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『あの日、君が祈っていたこと』  作者: 整備士
さよならは、また逢う日まで
23/36

EP23 You’re My Best Friend

仕事で遅くなりました今投稿しました

これからもよろしくお願いします

 高校を卒業して、俺たちは大学生になった。


 大学が変わっても、ヒロトと奈緒は相変わらずだった。


「純之助ぇぇ!! 大学って最高だな!!」


「……何がだよ」


「今度こそ彼女ができる気がする!!」


「……高校でも同じこと言ってたな」


「高校とは違うんだよ!! 今度こそ俺の魅力を正当に評価してくれる女の子が現れるはずだ!!」


 ……こいつの自信は、どこから湧いてくるんだろう。


 高校時代、俺たちは奈緒とバンドを組んでいたせいで、校内の女子から奈緒がどちらかの彼女だと思われていた。


 おかげで、女子との距離はなかなか縮まらなかった。


 もっとも、それだけがモテなかった理由かどうかは怪しい。


「お前ら、大学に何しに来たんだよ」


 奈緒が呆れたようにため息をついた。


「勉強だろ、勉強」


「分かってるって! でも大学生活を楽しむのも大事だろ!?」


「だったらまず講義に遅刻すんなよ、神崎」


「何で知ってんだよ!?」


「さっき自分で言ってただろ!!」


 ……相変わらず騒がしい。


 そんな俺たちだったが、高校時代から変わらない目標があった。


 プロのミュージシャンになることだ。


 大学に入ってからも、三人で練習を続けていた。


 そんなある日、練習終わりにヒロトが口を開いた。


「なあ、純之助、奈緒」


「何だ?」


「俺たちさ、もう一人メンバー増やさねえ?」


「……もう一人?」


「そう! キーボード!」


 ヒロトは目を輝かせた。


「鍵盤が入ったら、もっと色んな曲ができるだろ!? 俺たちの音、もっと面白くなると思うんだよ!」


 確かに悪くない。


 俺も、曲によってはもう少し音に厚みが欲しいと思っていた。


「……いいんじゃねえか」


「だろ!? 純之助なら分かってくれると思ったぜ!!」


 奈緒も少し考えてから頷いた。


「……まあ、いいんじゃない?」


「よっしゃあ!!」


「ただし、条件がある」


「条件?」


「ちゃんと上手くて、音楽に真面目な奴。それと――」


 奈緒は俺たち二人を交互に睨みつけた。


「変な奴だけは絶対に連れてくんなよ!!」


「何で俺たち見て言うんだよ!?」


「自分の胸に聞け!!」


 こうして俺たちは、四人目のメンバーを探すことになった。


 まずは、いつものライブハウスに募集の張り紙を貼らせてもらおう。


 そう決めた数日後。


 俺たちは、駅の構内で足を止めることになる。


 ――とんでもなく上手い、ピアノの音が聞こえてきたからだ。


 ◇


 駅に置かれたストリートピアノ。


 その周囲には、大勢の人が集まっていた。


 演奏しているのは、俺たちと同じくらいの年の青年だった。


 細い指が鍵盤の上を軽やかに駆け抜ける。


 速い。


 それでいて、一つ一つの音がはっきりしている。


 ただ技巧を見せつけるだけじゃない。緩急のつけ方が絶妙で、聴いている人間の心を自然と引き込んでいく。


「……おい、純之助」


「ああ」


 上手い。


 とんでもなく上手い。


 俺たちが足を止めた理由は、もう一つあった。


「キャー! 格好いい!」


「すごい! プロみたい!」


 ピアノの周囲には女性客が多かった。


 それもそのはず。


 演奏している青年は、涼しげな目元に整った顔立ちの、いわゆる塩顔イケメンだったのだ。


「……純之助」


「……何だ」


「世の中、不公平じゃねえか?」


「……そうだな」


 顔がいい。


 ピアノが上手い。


 女の子にモテる。


 俺たちが欲しかったものを、一人で全部持っている。


