EP30 なんでもないや
更新遅れました
夏休みが明けて、最初の月曜日。
俺は朝から、妙な視線を浴びていた。
原因は分かっている。
昨日、加奈と海に行ったことだ。
いや、正確には、俺がその話をした途端に、目の前の三人が急に黙り込んだことが原因だった。
「……待て、陽一」
「なんだよ」
「今、なんて言った?」
「だから、昨日は加奈と海に行ったって」
「……二人で?」
「おう」
三人が顔を見合わせた。
なんだ、その反応。
「お前ら……そこまで進んでたのかよ……!」
「は?」
一人が俺の肩を掴んだ。
「陽一……俺たち、友達だよな?」
「そうだけど?」
「だったら、どうして黙ってたんだ!」
「何を!?」
すると、ビートルズ好きのあいつが、静かに目を閉じた。
「どうやら君は、僕らより一足先に大人になったようだね」
「……何言ってんの?」
「おめでとう。そして……少し寂しいよ」
「なんでだよ!」
「昨日まで同じ目線で語り合っていた友が、今や遥か高みへ……」
「海に行っただけだぞ!?」
俺がそう叫ぶと、三人はそろって首を振った。
「いいんだ、陽一」
「俺たちのこと、忘れるなよ」
「明日も学校で会うだろ!!」
何なんだ、こいつら。
そのとき、もう一人が俺の腕を見て、急に真顔になった。
「……待てよ」
「今度は何だよ」
「お前、ずいぶん日焼けしたな」
「そりゃ海行ったからな」
「……そんなに日焼けするほど、二人で……」
「だから海だって言ってんだろ!」
「まさか、朝から夕方まで……?」
「おう! めちゃくちゃ遊んだぞ!」
「「「…………」」」
また三人が黙った。
「……陽一」
「何だよ」
「体力には自信があるとは思っていたが……」
「泳ぐの得意だからな!」
「……恐れ入ったよ」
「何に!?」
ビートルズ男が、遠い目をした。
「若いって、素晴らしいね」
「お前も同い年だろうが!!」
俺が途方に暮れていると、背後から声がした。
「……何の話?」
振り返ると、加奈が立っていた。
「おう、加奈。こいつらがさ、昨日海に行ったって話したら変なこと言い始めて――」
「加奈さん」
ビートルズ男が、やけに真剣な顔で口を開いた。
「どうか、陽一をよろしく頼む」
「……え?」
「不器用な男だが、悪いやつじゃない」
「おい! 勝手に俺の人生を預けるな!」
加奈は一瞬きょとんとしていたが、三人の顔を見回すうちに、みるみる赤くなった。
「ちょ、ちょっと待って! もしかして、変な勘違いしてない!?」
「大丈夫。分かってるよ」
「絶対分かってないでしょ!?」
「大切な思い出は、二人だけの胸にしまっておくものだからね」
「そ、そういうことじゃないから!!」
加奈が両手を振って否定する。
「本当に! 泳いで! 遊んで! 帰ってきただけなの!!」
三人はまた顔を見合わせた。
「……なるほど」
「なるほどじゃない!」
「それに、加奈も結構焼けたよな!」
俺がそう言うと、加奈が勢いよく振り返った。
「陽一! もう黙って!」
「えっ!? なんで俺が怒られんの!?」
「いいんだ、陽一」
「何が!?」
「若いって、素晴らしいね」
「だからお前も同い年だろうが!!」
結局、何がどう誤解されていたのか、俺には最後まで分からなかった。
ただ、その日の加奈は一時間目が始まるまで、ずっと顔を赤くしていた。
……海、そんなに恥ずかしかったのか?
