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電災都市  作者: あるふぁ
第五章『補給線』
42/46

『補給線』-14

臨時で編成された小隊は、プラントに潜むレヴュラを排除しながら、

再び合流を果たす。

そしてそこで見たのは…変わり果てた姿の遠征メンバーと…

見たこともない巨躯のレヴュラだった。

辺りを覆っていた黒煙が、ゆっくりと風に押し流されていく。

 焦げたゴムと焼けた塗料の臭気が薄れ、その向こう側の景色が少しずつ輪郭を取り戻していった。


 ——『おとひめフーズ』焼津プラント、物流搬出口前。


 電災が起こる以前、この場所では大型トラックが何台も列をなし、フォークリフトが絶え間なく走り回っていたことだろう。


 積み込みを待つ車両や荷役作業員の声。


 コンベアの駆動音。


 日本国民に愛された、馴染みのロゴが印刷された段ボールの山。


 昼夜を問わず、日本中へ缶詰という名の血液を送り出していた、この工場の心臓部。

 


 ——今はもう、その面影はない。


 焼け焦げたアスファルト。

 横倒しになったパレット。


 黒く煤けた積載台。


 そして、それらを見据えるように――それは立っていた。


 

 誰一人、動けない。


 銃を構えた姿勢のまま、呼吸することさえ忘れたように、その巨影を見上げる。


 この場にいる誰もが思った。

 ——でかい……と。


 目測で4メートル近い巨体。


 戦車ほど巨大ではない。

 しかし、人間と比較すれば圧倒的だった。


 重機の類にも見えなくはない。

 無骨な金属の躯体を四本の機械脚で支え、わずかに前傾した姿勢は、獲物へ飛び掛かる直前の肉食獣を思わせる。


 前脚の代わりに備えられているのは、人間の胴体ほどもある左右一対の巨大な鎌。


 分厚く湾曲した刃先には、乾ききっていない赤黒い液体が筋となって残り、その重量だけで人間を容易く両断できることを雄弁に物語っていた。


 

 胴体前面には四基のカメラアイ。

 赤いレンズは周囲の光を反射して妖しく輝き、一人ひとりを品定めするように隊員たちを見回しているようだ。


 後部には円筒状のユニット。

 まるで工場設備の一部を、そのまま背負わせたような異様な構造だった。


 

 ——生物ではない。

 当然、産業機械でもない。


 そこにあるのは、生命の営みとは正反対の存在。


 人間という種を殺すためだけに設計され、その目的だけを忠実に遂行する殺戮機械。


 ——レヴュラ。


 その一言だけが、この異形を最も正確に表していた。




 「……なんだ……こいつは……?」

 山本の声が、乾き切った喉から漏れる。


 誰かへ問い掛けたのではない。

 ただ、目の前の現実を自分自身が受け入れられずに漏れた、独白だった。


 ——その瞬間。

 真の脳裏へ、数分前に見た惨状が鮮明によみがえる。


 

 肩口から股間まで裂き開かれていた玉城。


 胸郭ごと袈裟斬りに叩き割られていた相沢。


 腹部を縦一直線に切り裂かれ、零れた内臓を地面へ晒していた青木。


 ——あの傷。

 あまりにも暴力的で、あまりにも巨大だった裂傷。


 人間の尊厳ごと乱暴に引き裂いたかのような、傷と呼ぶにはあまりにも凄惨な痕跡。


 真の視線が、ゆっくりとその鎌へ吸い寄せられていく。


 

「……あれか」

 誰にも届かないほど小さな声だった。


 あれで。


 あの鎌で、人間を。


 紙袋でも裂くように。


 いや、それ以上に容易く——。


 そんな想像が脳裏を過っただけで、胃の奥が冷たく縮み上がる。


「なんだよ……あの鎌」

 誰かが唾を飲み込みながら呟く。


「まるでカマキリじゃねぇか……」


 その言葉に、相川が乾いた笑みを浮かべた。


「……へっ……ダニの次はカマキリかよ」

 一瞬だけ肩を竦める。


「だったら、あいつはマンティスってとこか?」


 冗談めかした口調。


 だが、その笑みは目まで届いていなかった。


 恐怖をごまかすために、無理やり絞り出した軽口だった。


 

