EP2 The Long and Winding Road
2話目前後編です
収まらないなら3部わけになるかもです
引き続き良にくいかもしれませんがよろしくお願いします
雨が降っていた。
朝から降るとは聞いていたので、別に驚きはしない
ただ、陽一は雨が嫌いだった
「……最悪」
アパートの軒下から空を見上げる。
曇天の空から細かい雨が、途切れる気配もなく降り続いていた
昨日の夜に確認した天気予報では、一日中こんな調子らしい
部屋へ戻り、棚の上に置いていたレインウェアを取った
上下を着込んで、もう一度外へ出る
CB750Fのカバーにも、細かな水滴がついている
「今日は汚れるな」
古いバイクだからといって、雨の日に乗れないわけではない
けれど、好き好んで濡らしたいわけでもない
エンジンをかける
雨の日は少しだけご機嫌が斜めでセルを多めに回してしまう、少しだけ暖機する
その間にヘルメットのシールドについた水滴を手袋で拭った
「……よし」
ゆっくりと走り出す
雨の日は、いつもより時間がかかる
それでも三十分少々だった
工場へ着く頃には、レインウェアの表面から水が滴っていた
エンジンを切ったところで、
「お前、雨の日くらいゆっくり走れ」
声がした
「走ってますよ」
振り返ると山本が立っていた
片手に煙草もう片方にはタオル
「嘘つけ。音で分かる」
「山本さん、俺のバイクの音聞き分けてるんですか」
「Fの音だ」
「同じでしょう」
「一緒にすんな」
何が違うのか陽一には分からない
山本がタオルを投げた
「使え」
「ありがとうございます」
「風邪引くぞ」
「レインウェア着てますよ」
「頭濡れてんだろ」
ヘルメットを取る
確かに前髪が少し濡れている
タオルで拭いた
「これ洗って返します」
「別にいい」
「嫌ですよ。山本さんが使ったやつをまた使うの」
「お前にやるって意味じゃねえ!」
「じゃあ洗って返します」
「好きにしろ」
山本は煙草を消した
工場へ戻ろうとして、CBを見る
「調子は?」
「昨日聞いたじゃないですか」
「雨の日はまた違うだろ」
「普通です」
「だから普通って何だよ」
「普通は普通ですよ」
「もういい」
「聞いたの山本さんじゃないですか」
「朝から面倒くせえな、お前」
「まだ始業前ですよ」
「そういう話してんじゃねえ」
二人で工場へ入った。
午前中は、ほとんど機械の前から動かなかった
同じ部品を何個も加工する
セット、確認、加工、測定
次
同じことの繰り返しだが、陽一は単調な作業が嫌いではなかった、むしろ考え事をしなくて済む
何個目かを測っている時だった
「田島」
「はい」
「昼」
顔を上げ、時計を見る
いつの間にか十二時を回っていた
「ああ」
「お前、放っといたらずっとやってんな」
「終わってないので」
「終わるまで飯食わねえつもりか」
「あと三個ですよ」
「午後やれ」
「中途半端じゃないですか」
「飯食え」
「……はい」
機械を止める、こういうところだけは、山本に逆らっても無駄だった
昼休み、外はまだ雨だった
スレート屋根を叩く音が聞こえる
陽一は弁当を食べながら窓を見る
「止みませんね」
「梅雨だからな」
「帰る時だけ止んでくれればいいんですけど」
「贅沢言うな」
「山本さん車だから関係ないでしょう」
「だから言ってんだよ」
「性格悪いですね」
「今さら気づいたか」
山本が笑う
陽一も弁当に戻った
「でもまあ」
山本が言った
「今は三十分だからいいだろ」
「何がです?」
「通勤」
「ああ」
陽一は肉を口に入れる
「楽にはなりましたね」
「だろ」
「朝一時間くらい長く寝られます」
「そこかよ」
「大事でしょう」
「まあな」
山本は茶を飲む
「しかしお前、よくあれ毎日やってたな」
「何を?」
「歩きだよ」
「ああ」
「片道一時間半だろ」
「そのくらいでしたね」
「往復三時間だぞ」
「そうですね」
「四年近く」
「はい」
「雨の日も」
「仕事あるので」
「夏も」
「仕事あるので」
「冬も」
「仕事ありますからね」
「…………」
「何です?」
「お前、馬鹿だろ」
「今さらですか」
「十五の時に初めて聞いた時、本気で馬鹿だと思ったぞ」
「今は?」
「馬鹿だと思ってる」
「変わってないじゃないですか」
山本が笑った
陽一も少し笑った
そういえばあの日もこんな雨だった
三年前十五歳の冬だった。
「田島」
「はい」
「お前、顔赤くねえか」
「そうですか?」
「こっち向け」
機械の前にいた陽一の顔を、山本が覗き込んだ
「近いです」
「うるせえ」
額へ手を当てられる
「熱いじゃねえか」
「作業してたからですよ」
「そんな熱さじゃねえ」
「大丈夫です」
「体温計持ってこい!」
山本が誰かに怒鳴った
「いや、ほんと大丈夫――」
「黙れ」
「はい」
数分後、体温計を渡された
仕方なく脇に挟み、しばらくして電子音が鳴った
画面を見ると
「何度だ」
「……三十八度九分」
「馬鹿!」
「俺が悪いんですか?」
「なんで来た!」
「仕事なので」
「休め!」
「連絡する方法ないんですよ」
「会社に電話すりゃいいだろ」
「電話ないです」
「携帯は」
「持ってません」
「……は?」
「持ってないです」
「家の電話」
「ないですよ」
山本が黙った。
陽一も黙った。
「お前」
「はい」
「じゃあ会社から何かあったら、どうやって連絡すんだ」