楽しかったのになあ。
◇
十月七日、土曜日。
その日の田島家は、朝から大騒ぎだった。
「あなた! そっち、もう少し上!」
「おう!」
「上! 右じゃなくて上!」
「分かってるって!」
「分かってないから言ってるの!」
父ちゃんが脚立の上で、風船と格闘している。
俺は下で紙テープを持っていた。
「父ちゃん、そこ曲がってるぞ」
「お前なあ、下から文句を言うだけなら誰でもできるんだぞ」
「じゃあ代われよ!」
「いや、父ちゃんがやる」
「なんでだよ!」
「高いところは父親の仕事だからだ!」
「脚立三段しかねえじゃん!」
「陽一! 口より手を動かす!」
「はいっ!」
母ちゃんの一声で、俺たちは同時に返事をした。
我が家の序列というものが、よく分かる光景だった。
今日は加奈の誕生日だ。
俺は少し前から、父ちゃんと母ちゃんに相談していた。
加奈を驚かせたい。
ただ、それだけだ。
すると母ちゃんが妙に張り切り始め、加奈の母ちゃんに電話をかけた。
話はあっという間にまとまった。
今日は昼から俺の家で遊ぶという約束まで取りつけてある。
もちろん、加奈本人には内緒だ。
「なあ、母ちゃん」
「なあに?」
「ケーキ、もう食っていい?」
「駄目に決まってるでしょ!」
「一口だけ!」
「主役より先に食べる人がどこにいるの!」
「ここ!」
「威張らない!」
脚立の上から父ちゃんが笑った。
「はっはっは! 陽一、お前は本当に食い意地が――」
「あなたも昨日、生クリームつまみ食いしたでしょう!」
「…………」
「父ちゃん?」
「……陽一」
「何?」
「男には、黙って耐えなきゃならん時がある」
「昨日の生クリームの話だろ!?」
母ちゃんが大きなため息をついた。
そのあと、父ちゃんが『おたんじょうびおめでとう』の文字を逆さまに貼っていたことが発覚して、作業はさらに三十分延びた。
「……父ちゃん」
「なんだ」
「『うとでめお』って読めるぞ」
「逆から読んでも祝えるってことだ」
「そんなわけあるか!」
母ちゃんが台所から顔を出した。
「あなた、もう一回やり直して!」
「はいっ!」
父ちゃんは、どうやら本当に母ちゃんに勝てないらしい。
昼前になって、ようやく準備が終わった。
居間には色とりどりの風船。
テーブルには母ちゃんの作った料理。
ケーキは冷蔵庫の中で出番を待っている。
俺が選んだプレゼントも、ちゃんと部屋に隠してあった。
「陽一、プレゼント忘れてないでしょうね?」
「大丈夫だって!」
「包装、破れてなかった?」
「昨日確認した!」
「ならいいけど」
母ちゃんはそう言って、俺の頭を軽く撫でた。
「加奈ちゃん、喜んでくれるといいわね」
「……おう」
なんだか、俺の誕生日より緊張してきた。
そこへ父ちゃんが、真剣な顔で俺の肩を叩いた。
「陽一。最後に大事な話がある」
「……何?」
「クラッカーは父ちゃんが鳴らす」
「いや、俺が鳴らす!」
「ここは父ちゃんに譲れ!」
「なんでだよ!」
「父親の威厳だ!」
「クラッカーに威厳もクソもあるか!」
「二人とも!」
「「はいっ!!」」
結局、クラッカーは一人一本ずつ持つことになった。
平和的な解決だ。
……たぶん。
◇
昼を少し過ぎた頃、玄関のチャイムが鳴った。
「来た!」
俺は慌てて玄関へ走った。
扉の向こうには、いつもの三つ編みを揺らした加奈が立っていた。
「こんにちは、陽一」
「おう! 入れよ!」
「うん。お邪魔しま――」
加奈が居間に足を踏み入れた、その瞬間。
「「「誕生日おめでとう!!」」」
パンッ!
クラッカーが鳴り響いた。
「きゃっ!?」
加奈が肩を跳ねさせた。
紙テープが舞う。
俺は思い切り両手を広げた。
「へへっ! どうだ、びっくりしただろ!」
「……え?」
加奈は居間を見回した。
飾り付けされた壁。
並んだ料理。
笑っている母ちゃん。
なぜかクラッカーを二本持っている父ちゃん。
「……これ、私の?」
「そうだよ! 加奈の誕生日だろ!」
「……覚えててくれたの?」
「当たり前じゃん!」
加奈はしばらく黙っていた。
それから、ゆっくり笑った。
「……ありがとう」
いつもより、少しだけ声が小さかった。
「すごく、嬉しい」
俺は急に照れくさくなった。
「ま、まあ、せっかくだしな!」
「陽一ったら、昨日からずっとそわそわしてたのよ」
「母ちゃん!」
「今朝なんて、何回も時計見ちゃって」
「言うなって!」
「そうそう。ケーキを三回も覗いてな」
「父ちゃんまで!」
加奈が口元を押さえて笑った。
「ふふっ。そんなに?」
「ち、違うって! あれはケーキの安全確認だ!」
「つまみ食いの確認だろ?」
「父ちゃんにだけは言われたくねえ!」
そのとき、父ちゃんが急に手を叩いた。
「よし! では、第二弾だ!」
「……第二弾?」
加奈が首を傾げた。
俺はにやりと笑った。
「加奈、まだ終わりじゃないぞ!」
「え?」
その瞬間、隣の部屋の扉が勢いよく開いた。
「「加奈! お誕生日おめでとう!!」」
パンッ! パンッ!