「……あいつ、上手いな」


 奈緒がぽつりと呟いた。


「だろ!? でもよ、あんな奴バンドに入れたら、女の子のファン全部持ってかれちまうぞ!」


「ヒロトの言うとおりだ」


「お前ら……」


 奈緒のこめかみに青筋が浮かぶ。


「そもそも持ってかれるほど女のファンいねえだろ!!」


「言うなぁぁ!!」


「うるせえ!! あんなに上手い奴、そうそういねえぞ!」


 やがて演奏が終わり、大きな拍手が起こった。


 青年は上品に一礼する。


 その姿まで絵になっていた。


「ああもう! あんたらが行かねえなら私が行く!!」


「えっ、奈緒!?」


 俺たちが止める間もなく、奈緒は青年の前へ歩いていった。


「ちょっと、あんた!」


「はい?」


「バンドやってる?」


「いえ、今は特に」


「だったら、うちでキーボードやんない?」


 青年は少し驚いた顔をした。


 そして、穏やかに微笑んだ。


「面白そうですね」


「じゃあ――」


「ただ、一度皆さんの演奏を聴かせていただけますか?」


 その言葉に、奈緒の表情が変わった。


「……へえ」


「僕にも選ぶ権利はありますので」


「言うじゃん」


 奈緒が笑った。


 音楽に真面目な奴。


 少なくとも、その条件は満たしていそうだった。


「いいよ。聴かせてやる」


 こうして俺たちは、相沢昌利と出会った。


 ……ここまでは、本当に順調だった。


 ◇


 数日後。


 いつものスタジオで、俺たちは相沢を迎えた。


「改めまして、相沢昌利です。よろしくお願いします」


 丁寧に頭を下げる相沢。


 顔もいい。


 礼儀も正しい。


 言葉遣いまで上品だ。


「神崎ヒロト! ギターとボーカルやってる!」


「黒川純之助。ベースだ」


「三浦奈緒。ドラム。よろしく」


「ヒロト、純之助、奈緒ですね。覚えました」


「おう! よろしくな、昌利!」


 ヒロトが手を差し出す。


 相沢はそれを握り返した。


「ありがとうございます。実は僕、大学に入ってから友達を百人作ろうと思っていたんです」


「おっ、いいじゃん!」


「現在、九十九人足りません」


「一人いるのか?」


「母です」


「母親は友達に数えねえだろ!!」


「なるほど。では百人足りませんね」


 相沢は真顔だった。


 ……少し、変わった奴なのかもしれない。


 その程度に思っていた。


 演奏が始まるまでは。


 ◇


 相沢の鍵盤が加わった瞬間、曲の景色が変わった。


 ヒロトのギターが作る隙間を、相沢の音が埋めていく。


 俺のベースと奈緒のドラムにも、驚くほど自然に寄り添ってきた。


 しかも、ただ合わせるだけじゃない。


 ここぞという瞬間に、思いもしなかったフレーズを差し込んでくる。


 それでいて、決して俺たちの音を邪魔しない。


 特に驚いたのは、奈緒との相性だった。


 奈緒がドラムで仕掛けると、相沢はすぐに反応する。


 相沢がフレーズを変えれば、奈緒も一瞬で合わせる。


 初めて一緒に演奏したとは思えないほど、息が合っていた。


 曲が終わったとき、しばらく誰も喋らなかった。


「……お前、すげえな」


 ヒロトが呆然と呟いた。


「ありがとうございます。皆さんも素晴らしいですね」


「……相沢」


 奈緒が真剣な顔で口を開く。


「うちに入んない?」


「ええ。ぜひ」


 即答だった。


「……そんなあっさり?」


「皆さんの演奏、楽しかったですから」


 相沢は鍵盤に視線を落とした。


「一人で弾くのも好きですが、誰かと音を合わせるのは、また違う楽しさがありますね」


 その言葉に嘘はなさそうだった。


 こうして俺たちのバンドは、四人になった。


 そして、その十分後。


 奈緒は早くも後悔することになる。


「神崎!! さっきから同じところ走ってんだよ!!」


「悪かったって奈緒ぉぉ!!」


「謝る暇あったら練習しろ!!」


「……素晴らしいですね」


