第13話 謝罪状を受け取るだけのはずが、どうして俺がシュザー家へ呼ばれているんですか
結局、俺は最後の自由選択授業で魔法理論を選んだ。
社交舞踏を避けるため、という理由が全くなかったとは言わない。ただ、午前中の実習で自分と他の生徒では魔力の扱い方にかなり違いがあると知ったばかりだったし、学園で教える理論そのものには興味があった。
何より、放課後にはシュザー家から届いた封書の件で学園長室へ行くことになっている。
だからこそ、その前の一時間くらいは余計なことを考えず、普通に授業を受けたかった。
「結局来たのね」
魔法理論の教室へ入ると、先に席を取っていたリビアが楽しそうに笑った。
「勉強したくなっただけだ」
「社交舞踏が嫌だったわけではなく?」
「……勉強したくなったんだ」
「分かったわ。そういうことにしておいてあげる」
完全には信じられていない。
それでも深追いされなかったので、俺はリビアの隣へ腰を下ろした。
自由選択授業は通常授業より人数が少ないらしく、教室には二十人ほどしかいない。窓際の席には上級生らしい生徒も混じっており、同じ学年だけで固まっていた午前中とは少し違う空気があった。
前方の黒板には、すでに大きな円と、その周囲を取り囲むように五つの小さな円が描かれている。
火。
水。
風。
土。
雷。
その文字を見た瞬間、俺は思わず眉を寄せた。
「嫌そうな顔をしないの」
「別に嫌じゃない」
「五属性全部書いてあるのを見て警戒したでしょう?」
「……少しだけ」
午前中の実習で五属性を順番に使った結果、後日別測定を受けることになったばかりだ。
今度は理論でも何か言われるのではないかという不安くらい、持ってもいいと思う。
授業を担当する教師が入ってきた。
午前中のエレナ先生とは違い、細身で背の高い男性だった。四十歳前後に見え、長めの茶髪を後ろで束ねている。教卓へ数冊の本を置くと、集まった生徒たちを一度見渡した。
「初めて見る顔もいるね。自由選択だから当然だが」
教師の視線が俺のところで止まる。
嫌な予感がした。
「噂の編入生もいる」
教室の何人かがこちらを見る。
俺は小さく息を吐いた。
「先生」
「何かな?」
「授業には普通に参加してもいいんですよね?」
「もちろん。むしろ今日は君にちょうどいい内容だ」
「その言い方が怖いんですけど」
教室に小さな笑いが広がった。
リビアまで笑っている。
「安心しなさい。魔法を撃たせたりはしない。私は理論担当のベルナルトだ。ここでは頭を使ってもらう」
「それなら大丈夫です」
「君の場合、その返事も少し不安なんだがね」
どうしてだ。
俺は本当に普通に授業を受けたいだけなのに。
ベルナルト先生は黒板へ向き直ると、五つの属性名を順番に指した。
「今日のテーマは、属性適性と魔力変換だ」
教室の空気が落ち着く。
「魔力そのものは、属性を持たない状態で体内を循環している。魔術を使う時、それを火や水など特定の性質へ変換し、術式へ流す。ここまでは基礎で習っているはずだ」
全員が頷く。
俺も同じだ。
「では、適性とは何か」
先生が問いかける。
一人の上級生が手を上げた。
「属性へ変換する際の相性、でしょうか」
「そうだ。より正確には、無属性状態の魔力を特定属性へ変換するときの効率と安定性に関わる。適性が高いほど必要な魔力損失が少なく、術式も安定しやすい」
黒板へ線が追加される。
無属性の魔力から、各属性へ伸びる矢印。
「通常、一人の人間が高い適性を示す属性は一つか二つ。三属性で実用域なら優秀。四属性ともなれば極めて珍しい」
何人かがこちらを見た。
俺は前を見る。
見えていないふりをする。
「そして五属性」
先生が言った。
視線が増えた。
俺は諦めて手を上げる。
「先生」
「どうした?」
「俺を見ながら言わないでもらえます?」
「君以外に五属性持ちがいたら、そちらも見るよ」
教室が笑う。
「やっぱり俺じゃないですか」
「授業上、非常に分かりやすい実例なのでね」
横でリビアが肩を震わせている。
「笑うなよ」
「だって」
「リビアも無属性で珍しいだろ」
