第100話 公爵令嬢様は、俺たち六人の答えを誇りに思うらしい
翌朝、パウリー公爵邸の庭園には、昨夜まで降っていた雨の名残が残っていた。
窓から差し込む朝日が濡れた石畳を照らし、植え込みの葉に残った水滴が小さく輝いている。空はまだ薄い雲に覆われていたものの、雨が降り続いていた昨日とは違い、遠くの建物までくっきりと見渡せる穏やかな朝だった。
俺は制服の袖口を整えながら、机の上に置いた鞄へ目を向けた。
中には授業で使う教科書とノート、それから図書室で借りている書物の保存方法に関する本が入っている。昨夜は夕食後に続きを読もうと思っていたのだが、父さんから頼まれた帳簿の確認方法について質問しているうちに時間が過ぎ、結局、数ページしか読み進められなかった。
もっとも、帳簿についての話も面白かった。
俺が以前から慣れ親しんできた仕事には、正確に記録するだけでなく、あとから別の人が確認できる状態を保つという意味がある。父さんはそれを当然のように実践しているけれど、最近になって、その重要さを以前より理解できるようになった気がする。
(自分が分かっていればいい、というものじゃないんだよな。ほかの人が同じ情報を見て、判断できるようにしておくことも大切なんだ)
そんなことを考えながら鞄を持ち上げたところで、控えめなノックが聞こえた。
「セス、起きてる?」
扉の向こうから聞こえたのは、リビアの声だった。
「うん。もう準備は終わってるよ」
扉を開けると、銀青色の髪を綺麗に整えたリビアが立っていた。今日は少し早めに支度を済ませたらしく、手には小さな手帳を持っている。
「おはよう、セス。昨日の雨、すっかり止んだみたいだね」
「おはよう、リビア。庭園も綺麗だったよ。まだ石畳は濡れているけど、今日は外を歩きやすそうだね」
「うん。昨日、一緒に歩いたところも、朝日が当たると違って見えるのかなって思ってたの」
リビアは楽しそうに笑ったあと、俺の鞄へ視線を落とした。
「今日は、その本も持っていくんだね」
「うん。昼休みに少し読めたらと思って。昨日の続きが気になってるんだ」
「ふふっ、セスらしいね。でも、今日はほかにも気になることがあるんじゃない?」
そう言われて、俺は少し考えた。
授業の予定なら、昨日のうちに確認している。
委員会の活動については、今日の放課後に正式な試験が行われるとは聞いていない。
何か見落としていただろうか。
俺が首を傾げると、リビアは小さく笑った。
「昨日、ガレス君が話していたでしょう? 共同演習の講評について、そろそろ連絡があるかもしれないって」
「ああ、そうだったね」
俺はようやく思い出した。
少し前に行われた第三班の共同演習では、俺たち六人が指定された物資を運び、途中に設置された装置の状態を確認しながら、全員で目的地へ到着した。
演習そのものは終了しているものの、担当教員による正式な評価はまだ伝えられていない。
ガレスは昨日、ほかの班の生徒から講評の準備が進んでいるらしいと聞いたそうだ。ただし、それがいつ、どのような形で伝えられるのかまでは分からなかった。
「まだ正式な連絡は来ていないから、今日とは限らないけどね」
俺が答えると、リビアは頷いた。
「うん。でも、もし講評があったら、みんなでちゃんと聞きたいなって思ってるの」
「そうだね。俺も、自分たちがどんなふうに見られていたのか知りたいよ」
リビアは嬉しそうに微笑んだ。
「じゃあ、今日は一緒に楽しみにしていようね」
俺は頷き、彼女と並んで食堂へ向かった。
廊下には朝の光が差し込み、窓の向こうでは庭師たちが濡れた小道を確認している。
昨日と同じ場所なのに、雨が止んだだけで屋敷全体の雰囲気が違って感じられた。
リビアが昨日、同じ景色でも見る人や時間によって違って見えると言っていたことを思い出す。
今日の学院でも、何か新しい発見があるのかもしれない。
◇
学院へ到着すると、玄関前には普段の朝の賑わいが戻っていた。
昨日は雨を避ける生徒たちで混み合っていた屋根の下も、今日は比較的余裕がある。生徒たちはそれぞれの教室へ向かい、友人と話しながら廊下を歩いていた。
俺とリビアが教室へ入ると、ガレスが真っ先にこちらへ顔を向けた。
「おはよう、クルセス! オリビア様もおはようございます!」
「おはよう、ガレス。今日はずいぶん元気だね」
「そりゃそうだろ。朝から面白い話を聞いたんだよ」
ガレスは声を少し落とし、俺たちの方へ身を乗り出した。
「共同演習の講評、今日の午後にあるらしいぞ」
「本当?」
リビアが尋ねると、ガレスは勢いよく頷いた。
