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第112話 公爵令嬢様は、俺が見落とした小さな負担を知りたいらしい



 朝の書斎に差し込んでいた日差しが、窓枠の影を机の端まで伸ばしていた。


 俺は書き終えたノートを閉じ、隣に座るリビアへ目を向けた。彼女はまだ自分の記録を読み返しており、時折、何かを思い出したようにペンを動かしている。


 今朝、俺たちは屋敷の裏庭で、搬入経路の状態を確認する作業を見学した。


 雨の影響で石畳の端に泥が溜まり、荷車の車輪が取られやすくなっていることが分かったため、重い荷物については北側の通路を使う方針になった。ただし、その通路は庭園の作業にも使われているので、搬入時間を調整する必要があるらしい。


 現場を確認する人、記録を取る人、別の経路を調べる人、関係する部署へ連絡する人。それぞれの仕事がつながって、ようやくひとつの対応が決まっていく様子は、昨日アルセス様から教わった内容とも重なっていた。


(俺は今まで、仕事が終わった状態ばかり見ていたのかもしれない)


 食堂に料理が運ばれてくることも、厨房に必要な食材が揃っていることも、屋敷で暮らす人たちにとっては日常の一部だ。けれど、その当たり前を維持するために、誰が何を確認しているのかまで、俺は十分に理解していなかった。


「セス、そろそろ学院へ向かう準備をしなくちゃいけないね」


 リビアが壁時計へ目を向けながら言った。彼女の声に促されて俺も時間を確認すると、いつまでも書斎に留まっていられるほど余裕があるわけではなかった。


「そうだね。ノートはここで片づけて、続きはまた時間があるときにしようか」


「うん。でも、その前にひとつだけ聞いてもいい?」


 リビアはペンを置き、少し考え込むように俺を見つめた。何か気になることがあるらしく、机の上に開かれたノートには、先ほどまでなかった短い文章が書き加えられている。


「今朝、北側の通路を使うことになったでしょう? あれで荷物を運べるようになるのは分かったんだけど、普段より遠回りになる人たちは大丈夫なのかな?」


 俺はすぐに答えようとして、口を閉じた。


 北側の通路が使えることは、担当者が確認している。庭園の作業と時間が重ならないよう調整することも決まった。だから、搬入そのものについては問題なく進められるのだろうと考えていた。


 けれど、リビアが気にしているのは、その先のことだった。


「……運ぶ距離が長くなれば、その分だけ時間もかかるよね」


「うん。それに、荷物を受け取る人たちも、いつもと違う場所で待つことになるかもしれないでしょう?」


 リビアはノートの端へ指を添えながら続けた。


「お父様の教材には、別の道を使う場合の影響を確認するって書いてあったけれど、今朝の私は、荷車が通れる道が見つかったことだけで安心しちゃったの」


 その言葉を聞いて、俺は少しだけ視線を落とした。


 実は、俺も同じだった。


 問題のある石畳を避け、別の経路を使う。それで明日の搬入に支障が出なくなるなら、ひとまずよかったと思っていた。


 しかし、別の道を使うために必要な準備や、そこに生じる負担までは考えていなかったのである。


「……俺も、そこまでは気づかなかったよ」


 正直に答えると、リビアは驚いたように目を丸くした。


「セスも?」


「うん。父さんがみんなの報告を聞いて判断しているところばかり見ていたから、そのあと実際に荷物を運ぶ人たちがどうなるのか、考えきれていなかった」


 俺は彼女のノートへ目を向けた。


「でも、今朝の対応が間違っていたっていう話じゃないと思う。実際にどうなったかを確認しないと、負担が増えたかどうかも分からないから」


 リビアは少し考えてから、静かに頷いた。


「そうだね。私たちが勝手に大変だったはずだって決めるのも、違うよね」


「うん。気になるなら、仕事が落ち着いたあとに、父さんへ聞いてみよう」


 彼女は嬉しそうに微笑んだものの、すぐに表情を引き締めた。


「そのときも、お仕事の邪魔にならないようにしなくちゃね」


「もちろん。今は学院へ行く準備が先だよ」


 そう答えると、リビアは少し照れくさそうに笑った。


 俺たちは机の上を片づけ、学習用の資料が決められた書棚に戻されていることを確かめてから、書斎を出た。


 廊下には朝の仕事を進める使用人たちの姿があり、窓の向こうでは庭師が植え込みの周囲を整えている。いつもと同じ景色のはずなのに、今日は誰かが荷物を運ぶ姿を見るたび、その人がどこから来て、どこへ向かうのかが気になった。


 ただし、気になることがあるからといって、今すぐ確かめに行くわけにはいかない。


 俺にも学院へ通う生徒としての予定があるし、使用人たちにもそれぞれの仕事がある。


 その当たり前のことを、今日は意識して守ろうと思った。


     ◇


 学院へ向かう馬車の中で、リビアは窓の外を流れる街並みを眺めていた。


 朝の通りには商人たちの荷車が行き交い、店先では開店の準備が進んでいる。焼きたてのパンを並べる店もあれば、大きな木箱を二人がかりで運び込んでいる店もあり、普段なら何気なく通り過ぎる光景に、俺たちは何度も目を留めた。


