表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
電災都市  作者: あるふぁ
第五章『補給線』
33/36

『補給線』-5

新宿クオムに訪れた食糧危機。

それを打破するため、ハンター小隊で構成される遠征部隊は

一路、目的地である静岡県焼津市を目指し、首都高速道を走る。

平穏に見える道中だったが、それを許さない事態が起こる。

――そして車列は、特に目立った問題もなく、首都高三号線を進み続けた。

 やがて、環状八号線と交差する世田谷高架橋を越え、ここから先、道路はそのまま東名高速道路へと名を変える。


 出発前、デスペラード隊の古賀が言っていた通りだった。

 電災が起きたとはいえ、高速道路の上に自分の車を放置して逃げ出した者は、ほとんどいなかったらしい。


 燃料切れか、あるいは故障か。

 路肩に取り残された車両はところどころで見かけるが、そこまで多いというほどではない。

 

 本線を塞ぐような乗り捨て車両はなく、車列はほとんど減速することなく走り続けることができた。


 車列は順調に東名高速を南西へ進み、やがて神奈川県を抜け、静岡県へと入る。

 途中、御殿場の足柄サービスエリアで短い休息を取り、再びエンジンを唸らせて走り続けた。

 

 まるで電災やレヴュラの脅威など、最初から存在しなかったかのように……ここまでの道のりは、驚くほど平穏そのものだった。

 

 

 かつて、一日に何万台もの車が行き交っていた東名高速のアスファルトも、今ではほとんど車が通ることはない。


 ――そのせいだろうか。

 舗装の隙間を割り、あちこちから雑草が顔を覗かせている。

 アスファルトの道路は、人間ではなく、植物が支配し始めていた。

 

「雑草のパワーってすげぇよな……」

 荷台の一角で誰かが呟く。


「あんな硬いアスファルトから生えてくるんだもんな」


「昔、実家でよく草むしり手伝わされてたんだけどさ」

「いくら抜いても、雨が一度降っただけで、すぐにまた生えてきやがるんだぜ?」

 ――別の男が笑う。


「前に腹減ったって、本当に道の草食って腹壊したバカいたよな?」


「いた、いた」


「三日くらいトイレから出てこなかったやつ」

 

 ――車内は暑く、快適な旅を約束してくれる冷房装置など、用意されてはいない。


 だが、それでも平和な走行が続くことで、遠征メンバーたちの緊張は少しずつ解れていた。

 いつの間にか、あちこちで雑談が始まっている。


 

 「だめだ……暑い」

 真がぐったりと背もたれにもたれた。


 このままでは、食料を確保する前に、自分の方が脱水症状で倒れてしまう。


 アリスは何も言わずに、自分のバックパックを開いた。

 中からペットボトル入りのミネラルウォーターを取り出すと、真へ差し出す。

 

「ほんと、アリスは良いお嫁さんだよねぇ」

 それを見て、ルナがにやりと笑い、わざとらしく肩を竦める。


「ちゃーんと、自分の荷物の中に真の水も持ってきてるんだもんね」


 メカドールは機械の身体だ。

 厳密に言えば、人間のように食事を必要とするわけではない。


 だが――まったく飲まず食わずでいられる、というわけでもなかった。


 電災によって、正規のメンテナンス設備はほとんど失われている。


 そのため、人工筋肉を駆動させる循環液を浄化するため、飲用水が必要なのだ。

 簡易的なメンテナンスの一部として、水分補給は欠かせない。

 それゆえに、アリスに限らず、遠征に参加しているメカドールは全員、飲用水を携行している。


 それに、この暑さだ。


 量子電脳は常温環境でも冷却が保たれるとはいえ、水の補給がなければ、ボディが逃がしきれなくなった熱は蓄積する。

 メカドールはボディの発熱に対して、ミスト状に水分を湿潤させ、熱量を下げる。

 構造が異なるだけで、そのへんは人間と変わりがない。

 そうなれば、一番怖いのは……電脳がオーバーヒートを起こしてしまうことだ。


 人間で言えば、脳そのものにダメージを受けるのと同じ事態で、機能停止に繋がる危険性がある。

 だからこそ、メカドールといえども、その機能維持のために水分の摂取が必要となるのだ。

 

