第104話 公爵令嬢様は、俺が一人で背負わないことを喜んでくれるらしい
進路希望調査を提出した翌朝、パウリー公爵邸の使用人控室には、いつもより少し慌ただしい空気が流れていた。
原因は、厨房から届けられるはずだった食材の一部が、予定より遅れていることだった。
もっとも、朝食に必要なものが不足しているわけではない。厨房ではすでに代わりの食材を使う準備が進められており、屋敷全体の仕事にも大きな影響は出ていなかった。
それでも、使用人たちが予定を確認し直している様子を見て、俺は自然と足を止めていた。
「何か手伝えることはありますか?」
声をかけると、厨房の連絡を担当していた若い使用人が顔を上げた。
「あ、セス様。おはようございます。実は、今朝届く予定だった果物の一部が遅れておりまして……」
「果物ですか?」
「はい。朝食用ではなく、午後のお茶に使う予定のものです。料理長が代わりの品を確認してくださっていますので、大きな問題にはならないと思うのですが」
彼は少し困ったように笑った。
「ただ、午後の準備に関係するので、担当の者たちへ連絡しているところです」
俺は頷き、控室の机に置かれた予定表へ目を向けた。
午後には、旦那様の仕事に関係する来客が予定されている。
そのため、通常のお茶の準備とは別に、客間の整備や使用する食器の確認も必要になるはずだった。
(……今のうちに、客間の準備を確認しておいた方がいいかな)
そう考えたところで、俺はふと昨日までの出来事を思い出した。
共同演習の講評で、先生から指摘されたこと。
俺は危険や問題に気づくのが早い一方で、周囲へ伝える前に動こうとすることがある。
そして、それは必ずしも良い結果につながるとは限らない。
今も、客間の準備を確認しに行こうと思えば、すぐに動ける。
けれど、それは俺が勝手に判断していいことなのだろうか。
俺は一度だけ息を整え、若い使用人へ尋ねた。
「午後の客間の準備は、どなたが担当されていますか?」
「客間の整備はエドガーさんが担当されています。食器の準備は別の者が確認する予定です」
「分かりました。では、俺から何かする前に、父さん……執事長へ確認してみます」
そう答えると、若い使用人は少し安心したように頷いた。
「ありがとうございます。こちらも、必要な連絡は続けておきます」
俺は彼へ礼を伝え、執事長室へ向かった。
廊下を歩きながら、少しだけ不思議な気持ちになった。
以前なら、何か問題を見つけた時点で、自分にできることを探して動いていたと思う。
けれど、今は少し違う。
誰が何を担当しているのか。
どこまで準備が進んでいるのか。
自分が動くことで、かえって混乱を招かないか。
そうしたことを考えるようになっていた。
(……これも、共同演習で学んだことの一つなのかな)
俺はそんなことを考えながら、執事長室の扉をノックした。
◇
「入れ」
父さんの声が聞こえ、俺は扉を開けた。
グレイヴ・シルフィールは机の前に立ち、数枚の書類を確認していた。俺が入室すると、彼は手元の書類を置き、静かに顔を上げた。
「おはよう、セス。何かあったか?」
「おはよう、父さん。厨房の方で、午後のお茶に使う果物が少し遅れているって聞いたんだ」
俺は先ほど確認した内容を伝えた。
朝食には影響がないこと。
料理長が代わりの品を確認していること。
午後の来客に関係する可能性があるため、客間の準備状況も気になったこと。
父さんは途中で口を挟まず、最後まで聞いてくれた。
「なるほど。報告はすでに受けている」
「そうだったんだ」
「ああ。厨房では代替案を検討しているし、客間の準備も担当者が進めている。現時点では、予定を大きく変更する必要はない」
父さんはそう言って、机の上の予定表へ目を向けた。
「お前は、何か手伝おうと思ったのか?」
「うん。でも、勝手に動く前に確認した方がいいと思って」
そう答えると、父さんは少しだけ目を細めた。
「……それは、よい判断だ」
