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第146話 公爵令嬢様は、俺が誰かに頼るところをもっと見たいらしい



 朝のパウリー公爵邸では、食堂へ続く廊下の窓が一部だけ開けられていた。夜の間に冷えた空気を入れ替えるためだろう、庭園から流れ込んでくる風には湿った土と草木の匂いが混じっており、遠くでは庭師たちが作業の準備を始めている。


 俺は厨房から届いた朝食準備の確認表に目を通しながら、廊下の壁際に置かれた小さな台へ書類を広げていた。食器の準備、料理を運ぶ順番、食堂を使用する人数についてはすでに担当者同士で確認が済んでいるが、一か所だけ、昨日までとは異なる記載があった。


 予備の配膳用具を置く場所について、仮の保管先が記されていたのだ。


 昨日の夕方、使用人の一人から相談を受け、担当者へ確認した件である。道具そのものが不足しているわけではなく、使用する場所も把握できているため、今朝の準備に支障はない。ただ、いつまで仮の場所を使うのかという点については、まだ責任者による最終的な判断が出ていなかった。


(……今日の準備に必要なことと、今後の保管場所を決めることは別だよな。今朝使えるからといって、このままずっと同じ場所でいいと決めるわけにはいかない)


 以前の俺なら、少しでも不便があると聞けば、自分で道具を運び直そうとしたかもしれない。けれど、昨日の確認で事情を知っている以上、今ここで勝手に配置を変えれば、かえってほかの担当者を困らせることになる。


 俺が確認表を閉じたところへ、食堂の準備を担当している使用人が近づいてきた。


「シルフィール様、おはようございます。今朝の予備の道具についてですが、昨日お伝えした場所から取り出せるようにしてあります。使用後も、ひとまず同じ場所へ戻す予定です」


「おはようございます。ありがとうございます。今朝の準備に問題がないなら、その方法でお願いします。ただ、今後もそこを使うかどうかについては、まだ決まっていないんですよね」


「はい。責任者へ確認をお願いしているところですので、今日のところは仮の扱いになります」


 相手は確認表の該当部分を指で示しながら、昨日の担当者にも連絡が行き届いていることを説明してくれた。俺はその内容を聞き、今日の仕事に必要な情報が共有されていると確かめてから、記録表の余白へ簡単な確認事項を書き添えた。


「分かりました。それなら、今朝の準備は予定どおり進めてください。俺も、次に確認するときは仮の保管場所だという前提で見ますから」


「ありがとうございます。では、こちらは進めておきます」


 使用人は安心したように一礼し、食堂へ戻っていった。


 その背中を見送りながら、俺は少しだけ肩の力が抜けるのを感じた。自分が何かを直接解決したわけではないのに、仕事が滞らず進んでいくことに、以前ほど落ち着かなさを覚えなくなっている。


 むしろ、担当者が自分の仕事を理解して動いてくれることが、今は頼もしかった。


「今の対応は、よかったと思いますよ」


 背後から聞こえた声に振り返ると、父さんが廊下の向こうから歩いてきていた。いつもどおり整えられた執事服にはわずかな乱れもなく、その手には朝の仕事に関する書類が数枚重ねられている。


「おはよう、父さん。今の話、聞いてたの?」


「途中からですが。昨日の件を把握したうえで、今朝必要な確認だけを行っていましたね。保管場所の変更を、あなたの判断で決めようとしなかったことも適切です」


 父さんは俺の手元にある記録表へ視線を落とし、確認済みの印がついている部分を見た。


「仕事を任せるというのは、ただ手を出さないことではありません。必要な情報を確認し、相手が判断できる範囲を尊重しながら、責任の所在を曖昧にしないことです。あなたは以前、その境界を少し越えがちでしたからね」


「……うん。困っている人がいると、つい自分で何とかしたくなっちゃうんだよね」


「その気持ち自体を否定する必要はありません。ただし、助けることと、相手の仕事を奪うことは同じではないのです」


 父さんの言葉に、俺は静かに頷いた。


 仕事を覚え始めた頃は、頼まれたことをできるだけ早く終わらせるのがよい執事だと思っていた。もちろん、それも大切なことだろう。けれど、周囲の人が安心して仕事を進められるようにするには、自分だけが動けばいいというわけではない。


「学院でも、昨日ちょうど似たようなことを習ったんだ。担当を分けても、必要な情報が伝わっていなければ、うまく進まないって」


「なるほど。学んだことを実際の仕事と結びつけられたのなら、よい経験ですね」


 父さんはそこで少しだけ表情を和らげた。


「もっとも、学んだことをすぐにすべて実行しようとする必要はありません。経験を積みながら、少しずつ判断の精度を高めていけばよいのです」


「うん。気をつけるよ」


 俺が答えると、父さんは満足そうに頷き、朝の仕事へ戻っていった。


 その姿を見送りながら、俺は記録表を所定の場所へ戻した。


 昨日、リビアが俺のことを自慢したかったと言ってくれたときは、どう受け止めればいいのか分からないくらい照れくさかった。けれど、こうして父さんから仕事の進め方を認めてもらうと、少しだけ、自分が変わってきていることを実感できる。