「そんな……私と真は、そんな関係じゃ……」

「またまたぁー。アリスってば、照れちゃって、本当に可愛い。ね、真?」

「うるせぇ、俺に振るな! ったく、暑いんだから少し黙れよ」

 

 ――そんな真たちのやり取りを、冷めた視線で眺めている者がいた。

 そして、吐き捨てるように言葉を吐く。


 「ケッ、噂のB級キラーがどんな奴かと思えば……“首輪付き”相手に、鼻の下伸ばしてる間抜けかよ」

 ――鼻で笑いながら、その声には露骨なまでの侮蔑が滲んでいた。


 空気が、わずかに軋む。


 ――首輪付き。

 それは、メカドールを侮蔑する際に使われる呼び名だ。

 そして、そんな言葉を使う者は決まっている。


 A.I.A.(Artificial Intelligence Anticognism)――人工知能反認知主義。

 AIを忌み嫌い、徹底的に拒絶する者たち。


「――あ?」

 だが、その言葉を聞いた瞬間、真の目つきが変わった。


 空気を凍り付かせるような、威圧的な視線。

 歌舞伎町に来たばかりの頃、相手を恫喝するためだけに何度も見せていた――野良犬のような目。

 

 獲物を睨み据える猛獣のように、声の主を射抜く。


「おい、青木! てめぇ、何言ってんだ!」

 慌てて声を上げたのは、ファイアレイン隊のリーダー――戸上だった。

 

 だが……青木は戸上の制止も聞かず、むしろ視線を逸らすことなく、真を睨み返す。

 口元には、挑発するような笑みが張り付いていた。


 真はゆっくりと言葉を吐き出す。

 激昂を押し殺し、明確な敵意だけを向けながら。


「おい」


 その声は低い。

 抑え込まれた怒気が、逆に底知れない圧を帯びていた。


「今度、俺の前で“首輪付き”なんて言ってみろ」

「焼津に着く前に、テメェの葬式おっぱじめてやるぞ?」


 静かに――だが確実な殺意を込める。


「真……」

 いつもは激昂する真を諫める立場のアリスでさえも、その殺気に言葉を挟めない。


 荷台の空気が、ぴたりと止まる。

 誰もが、息を吐くタイミングを測りかねていた。


 ――真は、アリスだけではなく、メカドール全体を侮辱する言葉を決して許さない。


 電災後、彼らがどれだけ人間のために働いてきたか。

 それを、真はよく知っている。

 人間のために精力的に働き、力尽きた個体もいる。

 電災に巻き込まれ、救いを求めながら動かなくなった個体も見てきた。


 そして何より――三年余り。

 苦楽を共にしてきたアリスの存在を全否定する言葉など……絶対に許せるはずもなかった。


 声の主――ファイアレイン隊の青木真人は、散弾銃(ショットガン)を手に、自分の隊長である戸上が止めようとしているにもかかわらず、まったく意に介さない。


 青木は鼻で笑う。


「やれるもんならやってみろよ?」


 そして、ゆっくりと銃口を持ち上げた。

 散弾銃(ショットガン)の大きな銃口が、真へ向けられる。


 安全装置にかかる指が、わずかに揺れた。


「この距離じゃ、弾の方が強いって分からないバカか?」

「たまたまB級を一体狩ったくらいで、大物ぶってんじゃねぇよ」


 荷台の空気が、一瞬で凍りつく。


 ――引き金ひとつで、すべてが終わる距離。


 

 先日ギルド内で同じように、A.I.A.であるブレイズ隊の林を相手に煽り倒した時とは、わけが違う。

 その時の当事者であるルナでさえ、今は口を開かない。

 一触即発の張りつめた空気の中、自分の軽々しい一言が取り返しのつかない事態を招くことを理解している。


 狭い車内で、どちらかが発砲すれば、間違いなく誰かが巻き込まれ、被害が出るだろう。

 ――先日も見た、あの真の目。

 それがどれだけ、彼を激昂させていて、そして危険な状態なのか……ルナは知っている。

 

