EP22 We Will Rock You
第22話 We Will Rock You
「俺たちがバンドを始めた理由?」
黒川さんは湯呑みを手に、少し考え込んだ。
「音楽が好きだったから、と言えばカッコはつくだろうけどな」
「おい純之助! そこはカッコつけろよ!」
「うるせえ。お前だって覚えてんだろ」
「何を?」
「俺たちが軽音部に入った理由だよ」
「…………」
神崎の顔が引きつった。
「純之助ぇぇ!! その話はやめようぜ!!」
「もう遅えよ」
黒川さんは湯呑みを置いた。
「まあ、最初から話すか」
俺は姿勢を正した。
向かいでは奈緒さんが、いかにも面倒くさそうな顔で茶を飲んでいる。
相沢さんだけが、何かを期待するように口元を緩めていた。
「……ただ、俺の場合は中学まで遡るんだけどな」
黒川さんはそう言って、昔の話を始めた。
◇
中学生の頃、俺はギターを買った。
……つもりだった。
家に帰って箱を開けたら、弦が四本しかなかった。
ベースだった。
我ながら馬鹿だと思う。
ただ、当時の俺には確信があった。
ギターだろうがベースだろうが、楽器が弾けりゃモテる。
だから俺は、ベースを始めた。
ちなみに、その頃にはすっかりメタルにハマっていた。
髪は長く伸ばし、しかも妙に縮れていた。
鏡に映る自分は、どう見ても爽やかな恋愛ソングを奏でる男ではなかった。
だが、俺は諦めなかった。
女の子に人気の曲を調べ、ベースで弾いては動画に撮り、YouTubeに投稿した。
恋愛ソング。
切ないバラード。
甘ったるい歌詞のポップス。
画面の中では、長髪のメタル男が無表情でそれらを弾き続けた。
再生数は、そこそこ伸びた。
俺は確信した。
――やはり、音楽はモテる。
実際には、その動画が一部で妙な話題になっていたらしいのだが。
当時の俺は、そんなことを知る由もなかった。
そして高校入学。
「純之助ぇぇ!!」
入学して間もないある日、ヒロトが教室へ飛び込んできた。
「軽音部入ろうぜ!!」
「突然だな」
「バンドだよ、バンド! 文化祭で演奏して、女子にキャーキャー言われんだよ!」
「……なるほど」
「だろ!?」
俺たちは固く握手を交わした。
音楽に対する高尚な理念など、そこには一つもなかった。
しかし、希望だけはあった。
ところが。
「ねえ聞いて! 昨日、先輩が彼女と別れたんだって!」
「えーっ! じゃあ今チャンスじゃん!」
「いや、あの二人またヨリ戻したらしいよ!」
軽音部の部室では、連日そんな会話が繰り広げられていた。
もちろん、恋愛が悪いわけではない。
俺たちだって、恋愛をしたくて入ったのだから。
問題は、誰もまともに練習していないことだった。
「なあ純之助」
「何だよ」
「俺たち、バンドやりに来たんだよな?」
「そのはずだ」
「何で毎日、人の恋愛相談聞いてんだ?」
「知らねえよ」
結局、半年ほどで俺たちは退部した。
退部届の理由欄には、ヒロトが堂々と書いた。
『音楽性の違い』
まだ自分たちの音楽性すら定まっていなかったのに。
それから俺たちは、二人で練習を始めた。
放課後に集まって音を合わせ、休日にはライブハウスへ足を運ぶ。
そこで知り合ったのが、例の店長だった。
「あらぁ、また来たの? ヒロトちゃん、純之助ちゃん♡」
派手な服に、よく通る声。
初めて会ったときは面食らったが、店長は驚くほど音楽に詳しかった。
俺たちの演奏を聴いては、遠慮なく欠点を指摘してくれる。
「ヒロトちゃん、勢いはいいけど走りすぎ。純之助ちゃんは上手いんだけど、たまに曲を忘れて一人でメタル始めちゃうのよねぇ♡」
「そんなにか?」
「昨日の曲、途中から地獄の門が開いてたわよ」
「コードは合ってたろ」
「合ってても、突然全部十六分で刻み始めたら別の曲になるのよ♡」
ヒロトが頭を抱えた。
「純之助ぇぇ!! 俺の曲を地獄に連れてくなぁぁ!!」
そんな日々が続き、高校二年の春。
店長が、妙に楽しそうな顔で言った。
「ねえ、アンタたち。ドラマー、探してたわよね?」
「えっ!?」
ヒロトが身を乗り出す。
「いるの!? ドラマー!?」
「いるわよぉ。しかも、とびっきり上手な子」
「男!? 女!?」
「女の子よ。可愛いわよぉ♡」