(……まだまだ覚えることは多いけど、以前より周りの人の仕事を見られるようになったのかな。だったら、これからもその変化を大事にしたい)


 食堂の扉が静かに開き、準備を終えた使用人たちが次の確認へ移っていく。


 俺も学院へ向かう時間を確かめ、残っていた朝の仕事を終わらせることにした。


     ◇


 玄関広間へ下りると、リビアは窓際で庭園を眺めていた。


 朝の光を受けたシルバーブルーの髪が淡く輝き、制服の襟元にはいつもどおり整った飾りがついている。彼女は俺の足音に気づくと振り返り、公爵令嬢としての落ち着いた表情を、俺がよく知る柔らかな笑顔へ変えた。


「おはよう、セス。今朝は少しお仕事が長かったのかしら」


「おはよう、リビア。昨日確認した道具の保管場所について、今朝も担当の人と話してたんだ。でも、準備は予定どおり進んでいるから大丈夫だよ」


 俺が説明すると、リビアはすぐに頷いた。


「そうだったのね。昨日のことが気になっていたけれど、問題なく進んでいるなら安心したわ。セスも、必要以上に自分で抱え込まなかったのでしょう?」


「うん。今日は担当の人がちゃんと確認してくれていたから、俺は話を聞いて記録しただけだよ」


 そう答えた途端、リビアは嬉しそうに目を細めた。


「……それ、とてもいいことだと思うわ」


「えっ? でも、俺はそんなに何かをしたわけじゃないよ」


「だからこそよ。あなたが全部やらなくても、きちんと仕事が進んでいるのでしょう? それを信頼できるようになったのなら、私は嬉しいもの」


 リビアは俺の前へ一歩近づき、少しだけ声を落とした。


「それに、セスが周りの方々を頼るところを、私ももっと見てみたいと思っているの」


 思いがけない言葉に、俺は首を傾げた。


「……俺が誰かを頼るところ?」


「ええ。あなたが誰かを助けている姿は、昔からたくさん見てきたわ。でも、誰かに助けてもらったり、相談したりする姿は、まだあまり見慣れていないのよ」


 リビアはそう言ってから、少しだけ恥ずかしそうに微笑んだ。


「もちろん、あなたが困るところを見たいという意味ではないわ。ただ、セスが安心して誰かに頼れるようになったのなら、その変化も一緒に喜びたいの」


 俺は彼女の言葉を聞き、胸の奥がじんわりと温かくなるのを感じた。


 リビアは昔から、俺が何かをできるようになると自分のことのように喜んでくれた。剣術の訓練でも、魔術の練習でも、学問でも、彼女は俺が上達するたびに嬉しそうにしていたけれど、今はそれだけではないらしい。


 俺が何でもできるようになることより、誰かと協力できるようになることを喜んでくれている。


「……ありがとう、リビア。そう言ってもらえると、俺も嬉しいよ」


 俺がそう答えると、彼女は少し照れたように頬を染めた。


「ふふっ。なら、今日は学院でも、私の知らないセスの姿を見られるかもしれないわね」


「それはどうだろう。普通に授業を受けるだけかもしれないよ?」


「あら、それでも構わないの。あなたが友人たちとどんなふうに話しているのか、見ているだけでも楽しいもの」


 リビアは悪戯っぽく笑い、俺の隣へ並んだ。


 俺たちは玄関で待っていた使用人たちへ挨拶し、馬車へ向かった。


 朝の風は昨日より少し穏やかだったが、日陰にはまだ冷たさが残っている。馬車の扉が開かれると、リビアは先に乗り込み、俺が隣へ座るのを待ってから、膝掛けを少しだけこちらへ寄せた。


「セス、寒かったら遠慮なく使ってね。昨日より風は弱いけれど、朝はまだ冷えるもの」


「ありがとう。リビアも無理しないでね」


「ええ。あなたが隣にいるのだから、きちんと気をつけるわ」


 何気ないやり取りのはずなのに、リビアは最後の言葉を口にすると、少しだけ嬉しそうに笑った。


 馬車がゆっくり動き始め、窓の外で公爵邸の庭園が後ろへ流れていく。


 俺はその景色を眺めながら、今日も学院でどんなことを学べるのだろうと考えていた。


     ◇


 王立学院へ到着すると、正門付近には朝の授業へ向かう生徒たちが集まっていた。


 昨日、公開講習の説明会が行われたこともあり、廊下ではその話題を口にする生徒が少なくなかった。希望した役割について友人と話し合っている者もいれば、配られた資料を読み返しながら、まだ決まっていない部分を気にしている者もいる。


 俺とリビアが教室へ入ると、ガレスが机の上へ広げていた紙から顔を上げた。


「おはよう、セス! オリビア様も、おはようございます! ちょうど昨日の説明会のことを話してたんだ!」


 ガレスの隣では、サザリーが手帳を開き、エミリアが配布資料を眺めていた。レオルは窓際の席に座っており、俺たちに気づくと軽く手を上げた。


「おはよう。何か新しい連絡でもあったの?」


 俺が尋ねると、サザリーが首を横に振った。


「いや、まだ正式な連絡はないよ。昨日の説明を聞いて、希望した役割に決まらなかった場合も考えておこうって話していたところなんだ」


 彼は資料の一部分を指で示した。


「管理者や使用人、商人、来訪者といった役割は書かれているけれど、実際にどんな課題が用意されるのかまでは分からないからね。今のうちに細かい行動を決めるより、それぞれの立場で何を考える必要があるのか整理しておく方がよさそうだと思って」