「……ええっ!?」
飛び出してきたのは、加奈の父ちゃんと母ちゃんだった。
二人ともクラッカーを握って、満面の笑みを浮かべている。
「お、お父さん!? お母さん!?」
「ふふっ。驚いた?」
「買い物に行ったんじゃ……!」
「行ったわよ。加奈のケーキを買いにね」
「……もう! みんなで騙したの!?」
「そういうこと!」
俺が胸を張ると、加奈は頬を膨らませた。
「……陽一の嘘つき!」
「誕生日の嘘はノーカウントだろ!」
「そんなルールないよ!」
父ちゃんが横から口を挟んだ。
「いや、今日から田島家の法律にしよう!」
「あなた、勝手に法律作らないの!」
「……はい」
加奈はしばらく頬を膨らませていたが、やがて我慢できなくなったように笑い始めた。
「……ふふっ、もう!」
そして、自分の両親に駆け寄った。
「……ありがとう、お父さん、お母さん」
加奈の母ちゃんが、優しくその頭を撫でた。
「お誕生日おめでとう、加奈」
「……うん!」
加奈の父ちゃんも笑っていた。
俺の父ちゃんは、なぜかそこで得意げに胸を張った。
「いやあ、完璧な作戦だったな!」
「父ちゃん、クラッカー一本余計に鳴らしただろ!」
「景気づけだ!」
「俺の分まで使ったくせに!」
「男は細かいことを気にするな!」
「父ちゃんが細かいこと言ってたんだろ!」
大人たちが笑った。
加奈も笑った。
俺も、つられて笑った。
◇
それから、みんなで昼飯を食べた。
大人たちはすぐに話が弾み、父ちゃんは加奈の父ちゃんと飲み物を片手に、なぜかどちらの子供が将来頼もしくなるかという話を始めた。
「うちの陽一は、俺に似て行動力があるからな!」
「そうね。落ち着きがないところもそっくり」
「母ちゃん!」
「はっはっは! そりゃあ間違いない!」
「父ちゃんまで笑うなよ!」
加奈の母ちゃんは、そんな俺たちを見て楽しそうに微笑んでいた。
「でも、陽一くんって本当に加奈と仲がいいのね」
「えっ」
「小さい頃からずっと一緒だもの」
「ま、まあ……」
加奈も隣で、急におとなしくなった。
母ちゃんがにやりと笑う。
「あら、二人ともどうしたの?」
「な、何でもない!」
「……うん、何でもない!」
声がそろった。
大人たちが笑った。
俺たちは顔を見合わせて、ますます恥ずかしくなった。
ケーキが運ばれてくると、今度は父ちゃんが張り切って歌い始めた。
しかも、やたら大きな声で。
「ハッピーバースデー、トゥーユー!」
「父ちゃん、声でけえ!」
「祝い事は元気が一番だ!」
「加奈ちゃんがびっくりしてるでしょ!」
「ふふっ。大丈夫です」
加奈は笑っていた。
ろうそくの火を吹き消すと、みんなで拍手した。
その顔が本当に嬉しそうだったから、俺まで嬉しくなった。
◇
ケーキを食べ終えたあと、俺は加奈を自分の部屋へ呼んだ。
「ちょっと待ってろ」
「うん?」
机の引き出しから、昨日まで隠していた小さな包みを取り出す。
「……ほら」
「え?」
「誕生日プレゼント」
加奈が目を丸くした。
「……まだあったの?」
「そりゃあるだろ。誕生日なんだから」
「……開けていい?」
「おう」
加奈は丁寧に包装紙を外した。
中に入っていたのは、小さなリボンのついた髪飾りだった。
店で見つけたとき、加奈に似合いそうだと思った。
ただ、女の子のものを選ぶのはよく分からなくて、母ちゃんに何度も相談した。
「……かわいい」
「そ、そうか?」
「うん!」
加奈は髪飾りを手に取って、嬉しそうに眺めた。
「ねえ、つけてみてもいい?」
「えっ、俺が?」
「違うよ! 私が!」
「あ、ああ! そういうことか!」
加奈が笑った。
それから、三つ編みの先に髪飾りをつけて、俺の方を向いた。
「……どう?」
「…………」
「陽一?」
「……に、似合ってる」
「……ほんと?」
「おう」
加奈が、ぱっと笑った。
「ありがとう!」
その顔を見たら、胸のあたりが妙にくすぐったくなった。