「……B級」

 誰かが呟く。


 その声は決して大きくない。

 しかし、その二文字だけで空気が凍り付いた。


 小型種に分類されるD級ではない。


 群れで現れる雑兵でもない。


 

 ——この一体だけで部隊を壊滅へ追い込むことすらあり得る、エリアを支配する戦闘個体。

 その事実を理解した瞬間、人間の理性は本能へ呑み込まれた。



 「撃てぇッ!」

 誰かの絶叫が静寂を引き裂く。


 それを合図にしたかのように、一斉に銃口が火を噴いた。


 口径の異なる銃弾が濃密な弾幕となり、黒い巨体へ集中する。


 

 ——しかし。


 結果は、あまりにも無慈悲だった。


 命中している。

 放たれた弾丸は、確かに当たっている。


 それでも返ってくるのは、硬質な装甲を叩く火花だけ。


 次々と弾かれる弾丸。

 外装の塗装がわずかに削れ、金属粉が舞う。


 

 ……それだけだった。

 ただの一発も、その装甲を貫くことはできない。


 巨体は一歩たりとも後退せず、まるで豪雨に晒される断崖のように。

 ……数十発もの銃弾を受けながらなお悠然とその場に立ち尽くしていた。


 

「効いてねぇ!」

 誰かの悲鳴にも似た叫びが上がる。


「クソッ!」

 呪詛を吐き捨てる声が、あちこちから漏れた。


 

 その瞬間、誰もが理解してしまう。


 

 ——今、自分たちは。

 これまで遭遇してきたD級レヴュラとは、まったく別次元の敵と対峙しているのだと。


 

 山本は奥歯を強く噛み締めた。


 ——この場にいる者の多くは、知識としては理解している。


 以前、真が撃破したB級レヴュラ『スカラベ』


 その残骸から切り出された外装材。


 クオムで行われた解析結果。


 その報告書も幾度となく読み返した。


 そこに記されていた、簡潔な一文。


 『B級レヴュラに対し、小銃弾による正面撃破は期待できない』


 ——理解はしていた。


 頭では。


 理屈では。


 

 ——だが。


 それが黒煙の向こうから姿を現し、自らの命を奪おうと迫ってきた瞬間、その知識は何の役にも立たない。


 

 撃たずにはいられない。

 引き金に指を掛け続けることでしか、この底知れない恐怖を押し殺せない。


 ——レヴュラを狩ることで生き延びてきた現代の狩人たち。

 その誰もが、この瞬間だけは獲物ではなく、狩られる側の人間へ戻っていた。



 "マンティス"はゆっくりと四本の脚を運ぶ。

 その一歩ごとに、重量級の機体とは思えない滑らかな動きで距離を詰めてくる。


 四基並んだ赤いカメラアイが、一人ひとりを順番に見定め、獲物を吟味している。


 ……そんな錯覚すら覚えた。


 

 ——肉食獣。


 いや。


 巨大な鎌を備えたその姿は、獲物を捕らえる瞬間を待ち続ける肉食昆虫(カマキリ)そのものだった。



 

「来るぞ!」

 誰かの叫びが響く。


 ——その直後だった。


 低く唸るような回転音が空気を震わせる。


 次の瞬間、濃密な弾幕が一直線に解き放たれた。


 数百発にも及ぶ銃弾が一本の帯となり、物流搬出口を薙いでいく。

 


「伏せろ! 遮蔽物を使え!」

 山本の怒号が飛ぶ。


 その声とほぼ同時に、弾幕が着弾した。


 コンクリートの角が砕け、建屋を支える太いH鋼に深い傷が刻まれる。


 

 積み上げられていた木製パレットは一瞬で原形を失い、木片となって四方へ吹き飛んだ。


 鋼材も木材も区別なく削り取っていくその破壊力は、まるで巨大な工作機械が一直線に周囲をチェーンソーで削り取っているかのようだった。


 