「なるほど。俺も、昨日リビアとそんな話をしたよ」


 俺が答えると、ガレスは大きく頷いた。


「そうなんだよ! 俺も商人の役をやってみたいけど、もし来訪者になったらどうするか考えてたんだ。そしたら、商人の立場だけじゃ分からないこともありそうだって気づいてさ!」


 ガレスは少し身を乗り出し、机の上の紙をこちらへ向けた。


 そこには、商人として品物を運ぶ場合と、来訪者として会場へ入る場合に気になりそうなことが、それぞれ書き分けられていた。文字は勢いよく並んでいるものの、昨日の説明を自分なりに理解しようとしていることが伝わってくる。


「商人なら、荷物をどこへ置くかとか、誰に声をかけるかが気になるだろ? でも、来訪者なら案内が分かりやすいかとか、通路を歩きやすいかが大事になるんじゃないかと思ったんだ」


「それは面白い考え方だね。立場が変わると、同じ場所でも気になることが違うのかもしれない」


 俺がそう言うと、ガレスは満足そうに笑った。


「だろ? だから、どの役になっても損はしない気がしてきたんだよな!」


 その様子を見ていたエミリアが、穏やかな声で話に加わった。


「私は、困っている人に声をかける場面があるなら、どうしたら相手が話しやすくなるのか考えてみたいです。案内する側が急いでしまうと、聞きたいことを言えない人もいるかもしれませんから」


 彼女の言葉を聞き、俺は以前、図書館への道を尋ねてきた下級生のことを思い出した。


 目的地だけを教えるのではなく、どこから来たのか確認したことで、帰るときの道筋まで考えられた。あのときは必要だと思って尋ねただけだったけれど、エミリアの話を聞くと、相手が何を不安に思っているのか確かめることも大切なのだと分かる。


「そうだね。相手が何に困っているのか、こちらが決めつけない方がいいのかもしれない」


 俺がそう答えると、エミリアは嬉しそうに微笑んだ。


「はい。セス様は、そういう確認を自然にしていらっしゃる印象があります。以前、下級生を案内したときも、相手が戻る道まで考えていらっしゃいましたから」


「……あれは、リビアも一緒に考えてくれたからだよ。俺一人だったら、あそこまで分かりやすく説明できたかどうか」


 俺が隣を見ると、リビアは少し驚いたように瞬きをした。


 それから、嬉しそうに目を細めた。


「セスったら。私は、あなたが最初に何を確認するべきか考えてくれたから、説明しやすかったのよ。お互いに気づいたことを出し合えたから、あの方も安心してくださったのだと思うわ」


 その言葉に、サザリーが納得したように頷いた。


「なるほどね。誰が最初に気づいたかより、必要な情報を持ち寄ることが大切だったわけだ」


 俺はそのまとめ方がしっくりきて、思わず頷いた。


 すると、ガレスが少し楽しそうな顔で俺を見た。


「それにしても、セス。最近、誰かに褒められたとき、前より素直に受け取るようになったよな。前だったら、もっと慌てて否定してた気がするぞ」


「えっ、そうかな?」


「そうだって! 今だって、エミリアに褒められてすぐ否定するんじゃなくて、オリビア様も一緒だったって話しただろ? 俺、そういうところはいい変化だと思うんだよ」


 ガレスは何でもないことのように言ったが、俺は返事に少し困ってしまった。


 褒められたことを否定しなかったつもりはない。ただ、あの案内は本当にリビアと一緒に考えたことだったから、そう伝えただけだ。


 けれど、ガレスにはそれが以前とは違って見えたらしい。


「……ありがとう。そう言ってもらえると嬉しいよ」


 俺がそう答えると、ガレスは満足そうに笑い、サザリーは何かを確かめるように俺とリビアを見比べた。


 その隣で、リビアが口元へ手を添えていた。


 笑いをこらえているようにも見えたので、俺は少しだけ首を傾げる。


「リビア、どうかした?」


「いいえ。何でもないわ。ただ、ガレス様のおっしゃることが、私にもよく分かると思っただけよ」


 彼女はそう答えたあと、俺にだけ聞こえるくらいの声で続けた。


「……やっぱり、あなたが誰かに頼ったり、褒め言葉を受け取ったりする姿を見るのは嬉しいわね」


 俺は思わず視線を逸らしてしまった。


 昨日、互いのよいところを見つけたいと話したばかりなのに、リビアはもう新しい発見をしたらしい。


(……リビアって、本当に俺のことをよく見てるんだな。俺自身はそんなに変わったつもりがないのに、周りから見ると違うのかな)