「うぉぉきたぁぁ!!」
「落ち着け、ヒロト」
俺も内心では、まったく落ち着いていなかった。
店長の紹介なら、腕は確かなのだろう。
しかも可愛い女の子。
これは、ついに俺たちの時代が来たのではないか。
「ただしねぇ……」
店長が意味ありげに笑った。
「……何ですか?」
「まあ、会えば分かるわ♡」
今なら分かる。
あれは忠告だった。
数日後。
俺たちは、以前ライブハウスのステージで見たことのある少女と対面した。
小柄で、整った顔立ち。
ドラムを叩いている姿が、強く印象に残っていた。
演奏が上手い。
それは間違いなかった。
そして、見た目も可愛い。
それも間違いなかった。
「三浦奈緒」
少女は、そう名乗った。
「よろしくね!」
ヒロトが満面の笑みで手を差し出す。
奈緒は、その手を見た。
それからヒロトの顔を見た。
「……あんた、ギター?」
「おう!」
「……ちゃんと弾けんの?」
「もちろん!」
「ふーん」
次に、奈緒の視線が俺へ向いた。
「……何その頭」
「メタルだ」
「は? 鳥の巣?」
「メタルだからな」
「知らねえよ。暑苦しいんだよ、その頭」
――ゾクゾクした♡
俺は、自分の中に未知の感情が芽生えるのを感じた。
「……あんたさ」
奈緒が、俺の顔を覗き込む。
「な、なな、何だ?」
「……どっかで見たことない?」
「い、いや、その……お、俺は……」
「何どもってんの? 気持ち悪い」
――またゾクゾクした♡
これは、いったい何なのだろう。
俺はこのとき、自分について知らなかった一面を発見した。
「で?」
奈緒は腕を組んだ。
「いつまで突っ立ってんの? 演奏するんでしょ?」
ヒロトが慌ててギターを構える。
「よっしゃ! じゃあ一曲――」
「つまんなかったら途中で帰るから」
「えっ」
「早くして」
俺たちは顔を見合わせた。
春の女神が来たと思っていた。
実際に来たのは、嵐だった。
◇
奈緒が加入してから、俺たちの生活は一変した。
練習。
練習。
練習。
そして、練習。
「神崎!! そこ走ってんだよ!!」
「うおおっ!? ごめん!!」
「黒川!! あんたは何でそこで勝手に刻み始めんの!?」
「コードは合ってるだろ」
「合ってりゃいいってもんじゃねえんだよ!!」
「十六分で刻んだ方が気持ちいいだろ」
「お前だけだよ!!」
ヒロトが泣きそうな顔で叫んだ。
「純之助ぇぇ!! そこは普通に弾いてくれよ!!」
「ちょっと重くしただけだろ」
「ちょっとじゃねえよ!! 急に戦争始まったみたいになってんだよ!!」
「しかも勝手に音低くしてんじゃねえ!!」
「重い方がカッコいいだろ」
「曲の雰囲気考えろっつってんだよ!!」
奈緒は常に怒っていた。
朝から怒っている。
昼も怒っている。
夕方になっても怒っている。
おそらく夢の中でも怒っている。
俺たちは何度も、店長に相談した。
「店長……あいつ、いつもあんな感じなんですか?」
「あらぁ、元気でいいじゃない♡」
「元気の範囲超えてるって!!」
「でも、上手くなったでしょ?」
そう言われると、返す言葉がなかった。
実際、俺たちの演奏は変わっていた。
奈緒は口が悪い。
容赦もない。
しかし、指摘は的確だった。
俺たちが曖昧にしていた部分を、決して見逃さない。
そして夏休み。
地獄は、いよいよ本番を迎えた。
その日も、俺たちは練習場へ向かっていた。
まだ約束の時間には三十分もある。
ところが。
ドン、タタッ、ドン、タタンッ。
遠くから、ドラムの音が聞こえてきた。
「なあ、純之助」
「何だよ」
「今日、十時集合だよな?」
「ああ」
「今、九時半だよな?」
「そうだな」
「何でドラムが聞こえるんだ?」
「考えるな」
「嫌だぁぁ!! もう始まってるぅぅ!!」
練習場に入ると、奈緒は汗だくでドラムを叩いていた。
俺たちに気づくと、ようやくスティックを止める。
「遅えよ」
「いや、まだ集合時間前だろ!?」
「準備に時間かかるだろうが」
「奈緒、お前いつから来てんの……?」
「七時」
「三時間も前じゃねえかぁぁ!!」
「私が勝手に練習してただけだろ。いちいち騒ぐな」
奈緒はそう言って、タオルで汗を拭った。
俺たちは、そのとき初めて気づいた。
