EP19 Sweet Dreams (Are Made of This)
「陽一! 早く早く!」
「待てって! そんなに引っ張るなよ!」
私は陽一の手を引いて、人混みの中を歩いていた。
夏祭り。
通りには屋台がずらりと並び、あちこちから楽しそうな声が聞こえてくる。
今日は久しぶりに陽一とお出かけだ。
あの日から、陽一はあまり笑わなくなってしまった。
だから今日は、絶対に楽しんでもらうって決めている。
「ねえ、何から食べる?」
「加奈の好きなのでいいよ」
「じゃあ、りんご飴!」
「いきなり甘いものかよ」
「いいでしょ、別に!」
そう言うと、陽一が小さく笑った。
……あ。
笑ってくれた。
それだけで、なんだか胸がいっぱいになる。
「……どうした?」
「ううん! 何でもない!」
私はもう一度、陽一の手をぎゅっと握った。
***
「ねえ、陽一」
「ん?」
「今日の私、いつもと違うと思わない?」
私はりんご飴を片手に、くるりと回ってみせた。
お母さんに着せてもらった、お気に入りの浴衣。
髪だって、いつもより時間をかけて結んでもらった。
「……どうかな?」
陽一は少しだけ目を丸くして、それから私をじっと見つめた。
「……うん。すごく似合ってる」
「えへへ、ほんと?」
「うん」
そう答えた陽一は、少し恥ずかしそうに笑った。
でも、目は逸らさなかった。
「……今日の加奈、すごく可愛いよ」
「…………えっ」
思わず、陽一の顔を見返してしまった。
まっすぐに私を見つめる瞳。
少し赤くなった頬。
……うそ。
陽一が、そんなこと言ってくれるなんて。
「……か、可愛い?」
「うん。可愛い」
「…………っ!」
な、なんで二回言うの!?
「そ、そんな真顔で言わないでよ!」
「えっ、なんで?」
「なんでって……!」
もう!
自分から聞いたくせに、いざ言われたらどうしていいか分からない。
「……加奈?」
「……なによ」
「顔、真っ赤だぞ」
「し、知ってるわよ!」
「ははっ!」
陽一が笑った。
久しぶりに聞く、あの笑い声。
「……もう、陽一のバカ」
「なんで俺が怒られるんだよ」
「知らない!」
私は照れ隠しに、りんご飴をかじった。
……甘い。
でも、今はそれどころじゃなかった。
だって、陽一がまだ私を見て笑っているんだもん。
……もう。
そんな顔されたら、もっと好きになっちゃうじゃない。
***
「加奈、こっち!」
「えっ、ちょっと!」
今度は陽一が私の手を引いた。
「射的! あれやろうぜ!」
「えー、陽一、得意なの?」
「まあ見てろって!」
そう言って胸を張った陽一は、三発続けて外した。
「…………」
「…………」
「……ぷっ」
「笑うなよ!」
「あはははっ! 全然当たってないじゃん!」
「次は当てる!」
「もうお小遣いなくなっちゃうよ?」
「あと一回だけ!」
結局、最後の一発で小さな猫のぬいぐるみが落ちた。
「やった!」
陽一は嬉しそうに景品を受け取ると、そのまま私に差し出した。
「ほら」
「……え?」
「加奈にあげる」
「いいの?」
「うん。今日、誘ってくれたお礼」
「…………」
私はぬいぐるみを受け取った。
小さくて、ちょっと不格好な猫。
「……ありがとう」
「どういたしまして」
陽一は照れくさそうに笑った。
……もう。
今日の陽一、なんだかずるい。
***
やがて、夜空に一輪の大きな花が咲いた。
どん、とお腹に響く音。
「わあっ!」
神社の石段に並んで座り、二人で花火を見上げる。
「綺麗だね、陽一」
「うん」
「来年も一緒に来ようね!」
「……うん。絶対来よう」
私はそっと陽一の肩に寄りかかった。
陽一は何も言わなかった。
でも、少しすると、私の手を握ってくれた。
「……加奈」
「なあに?」
「今日、ありがとな」
「どうしたの、急に」
「……久しぶりに、楽しかった」
その言葉を聞いた瞬間、胸の奥がきゅっとなった。
「……そっか」
「うん」
「じゃあ、またいっぱい遊ぼうね」
「……うん」
「約束だよ?」
「約束」
小指を絡める。
陽一が笑っている。
それが嬉しくて、私はもう一度、彼の肩に頭を預けた。
しばらくして、陽一が口を開いた。
「……あのさ、加奈」
「ん?」