 そのとき、始業を知らせる鐘が鳴り、教室の中にいた生徒たちがそれぞれの席へ戻り始めた。


 俺も鞄から授業の道具を取り出し、リビアと軽く目を合わせてから席へ着いた。


     ◇


 午前の授業では、限られた情報をもとに判断するときの注意点について学ぶことになった。


 教師が黒板へ書いたのは、ある施設で来訪者を迎える準備をしていたところ、予定していた道具の一部が見つからなくなったという架空の状況だった。


 道具は別の場所へ移された可能性があるものの、誰が移したのかは分からない。準備を担当する者は、来訪者が到着するまでに必要な対応を考えなければならない。


「この状況で、皆さんなら最初に何を確認しますか」


 教師の問いかけに、教室のあちこちで生徒たちが考え始めた。


 俺は課題の紙を見ながら、今朝の屋敷での出来事と少し似ていることに気づいた。


 ただし、今回の課題では道具を移した理由も、現在の保管場所も分かっていない。自分の経験をそのまま当てはめればいいわけではなさそうだった。


 教師は生徒たちを数人ずつの班に分け、最初に確認するべきことを話し合うよう指示した。


 俺の班にはサザリーとエミリア、それから普段は別の席で授業を受けている生徒が二人入った。リビアはガレスやレオルと同じ班になり、少し離れた机で話し合いを始めている。


 俺たちの班では、最初にサザリーが課題の条件を読み上げた。


「道具がなくなったといっても、盗まれたとは書かれていないね。誰かが別の場所へ移した可能性があるだけで、まだ原因は分からない」


「それなら、まずは最後に道具を使った人へ確認した方がよいのでしょうか」


 エミリアがそう提案すると、隣の生徒も頷いた。


「でも、その人が今すぐ見つからなかったらどうする? 来訪者が来るまでの時間も限られているんだよね」


 その問いに、班の全員が少し考え込んだ。


 俺は課題の紙をもう一度読み、必要な道具が何なのか、代わりになるものがあるのかという情報が書かれていないことに気づいた。


「……まず、その道具が本当に必要なのか確認したいかな。準備のどの部分に使うのか分かれば、探すことを優先するべきか、別の方法を考えられるか判断しやすいと思う」


 俺がそう言うと、サザリーは手元の紙へ短く書き込んだ。


「なるほど。道具の場所を探すことだけが目的ではないんだね。必要なのは、来訪者を迎える準備を整えることだから」


「うん。ただ、代わりの道具を勝手に使っていいとは限らないし、責任者への確認も必要になると思う」


 俺が続けると、エミリアが少し安心したように微笑んだ。


「それなら、探す人と、準備の状況を確認する人を分けることもできそうですね。全員が同じ道具を探しに行ってしまったら、ほかの準備が止まってしまいますから」


 彼女の意見に、班の中から賛成の声が上がった。


 俺たちは話し合いながら、分かっている情報と分かっていない情報を紙の左右に分けて書き始めた。


 道具が予定の場所にないことは分かっている。しかし、移されたのか、使用中なのか、そもそも準備のどの段階で必要なのかは分からない。


 原因が判明していない以上、誰かの失敗だと決めつけることもできない。


「……こうして整理すると、最初に確認することが結構あるんだね」


 俺が呟くと、サザリーは小さく頷いた。


「そうだね。でも、全部の情報がそろうまで何もしないわけにもいかない。今できる準備を進めながら、必要な確認を並行して行うのがよさそうだ」


 その考え方は、俺にとっても納得できるものだった。


 屋敷の仕事でも、すべての問題が解決してから次の作業へ進むわけではない。安全や責任に関わる部分は確認しながら、それ以外の準備は予定どおり進めることがある。


(……俺は、何か問題があると、まずそれを解決しなきゃって考えがちだった。でも、問題の内容によっては、ほかの仕事を止めずに進める方がいい場合もあるんだな)


 班の話し合いがまとまったところで、教師が各班の意見を聞いて回った。


 俺たちは、道具の必要性、最後の使用状況、責任者への連絡、並行して進められる作業について説明した。


 教師は最後まで聞いたあと、黒板へいくつかの項目を書き加えた。


「よいですね。皆さんが挙げたように、分からないことを確認するのは大切です。ただし、確認する順番や相手を考えなければ、かえって仕事を遅らせることもあります。必要な情報を、必要な人から得るという意識を持ってください」


 その言葉を聞き、俺は朝の父さんとの会話を思い出した。


 仕事を任せることと、責任を曖昧にすることは違う。


 必要な確認をすることと、何でも自分で調べようとすることも、きっと違うのだろう。


 授業が終わる頃には、俺のノートにはいつもより多くの書き込みが残っていた。


     ◇


 昼休み、俺たちは食堂で昼食を済ませたあと、中庭へ向かった。


 空には薄い雲が広がっていたが、日差しは十分に暖かく、石畳の上には木々の影がゆっくりと揺れている。中庭の端では数人の生徒が午後の授業について話しており、少し離れた場所では下級生たちが教師に呼ばれて移動していた。