「……どういたしまして」
そこへ突然、扉が開いた。
「おーい、二人とも! 写真撮るぞ!」
「父ちゃん! ノックしろよ!」
「おっと、すまんすまん!」
父ちゃんは俺たちを見て、にやりと笑った。
「……なんだ、いい雰囲気だったか?」
「違うって!」
「ふふっ」
「加奈も笑うなよ!」
そのあと、居間でみんなの写真を撮った。
父ちゃんはタイマーをセットして慌てて走り、途中でテーブルの脚に足をぶつけた。
「いってえええ!」
ちょうどその瞬間、シャッターが切れた。
写真には、顔をしかめた父ちゃんと、笑い転げる母ちゃん、それを見て大笑いする俺たちが写っていた。
父ちゃんは撮り直しを要求したが、母ちゃんが「こっちの方がいい写真よ」と言い張った。
俺もそう思った。
加奈も、そう言って笑っていた。
結局、その日は夕方までみんなで騒いだ。
帰り際、加奈はもう一度、俺に笑いかけた。
「陽一。今日は本当にありがとう」
「おう! 楽しかったな!」
「……うん。すごく」
加奈の三つ編みには、俺が贈った髪飾りが揺れていた。
◇
それから少し経った頃だった。
朝、いつもの待ち合わせ場所に加奈が来ない日があった。
十分ほど待っても姿が見えない。
「……遅えな」
加奈が寝坊するなんて、珍しい。
俺ならともかく。
仕方なく加奈の家の方へ向かおうとして、途中の教会に目が留まった。
そういえば、加奈は前にここへ寄っていたことがあった。
もしかして、いるかな。
扉を開けると、礼拝堂は静かだった。
長椅子が並び、窓から朝の光が差し込んでいる。
奥の方に、見慣れた金色の髪が見えた。
「……加奈?」
加奈は目を閉じて、静かに手を合わせていた。
俺が近づくと、ゆっくり顔を上げた。
「……陽一?」
「おう。こんなとこにいたのかよ」
「あ……ごめん。待っててくれた?」
「まあな。……って、お前、大丈夫か?」
加奈は、ひどく眠そうだった。
まぶたが重そうで、今にもそのまま寝てしまいそうに見えた。
「……うん。大丈夫」
「いや、全然大丈夫そうに見えねえけど」
「……ちょっと、眠くて」
「夜更かししたのか?」
「……うん。そんな感じ」
「なんだよ。加奈も夜更かしすんのか」
俺がそう言うと、加奈は小さく笑った。
「……陽一みたいに?」
「俺はちゃんと寝てるぞ!」
「授業中に?」
「授業中は寝てねえって!」
「……ふふっ」
「目を閉じて考え事してるだけだ!」
「先生に起こされるのに?」
「それは先生が俺の思考を邪魔してんだよ!」
加奈は声を立てて笑いかけたが、すぐに口元を押さえた。
「……ふふ。ごめん、ここ教会だった」
「おっと、そうだった」
俺も慌てて声を落とした。
「……で、何してたんだ?」
「お祈り」
「へえ。朝から?」
「……うん」
「何を?」
「……いろいろ」
「ふーん」
俺は隣の長椅子に腰を下ろした。
「もう終わった?」
「……もう少しだけ」
「じゃあ待ってる」
「……いいの?」
「一緒に学校行くんだろ?」
加奈は少し驚いたように俺を見た。
それから、嬉しそうに笑った。
「……うん」
しばらくして加奈が立ち上がると、俺たちは並んで教会を出た。
外はいい天気だった。
「今日、体育あるんだっけ?」
「あるよ」
「マジか。お前、そんな眠そうで大丈夫か?」
「……頑張る」
「無理すんなよ。倒れたら俺が保健室まで運んでやるから」
「……ふふっ。陽一、運べる?」
「運べるって!」
「ほんとに?」
「……たぶん!」
「そこは自信持ってよ!」
二人で笑いながら、学校へ向かった。
◇
それから、加奈が朝の教会にいることが増えた。
最初は待ち合わせ場所で待っていたけど、何度か繰り返すうちに俺も覚えた。
月曜日はいつもの場所。
火曜日は教会。
水曜日も教会。
木曜日は……行ってみないと分からない。
なんだかんだ、一週間のうち四日くらいは教会にいる。
「……今日はあっちか」
