第3話 まずは分裂、それが俺の初期スキルだった
目が覚めた。
二度目だ。なんとなく、分かる。さっきまで――それがどれくらい前かも分からないが――俺は確かに終わったはずだった。大きな影に呑まれて、意識が歪んで、遠のいて。「次の……俺へ……」と言った、気がする。なのに、また目が覚めている。
おかしいのは、記憶がやけにぼやけていることだ。前に何を考えていたのか、どんな流れに揉まれたのか、細かいところが霧みたいに薄い。はっきり残っているのは、たった一つ。喰われる、という恐怖だけが、輪郭を保ったまま俺の中に居座っている。
それと、体が違う。膜の張り方というか、内側でうごめく「何か」の感触が、前の俺と微妙にズレている。同じ俺のはずなのに、同じじゃない。一つ、じゃない気がする。
頭の奥に、文字が浮かんだ。
【個体情報を確認】
【死亡原因:逃走不能】
【継承進化:発動済み】
死亡原因。候補、じゃない。前は【死亡原因候補:逃走不能】だった。今は、候補が取れている。
「……マジで死んだのか、俺」
自分の言葉に自分でぞっとした。一度、確かに死んだ。それなのに「目が覚めた」と思っているこの俺は、いったい何なんだ。考えがまとまる前に、文字が続いた。
【継承進化:死亡原因を継承】
【継承進化:行動傾向を継承】
【次の個体として起動】
次の個体。俺は、俺のまま続いているんじゃない。一度途切れて、また「次」として始まっている。同じ設計図の、少しだけ違う版。そう考えると、体の違和感にも納得がいった。冗談であってほしかったが、ステータスは容赦なく事実だけを並べてくる。そういうやつだ、こいつは。
つまり、こういうことだ。死んでも終わらない。第1話で貰った固有スキル《継承進化》は、看板どおりに仕事をした。死亡原因と行動記録が、ちゃんと今の俺に引き継がれている。
「便利は便利だけど……これ、根本的には何も解決してないよな」
死んでも終わらないのは希望だ。だが、同じ弱さのまま何度死のうと、また同じように喰われて終わるだけじゃないか。
――確認する。試しに、体の内側の「何か」に力を込めた。動け。……動かない。膨らめ。……ピクリともしない。
「同じじゃねえか」
次の個体として始まったのに、始まった場所も弱さも、前の俺と何ひとつ変わっていない。このままなら、またどこかの誰かに見つかって、また逃げられなくて、また【死亡原因:逃走不能】が記録されて終わる。いや、終わらないのか。終わらないけど、それは勝ちじゃない。同じ負けを律儀に繰り返すだけだ。
「単独で、なんとかしようとしたのが、そもそも間違いだったのか……?」
呟いた瞬間、頭の奥がざわついた。自分の言葉なのに、驚くくらいしっくりきた。
単独で強くなる。単独で逃げる。単独で、なんとかする。前の俺は、ずっとそれを目指していた――らしい。覚えているわけじゃない。継承進化が拾ってきた行動傾向のログが、そう教えてくるだけだ。そして、全部失敗した。動けなかった。流れも読めなかった。工夫は全部裏目に出た。それが【死亡原因:逃走不能】として、目の前に確定表示されている。
逃走、不能。逃げる手段が、ない。なら、逃げる手段を増やせば――いや、違う。「動けない個体」を動けるように鍛える時間なんて、今の俺にはない。だったら。動けないなら。
「……増えれば、いいのか」
一個体としての弱さを、個体の数でどうにかする。一つが喰われても、もう一つが残る。一つが失敗しても、もう一つがその失敗を継承して、次に活かす。逃げることとは違う。でも、生き延びることには、たぶん繋がる。
頭の奥に、初めて感じるタイプの震えが走った。
【死亡原因:逃走不能を解析/代替戦略を検索/一致スキル候補を検出】
来た。敗北ログが、ただの死亡記録じゃなく、次の手を照らす攻略データとして動き出した。
俺は内側の「何か」に、これまでとは違う命令を送った。動け、じゃない。逃げろ、じゃない。――増えろ。
体の内側で、何かがぐっと圧縮される感覚がした。膜の一部が内側からせり出すように、変な形にたわむ。痛いというより、引き裂かれるような居心地の悪さ。止めたくなる。でも、止めない。止めたら今度こそ、何も変わらないまま終わる。