 俺とリビアは、通路から少し離れたベンチへ腰を下ろした。


 今日はガレスたちも一緒に来る予定だったが、サザリーが午前の授業で使った資料について教師へ確認したいことがあるらしく、少し遅れるという。


 リビアは膝の上へノートを置き、俺の顔を見つめた。


「午前の授業、どうだった? セスの班は、ずいぶん熱心に話し合っていたみたいね」


「うん。道具が見つからないときに、何を確認するべきか考えてたんだ。今朝、屋敷でも保管場所の確認をしたばかりだったから、ちょっと身近に感じたよ」


 俺が説明すると、リビアは興味深そうに身を乗り出した。


「そうだったのね。私たちの班では、道具が見つからないことを誰へ伝えるべきかという話になったわ。ガレス様は、まず近くの人に聞いて回る方が早いのではないかとおっしゃっていたのだけれど、レオル様は、関係のない方まで巻き込むと混乱する可能性があると考えていらしたの」


「なるほど。確かに、聞く相手を間違えると、余計な時間がかかるかもしれないね」


「ええ。でも、ガレス様の考えにも理由があったのよ。近くで作業している方なら、道具が移されたことを見ているかもしれないでしょう? だから、最終的には、誰がその道具に関わっていたのかを先に考えることになったの」


 リビアはそう言って、ノートの端に書いた小さな図を見せてくれた。


 そこには、道具を使う担当者、保管を管理する担当者、全体の準備を確認する責任者が、それぞれ別の役割として整理されていた。


「……分かりやすいね。リビアたちの班は、連絡する相手を中心に考えたんだ」


「そうね。セスたちの班とは少し違うかもしれないけれど、どちらも必要なことだと思うわ」


 俺は彼女のノートを見ながら頷いた。


 同じ課題でも、班によって最初に気づくことが違う。


 俺たちの班は、道具が必要になる場面や、準備を止めない方法を考えた。一方、リビアたちは、誰がどの情報を持っているのかに注目したらしい。


 両方を合わせれば、もっとよい判断ができるかもしれない。


「……やっぱり、リビアと話すと勉強になるよ。俺たちの班では、誰へ連絡するかについては考えたけど、そこまで細かく役割を整理してなかったから」


 俺がそう言うと、リビアは嬉しそうに微笑んだ。


「それなら、私もセスの班で出た意見を聞きたいわ。自分たちだけで考えていると、どうしても見落とすことがあるもの」


 俺たちは互いのノートを見比べながら、午前の授業で考えたことを整理していった。


 リビアは俺の説明を途中で遮ることなく聞き、ときどき質問を挟みながら、自分の考えとの違いを確かめている。


 俺も彼女の意見を聞くうちに、朝の仕事で自分が何を確認し、何を担当者へ任せたのか、以前よりはっきり説明できるようになっていた。


 しばらくして、リビアがノートから顔を上げた。


「……ねえ、セス。私、今のあなたを見ていて、少し思ったことがあるの」


「何?」


 彼女はすぐには答えず、俺の手元にあるノートへ一度視線を落とした。


 それから、少し照れたように微笑んだ。


「あなた、以前よりも『分からない』と言えるようになった気がするわ」


 俺は思わず瞬きをした。


「……分からないって?」


「ええ。昔のあなたは、何か分からないことがあっても、まず自分で調べようとしていたでしょう? もちろん、それが悪いわけではないのだけれど、今は友人たちへ相談したり、私に意見を聞いたりすることが増えたと思うの」


 リビアはそこで少しだけ声を落とした。


「私は、それが嬉しいのよ。セスが私を頼ってくれると、あなたの隣にいられるのだと実感できるから」


 その言葉に、俺は胸の奥が少し熱くなるのを感じた。


 俺にとって、リビアを頼ることは、以前なら少し勇気のいることだった。


 彼女は公爵令嬢で、俺は平民の出身だ。今はシルフィール伯爵家の養子になり、正式な婚約者として認められているけれど、それでも長年身についた考え方が簡単に消えるわけではない。