奈緒は、いつも俺たちより先に来ている。
練習場へ向かう途中で聞こえるドラムの音も、今に始まったことではなかった。
ただ、俺たちは深く考えたことがなかったのだ。
あいつは上手いから。
あいつはできるから。
そう思っていた。
その日も、猛特訓が始まった。
昼になっても終わらない。
夕方になっても終わらない。
「神崎!! もう一回!!」
「はいぃぃ!!」
「違う!!」
「うおおお!!」
「そこじゃねえ!!」
「ぎゃあああ!!」
そして、ある日の午後。
ヒロトの様子がおかしくなった。
「……純之助」
「何だよ」
「セミが鳴いてる……」
「夏だからな」
「セミって、いいよな……」
「そうだな」
「七日くらいで死んじゃうんだぜ……」
「まあな」
ヒロトは、遠い目をした。
「七日で死ねるんだぜ……」
「……ヒロト?」
次の瞬間。
「ミィィィィィン!!」
ヒロトが立ち上がった。
「俺はセミになるぅぅぅ!!」
ギターを置き、突然走り出す。
「神崎ぃぃ!! どこ行くんだよ!!」
「ミンミンミンミィィィ!!」
「戻ってこい、この馬鹿!!」
奈緒が追いかけていった。
俺は、その背中を見送った。
……とうとう壊れたか。
しばらくして、外から怒鳴り声が聞こえてきた。
俺が様子を見に行くと、ヒロトは近くの公園の木にしがみついていた。
奈緒が、その下で怒鳴っている。
「神崎ぃぃ!! 降りてこい!!」
「ミィィィィン!!」
「人間の言葉を喋れ!!」
「……セミは……」
「あぁ!?」
「……セミは七日で死ねるのに……」
「…………」
「俺は何か月練習しても上手くなれねえんだよぉぉ!! ミィィィィン!!」
奈緒が黙った。
俺も、少し驚いた。
ヒロトは木にしがみついたまま、泣いていた。
「純之助は最初から上手いし……」
「…………」
「奈緒なんか、もっとすげえし……」
「…………」
「俺だけ……俺だけ全然追いつけねえんだよ……」
奈緒はしばらく黙っていた。
それから、木を見上げたまま言った。
「私だってさ」
「……ミ?」
「最初から叩けたわけじゃねえんだよ」
ヒロトが鳴くのをやめた。
「できねえことなんか、今でも山ほどある。だから練習してんだろ。できるようになりてえから」
「…………」
「前のバンドでも、ずっと練習してた」
奈緒は少しだけ視線を落とした。
「みんなで上手くなって、もっといい音出したかったんだよ」
「…………」
「でも、あいつらは途中で飽きちまった」
ヒロトは黙っていた。
「練習なんか適当でいいとか、楽しくやれればそれでいいとか……」
奈緒が吐き捨てる。
「私は楽しかったんだよ」
その声は、いつもの怒鳴り声よりずっと小さかった。
「みんなで上手くなっていくのが、一番楽しかったんだよ」
しばらく、セミの声だけが響いていた。
「だから、あんたらもそのうち嫌になると思ってた」
「…………」
「でも……」
奈緒は、木に張りついたヒロトを見上げた。
「下手くそなくせに、上手くなれなくて泣く馬鹿なんか、初めて見た」
「……ミィ」
「もうちょっとだけ、付き合ってやってもいいかなって思ったんだよ」
「…………」
「だから、さっさと降りて――」
「ミィィィィィン!!」
「人が真面目に話してんだろうが、このクソゼミぃぃ!!」
俺は、そこでようやく声をかけた。
「何してるんだ、お前ら」
「見りゃ分かんだろ!! 神崎がセミになったんだよ!!」
「……なるほど」
「納得すんな!!」
結局、俺たちは二人がかりでヒロトを木から引き剥がした。
翌日。
「……おはようございます」
ヒロトが恐る恐る練習場へ入ってくる。
「おう、セミ。準備しろ」
「名前で呼んでくれよぉぉ!!」
「……ミンミン」
「純之助までぇぇ!!」
奈緒は相変わらずだった。
しかし、あの日から俺たちは少しだけ変わった。
練習場へ向かう途中で聞こえるドラムの音。
それはもう、恐怖の始まりを告げる音だけではなかった。
俺たちより先に、誰かが本気で音楽に向き合っている音だった。
◇
秋。
ヒロトが、突然とんでもない情報を持ってきた。
「純之助!! 奈緒の学校、女子校なんだってよ!!」
「知ってる」
「文化祭があるんだってよ!!」
「それも知ってる」