俺は思わず顔を上げた。
「そうかな?」
「ああ。問題に気づいたとき、すぐに行動することが必要な場合もある。しかし、すでに担当者が対応しているなら、別の者が勝手に動くことで、かえって手順が重複することもある」
父さんは穏やかな声で続けた。
「まず状況を確認し、自分に求められている役割を把握する。それも、仕事を円滑に進めるために必要な能力だ」
俺は静かに頷いた。
共同演習でも、似たようなことを教わった。
自分が何を見ているのか。
誰がどの方向を確認しているのか。
問題を見つけたとき、誰へ伝えるべきなのか。
そうした情報を共有することが、仲間の安全につながる。
屋敷の仕事でも、同じなのだろう。
「じゃあ、今は何か手伝えることはないかな?」
俺が尋ねると、父さんは少し考えた。
「午後の来客に関係する準備は、すでに担当者が進めている。お前は学院へ行く準備を優先しなさい」
「……分かった」
俺は頷いたものの、少しだけ申し訳ない気持ちになった。
問題があると聞いたのに、何もしないまま学院へ行く。
それが、以前の俺には少し落ち着かないことだったからだ。
父さんはそんな俺の表情に気づいたのか、穏やかに微笑んだ。
「セス。何もしないことと、任せることは違う」
その言葉に、俺は顔を上げた。
「任せること……」
「ああ。担当者が責任を持って進めている仕事を信頼するのも、大切なことだ。お前がすべてを確認しなければならないわけではない」
父さんは少しだけ声を和らげた。
「それに、お前には学院で学ぶという役割がある。今は、それを大切にしなさい」
俺はしばらく考えたあと、ゆっくりと頷いた。
「……うん。ありがとう、父さん」
「礼を言う必要はない。お前が少しずつ、自分の役割と周囲の役割を考えられるようになっているなら、私としても嬉しいことだ」
その言葉に、胸の奥が少し温かくなった。
俺は父さんへ一礼し、執事長室をあとにした。
◇
朝食の席へ向かうと、リビアが窓際の席で待っていた。
銀青色の髪を綺麗に整えた彼女は、俺の姿を見つけると、ぱっと表情を明るくした。
「セス、おはよう!」
「おはよう、リビア。今日は少し涼しいね」
「うん。朝、窓を開けたら風が気持ちよかったよ」
俺が隣へ座ると、リビアは少しだけ首を傾げた。
「セス、何かあった?」
「え?」
「いつもより、ちょっと考え事をしてる顔だったから」
俺は思わず苦笑した。
「……そんなに分かりやすいかな?」
「ふふっ。セスのことなら、少しは分かるつもりだよ?」
リビアは嬉しそうに笑った。
俺は今朝の出来事を、簡単に話すことにした。
厨房で予定していた食材が遅れていること。
客間の準備が気になったこと。
けれど、勝手に動く前に父さんへ確認したこと。
そして、今は学院へ行く準備を優先するよう言われたこと。
リビアは最後まで聞いたあと、少し驚いたように目を丸くした。
「セス、自分から確認しに行ったんだね」
「うん。前だったら、何かできることを探して動いてたかもしれないけど……」
俺は少し照れくさくなりながら続けた。
「共同演習の講評で言われたことを思い出したんだ」
リビアは一瞬だけ黙り込んだ。
それから、嬉しそうに微笑んだ。
「……そっか。セス、ちゃんと考えてくれたんだね」
「うん。まだ、慣れないけどね」
俺がそう答えると、彼女は小さく首を横へ振った。
「そんなことないよ。すごく大切なことだと思う」
リビアは少しだけ真剣な表情になった。
「セスって、誰かが困っていると、すぐに助けようとしてくれるでしょう? 私は、そういうところが好きなの」
その言葉に、胸の奥が小さく跳ねた。
リビアは少し照れくさそうに笑ったあと、続けた。
「でもね、セスが何でも一人で抱え込んじゃうのは、少し心配だったんだ」
俺は静かに頷いた。
その気持ちは、以前から何度も伝えてもらっている。
俺が自分のことを後回しにすると、リビアは心配そうな顔をする。