そんな感じで、俺も自然と教会へ向かうようになった。
加奈は相変わらず眠そうな朝があったけど、最初に見つけた日ほどではなくなっていた。
ある朝、いつものように隣に座って、ふと聞いてみた。
「なあ、加奈」
「ん?」
「なんでそんなに朝から祈ってんの?」
加奈は少し考えた。
「……いろいろ、お願いしたいことがあるから」
「へえ」
「……それだけ?」
「何が?」
「もっと聞かないの?」
「言いたくないんだろ?」
「……うん」
「じゃあいいじゃん」
俺はそう言って、加奈の真似をして手を合わせた。
「……陽一?」
「ん?」
「何してるの?」
「お祈り」
「……ふふっ。何をお願いしてるの?」
「今日の給食がカレーになりますように」
「今日の献立、魚だよ?」
「じゃあ魚がカレーになりますように」
「ふふっ、もう!」
「おい、笑うなよ。真剣に祈ってんだぞ」
「ごめん、ごめん」
加奈は笑いながら、もう一度手を合わせた。
俺も隣で目を閉じる。
別に、急に信心深くなったわけじゃない。
加奈がやっているから、俺もやってみただけだ。
祈り終わったら、二人で学校へ行く。
途中でくだらない話をして、たまに走って、遅刻しそうになったら加奈に怒られる。
そんな朝が、いつの間にか当たり前になっていた。
◇
十二月。
街にはクリスマスの飾りが増え始めていた。
ある日の帰り道、俺は思い切って加奈に声をかけた。
「な、なあ、加奈」
「なあに?」
「クリスマスってさ……予定ある?」
「……え?」
「いや、その……別に、変な意味じゃなくて!」
「う、うん」
「もし空いてたら、一緒にどっか行かねえかなって」
加奈が立ち止まった。
「……二人で?」
「お、おう」
「……行く!」
思ったより大きな声だった。
加奈自身も驚いたらしく、慌てて口元を押さえた。
「あっ……その、予定ないから!」
「……そっか」
「うん!」
「……よかった」
そう言うと、加奈は少し顔を赤くした。
「……陽一から誘ってくれるの、嬉しい」
「……お、俺も嬉しいけど」
「……ふふっ」
なんだか、二人とも変な顔になってしまった。
でも、約束はできた。
それだけで、その日はやけに機嫌がよかった。
◇
クリスマスイブ。
俺たちは昼から街へ出かけた。
加奈は、十月の誕生日に贈った髪飾りをつけていた。
「あ、それ」
「……ん?」
「今日もつけてくれてんだな」
「うん。お気に入りだから」
「……そっか」
それだけのことなのに、妙に嬉しかった。
街には大きなツリーが飾られ、店からはクリスマスソングが流れていた。
俺たちはあちこち見て回り、温かい飲み物を買って、くだらないことで笑った。
途中、加奈がショーウインドーの前で立ち止まった。
「……きれい」
小さな飾りが、光を反射してきらきら輝いている。
「こういうの、好きなのか?」
「うん。見てるだけでも楽しいよ」
「俺はあっちのケーキの方がいいな」
「ふふっ。陽一らしい」
「だって食えるじゃん!」
「そういう問題じゃないでしょ!」
結局、俺たちはケーキも食べた。
加奈は途中で俺の口元を見て笑い始めた。
「……陽一、クリームついてるよ」
「えっ、どこ?」
「ここ」
「……取れた?」
「ううん。ちょっと待って」
加奈が身を乗り出した。
その指先が、俺の口元に触れる。
「……はい、取れた」
そう言って、加奈は指についたクリームを何気なく舐めた。
「…………」
「……陽一?」
俺は、何も言えなかった。
なんだ、今の。
いや、別に大したことじゃない。
クリームを取ってくれただけだ。
……だけど。
なんで、そんな普通に舐めるんだよ。
顔が熱い。
「……よ、陽一?」
「……お、おう」
「……どうしたの?」
「な、何でもねえ!」
「……そ、そう?」
加奈は首を傾げた。
そして、自分の指先を見た。
「…………あ」
みるみる頬が赤くなっていく。