「女子がいっぱいだぞぉぉ!!」
「女子校だからな」
そして俺たちは、奈緒の前で土下座した。
「お願いします!!」
「……は?」
「文化祭のチケットをください!!」
「何で土下座してんだよ」
「俺たちの青春がかかってんだ!!」
「知るか!!」
奈緒は心底嫌そうな顔をした。
しかし、俺たちは諦めなかった。
最終的に、店長まで巻き込んで説得した。
「あらぁ、奈緒ちゃん。連れてってあげなさいよ。社会勉強よ♡」
「何の社会勉強だよ!!」
結局、奈緒はチケットを用意してくれた。
さらに、文化祭では希望者による飛び入り演奏もあるらしい。
その話を聞いた瞬間、ヒロトの目が輝いた。
「純之助ぇぇ!! やるぞ!!」
「何をだよ」
「女子に人気の曲だよ!! ここで一発決めれば!!」
「なるほど」
俺はベースを構えた。
当時流行っていた恋愛ソングのベースラインを弾く。
ヒロトが目を丸くした。
「えっ!? 何で弾けんの!?」
「練習したからな」
「じゃあ、こっちは!?」
俺は弾いた。
「こっちは!?」
弾いた。
「じゃあ、これ!!」
弾いた。
「純之助ぇぇ!! お前、何でそんなに恋愛ソング詳しいんだよ!!」
「色々あんだよ」
中学時代、女にモテるために必死で覚えた曲たちだ。
まさかこんなところで役に立つとは思わなかった。
「……ちょっと待って」
それまで黙っていた奈緒が、口を開いた。
「黒川。もう一回、最初の曲弾いて」
「あ? いいけど」
俺は言われたとおりに弾いた。
奈緒は腕を組んで聴いていたが、途中から妙な顔になった。
「……ん?」
「何だよ」
「いや、何でもない。続けて」
俺は最後まで弾いた。
すると奈緒は、今度は俺の顔をじっと見つめた。
「何だよ」
「……あんたさ」
「ん?」
「前にも言ったけど、どっかで見たことあるんだよね」
「そうか?」
「その頭といい、顔といい……」
奈緒が近づいてくる。
顔を覗き込まれた。
「な、なな、何だよ」
「何でどもってんだよ。気持ち悪い」
――ゾクゾクした♡
……いかん。
俺は何か、大事なものを失いつつある気がする。
「……あ」
奈緒が小さく声を上げた。
「……ん?」
「……ああ」
今度は、何かを思い出したようにスマートフォンを取り出す。
画面を操作し始めた。
「ちょっと待ってろ」
「何だよ」
「いいから」
何やら検索している。
しばらくして。
「…………っ」
奈緒の肩が、小さく震えた。
「……奈緒?」
ヒロトが声をかける。
「……っ、いや……」
「どうした?」
「……ふっ」
奈緒が口元を押さえた。
「……ちょ、ちょっと……」
俺は嫌な予感がした。
非常に嫌な予感だった。
「……黒川」
「何だよ」
「……これ……っ」
奈緒がスマートフォンをこちらへ向ける。
画面には、一人の男が映っていた。
黒い服。
長い縮れ毛。
妙に険しい顔。
そして、その男が抱えているのはベース。
見覚えがあった。
というか、俺だった。
「…………」
「……っ、これ……あんただろ……?」
「ああ」
「……っふ……!」
奈緒が下を向いた。
肩が震えている。
「……奈緒?」
「……ちょっと、待って……っ」
「何だよ」
「……あんた……これ……っ」
奈緒は一度、大きく息を吸った。
そして俺を指さした。
「あの……っ、チリチリ恋愛ソング男じゃねえか……!!」
「…………」
ヒロトが、ゆっくりこちらを向いた。
「……純之助?」
「何だよ」
「お前、YouTubeやってたの?」
「まあな」
「何で言わねえんだよ!!」
「別に言うほどのことじゃねえだろ」
「言えよ!! 親友だろぉぉ!!」
「うるせえな」
奈緒はまだ震えていた。
「……っ、やば……」
「何がだよ」
「だって……っ、あんた……」
画面をもう一度見る。
動画の中の俺は、真顔で甘ったるい恋愛ソングを弾いていた。
黒い服に、長い縮れ毛。
おまけに、当時の俺は今よりずっと目つきが悪かった。
確かに、少々曲と見た目が合っていない。
だが、それだけだろう。
「別に普通だろ」
そう言った瞬間。
「普通じゃねえよ!!」
奈緒が噴き出した。
「……っ、だって……こんな……っ、今から人殺しに行きそうな顔して……!」
「おい」