 相沢がうっとりしたように呟いた。


「……何が?」


「ヒロトは毎回、奈緒からご褒美をいただけるんですね。羨ましいです」


 ――ニチャ。


「…………は?」


「僕もいつか、あんなふうに叱っていただきたいものです」


「何言ってんだよ、あんた!?」


「ありがとうございます」


 ――ニチャァ。


「礼を言うな!!」


「おや。二度もご褒美をいただけるとは」


「ご褒美じゃねえよ!!」


 ヒロトが俺の肩を掴んだ。


「純之助……」


「……ああ」


「とんでもねえ奴が入ってきたぞ……」


 そのとおりだった。


 もっとも、奈緒に怒鳴られるヒロトを見て、少し羨ましいと思っていたことは黙っておこう。


 ◇


 相沢の残念さは、それだけではなかった。


 とにかく、喋る。


 ひたすら喋る。


 しかも、冗談の内容がいちいちおかしい。


「昌利ぃぃ!! お前、五秒くらい黙ってられねえのか!?」


「もちろんですよ。では一、二、三……ところでヒロト、沈黙というのは心理学的に――」


「三秒で喋ってんじゃねえか!!」


「申し訳ありません。では、お詫びに少々刺激的な冗談を――」


「いらねえよ!!」


 ある日、ついに奈緒が問い詰めた。


「あんた、昔からそんなにうるさかったの?」


「いえ。高校までは静かな方でしたよ」


「「「嘘だろ!?」」」


「本当です。習い事が多くて、友達と遊ぶ時間がほとんどありませんでしたから」


 話を聞けば、相沢はかなり裕福な家庭で育ったらしい。


 ピアノ、サックス、バイオリン。


 ほかにも色々と習っていたという。


「ご両親は音楽家にしたかったのか?」


「いえ、教養を身につけさせたかったそうです。僕も楽しかったので続けていました」


「へえ……」


「それから、親が元バイクレーサーでして。幼い頃からサーキットにも連れていかれていました」


「バイクも乗れんの!?」


「ええ。国際ライセンスも持っていますよ」


「何者なんだよ、お前!?」


「友達がほとんどいない大学生です」


「急に悲しくなること言うな!!」


 相沢は大学進学を機に一人暮らしを始めた。


 習い事が減り、ようやく自由な時間ができた。


 そこで、友達を作るために明るい人間になろうと考えたらしい。


「……で、何でこんな喋り方になったんだよ」


 奈緒が尋ねる。


「コメディ映画で会話を勉強しました」


「……映画?」


「ええ。デッドプールや、ジム・キャリーの出演作を中心に」


「…………」


「面白い人というのは、少々際どい冗談を交えながら、テンポよく喋るものだと学びまして」


 俺たちは顔を見合わせた。


「……相沢」


「はい?」


「教材を間違えてんだよ!!」


「そうでしょうか。映画では皆さん笑っていましたが」


「映画と現実を一緒にすんな!!」


「なるほど。では笑い声を録音して、会話の途中で流せば――」


「そういう問題じゃねえ!!」


 奈緒が頭を抱える。


「……最悪だ。何で私、こんな奴誘っちまったんだろ……」


「奈緒」


 俺は慰めるつもりで言った。


「でも相沢、めちゃくちゃ上手いぞ」


「分かってんだよ!! だから困ってんだろ!!」


 相沢は嬉しそうに微笑んだ。


 ――ニチャ。


 音楽家としては、最高の勧誘。


 人間としては、人生最悪の勧誘。


 奈緒の顔には、そう書いてあった。


 ◇


 大学二年になった頃。


 奈緒に、ある変化が起こった。


 いつもなら練習開始の何時間も前からスタジオにいる奈緒が、妙にぼんやりしている。


 休憩中もスマートフォンを見ては、ため息をついていた。


「……奈緒、何かあったのか?」


「べ、別に!?」


 ……分かりやすい。


「ヒロト。お前、何か知ってるか?」


「知ってるぞ!」


 ヒロトは声を潜めた。


「奈緒、好きな男ができたらしい」


「……は?」


 思わず聞き返した。


 あの奈緒が?