「セス、あのお店、荷物を運ぶ人が二人いるね」


 リビアが指さしたのは、通り沿いにある日用品店だった。


 店の前には小さな荷車が停まっており、一人の男性が荷台から木箱を降ろし、もう一人が店内へ運んでいる。二人は慣れた様子で声を掛け合い、歩行者が近づくと作業を一時的に止めていた。


「そうだね。箱を降ろす人と、店の中へ運ぶ人で役割を分けているみたいだ」


「もし、あのお店の前に荷車を停められなくなったら、どうするんだろう?」


 リビアはそう尋ねたあと、自分で少し考え込んだ。


「……別の場所に停めるとしても、通りを歩く人たちの邪魔にならないようにしなくちゃいけないよね」


「うん。それに、あのお店だけで決められることじゃないかもしれない。周りの店や、道を管理している人たちとの相談が必要になる場合もあると思う」


 俺がそう答えると、リビアは小さく頷いた。


 馬車が交差点へ近づいたところで、御者が速度を落とした。


 前方では別の荷車が曲がろうとしており、通りを歩く人々が自然と足を緩めている。誰かが大声を上げているわけでもないが、御者同士は互いの位置を確認しながら、慎重に道を譲り合っていた。


 俺はその様子を見つめながら、昨日の教材にあった言葉を思い出した。


 道を管理する際には、利用する人々の安全を考える必要がある。


 それは単に、道が壊れていないかどうかを確認するだけではないのだろう。


 人が歩き、荷車が通り、店が商品を受け取る。そうした日常の動きが重なる場所では、それぞれの事情を考える必要がある。


「……ねえ、セス」


 リビアが少しだけ声を落とした。


「私、昨日までは道のことを勉強するのが楽しかったけれど、今日は少し違う気持ちもあるの」


「違う気持ち?」


「うん。知らないことがたくさんあるって分かるのは楽しいんだけど、その知らないことの向こうに、実際に困る人がいるかもしれないんだなって」


 彼女は窓の外へ目を向けたまま、ゆっくりと言葉を続けた。


「だから、面白いだけで終わらせたくないなって思ったの」


 俺はその横顔を見つめた。


 リビアは昔から、何かに興味を持つと熱心に学ぶ人だった。


 魔術でも剣術でも学問でも、分からないことがあれば自分で調べ、必要なら先生へ質問する。けれど、今回の学習では、知識を増やすことそのものだけでなく、その知識が誰のために使われるのかまで考え始めている。


 それは、公爵家の娘としての責任感なのかもしれない。


 ただ、俺にはそれだけではないように思えた。


 リビアは、自分が知らなかった誰かの苦労を知ろうとしている。


「……俺も、そう思うよ」


 俺が答えると、彼女はゆっくりとこちらを向いた。


「でも、全部を一度に知ることはできないから、まずは今朝見た仕事がどうなったのか、ちゃんと確かめたいな」


 リビアは俺の言葉を聞き、少しだけ肩の力を抜いた。


「うん。そうだね」


 馬車は再び速度を上げ、学院へ続く道を進んでいった。


     ◇


 午前の授業が終わったあと、俺はサザリーに声をかけられた。


 教室では昼休みの準備が始まっており、机の上を片づける生徒たちの声があちこちから聞こえている。窓際ではガレスが友人と剣術の話をしており、少し離れた席ではエミリアが午前の授業で取ったノートを確認していた。


