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『あの日、君が祈っていたこと』  作者: 整備士
さよならは、また逢う日まで
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EP5 知らない人

 目を覚ますと、窓の外はよく晴れていた。


 昨日まで降っていた雨は上がり、カーテンの隙間から朝の光が差し込んでいる。


 陽一はしばらく布団の中で天井を見ていた。


 起きる。


 顔を洗い、朝飯を食べる。


 出掛ける前に、いつものように祈った。


 何を願うでもない。


 昔からそうしているから、今日もそうしただけだった。


 作業着に着替え、財布と携帯をポケットへ入れる。


 最後にCBの鍵を取った。


「行ってきます」


 返事のない部屋を出る。


 階段を下りながら空を見上げた。


 今日は暑くなりそうだった。


 初夏の朝はまだ涼しいが、昼には作業着の背中が汗で張り付くだろう。


 そんなことを考えながら駐輪場へ向かい――。


 足が止まった。


「…………」


 人がいる。


 見たことのない男だった。


 大きな荷物がいくつか、通路の端に置いてある。


 引っ越しか何かだろう。


 それはいい。


 問題は男がいる場所だった。


 陽一のCBに跨っている。


 両手でハンドルを握り、メーターを覗き込んでいた。


「何してるんですか」


 男が振り返った。


「あ、おはようございます」


「……おはようございます」


 反射的に返してしまった。


 一瞬だけ妙な間が空く。


「じゃなくて」


「はい?」


「何してるんですか」


 男は自分の下を見る。


「ああ、これ?」


 ぽん、とタンクへ手を置いた。


 陽一の眉が動いた。


「触らないでもらえます?」


「あ、すみません」


 手は離した。


 だが、降りない。


「すごいっすね、これ。古いCBですよね?」


「……降りてください」


「え?」


「バイクから」


 そこでようやく、男の顔から笑みが消えた。


 陽一の顔を見る。


 次に、自分が跨っているCBを見る。


「あ」


 小さく声が漏れた。


「これ、あなたの?」


「そうです」


「……マジか」


 男は慌てて足を上げた。


「すみません」


 CBから降りる。


 陽一はすぐに車体へ近づいた。


 タンク。


 シート。


 ハンドル。


 目立った傷はない。


 倒された様子もなかった。


 陽一が車体を見ている間、男はその横に立っていた。


「いや、あの」


 陽一は返事をしなかった。


「勝手に跨ったのは悪かったですけど、別に何かしようとしたわけじゃ――」


「何もしなかったら、勝手に人のバイク跨っていいんですか」


「……いや」


 男の口が止まった。


 陽一はタンクから視線を上げる。


「人の物ですよ」


「はい」


「やめてください」


「……すみません」


 今度は、さっきより小さな声だった。


 陽一はそれ以上何も言わなかった。


 鍵を差し込む。


 CBに跨がり、エンジンをかけた。


 四気筒の音が静かな朝の駐輪場に響く。


 男が少し離れた。


 陽一はヘルメットを被る。


 その間にも、男がCBを見ているのが分かった。


 まだ何か言いたそうだった。


 陽一がシールドを下ろす。


「あの」


 聞こえないふりをした。


 クラッチを握り、ギアを入れる。


「……いい音だな」


 最後にそんな声が聞こえた。


 陽一は振り返らなかった。


     *


 三十分後。


 工場へ着く頃には、腹の虫も多少収まっていた。


 CBをいつもの場所へ停める。


 エンジンを切ると、さっきまでの騒がしさが嘘のように静かになった。


 陽一はもう一度タンクを見る。


 傷はない。


 何もされていない。


 分かっている。


「……怒りすぎたかな」


 独り言が漏れた。


「何をだ」


 すぐ後ろから声がした。


 陽一は振り返る。


 山本がいた。


「いつからいたんです?」


「今」


「なら聞かないでくださいよ」


「自分から喋ったんだろ」


