド殿下は一度リビアを見て、それから俺を見る。
「昨日のシュザー家からの手紙は、どうなった?」
「殿下」
サザリー様が少し声を落とす。
「教室で聞く話ではないのでは?」
「……そうだな」
アルフォルド殿下もすぐに引いた。
「すまない」
「大丈夫です」
俺も小声で答える。
「学園内でなら面会を検討する、ってところまでです。まだ正式には決まってません」
「シュザー家には行かないのか?」
「旦那様も学園長も、今はその方がいいって」
「それが妥当だろうな」
カイゼル殿下も頷く。
「相手の家へ行けば、それだけで向こうの空気になる。話し合いなら中立な場所の方がいい」
「やっぱりそういうものなんですね」
「王族同士の交渉でも同じだよ」
「交渉」
少し大げさな言葉に聞こえる。
「でも、考え方は近い。場所一つで心理的な有利不利は変わるからね」
なるほど。
また一つ知らないことを知った。
「そういうのも授業でやるのかな」
「上級学年ならある」
アルフォルド殿下が答える。
「外交礼法や交渉論だ」
「面白そう」
「お前、本当に学園を楽しみ始めたな」
サザリー様が言う。
「そう見えます?」
「最初よりかなり」
言われてみると、自分でもそう思う。
最初はリビアの護衛と、必要なことを学ぶ場所くらいに考えていた。
今は少し違う。
「知らないことが多いから、面白いです」
そう答えると、リビアが嬉しそうに笑った。
その顔を見ると、また胸が温かくなる。
もうこの感覚には少し慣れた。
でも、やっぱり理由はよく分からない。
朝の授業が始まる。
一時間目は王国史。
二時間目は一般魔術理論。
三時間目は基礎剣術。
今日の剣術では模擬戦はなく、足運びや間合いの取り方を中心にした反復練習だった。
それはそれで俺には面白かった。
イザークは昨日の発言通り、かなり真剣に取り組んでいる。
「次は負けないからな」
休憩中、木剣を肩へ載せながら言われた。
「俺も負けるつもりないよ」
「その返し、腹立つな」
「じゃあ何て言えばいい?」
「次は負けるかもしれませんって言え」
「嘘になる」
「やっぱ腹立つ」
でも笑っている。
初日に戦った時より、ずっと話しやすい。
「イザークって、剣はいつからやってる?」
「六歳くらい」
「長いな」
「お前は?」
「本格的にはグレイヴに拾われてから」
「それであれかよ」
「グレイヴが強いから」
「伯爵だろ?」
「執事長でもある」
「知ってるけど、情報が混ざりすぎてるんだよお前の家」
また言われた。
午前最後の授業が終わり、昼休みを知らせる鐘が鳴った。
その瞬間。
「セス」
隣ではない席から、リビアの声が飛んできた。
「分かってるよ」
俺は鞄から昼食を取り出す。
「今日は二人」
その一言で、近くにいた何人かがこちらを見る。
ナナリーが「あ」と小さく声を出した。
ミリアナも何か察したらしい。
「今日は別ですか?」
「うん。約束したから」
俺が答える。
リビアは何も言わない。
でも、すごく嬉しそうだ。
「では、私たちは別の場所で食べますね」
「また明日一緒に食べましょう」
ナナリーとミリアナは素直に引いてくれた。
そこへアルフォルド殿下が来る。
「昼食は――」
「今日は駄目」
リビアが即答した。
「まだ何も言っていないぞ」
「一緒に食べようとしたでしょう?」
「……そうだが」
「今日は二人なの」
はっきり言われ、アルフォルド殿下が黙る。
カイゼル殿下が後ろで笑っている。
「殿下、今日は諦めた方がいい」
「なぜお前はそんなに楽しそうなんだ」
「他人事だから」
「お前も求婚者だろうが」
「だからこそ、勝ち目が薄い時は観察に回るんだよ」
「勝ち目が薄いと言うな!」
教室に笑い声が広がる。
俺は少し困る。
「殿下、また明日なら」
「……分かった」
アルフォルド殿下は不満そうだったが、それ以上は言わなかった。
「行こう、リビア」
「ええ」
教室を出る。
廊下へ出たところで、リビアが隣から小さく言った。
「ちゃんと断ってくれた」
「約束したから」
「うん」
その返事がすごく嬉しそうだった。
「そんなに大事?」
「大事」
「まだよく分からない」
「そのうち分かるわよ」
「またそれか」
昨日から何回言われただろう。
東棟の裏庭へ向かう。
昨日は七人で歩いた場所。
今日は二人だけ。
同じ廊下なのに、少し静かに感じる。
昼休みの生徒たちは主に食堂や中庭へ向かうため、東棟へ進むほど人は減っていく。
「本当に静かだな」
「二人で食べるにはちょうどいいでしょう?」
「うん」
裏庭へ出る。
