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『あの日、君が祈っていたこと』  作者: 整備士
さよならは、また逢う日まで
19/39

EP19 Sweet Dreams (Are Made of This)

「陽一! 早く早く!」


「待てって! そんなに引っ張るなよ!」


私は陽一の手を引いて、人混みの中を歩いていた。


夏祭り。


通りには屋台がずらりと並び、あちこちから楽しそうな声が聞こえてくる。


今日は久しぶりに陽一とお出かけだ。


あの日から、陽一はあまり笑わなくなってしまった。


だから今日は、絶対に楽しんでもらうって決めている。


「ねえ、何から食べる?」


「加奈の好きなのでいいよ」


「じゃあ、りんご飴!」


「いきなり甘いものかよ」


「いいでしょ、別に!」


そう言うと、陽一が小さく笑った。


……あ。


笑ってくれた。


それだけで、なんだか胸がいっぱいになる。


「……どうした?」


「ううん! 何でもない!」


私はもう一度、陽一の手をぎゅっと握った。


***


「ねえ、陽一」


「ん?」


「今日の私、いつもと違うと思わない?」


私はりんご飴を片手に、くるりと回ってみせた。


お母さんに着せてもらった、お気に入りの浴衣。


髪だって、いつもより時間をかけて結んでもらった。


「……どうかな?」


陽一は少しだけ目を丸くして、それから私をじっと見つめた。


「……うん。すごく似合ってる」


「えへへ、ほんと?」


「うん」


そう答えた陽一は、少し恥ずかしそうに笑った。


でも、目は逸らさなかった。


「……今日の加奈、すごく可愛いよ」


「…………えっ」


思わず、陽一の顔を見返してしまった。


まっすぐに私を見つめる瞳。


少し赤くなった頬。


……うそ。


陽一が、そんなこと言ってくれるなんて。


「……か、可愛い?」


「うん。可愛い」


「…………っ!」


な、なんで二回言うの!?


「そ、そんな真顔で言わないでよ!」


「えっ、なんで?」


「なんでって……!」


もう!