「……っ、何で失恋ソング弾いてんだよ……っ!」
「女に人気の曲だからだろ」
「そこが一番面白えんだよ!!」
とうとう奈緒が腹を抱えた。
ヒロトも画面を覗き込む。
「……ぶっ」
「……ヒロト?」
「ぶっははははは!!」
床に崩れ落ちた。
「純之助ぇぇ!! お前、何やってんだよぉぉ!!」
「ベース弾いてんだろうが」
「分かってるよ!! 何でその顔で恋愛ソングなんだよ!!」
「だからモテるためだって」
「正直すぎんだろぉぉ!!」
ヒロトが笑いながら画面を操作する。
「ちょっと待て! 再生数すげえじゃん!!」
「そうだろ」
「お前、人気者だったんだな!!」
「まあな」
俺は少し胸を張った。
努力が数字になって表れている。
それは素直に誇っていいことだと思っていた。
ところが。
「……ん?」
ヒロトがコメント欄を開いた。
『見た目と曲の温度差で風邪ひく』
『絶対デスメタル始まると思ったのに』
『この人が弾くと告白じゃなくて脅迫に聞こえる』
『今日も恋愛ソングを弾くラスボスを見に来ました』
『演奏は普通に上手いのが余計に面白い』
「…………」
ヒロトの顔が、みるみる歪んだ。
「……純之助」
「何だよ」
「お前……これ……」
「……?」
「ネタにされてんじゃねえかぁぁ!!」
「……は?」
俺はスマートフォンを奪い、コメントを読み直した。
確かに、褒められている。
演奏は上手い。
ベースがいい。
また見に来た。
しかし、その前後に妙な言葉が並んでいる。
『この見た目で純愛バラードなの本当に好き』
『今日も世界を滅ぼさずに恋してくれてありがとう』
『ベースの腕前と選曲のギャップがクセになる』
……待て。
これは、もしかして。
「俺、笑われてたのか?」
「今気づいたのかよぉぉ!!」
ヒロトが床を叩いた。
奈緒はもう声にならないらしい。
「……っ、くくっ……!」
「奈緒」
「……っ、何……?」
「そんなに面白いか?」
「……っ、だって……」
奈緒が顔を上げた。
目尻に涙が浮かんでいる。
「……あんた、ずっと……っ、モテてると思って……!」
「思ってたな」
「あはははは!! 馬鹿じゃねえの!!」
ついに完全に笑い出した。
俺は、その顔を見ていた。
奈緒が、こんなふうに笑うところを初めて見た。
普段は眉間にしわを寄せて、俺たちの演奏に文句を言ってばかりいる。
その奈緒が、今は腹を抱えて笑っている。
……可愛かった。
ひどく可愛かった。
俺の中で、また何かが目覚めそうになった。
「まあ」
俺はベースを抱え直した。
「奈緒がそんなに喜ぶなら、動画上げててよかったわ」
「……っ、は?」
奈緒の笑いが止まった。
「何言ってんだよ、あんた」
「いや、笑ってる方が可愛いなと思って」
「…………」
奈緒の顔が、一瞬だけ固まった。
そして。
「気持ち悪ぃんだよ、このチリチリ野郎!!」
スティックが飛んできた。
「ぐおっ!?」
額に命中した。
――ゾクゾクした♡
「純之助ぇぇ!! お前、何で嬉しそうなんだよぉぉ!!」
「気のせいだろ」
「絶対気のせいじゃねえ!!」
「うるせえな」
奈緒は、まだ少し笑いを引きずっていた。
しかし、すぐにいつもの顔に戻る。
「……で?」
「……ん?」
「文化祭の曲、決まったの?」
「まだだな」
「だったらさっさと決めろよ!! 何遊んでんだよ!!」
「お前が動画見つけたんだろうが!!」
「うるせえ!!」
結局、その日は予定より一時間も長く練習することになった。
もちろん、奈緒の機嫌がよくなることはなかった。
ただ一つだけ、分かったことがある。
あいつは、笑うと本当に可愛い。
……そして俺は、どうやら罵られるのが嫌いではないらしい。
それが、この先の人生にどう影響するのか。
当時の俺は、まだ深く考えないことにしていた。
◇
女子校の文化祭当日。
校門をくぐった瞬間、ヒロトが両手を広げた。
「ここが楽園かぁぁ!!」
「うるせえよ。まだ校門だぞ」
「純之助ぇぇ!! 見ろ!! 右も左も女子だ!!」
「女子校だからな」
「分かってる!! でも感動するだろ!?」
俺たちは朝から浮かれていた。
ちなみに、俺のYouTube動画が奈緒に発見されたのは数日前のことだ。