「私の方はまだ説明しやすいもの」
「ずるい」
「属性の数は私が決めたんじゃないわ」
それはそうだ。
先生は俺たちのやり取りを少し眺めた後、黒板へもう一つ円を書き加えた。
「五属性適性そのものが珍しいのは間違いない。しかし今日の話で重要なのは、数ではない」
その言葉で、俺も少し姿勢を正した。
「問題は、変換だ」
黒板の中央にある無属性の円から、火へ線が引かれる。
次に水。
「火魔術を使った直後に水魔術へ切り替える場合、一般的にはどうする?」
今度は俺が手を上げた。
「火属性への変換を止めて、一度無属性に戻してから水へ変換する」
「そう。多くの場合はそれが最も安全だ」
先生は頷いた。
「完全に流れを止める必要まではないが、属性変換の境界を一度整える。火の性質が残った状態で無理に水へ切り替えると、魔力流が不安定になるからだ」
そこまで聞いて、午前中にエレナ先生が言っていたことを思い出した。
俺は魔力を止めずに属性だけ切り替えていた。
「クルセス君」
「はい」
「午前中の実習で、君は火から水、水から風、風から土、土から雷へ、魔力流を維持したまま切り替えたそうだね」
「はい」
やっぱり情報が回っている。
「どうやった?」
「どうって……」
考える。
説明しようとして、少し困った。
「変換する場所を変えただけです」
教室が静かになった。
先生も黙った。
「……もう少し詳しく」
「体内の魔力を全部火にするわけじゃないですよね?」
「ああ」
「術式へ流す直前の部分だけ火にして、次に水を使うならそこを水へ変える。流してる魔力自体は止めてません」
「それは理解している」
「なら、それだけです」
ベルナルト先生が額へ手を当てた。
見覚えのある反応だ。
エレナ先生も似たような顔をしていた気がする。
「セス」
リビアが小声で呼ぶ。
「何?」
「たぶん、また普通じゃないって言われるわよ」
「まだ何もしてないぞ」
「説明だけで十分みたい」
納得できない。
先生は黒板へ複数の細い線を書き加えた。
「君は、変換点を固定しているのか?」
「固定?」
「体内を流れる魔力そのものを属性化するのではなく、術式へ入る直前にだけ変換する。その境界を常に同じ場所へ置いているのかと聞いている」
「たぶん、そうです」
「たぶん?」
「意識してなかったので」
また教室がざわつく。
「誰に習った?」
「グレイヴです」
「シルフィール伯爵か」
「はい」
先生は少し考える。
「彼は魔術師だったか?」
「執事です」
「それは知っている」
「剣も魔術も使いますけど」
「……君の家はどうなっているんだ?」
俺に聞かれても困る。
「普通の伯爵家です」
「今のところ、君の『普通』を信じる材料が一つもない」
教室がまた笑った。
俺も仕方なく笑う。
ただ、授業としては面白かった。
ベルナルト先生は俺だけを話題にし続けることはせず、そこから魔力変換の理論へ戻った。
単一属性に特化した者は、変換効率を極限まで上げやすい。
複数属性を持つ者は状況への対応力が高い反面、どの属性も中途半端になる場合がある。
適性の数が多ければ単純に強いわけではない。
術式の理解、魔力量、変換効率、制御精度、判断速度。
それらが組み合わさって、初めて実戦や実務で使える魔術になる。
「では、無属性は?」
先生が問いかける。
リビアが手を上げた。
「他属性へ変換しないまま、魔力そのものの性質や形を利用します」
「その通り」
先生は今度はリビアを見る。
「パウリーさんは結界を得意としているそうだね」
「はい」
「無属性結界の利点は?」
「属性相性の影響を受けにくいことです。ただし、術者自身の制御力がそのまま強度や形状維持へ出やすいので、雑に作ると簡単に崩れます」
「良い答えだ」
俺は何となく嬉しくなった。
リビアの魔術が評価されると、自分のことより気分がいい。
「何?」
視線に気づいたのか、リビアがこちらを見る。
「いや。さすがだなと思って」
「授業中に急に褒めないで」
「何で?」
「集中出来なくなるから」
頬が少し赤くなっている。
「事実を言っただけだぞ」