 ただ、わずかに視線だけを動かし、二人の間合いを測っていた。


「大体よ……俺はメカドールってやつが嫌ぇなんだよ。そいつらのせいで、うちの両親はな――」

 青木は吐き捨てながら、視線をアリスへ向ける。

 

 ――だが、その言葉を静かな声が遮った。


「――そこまでだ。銃を下ろしてくれるかい?」


 落ち着いたその声の主は、この遠征部隊の指揮官である山本。

 彼は自分の愛銃、自動小銃(HK416)を迷いなく青木へ向けていた。


 銃口はぶれない。

 呼吸すら感じさせないほど、ぴたりと青木の眉間を狙い、静止している。

 

 電災が起こるずっと以前から実銃を手に、心技体すべてを鍛え上げてきた男だ。

 仮に真と青木の二人がかりで銃を抜いても、即座に二人を射殺するくらい、平然とやってのけるだろう。

 

 電災のドサクサで銃を手にした真や、青木のようなチンピラとは違う。

 山本は本物のプロフェッショナルだ。

 躊躇いなく引き金を引くこともできるし、外すこともない。

 

 山本の威圧に観念し、青木が渋々と散弾銃(ショットガン)を下ろしたのを確認すると、ゆっくりと口を開く。


「俺には、この遠征を無事に成功させる義務がある」


 言葉は穏やかだったが、声の奥にははっきりとした重みがあった。


「ただでさえ、勝手のわからない地域での作戦なんだ。面倒事は勘弁してほしい」


 山本は、青木と真の顔を交互に見る。

 まるで両者を秤にかけるかのような鋭い視線。


 視線だけで、場の主導権を奪い取る。


 だが同時に、それはどちらか一方を責める視線でもない。

 双方がこれ以上、攻撃の意思を見せないことを確認すると、山本は銃口を下げ、青木へ向き直った。


「青木君は、この遠征部隊にメカドールがいることが、そんなに気に入らないかい?」

 静かに問いかける。


 今回、遠征部隊としてどの小隊を派遣するかは、ギルドが決めたものだ。

 山本はその決定を受けて、現地の指揮官として任命されているに過ぎない。


 今さらその編成に異を唱えられても困る。

 しかも出発してから蒸し返されるなど、最悪だ。


 このままでは作戦そのものに支障が出る。

 

 今回の遠征の目的は、レヴュラと戦うことではなく、ましてや仲間内でいがみ合うことでもない。

 ――新宿クオムが抱える食糧難を解決すること。

 そのために、何としても成功させなければならない作戦なのだ。


 

「ああ、気に入らないね」

 青木は鼻で笑い、はっきりと言い切る。


「そんな首輪付きに背中を預けるなんて、できっこねぇよ」


 その言葉に、同じファイアレイン隊に所属する相沢や玉城、久米が同調するように頷いた。

 誰も言葉は発しないが、その沈黙が肯定を示している。


 わずかに、空気が揺れた。

 山本は一瞬だけ黙り、そして――あっさりと答える。


 

「わかった」

 拍子抜けするほど、あっさりと。


「それじゃあ君たちは参加しなくていい。現地では待機に徹してくれ。報酬は出るように掛け合うから」

 その言葉に、青木たちは一瞬、目を見開く。


 青木と、それに同調する三名を作戦から外す。

 それが山本の判断だった。


 荷台の空気が、別の意味で張り詰める。


 先ほどまでの“撃つか撃たれるか”の緊張とは違う。

 今度は、決定が下されたあとの、逃げ場のない沈黙。


 