それが、彼女にとってどれほど大きな不安なのか、最近になって少しずつ分かってきた。
「……ごめんね、リビア」
俺がそう言うと、彼女はすぐに首を横へ振った。
「謝らなくていいよ。今日は、ちゃんと相談してくれたんでしょう?」
「うん」
「だったら、私は嬉しい」
リビアはそう言って、柔らかく微笑んだ。
「セスが誰かを助けようとする気持ちは、そのままでいいの。でも、セス自身のことも大切にしてほしいな」
俺は彼女の顔を見つめた。
その言葉には、責めるような響きはなかった。
ただ、俺を大切に思ってくれている気持ちが、まっすぐ伝わってくる。
「……うん。気をつけるよ」
そう答えると、リビアは嬉しそうに頷いた。
「約束だよ?」
「うん。約束する」
俺たちは顔を見合わせ、小さく笑った。
朝食が運ばれてくる頃には、先ほどまでの考え事も少し落ち着いていた。
◇
学院へ到着すると、教室ではガレスとサザリーが何かを話していた。
俺とリビアが近づくと、ガレスがこちらへ手を上げた。
「おはよう、クルセス! オリビア様もおはようございます!」
「おはよう、ガレス。何の話をしてたの?」
「昨日の授業で出た課題のことだよ」
サザリーが穏やかに答えた。
「資料を整理して、必要な情報をまとめる課題があっただろう? ガレスが、どこから手をつければいいか迷っていたんだ」
ガレスは少し困ったように頭をかいた。
「いや、内容は分かるんだけどさ。資料が多くて、どれを先に見ればいいのか分からなくなっちまって」
俺は二人の机へ目を向けた。
そこには数枚の資料と、途中まで書かれたノートが広げられている。
「なるほど。じゃあ、最初に課題の目的を確認した方がいいかもしれないね」
俺がそう言うと、ガレスは少し驚いたように顔を上げた。
「目的?」
「うん。何をまとめる課題なのかが分かれば、必要な資料も選びやすくなると思う」
サザリーが静かに頷いた。
「僕も、同じことを話していたところだよ。資料を全部読むことが目的ではなくて、必要な情報を整理することが大切だからね」
ガレスはしばらく考え込んだあと、納得したように頷いた。
「なるほどな。じゃあ、まず課題の説明を読み直してみるか」
俺たちは一緒に資料を確認し、必要な項目を整理していった。
ただし、俺が全部をまとめるわけではない。
ガレス自身が考えられるように、分からないところを一緒に確認するだけだ。
そのうち、ガレスは自分で資料を選び、ノートへ必要な内容を書き始めた。
「……よし。これなら、何とかできそうだ」
彼は嬉しそうに笑った。
「ありがとな、クルセス。サザリーも助かったぜ」
「どういたしまして」
俺が答えると、サザリーも穏やかに頷いた。
「ガレスが自分で整理できたなら、それが一番だね」
その言葉を聞き、俺は少しだけ考え込んだ。
今朝、父さんから言われたことと似ている。
誰かを助けることは、必ずしもその人の仕事を代わりにやることではない。
必要な情報を伝えたり、一緒に考えたりすることも、助けになる。
そして、相手が自分でできるようになることも大切なのだろう。
(……こういうことも、もっと意識していきたいな)
俺はそんなことを考えながら、授業の準備を始めた。
◇
午前の授業では、魔術の基礎制御について復習が行われた。
来月には、先生の監督のもとで個別の属性実技が予定されている。
ただし、今日は実技ではなく、これまで学んできた内容を確認するための座学だった。
エレナ先生は黒板に魔力の流れを示す図を書き、生徒たちへ説明していた。
「魔術を扱ううえで大切なのは、出力の大きさだけではありません。必要な量を、必要なタイミングで、正確に制御することです」
先生はそう言って、黒板の図を指さした。
「特に、複数の属性に適性がある生徒は、扱える属性が多いからといって、同時に使えばよいというわけではありません。まずは一つずつ、確実に制御できることが重要です」
俺は静かに頷いた。