「それが困るの」
最近、この会話も増えた気がする。
でも、前ほど不思議には感じなくなっていた。
リビアは褒められると照れる。
特に俺が言うと、少し反応が大きい。
そこまでは分かってきた。
「クルセス君」
「はい」
「授業中に婚約者を観察するのも結構だが、こちらも聞いてくれ」
教室から笑い声が上がった。
「すみません」
「セス……」
リビアが耳まで赤くなる。
俺は前へ向き直った。
別に観察していたわけではない。
ただ見ていただけだ。
その違いを説明しても余計に面倒になりそうなので黙っておく。
授業の後半では、簡単な理論問題が出された。
複数属性を持つ魔術師が、限られた魔力でどの順番に術を使うべきか。
敵の属性。
地形。
味方の配置。
術式準備に必要な時間。
魔力量だけでなく、切り替えの負担まで考慮する必要がある。
俺は紙へ条件を書き出した。
「セス、楽しそうね」
「こういうの面白い」
「さっきの領地経営といい、考える問題が好きなのね」
「答えが一つじゃないからかな」
「意外」
「何が?」
「セスって、もっと正解がはっきりしてる方が好きなのかと思ってた」
俺もそう思っていた。
剣なら当てればいい。
魔術なら術式を成立させればいい。
仕事なら頼まれたことを正確に終わらせる。
そういう分かりやすいものの方が、自分には向いていると思っていた。
「でも、状況によって変わる方が実際に近いだろ」
「実際?」
「戦う時も、毎回同じじゃないし。屋敷の仕事も、その日によって違う」
「なるほど」
リビアが少し笑う。
「セス、自分で思ってるより学園向きなのかも」
「それはまだ分からない」
「でも、嫌じゃないでしょう?」
「うん」
それは認められる。
編入前は、学園なんてリビアの護衛をしながら必要な授業を受ける場所くらいに考えていた。
今は少し違う。
知らない考え方がある。
同じ年齢でも、自分とは違う得意分野を持つ人がいる。
先生たちは、俺が知っていることを別の言葉で説明してくれる。
それが面白い。
授業終了の鐘が鳴る頃には、シュザー家の封書のことをしばらく忘れていた。
そこまで集中出来たのは、たぶん良かったのだと思う。
「終わったわね」
リビアが教本を閉じる。
「ああ」
「学園長室、行くでしょう?」
「うん」
忘れていたものが一気に戻ってきた。
鞄の中に入れてある封筒。
まだ封は開けていない。
「セス」
「何?」
「一人で考え込まないでね」
「考え込んでない」
「今、顔が変わったもの」
よく見ている。
「……中身が何かは気になる」
「私もよ」
「謝罪だけならいいけど」
「そうじゃない可能性もあるわね」
リビアは無理に楽観しなかった。
その方がありがたい。
「でも、先生が学園側でも確認するって言ってた」
「ええ」
「なら、勝手に何か決められることはないだろ」
言葉にすると、少し落ち着いた。
昨日までの俺なら、「何かあったらどう対応するか」を先に考えていたかもしれない。
今日は、学園長と先生に任せられる部分は任せる。
それも自分を守る方法の一つなのだと思う。
「行こうか」
「ええ」
俺たちは教室を出た。
放課後の廊下は、授業中とは全く違う空気に変わっていた。
部活動や自主訓練へ向かう生徒。
友人同士で寄り道の相談をする者。
図書室へ向かう者。
窓から差し込む夕方前の光は少しだけ黄色みを増し、石床へ長い影を落としている。
学園長室へ向かう道は、昨日も通った。
あの時は制服が濡れ、焦げ、髪まで焼けていた。
今日は普通だ。
服も無事。
怪我もない。
「今日は見た目だけなら平和だな」
「見た目だけなら、ね」
「そこ強調する?」
「だってシュザー家から手紙が来てるもの」
「そうだけど」
階段を上がる。
学園長室の前には、レイモンド先生が待っていた。
「来たか」
「はい」
「封は?」
「開けてません」
「よし」
先生は確認するように頷いた。
「中には学園長とエレナ先生もいる」
「エレナ先生も?」
「事件当日の魔術関係の報告を担当しているからな」
「なるほど」