どうやら、今になって自分が何をしたのか気づいたらしい。
「……あ、あの……」
「……お、おう」
「……わ、私……」
「……う、うん」
「…………」
「…………」
気まずい沈黙が流れた。
加奈は視線をあちこちに泳がせている。
俺も、どこを見ればいいのか分からなかった。
「……じゃっ」
「……じゃ?」
「じゃ、じゃあ……そろそろ、出よっか!」
「お、おう! そうだな!」
俺たちはほとんど同時に立ち上がった。
そして、同時に椅子に足をぶつけた。
「いった!」
「きゃっ!」
「……大丈夫か!?」
「う、うん! 陽一は!?」
「俺も大丈夫!」
「…………」
「…………」
なんだこれ。
さっきまで、普通に話せてたのに。
俺たちは顔を見合わせて、また慌てて目を逸らした。
店を出てからも、しばらく二人ともぎこちなかった。
けれど、しばらく歩いているうちに、加奈がぽつりと言った。
「……ねえ、陽一」
「ん?」
「最後に、行きたいところがあるの」
「……どこ?」
「教会」
「いつもの?」
「うん」
「いいけど。朝も行ってるのに?」
「……今日は、特別だから」
俺は首を傾げた。
まあ、クリスマスだしな。
教会に行くのも、そういうものなんだろう。
◇
教会の中は、いつもより少し華やかだった。
小さな飾りやろうそくの明かりがあって、普段の朝とは違う雰囲気がする。
「へえ……なんか、いいな」
「うん」
俺たちはいつも座っている長椅子に並んで腰を下ろした。
加奈はしばらく黙っていたが、やがて鞄を開いた。
「……陽一」
「ん?」
「ちょっと、目を閉じて」
「え? なんで?」
「いいから」
「……変なことすんなよ?」
「しないよ!」
加奈が笑った。
俺は言われたとおりに目を閉じる。
すると、手のひらに小さなものが乗せられた。
「……もういいよ」
目を開ける。
そこには、小さな十字架のペンダントがあった。
「……これ、俺に?」
「うん。クリスマスプレゼント」
「おお……!」
銀色の十字架は、派手ではないけれど、なかなか格好よかった。
「すげえ。ありがとう!」
「……気に入った?」
「おう! めっちゃ格好いいじゃん!」
加奈がほっとしたように笑った。
「よかった」
「でも、なんで十字架?」
「……お守り、みたいなものかな」
「お守り?」
「うん。陽一が、ずっと元気でいられますようにって」
「なんだよ、それ。俺は元気だぞ?」
「ふふっ。知ってる」
「じゃあ、なんで?」
「……これからも、だよ」
「……そっか」
俺はもう一度、手の中の十字架を見た。
加奈が選んでくれたものだ。
それだけで、なんだか特別な気がした。
「……大事にする」
「……うん」
「今、つけていい?」
「もちろん」
俺はペンダントを首にかけた。
「どう? 似合う?」
「……うん」
「なんだよ、もっと褒めろよ!」
「ふふっ。すごく似合ってる」
「……お、おう」
自分から言わせておいて、妙に照れた。
加奈は俺を見て、楽しそうに笑っている。
「……ねえ、陽一」
「ん?」
「今日は、誘ってくれてありがとう」
「……俺の方こそ」
「すごく楽しかった」
「俺も」
しばらく、二人とも黙った。
教会の中は静かで、外からは遠くに街の賑わいが聞こえてくる。
「……なあ、加奈」
「なあに?」
「来年もさ、また一緒にどっか行こうぜ」
加奈は俺を見た。
それから、嬉しそうに笑った。
「……うん!」
俺も笑った。
その帰り道、加奈はずっと機嫌がよかった。
俺も、たぶん同じだったと思う。
家に帰ると、父ちゃんが俺の首元を見て、すぐににやりとした。
「おっ。何だ、それ」
「クリスマスプレゼント」
「ほう。誰から?」
「加奈」
「ほほーう!」
「何だよ!」
母ちゃんまで台所から顔を出した。
「あら、素敵じゃない」
「だろ?」
「加奈ちゃん、いいもの選んでくれたわね」
「おう!」
父ちゃんが俺の肩に腕を回してきた。
「いやあ、陽一。お前も大きくなったなあ!」