「さっき廊下でレオル先輩に会ったんです。第三班の全員に、放課後の予定を確認しておくようにって、担当の先生から連絡があったらしくて」
俺は思わず目を見開いた。
「レオル先輩から?」
「ああ。詳しいことはまだ聞いてないけど、たぶん講評だろうって話だった」
その言葉を聞いたところで、隣の席からサザリーが顔を上げた。
「ガレス。先生からの連絡は、第三班の全員が放課後に集まるように、ということだったんだよね?」
「そうだけど?」
「だったら、講評だと決まったわけではないと思うよ。演習についての確認かもしれないし、別の連絡がある可能性もある」
ガレスは少し考えたあと、苦笑した。
「まあ、確かにそうだな。俺が勝手に講評だと思ってただけか」
「でも、演習に関する連絡があるなら、何か進展するかもしれないね」
俺がそう言うと、サザリーは頷いた。
「うん。少なくとも、第三班全員に関係する話なのは確かだろうね」
リビアは二人のやり取りを聞きながら、少し楽しそうに微笑んでいた。
「どんな内容でも、みんなで聞けるなら嬉しいな。あの演習では、六人それぞれが頑張ったものね」
「そうですよね!」
ガレスは力強く頷いた。
「俺、あの坂道で荷物を運んだときのこと、まだ覚えてますよ。あれだけ重い荷物を持って、全員で進むのはなかなか大変でしたから」
俺もその場面を思い出した。
濡れた地面ではなかったものの、斜面の一部は滑りやすく、荷物を抱えたまま進むには慎重な足運びが必要だった。
俺たちは一人だけ先へ進むのではなく、荷物の状態や仲間の位置を確認しながら進んだ。
ガレスは力仕事を引き受けるだけでなく、足場が不安定な場所では周囲へ声をかけてくれていた。
「ガレスが荷物を支えてくれたおかげで、俺たちも動きやすかったよ」
俺が言うと、ガレスは少し照れくさそうに笑った。
「まあ、俺は力仕事くらいしかできなかったからな」
「そんなことないよ」
リビアが穏やかな声で答えた。
「ガレス君は、みんなが通る場所を確認してくれたでしょう? あのとき声をかけてもらえたから、私も安心して進めたんだよ」
ガレスは一瞬言葉に詰まり、照れ隠しのように頭を掻いた。
「……ありがとうございます。そう言ってもらえると嬉しいです」
その様子を見ていたサザリーが、静かに微笑んだ。
「僕も、あの演習では自分の役割について考えることが多かったよ。今日何か話があるなら、そこを振り返るいい機会になりそうだね」
俺は二人の顔を見ながら頷いた。
共同演習が終わってから、俺たちは何度か当日の出来事を話している。
けれど、六人全員が揃って、担当教員から直接話を聞く機会はまだなかった。
もし今日その時間があるのなら、俺も大切にしたいと思った。
◇
午前の授業は、普段どおりに進んだ。
魔術の基礎理論では、属性ごとの性質の違いについて学び、歴史の授業では、古い街道が整備されていった過程について説明を受けた。
俺はノートを取りながら、授業の内容へ集中していた。
共同演習のことは気になっていたものの、まだ正式な連絡が来ていない以上、考えても答えは出ない。
それよりも、目の前の授業をきちんと理解する方が大切だ。
昼休みになると、俺たちは食堂でエミリアと合流した。
彼女はいつものように落ち着いた表情をしていたが、席へ着くとすぐに俺たちへ尋ねた。
「皆さん、レオル先輩からの連絡は聞きましたか?」
「うん。ガレスから聞いたよ」
俺が答えると、エミリアは安心したように微笑んだ。
「よかったです。私にも連絡が来ていたんですけど、皆さんへ伝わっているか気になっていたので」
サザリーが食器を置きながら尋ねた。
「エミリアは、何か詳しいことを聞いている?」
「いえ。第三班の全員が、放課後に指定された教室へ集まるように、ということだけです」
「やっぱり、内容までは分からないんだね」
俺が言うと、エミリアは頷いた。
「はい。でも、私は少し楽しみです」
その言葉に、ガレスが顔を上げた。
「エミリアもか?」
「ええ。あの演習では、物資の数や状態を確認する役割を担当しましたけど、実際に運び終えてからも、もっと分かりやすく記録できたんじゃないかって考えていたんです」
エミリアは少し照れくさそうに笑った。
「特に、荷物を持ち替えたときの確認方法ですね。あのときは問題なく進められましたけど、もし誰かが数を勘違いしていたら、途中で気づけたのかなって」
俺は彼女の言葉を聞きながら、当日のことを思い出した。
第三班が運んだ物資は、保存食の包みが六つ、飲料水の小瓶が四つ、応急処置用の布包みが二つ、記録用紙の束が一つ、それから封印付きの木箱が二つだった。