リビアが隣にいることも、先生は特に止めなかった。
「入れ」
扉をノックする。
中からオズワルド学園長の声が返ってきた。
俺たちは入室する。
昨日と同じ部屋。
大きな机。
壁一面の本棚。
窓から入る夕方の光。
ただし今日は、俺の制服も無事だ。
「失礼します」
「失礼いたします」
俺とリビアが挨拶する。
「座りなさい」
学園長が正面の椅子を示した。
エレナ先生は横の席にいる。
レイモンド先生も後ろから入ってきた。
俺たちが座ると、学園長が手を差し出す。
「封書を」
「はい」
鞄から取り出して渡す。
学園長は封蝋を確認した。
「シュザー家の正式な印だ」
エレナ先生が頷く。
「届けたのは家の使者です。学園の受付で身元も確認しています」
「では開ける」
封蝋が切られる。
紙が取り出される。
俺は黙って待つ。
リビアの手が、膝の上で僅かに動いた。
俺はそれに気づいた。
少し迷ってから、椅子の間で手を伸ばす。
指先が触れる。
リビアがこちらを見る。
俺は何も言わず、その手を握った。
彼女の表情が少しだけ和らいだ。
昨日までなら逆だったかもしれない。
俺が何かをする前に、リビアが手を伸ばしてきた。
今日は俺から。
礼法の授業で言われたことが頭のどこかに残っていたのかもしれない。
支えるのは一方だけではない。
学園長が文面を読む。
部屋は静かだった。
紙が動く音だけが聞こえる。
しばらくして、学園長の眉が僅かに動いた。
怒っているようには見えない。
でも、完全に穏やかでもない。
「内容を要約する」
俺たちへ向き直る。
「まず、シュザー家当主から、今回ライゼル・シュザーが起こした騒動について謝罪がある」
俺は少し息を吐いた。
少なくとも最初から抗議ではない。
「学園内で許可なく攻撃魔術を使用し、複数の生徒を危険に晒したこと。特にフレイムストームまで使用したことについて、家として重大に受け止めていると書かれている」
リビアの指が少し強く握られた。
「その点は、まともな反応ですね」
彼女が言う。
「現時点ではな」
学園長の返しに、俺は少し引っかかった。
「続きがあるんですか?」
「ああ」
学園長は手紙へ視線を戻す。
「ライゼル本人は、まだ自身の行動について十分に整理出来ていないようだ」
「整理?」
エレナ先生が説明を引き継いだ。
「昨日の事情聴取でも、自分が危険な魔術を使ったこと自体は認めている。ただし、なぜそこまでしたのかという部分になると、かなり感情的になるのよ」
「俺がリビアを惑わせてるって話ですか?」
「それもあるわ」
「まだ言ってるんですか」
思わずため息が出た。
隣でリビアの空気が少し冷たくなる。
「本当に失礼ね」
「リビア」
「だってそうでしょう? 私が誰を好きになるかを、どうしてライゼル様に決められなければならないの?」
怒っている。
声自体は大きくない。
けれど、公爵令嬢として整えられた口調の奥に、昨日から残っていた不快感がはっきり滲んでいる。
エレナ先生も否定しなかった。
「その点については、学園側からも本人へ明確に伝えているわ。パウリーさんの意思はパウリーさん自身のもの。そこを他人の魔術や誘導のせいにする根拠はない」
「ありがとうございます」
「当然のことよ」
学園長が手紙を机へ置く。
「シュザー家当主も、その主張をそのまま認めているわけではないらしい。むしろ、息子の認識に問題がある可能性を考えている」
「可能性?」
俺が聞く。
「ここからが少し面倒だ」
学園長はそう言って、手紙の後半を指で軽く叩いた。
「シュザー家は、ライゼル本人から直接クルセスへ謝罪させたいと考えている」
「直接?」
「ああ」
それ自体は理解出来る。
問題を起こした本人が謝る。
普通だと思う。
「ただし、今の状態で学園へ戻すのは認められない」
レイモンド先生が腕を組む。
「感情が整理出来ていない以上、また揉める可能性があるからな」
「じゃあ、どうするんです?」
学園長が手紙を一枚持ち上げた。
「シュザー家へ来てほしい、とある」
俺は黙った。
リビアも黙った。
「……俺が?」
「そう書かれている」