「クルセス、少し時間はあるかな?」


 サザリーはいつもの落ち着いた表情で、薄い冊子を手にしていた。


「うん。どうしたの?」


「昨日の地理の授業で扱った輸送費の計算について、少し確認したいところがあってね。君ならどう考えるか、聞いてみたかったんだ」


 俺は彼が開いたページへ目を向けた。


 そこには、二つの経路を使って物資を運ぶ場合の費用を比較する、学習用の問題が載っていた。


 片方の道は距離が短いが、荷車一台あたりの積載量が少ない。


 もう片方は距離が長いものの、一度に多くの荷物を運べるという設定だ。


「これ、昨日の授業の続きだね」


「そうなんだ。単純に距離だけを比べるなら短い道が有利に見えるけれど、運ぶ回数が増えるなら、必ずしもそうとは言えないだろう?」


 サザリーは計算の途中まで書き込まれたノートを示した。


 俺は数字を確認しながら、少し考えた。


 荷物の総量が決まっているなら、一度に運べる量によって必要な往復回数が変わる。さらに、荷車を動かす人の時間や、荷役に必要な作業も考えなければならない。


 ただし、問題文にはすべての条件が書かれているわけではなかった。


「……この問題、荷物を積み込む時間は同じって考えていいのかな?」


 俺が尋ねると、サザリーは小さく眉を上げた。


「そこなんだ。僕も気になっていた。問題の目的は輸送経路の比較だから、積み込み時間は計算に含めないのかもしれないけれど、実際の仕事なら無視できないだろうね」


 その言葉を聞き、俺は今朝の裏庭を思い出した。


 別の搬入経路を使うことになったとき、俺は荷車が通れるかどうかばかり考えていた。


 しかし、荷物を降ろす場所が変われば、厨房まで運ぶ距離も変わるかもしれない。


「……そうだね。実際の仕事では、道を通る時間だけじゃなくて、荷物を受け取るところまで考えないといけないんだと思う」


 俺が答えると、サザリーは少し興味深そうに顔を上げた。


「何か、そう考えるきっかけがあったのかい?」


 俺は一瞬迷った。


 屋敷の内部で起きたことを、詳しく話す必要はない。


 それに、父さんたちが進めている仕事について、俺が勝手に説明するのも適切ではないだろう。


「最近、物を運ぶ仕事について少し勉強する機会があったんだ。それで、道を使えるかどうかだけじゃなくて、その前後の作業も大切なんだなって思ったんだよ」


 そう答えると、サザリーは納得したように頷いた。


「なるほど。確かに、問題文に書かれている条件と、実際の仕事で考える条件は違うことがあるね」


 彼はノートの余白へ小さく書き加えた。


『計算上の条件と、実務上の条件を区別する』


 俺はその文字を見て、思わず笑みを浮かべた。


「サザリーらしいまとめ方だね」


「そうかな? でも、何を前提にしているのか分からなくなると、計算が合っていても判断を間違えるかもしれないからね」


 サザリーは穏やかに微笑んだ。


 そのとき、近くで話を聞いていたガレスが椅子を引いて立ち上がった。


「なあ、二人とも。さっきから難しい顔してるけど、結局、どっちの道がいいんだ?」


 俺たちは顔を見合わせた。


 ガレスは悪気なく尋ねているのだろうが、まさに今、その答えを簡単には出せないという話をしていたところだった。


 サザリーが少し笑いながら説明する。


「この問題の条件だけなら、計算して比較できるよ。ただ、現実にどちらを使うべきか決めるなら、ほかにも確認することがあるという話なんだ」


「なるほどな。じゃあ、試験で聞かれたら計算して、実際に運ぶときはもっと考えろってことか」


 ガレスは腕を組み、少し考えたあとに頷いた。


「それなら分かる。剣術でも、練習で決まった動きをするのと、相手が実際に動いているのとじゃ違うもんな」


 その例えに、俺は思わず感心した。


「確かに、そうかもしれないね」


 ガレスは少し得意そうに笑ったが、すぐに肩をすくめた。


「まあ、俺の場合は、考える前に身体が動いちまうこともあるけどな。そこは直さないといけないって、父上にも言われてる」


 彼は以前より、自分の課題を隠さず話すようになっていた。


 剣術の腕を認めてもらいたいという気持ちは変わっていないのだろうが、最近はそのために必要なことを、少しずつ自分で考え始めている。


 俺はそんなガレスの様子を見ながら、自然と笑みを浮かべた。


     ◇


 昼休みの食堂は、いつも以上に賑やかだった。


 窓際の席には柔らかな日差しが差し込み、食事を運ぶ生徒たちの足音や、食器が触れ合う音が絶えず聞こえている。俺たちは空いている席を見つけ、リビア、サザリー、ガレス、エミリアと一緒に食事を取ることにした。