 リビアを守りたいという気持ちは、今でも変わらない。


 ただ、守ることばかり考えて、彼女が俺を助けたいと思ってくれていることを忘れてはいけないのだろう。


「……俺も、リビアに頼れるようになってよかったと思うよ」


 俺がそう答えると、彼女は驚いたように目を見開いた。


「本当?」


「うん。リビアは俺が気づかないことに気づいてくれるし、違う考え方を教えてくれるだろ? それに、俺が何かを相談すると、いつも真剣に考えてくれるから」


 俺は少し照れくさくなりながらも、言葉を続けた。


「だから、これからも相談したいと思ってる。もちろん、リビアが困ったときは、俺にも頼ってほしいけどね」


 リビアはしばらく俺を見つめていた。


 それから、ゆっくりと頬を赤く染め、膝の上で重ねていた手を少しだけ握りしめた。


「……セス。あなた、最近、本当にそういうことを自然に言うようになったわね」


「えっ? 何か変なこと言った?」


「いいえ。とても嬉しいことを言ってくれたの。ただ……私にも、少し心の準備が必要なのよ」


 彼女はそう言って、困ったように笑った。


 俺はどう返事をすればいいのか分からず、しばらく彼女の顔を見つめてしまった。


 すると、リビアは俺の視線に気づき、さらに頬を赤くした。


「……そんなに見つめないで、セス。今は少し恥ずかしいの」


「ご、ごめん」


 俺が慌てて視線を逸らすと、彼女は小さく笑った。


 その笑い声を聞いて、俺もつられるように笑ってしまった。


 ちょうどそのとき、通路の向こうからガレスたちの声が聞こえてきた。


「おーい、セス! 待たせたな!」


 振り返ると、ガレスとサザリー、エミリア、レオルがこちらへ歩いてきていた。


 リビアはすぐに姿勢を整えたものの、頬にはまだ少し赤みが残っている。


 ガレスは俺たちの様子を見て、一瞬だけ足を緩めた。


「……あれ? もしかして、俺たち、何か邪魔した?」


「えっ? いや、そんなことないよ」


 俺が答えると、ガレスは少しだけ疑わしそうな顔をした。


 その隣で、サザリーが小さく息をついた。


「ガレス、余計なことを聞かない方がいいと思うよ。二人が話していたところへ来たのは確かだけど、僕たちもここで昼休みを過ごす予定だっただろう?」


「いや、分かってるって! ただ、何か楽しそうだったからさ!」


 ガレスはそう言って笑い、俺たちの向かい側にあるベンチへ腰を下ろした。


 エミリアはリビアの表情を見て、何かを察したように柔らかく微笑んでいる。


 俺は少しだけ照れくさくなりながらも、話題を午前の授業へ戻した。


     ◇


 午後の授業が終わる頃には、空に広がっていた雲が少しずつ薄くなっていた。


 窓から差し込む夕方の光が教室の机を斜めに照らし、生徒たちはそれぞれ帰宅の準備を始めている。


 俺もノートを鞄へしまっていると、レオルが近づいてきた。


「セス、少し聞いてもいいかな。以前、図書館へ向かう下級生を案内したことがあったよね」


「うん。どうしたの?」


 レオルは手元に持っていた学院の案内図を広げた。


 そこには、図書館へ続く廊下と階段の位置が記されている。


「この前、北側の階段を通ってみたんだけど、初めて来る人には少し分かりにくい場所があるかもしれないと思ったんだ。ただ、実際に困っている人がどれくらいいるのかまでは分からないし、僕だけの判断で問題だと決めるつもりはないんだけどね」


 俺は案内図へ目を向けた。


 以前、図書館の古い案内表示について確認したことがあるが、その件はまだ担当者が調べている途中だった。


 レオルが気にしている場所も、その案内表示と関係があるのかどうかは分からない。


「なるほど。俺たちが案内した下級生は、別の場所から来ていたから、その階段については詳しく聞いていないんだ」


「そうだったんだね。それなら、無理に結びつけて考えない方がよさそうだ」


 レオルは頷き、案内図を指で押さえた。


「僕としては、通路の構造が分かりにくいのか、案内表示が不足しているのか、それとも単に初めて通る人が迷いやすいだけなのか、まだ判断できないと思っているんだ。だから、必要なら担当の先生へ相談してみようと思う」


「うん。それがいいと思うよ。俺も、以前案内したときのことなら説明できるけど、それ以上のことは分からないから」


 俺がそう答えると、レオルは安心したように微笑んだ。


「ありがとう。実際に案内した経験がある人の話も、必要になったら聞かせてもらえると助かるよ」


「もちろん。そのときは声をかけて」


 俺たちが話していると、リビアも隣へやってきた。


 レオルは彼女にも簡単に事情を説明し、まだ確認していないことが多いため、現時点では何かを変更するつもりはないと伝えた。


 リビアは真剣な表情で話を聞いたあと、静かに頷いた。


「そうね。実際に困っている方がいるのか、どのような案内が必要なのかを確かめてから考える方がよいと思うわ。私たちも、以前案内したときのことならお話しできるから、必要になったら声をかけてちょうだい」


「ありがとうございます、オリビア様」


 レオルは丁寧に礼を述べ、案内図をしまった。


 そのあと、俺たちは教室を出て、帰宅する生徒たちの流れに沿って廊下を歩いた。


 階段の近くでは、下級生たちが教師へ挨拶している。窓の外には夕方の校庭が見え、遠くでは部活動の準備をしている生徒たちの声が響いていた。


 俺は歩きながら、レオルとの会話を思い返していた。


 分からないことを分からないままにしておくのは、何となく落ち着かない。


 けれど、分からないからといって、すぐに答えを決めつける必要はないのだろう。


 必要な人へ相談し、確かめられることから確かめていく。


 今日の授業で学んだことと、どこか似ている気がした。


     ◇


 帰りの馬車へ乗り込むと、リビアは窓の外へ一度視線を向けてから、俺の方へ体を向けた。


「セス、今日はずいぶんいろいろな方とお話ししていたわね」


「そうだね。朝はガレスたちと公開講習の話をしたし、授業でも班のみんなと考えたし、帰りにはレオルから相談もあったから」


 俺が指折り数えながら答えると、リビアは楽しそうに笑った。


「ふふっ。そういうところを見ていると、あなたが学院で過ごす時間を楽しんでいるのが分かるわ」


「うん。前よりも、みんなと話すのが楽しくなったと思うよ」


 俺はそう答え、窓の外へ目を向けた。


 馬車は学院を離れ、夕方の通りをゆっくり進んでいる。


 道沿いの店では片づけを始めている人もいれば、まだ客を迎えているところもある。荷車を押す人たちが通りの端を歩き、少し離れた場所では子どもたちが家族に手を引かれていた。