「同じ学部で、専攻も一緒の奴だってさ」


 話を聞くと、きっかけは何気なく観た恋愛映画だったらしい。


 映画の余韻が抜けないまま大学へ行った奈緒は、落とした資料を拾ってくれた男子学生に、思わず胸をときめかせてしまったという。


 しかも相手は、礼儀正しくて優しい。


 困っている人を見れば、自然に手を差し伸べる。


 何より、変なことを言わない。


「……最後の条件、俺たちのせいじゃねえか?」


「たぶんな」


 それ以来、奈緒はその男が気になって仕方ないらしい。


 同じ講義で隣の席になった。


 課題の話をした。


 帰り際に「また明日」と言われた。


 そんな何でもない出来事に、いちいち一喜一憂していた。


 ある日、奈緒がスタジオで頭を抱えていた。


「……私、ちょろい女みたいじゃねえか……」


「何が?」


 ヒロトが尋ねると、奈緒は顔を真っ赤にした。


「何でもねえよ!!」


「ひでえ!! 普通に聞いただけなのに!!」


 俺は思わず笑いそうになった。


 もっとも、本人の前で笑えば命がない。


「奈緒、恋愛なら僕も映画で勉強しましたよ」


 相沢が得意げに言った。


「……あんたの教材、信用できねえんだけど」


「雨の中で告白すると、非常に印象的な場面になるそうです」


「映画の話だろ!!」


「必要なら人工降雨装置を用意しましょうか?」


「何でそうなるんだよ!!」


 相沢の助言は、当然ながら採用されなかった。


 ◇


 奈緒は、勇気を出して告白した。


 その結果を俺たちが知ったのは、次の練習日だった。


「……彼女、いたんだって」


 奈緒はドラムスティックを握ったまま、ぽつりと呟いた。


 いつもの大きな声ではなかった。


「……そっか」


 俺は、それしか言えなかった。


「別に、あいつが悪いわけじゃねえんだよ」


 奈緒は無理に笑おうとした。


「ちゃんと断ってくれたし。いい奴だったし……」


「…………」


「……だから、余計に困るんだよな」


 誰も茶化さなかった。


 ヒロトでさえ、何も言わなかった。


 その日の練習は、いつもより早く終わった。


 ◇


 それからしばらく、奈緒は元気がなかった。


 怒鳴る回数が減った。


 それは普段なら喜ぶべきことだったのかもしれない。


 だが、俺たちにはどうにも落ち着かなかった。


「……奈緒!!」


 ある日、ヒロトが突然叫んだ。


「俺、今日は絶対にミスしねえから!!」


「……そう」


「だから元気出せよ!!」


「……関係ねえだろ」


「ある!! 俺がミスしなきゃ奈緒が怒らなくて済む!!」


「……それ、普段からやれよ」


「ごもっともぉぉ!!」


 奈緒の口元が、ほんの少し緩んだ。


 俺はそれを見て、少し安心した。


 相沢は、その日ずっと静かだった。


 普段なら、頼まれてもいない冗談を次々に披露する男が。


 何も言わず、鍵盤の前に座っていた。


「……相沢」


 奈緒が声をかける。


「今日は静かだな」


「そうですね」


「……具合でも悪いの?」


「いえ。ただ、何を言えばいいのか分からなくて」


「……いつもは分かって喋ってんのかよ」


「いいえ。ですから、いつも失敗するんです」


 奈緒は少し驚いた顔をした。


 そして、ふっと笑った。


「……馬鹿だな、あんた」


「ええ。自覚はあります」


「……別に、無理して喋んなくてもいいよ」


「……そうですか」


「うん」


 相沢は静かに頷いた。


 その横顔は、いつもの残念な男とは少し違って見えた。


 ◇


 練習が終わった帰り道。


 奈緒が、不意に足を止めた。


「……ねえ」


「ん?」


「……何であんたら、まだ私と一緒にいんの?」


 ヒロトが首を傾げる。


「は?」


「私、口悪いし。すぐ怒るし。今日だって、まともに練習できてねえし……」


「何言ってんだよ」


 ヒロトが笑った。


「仲間じゃん!」


「……そんな簡単に」


「簡単だろ! 俺たち一緒にプロになるんだろ!?」


 俺も頷いた。


「今さら何言ってんだ、奈緒」


「……黒川」


「調子悪い日くらい、誰にだってあるだろ」


 相沢も穏やかに口を開いた。


「それに、奈緒が怒っていない日なんて、そもそもほとんどありませんしね」


「……あんた、それ慰めてんの?」