自分から聞いたくせに、いざ言われたらどうしていいか分からない。


「……加奈?」


「……なによ」


「顔、真っ赤だぞ」


「し、知ってるわよ!」


「ははっ!」


陽一が笑った。


久しぶりに聞く、あの笑い声。


「……もう、陽一のバカ」


「なんで俺が怒られるんだよ」


「知らない!」


私は照れ隠しに、りんご飴をかじった。


……甘い。


でも、今はそれどころじゃなかった。


だって、陽一がまだ私を見て笑っているんだもん。


……もう。


そんな顔されたら、もっと好きになっちゃうじゃない。


***


「加奈、こっち!」


「えっ、ちょっと!」


今度は陽一が私の手を引いた。


「射的! あれやろうぜ!」


「えー、陽一、得意なの?」


「まあ見てろって!」


そう言って胸を張った陽一は、三発続けて外した。


「…………」


「…………」


「……ぷっ」


「笑うなよ!」


「あはははっ! 全然当たってないじゃん!」


「次は当てる!」


「もうお小遣いなくなっちゃうよ?」


「あと一回だけ!」


結局、最後の一発で小さな猫のぬいぐるみが落ちた。


「やった!」


陽一は嬉しそうに景品を受け取ると、そのまま私に差し出した。


「ほら」


「……え?」


「加奈にあげる」


「いいの?」


「うん。今日、誘ってくれたお礼」


「…………」


私はぬいぐるみを受け取った。


小さくて、ちょっと不格好な猫。


「……ありがとう」


「どういたしまして」


陽一は照れくさそうに笑った。


……もう。


今日の陽一、なんだかずるい。


***


やがて、夜空に一輪の大きな花が咲いた。


どん、とお腹に響く音。


「わあっ!」


神社の石段に並んで座り、二人で花火を見上げる。


「綺麗だね、陽一」


「うん」


「来年も一緒に来ようね!」


「……うん。絶対来よう」


私はそっと陽一の肩に寄りかかった。


陽一は何も言わなかった。


でも、少しすると、私の手を握ってくれた。


「……加奈」


「なあに?」


「今日、ありがとな」


「どうしたの、急に」


「……久しぶりに、楽しかった」


その言葉を聞いた瞬間、胸の奥がきゅっとなった。


「……そっか」


「うん」


「じゃあ、またいっぱい遊ぼうね」


「……うん」


「約束だよ?」


「約束」


小指を絡める。


陽一が笑っている。


それが嬉しくて、私はもう一度、彼の肩に頭を預けた。


しばらくして、陽一が口を開いた。


「……あのさ、加奈」


「ん?」


「もう一つ、渡したいものがあるんだけど」


「えっ、なになに?」


「……笑うなよ?」


「笑わないよ!」


陽一はポケットをごそごそと探り始めた。


「これ、加奈に――」


***


目が覚めた。


「…………」


天井が見える。


知らない天井。


「…………は?」


しばらく、その天井を見つめていた。


……いや。


ちょっと待って。


「そこまで見せたなら、最後まで見せなさいよ!!」


思わず布団を蹴飛ばした。


「いったぁ!?」


壁に足の小指をぶつけた。


「~~~~っ!!」


痛い。


ものすごく痛い。


「……最悪」


涙目になりながら、もう一度天井を見上げる。


見慣れない部屋。


硬い枕。


薄っぺらい布団。


おまけに、隣の部屋からは何やら騒がしい物音が聞こえてくる。


「……うるさいなぁ、もう」


昨日までは、もっと静かな部屋で眠れていたのに。


そう思ったところで、昨夜の出来事を思い出した。


***


あの夜、私の隠れ家に武装した連中が押しかけてきた。


せっかく気に入っていた部屋だったのに、窓は割れるし、家具は壊れるし、散々だった。


結局、連中を片づけて、必要な荷物だけ持って逃げる羽目になった。


あそこ、日当たりもよかったのになぁ。


近くのパン屋さんも美味しかったし。


古本屋さんだって、まだ読みたい本があったのに。


「……あー、腹立つ!」


しかも、どう考えてもあの情報屋の親父が怪しい。


私の居場所を知っている人間なんて、そう多くない。


最後に会ったときも、妙にそわそわしていた。


……絶対、あいつだ。


***


「……よし」


私は布団から起き上がった。


まずは顔を洗う。


水が冷たい。


「つめたっ! ……お湯くらい出なさいよ」


髪をとかす。


いつも使っていた鏡と違って、妙に小さい。


「……見にくい」


朝食に買っておいたパンを取り出す。


少し硬くなっていた。


「……昨日買ったばっかなのに」


何なの、もう。


ひとつくらい、まともなものはないの?


それでも身支度を終えると、私はいつものように手を合わせた。


目を閉じ、静かに祈る。


……。


……。


「……よし」


目を開ける。


今日こそ、あの親父を見つけてやる。


***


情報屋の店に着いたのは、午前中のことだった。


「……あれ?」


扉が開いている。


不用心だなぁ。


中を覗くと、いつもの机も椅子もそのまま残っていた。


書類が積まれた棚も、飲みかけの酒瓶もある。


でも、肝心の親父がいない。


「おーい」


返事はない。


「……いないの?」


奥の部屋も覗いてみた。


誰もいない。


「…………」


もう一度、店内を見渡す。


荷物はほとんど残っている。


なのに、人だけがいない。


「……逃げたな、あのクソ親父」


私の居場所を売って、報復が怖くなって逃げ出した。


きっとそうだ。


「……絶対見つけてやるんだから」


私は店を後にした。


***


それから、親父が顔を出しそうな場所を片っ端から回った。


酒場。


古道具屋。


裏通りの露店。


以前、親父が出入りしていたという店にも足を運んだ。


でも、どこへ行っても返事は同じ。


「知らないねえ」


「最近見てないな」


「さあ、どこ行ったんだろうな」


……使えない。


どいつもこいつも、本当に使えない。


昼を過ぎた頃、私は路地裏の小さなリサイクルショップに入った。


店先には錆びた自転車や、脚の折れた椅子が積み上げられている。


店内も似たようなものだった。


年代物の時計、壊れた扇風機、何に使うのか分からない機械。


……これ、売り物なの?