 その景色を眺めながら、俺はふと、学院へ通い始めた頃のことを思い出した。


 最初は、リビアの婚約者として恥ずかしくないようにしなければという気持ちが強かった。


 貴族の子どもたちが多く通う場所で、元スラム出身の自分がどのように見られるのか、不安がなかったわけではない。


 けれど、今は少し違う。


 ガレスたちと話し、授業で意見を出し合い、分からないことを教え合う時間が、俺にとって大切なものになっていた。


「……リビア」


「何かしら?」


「俺、学院へ通えてよかったと思ってるよ」


 俺がそう言うと、リビアは少し驚いたように目を見開いた。


 それから、ゆっくりと表情を柔らかくした。


「……そう言ってもらえると、私も嬉しいわ」


 彼女は膝の上で両手を重ね、少しだけ視線を落とした。


「最初は、あなたが学院で嫌な思いをしないか心配だったの。もちろん、セスなら勉強でも魔術でも困らないと思っていたけれど、それだけで楽しく過ごせるとは限らないでしょう?」


 俺は静かに頷いた。


 実際、学院へ通い始めてから、身分の違いや俺たちの婚約について、いろいろなことを言われたこともあった。


 すべてが気持ちのよい出来事だったわけではない。


 それでも、今は友人たちがいる。


「……うん。でも、リビアが一緒にいてくれたし、ガレスたちとも仲良くなれたから。今は学院へ行くのが楽しみなんだ」


 俺がそう答えると、リビアは少しだけ頬を赤くした。


「……私もよ。セスと一緒に学院へ通えることが、毎日とても楽しみなの」


 彼女はそう言って微笑んだあと、少しだけ声を落とした。


「それに、あなたがほかの方々と仲良くなっていくのを見るのも、嬉しいと思っているわ」


 俺はその言葉に少し驚いた。


 リビアは昔から、俺がほかの誰かと親しくしていると、時々少しだけ寂しそうな顔をすることがあった。


 もちろん、それを理由に友人との付き合いを妨げようとしたことはない。


 けれど、今の彼女は、俺が友人たちと過ごす時間そのものを喜んでくれているようだった。


「……リビア、ありがとう」


「どうしてお礼を言うの?」


「俺が学院で楽しく過ごせることを、そんなふうに喜んでくれるから」


 俺がそう答えると、リビアは少しだけ目を細めた。


「当然でしょう? 私は、あなたに幸せでいてほしいもの」


 その言葉は、とても自然に口にされた。


 けれど、俺には胸の奥へゆっくり染み込んでくるように感じられた。


 俺がリビアの幸せを願っているのと同じように、彼女も俺の幸せを願ってくれている。


 そのことを、今は以前より素直に受け止められる気がした。


「……俺も、リビアに幸せでいてほしいよ」


 俺が答えると、彼女は少しだけ息を止めた。


 それから、ゆっくりと微笑んだ。


「……ありがとう、セス」


 馬車の中には、しばらく穏やかな沈黙が流れた。


 窓の外では夕方の街並みが後ろへ流れ、車輪が石畳を進む音が規則正しく響いている。


 リビアは俺の手元へ視線を向けたあと、そっと手を伸ばしてきた。


 俺も自然にその手を握り返した。


 彼女の指先は少し冷えていたけれど、手を重ねているうちに、ゆっくりと温かくなっていく。


「……ねえ、セス」


「うん?」


「これからも、困ったときは私を頼ってね」


 リビアは俺の手を握ったまま、真剣な表情でそう言った。


「あなたが何でもできることは知っているわ。でも、何でも一人でしなければならないわけではないでしょう? 私は、あなたの隣で一緒に考えたいの」


 俺は彼女の目を見つめ、静かに頷いた。


「うん。約束するよ。リビアも、何かあったら俺に相談してね」


「ええ。もちろんよ」


 彼女は安心したように微笑み、俺の手を握る力を少しだけ強めた。


 俺たちはそのまま、屋敷へ到着するまで穏やかな時間を過ごした。


     ◇


 パウリー公爵邸へ戻ると、夕方の庭園には柔らかな光が差し込んでいた。


 俺はリビアと別れて着替えを済ませ、夕食の準備状況を確認するために食堂へ向かった。


 朝に確認した予備の配膳用具については、担当者から新しい連絡が届いていた。


 責任者による確認は進んでいるものの、今後の保管場所についてはまだ最終的な決定が出ていないらしい。


 ただし、今日の夕食準備に必要な道具はそろっており、作業に支障はないという。


 俺はその説明を聞き、確認表へ記録を残した。


「ありがとうございます。今日の準備に問題がないなら、予定どおり進めてください。保管場所については、責任者からの連絡を待ちましょう」


 担当者は頷き、ほかの使用人たちと準備を続けた。


 俺はその様子を見ながら、今朝の父さんの言葉を思い返した。


 助けることと、相手の仕事を奪うことは違う。


 今の俺は、少しずつその意味を理解できるようになってきた気がする。


 しばらくして、父さんが食堂へ入ってきた。


「セス、今日の学院はいかがでしたか」


「今日は、分からない情報があるときに、何を確認するべきか考える授業だったんだ。屋敷での仕事と似ているところもあって、勉強になったよ」