木箱にはそれぞれ番号が付けられており、途中で中身を確認することは認められていなかった。
エミリアは出発前と到着時だけでなく、途中でも荷物の状態を気にかけてくれていた。
「俺は、エミリアが確認してくれたから安心して運べたよ」
そう答えると、彼女は小さく首を振った。
「ありがとうございます。でも、安心してもらえたことと、もっとよい方法があるかどうかは別ですから」
その言葉には、彼女らしい真面目さが表れていた。
ガレスは感心したように頷き、サザリーも興味深そうに耳を傾けている。
「それなら、今日の話で何か参考になることが聞けるといいね」
リビアが言うと、エミリアは嬉しそうに微笑んだ。
「はい。私もそう思っています」
俺はそのやり取りを見ながら、少し不思議な気持ちになっていた。
演習が終わった直後、俺たちは全員で無事に到着できたことを喜んだ。
もちろん、それは今でも嬉しい。
けれど、時間が経つにつれて、それぞれが違う部分を振り返るようになっている。
ガレスは足場や荷物の運搬について考え、エミリアは記録と確認方法を気にしている。
サザリーは判断の根拠を整理し、リビアは仲間同士の連携について話していた。
レオル先輩も、きっと俺たちとは違う視点から演習を振り返っているのだろう。
(同じ演習を経験したのに、こんなに考えることが違うんだな。だからこそ、六人で話し合う意味があるのかもしれない)
俺はそう思いながら、昼食を続けた。
◇
放課後、俺たちは指定された教室へ向かった。
教室は普段の授業で使う部屋より少し小さく、机が六人で向かい合えるように配置されていた。黒板の前には担当教員用の机があり、その上には数枚の資料が置かれている。
すでにレオル先輩が到着しており、俺たちを見ると軽く手を上げた。
「おう、全員揃ったな」
「レオル先輩、お疲れさまです」
俺が挨拶すると、先輩は頷いた。
「今日は演習の講評らしい。さっき先生から正式に聞いた」
その言葉に、ガレスが嬉しそうに顔を上げた。
「やっぱり講評だったんですね!」
「ああ。ただし、順位を発表する場じゃないそうだ。第三班の行動記録を確認して、よかった点と改善できる点を話すってことらしい」
俺はその説明を聞き、少し安心した。
もちろん、ほかの班がどんな結果だったのかも気になる。
けれど、俺たちが何をできて、何が足りなかったのかを知ることの方が、今は大切に思えた。
全員が席へ着いてしばらくすると、担当教員が教室へ入ってきた。
先生は俺たちへ挨拶すると、机の上へ資料を広げた。
「今日は、先日の共同演習について、第三班の講評を行います。最初に伝えておきますが、これは班同士の順位を発表するものではありません。各班の行動記録をもとに、達成できたことと、今後改善できることを確認するための時間です」
俺たちは姿勢を正した。
先生は資料へ目を落とし、言葉を続けた。
「第三班は、指定された物資をすべて目的地へ届け、途中の三か所で必要な確認を行い、六人全員が安全に到着しました。まず、この三つの目的を達成したことを評価します」
ガレスが小さく息を吐いた。
エミリアは膝の上で手を重ね、静かに先生の話を聞いている。
リビアは背筋を伸ばしたまま、真剣な表情で前を見つめていた。
「ただし、目的を達成したという結果だけで、すべての判断が適切だったと決めるわけではありません。今回は、途中の選択についても確認していきます」
先生は黒板へ簡単な経路図を描いた。
出発地点から二つの経路が分かれ、途中で再び合流する形になっている。
俺たちが選んだのは西側の経路だった。
「第三班は、東側の経路ではなく、西側を選択しました。その理由を、代表して説明できますか?」
先生の問いに、レオル先輩が立ち上がった。
「はい。東側の経路には、一度に運べる荷物の重量に制限がありました。第三班が運搬する物資をすべて持った状態では、その条件を満たせない可能性があったためです」
先生は頷いた。
「続けてください」
「荷物を分けて運ぶ方法も考えられましたが、今回は全員で安全に到着することも目的でした。班を分けたり、荷物を一時的に残したりするより、西側の経路を選んだ方が、全員の位置と物資の状態を確認しやすいと判断しました」
先生はその説明を聞き終えると、資料へ目を向けた。
「判断の理由は、提出された記録とも一致しています。では、東側の経路は危険だったのでしょうか?」
先輩は少し考えてから答えた。
「いいえ。東側そのものが危険だと判断したわけではありません。今回の物資量と班の行動条件を考えた結果、西側を選びました」
「その区別は重要です」