【身体構造:分割開始】
【継承データ:複製中】
【警告】
構造未確定のまま分割を継続。
警告なんて今更だ。無理してるのは言われなくても分かってる。だが、ここで止まったら、また同じ弱さのまま同じ死に方をするだけだ。それだけは絶対に嫌だった。
体の中心――俺という存在の真ん中あたりに、境界線のようなものが走る。一瞬だけ、意識が二つに引っ張られる感覚。自分が、自分でなくなる。いや、逆だ。自分が、二人分になる。
「っ……!」
声にならない悲鳴が漏れた瞬間、体の内側で何かが「ぷつん」と切り離される感触があった。
そして――静かになった。痛みが引き、引き裂かれる感覚が消える。代わりに浮かんだのは。
【分裂に成功】
【新規スキル:分裂を獲得】
【個体数:2】
しばらく言葉が出なかった。分裂。獲得した。正真正銘、俺が自分の意志で手に入れた、初めてのスキルだ。継承進化は転生した時から持っていた。でもこれは違う。死んで、悔しくて、行き詰まって、それでも「動けないなら増えればいい」と自分で考えついて、振り絞って摑んだやつだ。
これが、俺の――初期スキル。
「……初期スキル、これかよ」
継承進化なんて大層な名前のあとに、ようやく手に入れた自前のスキルが「分裂」。移動できない。攻撃できない。でも、増える。なろう系主人公らしくない、地味な始まりだ。けど、地味でいい。数さえあれば、次に渡せる。一つが死んでも、もう一つが継承進化でまた続く。単独で強くなるんじゃない。数と継承で、粘る。それが今の俺に取れる、たった一つの現実的な手だ。
「まずは、これだ」
まずは、これでいい。まずは、これしかない。
そう思った瞬間、違和感に気づいた。俺は今【個体数:2】になったはずだ。だったら、もう一人の「俺」はどこにいる。意識を巡らせると、確かに近くに、もう一つ膜のような気配がある。震えている。さっきの俺と、そっくり同じ震え方で。
「……お前、俺、か?」
呼びかけてみる。声は出ない。だが伝わったのか、もう一つの気配がわずかに震えを強めた。同じ動き。同じ反応。まるで鏡合わせだ。
分裂で増えたなら、これは俺の生き写しのはずだ。でも、なんの根拠もなく「生き写し=俺」と決めつけていいのか。継承進化は、死んだ個体の記憶や傾向を「次の俺」に渡すスキルだ。分裂は違う。死んでいないのに増え、同じ瞬間に二つの「俺」が存在する。それは本当に「俺が増えた」だけなのか。それとも――「俺じゃない何か」が、俺の隣に生まれただけなのか。
「……分からん」
分からないことだらけだ。ただ一つ、はっきりしていることがある。たった今この瞬間から、俺は単体の命じゃなくなった。その事実だけが、やけに重く体に響いた。
【個体数:2】
【固有スキル:継承進化】
【新規スキル:分裂】
【移動能力:極小】
移動能力は相変わらず「極小」のままだ。増えたところで逃げ足は速くならない。分裂は移動のスキルじゃない。そこは勘違いしちゃいけない。でも、それでいい。強くなる話じゃなくて、生き延び方を変える話。それが今日、俺が摑んだものだ。
もう一人の「俺」――なのか、俺じゃない何かなのか、まだ分からないそいつと一緒に、俺は水に揺蕩っていた。不安も、分からないことも山ほどある。それでも、たった一人で足掻いていたさっきまでよりは、ほんの少しだけ心強い気がした。気がしただけかもしれないけど。
「……よし」
短く呟いた、その時だった。体の外側の、もっと遠く、もっと上のほうで、何かが変わった。圧じゃない。熱でもない。これまで一度も感じたことのない種類の何かが、膜越しにじわりと伝わってくる。
【外部環境に変化を検出】
文字が浮かんだ、次の瞬間。
海の上方――ずっと遠い、俺には見上げることすらできないはずのその場所から。
不自然な光が、差し込んできた。
第3話は、「動けない弱さ」がそのまま新スキル`分裂`に転化する話でした。単独で強くなる方向ではなく、数と継承で粘る方向への転換――そして「俺が増えたのか、同族なのか」という新しい謎を残して幕引きです。次話、海の上方から差し込んだ光の正体にご期待ください。