 ――このまま作戦に突入すれば、青木と真の間で、いつ衝突が起きてもおかしくはないだろう。


 A.I.A.の人間がメカドールに向ける嫌悪は根深く、そう簡単に消えるものではない。

 そして、メカドールをパートナーとする真にとっても、アリスを侮辱されることは到底受け入れられないだろう。


 もし戦闘の最中に両者の衝突が起きれば――仲間同士で銃を向け合う最悪の事態になりかねない。


 ――ならば、相容れない者同士は最初から距離を置かせる。

 それが最も合理的だった。


 山本は無線機を掴み、短く呼びかける。


「岸上」


 一号車――先頭トラックのハンドルを握る男へ、指示を飛ばす。


「どこかパーキングエリアに寄せろ。ファイアレインとクロウズのメンバーを入れ替える」


 冷静な判断だった。

 このまま同じ車内に置いておけば、いずれ“内部から爆発する”。


 ――だが。


 返ってきた声は、山本の想定を明らかに裏切っていた。


 無線越しの岸上の声が、わずかに歪む。

 その奥に、聞き逃せない“張り”が混じっていた。


〈――そうしてやりてぇのは山々だが……そうも言ってられなくなったぞ?〉


 ――次の瞬間だった。


 トラックの車体に、硬質な衝撃音が叩きつけられる。

 それは一度では終わらない。

 


 連続する打撃。

 荷台の床が跳ね、鉄板が軋み、積載された装備が細かく震える。


 振動は足裏から脊椎を駆け上がり、内臓にまで響いた。


「岸上? 何があった!」

 山本が問い返す。


 だが、その返答を待つまでもなかった。


〈――レヴュラだ!〉


 怒鳴り声が、無線を割って飛び込んでくる。


〈――それも一体や二体じゃねぇ! 群れだ! 次から次へと湧いてきやがる!〉


 言葉の最後は、ほとんど怒号に近かった。


 

 ――直後。

 前方で、凄まじい衝突音が炸裂する。

 

 車両前部に取り付けられた鋼鉄製の衝角が、道路を埋め尽くすレヴュラの群れへ、容赦なく突っ込んでいた。


 金属と金属がぶつかり合う、鈍く重い破砕音。

 押し潰され、弾き飛ばされる、機械の悲鳴にも似た軋み。

 

 それらすべてが、車体フレームを通して荷台へと叩き込まれてくる。


 ――『スウォーム』

 遠距離を走るトランスポーターだけが、ごく稀に遭遇する現象だった。

 新宿クオムのテリトリーでは、まず遭遇しない事象。


 通常、討伐対象となるレヴュラは単独、あるいは少数で行動する。

 クオム防衛圏内の作戦は、事前にスカウトが周回ルートを割り出し、ギルドを経由して正確な情報がハンターへ共有される。

 だからこそ――“群れ”と鉢合わせることは、ほぼあり得ない。

 


 統制の取れていないはずの機械群が、まるで意志を持つかのように密集し、進路を塞ぐ。

 その発生原因は、いまだに不明だ。


 生産拠点が近いのか、あるいは何らかの命令による集結なのか。

 目的を持っているのかさえわからない。

 電災から三年余りが経過しても、レヴュラに関してわかっていることなど、ほとんどないのだ。

 

 ただひとつ、確かな事実がある。


 ――遭遇すれば、高確率で死者が出る。


 最悪の状況だった。

 


 山本の目に、わずかな動揺が走る。

 だが、それは一瞬で押し殺された。


 車両後部にドアはない。

 荷台の開口部から、後方の光景が剥き出しで飛び込んでくる。


 弾き飛ばされたレヴュラが、空中で回転していた。


 四足の機械兵器が衝撃に弾かれ、軽い空き缶のように宙へと放り上げられる。

 歪な関節を振り乱し、バラバラとほどけるように宙を舞った。


 地面へ叩きつけられるたび、外装が砕け、フレーム材が火花を散らす。


 部品とも破片とも知れぬ残骸をまき散らし、ケーブルは引きずられ、内部の構造体が剥き出しのまま、路面を滑っていく。

 歪んだフレーム……その接合部から破断した機械脚が、根元から千切れて転がった。

 