先生は黒板へ二つの言葉を書いた。
ひとつは、経路そのものの危険性。
もうひとつは、与えられた条件との適合性。
「ある経路を選ばなかったからといって、その経路が危険だったとは限りません。今回の第三班は、東側の重量制限と自分たちの荷物を照らし合わせ、条件に合う経路を選択しました。この判断は適切だったと評価できます」
俺は先生の言葉を聞きながら、あの日の話し合いを思い出していた。
ガレスは荷物を分けて運ぶ方法を考え、サザリーはその場合に生じる確認の手間を指摘した。
エミリアは物資の管理を気にかけ、リビアは全員の安全を優先するべきだと話した。
レオル先輩はそれぞれの意見を聞き、最終的な方針を整理してくれた。
俺も意見を出したけれど、あの判断は決して俺一人で決めたものではない。
先生は次の資料を手に取った。
「一方で、改善できる点もあります。第三班は西側を選んだあと、斜面と障害物を通過する際に、何度か隊列を調整していますね」
「はい」
レオル先輩が答える。
「調整そのものは適切でした。ただし、誰が先頭の足場を確認し、誰が最後尾の荷物を確認するのか、最初の段階でもう少し明確にしておけば、途中の声かけを減らせた可能性があります」
俺は思わず顔を上げた。
あの日、俺たちは状況に応じて役割を変えていた。
それは柔軟な対応だったと思っていたが、先生の言うとおり、事前に決めておけた部分もあったのかもしれない。
「もちろん、途中で状況が変われば役割を変更する必要はあります。しかし、変更する前の基準が曖昧だと、誰が何を確認しているのか分からなくなる場合があります」
先生は俺たちを見渡した。
「この点について、何か思い当たることはありますか?」
少しの沈黙が流れた。
最初に口を開いたのは、ガレスだった。
「俺、斜面のところで荷物を支えることばかり考えて、後ろの状況を確認するのが遅れた場面がありました」
先生は頷いた。
「そうですね。ただし、そのあと仲間から声をかけられ、位置を調整しています。問題が起きたときに修正できたことは評価できますが、最初から役割が明確なら、さらに余裕を持てたかもしれません」
ガレスは真剣な表情で頷いた。
「はい。次は気をつけます」
その言葉に続くように、エミリアが手を挙げた。
「私も、荷物の数を確認することに集中していたので、持ち替えたあとに誰がどの荷物を持っているか、すぐには把握できなかった場面がありました」
「その点は、記録にも残っています」
先生は資料を確認した。
「ただし、第三班は途中で物資の数を確認し直し、欠落がないことを確かめています。確認を怠らなかったことはよかった点です。今後は、持ち替える前後で誰が何を確認するのか、簡単な方法を決めておくとよいでしょう」
エミリアは小さく頷き、手元のノートへ書き込んだ。
俺は二人の話を聞きながら、自分が気づいていなかったことの多さを感じていた。
演習中、俺は周囲の安全や仲間の動きへ注意を向けていたつもりだった。
けれど、全員の考えや判断を、すべて把握できていたわけではない。
むしろ、俺が見ていなかったところで、仲間たちがそれぞれの役割を果たしてくれていた。
その事実が、講評を通して少しずつ明らかになっていく。
◇
先生は続いて、途中に設置されていた三つの装置について話し始めた。
「第三班は、指定された装置の状態を確認する際、魔術を使用せず、外観と表示された情報をもとに記録しています。この点は、指示を守った適切な行動でした」
俺は静かに頷いた。
あの装置は、古い魔術技術に関係するものだった。
ただし、今回の演習では内部の仕組みを調べることも、魔力を流して反応を確かめることも求められていなかった。
俺たちに与えられていたのは、指定された範囲の状態を確認し、記録することだけだった。
「ここで重要なのは、調べられる能力があるかどうかではありません。許可された範囲を理解し、その範囲内で必要な情報を集められるかどうかです」
先生の言葉に、俺は少しだけ背筋を伸ばした。
魔術の扱いに慣れていると、つい自分の力で何かを確かめたくなる。
けれど、知らない装置へ勝手に魔力を流すことが危険なのは、以前から教わってきた。
今回、俺たちはその原則を守った。
先生はサザリーへ視線を向けた。
「サザリー君。記録をまとめる際、確認できた事実と推測を分けていましたね。その理由を説明できますか?」
サザリーは姿勢を正して答えた。
「はい。装置の内部については確認していないため、外側の状態だけで正常か異常かを断定することはできないと考えました。見たことと、そこから考えられることを混同しないようにしました」