「もちろんです」


「……ほんっと馬鹿」


 奈緒は俯いた。


 少しの間、誰も喋らなかった。


「…………ありがと」


 小さな声だった。


 けれど、確かに聞こえた。


 俺たちは顔を見合わせた。


 奈緒が、俺たちに礼を言った。


 それだけのことなのに、妙に嬉しかった。


「……何だよ。聞こえたなら何か言えよ」


「いや」


 俺は笑った。


「何でもない」


「……変な奴ら」


 奈緒も、少しだけ笑った。


 あの日からだと思う。


 奈緒が、少しずつ変わり始めたのは。


 失恋したからじゃない。


 落ち込んだ自分のそばに、変わらずいてくれる仲間がいる。


 それを、奈緒自身が実感できたからだ。


 そして、もう一人。


 あの日を境に、相沢も少しずつ変わっていった。


 誰かと一緒にいるために、無理して面白いことを言わなくてもいい。


 黙っていても、仲間は離れていかない。


 そんな当たり前のことを、あいつはようやく覚えたのだと思う。


 ◇


 大学三年。


 俺たちのバンドは、ようやく軌道に乗り始めていた。


 ライブハウスの客席は、以前よりずっと賑やかになった。


 自分たちで作った曲を覚えてくれる客も増えた。


 ある日のライブでは、ヒロトが歌うサビを、客席が一緒に歌ってくれた。


 あれは、忘れられない光景だった。


 俺たちが作った曲を、知らない誰かが歌っている。


 ヒロトは嬉しそうに客席へマイクを向けた。


 俺も、思わず笑っていた。


 奈緒はいつも以上に力強くドラムを叩き、相沢は鍵盤の上を楽しそうに指で駆け抜けていた。


 ライブが終わると、店長が笑顔で迎えてくれた。


「あんたたち、いいバンドになったわねぇ♡」


「だろ!? 俺たち、もっと上に行くぜ!!」


「うふふ。期待してるわよ、ヒロトちゃん♡」


 女の子にモテたい。


 そんな馬鹿みたいな理由で始めたバンドだった。


 それがいつの間にか、音楽そのものが何より大切になっていた。


 ……もっとも、相沢の女性人気だけは別の話だった。


 大学三年になる頃には、相沢が残念イケメンであることは、ファンの間でほぼ常識になっていた。


 最初の頃は、黙って鍵盤を弾く相沢に黄色い歓声が上がっていた。


 だが、ライブ後に本人と会話した女性たちは、次々に幻想を打ち砕かれていったのである。


 ついには、妙な文化まで生まれた。


 ◇


「ねえ、あのキーボードの人、すっごく格好よくない?」


「分かる! ちょっと話しかけてみようよ!」


 ライブ後。


 初めて来たらしい女性客が、相沢の方を見てはしゃいでいた。


 そのときだった。


「待て」


 背後から、低い声がした。


 振り返ると、何度もライブに来てくれている常連客が立っていた。


「……え?」


「早まるな」


「えっ、何ですか?」


「相沢に幻想を抱いたまま話しかけるな。後悔するぞ」


「そんな、大げさな(笑)」


「演奏は本物だ。顔もいい。そこは否定しない」


「ですよね!?」


「だが、口を開いたら終わりだ」


 常連客は遠い目をした。


「……俺たちも、最初はそう思っていた」


「何があったんですか……?」


「聞くな。思い出したくない」


 そこへ、相沢がやってきた。


「皆さん、今日はありがとうございました」


「あっ、相沢さん!」


 女性客の一人が嬉しそうに駆け寄る。


「私、今日初めて来たんですけど、すっごく格好よかったです!」


「ありがとうございます。初めての方にそう言っていただけるのは嬉しいですね」


「ほら! 普通に素敵な人じゃないですか!」


 女性客が常連を振り返った。


 常連は静かに首を横に振った。


「……まだだ」


「え?」


「もう喋らせるな!!」


「ところで」


 相沢が穏やかに微笑んだ。


「僕は女性から冷たい目で見られるのも嫌いではないんですが、お二人は人を軽蔑するのは得意な方でしょうか?」


「…………」


「…………え?」


 ――ニチャ。


「……逃げろ」


 常連が呟いた。


「今すぐ逃げろぉぉ!!」


 女性客たちは、そそくさと立ち去っていった。


 相沢は不思議そうに首を傾げる。


「……何か失礼なことを言いましたかね?」


「全部だよ!!」


 その瞬間、奈緒の手からドラムスティックが飛んだ。


 ――スパァン!!