「何が!?」
「父ちゃん、嬉しいぞ!」
「だから何がだよ!」
「あなた、陽一をからかわないの」
そう言いながら、母ちゃんも笑っていた。
俺は二人を振り払って自分の部屋に逃げた。
まったく、うちの親は。
鏡の前に立つと、首元の十字架が小さく光っていた。
「……へへっ」
俺はもう一度それを眺めてから、服の中にしまった。
◇
二月十四日。
俺の十三歳の誕生日が来た。
「陽一、今日は何時に帰ってくるの?」
朝、母ちゃんが聞いてきた。
「いつもどおりだけど」
「そう。じゃあ、ちゃんとまっすぐ帰ってきなさいよ」
「分かってるって」
父ちゃんが新聞を畳んだ。
「今日は父ちゃんと母ちゃん、ちょっと買い物に行ってくるからな」
「何買うの?」
「帰ってからのお楽しみだ」
「えー、教えろよ!」
「誕生日なんだから、少しは楽しみにしてろ」
「ケーキ?」
「さあなあ」
「絶対ケーキだろ!」
父ちゃんが笑った。
母ちゃんは俺の皿に卵焼きを一つ追加した。
「ほら、早く食べなさい。遅刻するわよ」
「分かってる!」
「あと、冷蔵庫のジュースは夜まで飲まないこと!」
「えー!」
「えー、じゃない!」
父ちゃんが横から口を挟んだ。
「陽一、母ちゃんに逆らうな。勝ち目はないぞ」
「父ちゃんが言うと説得力あるな」
「だろ?」
「あなた?」
「……はい」
俺は笑いながら、残りの朝飯をかき込んだ。
いつもどおりの朝だった。
学校では、加奈から小さな包みをもらった。
「……誕生日おめでとう、陽一」
「おっ、ありがと!」
「……帰ってから開けてね」
「なんで?」
「……いいから!」
「分かった、分かった」
加奈は少し照れくさそうに笑った。
俺は包みを鞄にしまって、放課後を楽しみにした。
◇
学校から帰ると、家には誰もいなかった。
「ただいまー!」
返事はない。
父ちゃんと母ちゃんは、まだ買い物中らしい。
俺は鞄を置いて、テレビをつけた。
ちょうど、楽しみにしていたアニメが始まるところだった。
「おっ、間に合った!」
今日は主人公と敵の決着がつく回だ。
先週からずっと楽しみにしていた。
俺はソファに座って、画面にかじりついた。
主人公が叫ぶ。
敵が笑う。
いよいよ最後の必殺技が――
そこで、画面が切り替わった。
『番組の途中ですが、緊急ニュースをお伝えします』
「……は?」
画面には、煙が上がる大きな建物が映っていた。
『本日午後、県内の大型商業施設で爆発が発生しました。現在、消防による消火活動が続いており――』
「うわ、またかよ!」
俺は思わず声を上げた。
「今、一番いいところだったのに!」
リモコンを手に取り、チャンネルを変える。
ニュース。
次もニュース。
その次も。
「……全部かよ!」
俺はソファにひっくり返った。
戦争のニュースは、最近どこでも流れていた。
だからといって、アニメまで潰さなくてもいいじゃないか。
画面の向こうでは、アナウンサーが何かを説明していた。
敵の無人機がどうとか、爆発がどうとか。
俺はろくに聞いていなかった。
「……母ちゃん、早く帰ってこねえかな」
冷蔵庫を開ける。
ジュースが見えた。
朝、母ちゃんに夜まで飲むなと言われたやつだ。
「……ちぇっ」
俺は冷蔵庫を閉めた。
誕生日くらい、好きに飲ませてくれたっていいのに。
◇
午後五時。
父ちゃんと母ちゃんは、まだ帰ってこなかった。
「……遅えな」
俺は時計を見た。
まあ、買い物が長引いてるんだろう。
バレンタインデーだし、ケーキ屋も混んでるのかもしれない。
テレビでは、相変わらず同じニュースが流れていた。
煙の上がる建物。
走り回る消防車。
慌ただしいアナウンサーの声。
俺はうんざりして、音量を下げた。
机の上には、加奈からもらった包みが置いてあった。
「……帰ってから開けて、か」
中身が気になる。
けれど、そう言われた以上は守ってやろうと思った。