奥からは、古びたラジオの陽気な歌謡曲が聞こえていた。


「いらっしゃい。買い取りか?」


カウンターの奥から、無精ひげを生やした親父が顔を出した。


頭は少し禿げかかっていて、くたびれたシャツを着ている。


「ちょっと聞きたいことがあるんだけど」


「なんだ、客じゃねえのかよ」


「情報も売ってるんでしょ?」


「……へえ。誰から聞いた?」


「そんなことより、人を探してるの」


「ったく、最近のガキは挨拶もできねえのか」


親父は面倒くさそうに椅子へ座り直した。


「で、誰だよ」


私は探している情報屋の特徴を伝えた。


「ああ、あいつか。今日は見てねぇな」


「どこに行ったか知らない?」


「さあなぁ」


「ほかに何か知らない?」


「知らねえって。そういや、さっきも似たようなこと聞いてきたねぇちゃんがいたぞ」


「……ねぇちゃん?」


「ああ。背が高くて、スタイルもよくてな。なかなかの美人だったぜ」


「ふーん。その人も親父を探してたの?」


「そうみたいだな。愛想もよかったし、いいねぇちゃんだったなぁ。お前の知り合いか?」


「知らない。それより、あの親父が行きそうな場所とか――」


「あー、知らねえ知らねえ。しつけえなぁ」


親父は面倒くさそうに手を振った。


「ったく、お前みてえな無愛想で、まな板みてえな胸した乳臭えガキの相手してるより、さっきのねぇちゃんと話してた方が百倍楽しかったぜ」


「…………は?」


「なんだよ、その顔は」


「……今、何て言った?」


「耳まで悪いのか? 無愛想で、まな板で、乳臭えガキだっつったんだよ」


「…………っ!」


こ、このクソ親父……!


「だいたい、聞き込みってのはもうちっと愛想よくするもんだろ。そんな仏頂面で睨まれたって、教える気にならねえよ」


「……あんたみたいなクソ親父に振りまく愛想なんて、持ち合わせてないのよ」


「あん?」


「聞こえなかった? 耳の穴にクソでも詰まってんの?」


親父の眉がぴくりと動いた。


「……へえ。ずいぶん威勢がいいじゃねえか、嬢ちゃん」


「そっちが喧嘩売ってきたんでしょ」


「はっ! その減らず口、母ちゃんに躾けてもらわなかったのか?」


「…………」


私は親父をじっと見つめた。


そして、にっこり笑った。


「……ねえ、おじさん」


「ああ?」


「その腐った脳みそ、もう一度ママに作り直してもらってきな。マザーファッカー」


「…………」


一瞬、店内が静かになった。


古びたラジオから、陽気な歌だけが流れている。


「……ぶっはははは!!」


親父は突然、腹を抱えて笑い出した。


「おいおい! どこでそんな汚ねえ言葉覚えてきたんだ、このクソガキ!」


「クソガキじゃないわよ!」


「がはは! いいねえ! 口の悪さだけなら一人前じゃねえか!」


「……あんたに褒められても嬉しくないんだけど」


「へっ。まあ、胸の方はまだまだ半人前みてえだがな!」


「~~~~っ!!」


こいつ……!


「……もういい。お邪魔しました!」


「おう、二度と来んなよ! 次はもうちっと愛想よくしろ、お嬢ちゃん!」


私は出口へ向かい、扉に手をかけた。


そして最後に振り返る。


「……ああ、そうだ」


「あん?」


私は親父に向かって、にっこり笑った。


そして、思いっきり中指を立ててやった。


「くたばれ、クソ野郎!」


「がははは! お前、ほんっとに可愛げのねえガキだな!」


バタン!