 だが、身を隠しているだけで安心できる相手ではない。

 遮蔽物そのものが、少しずつ削られていく。


 

「ぐぁっ!」


 サンダーバレッツ隊の水野が肩を押さえ、その場へ崩れ落ちる。


 キャリアプレートの隙間を掠めた一発が肩口を貫通し、鮮血が迷彩服を一気に染め上げた。


「水野!」

 隣にいた佐野が迷わず腕を掴み、身体ごと物陰へ引きずり込む。


 だが、弾幕はなおも途切れない。


「誰か手当てを!」


「無理だ! 今は動けねぇ!」

 怒鳴り返す声にも焦りが滲む。


 

 応急処置を施そうにも、その場へ辿り着くことすらできない。


 頭を上げれば撃たれる。

 走れば蜂の巣だ。


 負傷者を助けに近寄ることすら許さない。

 それが、B級レヴュラの圧倒的な制圧力だった。

 


 やがて弾幕が途切れる。


 だが、誰も安堵はしない。


 ——次に来るものを、本能が察していた。



 マンティスが動く。


 その巨体からは想像もつかない加速だった。


 四本の脚が油圧シリンダーを力強く伸縮させ、一歩ごとにアスファルトを踏み砕くほどの勢いで突進してくる。


 4メートルはある大型の躯体であるはずなのに、鈍重さを感じない。


 むしろ、速い。


 速すぎる。


 

「速っ——!」

 山口の叫びが裏返った。


 その迫力は、制御を失った大型トラックが全速力で突っ込んでくる光景を連想させる。


 

 しかも相手は止まらない。


 止まる理由など、最初から持ち合わせてはいなかった。


 ——次の瞬間。


 巨大な鎌が、横薙ぎに振るわれた。


 その軌跡を追えた者は、ほとんどいない。


 振り抜かれた刃が空気を圧縮し、耳を打つ低い唸りだけが一瞬遅れて響く。


 まるで大型プレス機が全力で打ち下ろされたかのような、暴力そのものの一撃だった。


 

 クロウズ隊の関口が、とっさに身を投げ出す。

 反応は決して遅くなかった。


 むしろ、ここにいる誰よりも素早く危険を察知していたと言っていい。


 ——それでも、間に合わない。


 巨大な鎌の切っ先が左肩を掠めた瞬間、関口の身体は軽々と宙へ弾き飛ばされた。


「関口ッ!」


 村上が駆け寄る。


 数メートル先へ転がった関口は、苦悶に顔を歪めながらも、辛うじて呼吸を続けていた。


「ぐっ……ぁ……!」


 左腕は繋がっている。

 しかし肩口は異様な方向へ沈み込み、防弾プレートを収めたプレートキャリアは、ショルダーハーネスごと引きちぎられていた。


 

 ——まともに受けていれば、腕ごと持っていかれていた。

 いや——人間そのものが両断されていても、おかしくはなかった。


 

 決して、日本刀のように鋭利な刃で斬る攻撃ではない。


 工業用マニピュレーターの先端へ、巨大な鋼鉄製ブレードを無理やり取り付けたような代物。


 切断するというより、圧倒的な質量と出力で肉も骨もまとめて叩き潰し、引き裂く兵器だった。

 青木たちの無惨な亡骸が、その威力を何より雄弁に物語っている。



 「関口! まだ生きてるな? 奥に退け!」

 デスペラード隊の古賀が怒鳴る。


 

 その声に呼応するかのように、煙の残る搬入口から黒い影が飛び出した。


 それも二体。


 ……ティック種だ。


「クソ! まだいやがった!」


 相川のAKMが迷いなく火を噴く。


 しっかり制御された三点射。

 放たれた7.62ミリ弾がティック種の胴体を正確に捉え、強化樹脂製の外殻を粉々に砕いた。


 機体は火花と破片を撒き散らしながら床を転がり、そのまま沈黙する。


 