俺は包みを指でつついてから、手を引っ込めた。
「……夜になったら開けよ」
◇
午後六時。
腹が減った。
「……何やってんだよ、二人とも」
携帯に電話をかけてみた。
父ちゃんは出ない。
母ちゃんも出ない。
「……買い物中か?」
俺はもう一度、時計を見た。
テレビには、商業施設の名前が何度も映っていた。
聞いたことのある名前だった。
父ちゃんと母ちゃんも、ときどき買い物に行くところだ。
でも、今日そこに行くなんて聞いていない。
俺はそれほど気にせず、冷蔵庫から残り物を探した。
台所のテーブルには、朝から三人分の食器が用意されていた。
母ちゃんは、帰ってきたらすぐ夕飯の準備をするつもりだったんだろう。
「……もう、腹減ったって」
俺は独り言を言った。
返事はなかった。
◇
午後七時を少し過ぎた頃。
家の電話が鳴った。
「はい、田島です」
『……田島陽一さんのお宅でしょうか』
「はい。そうですけど」
知らない男の人の声だった。
『こちら、警察の者です。ご両親はご在宅でしょうか』
「……いませんけど」
『そうですか。陽一さんご本人ですか?』
「はい」
少しの沈黙があった。
『突然のお電話で申し訳ありません。お父様とお母様について、確認したいことがあります』
「……父ちゃんと母ちゃん?」
『本日、県内の商業施設で発生した爆発事故については、ご存じでしょうか』
「……テレビでやってたやつですか?」
『はい』
「知ってますけど……」
電話の向こうで、男の人が一度言葉を切った。
『現在、現場にいた可能性のある方々の確認を進めています。その中に、ご両親のお名前がありまして』
「……え?」
『今のところ、お二人の安否が確認できていません』
俺は受話器を持ったまま、動けなくなった。
「……あの」
『はい』
「……それ、どういうことですか?」
『現場はまだ混乱しており、確認できていない方が多くいらっしゃいます。ご両親についても、現在捜索と確認を続けています』
「……じゃあ」
喉が、変な感じになった。
「……まだ、見つかってないだけですよね?」
『……はい。現時点では、安否が確認できていない状況です』
「だったら、帰ってくるかもしれないですよね?」
返事が来るまで、少し時間がかかった。
『可能性について、今ここで断定することはできません。ただ、確認でき次第、必ずご連絡します』
「……はい」
『陽一さん、今、お宅にはお一人ですか?』
「……はい」
『分かりました。近くの警察官を向かわせます。ご親戚など、連絡の取れる大人の方はいらっしゃいますか?』
俺は、聞かれたことに答えた。
何を話したのか、よく覚えていない。
ただ、男の人は何度も、落ち着いた声で話してくれた。
電話を切ったあと、俺はしばらくその場に立っていた。
テレビでは、まだニュースが続いていた。
俺はリモコンを取って、電源を切った。
部屋が静かになった。
テーブルには、三人分の食器が並んでいた。
父ちゃんの席。
母ちゃんの席。
俺の席。
俺は、自分の椅子に座った。
玄関の方を見た。
父ちゃんが帰ってきたら、きっと「遅くなった!」って笑う。
母ちゃんは「ごめんね、陽一」って言いながら、慌てて夕飯を作り始める。
そうしたら俺は、文句を言ってやるんだ。
誕生日なのに、こんな時間まで待たせるなって。
ケーキはちゃんと買ってきたのかって。
それから、みんなで飯を食って。
加奈からもらったプレゼントを開けて。
いつもみたいに、父ちゃんがくだらないことを言って。
母ちゃんが怒って。
俺が笑って。
……そうなるはずだ。
父ちゃんも母ちゃんも、まだ見つかっていないだけだ。
帰ってこないって、決まったわけじゃない。
だって今日は、俺の誕生日なんだから。
だから、もう少しだけ待つことにした。
そろそろあと2話使うくらいで過去編を終わらせようかと思います
気持ち伸びるかもですがよろしくお願いします