 だが――トラックへ衝突する音は止まらない。

 ただでさえ鈍重な貨物トラックに、重量バランスなど度外視の衝角や防護フレームを取り付けているのだ。

 レヴュラの群れに突っ込み、車速をじわじわと削られていく。


 それを狙うかのように、別の個体が側面から飛び出す。


 一体、どれだけの数のレヴュラがいるのか。

 仲間の残骸など意に介さぬように、新たな個体が次から次へと飛び出してくる。


 

 止まらない。


 終わらない。


 まるで、地面そのものが機械を吐き出しているかのように。


 

「――二号車以下、全車両! 先頭がレヴュラの群れに突っ込んだ! 全員戦闘準備! 装填!」


 山本が無線機のマイクを掴み、怒鳴る。

 その声は、先ほどまでの静かな調子とは別物だった。


 命令が飛んだ瞬間、車内に金属音が連鎖する。

 安全装置が外され、ボルトが引かれ、薬室に弾が送り込まれる。


 それぞれの呼吸が荒くなり、誰もが言葉を失ったまま、自分の武器だけを見つめていた。


 ――さっきまでの“内輪のいざこざ”など、すでに消し飛んでいる。


 今、この場にあるのはただひとつ。

 “生き残れるかどうか”――それだけだった。


 

 真にとっては、新しい“相棒”の初陣。

 ――新たな愛銃、M4A1カービン。


 機関部(レシーバー)上部の槓桿(チャージングハンドル)に指を掛け、強く引き、そして放す。

 乾いた、硬質な金属音が車内に響いた。


 ボルトが前進し、薬室へ一発の弾丸が送り込まれる。

 口径5.56×45mm――薬莢と合わせ、わずか12グラムほどの、鉛と真鍮で構成された小さな塊。

 

 弾頭はたった4グラム程度しかない。

 だがそれは、人間の肉体を容易く貫通し、骨を砕き、内部を破壊するに足る“力”を持っている。


 真は無意識のうちに、銃把を握る手に力を込めた。

 滑り止めの刻みが掌に食い込み、感覚を現実へと引き戻す。


 隣に座るアリスもまた、表情を引き締めたまま、HK416(新たな愛銃)の槓桿を引いた。

 その動作に無駄はない。だが、その瞳の奥には、わずかな緊張の色が確かに宿っている。

 

 無理もない。

 アリスはこれまで、拳銃を撃ったことがある程度の経験しかない。

 射撃訓練をしたとはいえ、この場のメンバーの中では最も射撃経験が少ないのだ。


 ――その時。


 弾き飛ばされたレヴュラが、荷台の視界へと流れ込んでくる。

 回転しながら後方へ飛ばされ、バラバラになりかけた機体が空中で姿勢を崩す。

 だが、宙を舞うレヴュラがこちらを向いた一瞬……風を切る音が聞こえた。


「――ぐあっ!」

 ファイアレイン隊の阿部が、短く息を詰まらせた。

 次の瞬間、肩口を押さえ、その場で崩れるように蹲る。


 阿部の傷口から血が溢れ出し、衣服をたちまち赤く染めた。

 よく見れば衣服は裂け、肉が抉れている。

 

 ――決して浅くない。

 一目でわかるほどの、深手だった。

 

 鮮血は止まる気配を見せず、腕を伝い、指先から滴り落ちていく。

 荷台の鉄床に落ちた血が、薄く広がっていった。


 だが――その負傷に構う余裕すら与えられないほど、レヴュラの群れは尽きる気配を見せなかった。


 魚群のように密集しているわけではない。

 だが、間断なく現れる。


 道路脇の茂み。

 排水用の側溝。

 崩れたガードレールの陰。


 視界のあらゆる死角から、次の個体が姿を現し、迷いなく車両へ突進してくる。


 それは偶然の遭遇ではない。

 まるで、この車列そのものが“目標”として捕捉されているかのようだ。


 