 しかし、もう一体は止まらない。

 壁を蹴り、コンテナを踏み台にし、一直線に真へ飛び掛かった。


「篠崎ッ!」

 相川の怒声。


 真は反射だけで身体を横へ投げ出す。


 直後、ティック種の鉤爪がアスファルトへ深々と突き刺さった。


 砕けた舗装片が弾け、火花が鋭く散る。


 着地と同時に真は膝をつき、その勢いを利用して愛銃(M4A1)の銃口を至近距離まで押し上げた。


「しつけぇんだよ……ダニ野郎が!」


 引き金を絞る。


 三発。


 四発。


 5.56ミリ弾が赤いカメラアイを粉砕し、その奥にあるであろう量子電脳チップまで貫いた。


 ティック種は四脚を激しく痙攣させ、やがて糸の切れた操り人形のように崩れ落ちると、完全に沈黙した。


 

 ——だが。


 そのわずか数秒が、致命的だった。

 


 マンティスが、もう目前まで迫っている。


 あの巨体とは思えない速度。

 四本の脚が油圧シリンダーを唸らせ、舗装を砕かんばかりの猛烈な勢いで突進してくる。


 それはもう歩行ではない。


 重量数トン級の重機が全速力で突っ込んでくる光景そのものだった。


 

「散開しろッ!」

 山本の怒号が物流搬出口へ鋭く響き渡る。


 全員が条件反射だけで左右へ飛び退いた。


 直後。

 巨大な鎌が大地へ振り下ろされる。


 

 衝撃でアスファルトが陥没し、蜘蛛の巣状の亀裂が一瞬で四方へ走った。


 砕けた舗装片が爆ぜ、鋭い礫となって周囲へ降り注ぐ。


 もし半歩でも遅れていたなら、そこに立っていた者は跡形もなく潰されていただろう。

 


 土煙の向こうで、マンティスはゆっくりと鎌を持ち上げる。


 並んだ四基の赤いカメラアイだけが、淡々と次の獲物を探していた。


 

 誰一人として、この怪物を正面から押し返せる者はいない。

 その絶望的な現実だけが、容赦なく遠征隊全員の胸へ突き刺さっていた。



 ——散開。


 それだけが、この場で生き残るための唯一の正解だった。


 もし、あの瞬間に全員が固まったままでいたなら……。

 マンティスが放った機銃掃射は、一隊そのものを文字どおり薙ぎ払っていただろう。


 圧倒的火力を備えたB級レヴュラを前に、密集陣形はもはや戦術とは呼べない。


 ——ただの格好の的でしかない。


 

 四本の脚がアスファルトを踏み締める。


 いや——踏み締めるという表現では足りない。


 油圧シリンダーが唸りを上げるたび、その重量が地面へ叩き込まれ、舗装は悲鳴を上げるようにひび割れていく。


 まるで建設機械が意思を持って歩いているようだった。


 一歩。


 また一歩……ゆっくりと。


 しかし確実に、人間たちとの距離を詰めてくる。

 


「やめろ! 撃つな!」

 山本の怒号が物流搬出口の荷積み場いっぱいへ響き渡る。


「B級相手に小銃は無駄だ! 無駄弾をばら撒くな!」

 だが、その命令は半ば空しく風へ消えた。


 叫び終えるよりも早く、多くの者たちの指は本能的に引き金を絞っていた。


 

 ——怖い。

 それ以外に説明できない。


 目の前には、4メートル級の怪物。

 仲間を一撃で肉塊へ変えた化け物が、何事もなかったかのように歩いてくる。


 

 頭では理解している。


 小銃弾では止まらない。


 報告書にも、そう記されていた。


 それでも、人間は恐怖を前にすると撃たずにはいられない。


 銃声だけが、自分はまだ戦えているという錯覚を与えてくれるからだ。



 