「よい判断です。第三班の記録には、観察できた範囲が明確に示されていました」
先生はそう言って頷いた。
「ただし、記録の一部には、確認した順番が分かりにくい箇所もありました。複数人で作業する場合、あとから読んだ人が状況を再現できるように、時系列も意識するとよいでしょう」
サザリーは少し考え込んだあと、頷いた。
「ありがとうございます。確かに、情報の種類を分けることばかり考えて、順番の整理が十分ではなかったかもしれません」
先生は続いて、リビアへ顔を向けた。
「オリビアさんは、装置の確認中、ほかの生徒が近づきすぎないよう位置を調整していましたね」
「はい。確認する人の邪魔にならないようにしながら、周囲の通行にも気をつけていました」
「その判断は適切でした。特に、必要以上に近づかず、作業する者の視界を確保していた点は評価できます」
リビアは少し嬉しそうに微笑んだ。
「ありがとうございます」
「ただし、途中でクルセス君と同じ方向を確認していた時間がありました。二人が同じ場所を見る必要がある場合もありますが、別の方向を確認する役割があるなら、事前に共有しておくとよいでしょう」
俺はその言葉に、はっとした。
確かに、あのとき俺とリビアは、装置の周囲にある表示を同時に確認していた。
俺たちにとっては自然な行動だったが、その間、別の方向への注意が薄くなっていた可能性がある。
「先生、俺もその場面を覚えています。リビアと同じ場所を見ていたので、ほかの方向は別の人が確認してくれていると思っていました」
俺が答えると、先生は頷いた。
「そうですね。実際にはほかの班員が周囲を確認していましたが、それを互いに共有していたかどうかが重要です」
リビアは俺へ目を向けた。
「セス、あのとき私も、みんなが見てくれているから大丈夫だと思ってたの。でも、ちゃんと確認しておけばよかったね」
「うん。俺もそう思う」
俺たちは小さく頷き合った。
責められているわけではない。
むしろ、先生は俺たちが次に同じような状況へ置かれたとき、より安全に行動できるように説明してくれている。
そのことが分かるからこそ、指摘された内容を素直に受け止めることができた。
◇
講評はさらに続いた。
先生はレオル先輩へ視線を向け、班全体の調整について話し始めた。
「レオル君は、班員から出た意見を整理し、判断を急がずに確認していました。特に、経路選択の際、複数の意見を聞いたうえで、目的に合う方法を選んだ点は評価できます」
「ありがとうございます」
レオル先輩は落ち着いた声で答えた。
「ただし、途中の隊列変更では、君自身が確認することを増やしすぎた場面がありましたね」
その言葉に、先輩は少し苦笑した。
「はい。あのときは、全員の位置を自分で把握しようとしていました」
「班長が全体を見ることは大切です。しかし、すべての情報を自分で集めようとすると、かえって判断が遅れる場合があります。班員に役割を任せ、必要な情報を報告してもらう方法も考えてください」
先輩はしばらく考え込んだあと、深く頷いた。
「分かりました。次は、役割を任せるところまで含めて考えます」
俺はその言葉を聞きながら、父さんから教わってきたことを思い出していた。
すべてを自分で引き受けるのではなく、周囲へ頼ること。
必要なことを共有し、ほかの人が動きやすいようにすること。
最近、俺自身も意識していることだった。
けれど、レオル先輩のように班全体をまとめる立場でも、同じような難しさがあるのだと知り、少し意外に感じた。
先輩は俺より年上で、経験も豊富だ。
その先輩でさえ、まだ学ぶことがある。
そう考えると、俺も今の自分にできることだけで満足してはいけないのだろう。
先生は最後に、俺へ顔を向けた。
「クルセス君。君についても話しておきましょう」
「はい」
俺は背筋を伸ばした。
「君は演習中、周囲の状況をよく確認し、必要な場面で仲間へ情報を伝えていました。特に、斜面や障害物を通過する際、無理に先へ進まず、全員の状態を確認していた点は評価できます」
「ありがとうございます」
先生は頷いたあと、少し表情を引き締めた。
「一方で、君には一つ意識してほしいことがあります」
俺は先生の言葉を待った。
「君は自分が対応できると判断した場面で、周囲へ確認する前に動こうとする傾向があります。今回の演習では、実際に問題が起きる前に仲間と連携できていましたが、能力が高いからこそ、先に動けてしまうことがあります」
その指摘に、胸の奥が少しだけ重くなった。
思い当たることがあったからだ。