 話題は午前の授業から、学院生活のちょっとした出来事へ移っていった。


 ガレスは最近、剣術の基礎練習で握り方を意識するようになったらしい。以前より無駄な力が入りにくくなったものの、疲れてくると元の癖が出ることがあると話していた。


「結局、分かったつもりでも、ずっとできるわけじゃないんだよな」


 ガレスはそう言って、少し困ったように笑った。


「でも、前より気づくのが早くなったなら、進歩しているんじゃないかな」


 俺が答えると、彼は嬉しそうに頷いた。


「そうだといいんだけどな。次の練習でも意識してみるよ」


 その隣では、エミリアが静かに食事を進めながら、俺たちの会話を聞いていた。


 やがて、彼女は手元のカップを置き、少し考えるように口を開いた。


「私も、魔力制御の練習で似たようなことがあります。最初はできているつもりでも、同じ動作を続けていると、少しずつ力の入れ方が変わってしまうんです」


 エミリアは水と風の細かな制御に優れている。


 けれど、本人はその能力を当然のものだとは思っていないらしく、いつも丁寧に練習を重ねていた。


「エミリアでも、そういうことがあるんだね」


 俺が言うと、彼女は小さく笑った。


「もちろんです。むしろ、細かな違いを気にするからこそ、まだ安定していない部分が見えてくるのかもしれません」


 サザリーが穏やかに頷いた。


「自分の状態を確認できるようになることも、上達の一部なんだろうね」


 その言葉を聞きながら、俺は今朝の仕事の見学を思い出した。


 道の状態を確認し、必要な情報を集める。


 それは魔術や剣術の練習とは違うものの、思い込みだけで判断しないという点では似ているのかもしれない。


 ただ、俺がそんなことを考えていると、リビアが少し不思議そうに顔を覗き込んできた。


「セス、何か考えてる?」


「うん。今朝のことを少し思い出してたんだ」


 俺がそう答えると、リビアはすぐに事情を察したらしい。


 けれど、ここで屋敷の仕事について詳しく話すことはせず、穏やかに微笑んだ。


「帰ってから、落ち着いた時間に続きを考えようね」


「そうだね。今は午後の授業もあるし」


 俺たちのやり取りを聞いていたガレスが、少しだけ首を傾げた。


「何だ? 二人で何か勉強してるのか?」


 リビアは笑みを浮かべた。


「ええ。最近、領地の管理について少しずつ学び始めたの」


「領地の管理かあ。難しそうだな」


 ガレスは素直な感想を口にしたあと、少し考えて続けた。


「でも、パウリー様ならすぐ覚えられそうですね」


 リビアはその言葉に、静かに首を横へ振った。


「ありがとう。でも、まだ知らないことばかりなの。だから、今は焦らず学んでいきたいと思っているわ」


 その返事を聞き、ガレスは少し意外そうな顔をした。


 学院でのリビアは、学問でも魔術でも高い成績を収めている。


 だから、彼女が自分の知らないことを素直に認める姿は、ガレスにとって新鮮だったのかもしれない。


「……そういうものなんですね」


 ガレスはそう呟いたあと、少しだけ笑った。


「じゃあ、俺も領地のことを父上に聞いてみようかな。剣術ばっかりじゃなくて、ほかのことも知っておいた方がよさそうだし」


 俺はその言葉を聞き、嬉しくなった。


 誰かが何かを学ぼうとする気持ちは、周りの人にも伝わるのかもしれない。


 そんなことを考えながら、俺たちは午後の授業が始まるまで、穏やかな昼休みを過ごした。


     ◇


 学院から戻った頃には、空の雲が少し厚くなっていた。


 雨が降り出すほどではないものの、朝よりも風が冷たく感じられる。馬車を降りると、庭園の木々が揺れる音が聞こえ、玄関前では使用人たちが夕方の準備を進めていた。


 父さんは玄関で俺たちを迎えたあと、いつものように学院での様子を尋ねてくれた。


 俺たちが授業について簡単に報告すると、父さんは頷き、今日の屋敷の仕事についても少しだけ教えてくれた。


「今朝の搬入については、大きな支障なく終わった。厨房への必要な物資も、予定していた分は受け取れている」


 その言葉を聞き、俺はほっとした。


「よかった。じゃあ、北側の通路を使ったんだね」


「ああ。ただし、普段とは異なる手順になったため、関係する部署にはいくつか調整をお願いすることになった」


 父さんは落ち着いた声で続けた。


「詳しい内容については、担当者からの報告を確認しているところだ。まだ全体の整理が終わったわけではないから、現時点で問題がなかったと断定するのは早いな」


 俺はその説明を聞き、静かに頷いた。


 荷物が届いたことと、仕事がすべて問題なく終わったことは、同じではない。


 その違いを、父さんはきちんと分けて考えているのだ。


 リビアも真剣な表情で耳を傾けていた。


「グレイヴ。今朝、私たちが見学したことで、お仕事の邪魔にはなりませんでしたか?」


 父さんは少し驚いたように目を細めた。


「お嬢様がたには、指定した場所から見学していただきましたので、作業への支障はございませんでした」


「そうですか。よかった」


 リビアは安心したように微笑んだが、すぐにもうひとつの質問を口にした。


「それと、北側の通路を使うことで、普段より大変になった方はいらっしゃったのでしょうか?」


 父さんは少し考え、俺たちを見比べた。


「その点については、担当者からいくつか意見が上がっている。お嬢様は、なぜそれが気になったのですか?」


 リビアは一度俺へ視線を向け、それから自分の言葉で説明した。


「今朝は、別の道が使えることが分かって安心してしまったんです。でも、その道を使うために、いつもと違うお仕事が増えた方もいらっしゃるのではないかと思って」


 父さんは静かに頷いた。


「なるほど。大切な点に気づかれましたね」


 リビアは少し照れくさそうに微笑んだ。