あれ以来、ヒロトは俺の顔を見るたびに笑う。
奈緒に至っては、俺を名前で呼ぶのすら面倒になったらしい。
『チリチリ恋愛ソング男』
ひどい呼び名だった。
……嫌いではなかったが。
「おい純之助、奈緒のクラスどこだっけ?」
「二年三組だったな」
「よっしゃ!! まず挨拶に行こうぜ!!」
教室の前まで来ると、入口に大きな看板が立っていた。
『おかえりなさいませ♡ 2年3組メイド喫茶』
俺たちは立ち止まった。
「……純之助」
「……ああ」
「奈緒のクラスだよな?」
「そうだな」
「……メイド喫茶?」
「読める」
ヒロトが震える手で俺の肩をつかんだ。
「純之助ぇぇ!! 奇跡だ!!」
「まだ分からん。奈緒が裏方の可能性もある」
「そうか!! 落ち着け俺!!」
俺たちは深呼吸した。
そして教室へ入った。
「いらっしゃいませ、お帰りなさいませ、ご主人さ――」
声が止まった。
俺たちも止まった。
黒と白のメイド服。
フリルのついたエプロン。
頭には小さなカチューシャ。
そこにいたのは、三浦奈緒だった。
「…………」
「…………」
「…………」
奈緒の眉間に、みるみるしわが寄っていく。
「何であんたらが最初の客なんだよ」
俺は胸を押さえた。
まずい。
これは、まずい。
普段の奈緒が可愛いことは知っていた。
だが、これは反則だ。
「……奈緒」
「あ?」
「似合ってるな」
「……は?」
「いや、すげえ可愛い」
「気持ち悪ぃんだよ、このチリチリ!!」
――ゾクゾクした♡
……何だ、これは。
メイド服。
冷たい目。
容赦のない罵倒。
俺の中で、今まで別々だった何かが、恐ろしい勢いで組み合わさっていく。
「……純之助?」
ヒロトが俺の顔を覗き込んだ。
「お前、何でそんな幸せそうなんだ?」
「気のせいだ」
「いや、絶対おかしいぞ!?」
奈緒がメニューをテーブルに叩きつけた。
「注文!! 早く決めろ!!」
「メイド喫茶ってこんな接客なのか!?」
「文句あんなら帰れ!!」
周囲の女子生徒たちが慌てて奈緒を止めに来る。
「奈緒ちゃん! ご主人様には優しく!」
「うるせえ!! こいつらは客じゃねえ!!」
「客だよぉぉ!! 金払うよぉぉ!!」
奈緒は舌打ちした。
そして、クラスメイトに促されるまま、引きつった笑顔を作った。
「……お帰りなさいませ、ご主人様」
俺の心臓が跳ねた。
「……ご注文は、何になさいますか?」
「……オムライス」
「……かしこまりました」
そこまで言って、奈緒の頬がぴくりと動いた。
「……って、何ニヤニヤしてんだよ黒川!!」
「いや」
「キモいんだよ!!」
――ゾクゾクゾクッ♡
……駄目だ。
俺はもう、元の自分には戻れないかもしれない。
「純之助ぇぇ!! お前、今日ずっとおかしいぞぉぉ!!」
ヒロトが叫ぶ。
だが、俺には返事をする余裕がなかった。
奈緒が運んできたオムライスを、じっと見つめる。
「……何だよ」
「ケチャップで何か書いてくれないのか?」
「はぁ!?」
「こう、メイド喫茶らしく」
「自分で書け!!」
奈緒はケチャップの容器を俺の前に置いた。
俺は少し考えてから、オムライスにハートを描いた。
そして、気づいた。
……俺は今、何をしているんだ?
ヒロトが腹を抱えて笑っていた。
「純之助ぇぇ!! お前、完全におかしくなってるぅぅ!!」
奈緒は俺たちを睨みつけた。
「さっさと食って出てけ、この馬鹿ども!!」
……いい店だった。
俺は心の底からそう思った。
◇
その後も、俺たちは文化祭を満喫した。
お化け屋敷ではヒロトが誰よりも叫んだ。
占いコーナーでは、俺たちの恋愛運を見てもらった。
「神崎さんは、近くに強い女性がいますね」
「……え?」
「その人が、恋愛に大きな影響を与えそうです」
ヒロトが奈緒を見た。
奈緒が睨み返した。
「……何?」
「呪いじゃねえかぁぁ!!」
「ぶっ殺すぞ!!」
占い師役の女子生徒が震えていた。
俺の占い結果は、こうだった。
「黒川さんは、意外なところで人気が出るかもしれません」
「……ほう」
「ただし、ご本人が気づかない可能性もあります」
「どういう意味だ?」
俺は、数日前に発覚した動画のコメント欄を思い出した。
……まさか、まだ何かあるのか?