五つの属性に適性がある俺にとっても、それは大切なことだった。
魔力量が多いからといって、強い魔術を使えばいいわけではない。
周囲の状況や目的に合わせ、必要なだけの力を使う。
それは、父さんからも何度も教えられてきた。
エレナ先生は教室を見渡し、言葉を続けた。
「来月の個別実技では、水・土・風の中から、こちらで指定した二つの属性を使用します。順序や出力も、指示に従ってください」
生徒たちは真剣な表情で話を聞いていた。
「高出力の魔術や、複数属性を組み合わせた魔術は行いません。今回は、基本的な制御を確認することが目的です」
俺はノートへ要点を書き込んだ。
低出力。
停止。
中出力。
停止。
再び低出力。
停止。
先生の指示に従い、決められた順序で行う。
以前から説明されている内容だが、改めて確認しておくことには意味がある。
そのとき、エレナ先生が少しだけ表情を和らげた。
「皆さん、今の段階で完璧にできる必要はありません。大切なのは、自分の得意なことと、まだ練習が必要なことを理解することです」
その言葉に、俺はふと進路希望調査のことを思い出した。
自分の得意なこと。
まだ学びたいこと。
そして、将来どうなりたいのか。
それらを考えることは、魔術の練習にも似ているのかもしれない。
自分が何をできるのかを知り、何を学びたいのかを考える。
そして、必要なことを一つずつ積み重ねていく。
俺はノートへ視線を落とし、少しだけ口元を緩めた。
◇
昼休み、俺たちは食堂でエミリアと合流した。
彼女は少し大きめの本を抱えており、席へ着くと丁寧に机の端へ置いた。
「エミリア、その本は?」
俺が尋ねると、彼女は嬉しそうに微笑んだ。
「物資の管理について書かれた本です。昨日、図書室で見つけたんです」
俺は思わず目を丸くした。
「もう調べ始めてるんだね」
「はい。進路希望調査を書いてから、少し興味が強くなってしまって」
エミリアは少し照れくさそうに笑った。
「まだ全部は読めていないんですけど、物資の数を確認するだけじゃなくて、保管場所や使用期限、運ぶ順番なども大切なんだって分かりました」
その言葉に、俺は共同演習のことを思い出した。
俺たちは保存食や飲料水、応急処置用の布包みなどを運び、決められた場所へ届けた。
演習では数や状態を確認することが重要だったが、実際の仕事では、それ以外にも考えることがたくさんあるのだろう。
「面白そうだね」
俺が言うと、エミリアは嬉しそうに頷いた。
「はい。まだ知らないことばかりですけど、読んでいて楽しいです」
ガレスが少し感心したように笑った。
「すげえな。俺は進路希望調査を提出したら、ちょっと気が抜けちまったよ」
サザリーが穏やかに微笑んだ。
「それも自然なことだと思うよ。でも、エミリアのように興味のあることを調べ始めるのも、いいきっかけになるね」
リビアも嬉しそうに頷いた。
「私も、領地のことを学ぶために、まずは資料を読んでみようと思ってるの」
エミリアは少し驚いたように目を丸くした。
「オリビア様もですか?」
「うん。お父様に相談したら、学習用に見せられる資料があるか確認してくださることになったの」
その言葉に、エミリアは嬉しそうに微笑んだ。
「素敵ですね。私も、読んだ本の内容を整理してみようと思います」
俺は彼女たちの話を聞きながら、胸の奥が少し温かくなるのを感じた。
進路希望調査を提出したことで、何かが終わったわけではない。
むしろ、そこから新しい興味が生まれたり、学びたいことが見つかったりしている。
それは、俺にとっても嬉しいことだった。
「俺も、何か調べてみようかな」
思わずそう呟くと、リビアが嬉しそうに顔を向けた。
「セスは、何を調べたいの?」
「うーん……まだ決めてないけど、執事の仕事に関係することだけじゃなくて、興味を持った分野を少しずつ調べてみたいかな」
俺が答えると、リビアは柔らかく微笑んだ。
「うん。いいと思うよ」