 けれど、父さんはそこで説明を終えなかった。


「ただし、実際にどのような負担が生じたかは、担当者の報告を確認する必要があります。想像だけで判断すると、かえって現場の事情を見誤ることもありますから」


「はい。私も、そう思いました」


 リビアは真剣な表情で頷いた。


 父さんは少しだけ表情を和らげた。


「もしお二人が学習のために知りたいのであれば、仕事が落ち着いたあと、一般的な範囲で説明することはできるでしょう。ただし、今日はまず学院の疲れを取ってください」


「分かりました。ありがとうございます、グレイヴ」


 俺も礼を述べた。


 父さんはそれを確認すると、俺たちをそれぞれの部屋へ向かわせた。


 廊下を歩きながら、リビアは小さく息を吐いた。


「……セス、聞いてみてよかったね」


「うん。でも、父さんの言うとおり、実際にどうだったかはまだ分からないんだね」


「そうだね。私、今朝のことを考えているうちに、きっと大変だったんだろうなって思い始めていたの」


 彼女は少し恥ずかしそうに笑った。


「でも、それも私の想像だものね」


「うん。だから、ちゃんと聞いてから考えよう」


 俺がそう答えると、リビアは嬉しそうに頷いた。


 俺たちはそこで別れ、それぞれ着替えと休息を取ることにした。


     ◇


 夕方、俺は父さんから呼ばれて執務室へ向かった。


 扉を叩くと、室内から落ち着いた返事が聞こえた。


 中へ入ると、父さんは机の上に置かれた書類を整理しているところだった。窓の外では日が傾き始めており、机の端には小さな灯りが用意されている。


「セス、少し手伝ってもらいたいことがある」


「うん。何をすればいい?」


 父さんは机の横に置かれた空の書類箱を示した。


「明日使う一般的な連絡用紙を、部署ごとに分けておいてほしい。内容が記入されたものではないから、取り扱いに特別な制限はない」


 俺は頷き、指示された場所へ移動した。


 箱の中には、厨房、庭園、設備、清掃など、部署ごとに使われる連絡用紙が入っている。用紙の形式は似ているものの、記入する項目には少しずつ違いがあった。


 俺はそれらを確認しながら、種類ごとに整理していった。


 しばらくすると、父さんが書類を閉じ、俺の作業へ目を向けた。


「今朝の搬入について、まだ気になっているようだな」


 俺は手を止めた。


「……分かる?」


「お前は何かを考えているとき、手元の仕事を丁寧に進めようとするあまり、普段より確認の回数が増えることがある」


 父さんは少しだけ笑った。


 俺は思わず自分の手元を見た。


 確かに、同じ用紙の枚数を二度数え直していたところだった。


「……気をつけるよ」


「考えること自体は悪くない。ただ、今している仕事と、あとで考えることは分けた方がよいな」


 俺は頷き、まず用紙の整理を終わらせることにした。


 部署ごとの枚数を確認し、指定された順番に箱へ収める。すべて終わったところで父さんへ報告すると、父さんは内容を確かめ、問題がないことを確認してくれた。


「ありがとう。これで明日の準備がひとつ進んだ」


「うん。ほかに何かある?」


「今は大丈夫だ。それより、先ほどの話を少ししておこうか」


 父さんは椅子を勧め、俺が座るのを待ってから口を開いた。


「今朝の搬入では、予定していた物資はすべて受け取ることができた。ただし、北側の通路を使用したことで、厨房側の受け取り準備に変更が必要になった」


 俺は静かに耳を傾けた。


「荷物を降ろす場所が普段と違ったため、一部の物資については、受け取ったあとに屋内で運ぶ距離が長くなったそうだ」


 その言葉に、俺はリビアの質問を思い出した。


 彼女が気にしていたことのひとつが、実際に起きていたのである。


「……じゃあ、厨房の人たちは大変だったんだね」


 俺がそう言うと、父さんはすぐには頷かなかった。


「負担が増えた作業はあった。ただし、厨房側では受け取りの順番を調整していたため、すべての仕事が遅れたわけではない。実際には、普段より時間がかかった作業と、変更の影響をほとんど受けなかった作業があったそうだ」


 俺はその説明を聞き、少し恥ずかしくなった。


 今、俺は「大変だった」と一言でまとめようとしていた。


 けれど、実際には仕事ごとに事情が違っていたのだ。


「……そうか。全部を一緒に考えちゃいけないんだね」


「そうだな。もちろん、負担が増えたことを軽く考えてよいわけではない。だが、正確に把握するためには、どの作業にどのような影響があったのかを分けて確認する必要がある」


 父さんはそう言って、机の上に置かれた白紙の用紙を一枚取り上げた。


「たとえば、今日の搬入で『いつもより大変だった』という報告だけが届いたとしよう。それを聞いて、お前ならどうする?」


 俺は少し考えた。


 まず、何が大変だったのかを尋ねる必要がある。


 荷物が重かったのか、運ぶ距離が長かったのか、それとも受け取りの時間が変わったことが問題だったのか。


「……どの作業が大変だったのか、詳しく聞くと思う」


「それから?」


「その作業が、いつもとどう違ったのかを確認するかな。もし次も同じ経路を使うなら、同じ負担がかかるかもしれないから」


 父さんは静かに頷いた。


「よい考えだ。では、負担を減らす方法を考えるのは、誰の仕事だと思う?」


 俺は少し迷った。


 執事長である父さんが全体を調整することもあるだろう。


 しかし、実際に荷物を運んでいる人たちの意見も必要になるはずだ。


「……担当している人たちと、仕事を管理している人たちが相談することだと思う」


「その通りだ」


 父さんは満足そうに頷いた。


「現場を知らない者が、机の上だけで負担を減らそうとしても、うまくいくとは限らない。逆に、現場の者だけでは調整できないこともある。だからこそ、報告と相談が必要になるんだ」


