EP3 With a Little Help from My Friends
長くなりますもう少し分けて描きます
よろしくお願いします
翌朝熱は下がっていた
三十六度八分
平熱より少し高いような気もしたが、三十八度九分に比べれば誤差みたいなものだ
頭痛もない、身体も動くなら仕事へ行ける
陽一はいつも通り朝飯を食べ、作業着に着替えた
いつも通り玄関を出る
そしていつも通り、一時間半歩いた
「おはようございます」
工場へ着いたのは、始業二十分前だった
少し疲れた病み上がりだからだろう
それでも仕事には問題ないそう思っていた
「…………」
山本と目が合った
「?」
山本が固まっている
「おはようございます」
もう一度言った
「お前」
「はい」
「なんでいんの?」
「仕事だからですけど」
「昨日、熱あったよな」
「ありましたね」
「三十八度九分」
「よく覚えてますね」
「今日は?」
「三十六度八分です」
「だから来たのか?」
「はい」
「歩いて?」
「はい」
「一時間半?」
「はい」
「…………」
山本が額を押さえた
「馬鹿だ」
「昨日も言われました」
「馬鹿だ、こいつ……」
「聞こえてますよ」
「聞かせてんだよ!」
朝の工場に怒鳴り声が響いた
何人かがこちらを見る、陽一は少しだけ声を落とした
「熱ないんだからいいでしょう」
「病み上がりだろうが」
「でも仕事できます」
「そういう問題じゃねえんだよ!」
「じゃあ、どういう問題なんです?」
「お前はな――」
「田島」
後ろから別の声がしてそこには社長が立っていた
「ちょっと事務所来い」
「俺ですか?」
「お前以外に田島いるか?」
「いません」
「じゃあ来い」
「はい」
歩き出そうとすると、山本が言った
「そのまま家帰してくれ」
「だから熱ないですって」
「黙れ」
「横暴だな……」
「聞こえてんぞ」
「聞こえるように言いました」
「お前ほんっと――」
「山本さん」
社長が苦笑した
「後は俺が話しますから」
「甘やかすなよ」
「分かってますよ」
「俺、何か悪いことしました?」
「いいから来い」
よく分からないまま、陽一は事務所へ連れていかれた
*
「座れ」
「はい」
言われた通り、椅子に座る社長は向かい側へ座らなかったが、机の上に置かれていた書類を何枚か確認している
「身体は」
「大丈夫です」
「熱は?」
「三十六度八分です」
「飯食ったか」
「食いました」
「何食った」
「ご飯と卵と味噌汁です」
「それだけ?」
「はい」
「……まあいい」
あまり良くないような顔だった
社長は書類を机に置く
「昨日、山本さんから聞いた」
「何をです?」
「色々」
「怒られます?」
「なんでそうなる」
「事務所に呼ばれたので」
「怒らねえよ」
そう言ってから、社長は少し考えた
「いや、一個怒る」
「何です?」
「体調悪かったら休め」
「今日は大丈夫です」
「今日はな」
「はい」
「次からだよ」
「でも連絡できないので」
「それ」
社長が言った
「それをどうにかする」
机の引き出しを開け小さな箱を一つ取り出したそれを陽一の前へ置く
「これ」
「……?」
「持ってけ」
箱を見ると新品のスマホだった
「これ、高いやつじゃないですか」
「そうか?」
「たぶん」
「じゃあ高いやつなんだろ」
「なんで?」
「お前に必要だから」
「買えませんよ」
「金はいらん」
「じゃあ、もっと駄目です」
「会社支給」
陽一は顔を上げた。
「会社支給?」
「そう」
「携帯が?」
「そう」
「俺に?」
「そう」
「なんで?」
「連絡取れねえから」
社長は当然のように言った
「昨日、お前が休んだだろ」
「はい」
「何かあった時に連絡しようにも、連絡先がない」
「何かって?」
「知らん。仕事の話とか」
「今までなかったですよ」
「これからあるかもしれんだろ」
「でも俺、アルバイトですよ」
「関係ない」
「他の人も貰ってるんですか?」
「…………」
社長が一瞬だけ黙った
「持ってる奴は持ってる」
「誰です?」
「細けえな、お前」
「気になったので」
「仕事に必要なんだよ。いいから持っとけ」
「でも――」
「田島」
「はい」
「昨日」
社長の声が少し変わった