演習中、足場の悪い場所で荷物を支えようとしたとき、俺は自分なら対応できると考えていた。
もちろん、勝手に魔術を使ったわけではない。
けれど、仲間へ声をかけるより先に、自分が動けばいいと思った場面は確かにあった。
「……はい。思い当たることがあります」
俺が答えると、先生は穏やかに頷いた。
「それ自体が悪いというわけではありません。素早く判断できることは長所です。しかし、共同作業では、自分ができることと、自分がするべきことが一致するとは限りません」
先生は少し間を置き、言葉を続けた。
「君が一人で対応できる場面でも、仲間へ状況を伝えれば、別の人がより適切に動ける場合があります。君自身の能力を活かすためにも、周囲との連携を大切にしてください」
俺は静かに頷いた。
「分かりました。ありがとうございます」
先生の言葉は、決して厳しいものではなかった。
けれど、俺にとっては、これまで何度も考えてきたこととつながっていた。
リビアを守りたい。
仲間の役に立ちたい。
困っている人がいたら助けたい。
その気持ちは今も変わらない。
ただ、そのために何でも自分で引き受けることが、必ずしも正しいわけではない。
俺は最近になって、ようやくそのことを少しずつ理解し始めていた。
先生の言葉を聞きながら、改めて胸の奥へ刻み込む。
(俺ができることを増やすだけじゃなく、みんなが力を発揮できるように考える。それも、これから学んでいかなきゃいけないことなんだな)
隣に座るリビアが、そっと俺へ視線を向けた。
彼女は何も言わなかったが、その表情には優しい励ましが浮かんでいた。
俺は小さく頷き返した。
◇
講評が終わると、先生は資料をまとめながら俺たちへ告げた。
「第三班は、与えられた目的を達成しました。そのうえで、今後改善できる点も明確になっています。今回の経験を、次の授業や実技へ活かしてください」
俺たちは揃って礼を述べた。
先生が教室を出ていくと、しばらく誰も口を開かなかった。
窓の外からは、放課後の校庭で活動する生徒たちの声が聞こえている。
やがて、ガレスが大きく息を吐いた。
「いやあ……思ってたより、ずいぶん細かく見られてたんだな」
その言葉に、エミリアが小さく笑った。
「そうですね。私は荷物の確認について、もっと自分で考えていたつもりでしたけど、先生から指摘されて初めて気づいたこともありました」
サザリーは手元のノートを見ながら頷いた。
「僕も同じだよ。観察した事実と推測を分けることばかり意識していたけど、記録の順番については十分ではなかったみたいだ」
レオル先輩は椅子の背にもたれ、少し苦笑した。
「俺も、班長だからって何でも把握しようとしすぎたな。みんなに任せたつもりだったけど、まだ足りなかったらしい」
俺は先輩の言葉を聞きながら、静かに頷いた。
「俺も、先生に言われて思い当たることがありました。自分でできると思うと、つい先に動こうとしてしまうんです」
そう答えると、ガレスが少し驚いたように俺を見た。
「でも、クルセスは実際にできるだろ?」
「できることと、俺がやるべきことは別なんだと思う」
俺は先生の言葉を思い返しながら続けた。
「例えば、荷物を支えることなら俺にもできる。でも、ガレスが支えてくれているなら、俺は別の場所を確認した方がいいかもしれない。そういうことを、もっと考えたいんだ」
ガレスはしばらく考え込んだあと、納得したように頷いた。
「なるほどな。じゃあ、次に一緒に何かやるときは、俺にもちゃんと任せてくれよ」
「うん。頼りにしてるよ」
俺が答えると、ガレスは嬉しそうに笑った。
「おう! 任せとけ!」
その様子を見ていたエミリアも、柔らかく微笑んだ。
「私も、物資の管理ならお手伝いできます。次は、もっと分かりやすい確認方法を考えておきたいです」
「僕は記録を整理する方法を見直してみるよ」
サザリーが続けると、レオル先輩は満足そうに頷いた。
「いいな。今回の反省を、それぞれが次に活かせるなら、演習をやった意味もある」
リビアは六人の顔を見渡し、嬉しそうに微笑んだ。
「私ね、今日の講評を聞いて、改めて思ったことがあるの」
彼女の言葉に、みんなが顔を向けた。
「私たち、六人でよかったなって」
その声は穏やかだった。
けれど、そこには彼女の素直な気持ちが込められていた。
「もちろん、もっとよくできたところもあったと思う。でも、あの日は誰か一人が頑張ったから成功したんじゃなくて、みんなが自分にできることを考えて、助け合ったから最後まで進めたんだよね」
リビアは少し照れくさそうに笑った。
「だから、私は第三班のみんなを誇りに思ってるの」