 俺はその言葉を聞き、静かに息をついた。


 昨日、アルセス様から教わったこと。


 今朝、裏庭で見たこと。


 そして、今日の搬入で実際に起きたこと。


 それらが、少しずつつながっていくように感じられた。


「……父さん」


「何だ?」


「俺、今まで仕事を手伝うとき、目の前の作業を早く終わらせることばかり考えていたかもしれない」


 父さんは何も言わず、俺の続きを待ってくれた。


「もちろん、早く終わらせた方がいい仕事もあると思う。でも、そのためにほかの人の負担が増えていたら、意味がないこともあるんだよね」


 父さんはしばらく俺を見つめていた。


 やがて、穏やかな声で答えた。


「そうだな。ただし、早く終わらせること自体が悪いわけではない。大切なのは、何を優先すべきかを考えることだ」


 俺は静かに頷いた。


「……うん」


「それに、お前が今までしてきた仕事が、すべて間違っていたわけでもない。自分の行動を振り返ることは必要だが、何かを学ぶたびに過去の自分を否定する必要はないぞ」


 その言葉に、俺は思わず顔を上げた。


 父さんは少しだけ表情を和らげていた。


「お前は、できなかったことを見つけると、すぐに自分の不足として受け止めるところがある。だが、知らなかったことを学んだのなら、それは次の仕事へ生かせばよい」


 俺はしばらく返事ができなかった。


 胸の奥に、少しだけ熱いものが広がっていく。


(……父さんは、俺が考えていることまで分かってしまうんだな)


 俺は以前から、自分ができることを増やしたいと思っていた。


 執事として役に立ちたい。


 リビアを支えたい。


 公爵家の人たちに、恩返しをしたい。


 その気持ちは今も変わっていない。


 けれど、何かを知らなかったと気づくたび、自分はまだ足りないのではないかと考えてしまうことがある。


 父さんは、そんな俺の癖をよく知っているのだろう。


「……ありがとう、父さん」


 俺がそう言うと、父さんは静かに頷いた。


「礼を言うのは、次の仕事で学んだことを生かしてからでも遅くない」


 その言い方が、いつもの父さんらしくて、俺は少し笑ってしまった。


「うん。そうするよ」


 父さんも、わずかに口元を緩めた。


     ◇


 執務室を出たあと、俺は廊下の窓辺でリビアと合流した。


 彼女は小さな本を手にしていたが、俺の姿に気づくとすぐに閉じ、嬉しそうに微笑んだ。


「セス、お仕事は終わったの?」


「うん。明日使う連絡用紙を整理してきたところだよ」


 俺が答えると、リビアは少しだけ首を傾げた。


「何か、グレイヴとお話しした?」


「……よく分かったね」


「だって、セスの顔が少し違うもの」


 彼女はそう言って、小さく笑った。


 俺は思わず頬をかいた。


「そんなに分かりやすいかな?」


「うん。でも、悪い意味じゃないよ。何かを考えて、それが少し整理できたときの顔をしてる」


 リビアは穏やかに微笑んだ。


 俺は彼女の隣へ立ち、窓の外へ目を向けた。


 庭園では夕方の作業が進んでおり、遠くに見える北側の通路には、もう荷車の姿はなかった。


 朝、俺たちが見学した裏庭の問題は、まだ完全に解決したわけではない。


 けれど、今日の搬入は必要な調整によって終えることができた。


 その事実を、俺はリビアにも伝えたいと思った。


「……今朝の搬入について、父さんから少し教えてもらったんだ」


 俺がそう言うと、リビアは真剣な表情になった。


「どうだったの?」


「必要な荷物は全部受け取れたそうだよ。ただ、北側の通路を使ったことで、厨房側では普段と違う場所から荷物を運ぶ必要があったみたい」


 リビアは静かに頷いた。


「……やっぱり、そういうことがあったんだね」


「うん。でも、全部の仕事が大変になったわけじゃないんだって。受け取りの順番を調整したことで、影響が少なかった作業もあったらしい」


 俺は父さんから聞いた範囲を、できるだけ正確に伝えた。


 リビアは途中で口を挟まず、最後まで耳を傾けてくれた。


 そして、少し考えてから口を開いた。


「……私、今朝は、別の道を使う人たちが大変なんじゃないかって思ったけれど、それだけじゃなかったんだね」


「うん。負担が増えたところもあったけど、調整して対応できたところもあったんだ」


 リビアは静かに息をついた。


「そっか……。ちゃんと聞いてみないと分からないことって、たくさんあるんだね」


 俺は頷いた。


 しばらく、二人とも窓の外を眺めていた。


 庭園の向こうでは、使用人たちが道具を片づけている。


 その姿を見ているうちに、リビアが小さく口を開いた。


「ねえ、セス。私、今日ひとつ反省したことがあるの」


 俺は彼女の顔を見た。


「何?」


「今朝、見学させてもらったとき、私はお仕事の流れを知ることばかり考えていたの。でも、見学が終わったあと、実際に荷物を運ぶ人たちがどうなるのかまでは、ちゃんと考えていなかった」