私は勢いよく扉を閉めた。


一歩、二歩、三歩。


「……あのクソ親父ぃぃ!!」


店の脇にあった木箱を思いっきり蹴飛ばした。


ガンッ!!


「いっっったぁぁぁぁ!?」


木箱の下から飛び出していた鉄の金具に、小指が直撃した。


「~~~~~~っ!!」


いったい!!


なんでまた小指なのよ!!


私はその場にしゃがみ込み、足を押さえた。


そのとき、背後で扉が開いた。


「……おい、何の騒ぎだ?」


「…………っ!」


「なんだ、まだいたのか。お前」


親父は私の足元と木箱を見比べた。


「……はっ。何だよ、ガラクタに喧嘩売って返り討ちか?」


「う、うるさい……!」


「そりゃ傑作だ。うちの店じゃ壊れたラジオでももうちっとマシな喧嘩するぜ」


「……この、クソ親父……!」


「おいおい、そんな怖え顔すんなよ。せっかくの可愛いツラが台無しだぜ」


「……は?」


「まあ、胸は台無しになるほどありゃしねえけどな」


「ぶっ殺すわよ!!」


「はっ! いいねえ、その威勢。で、次はどのガラクタに負けるつもりだ?」


「~~~~っ!!」


私は立ち上がろうとした。


「いっだぁぁぁ!!」


小指に体重がかかって、再びしゃがみ込む。


「がはははは!!」


親父は腹を抱えて笑った。


「おいおい、勘弁してくれよ! こっちはまだ何もしてねえぞ!」


「……覚えてなさいよ、このクソ親父……!」


「おう、覚えといてやるよ。うちの店でガラクタに負けた、口だけ達者なチビ助ってな」


バタン!


親父は笑いながら扉を閉めた。


「…………」


……殺す。


いつか絶対、あのクソ親父をぶん殴ってやる。


……でも、その前に。


「……痛いぃぃ……」


***


夕方になっても、情報屋の親父は見つからなかった。


あれから何軒も店を回った。


親父の知り合いだという男にも会った。


以前使っていたという宿にも行ってみた。


全部、空振り。


「……はぁ」


足が重い。


お腹も空いた。


朝からずっと歩きっぱなしだ。


しかも、途中で買った串焼きは冷めていたし、近道しようと入った路地は行き止まりだった。


……何なの、今日。


何か悪いことした?


……いや。


したけど。


それとこれとは別でしょ。


「……あーもう!」


結局、日が暮れるまで探し回ったけれど、何の手掛かりも得られなかった。


あの親父、いったいどこまで逃げたのよ。


見つけたら絶対に文句言ってやる。


***


部屋に戻った頃には、すっかり夜になっていた。


靴を脱ぎ、荷物を置く。


「……疲れたぁ」


そのままベッドに倒れ込んだ。


ぎしっ、と嫌な音がした。


「……壊れないでしょうね、これ」


仰向けになって、天井を見上げる。


朝と同じ、見慣れない天井。


結局、何一つうまくいかなかった。


住み慣れた部屋は失った。


情報屋には逃げられた。


一日中歩き回って、手掛かりはゼロ。


おまけに、知らない親父から散々な言われよう。


「……はぁぁぁ」


大きなため息が漏れた。


せめて、今朝の夢の続きを見られたらなぁ。


陽一の顔を思い出す。


久しぶりに見た、あの笑顔。


浴衣を褒めてくれたときの、少し照れくさそうな表情。


「……ふふっ」


思わず頬が緩んだ。


……。


……あ。


そうだ。


指輪。


私は大切にしまっていた青い石の指輪を取り出した。


指先でそっと撫でる。


「……陽一」


小さく名前を呼んだ。


……。


しばらく指輪を眺めてから、私は枕に顔を埋めた。


「……あーもう!」


硬い。


やっぱり、この枕は硬い。


「……ねえ、神様」


私は天井を睨んだ。


「アメとムチって言葉、知ってる?」


当然、返事はない。


「…………」


「ムチ、多すぎない!?」


私の声だけが、狭い部屋に響いた。


……ほんっと、最悪な一日だった。

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