昨日と同じ大きな木。
その下の木製の机。
少し離れた場所に花壇。
石壁の向こうから、遠くの生徒たちの声だけが微かに聞こえてくる。
今日は他に誰もいなかった。
「貸し切りみたいだな」
「そうね」
リビアはかなり機嫌がいい。
俺たちは昨日と同じ机へ座る。
ただし、今日は向かいではなく隣だ。
「隣なんだ?」
「嫌?」
「別に」
俺も自然に隣へ座った。
昼食を広げる。
屋敷で用意してもらったパンと肉料理、果物、小さな焼き菓子。
昨日と似ている。
でも、二人だけだと雰囲気が違う。
「セス」
「何?」
「これ、あげる」
リビアが自分の焼き菓子を一つ差し出す。
「昨日もくれたよな」
「今日は二人だから」
「二人だと増えるの?」
「増える」
どういう理屈だろう。
「じゃあ、俺の果物いる?」
俺も自分の皿から一切れ差し出す。
リビアが一瞬止まった。
「いる」
「はい」
受け取ると思っていた。
でも、リビアは手を出さない。
「どうした?」
「……セスがくれるの?」
「そうだけど」
「じゃあ」
少しだけ顔を寄せる。
「食べさせて」
俺の手が止まった。
「何で?」
「婚約者だから」
「婚約者って、そこまでやる?」
「やる人もいるわ」
「本当に?」
「いる」
自信満々だ。
嘘を言っているようには見えない。
少し迷う。
「嫌?」
「嫌じゃないけど」
「じゃあ」
待っている。
俺は果物を持ったまま、リビアの口元へ近づける。
「……はい」
リビアが口を開く。
そのまま食べる。
何てことのない動作のはずなのに、妙に顔が近い。
唇が指先に触れそうな距離。
胸の奥がいつもより少し強く動いた。
「おいしい」
「そ、そう」
「セス」
「何?」
「顔赤い?」
「赤くない」
「少し赤いわ」
「日差しだろ」
「木陰だけど」
「じゃあ気のせい」
リビアが笑う。
「次はセス」
「何が?」
「私の焼き菓子」
「普通に受け取るよ」
「駄目」
「何で?」
「私もやりたい」
さっき言われた。
与える側に慣れすぎている。
誰かに何かしてもらうことを受け入れろ。
……これもそうなのか?
「それ、礼法の先生が言ってた意味と違わない?」
「細かいことは気にしないの」
「絶対違うだろ」
「ほら」
焼き菓子が目の前へ来る。
リビアは楽しそうだ。
断る理由もない。
「……じゃあ」
少し前へ顔を出す。
一口。
甘い。
「どう?」
「うまい」
「私があげたから?」
昨日、俺が言った言葉を返された。
「覚えてたの?」
「もちろん」
「じゃあ……そうかも」
言った瞬間。
リビアが固まった。
「何?」
「今の、もう一回」
「昨日もそれ言ったな」
「いいから」
「リビアがくれたから、いつもよりうまいかも」
その瞬間、リビアの顔が一気に赤くなった。
「……ずるい」
「何が?」
「セスが無自覚でそういうこと言うの」
「意味分からない」
「分からなくていい」
「また俺だけ分からないやつか」
「そう」
でも、すごく嬉しそうだ。
ならいいか。
昼食はゆっくり進んだ。
誰かに話を振る必要もない。
アルフォルド殿下とカイゼル殿下が言い合うこともない。
ナナリーたちの話を聞くのも楽しいけれど、二人だけだと別の静けさがある。
「セス」
「何?」
「二人で食べるの、嫌じゃない?」
「全然」
「楽しい?」
「うん」
即答すると、リビアが少し驚いた。
「そんなに驚く?」
「だって、セスがこういうのを『楽しい』って言うと思ってなかったから」
「何で?」
「一緒にいるのが当たり前すぎて、わざわざそう思わないのかなって」
たしかに。
俺にとって、リビアが側にいるのはずっと当たり前だった。
幼い頃から。
屋敷でも。
外出でも。
今は学園でも。
でも。
「当たり前だけど、楽しいのは別じゃない?」
自分で言ってから、少し考える。
「たぶん、俺はリビアと一緒にいるの好きなんだと思う」
隣から音が消えた。
「……リビア?」
見る。
固まっている。
「どうした?」
「セス」
「何?」
「今、それどういう意味で言ったの?」
「どういう意味って」
困る。
「一緒にいると落ち着くし、話してても楽しいし。だから好きって」
「……そう」
リビアがゆっくり息を吐く。
嬉しそう。
でも、どこか惜しそうでもある。
「何?」
「あとちょっとなのに」
「何が?」
「何でもない」
「今日それ多いな」
「セス相手だと増えるの」
意味が分からない。
でも、胸の温かさはいつもより強かった。
リビアと二人でいるのが好き。
言葉にしたのは初めてかもしれない。
恋なのか。
婚約者だからなのか。