 山本はCBの横を通り過ぎようとして、陽一の顔を見る。


 少し戻ってきた。


「何かあったのか」


「別に」


「別にって顔じゃねえだろ」


「どんな顔ですか」


「朝から他人を二、三人殺してきたような顔」


「そんな顔してませんよ」


「じゃあ一人か」


「減らせばいいって話じゃないでしょう」


 山本は笑った。


 陽一はヘルメットを置きながら、少し迷った。


「朝、知らない人がこれに跨ってたんですよ」


 山本の視線がCBへ落ちる。


「勝手に?」


「はい」


「何かされたか?」


「何も」


「傷は」


「ないです」


 山本はタンクを一度見てから、陽一へ視線を戻した。


「ならいいじゃねえか」


「……山本さんなら怒らないんですか」


「怒るよ」


「でしょう」


「俺なら最初に怒鳴る」


「俺より駄目じゃないですか」


「人のバイク勝手に跨る奴が悪い」


 陽一は少しだけ安心した。


 山本が工場へ歩き出す。


「でも、まあ」


「何です?」


「何もなかったんなら、いつまでも怒ってんな」


「分かってますよ」


「ならその顔やめろ」


「普通です」


「だから怖えんだよ」


「どうしろっていうんですか」


 山本は答えず、工場の中へ入っていった。


 陽一もその後を追った。


 仕事が始まれば、朝の男のことなどすぐに忘れた。


     *


 始業前。


 いつものように朝の打ち合わせが始まった。


 今日の工程。


 納期。


 昨日から残っている仕事。


 陽一は手元の紙を見ながら聞いていた。


 話が一通り終わったところで、上司が資料を閉じた。


「ああ、それと今日から一人入るから」


 何人かが入口を見る。


「入って」


 足音がした。


 陽一も何となく顔を上げる。


「…………」


 朝の男が立っていた。


 向こうも陽一を見た。


 笑顔が固まった。


「……あ」


 陽一も声が出た。


「あ」


 数人の視線が二人を往復する。


 上司が眉を寄せた。


「知り合い?」


「違います」


 陽一はすぐ答えた。


「いや、知り合いっていうか、今朝ちょっと」


「違います」


「二回言わなくてもよくないっすか?」


 陽一は男を見る。


 男が口を閉じた。


「……何かあったの?」


「別に」


「それ田島が言う時、大体なんかあるぞ」


 山本が横から言った。


「朝、俺がちょっとやらかしまして」


 男が頭を掻いた。


「まあ、それは後でいい」


 上司が話を切った。


「自己紹介」


「あ、はい」


 男は一歩前へ出た。


 さっきまで陽一を気にしていたのに、全員の視線が自分へ集まると急に姿勢を正した。


「神崎です。今年大学出たばっかです。二十二です」


 一度、そこで言葉が止まる。


「……以上です」


 上司が待っている。


 神崎も待っている。


「終わり?」


「はい」


「何かないの? 趣味とか」


「ギターやってます」


「バンド?」


「はい」


 神崎の顔が少し明るくなる。


「結構ちゃんとやってます」


「へえ」


「今度ライブあるんで、よかったら――」


「まだ初日だからな」


「……そうっすね」


 何人かが笑った。


 神崎もつられて笑う。


「とりあえず仕事覚えてから客呼べ」


「はい。頑張ります」


「じゃあ今日は山本さんとこ入って」


「分かりました」


 山本が小さく息を吐いた。


「俺かよ」


「お願いします」


「若い奴は田島にやらせろよ」


「田島には自分の仕事あるでしょ」


「俺にもあるよ」


「山本さんなら喋りながらできるから」


「どういう意味だ」


 神崎が小声で陽一に聞いた。


「山本さんって怖い人ですか?」


「聞こえてんぞ」


 神崎の肩が跳ねた。


 陽一は思わず目を逸らした。


 少し笑いそうになった。


     *


 午前中、神崎は山本について工場を回っていた。


 陽一は自分の仕事をしていたが、時々二人の声が聞こえてくる。


「これ、ここでいいっすか?」


「そこじゃ邪魔だ」


「じゃあこっち?」


「もっと邪魔だ」


「どこ置けばいいんすか」


「考えろ」


「初日に!?」


「うるせえ」