その言葉を聞き、俺は胸の奥が温かくなるのを感じた。
ガレスは少し照れくさそうに視線を逸らし、エミリアは嬉しそうに微笑んでいる。
サザリーは静かに頷き、レオル先輩は口元へ穏やかな笑みを浮かべていた。
「……そうだな」
先輩がゆっくりと口を開いた。
「俺も、第三班の班長をやれてよかったと思ってる。みんな、それぞれ得意なことが違うし、考え方も違う。でも、だからこそ助けられた場面があった」
先輩は俺たちを見渡した。
「今回の演習は終わったけど、また一緒に何かやる機会があったら、そのときもよろしく頼む」
俺たちは揃って頷いた。
その瞬間、俺は不思議な安心感を覚えた。
演習が始まる前、第三班は同じ目的を与えられた仲間だった。
けれど、今はそれだけではない。
一緒に考え、迷い、判断し、最後まで進んだ経験がある。
そして、その経験を振り返り、互いの長所も課題も認め合える関係になっていた。
それが、何より嬉しかった。
◇
教室を出る頃には、窓の外が夕方の色に染まり始めていた。
廊下には部活動へ向かう生徒たちの声が響き、開け放たれた窓からは、雨上がりの少し冷たい風が入り込んでくる。
俺たちは階段の近くまで一緒に歩き、そこでそれぞれの帰り道へ分かれることになった。
「じゃあな、クルセス! また明日!」
「うん。また明日、ガレス」
ガレスは元気よく手を振り、サザリーと並んで廊下の向こうへ歩いていった。
エミリアも丁寧に挨拶をしてから、別の階段へ向かう。
レオル先輩は最後に俺たちへ軽く手を上げた。
「お前たちも気をつけて帰れよ。今日はいい話が聞けたな」
「はい。ありがとうございました、先輩」
俺が答えると、先輩は満足そうに頷き、上級生の教室がある方へ歩いていった。
残された俺とリビアは、しばらくその後ろ姿を見送っていた。
「みんな、嬉しそうだったね」
リビアが小さく呟いた。
「うん。俺も嬉しかったよ」
俺はそう答え、彼女へ顔を向けた。
「リビアが、第三班のみんなを誇りに思ってるって言っただろ?」
「うん」
「あれを聞いて、俺も同じ気持ちだって思ったんだ」
リビアは少し驚いたように俺を見た。
「セスも?」
「うん。演習が終わったときも嬉しかったけど、今日みんなの話を聞いて、改めて一緒に頑張れてよかったと思った」
俺は少し考えながら言葉を続けた。
「俺一人だったら、あんなふうには進めなかったと思う。だから、みんなと同じ班になれてよかったよ」
リビアは嬉しそうに微笑んだ。
「ふふっ、私も。セスと同じ班になれたのも嬉しかったけど、ガレス君やサザリー君、エミリアさん、レオル先輩と一緒にできて、本当によかった」
彼女はそう言って、俺の手へそっと触れた。
俺もその手を握り返す。
廊下にはほかの生徒たちもいたため、俺たちは自然な距離を保ちながら歩き始めた。
それでも、手のひらから伝わる温もりは、いつもより少し特別に感じられた。
◇
帰りの馬車では、リビアが窓の外を眺めながら、今日の講評について話していた。
夕方の街並みには雨上がりの光が差し込み、建物の屋根や石畳が柔らかく輝いている。
馬車の揺れに合わせて、窓辺の飾り紐が小さく揺れていた。
「ねえ、セス。今日、先生から言われたこと、気にしてる?」
リビアがそう尋ねた。
俺は少し考えてから答えた。
「うん。気にしてるよ。でも、嫌な気持ちではないかな」
「そうなんだ」
「自分では気づかなかったことを教えてもらえたから。先生の言うとおり、俺は自分でできると思うと、先に動こうとするところがあるんだと思う」
リビアは静かに頷いた。
「うん。セスは昔から、誰かが困っているとすぐに助けようとするものね」
「そうだね。でも、それがいつも一番いい方法とは限らないんだろうな」
俺は窓の外へ目を向けた。
街路を歩く人たちは、それぞれの目的地へ向かっている。
荷物を運ぶ商人もいれば、子どもの手を引いて歩く親子もいる。
誰もが違うことを考え、違う役割を持って生活している。
俺はその景色を眺めながら、今日の講評を思い返していた。
「父さんにも、最近よく言われるんだ。全部を自分で引き受ける必要はないって」
「ふふっ、グレイヴも同じことを考えてるんだね」
「うん。俺も、少しずつ分かってきた気がする」
そう答えると、リビアは俺の手をそっと握った。
「セスが誰かを助けたいって思う気持ちは、私は大好きだよ」
俺は彼女へ顔を向けた。
リビアは真剣な表情で俺を見つめていた。
「でもね、セスが一人で全部頑張らなくても、私はセスのことが大好きなの」
その言葉に、胸の奥がじんわりと温かくなった。