その後、模擬店で食べ物を買い、体育館のステージを覗いた。
ヒロトは終始ご機嫌だった。
奈緒だけは、途中で何度もため息をついていた。
「……あんたら、本当に何しに来たんだよ」
「青春を探しに!!」
「音楽やれよ!!」
午後になり、俺たちはステージに立った。
演奏が始まると、ヒロトは勢いよく歌い、俺はベースを弾き、奈緒は容赦なくドラムを叩いた。
この日のために練習した、普段とは少し違うポップス。
ヒロトは歌いながら何度も客席を見た。
俺も、できるだけ普通のベースラインを心がけた。
奈緒に何度も釘を刺されていたからだ。
『勝手にメタルにしたら、ぶっ殺す』
……分かってるって。
今日はちゃんとやる。
演奏が終わると、客席から歓声が上がった。
何人かの女子生徒が声をかけてくれた。
「神崎くん、歌すごかったね!」
「えっ!? マジ!?」
「黒川くんもベース上手だった!」
「ありがとう」
俺たちは、ようやく確信した。
音楽を続けてきてよかった。
そして、モテるという当初の目的も、ついに実現しつつある。
……と思ったのだが。
「神崎!! さっきの二曲目、サビで走ってただろ!!」
「えっ!? 今!?」
「黒川も!! 最後の入り遅かった!!」
「悪い」
「何へらへらしてんだよ!!」
奈緒の怒鳴り声に、女子生徒たちはそっと離れていった。
ヒロトが、その背中へ手を伸ばす。
「……待って……」
俺も、何も言えなかった。
音楽の神様は、なかなか意地が悪い。
◇
数週間後。
今度は俺たちの高校の文化祭だった。
女子校の文化祭に招待してもらった礼もあり、俺たちは奈緒を誘った。
「……別にいいけど」
奈緒はそう言って、当日やって来た。
いつもの練習着とは違う私服姿だった。
当然、可愛かった。
そして、俺たちは重大な事実を忘れていた。
奈緒は、俺たちの学校の生徒ではない。
つまり、知らない可愛い女の子が、男子生徒二人と一緒に文化祭を回っていることになる。
「ねえ、神崎くん」
クラスの女子が声をかけてきた。
「その子、誰?」
「おう! バンドのドラマー!」
「へえ……彼女?」
「違う違う!」
そのとき。
「神崎!! 次あっち行くぞ!!」
「おう、ちょっと待って!」
「待たねえよ!!」
女子生徒は、何かを察した顔をした。
「……そっか。邪魔しちゃったね」
「いや、だから違うって!!」
その後、射的の屋台へ行った。
「おっ、奈緒! あれ欲しいの?」
ヒロトが景品を指さす。
「……別に」
「よっしゃ! 俺が取ってやる!」
「頼んでねえよ」
ヒロトは何度も外した。
結局、奈緒が自分で取ってしまった。
その様子を見たクラスの女子たちは、
「神崎くん、彼女のために頑張ってるんだ……」
と誤解していた。
次に、俺と奈緒がお化け屋敷へ入った。
奈緒はまったく怖がらず、驚かせに来たお化け役の生徒を逆に怒鳴りつけた。
俺は、その横で妙に嬉しくなっていた。
……ゾクゾクした♡
それを見た女子生徒が、
「黒川くんって、ああいう子がタイプなんだ……」
と、また誤解したらしい。
その後、三人で焼きそばを食べていると、奈緒が俺たちに向かって言った。
「神崎、ソースついてる。黒川、あんたもだよ」
それを見た女子生徒たちが、
「……あの三人、どういう関係?」
と、ひそひそ話していた。
しかし、事態はそれだけでは終わらなかった。
「あの……三浦さん、ですよね?」
見知らぬ女子生徒が奈緒に声をかけた。
「……何?」
「この前のライブ、見ました! ドラム、めちゃくちゃカッコよかったです!」
「……そりゃどうも」
「それに今日の服も可愛いし……よかったら写真撮ってもらえませんか?」
「……は? 私と?」
「はい!」
「……別にいいけど」
女子生徒が嬉しそうに奈緒の隣へ並ぶ。
その様子を、俺たちは呆然と眺めていた。
「……純之助」
「何だよ」
「俺たちの学校だよな、ここ」
「ああ」
「何で奈緒がモテてんの?」
「知らねえよ」
そこへ別の女子生徒までやって来る。
「三浦さん! 私も写真いい?」
「私も! ドラム叩いてるとき、すっごいカッコよかった!」
「……あんたら、変わってんな」
ヒロトが頭を抱えた。
「何でだよぉぉ!! 俺たちの文化祭だぞぉぉ!!」
「うるせえな!! 何だよ急に!!」
「きゃーっ! 怒ってるのもカッコいい!」
「何で怒鳴られて喜んでんだよぉぉ!!」
「……気持ちは分かる」
「純之助!?」
さらに女子生徒たちは、奈緒に尋ねた。
「神崎くんと黒川くんって、どっちが彼氏なの?」