「どうしてるんですかね」
「俺に聞くな!」
結局、その日は強制的に早退させられ問題は帰りだった
「送る」
「大丈夫ですよ」
「何が」
「歩いて帰れます」
「熱三十九度ある奴が歩くな」
「バス代もったいないので」
「だから送るっつってんだよ!」
山本の軽トラックへ連れていかれ助手席に押し込まれた
暖房が暑い
「家どこだ」
「ここ真っすぐです」
「どこまで」
「しばらく」
「しばらくって何分だ」
「車で来たことないので分かんないです」
「……お前どうやって通ってんだ?」
「歩きです」
「歩き?」
「はい」
「家から?」
「はい」
「毎日?」
「はい」
山本が前を向いたまま黙った
「どのくらいかかる」
「一時間半くらいです」
「…………」
「山本さん?」
「一時間半?」
「はい」
「片道?」
「往復一時間半だったら近いでしょう」
「お前、毎日三時間歩いてんのか!?」
「そうなりますね」
「なんで!」
「なんでって……」
陽一は少し考えた
「他に方法ないので」
「自転車は」
「ないです」
「バス!」
「高いです」
「……お前なあ」
「でも慣れましたよ」
「そういう問題じゃねえ!」
熱で頭が痛かったが、山本の声はもっと痛かった
「まだか」
「まだです」
十分後
「まだか?」
「まだです」
さらに十分
「……まだ?」
「だから遠いって言ってるでしょう」
「お前これ毎日歩いてんの?」
「さっきからそう言ってます」
「馬鹿じゃねえのか」
「それもさっき聞きました」
「うるせえ」
結局、三十分近くかかった
「そこ右です」
「ここか?」
「はい」
軽トラックが古い集合住宅の前へ入る
陽一がシートベルトを外した
「ありがとうございました」
「待て」
「はい?」
「一人で大丈夫か」
「寝るだけですよ」
「薬は」
「ないです」
「飯は」
「米あります」
「おかずは」
「……卵?」
「はぁ……」
山本が深いため息をついた
「部屋どこだ」
「大丈夫ですよ」
「いいから」
「なんで山本さんまで来るんです?」
「死なれたら寝覚め悪いんだよ」
「風邪で死にませんよ」
「お前なら死にそうで怖えんだよ!」
仕方なく二人で部屋に向かった
「狭えな」
「一人なので」
玄関を開けた山本の第一声がそれだった
「六畳ありゃ十分ですよ」
「まあ、そうだけどよ……」
「適当に座ってください」
「どこにだよ」
「その辺」
「その辺がねえだろ」
確かに
六畳のうち、一畳半ほどを別の物が占領している
壁際
床に敷かれたベニヤ板
その上に、大きなカバーを被った物体が、山本の目が止まった
「……なんだ、これ」
「バイクです」
「見りゃ分かる」
「聞いたじゃないですか」
「なんのバイクだ」
「さあ」
「さあ?」
「詳しくないので」
山本が眉をひそめ、カバーへ近づく
「見ていいか」
「どうぞ」
カバーを掴みめくる
銀色のタンクが現れ、そこを走る青いライン
山本の手が止まった
「…………」
「山本さん?」
返事がない
もう少しカバーをめくる
古い四気筒のエンジン
長い間動いていない車体
ところどころに浮いた錆と油
山本はしばらく黙っていた
さっきまであれほど喋っていたのに
「……Fじゃねえか」
「え?」
「CB750F」
陽一はバイクを見る
「そういう名前なんですか」
「お前、知らねえで部屋に置いてんのか?」
「親父のだったので」
山本の顔から、少しだけ表情が消えた
「……親父さんのか」
「はい」
「今は?」
陽一は一瞬だけ黙った
「死にました」
山本はそれ以上聞かなかった
「そうか」
それだけだった
陽一には、それがありがたかった
山本はしゃがみ込み、タンク、エンジン、足回りを覗く
急に熱心になった
「最後に動いたのいつだ」
「知りません」
「鍵と書類は?」
「あります」
「エンジンかけたか?」
「触ってないです」
「なんで」
「俺が触って壊したら嫌なので」
「……まあ、それは正解だな」
山本が立ち上がり、もう一度CBを見る
「勿体ねえ」
「何がです?」
「これだよ」
「置いとくだけでも駄目なんですか」
「駄目に決まってんだろ」
「でも乗れないし」
「…………」
山本は何かを考えている
嫌な予感がした
「山本さん」
「なんだ」
「何考えてます?」
「別に」
「顔が別にじゃないです」
「熱ある奴が人の顔色読んでんじゃねえ」
「いや――」
「寝ろ」
「まだ話が」
「いいから寝ろ」
「山本さん帰らないんですか?」
「帰るわ」
「じゃあ何しに上がってきたんです?」
「お前が死んでねえか確認しに来たんだよ」
「まだ死んでませんよ」
「今から飯買ってくる」
「いらないです」
「食え」
「米ありますって」
「卵しかねえだろ」
「十分ですよ」
「十分じゃねえ」
「山本さん」
「なんだ」
「俺の親じゃないですよね?」
「だったらとっくに殴ってる」
「じゃあ放っといてくださいよ」
「うるせえ。寝ろ」
玄関へ向かうその途中で、山本はもう一度振り返った
陽一ではなく、部屋の隅に置かれたCB750Fを見た
「山本さん?」
「何でもねえ」
そう言って玄関を出ていったくせに、山本は最後までCBの方を見ていた
陽一は布団に潜り込む熱のせいで頭が重い
目を閉じる直前、玄関の向こうから小さく声が聞こえた
「……勿体ねえな」
何が勿体ないのか
その時の陽一には、よく分からなかった