 「くそっ……!」

 サンダーバレッツ隊の岩佐が、震える両手で56式歩槍(中国版AK-47)を構える。


 呼吸は浅い。

 照準も、わずかに揺れている。


 それでも、引き金を引いた。


 7.62×39ミリ弾が立て続けに吐き出される。

 弾丸は一直線にマンティスへ吸い込まれ――次々と火花を散らした。


 甲高い金属音。


 それだけだった。


 外殻へ細かな擦過痕を刻んだだけで、数トンはあろうかという巨躯は歩みを止めようともしない。

 衝撃を受けた様子すら見せない。


 B級レヴュラにとって、人間が放つ小銃弾など、まるで虫が止まった程度の感覚なのだろう。


 尤も……レヴュラに”感覚”と呼べるものが存在するのであれば……だが。


 岩佐の顔から、みるみる血の気が引いていく。


「……嘘だろ……」

 絶望が、その一言へ滲んだ。


 その瞬間。


 マンティスの並んだ四基のカメラアイが、ゆっくりと岩佐を捉える。


 感情はない。


 怒りも。

 憎しみも存在しない。


 ただ、射撃を行った対象を機械的に選別し、排除すべき目標として認識しただけ。


 それだけの動作が、人間には死刑宣告のように映った。


 ——だが。


 真だけは、別のものを見ていた。


「……?」


 胸の奥に引っ掛かる、小さな違和感。


 ……何だ?


 何かがおかしい。


 脳裏へ、以前戦ったスカラベの姿がよみがえる。


 ——B級レヴュラ『スカラベ』


 あの機体は後部へ旋回式の球形タレットを備え、その内部に5.56ミリガトリングガンを内蔵していた。


 スカラベ(フンコロガシ)という名前の由来でもある。


 砲塔だけが独立して回転する。

 だからこそ、機体の向きを変えなくても全周へ射撃できた。


 だが——。


 目の前のマンティスは違う。



 その時だった。


「篠崎くん!」

 山本の叫びに、真は思考を引き戻される。


 次の瞬間。


 マンティスのガトリングガンが咆哮した。


 数百発もの銃弾が、一直線に岩佐へ襲い掛かる。


 コンテナの外板が紙のように裂け、背後の鉄骨へ無数の火花が踊った。

 岩佐は寸前で身を投げ出し、近くのコンテナ裏へ転がり込む。


 あと一瞬遅れていれば、全身を撃ち砕かれていた。


 


「……今の」

 真は荒くなった呼吸を整える。


 ……見えた。


 確かに、見えた。


 発砲の直前。


 ——マンティスは銃身だけを向けていない。

 機体そのものを旋回させ、照準を合わせていた。


 つまり——。


「山本さん!」


 真が叫ぶ。

「こいつの機銃――!」


 言葉が最後まで続くことはなかった。


 

 マンティスの巨大な鎌が、横一文字に振り抜かれる。

 デスペラード隊の太田が、反射的に飛び退いた。


 回避そのものは間違っていない。


 ――だが。


 相手の間合いが、人間の常識を遥かに超えていた。


 

 鎌の切っ先が、プレートキャリアのショルダーハーネスへ引っ掛かる。


 その瞬間。

 

 ……太田の身体は、紙片でも払うかのように軽々と宙へ放り上げられた。

 


「太田ッ!」

 同隊の北口が絶叫する。


 そして太田は、数メートル先のアスファルトへ激しく叩きつけられた。


 受け身を取る余地などない。

 鈍い音だけが響き、その身体は二度と起き上がらなかった。


 ——誰も、言葉を発することができなかった。


 

 それでも、マンティスは止まらない。

 倒れた太田には一瞥すらくれず、四本の脚を規則正しく動かしながら、最短距離で次の獲物へ歩を進めてくる。


 そこに激情はない。


 勝利の昂揚も。

 獲物を甚振る愉悦も存在しない。


 ただ、演算された最適解を淡々と実行する機械。


 ——だからこそ恐ろしい。


 人間ならば躊躇う場面でも、この怪物は一切迷わない。



 「……駄目だ」

 山本が低く吐き出した。


 その一言には焦りではなく、冷徹な現状分析だけがあった。


 ここでは戦えない。


 もともと荷積み場である場所だ。

 開けすぎている。


 遮蔽物は乏しく、一度射線を通されれば逃げ場がない。


 しかも敵は、4メートル級のB級レヴュラ。


 機銃の射程も。

 鎌の間合いも。


 すべてが人間の想定を大きく上回っている。


 何より決定的なのは、こちらに有効打を与えられる火力が存在しないことだった。


 今、手元にあるのはアサルトライフルやサブマシンガン。


 D級レヴュラを狩るのであれば、十分な装備だ。

 だが、B級を前にしては手も足も出ない。


 