 少しして。


「山本さん、これ何の機械ですか?」


「旋盤」


「何するんです?」


「削る」


「何を?」


「色々」


「説明する気あります?」


「あるよ」


「今のところ感じないんですけど」


「お前質問多いな」


「分かんないんだから仕方ないじゃないですか」


 陽一は手を動かしながら、二人の声を聞いていた。


 山本も山本で、面倒なら無視すればいいのに全部返事をしている。


 昼前。


 神崎が陽一の近くを通った。


 大きな箱を抱えている。


「田島先輩」


「何ですか」


「これ、どこです?」


「何が」


「置き場」


 陽一は箱を見る。


「それ、第二倉庫です」


「第二倉庫?」


「あっち」


 指を差す。


 神崎がそちらを見る。


「ありがとうございます」


 歩き出す。


 三歩進んで止まった。


「先輩」


「何ですか」


「第二倉庫って、どれです?」


「だからあっちです」


「建物三つあるじゃないですか」


「真ん中」


「ああ」


 また歩き出す。


 少しして振り返った。


「先輩」


「……今度は何ですか」


「重いっす」


「知りませんよ」


「ちょっと持ってくれたり」


「しません」


「冷たいなあ」


 そう言いながら神崎は一人で運んでいった。


 陽一はその背中を見る。


 朝の印象とは少し違った。


 軽い。


 うるさい。


 距離も近い。


 だが、仕事を嫌がっている感じはなかった。


 箱も結局、一人で運んでいる。


「……変な人だな」


「お前が言うな」


 隣から山本の声がした。


「いつ来たんですか」


「今」


「今日それ二回目ですけど」


     *


 昼休み。


 陽一は少し離れたところで飯を食べていた。


 山本のところには神崎がいる。


 別に聞こうと思っていたわけではない。


 神崎の声が大きいだけだった。


「山本さん」


「なんだ」


「田島先輩って、ずっとあんな感じなんですか?」


 陽一の箸が止まる。


「どんな感じだよ」


「なんか、こう……」


 神崎が言葉を探しているらしい。


「怒ってるような、怒ってないような」


「普通だよ」


「あれで?」


「失礼な奴だな、お前」


「いや、悪い意味じゃないっすよ」


「じゃあどういう意味だ」


「話しかけたら普通に答えてくれるし。さっきも倉庫教えてくれたし」


「じゃあ普通じゃねえか」


「朝めちゃくちゃ怒られたんすよ」


 山本が黙った。


「……朝?」


「あのCB」


 陽一は弁当へ視線を落とした。


「俺、あれ格好いいなと思って。勝手に跨っちゃって」


「お前か」


「はい」


「馬鹿だな」


「やっぱそんなにヤバかったんすか?」


 山本が何か食べる音がした。


 すぐには答えなかった。


「人のバイク勝手に跨る時点で駄目だろ」


「それはそうなんですけど」


「じゃあ終わりだ」


「いや、なんか……」


 神崎の声が少し小さくなる。


「俺が悪いのは分かってます。でも、思ったより怒られたなって」


 また少し間があった。


 陽一は飯を食べながら、耳だけそちらへ向けていた。


「あれな」


 山本が言った。


「親父さんの形見だよ」


 神崎から返事がない。


「三年かけて直した。俺も手伝った」


「……あ」


「それだけだ」


 山本はまた飯を食べ始めたらしい。


 神崎はしばらく黙っていた。


「親父さんって……」


「それ以上は本人に聞け」


「……はい」


 会話が終わった。


 陽一は小さく息を吐いた。


 山本はこちらを見なかった。


 陽一も見なかった。


     *


 仕事が終わった。


 工具を片付け、作業台を軽く掃除する。


 初夏の日は長い。


 工場の外へ出ても、空はまだ明るかった。


 陽一はCBのところへ向かう。


「田島先輩」


 後ろから呼ばれた。


 振り返る。


 神崎だった。


「何ですか」


「朝のことなんですけど」


「ああ」


 陽一はCBの鍵を取り出しながら答えた。


「もういいですよ」


「いや」


 神崎がそこで黙った。


 陽一は鍵を持ったまま待つ。