 リビアは少しだけ視線を落とした。


「公爵家の娘として、そういうところにも気づけるようになりたいなって思ったの」


 俺はその言葉を聞き、少し考えた。


 リビアは、自分の立場に責任を感じている。


 それは昔から変わらない。


 けれど、今の彼女は、完璧な公爵令嬢であることだけを目指しているわけではないように思えた。


 知らないことを知りたい。


 働いている人たちの気持ちを理解したい。


 そのために、自分の考えを見直そうとしている。


 俺はそんな彼女を、心から尊敬していた。


「……リビア」


「なあに?」


「俺は、今日のリビアの質問がなかったら、そこまで考えなかったと思う」


 彼女は驚いたように目を丸くした。


「セスが?」


「うん。北側の通路が使えるって分かった時点で、ひとまず安心していたから。リビアが、そのあと働く人たちはどうなるんだろうって聞いてくれたから、俺も考えられたんだ」


 リビアはしばらく俺を見つめていた。


 やがて、少しだけ頬を染めた。


「……そう言ってもらえると、嬉しいな」


 彼女は柔らかく微笑んだ。


「でも、私だって、セスがいなかったら、気づかなかったことがたくさんあるよ」


 俺は少し首を傾げた。


「そうかな?」


「うん。セスは、誰かが何かをしているとき、その人がどうしてそうしているのかを考えようとするでしょう? 私も、そういうところを見習いたいと思ってるの」


 その言葉に、俺は少し照れくさくなった。


 リビアは俺の反応を見て、小さく笑った。


「ふふっ。照れてる?」


「……少しね」


 正直に答えると、彼女は嬉しそうに微笑んだ。


 俺たちはしばらく顔を見合わせ、それから自然と笑い合った。


     ◇


 夕食までには、まだ少し時間があった。


 俺たちは小さな書斎へ移動し、今日学んだことをノートへまとめることにした。


 ただし、今朝の搬入に関する具体的な業務記録を写すわけではない。父さんから聞いた一般的な考え方と、自分たちが感じたことを整理するだけだ。


 机の上には二冊のノートが並び、窓から差し込む夕方の光が白い紙を淡く照らしていた。


 リビアはペンを手に取り、少し考え込んでから書き始めた。


 俺も、自分のノートを開いた。


 今日の出来事を振り返ると、いくつもの場面が思い浮かんだ。


 朝、裏庭で見た作業。


 学院でサザリーと話した輸送費の計算。


 父さんから聞いた、搬入経路の変更によって生じた負担。


 そして、リビアが気づいたこと。


 それらは別々の出来事のようでいて、どこかでつながっている。


(……ひとつの答えを出す前に、何を知らないのか確かめることが大切なんだな)