「全員、聞こえるかい?」


 山本は走りながら無線機の送信スイッチを押した。


 その声は、不思議なほど落ち着いていた。


 真は遮蔽物に身を隠しながら、視線をマンティスから決して外さず、その通信を聞いていた。


「……このままでは嬲り殺しだ」

 山本は即座に結論を口にする。


 誰も反論しない。


 その場にいる全員が、同じ答えへ辿り着いていた。


 いくら撃っても、足止めにすらならない。


 逃げても追いつかれる。

 人間は走り回り続けていれば、必ず疲弊する。

 だが、レヴュラは機械だ。疲れを知らない。


 正面から戦えば、いずれ誰かが死ぬ。


 近寄れば鎌の餌食だ。

 青木たちの仲間入りになる。


 そして、その「誰か」は——。


 決して一人では済まない。



 「……コンバットレスキューへ支援を要請する」

 山本は迷わず決断した。


 戦闘救助隊——コンバットレスキュー。


 本来は、依頼達成が不可能と判断されたハンター部隊を、危険地帯から強行救出することを主任務とする専門部隊である。


 隊員は新宿クオム直属のガーディアンによって構成され、救出作戦こそが役目であり、原則として戦闘には介入しない。


 それが絶対の運用規則だった。


「だが、装備は運べる」

 山本の視線が、マンティスへ据えられる。


「ここで倒せないなら、倒せる場所へ引きずり出す」


 本当なら、近隣の施設や住宅へ被害を出したくはない。

 この地域に住んでいた人たちへ、できる限り元の姿のままで返したい。


 それが山本の本音だった。


 