 昼間までなら、何か言われればすぐ二つ三つ返していた男だ。


 珍しく言葉を選んでいる。


「山本さんから、ちょっと聞きました」


「……そうですか」


「親父さんの形見なんですよね」


「はい」


「三年かけて直したって」


「そうですね」


 神崎がCBを見る。


 朝とは違って、少し離れたところに立っていた。


「すみませんでした」


 頭を下げる。


 陽一は何も言わなかった。


「いや、知らなかったんで……って言おうとしたんですけど」


 神崎は頭を上げた。


「知らなくても、人のバイク勝手に跨ったら駄目ですよね」


「まあ」


「はい」


「そうですね」


「……ですよね」


 また少し沈黙した。


 神崎は頭を掻いた。


「俺、たまにやってから気づくんですよ」


「それ、直した方がいいですよ」


「ですよね」


「絶対直した方がいいです」


「二回言わなくても」


 陽一は少しだけ笑った。


 神崎がそれを見る。


「あ」


「何ですか」


「笑うんすね」


 陽一の顔から笑みが消えた。


「帰ります」


「いやいやいや、今のは別に悪い意味じゃないですって」


 陽一はCBに鍵を差した。


「もう怒ってないですよ」


「本当に?」


「壊されたわけじゃないし」


 神崎の肩から少し力が抜けた。


「よかった……」


 そこで陽一は思い出す。


「そういえば」


「はい?」


「朝、荷物ありましたけど。引っ越してきたんですか」


「ああ、そうです」


「何号室です?」


「一〇四」


 陽一の手が止まった。


「……一〇四?」


「はい」


「俺、一〇三ですけど」


「マジっすか」


 二人で顔を見合わせた。


 神崎が先に笑った。


「隣じゃないっすか」


「そうですね」


「じゃあこれからよろしくお願いします、先輩」


「家でまで先輩って呼ぶんですか」


「じゃあ陽一君?」


「先輩でいいです」


「どっちなんすか」


「その二択なら先輩です」


「田島さんでもいいですよ」


「じゃあそれで」


「でも会社だと先輩ですよね」


「好きにしてください」


「難しいなあ」


「何がですか」


 神崎は少し考える。


「じゃ、会社では先輩。家では田島さんで」


「……別にいいですけど」


「決まりですね」


 何をそんなに嬉しそうにしているのか分からない。


 陽一はヘルメットを被った。


「先輩」


「もう会社出てますよ」


「あ、田島さん」


「何ですか」


「俺、今日どうやって帰ればいいんですかね」


「知りませんよ」


「朝バスで来たんですけど、帰りの時間調べるの忘れてて」


「携帯で調べればいいでしょう」


「充電切れました」


 神崎が画面の消えたスマートフォンを見せる。


 陽一はしばらくそれを見た。


「……本当に二十二ですか」


「今年で二十三です」


「そういう意味じゃないです」


「乗せてってくれたりします?」


「嫌です」


「即答」


「朝勝手に跨ったバイクに、夕方乗せてもらえると思います?」


「確かに」


 神崎は素直に頷いた。


 陽一はエンジンをかけた。


「歩けば帰れますよ」


「何分?」


「一時間半くらい」


「遠っ!」


「俺、昔毎日歩いてましたから」


「マジっすか?」


「じゃ、お疲れさまでした」


「ちょ、田島さん!」


 陽一は笑いながら工場を出た。


 ミラーの中で、神崎が何か言っている。


 聞こえない。


 少なくとも、朝よりは随分ましな気分だった。


     *


 翌朝。


 陽一が工場へ入ると、神崎はすでに来ていた。


「おはようございます」


「おはようございます」


 昨日より少しだけ自然に挨拶を交わす。


「昨日、どうやって帰ったんです?」


「バスです」


「時間分かったんですね」


「山本さんに調べてもらいました」


 少し離れたところから声が飛んでくる。


「二度とやらねえからな!」


「ありがとうございます!」


「うるせえ!」


 朝から元気だった。


「田島、ちょっといいか」


 今度は社長だった。


「はい」


 陽一はそちらへ向かう。


 社長は手元の書類を見ながら言った。


「神崎なんだけど」