「何で俺が行くんです?」
「当主自身も謝罪したいらしい。それと、ライゼルが何を考えていたのか、本人を交えて確認したいとのことだ」
「それ、俺が行く必要あります?」
「私も同じ疑問を持った」
学園長が即答した。
少し安心する。
「だから、これは決定ではない」
「決定じゃない?」
「あくまで要請だ。君に行く義務はない」
俺は手紙を見る。
「断っても?」
「構わない」
「学園として困りません?」
「困らない」
学園長ははっきり言った。
「今回の事件で、君は加害側ではない。学園側も君へ何かを強制する立場ではない」
その言葉は意外だった。
貴族の家から呼ばれたなら、行かなければいけないと思っていた。
「でも、シュザー家って魔法師団長の家ですよね?」
「ああ」
「俺が断って大丈夫なんですか?」
「そこは学園が間に入る」
レイモンド先生が言う。
「お前が直接断りの手紙を書く必要もない」
昨日までなら、そこまで考えていなかったかもしれない。
相手が上位の立場なら、呼ばれたら行く。
それが普通だと思っていた。
「セス」
リビアが呼ぶ。
「うん」
「行きたい?」
質問は単純だった。
でもすぐには答えられない。
「分からない」
正直に言う。
「ライゼル本人が何考えてたのかは、少し気になる」
「私も気になるわ」
「でも、向こうの家で会う必要があるかって言われると……」
少し考える。
「別に学園でもいい気がする」
「それでいい」
学園長が頷く。
「こちらも同じ考えだ」
「同じ?」
「ああ。仮に面会をする場合でも、シュザー家ではなく学園内を提案するつもりだ」
エレナ先生も続ける。
「第三者がいる場所の方がいいわ。ライゼル本人がまだ感情的なら、なおさら」
「俺は逃げたり止めたり出来ますけど」
「そういう問題じゃない」
三人の先生とリビアの声がほぼ同時だった。
「……分かりました」
もう反論しない方がいい。
「クルセス」
レイモンド先生が少し呆れた顔をする。
「お前が自分を守るって話、今日の昼には覚えてたよな?」
「覚えてます」
「なら、『自分なら対処出来る』を最初に出すのをやめろ」
「はい」
確かにその通りだった。
危険があっても対応出来る。
だから行く。
それでは昨日までと変わらない。
「じゃあ、俺の希望を言ってもいいですか?」
「もちろんだ」
「もし会うなら学園で。先生にもいてほしいです」
学園長が頷く。
「それが妥当だろう」
「私も同席します」
リビアが言った。
「パウリーさん」
エレナ先生が少し考える。
「あなた自身も事件の当事者ではあるから、希望するなら同席を検討出来るわ。ただし、ライゼルがあなたを見ることで余計に感情的になる可能性もある」
リビアの表情が硬くなる。
「だから私がいない方がいい、と?」
「そう決めているわけではないの。ただ、何を目的に面会するかで変わる」
リビアは黙った。
俺はその横顔を見る。
行きたいのだと思う。
俺を一人にしたくない。
それだけではなく、自分の意思をもう一度ライゼルに伝えたいのかもしれない。
「リビア」
「何?」
「無理に決めなくていいだろ」
「でも」
「まだ面会するって決まったわけでもないし」
自分で言って、少し気づく。
今までの俺なら、先に全部決めようとしていた。
どうする。
誰が行く。
危険はあるか。
対処出来るか。
でも今日は、まだ決まっていないなら決めないでおくことも出来る。
リビアも少し考えた後、頷いた。
「……そうね」
「シュザー家への返答は学園から?」
「ああ」
学園長が言う。
「君の希望を踏まえ、学園内での面会なら検討出来ると返す。ただし、それもライゼル本人の状態を再確認してからだ」
「分かりました」
「それともう一つ」
学園長が別の紙を取り出した。
「ライゼルの正式処分については、まだ決定していない」
「やっぱりですか」
「事件の規模が大きい。本人の聞き取り、教師、生徒の証言、魔術記録、家側の対応、全てを確認する必要がある」
昨日の時点から変わっていない。
でも、それでいいと思った。
簡単に決めるような話ではない。