 だが、このまま開けた物流搬出口で戦い続ければ、全滅は時間の問題だ。

 そもそも、まだ戦いにすらなっていない。


 ただ一方的に、狩られているだけだ。


 ——だったら、戦場そのものを変える。


 このままマンティスを誘引し、プラント敷地の外へ出す。


 そこで散開。

 近隣の建物を丸ごと遮蔽物として利用し、敵の射線を切る。


 そして、重火器が届く場所で勝負をかける。


 それが唯一、生き残るための道だった。



 真も周囲へ視線を巡らせる。


 物流搬出口。


 約200メートルほど先にある正面通用門。


 そこまで考えた瞬間、ひとつの顔が脳裏へ浮かんだ。


 正面通用門から、さらに百メートルほど離れた民家の二階。


「……そうか……アイか」

 真が小さく呟く。


 正面通用門を監視しているプリムローズ隊の狙撃手。


 ——アイ。


 彼女は現在、民家二階の一室で、正面通用門から接近するレヴュラがいないか警戒していた。


 施設と敷地の構造上、物流搬出口を直接視認することはできない。


 だが、マンティスを正面通用門付近まで誘導できれば話は変わる。


 ——7.62ミリ弾でマンティスの装甲を撃ち抜くことはできない。

 しかし、カメラアイや関節部への牽制射撃なら、一瞬でも敵の意識を逸らせる可能性がある。


 その一瞬があれば十分だ。


 コンバットレスキューが搬送してくる重火器を展開する時間を稼げる。


 山本も、まったく同じ結論へ到達していた。


「プリムローズ隊、聞こえるかい?」

 マイクを摘み、送信スイッチを押す。


 短いノイズのあと、澄んだ女性の声が返ってきた。


〈——聞こえています〉


 応答したのはアイだった。

 今も民家二階の窓際でM24SWSを構え、スコープ越しに正面通用門方向を睨んでいる。


「アイ君」

 山本は簡潔に告げる。


「B級レヴュラを確認した」


 一拍置く。


「正面通用門まで誘引して叩く」


「誘導が完了するまで、一機たりとも正面通用門へ近付けないでくれ」

 無線の向こうは、一瞬だけ静まり返った。


 ——B級。


 その二文字だけで、状況の深刻さは十分に伝わる。


〈——了解しました〉


 返答は、驚くほど淡々としていた。


 恐怖も。

 動揺も滲まない。


 ……だが、アイは理解している。


 狙撃銃では、B級レヴュラへ決定打を与えられない。


 それでも……撃てば、レヴュラは必ず、自分を攻撃した射手を探す。


 つまり、自分が狙われる可能性があるということ。


 アイは静かにボルトハンドルへ手を添え、実包を薬室へ送り込む。


 与えられた役割は、撃破ではない。


 仲間が重火器を展開する、その数十秒を命懸けで買い取ること。


 ——時間を稼ぐ。


 それこそが、狙撃手である自分に課せられた使命だった。



 そもそも、この遠征はプラントに貯蔵されている缶詰を持ち帰るために行われたものだ。


 静岡まで命を賭して辿り着き、犠牲まで払った。

 それを放棄し、手ぶらで帰還するなど論外だ。


 新宿クオムでは今日も誰かが空腹を抱え、この遠征部隊が缶詰を持ち帰るのを待っている。


 この作戦の背後には、新宿クオムに暮らす者たち全員の胃袋がぶら下がっているのだ。


 ——だから負けるわけにはいかない。

 だから、生きて持ち帰らなければならない。


 

「真! 右!」

 ルナの鋭い声が飛ぶ。


 反射的に振り向く。


 視界へ飛び込んできたのはマンティスではない。

 瓦礫の陰から飛び出した一機のティック種だった。


 どうやら、まだ掃討しきれていなかったらしい。


 四脚がアスファルトを蹴り、一直線に真を狙ってきた。


 ルナのMP5が即座に火を吹く。


 狙いは完璧だった。


 そのはずだった。


 ——だが。


 九ミリ弾はティック種の鼻先を掠めるだけで、虚しく背後へ抜けていく。


「……え?」


 ルナ自身が目を見開いた。


「外した……? この距離で?」


 本来なら、外すはずがない。


 プリムローズ隊を率いる彼女の射撃技量ならなおさらだった。


 その一瞬の硬直を、真は見逃さない。


 身体を前へ投げ出しながらM4A1を構え、そのまま照準を合わせる。


 高度戦闘光学照準器(ACOG)に載せたバックアップ用の光点投影型照準器(ドットサイト)。


 その赤い光点をティック種へ合わせ、躊躇なく引き金を絞った。


 三発。


 短い制御射。


 5.56ミリ弾は一直線に赤いカメラアイへ吸い込まれ、撮像ユニットごと、その奥の量子電脳チップを粉砕する。


 ティック種は跳躍姿勢のまま制御を失い、その勢いだけで真の足元へ滑り込んできた。


 機械脚が痙攣するように震え、ほどなく完全に沈黙する。


「ルナ!」

 真が叫ぶ。


「大丈夫か!」


 ——返事はない。

 ルナはただ、自分のMP5だけを見つめていた。


 銃を握る手が、微かに震えている。


「アリス! ルナのサポートを!」

 真が振り返る。


「……了解」

 アリスはすぐに駆け寄る。


 ルナの顔を一瞬だけ見つめ……そして、小さく問い掛けた。


「ルナさん……『いつから』?」

 その一言で、ルナの身体がぴくりと止まる。


「…………」


 答えは返ってこない。


 だが、その沈黙こそが答えだった。


 アリスには理解できてしまった。

 同じメカドールである、アリスだからこそわかってしまった。


 ルナの射撃が乱れた理由も。


 その手が震えている理由も。


 だが今、それを問い質す時間など存在しない。

 