「山本さんがお前を送ってなかったら、お前あの熱で一時間半歩いて帰るつもりだったんだろ」
「はい」
「それで家に帰って、一人で寝る」
「はい」
「その後また熱上がって、動けなくなったらどうする」
「…………」
考えたことがなかった
「寝てたら治るんじゃないですか」
「治らなかったら?」
「…………」
「誰に連絡する」
「…………」
「救急車呼ぶにも携帯ねえんだろ」
「管理人さんに借ります」
「そこまで歩けなかったら?」
「……さあ」
「だろ」
社長はため息をついた
「だから持っとけ」
「でも、高いでしょう」
「会社の金だから気にすんな」
「壊したら?」
「会社の経費」
「なくしたら?」
「ぶん殴る」
「会社支給なのに?」
「なくすなってことだよ」
「ああ」
「納得すんな」
箱を手に取り何度見ても新品だった
「使い方分かるか?」
「多分」
「分かんなかったら誰かに聞け」
「はい」
「俺の番号は入れてある」
「社長の?」
「会社から連絡するためだ」
「なるほど」
「山本さんのも」
「山本さん携帯持ってるんですね」
「お前あの人を何だと思ってんだ」
「機械しか触れない人かと」
「本人に言ってこい」
「怒られるので嫌です」
「そこは分かるんだな」
社長が少し笑った
陽一は箱を抱えて立ち上がる
「ありがとうございます」
「会社支給だっつってんだろ」
「会社にも、ありがとうございます」
「……律儀なのか馬鹿なのか分かんねえな、お前」
「じゃあ戻ります」
「待て」
「はい?」
「今日は軽い仕事だけにしろ」
「もう大丈夫ですよ」
「田島」
「はい」
「俺はお願いしてない」
「…………」
「今日は軽い仕事だけ」
「……はい」
「あと具合悪くなったら言え」
「分かりました」
事務所を出て扉を閉める
手に持った箱を見る。
自分の携帯
正確には会社の物らしいが少しだけ嬉しかった
けれど、そんな物を貰っていいのかという気持ちの方が大きいが仕事に必要なら仕方ない
そういうことにした
「田島」
「はい」
「なんだ、それ」
現場へ戻ると、山本がすぐ気づいた
「携帯です」
「それは見りゃ分かる」
「会社支給らしいです」
「会社支給?」
「はい」
「……携帯が?」
「はい」
「お前に?」
「はい」
「なんで?」
「連絡取れないから」
山本が事務所を見と社長がこちらを見て頷いていた
「…………」
「どうしました?」
「いや」
「山本さんの番号も入ってるらしいですよ」
「勝手に入れやがって」
「携帯持ってたんですね」
「お前まで馬鹿にしてんのか!」
「してませんよ」
「何だと思ってたんだ」
「機械しか触れない人」
「社長と同じこと言いやがって!」
「社長も言ってたんですか?」
「ふぅ……もういい」
山本が手を振った。
「それより」
「はい」
「あのFなんだけどよ」
「F?」
「お前ん家にあったCBだよ」
「ああ」
昨日、山本が妙に熱心に見ていたバイク
「それが何です?」
「直すぞ」
「…………」
「聞いてんのか」
「聞いてます」
「じゃあ返事しろ」
「誰のを?」
「お前のだよ」
「なんで?」
「乗るために決まってんだろ」
「誰が?」
「お前が」
「俺?」
「他に誰がいんだよ!」
また怒鳴られた
「無理ですよ」
「何が」
「免許ないです」
「取れ」
「金ないです」
「貯めろ」
「バイクも壊れてます」
「直す」
「金ないです」
「だから少しずつやりゃいいだろ」
「何年かかるんです?」
「知らん」
「駄目じゃないですか」
「何がだよ」
「計画が何もない」
「十五のガキが毎日三時間歩いて仕事来てるよりマシだろうが!」
「慣れてますよ」
「慣れんな!」
「でも――」
「お前、雨の日も歩いてんだろ」
「はい」
「夏も?」
「はい」
「冬も?」
「仕事あるので」
「…………」
山本が何か言おうとする前に始業の音が鳴った
「……仕事だ」
「話終わってませんけど」
「昼だ、昼!」
「山本さんから始めたのに」
「うるせえ!」
今日も仕事が始まった
昼休みになっても、山本は諦めていなかった
「日曜」
「はい」
「暇か」
「暇ですけど」
「軽トラで行く」
「どこに?」
「お前ん家」
「なんで」
「F取りに」
「もう決定なんですか」
「まず見ねえと分からん」
「昨日見たじゃないですか」