「はぁ!? どっちも違うに決まってんだろ!!」
「えっ、そうなの!? よかった!」
「よかったって何!?」
「だって、三浦さんに彼氏がいたらショックだもん!」
「俺たちじゃなくて奈緒狙いかよぉぉ!!」
結局、奈緒は女子生徒たちに囲まれて、どこかへ連れていかれた。
残された俺たち。
「……純之助」
「何だよ」
「俺たち、何のためにバンド始めたんだっけ」
「女にモテるためだろ」
「だよな」
「ああ」
「何で奈緒だけモテてんだよぉぉ!!」
こうして俺たちのモテ期は、短い生涯を終えた。
セミより短かったかもしれない。
◇
高校三年になっても、奈緒の機嫌がよくなることはなかった。
ヒロトは何度も怒鳴られた。
俺も何度も怒鳴られた。
奈緒は誰より早く練習場に来て、誰より遅くまで残っていた。
ライブの回数は増えた。
演奏も少しずつまともになった。
客も、少しずつ増えた。
そして、彼女はできなかった。
……理由は、言うまでもない。
そんな俺たちにも、卒業の季節が近づいていた。
高校最後の思い出に、ライブハウスで自主企画のライブをやることになった。
店長が、嬉しそうに言った。
「あらぁ、アンタたちも立派になったわねぇ♡」
「店長!! 俺、今日こそ伝説になるから!!」
「ヒロトちゃん、まずはチューニングしなさい♡」
「はい!!」
ライブ当日。
俺とヒロトが会場へ向かっていると、まだ遠くにいるうちから音が聞こえてきた。
ドン、タタッ、ドン、タタンッ。
「……なあ、純之助」
「何だよ」
「また先に来てるな」
「ああ」
ヒロトは、少しだけ笑った。
「……行くか!」
「そうだな」
ライブハウスの扉を開ける。
奈緒は、ステージの上にいた。
俺たちを見るなり、眉を吊り上げる。
「遅えよ!!」
「まだ時間前だろぉぉ!!」
「準備しろって言ってんだよ!!」
「はいはい」
「黒川!! 返事は一回!!」
「はい」
リハーサルの途中、奈緒が俺を呼び止めた。
「黒川。二番のサビ終わり、少し変えるぞ」
「あ? どこを?」
「四小節だけ重くする。あんたの好きな感じでいい。私もキック合わせるから」
「……マジか」
「ただし、次で戻れよ。勝手に延長したらぶっ殺す」
「分かってるって」
思わず笑ってしまった。
奈緒は俺の顔を見て、嫌そうに眉を寄せる。
「……何だよ、気持ち悪ぃな」
――ゾクッ♡
……いや。
今は、それより嬉しいことがある。
俺の好きな音を、奈緒が曲の中に入れてくれた。
それが、たまらなく嬉しかった。
そして本番。
例の四小節に入った瞬間、奈緒のキックが細かく刻まれた。
俺は低音を鳴らす。
十六分のダウンピッキング。
音が重なる。
思わず口元が緩んだ。
ヒロトまで勢いを増して、ギターをかき鳴らす。
客席が沸いた。
次の小節。
奈緒がスティックを振り上げる。
俺たちは、その合図でぴたりと元のリズムへ戻った。
――決まった。
ステージの上で、ヒロトがこちらを向いた。
馬鹿みたいに嬉しそうな顔だった。
俺も、たぶん同じ顔をしていた。
◇
ライブが終わり、機材を片づけていたときだった。
「なあ、純之助!」
「あ?」
「大学行っても、もっとライブ増やそうぜ!」
「当たり前だろ。プロになるんじゃねえのかよ」
「そうだよな!!」
ヒロトが奈緒へ振り向く。
「奈緒もだよな!?」
奈緒は手を止めた。
「……は?」
「だから、大学でも一緒にバンドやろうぜって!」
奈緒は、心底理解できないという顔をした。
「……あんた、何言ってんの?」
「えっ?」
「プロ目指してんだろ?」
「おう!」
「だったら続けるに決まってんじゃねえか。何で今さら確認してんだよ」
「……あ」
「まさか卒業したら終わりとか思ってたのか?」
「思ってねえよ!!」
「だったらくだらねえこと聞くな、クソゼミ!!」
「まだセミって呼ぶのかよぉぉ!!」
俺は笑った。
奈緒は不機嫌そうに機材を持ち上げる。
「ほら、さっさと片づけろよ。次のライブもあるんだから」
……そうだな。
俺たちは、まだ何も成し遂げちゃいない。
高校最後のライブが終わったところで、目指している場所はずっと先にある。
プロになる。
それが、三人で決めた目標だった。
そして俺たちは大学へ進み、そこで四人目のメンバーと出会うことになる。
――相沢昌利。
あいつと出会ってから、俺たちの音楽はさらに変わっていった。
そして、あの奈緒が。
誰よりも恋愛とは縁遠そうだった奈緒が。
まさか、初恋をすることになるとは。
それは、もう少し後の話だ。