 陽一は何となく嫌な予感がした。


「はい」


「昨日、山本さんについてただろ」


「そうですね」


「今日からしばらく、お前が見てやって」


 予感が当たった。


「……俺が?」


 社長が書類から顔を上げる。


「お前が」


「なんでです?」


「現場長から聞いたけど、昨日結構教えてたんだろ?」


「倉庫の場所くらいですよ」


「歳も近いし」


「山本さんでいいじゃないですか」


 少し離れた場所を見る。


 山本は聞こえているはずなのに、こちらを見ようとしない。


「山本さん」


「知らん」


「まだ何も言ってませんよ」


「顔見りゃ分かる」


 社長が笑った。


「山本さんには山本さんの仕事がある。お前ももう五年目だろ」


「そうですけど」


「そろそろ人に教えるのも覚えろ」


 陽一は少し黙った。


 五年目。


 そう言われると断りづらい。


「……分かりました」


「頼んだ」


 社長はそれだけ言って行ってしまった。


 陽一はその背中を見送る。


 横から山本が近づいてきた。


「頑張れ、先輩」


「他人事ですね」


「他人だからな」


「昨日まで面倒見てたでしょう」


「昨日までな」


 妙に楽しそうなのが腹立たしい。


「先輩!」


 ちょうど本人がやってきた。


「何すればいいっすか?」


 陽一は神崎を見る。


 その向こうで山本がニヤニヤしている。


「……とりあえず」


 陽一は工具箱を指差した。


「十二ミリのメガネ取ってください」


「了解です」


 神崎は工具箱へ向かった。


 中を覗き込む。


 迷うことなく一本を取った。


「これっすね」


 陽一は差し出されたスパナを見る。


「…………」


 十四スパナ。


 少し離れたところから、山本がこちらを見ている。


 目が合った。


 三年前。


 工具箱の前に座っていた十六歳の自分が、ふと頭に浮かんだ。


 陽一は神崎の手からスパナを受け取った。


「神崎さん」


「はい」


「これ、十四スパナです」


「え?」


 神崎はスパナを見る。


 刻印を見る。


「あ、本当だ」


「十二ネガネって言いましたよね」


「似てません?」


 陽一は黙った。


「……何すか」


「いや」


 口元が緩む。


「昔、同じこと言った奴がいたなと思って」


「誰です?」


「俺です」


 神崎が陽一を見る。


 山本が吹き出した。


「お前も最初はそんなもんだったろ!」


「笑わないでくださいよ」


「全部一緒に見えるとか言ってたな」


「覚えてなくていいんですよ、そういうのは」


「え、先輩も分かんなかったんすか?」


「三年前の話です」


「じゃあ俺も三年後には」


「三年かける気ですか?」


「あ」


「せめて今日中に覚えてください」


「厳しいなあ」


 神崎は十四ミリを戻した。


 今度は一本ずつ刻印を確認し始める。


 陽一はその横顔を見ていた。


 昨日の朝まで、名前すら知らなかった男だった。


 勝手にCBへ跨り、怒られて。


 その日のうちに同じ職場で再会した。


 そして今日から、自分が仕事を教えるらしい。


「これ!」


 神崎が一本差し出す。


 陽一は受け取った。


 十二メガネ。


「合ってます」


「よし」


「そんな喜ぶことじゃないですよ」


「最初の一歩っすよ」


「大げさだな」


 神崎は笑っている。


 陽一は十二ミリのメガネを手に取った。


 三年前。


 同じ場所で、自分もこうして一本ずつ教わった。


 あの頃とは立つ場所が変わっている。


 それが少しだけ、不思議だった。


「じゃあ、始めますよ」


「はい、先輩」


 機械の音が響き始める。


 いつもの朝。


 いつもの工場。


 ただ一人。


 やたらとうるさい男が増えた。


 陽一の静かだった毎日は、ほんの少しだけ形を変え始めていた。

今までタイトルを邦楽洋楽こだわらず好きなの当てはめて行こうとしてましたけど早い段階で球切れすることが分かったので今後展開的に何かあるときか使いたい時にタイトルが曲名に変わります

よろしくお願いします

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