「あんな狭え部屋じゃ何もできねえよ」
「どこでやるんです?」
「ここ」
「会社ですよ」
「知ってる」
「怒られません?」
「…………」
「山本さん」
「社長には聞く」
「今の間なんですか」
「うるせえな」
山本が立ち上がった
「今聞いてくる」
「今?」
「善は急げだ」
「嫌な予感しかしないんですけど」
「お前も来い」
「なんで俺まで」
「お前のバイクだからだ!」
二人で事務所へ向かった
「駄目です」
社長は即答した
「ほら」
陽一は山本を見る
「まだ何も説明してねえだろ!」
「工場でバイク直したいって話でしょう」
「なんで分かった」
「顔見りゃ分かりますよ」
「超能力者かお前は」
「山本さんが分かりやすいだけです」
実際は山本の怒鳴り声が聞こえて薄々は気づいていた
社長が椅子にもたれ少し間を置いて言った
「仕事中は駄目です」
「当たり前だ」
「会社の材料を勝手に使うのも駄目」
「分かってる」
「設備壊したら弁償」
「壊すか」
「怪我したら?」
「しねえよ」
「それ一番信用できないやつですよ」
山本が黙った
社長が陽一を見る
「お前もやるのか」
「俺は別に」
「やる」
山本が答えた
「俺に聞いてますよね?」
「やるんだよ」
「本人の意思は?」
「今から作る」
「作っちゃ駄目でしょう」
社長が笑った
それから陽一を見る
「田島」
「はい」
「お前、あのバイク乗りたいか?」
少し考える
乗りたいか今まで考えたこともなかった
父親の物だっただから捨てなかった
それだけで、動かない大きな鉄の塊を、何年も部屋に置いていた
「……分かりません」
「そうか」
社長はそれ以上聞かなかった
「まあ、休みの日ならいいですよ」
「いいのか?」
「邪魔にならない場所使ってください。仕事優先。会社の材料は勝手に使わない。設備使うなら俺に一言」
「細けえな」
「会社なんで」
「それはそうですね」
「田島、お前どっちの味方だ」
「社長です」
「即答すんな!」
「あと」
社長が言った
「田島に金出させすぎないでくださいよ」
「…………」
陽一が社長を見る
「なんで?」
「お前、金ないだろ」
「まあ」
「生活費削ってまで直すようなことすんな」
「そこまでして直すつもりないですよ」
「ならいい」
社長は書類へ目を戻した
「それと田島」
「はい」
「免許取るなら、ちゃんと貯めてからにしろよ」
「まだ乗るって決めてないです」
「そうか」
社長は少し笑った
「じゃ、決まったら言え」
「なんで?」
「別に」
事務所を出る
「……社長、何なんです?」
「知らん」
「山本さんも何なんです?」
「知らん」
「なんで本人だけ知らないんです?」
「うるせえ。日曜八時な」
「早い」
「八時」
「休みですよ」
「八時」
「……はい」
日曜日の朝八時
軽トラックがアパートの前へ入ってきた
陽一は窓からそれを見た
「本当に来た……」
玄関を叩く音
「田島! 起きてんだろ!」
「近所迷惑ですよ!」
扉を開ける
「遅え」
「まだ八時ですよ」
「もう八時だ」
「休みの日は『まだ』なんです」
「知らん。開けろ」
山本を部屋へ入れカバーを外した
錆と埃を被ったCB750F
山本はこの間とは違い、明るい部屋でじっくり車体を見る
しゃがみ込みもう一度タンク、ブレーキ、チェーン、エンジン、フロントフォーク
触って、覗いて、時々唸る
「どうです?」
「悪い」
「じゃあやめます?」
「なんでだよ」
「悪いんでしょう?」
「だから直すんだろ」
「山本さんって、話通じないですよね」
「お前にだけは言われたくねえ」
タンクキャップを開けると腐ったガソリンの異臭が漂う
「……あー」
「もっと駄目?」
「もっと駄目」
「じゃあ――」
「直す」
「でしょうね」
少し分かってきたこの人に「無理」という選択肢はあまりないらしい
「最後に動いたのは?」
「分かりません」
「親父さんが乗ってたんだろ」
「はい」
「何年前まで?」
陽一は少し黙った。
「7年くらい前だと思います」
「……そうか」
山本は、それ以上聞かなかった
そのままCBを見る
「下手にエンジンかけようとしてねえだろうな」
「怖いので触ってません」
「正解」
「褒められた」
「調子乗んな」
「乗ってませんよ」