その表情を見て、俺も自然と笑みを返した。
◇
午後の授業が終わり、俺とリビアは学院の廊下を並んで歩いていた。
窓の向こうでは、校庭の木々が風に揺れている。
部活動へ向かう生徒たちの声が遠くから聞こえ、廊下には帰宅する生徒たちの足音が響いていた。
「セス、今日は何だか楽しそうだったね」
リビアが微笑みながら言った。
「そうかな?」
「うん。エミリアさんの本の話を聞いているとき、すごく興味深そうだった」
俺は少し考えてから頷いた。
「確かに、面白そうだと思ったよ。自分が知らない仕事のことを知るのって、楽しいんだなって」
リビアは嬉しそうに微笑んだ。
「ふふっ。セスらしいね」
俺たちは階段を下りながら、今日の授業について話した。
魔術の制御について復習したこと。
来月の個別実技では、先生の指示を守ることが大切だと改めて確認したこと。
そして、進路希望調査を提出してから、少しずつ将来のことを考えるようになったこと。
そのどれもが、今の俺たちにとって大切なことだった。
学院の玄関へ近づいたところで、リビアが少しだけ歩く速度を落とした。
「ねえ、セス」
「うん?」
「今朝、グレイヴに相談したことなんだけどね」
俺は彼女へ顔を向けた。
「厨房のこと?」
「うん。セスが自分で全部やろうとしなかったの、私、本当に嬉しかったの」
リビアは少し照れくさそうに微笑んだ。
「だって、セスが誰かを助けようとする気持ちは、昔から変わらないでしょう? でも、その気持ちを大切にしながら、自分の役割も考えてくれたんだなって」
俺は静かに頷いた。
「……うん。まだ、慣れないけどね」
「それでも、少しずつ変わってるよ」
彼女はそう言って、俺の手へそっと触れた。
俺はその手を握り返した。
周囲にはほかの生徒たちもいたため、俺たちは自然な距離を保ちながら歩き続けた。
「リビアが心配してくれてたこと、俺もちゃんと考えたいんだ」
俺がそう言うと、彼女は少し驚いたように顔を上げた。
「セス……」
「俺が何でも一人でやろうとすると、リビアも心配するし、周りの人たちにも迷惑をかけることがあるかもしれない。だから、少しずつでも変わりたいと思ってる」
リビアはしばらく俺を見つめていた。
それから、嬉しそうに微笑んだ。
「……ありがとう、セス」
その声は、いつもより少し柔らかかった。
俺も自然と笑みを返した。
「こちらこそ、いつもありがとう」
俺たちは手をつないだまま、学院の玄関を出た。
◇
屋敷へ戻ると、玄関では父さんが俺たちを迎えてくれた。
「お帰り、セス。オリビア様も、お疲れさまでございました」
「ただいま、父さん」
「ただいま戻りました、グレイヴ」
父さんは俺たちの表情を確認したあと、少しだけ目を細めた。
「今日は、よい一日だったようだな」
俺は思わず笑った。
「うん。授業も楽しかったし、友達といろいろ話せたよ」
「それは何よりだ」
父さんは穏やかに頷いた。
俺はふと、今朝の厨房のことを思い出した。
「そういえば、父さん。今朝の果物の件は、どうなったの?」
「ああ。昼前には連絡が入り、予定していた品の一部は午後に届いた。残りは代わりの食材で対応することになったが、来客へのお茶の準備には支障がなかった」
俺は安心して息を吐いた。
「そっか。よかった」
「厨房と客間の担当者が、必要な連絡を取り合って対応してくれたからな」
父さんは少しだけ微笑んだ。
「お前が心配していたことも、無事に解決した」
その言葉に、俺は静かに頷いた。
俺が何もしなくても、仕事はきちんと進んでいた。
それは、当然のことなのかもしれない。
けれど、今の俺には、少し大切な気づきだった。
「……みんな、ちゃんと自分の仕事をしてるんだね」
俺がそう呟くと、父さんは穏やかに頷いた。
「ああ。屋敷の仕事は、一人で成り立っているわけではない。多くの者が、それぞれの役割を果たしているからこそ、円滑に進む」
俺はその言葉を聞き、共同演習の六人を思い出した。