 再び、車体が大きく揺れると、衝撃に続いて嫌な感触が伝わってきた。


 何かが歪み、引き裂かれ、構造そのものが悲鳴を上げているような振動。

 さらに、車体の低い位置で重量物が地面を擦り続ける感覚が加わる。


〈――だめだ、ガードが外れた!〉

 岸上の声が、無線越しに飛び込んでくる。


 その声は、焦燥を隠しきれていない。


〈――部品を引きずってる! これじゃ速度が出せねぇ!〉


 一号車のフロントガード――衝角を含む重装の防護フレームは、すでに限界に達していた。

 幾度もレヴュラを撥ね飛ばした衝撃が、確実に蓄積していたのだ。


 粗雑な溶接部には亀裂が走り、固定能力は半ば失われている。

 外れかけた鋼材が車体下部で路面を擦り、抵抗となって速度を鈍らせていた。


 火花が散り、金属が削れ、構造そのものが崩壊へと向かっている。


 ――だが。

 この状況で減速することは、死を意味する。


 停止など論外だった。


 前に進むしかない。

 壊れながらでも、突破するしかない。


 出発前、サンダーバレッツ隊の山口が口にした懸念が、現実となっていた。

 それも、最悪の形で。


 

 

 山本は歯を食いしばる。

 こめかみに血が上り、視界の端がわずかに赤く滲んだ。


 それでも、判断を止めることはない。

 握り締めた拳に、力がこもる。


 

 たった一発、リベットガンの弾が掠めただけ。

 それだけで、阿部の肩から下は鮮血に塗れていた。


 圧縮空気で金属片を射出しているに過ぎない――理屈だけを聞けば単純な機構だ。

 だが、その威力は明らかに常軌を逸している。


 至近距離でまともに受ければ、肉を抉るどころでは済まない。

 骨を砕き、内部を破壊し、そのまま命を奪う。


 “工具”であったはずのそれは、完全に殺傷兵器へと変貌していた。

 


 ――これに、素早く動いたのは、プリムローズ隊のメカドール、リオナ。


 ナイフで阿部のシャツを切り裂くと、傷口を露出させる。

 布地に染み込んだ血が裂け目から広がり、鉄の匂いが一気に濃くなった。


 露わになった創部を、機械の目が正確に捉える。


「動かないでください! 沁みますよ!」


 感情の揺れを感じさせない、落ち着いた声。

 だが、その動作は迅速だった。


 ボトルから直接、傷口へ消毒液が注がれる。

 

 液体が血と混じり、傷の奥へと流れ込んでいくと、阿部が歯を食いしばり、喉の奥で低く呻いた。

 筋肉が反射的に強張り、肩がわずかに震える。


 

 その隣で、同じくメカドールのサキが即座に動く。

 C-A-T(戦術止血帯)を使い、強く圧迫を維持したまま次の資材を手渡す。

 無駄のない連携だった。

 

 リオナが銃創へ押し付けるように、リペアパッドを貼り付け、包帯を巻いていく。


 リペアパッド……ハイドロコロイドゲルを用いた湿潤療法系の絆創膏だ。

 メカドールの人工皮膚素材『NexiSkin』と組み合わせることで、湿潤効果と密封性を向上させたものだ。

 

 ろくな医療施設も医薬品もないこの世界で、数少ない“電災以前からの遺産”として、大体の奴が持ち歩いている。

 

 肉が抉れ、骨が見えるほどの銃創を手当てするには力不足だが、外科手術ができる者もいない今は、こいつだけが頼みだった。

 

 リオナとサキの間で、言葉はほとんど交わされない。

 だが、互いの動きは噛み合っている。

 

 この状況下での応急処置としては、最適に近い対応だった。


 

 ――しかし、外の状況は未だ、それを許すほど甘くはない。

 撥ね飛ばされたレヴュラが、空中で体勢を崩しながらも、姿勢を無理やり制御し、射線を車列へと合わせてくる。

 宙を舞い、吹き飛ばされながらも、一矢を放つことを学んだかのようだ。

 