 重い四本の脚が地面を踏み締める衝撃が、再び響く。

 マンティスが次の獲物を探し始めていた。


「ルナ! ぼーっとするな! 死ぬぞ!」


「……ご、ごめん!」

 真の怒声で、ルナはようやく現実へ引き戻される。




「篠崎! アリスちゃんたちは俺らが預かる!」

 相川がクロウズ隊を率いて横から飛び込んできた。


 

「任せた!」

 短いやり取りだけで十分だった。


 それ以上の説明はいらない。


 全員が今、何を優先すべきか理解している。


 真が前へ出なければならないのは、擲弾発射器(グレネードランチャー)を装備しているからだ。


 アリスたちの援護をクロウズ隊に任せ、真はアイアンウルフ隊の支援へと回る。


「篠崎君!」

 無線越しに山本が呼ぶ。


「正門まで約二百メートル!」


「了解!」

 真は息を切らしながら東側構内道路へ飛び出した。


 物流搬出口とは違い、この道路沿いには遮蔽物が多い。


 積み上げられたパレット。


 放置されたフォークリフト。


 横転しかけた貨物トラック。


 これだけあれば、一方的な掃射は避けられるはずだ。


 いくらマンティスでも弾薬は無限ではない。

 障害物を片端から破壊しながら追撃するほどの余裕はないはずだった。



 ——だが。


 敵もまた、止まってはいない。


 マンティスは追跡しながら、絶えず演算を続けていた。


 散開した人員。


 互いの射線。


 遮蔽物の配置。


 逃走経路。


 攻撃可能角度。


 四基のカメラアイが、それらすべてを絶え間なく解析している。


 まるで、一基の巨大な戦術コンピューターだった。


 次の瞬間、ガトリングガンが再び咆哮する。


 道路脇のプレハブ休憩所が、一瞬で粉砕された。


 壁は細片となって吹き飛び、窓ガラスは跡形もなく砕け散る。


 

「伏せろ!」

 殿を務めるアイアンウルフ隊。


 木村の怒号と同時に、隊員たちが左右へ散る。


 山本はHK416を肩へ押し込み、その下部へ装着されたM203擲弾発射器(グレネードランチャー)の照準を合わせた。


 引き金を引く。


 発射されたM433多目的榴弾(HEDP)が弧を描き、マンティスの胴体へ命中する。


 激しい爆炎と黒煙。

 衝撃波が構内を駆け抜けた。


 ——だが。


 煙の中から現れた巨影は、速度をまったく落としていなかった。


 外装には煤が付着している。


 それだけだった。


 ある程度の小型種の群れなら丸ごと吹き飛ばせる威力を持つ榴弾ですら、この怪物の装甲を破れない。


 誰も望まなかった現実が、目の前で証明される。


「……化け物かよ」

 誰かが呟いた、その直後。


 無線へ静かな声が流れ込んだ。



〈——こちらアイ。目標を確認〉


 真は思わず空を見上げる。


 もちろん姿など見えない。


 だが百数十メートル先。


 民家二階の窓辺では、アイがM24SWSのスコープ越しにマンティスを静かに捉えていた。


 その呼吸は乱れない。


 照準も一切ぶれない。


 そして。


〈——撃ちます!〉


 一発だけ、乾いた銃声が響く。


 数瞬遅れて、マンティス前面装甲に鋭い火花が散った。


 それは装甲を貫く一撃ではない。


 だが確かに——怪物の意識を、人間の思惑どおりに引き寄せるための、最初の一発だった。

作中、なぜ部隊を指揮するアイアンウルフ隊長の山本が、無線を使わず、

口頭で叫んだりしたのか。

これはいたってシンプルな理由で、全員がヘッドセットをもっているわけでは

ないからです。

電災後の世界で、ありとあらゆるものが手に入りにくく、特にミリタリー

用品は店舗の数も多くないので、電災後はなおさら手に入りにくいのです。


そのため、メンバー全員は無線機を持っていますが、COMTACのようなヘッドセットを

持っている者と持っていない者がいる…それだけの理由だったりします。


また、ルナが射撃を外した理由もちゃんと存在しますが、それは改めて。

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