 俺が説明すると、父さんは興味深そうに頷いた。


「それはよいですね。実際の仕事でも、すべての情報が最初からそろっているとは限りません。分からないことを無理に決めつけず、必要な確認を行うことは大切です」


「うん。今日も、保管場所についてはまだ決まっていないって聞いたから、そのまま記録しておいたよ」


「結構です。決まっていないことを、決まったものとして扱わない。その基本を忘れないでください」


 父さんはそう言って微笑んだ。


 俺はその言葉を聞き、静かに頷いた。


 公開講習の役割も、まだ決まっていない。


 屋敷の搬入路についても、以前の配送で分からないままになっていることについても、すぐに答えが出るわけではない。


 けれど、分からないことがあるからといって、焦って結論を出す必要はないのだろう。


 今できることを確認し、必要な人へ相談しながら、一つずつ進めていけばいい。


 俺はそんなことを考えながら、夕方の仕事を続けた。


     ◇


 夜、仕事を終えて自室へ戻ると、窓の外には静かな庭園が広がっていた。


 月明かりが木々の葉を淡く照らし、遠くからは風が枝を揺らす音が聞こえてくる。


 俺は机へ向かい、今日の授業で書いたノートを開いた。


 そこには、分からない情報を確認するときの考え方や、仕事を分担するときに注意するべきことが整理されている。


 俺はそれを読み返しながら、今日一日の出来事を思い返していた。


 朝は、屋敷の仕事を担当者へ任せることができた。


 学院では、友人たちと一緒に考え、分からないことを相談した。


 そして、リビアからは、これからも自分を頼ってほしいと言ってもらえた。


(……俺は、今まで誰かを助けることばかり考えていたのかもしれない。でも、助けてもらうことも、同じくらい大切なんだな)


 そう考えていると、扉の外から控えめなノックが聞こえた。


「セス、少しだけお時間をいただいてもよろしいかしら」


 リビアの声だった。


 俺は立ち上がり、扉を開けた。


「もちろん。どうしたの?」


 リビアは少し照れたように微笑んだ。


「今日、馬車の中でお話ししたことを、もう少しだけ伝えたくて」


 俺は彼女を部屋へ招き、椅子を勧めた。


 リビアは腰を下ろすと、少しだけ落ち着かない様子で膝の上に手を重ねた。


「……セス。今日、あなたが私を頼ってくれると言ってくれたでしょう?」


「うん。約束したね」


 俺が答えると、彼女は嬉しそうに微笑んだ。


「私、あの言葉が本当に嬉しかったの。だから、もう一度きちんとお礼を言いたくて」


「……リビア」


 俺は少し驚きながら、彼女の顔を見つめた。


 リビアは真剣な表情で言葉を続けた。


「あなたは、いつも私のことを大切にしてくれるでしょう? それが嬉しいのはもちろんだけれど、私もあなたの役に立ちたいの。だから、セスが私を頼ってくれることが、私にとってはとても大切なのよ」


 俺は彼女の言葉を聞き、胸の奥が温かくなるのを感じた。


 リビアは、俺が思っている以上に、俺との関係を大切にしてくれている。


 それは昔から変わらないけれど、最近はその気持ちを以前よりもはっきりと言葉にしてくれるようになった。


「……ありがとう、リビア。俺も、リビアが俺を頼ってくれると嬉しいよ」


 俺がそう答えると、彼女は安心したように微笑んだ。


「ふふっ。それなら、これからもお互いに頼り合いましょうね」


「うん。そうしよう」


 俺たちは自然に手を重ねた。


 リビアは俺の手を握りながら、少しだけ身を寄せた。


「……でも、セス」


「何?」


「私、あなたがほかの方々を頼るところを見るのも嬉しいけれど……やっぱり、私のこともたくさん頼ってほしいの」


 その言葉に、俺は思わず笑ってしまった。


「もちろん。リビアには、これからもたくさん相談すると思うよ」


 俺がそう答えると、彼女は満足そうに微笑んだ。


「……それなら、よかったわ」


 しばらくの間、俺たちは静かに手をつないでいた。


 窓の外では夜の風が木々を揺らし、部屋の中には穏やかな時間が流れている。


 やがて、リビアは名残惜しそうに手を離し、自室へ戻るために立ち上がった。


 俺は扉まで見送り、彼女が廊下の向こうへ歩いていく姿を見届けた。


 部屋へ戻ると、机の上には今日の授業のノートが開かれたままになっていた。


 俺はそこへ視線を向け、ゆっくりと微笑んだ。


(……明日も、分からないことがあったら誰かに相談してみよう。きっと、一人では気づけないことが見つかるはずだ)


 俺はノートを閉じ、明日の準備を整えた。


 公開講習の役割は、まだ決まっていない。


 けれど、どのような役割になったとしても、今の俺なら以前とは違う考え方で学べる気がする。


 そのことを少し楽しみに思いながら、俺は部屋の灯りを落とした。

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