「痛っ!!」


 相沢の額に、見事に命中した。


 一瞬、静寂が訪れる。


 そして。


「ありがとうございますぅぅぅ!!」


 相沢が、腹の底から叫んだ。


「何で全力で喜んでんだよ、この変態ぃぃ!!」


 奈緒が頭を抱える。


 相沢は額を押さえながら、実に幸せそうな顔をしていた。


 ――ニチャァ。


 常連客は深いため息をついた。


「……だから言ったのに」


 ちなみに、相沢は一年生の頃と比べればずいぶん静かになっていた。


 人の話を最後まで聞けるようにもなった。


 余計な冗談を言う回数も減った。


 ……ただし。


 静かにはなったが、変態は治らなかった。


 むしろ、一言の破壊力が増した気さえする。


 それでも、相沢が鍵盤に向かえば、客席は彼の演奏に聴き入った。


 相沢目当ての女性客は減った。


 だが、俺たちの音楽を聴きに来る客は増え続けた。


 それが、何より嬉しかった。


 ◇


 大学四年。


 俺たちは、人生最大の危機を迎えた。


 ……音楽の話ではない。


「お前ら、卒業に必要な単位くらい確認しとけよ!」


 奈緒が腕を組み、俺たちを睨みつけた。


「特に神崎! あんた絶対ヤバいだろ!」


「失礼だな!! 俺、あと六単位だぞ!」


「……は?」


「純之助は?」


「俺はあと八単位だな」


「相沢は!?」


「僕はもう卒業要件を満たしていますよ」


「…………」


 奈緒の動きが止まった。


 さっきまで偉そうに腕を組んでいたのに、いつの間にかその腕がだらりと下がっている。


「……奈緒?」


 俺が声をかける。


「……え? みんな、それだけ……?」


「そうだけど。お前は?」


「…………」


 奈緒は何やら指を折って数え始めた。


 途中で数えるのをやめ、もう一度最初から数え直す。


「……奈緒?」


「ちょ、ちょっと待って……」


 スマートフォンを取り出し、履修状況を確認する。


 画面を見つめる奈緒の顔から、みるみる血の気が引いていった。


「……二十……」


「え?」


「……二十四……」


「二十四単位ぃぃ!?」


 ヒロトの叫び声が響いた。


 奈緒は目をぐるぐるさせながら、スマートフォンと俺たちの顔を交互に見ていた。


「ま、待って……おかしい……何か計算間違えてる……」


「奈緒、必修は?」


「ひ、必修……?」


「そう。必修科目」


「…………」


 奈緒の目が、さらにぐるぐる回った。


「……一個……」


「一個?」


「……落としてる……」


「お前が一番ヤバいじゃねえかぁぁ!!」


「う、うるせえ!! ちょっと待て!! 今、頭が追いついてねえんだよ!!」


 いつもなら真っ先に怒鳴り返してくる奈緒が、完全に混乱していた。


「えっ……? 卒業……できない……? 私が……?」


 奈緒はふらふらと椅子に座り込んだ。


「……嘘だろ……」


 ヒロトが俺の肩を掴んだ。


「純之助……」


「……ああ」


「奈緒が……奈緒が壊れた……!!」


「聞こえてんだよ、このクソゼミぃぃ!!」


「よかった!! まだ元気だ!!」


「よくねえよ!!」


 相沢が穏やかに微笑んだ。


「奈緒、安心してください」


「……相沢……」


「最悪の場合、僕たち三人で卒業ライブをやっておきますので」


「留年する前提で話すんじゃねえぇぇ!!」


「ありがとうございます」


 ――ニチャ。


 ……こうして、俺たちの卒業大作戦が始まった。


 ◇


 ヒロトは講義ノートを貸した。


 俺は課題と試験の日程を整理した。


 相沢は勉強を教えた。


 ……ただし、相沢の説明は壊滅的に分かりにくかった。


「ここは簡単ですよ。まずこの式を変形して、こちらを代入すれば、あとは自明ですね」


「その自明ってところを説明しろっつってんだよ!!」


「なるほど。もっと厳しくお願いします」


「授業にならねえ!!」


 結局、ヒロトの方が説明は上手かった。


「ほら奈緒、ここはこう覚えりゃいいんだよ!」


「……あんた、意外と教えるの上手いな」


「だろ!? もっと褒めていいぞ!!」


「調子乗んな」


「ひでえ!!」


 それでも、奈緒はちゃんと勉強した。


 練習の合間も、移動中も、夜遅くまで。


 そして、ある日のこと。


「奈緒、これ。去年の講義ノート」


 ヒロトが分厚いノートを差し出した。