「少なくとも、通常授業への復帰はまだ認めない」
「はい」
「処分が決まったら君たちにも必要な範囲で伝える」
学園長はそこで一度言葉を切った。
「今日の話は以上だ」
思っていたより短い。
もっと厄介な話になるかと思っていた。
「じゃあ、この手紙は?」
「正式な謝罪部分については、君が受け取って構わない。ただし、面会要請への返答は学園が行う」
「分かりました」
封書を受け取る。
さっきまでより少し軽く感じた。
中身が分かったからだろう。
「クルセス」
学園長に呼ばれる。
「はい」
「今日は昨日より少しマシな顔をしているな」
「何がです?」
「全部自分で処理しようとしていない」
言われて、少し驚いた。
横を見ると、リビアが笑っている。
「昨日、学園長に言われたので」
「一日で完全に直るとは思っていない。ただ、覚えているなら十分だ」
「はい」
俺は頷いた。
学園長室を出る頃には、窓から入る光がさらに傾いていた。
廊下を歩く生徒も少なくなっている。
「セス」
「何?」
「ちゃんと一緒に考えたわね」
「何が?」
「手紙のこと」
「そうだな」
「一人で『俺が行けば済む』って言わなかった」
言われてみると、確かにそうだった。
「ちょっとは成長した?」
「ちょっとだけ」
「厳しいな」
「今までが今までだから」
「それは否定出来ない」
二人で歩く。
今日は半歩後ろへ下がらない。
意識しないとまだ少し戻りそうになるが、昨日までよりは自然だった。
「それで」
リビアがこちらを見る。
「面会、本当にする?」
「まだ分からない」
「怖い?」
「怖くはない」
これは本当だ。
ライゼルと戦うこと自体は怖くない。
でも、それとは別の意味で面倒だとは思う。
「ただ、また戦うために会うわけじゃないだろ」
「ええ」
「話すためなら、ちゃんと話せる状態の時の方がいい」
自分でも少し意外だった。
昨日なら「来るなら相手する」と考えていた気がする。
今は、戦わなくて済むならそれが一番いいと思っている。
「セス」
「何?」
「それ、先生たちが聞いたら喜ぶと思う」
「そんな大げさな」
「大げさじゃないわよ」
リビアが笑う。
そのまま階段を下りる。
玄関ホールへ近づくにつれ、外から馬車の音が聞こえてきた。
迎えが来ているらしい。
「帰ろうか」
「ええ」
外へ出る。
夕方の風が少し冷たくなっていた。
正門近くには何台もの馬車が並び、使用人たちが主人を待っている。
パウリー家の馬車も見えた。
そして、その横。
見覚えのある背の高い男が立っている。
黒い執事服。
姿勢。
表情。
「……グレイヴ」
俺の足が止まった。
リビアも気づく。
「あら」
「何でいるんだ?」
普段、迎えに来るのは別の使用人だ。
グレイヴ本人が学園まで来ることはほとんどない。
嫌な予感がする。
俺たちへ気づいたグレイヴが、静かに一礼した。
「お帰りなさいませ、オリビアお嬢様。クルセス」
「ただいま戻りました」
リビアが挨拶する。
俺も続こうとした。
「ただ――」
「クルセス」
「はい」
いつもの低い声。
怒っているようには聞こえない。
でも、こういう時の方が怖い。
「シュザー家から学園へ書状が届いたそうですね」
「……もう知ってるの?」
「旦那様のもとへも、別便で届いております」
俺とリビアは顔を見合わせた。
「別便?」
グレイヴが頷く。
「はい」
そして、ほんの少しだけ目を細める。
「帰宅後、旦那様がお二人とお話ししたいとのことです」
今日の授業は終わった。
シュザー家の手紙も、とりあえず学園へ任せることになった。
だから、もう今日は何も起きないと思っていた。
「……リビア」
「なあに?」
「俺、学園より家の方が怖くなってきた」
「大丈夫よ」
「本当に?」
「たぶん」
「今、たぶんって言ったよな?」
リビアが視線を逸らす。
グレイヴは何も言わない。
その沈黙が余計に怖い。
俺は学園の校舎を一度振り返った。
少なくとも、シュザー家へ一人で行かなくていいことは分かった。
代わりに。
どうやら今日は、家へ帰ってからも話し合いが続くらしい。