 俺はそう考えながら、ノートへ文字を書き込んだ。


『対応が決まったあとも、その影響を確認する』


 書き終えたところで、リビアが隣から覗き込んできた。


「セス、それが今日一番印象に残ったこと?」


「うん。別の道を使うって決まった時点で終わりじゃなくて、そのあと実際にどうだったかを確認することも大切なんだと思ったんだ」


 リビアは静かに頷いた。


「私も、そう思う」


 彼女は自分のノートをこちらへ向けた。


 そこには、丁寧な文字でこう書かれていた。


『困っている人がいるかもしれないと思ったら、想像だけで決めつけず、話を聞く』


 俺はその文章を読み、自然と笑みを浮かべた。


「……リビアらしいね」


 そう言うと、彼女は少し照れくさそうに笑った。


「そうかな?」


「うん。リビアは、誰かが困っているかもしれないって気づける人だから。でも、今日はそこからもう一歩進んで、実際にどうだったのか知ろうとしていたでしょう?」


 リビアはしばらく俺を見つめていた。


 それから、ゆっくりと頷いた。


「……うん。そうだね」


 彼女は少しだけ視線を落とし、ノートの端を指先でなぞった。


「私、これからもそういうふうに考えられるようになりたいな」


 俺はその横顔を見つめながら、静かに頷いた。


「俺もだよ」


 しばらくして、リビアがペンを置いた。


 彼女は少しだけ身体をこちらへ寄せ、柔らかな声で口を開いた。


「ねえ、セス。今日も一緒に考えられてよかった」


 俺は彼女の顔を見た。


 その表情には、いつもの明るい笑顔とは少し違う、落ち着いた温かさがあった。


「……俺も、そう思うよ」


 俺が答えると、リビアは嬉しそうに微笑んだ。


 そして、机の上に置かれていた俺の手へ、そっと自分の手を重ねた。


「セスが執事のお仕事を続けたいって思っていること、私は大切にしたいの」


 その言葉に、俺は少し驚いた。


 リビアは以前から、俺の希望を尊重してくれている。


 けれど、今日はその言葉が、いつもより深く胸に響いた。


「……ありがとう、リビア」


 俺がそう答えると、彼女は小さく首を横へ振った。


「でもね、セス。私は、セスがどんなお仕事をすることになっても、ひとりで全部背負ってほしくないの」


 彼女は俺の手を包むように握った。


「今日、グレイヴがみんなの話を聞いていたでしょう? ああいうふうに、セスにも周りの人を頼ってほしいなって思ったの」


 俺はしばらく返事ができなかった。


 父さんにも、同じようなことを言われたばかりだった。


 俺は自分でできることを増やしたいと思っている。


 それは、誰かの役に立ちたいからだ。


 けれど、その気持ちが強くなりすぎると、周りの人へ相談することを忘れてしまう。


 リビアは、そんな俺のことを心配してくれているのだろう。


「……うん。気をつけるよ」


 俺がそう答えると、彼女は少しだけ眉を下げた。


「気をつけるだけじゃなくて、私にも相談してね」


 その声には、控えめながらも確かな願いが込められていた。


 俺は彼女の手を握り返した。


「分かった。リビアにも相談する」


 彼女は安心したように微笑んだ。


「約束だよ」


「うん。約束する」


 俺たちはしばらく、そのまま手を重ねていた。


 窓の外では、庭園の木々が夕方の風に揺れている。


 遠くから聞こえてくる使用人たちの声は、いつもと変わらない。


 けれど、今日の俺には、その声のひとつひとつが、屋敷の暮らしを支える仕事の音として聞こえていた。


     ◇


 夕食の時間が近づいた頃、書斎の扉が控えめに叩かれた。


 俺たちが返事をすると、父さんが顔を覗かせた。


「お嬢様、セス。そろそろ夕食の準備が整います」


「分かりました、グレイヴ。今、片づけますね」


 リビアが答えると、父さんは机の上に並んだノートへ目を向けた。


「今日も学習の記録をまとめていたのですね」


「はい。今朝の見学で気づいたことと、そのあと教えていただいたことを整理していました」


 リビアはそう言って、少しだけ照れくさそうに微笑んだ。


 父さんは穏やかに頷いた。


「それはよいことです。ただし、今日はずいぶん多くのことを学ばれたでしょう。無理にすべてをまとめようとなさらなくても構いませんよ」


 その言葉に、リビアは少しだけ目を丸くした。


 それから、俺と顔を見合わせて笑った。


「……セス、また言われちゃったね」


「うん。俺たち、夢中になると時間を忘れちゃうから」


 父さんは小さく笑った。


「学ぶ意欲があるのは結構なことですが、休むことも忘れないようにしてください」


 俺たちは揃って頷いた。


 ノートを閉じ、ペンを片づけてから立ち上がる。


 父さんが扉を開けてくれたので、俺たちは礼を述べて廊下へ出た。


 食堂へ向かう途中、リビアが小さく声をかけてきた。


「ねえ、セス。明日は、どんなことを学べるかな?」


 俺は少し考えた。


 学院の授業もあるし、屋敷での仕事もある。


 何か特別な出来事が起きるとは限らない。


 それでも、今日のように、普段の生活の中で気づくことはあるのだろう。


「……分からないけど、きっと何かあると思うよ」


 俺がそう答えると、リビアは嬉しそうに微笑んだ。


「ふふっ。そうだね」


 彼女は少しだけ歩幅を緩め、俺の隣へ近づいた。


「でも、何も特別なことがなくてもいいな」


「そうなの?」


「うん。セスと一緒に過ごして、学校へ行って、帰ってきて、こうしてお話しできるだけでも、私は嬉しいから」


 俺はその言葉を聞き、胸の奥が温かくなるのを感じた。


 リビアは、いつもこうして自分の気持ちを素直に伝えてくれる。


 俺はまだ、彼女ほど上手に言葉にできないこともある。


 けれど、今は少しずつ、自分の気持ちを伝えられるようになってきたと思う。


「……俺も、リビアと一緒に過ごせる時間が好きだよ」


 そう答えると、彼女は一瞬足を止めた。


 それから、頬を赤く染めながら嬉しそうに笑った。


「……もう、セスったら」


 俺は少し照れくさくなりながらも、彼女の笑顔を見つめた。


 食堂へ続く廊下には、温かな料理の香りが漂い始めていた。


 今日も、屋敷ではたくさんの人が働いている。


 その仕事のすべてを、俺が知っているわけではない。


 けれど、知らないことがあるからこそ、学ぶことができる。


 そして、学んだことを次の仕事へ生かしていけばいい。


 俺は隣を歩くリビアへ目を向けた。


 彼女はまだ少し頬を染めていたが、俺と視線が合うと、柔らかく微笑んだ。


 その笑顔を見ながら、俺は静かに思った。


(これからも、リビアと一緒に、知らないことをひとつずつ知っていきたい)


 そして、いつか自分が誰かの仕事を支える立場になったとき、今日学んだことを思い出せるようになりたい。


 そんなことを考えながら、俺たちは並んで食堂へ向かった。

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