山本は立ち上がった
「持ってくぞ」
「今から?」
「そのために来たんだろ」
「聞いてないです」
「今言った」
「それは事前連絡じゃないです」
「細けえな」
二人でCBを押す
「重っ……!」
「倒すな!」
「分かってます!」
「ハンドル真っすぐ!」
「してます!」
「そっち持て!」
「そっちってどっちですか!」
「右だよ!」
「最初から右って言ってください!」
「うるせえ!」
「山本さんが言ったんでしょう!」
静かな朝の住宅に、二人の声が響いた
誰もいない日曜日の工場、普段は機械音で満たされている場所が、今日は妙に広く感じた
その隅にCB750Fを置く
「まず洗うぞ」
「修理じゃないんです?」
「整備は洗うところからだ」
「動くか確認してからじゃ駄目ですか」
「汚えまま触りたくねえ」
「そこ気にするんですね」
「いいから水持ってこい」
「はい」
水をかける積もっていた埃が流れていく
ウエスで拭く
銀色のタンク
少しずつ、本来の色が戻ってくる
「…………」
陽一の手が止まったこんな色だっただろうか
父親が乗っていた頃玄関の外から聞こえたエンジンの音
『うるさい! 暖機するならもう少し離れてやって!』
母親の声
『分かった分かった』
『毎回言ってるでしょう!』
笑っていた父親
「田島」
「……はい」
「手ぇ止まってるぞ」
「ああ」
陽一はまたウエスを動かした
別に今、思い出す必要はない
磨く
それだけでいい
昼を過ぎる頃には、いくつかの部品が外されていたなか山本が腕を組む
「金かかるな」
「じゃあ無理ですね」
「なんですぐ終わらせようとすんだ、お前は」
「金ないので」
「一気に直す必要ねえだろ」
「?」
「買わなきゃどうにもならん物は買う」
山本が一つ指す
「直せる物は直す」
もう一つ
「作れる物は作る」
「作る?」
「ここ、どこだと思ってんだ」
陽一は周囲を見る
「会社」
「そういう意味じゃねえ、ここは工場で道具が揃ってる」
「会社の機械ですよ」
「社長に聞きゃいい」
「毎回?」
「毎回」
「山本さんが?」
「お前もだ」
「嫌だな……」
「じゃあ歩け」
「…………」
一時間半。
帰りも一時間半。
毎日三時間。
今まで、それが普通だった。
別に困ってはいなかった。
これからもできる。
そう思う。
けれど。
陽一はCBを見る。
埃の下から現れた銀色のタンク。
青いライン。
父親が乗っていたバイク。
「……本当に直るんです?」
「直る」
「何年かかっても?」
「何年かかってもだ」
「…………」
「機械と一緒だ」
山本は言った
「駄目なところ探して、一個ずつ直しゃいい」
その言葉なら陽一にも少し分かった
壊れた物には原因がある削りすぎた物は戻らないでも、交換できる物もある、作り直せる物もある、時間をかければいい物もある
「俺、何すればいいです?」
山本が笑った
「まず掃除」
「まだ?」
「まだ汚え」
「十分でしょう」
「俺の基準じゃ汚え」
「その基準、仕事以外でも使うんですか」
「当たり前だ」
「面倒くさいな……」
「聞こえてんぞ」
「聞こえるように言いました」
「いいから手ぇ動かせ!」
「はい」
陽一は新しいウエスを取りエンジンの横にしゃがむ
「ここから?」
「そこから」
「終わったら?」
「キャブ」
「キャブって何です?」
「……お前、そこからか」
「知らないって言ったでしょう」
「先が長えな」
「やめます?」
「やめねえよ」
山本もしゃがんだ
二人で古いバイクを挟む
陽一はまだ知らないこれから何度も
金がないと言うことも、部品がなく困ることも、山本と喧嘩することも
分解し清掃、無い部品の制作、部品捜索
それを三年も続けることも何も知らなかった
ただ、この日十五歳の田島陽一は初め・父親の遺したCB750Fを、思い出として置いておく物ではなくいつか自分で走らせる物として見た
「田島」
「はい」
「そこじゃねえ。こっちから拭け」
「どっちでも同じでしょう」
「違う」
「なんで?」
「俺が気になる」
「また山本さんの基準じゃないですか」
「いいからやれ」
「はいはい」
「はいは一回!」
「はい」
誰もいない休日の工場に、山本の声が響く
陽一は少し笑った
長い三年間の、最初の日だった