 だが、こちらからは迎撃することができずにいた。

 不用意に発砲した銃弾が、わずかでも逸れれば――その先にいるのは、すぐ後方を走る二号車だ。


 車列はほぼ一直線に並んでおり、安全な射線は極端に限られる。


 ――撃てない。

 その制約が、状況をさらに悪化させていた。


 一号車の衝角は、すでに限界を超えており、外れかけたフレームの隙間から、車体そのものでレヴュラを撥ね飛ばしている状態だった。


 防護構造としての機能は、ほぼ失われている。

 残っているのは、ただの“重さ”と“慣性”だけだ。


 このまま衝突を繰り返せば――次に壊れるのは、ガードでは済まない。


 エンジン。

 駆動系。

 車両の中枢そのもの。


 そこをやられれば、終わりだ。

 先頭を走る一号車が落伍すれば、後に続く車列も、この場で完全に停止する。


 そして――取り囲まれた車列がどうなるか……結果は、考えるまでもなかった。


 

 その時。


〈――一号車、追い越し車線に出て減速しろ。二号車が前に出る〉


 無線越しに、落ち着いた声が割り込んでくる。

 二号車を運転している、サンダーバレッツ隊の山口だった。


 周囲では、未だ絶え間ない衝撃と金属音が続き、怒号と振動が空間を埋め尽くしている。


 それでもなお、その声は不思議なほど明瞭で、揺るがない。


 

 迷いなく、岸上は応じた。

 ハンドルを切ると、重量のある車体がわずかに遅れて追従し、車線を横切る。


 タイヤが路面を掴み、軌道を変える。

 壊れかけたフロントガードが、アスファルトを擦り続ける。


 火花が断続的に散り、車体下部で何かが引きずられる感触が続いた。


 それでも岸上はアクセルを緩め、意図的に速度を落としていく。


 

 ――その瞬間。

 後方から迫ってくる、強く唸るようなエンジン音。

 二号車は躊躇なく加速し、一号車を追い抜くと、そのまま前へ躍り出た。


 二号車には、一号車のような衝角は取り付けられていない。

 先頭を走る事を考慮していないことと、急停車の際に、前方の車両へ突き刺さらないようにだ。

 

 三号車と四号車は物資回収用の大事な車両。

 絶対に失うわけにはいかない。

 それ故に、二号車の山口は、自らが前に出る選択をする。


 二号車のフロントガードは、迫り来るレヴュラを正面から弾き飛ばし、突き進んだ。


 だが――それは、危機を脱したことを意味しない。

 ただ、“次の段階”へ移行しただけだった。

 


 それでも、二号車は減速しない。


 湧いて出てくるようなレヴュラをそのまま撥ね飛ばし、進路上の障害物として無慈悲に処理していく。

 躊躇も、回避もない。

 圧倒的質量の暴力。

 突破のための、純粋な前進だった。


〈――このまま二号車が先導する。一号車は四号車の後ろに下がれ〉

 山口の声が、簡潔に、しかし間断なく指示を重ねる。


 無駄がない。

 必要な情報だけを、最短距離で伝える声音だった。


 壊れかけたフロントガードを引きずる一号車。


 すでに最高速度は出せない。

 ただでさえ、突破力が抑制されてしまうスウォームだ。

 このまま先頭にいれば、車列全体の機動力を確実に削ぐ。

 

 山本は、ほんの一瞬だけ思考を巡らせ――すぐに結論を出した。


「了解だ。岸上、指示通りに動け」


 短い命令。

 そこに迷いはなかった。


 一号車はさらに速度を落とし、四号車の後ろへ滑り込むように、重い車体が隊列の中へと収まっていく。


 ――車列の再編。


 二号車が先頭へ。

 三号車、四号車がそれに続き、最後尾に損傷した一号車。


 車列は形を変え、なお前進を続ける。


 その後も、しばらくの間、緊張は途切れなかった。

 誰も口を開かない。


 ただ、車体を伝わってくる振動と外からの気配に神経を尖らせ続けた。

 次の接触に備え、引き金にかけた指を外さない。


 スウォームは大きいものになると、数百体の小型種が群れるという。

 ――だが、本当に怖いのは、それらの小型種を指揮するB級レヴュラなどに遭遇することだ。

 

 たかが一分程度の時間でさえ、とても長く感じる。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