誰か一人が優れているだけでは、すべてを達成することはできなかった。
それぞれが役割を持ち、互いに助け合ったからこそ、無事に演習を終えることができた。
屋敷の仕事も、きっと同じなのだろう。
「……うん。俺も、もっとそういうことを考えられるようになりたいな」
父さんは静かに微笑んだ。
「その気持ちがあれば、少しずつ学んでいけるだろう」
俺は頷き、父さんへ礼を伝えた。
◇
夕食まで少し時間があったため、俺とリビアは屋敷の談話室で過ごすことにした。
窓際の席には温かな紅茶が用意され、外には夕暮れの庭園が広がっている。木々の葉が風に揺れ、花壇の向こうでは庭師たちが最後の片づけをしていた。
俺たちは向かい合って座り、ゆっくりと紅茶を飲みながら、今日の出来事を振り返った。
「セス、今日は本当にいろんなことがあったね」
リビアが微笑んだ。
「うん。朝の厨房のこともあったし、学院でもいろいろ考えたよ」
「ふふっ。でも、セスが楽しそうでよかった」
彼女はそう言って、少しだけ首を傾げた。
「ねえ、セス。ひとつ聞いてもいい?」
「うん。何でも聞いて」
リビアは少し考え込んだあと、静かに口を開いた。
「セスは、これからも誰かが困っていたら、助けたいって思う?」
俺は少し驚いた。
けれど、答えはすぐに浮かんだ。
「うん。もちろん」
リビアは嬉しそうに微笑んだ。
「そっか。……うん、そうだよね」
彼女は少しだけ視線を落とし、続けた。
「私ね、セスが誰かを助けようとするところ、本当に好きなの。でも、セス自身が無理をしてしまうのは、やっぱり心配なの」
俺は静かに頷いた。
その気持ちは、何度も伝えてもらっている。
そして、今は以前よりも理解できるようになっていた。
「……うん。俺も、そこは気をつけたいと思ってる」
リビアは少しだけ顔を上げた。
「だからね、セスが今日みたいに、まず相談してくれたら嬉しいなって」
俺は彼女の顔を見つめた。
「相談すること?」
「うん。セスが全部一人で背負わなくても、周りには頼れる人がたくさんいるでしょう?」
彼女は柔らかく微笑んだ。
「もちろん、私もその一人でいたいな」
その言葉に、胸の奥が温かくなった。
俺は少し考えてから、静かに頷いた。
「……うん。リビアにも、ちゃんと相談するよ」
リビアは嬉しそうに微笑んだ。
「約束だよ?」
「うん。約束する」
俺たちは顔を見合わせ、小さく笑った。
窓の外では、夕方の光が少しずつ薄くなっていく。
今日、俺は何か大きなことを成し遂げたわけではない。
厨房の問題を解決したわけでもなければ、学院で特別な成果を上げたわけでもない。
ただ、困っている人がいると聞いて、すぐに動く前に確認した。
そして、周囲の人たちがそれぞれの役割を果たしていることを知った。
それだけのことだった。
けれど、俺にとっては大切な一歩だったのかもしれない。
リビアは俺の手へそっと触れ、嬉しそうに微笑んだ。
「セス、これからも一緒に頑張ろうね」
「うん。リビアも、何か困ったことがあったら相談してね」
そう答えると、彼女は少し驚いたように目を丸くした。
「私も?」
「もちろん。俺ばっかり相談するんじゃなくて、リビアにも頼ってほしいから」
リビアはしばらく俺を見つめていた。
それから、頬をほんのり赤く染めて微笑んだ。
「……うん。ありがとう、セス」
俺は彼女の手を握り返した。
窓の向こうでは、屋敷の庭園に夕暮れの影が伸びている。
明日も、きっと新しいことがあるだろう。
分からないことや、迷うこともあるかもしれない。
けれど、俺は少しずつ、自分一人で抱え込まなくてもいいのだと分かってきた。
父さんも、リビアも、学院の仲間たちもいる。
そして、俺自身も、誰かに頼られるだけでなく、誰かを頼っていい。
そのことを忘れずにいられたら、これから先も、きっと少しずつ前へ進んでいける。
俺は隣で微笑むリビアを見つめながら、穏やかな夕暮れの時間を過ごした。