「……あんた、こんなに真面目に授業受けてたの?」


「失礼だな!! 俺だって大学生だぞ!!」


「……そうだったな」


「忘れんなよぉぉ!!」


 奈緒はノートを受け取り、ぱらぱらとページをめくった。


「……ありがと」


「…………」


「…………」


「……何?」


「純之助……今、奈緒が……」


「ああ。礼を言ったな」


「聞こえてんだよ!!」


 相沢がにこやかに口を開く。


「素敵ですね。人間は四年間でここまで成長できるんですね」


 ――ニチャ。


「あんたは四年間で少しもまともにならなかったな!!」


「ありがとうございます。奈緒もすっかり優しくなりましたね」


「褒めてねえよ!!」


 ヒロトが笑い出す。


「でも奈緒、昔だったら絶対ありがとうなんて言わなかったよな!」


「……うるせえな」


 奈緒はノートに視線を戻した。


「……助かったんだから、礼くらい言うだろ」


 その声は、いつもより少し小さかった。


 俺たちは顔を見合わせた。


 ……変わったな。


 もちろん、怒鳴り声の大きさは相変わらずだったが。


 ◇


 そして、卒業の日。


 奈緒は、どうにか必要な単位を取りきった。


 四人全員、無事に卒業。


 その夜、俺たちはいつものライブハウスに集まった。


「あらぁ♡ 四人とも卒業おめでとう!」


 店長が嬉しそうに迎えてくれた。


「特に奈緒ちゃん! 危なかったんですって?」


「……誰が言ったんだよ」


「ヒロトちゃん♡」


「神崎ぃぃ!!」


「俺かよぉぉ!!」


 店長は楽しそうに笑った。


「でも、よかったじゃない。これで心置きなく音楽ができるわねぇ♡」


 その言葉に、俺たちは顔を見合わせた。


 大学は終わった。


 でも、俺たちのバンドは終わらない。


「なあ、みんな」


 ヒロトが笑った。


「卒業しても、ずっとバンドやるんだよな?」


「今さら何言ってんだよ」


 俺が答えると、奈緒も頷いた。


「……当たり前だろ」


「僕も賛成です」


 相沢が穏やかに微笑む。


「皆さんと一緒なら、退屈しなさそうですからね」


「……あんたの場合、こっちが退屈しねえんだよ」


「ありがとうございます」


 ――ニチャ。


「……褒めてねえよ」


 奈緒は呆れたように笑った。


 それから、少しだけ真面目な顔になる。


「……まあ、四年間ありがとな」


 ヒロトが目を丸くした。


「……奈緒?」


「何だよ」


「お前、そんなこと言えるようになったんだな……!」


「ぶっ飛ばすぞ、このクソゼミ!!」


「やっぱり奈緒だぁぁ!!」


 俺たちは笑った。


 相沢も笑っていた。


 ……もちろん、少し気持ち悪い笑い方だったが。


 ◇


「……なるほど」


 旅館の部屋で、陽一さんが感心したように頷いた。


「それで今は、奈緒さんもあんなに優しいんですね」


「…………」


 ヒロトが黙った。


 相沢も黙った。


 俺も、何も言わなかった。


 三人の視線が、自然と奈緒へ向かう。


「……何?」


 奈緒が首を傾げる。


「いえ、何でもありません」


 俺たちは声を揃えた。


「……あんたら、何か失礼なこと考えてない?」


「そんなことないぞ奈緒!!」


「……神崎」


「はいっ!!」


「顔に出てんだよ!!」


「ごめんなさいぃぃ!!」


 相沢が、嬉しそうに微笑んだ。


 ――ニチャ。


「……相沢?」


「いえ。今日も皆さん仲がよろしいなと思いまして」


「その顔やめろ!!」


「ありがとうございます」


 ――ニチャァ。


 陽一さんが困ったように笑う。


 俺も、つられて笑った。


 高校から始まった俺たちのバンド。


 大学で四人になり、色んなことがあった。


 笑って、怒鳴って、落ち込んで。


 それでも、誰一人欠けずにここまで来た。


 ……まあ、変態は二人ほど混ざっているが。


 それも含めて、俺たちなんだろう。


 俺は、目の前で騒ぐ仲間たちを見ながら思った。


 ――こいつらと出会えて、本当によかった。


これにてリノリウムの過去編は終わりになります

長い間お付き合いありがとうございました

次からは今の時間に戻ってきます

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