幼馴染だからなのか。
まだ分からない。
でも、全部まとめて「大切」だけでは足りなくなってきている気もした。
「セス」
「何?」
「また二人で食べようね」
「うん」
「次はいつ?」
「明日でもいいけど」
「えっ」
「駄目?」
「駄目じゃない!」
声が少し大きくなった。
リビアが自分で驚いて口元を押さえる。
「そんなに?」
「だって、たまにって言ってたから」
「毎日みんなと一緒じゃなくてもいいだろ」
「……いいの?」
「うん」
リビアが笑う。
今日は何度もその笑顔を見ている。
そのたび胸が温かくなる。
その時。
裏庭へ続く扉が開いた。
「ここにいたか」
レイモンド先生だった。
俺とリビアは同時に振り返る。
「先生?」
「悪いな。昼食中に」
「何かありました?」
少し身構える。
シュザー家。
ライゼル。
また何かあったのかと思った。
「その顔をするな。今回はそっちじゃない」
「じゃあ何です?」
「追加測定の日程が決まった」
俺とリビアは顔を見合わせる。
「もう?」
「学園長と魔術科で調整がついた」
レイモンド先生は一枚の紙を差し出した。
「明日の放課後だ」
「明日?」
「早いですね」
リビアも驚いている。
「通常授業への影響を少なくしたいのと、測定担当の教師が揃う日がそこだった」
紙を受け取る。
場所は第二魔術訓練場。
参加者は学園長、エレナ先生、ベルナルト先生、測定担当教師二名。
内容は、五属性それぞれの基本出力、精度、切り替え速度、持続安定性。
複合魔術は最後に一部だけ。
「迅雷撃破は?」
「禁止」
「やっぱり」
「当然だ」
「分かってます」
「高出力魔術も禁止。測定器が壊れる可能性がある」
「俺じゃなくて測定器の心配ですか?」
「両方だ」
レイモンド先生は真顔だ。
「あと、見学者は制限する」
「何で?」
「午前の実習みたいに人が集まりすぎるのを防ぐためだ」
「なるほど」
「パウリーは見学申請が通っている」
リビアがすぐ反応する。
「本当ですか?」
「ああ。当事者……というより婚約者として、学園長が認めた」
「よかった」
俺を見る。
「一緒にいるからね」
「測定なのに?」
「測定だからよ」
意味はよく分からないが、リビアがいるなら俺も安心する。
「他には?」
「アルフォルド殿下、カイゼル殿下、サザリーは今のところ申請なし」
「先生」
リビアが聞く。
「見学って、私だけ?」
「現時点ではな」
その瞬間。
リビアの表情が少しだけ明るくなった。
「嬉しそうだな」
「別に」
「絶対嬉しいだろ」
「少しだけ」
俺は笑う。
レイモンド先生は俺たちを見て、なぜか一度だけ深く息を吐いた。
「何です?」
「いや。邪魔したな」
「まだ昼休みあります?」
「十分以上ある」
「よかった」
「クルセス」
「はい」
「明日の測定について、今夜一人で勝手に試したりするなよ」
「何を?」
「属性切り替え速度とか」
「……」
「今、やろうと思ってた顔をしたな」
「少し」
「やるな」
「はい」
「グレイヴ殿にも連絡してある」
「逃げ道全部塞ぐのやめてください」
「塞ぐ必要があるからだ」
先生はそれだけ言うと帰っていった。
裏庭にまた静けさが戻る。
「明日か」
「楽しみ?」
「少し」
「危ないことしたら怒るわよ」
「分かってる」
「本当に?」
「今日はもう三人くらいに言われた」
「じゃあ覚えてるわね」
「さすがに」
紙を鞄へしまう。
明日のことは、明日考える。
今日はまだ昼休み。
「残り食べよう」
「うん」
再び隣へ座る。
さっきより少しだけ距離が近い。
リビアの肩が俺の腕へ触れる。
以前なら、「狭い?」と聞いていたかもしれない。
今日は聞かなかった。
別に嫌ではない。
むしろ、その距離が落ち着く。
「セス」
「何?」
「さっきの話」
「どれ?」
「私と一緒にいるのが好きって」
「ああ」
「忘れないでね」
「忘れないよ」
「絶対?」
「何回確認するんだよ」
「大事だから」
朝と同じだ。
二人で昼食を食べる約束も。
今の言葉も。
リビアにとっては大事らしい。
だったら、覚えておこうと思う。
「分かった。忘れない」
「うん」
リビアが満足そうに笑う。
その顔を見ながら、俺は残っていたパンを一口食べた。
明日は追加測定。
シュザー家との面会も、いつ決まるか分からない。
きっとまた何か起きる。
でも今は。
二人で昼食を食べている。
その時間を、俺は思っていた以上に気に入っていた。
そして。
明日もまた二人で食べてもいいと思った自分の気持ちを、今度は無理に理由づけしないことにした。