彼女は少し照れくさそうに笑いながら続けた。
「今日だって、先生に褒められたところも、改善した方がいいって言われたところも、どっちもセスの一部でしょう? 私は、そういうセスと一緒に成長していけたら嬉しいなって思ってるの」
俺はしばらく言葉を探した。
リビアは俺が何かを成し遂げたから好きなのではない。
誰かより優れているから、隣にいてくれるわけでもない。
俺が迷ったり、失敗したり、学んだりすることも含めて、一緒に歩いていきたいと言ってくれている。
その気持ちが、何より嬉しかった。
「……ありがとう、リビア」
俺は彼女の手を握り返した。
「俺も、リビアと一緒に成長していきたいよ。まだ知らないことも、できないこともたくさんあるけど、少しずつ覚えていけたらいいな」
リビアは嬉しそうに微笑んだ。
「うん。私もそう思う」
彼女は俺の肩へそっと寄りかかり、静かに目を閉じた。
俺はその温もりを感じながら、窓の外へ視線を戻した。
今日、第三班の演習について正式な講評を受けた。
目的は達成できていた。
けれど、改善できることもたくさんあった。
それは、俺たちがまだ成長できるということなのだろう。
そして、その成長を一人で目指す必要はない。
仲間と一緒に考え、助け合いながら進んでいけばいい。
◇
屋敷へ戻ると、父さんが玄関で迎えてくれた。
俺たちは帰宅の挨拶を済ませ、外套を預けた。
「お帰り、セス。オリビア様も、お疲れさまでございました」
「ただいま、父さん」
「ただいま戻りました、グレイヴ」
父さんは俺たちの表情を見て、少しだけ目を細めた。
「今日は何かよいことがあったようだな」
俺は思わず笑った。
「うん。共同演習の講評があったんだ」
「ほう。結果はどうだった?」
「第三班は、与えられた三つの目的を達成できていたって。ただ、改善できるところもいくつか教えてもらったよ」
父さんは静かに頷いた。
「それはよかったな。何を達成し、何を改善できるのかが分かれば、次につなげられる」
「うん。俺もそう思う」
リビアは嬉しそうに微笑んだ。
「グレイヴ、今日は六人全員が、自分の役割について先生からお話をいただいたんです。みんなで振り返ることができて、とても勉強になりました」
「それは何よりでございます。オリビア様にとっても、よい経験になったようですね」
「はい!」
リビアは明るく答えた。
父さんは俺たちを見渡し、穏やかに微笑んだ。
「それなら、今日の経験を忘れずに。よい結果を得たときほど、何がその結果につながったのかを考えることが大切だ」
俺はその言葉を聞き、深く頷いた。
「うん。ちゃんと覚えておくよ」
父さんは満足そうに頷き、仕事へ戻っていった。
俺たちはその後ろ姿を見送りながら、顔を見合わせた。
「セス、今日は本当にいい一日だったね」
「うん。俺もそう思う」
リビアは嬉しそうに笑い、俺の手をそっと握った。
その手を握り返しながら、俺は今日の出来事をもう一度思い返した。
六人で受けた講評。
先生から教わったこと。
仲間たちが語った反省と、次への思い。
そして、リビアが口にした、第三班のみんなを誇りに思っているという言葉。
あの言葉を聞いたとき、俺も同じ気持ちだった。
これまで俺は、誰かの役に立つことを何より大切にしてきた。
それは今も変わらない。
けれど、最近は少しずつ、誰かに頼ることや、仲間と一緒に何かを成し遂げることの嬉しさも分かるようになってきた。
俺が一人でできることには限りがある。
それでも、仲間と力を合わせれば、違う方法を見つけられる。
そして、誰かが自分とは違う考えを持っていることも、決して悪いことではない。
むしろ、その違いがあるからこそ、気づけることがある。
俺は隣にいるリビアへ目を向けた。
彼女は俺の視線に気づき、不思議そうに首を傾げた。
「どうしたの、セス?」
「ううん。ただ、リビアと一緒に学院へ通えてよかったなって思って」
そう答えると、彼女は一瞬だけ目を丸くした。
それから、頬をほんのり赤く染めて微笑んだ。
「……もう、セスったら」
リビアは少し照れくさそうに笑いながら、俺の手を握る力を強めた。
「私も、セスと一緒にいられて幸せだよ」
その言葉を聞き、俺も自然と笑みをこぼした。
窓の向こうでは、夕方の光が雨上がりの庭園を照らしている。
明日になれば、また新しい授業があり、知らなかったことを学ぶのだろう。
うまくできることもあれば、思うようにいかないこともあるかもしれない。
けれど、今はそれが楽しみだった。
リビアと一緒に、そして大切な仲間たちと一緒に、少しずつ前へ進んでいけるのだから。