「もう一つ、渡したいものがあるんだけど」
「えっ、なになに?」
「……笑うなよ?」
「笑わないよ!」
陽一はポケットをごそごそと探り始めた。
「これ、加奈に――」
***
目が覚めた。
「…………」
天井が見える。
知らない天井。
「…………は?」
しばらく、その天井を見つめていた。
……いや。
ちょっと待って。
「そこまで見せたなら、最後まで見せなさいよ!!」
思わず布団を蹴飛ばした。
「いったぁ!?」
壁に足の小指をぶつけた。
「~~~~っ!!」
痛い。
ものすごく痛い。
「……最悪」
涙目になりながら、もう一度天井を見上げる。
見慣れない部屋。
硬い枕。
薄っぺらい布団。
おまけに、隣の部屋からは何やら騒がしい物音が聞こえてくる。
「……うるさいなぁ、もう」
昨日までは、もっと静かな部屋で眠れていたのに。
そう思ったところで、昨夜の出来事を思い出した。
***
あの夜、私の隠れ家に武装した連中が押しかけてきた。
せっかく気に入っていた部屋だったのに、窓は割れるし、家具は壊れるし、散々だった。
結局、連中を片づけて、必要な荷物だけ持って逃げる羽目になった。
あそこ、日当たりもよかったのになぁ。
近くのパン屋さんも美味しかったし。
古本屋さんだって、まだ読みたい本があったのに。
「……あー、腹立つ!」
しかも、どう考えてもあの情報屋の親父が怪しい。
私の居場所を知っている人間なんて、そう多くない。
最後に会ったときも、妙にそわそわしていた。
……絶対、あいつだ。
***
「……よし」
私は布団から起き上がった。
まずは顔を洗う。
水が冷たい。
「つめたっ! ……お湯くらい出なさいよ」
髪をとかす。
いつも使っていた鏡と違って、妙に小さい。
「……見にくい」
朝食に買っておいたパンを取り出す。
少し硬くなっていた。
「……昨日買ったばっかなのに」
何なの、もう。
ひとつくらい、まともなものはないの?
それでも身支度を終えると、私はいつものように手を合わせた。
目を閉じ、静かに祈る。
……。
……。
「……よし」
目を開ける。
今日こそ、あの親父を見つけてやる。
***
情報屋の店に着いたのは、午前中のことだった。
「……あれ?」
扉が開いている。
不用心だなぁ。
中を覗くと、いつもの机も椅子もそのまま残っていた。
書類が積まれた棚も、飲みかけの酒瓶もある。
でも、肝心の親父がいない。
「おーい」
返事はない。
「……いないの?」
奥の部屋も覗いてみた。
誰もいない。
「…………」
もう一度、店内を見渡す。
荷物はほとんど残っている。
なのに、人だけがいない。
「……逃げたな、あのクソ親父」
私の居場所を売って、報復が怖くなって逃げ出した。
きっとそうだ。
「……絶対見つけてやるんだから」
私は店を後にした。
***
それから、親父が顔を出しそうな場所を片っ端から回った。
酒場。
古道具屋。
裏通りの露店。
以前、親父が出入りしていたという店にも足を運んだ。
でも、どこへ行っても返事は同じ。
「知らないねえ」
「最近見てないな」
「さあ、どこ行ったんだろうな」
……使えない。
どいつもこいつも、本当に使えない。
昼を過ぎた頃、私は路地裏の小さなリサイクルショップに入った。
店先には錆びた自転車や、脚の折れた椅子が積み上げられている。
店内も似たようなものだった。
年代物の時計、壊れた扇風機、何に使うのか分からない機械。
……これ、売り物なの?
奥からは、古びたラジオの陽気な歌謡曲が聞こえていた。
「いらっしゃい。買い取りか?」
カウンターの奥から、無精ひげを生やした親父が顔を出した。
頭は少し禿げかかっていて、くたびれたシャツを着ている。
「ちょっと聞きたいことがあるんだけど」
「なんだ、客じゃねえのかよ」
「情報も売ってるんでしょ?」
「……へえ。誰から聞いた?」
「そんなことより、人を探してるの」
「ったく、最近のガキは挨拶もできねえのか」
親父は面倒くさそうに椅子へ座り直した。
「で、誰だよ」
私は探している情報屋の特徴を伝えた。
「ああ、あいつか。今日は見てねぇな」
「どこに行ったか知らない?」
「さあなぁ」
「ほかに何か知らない?」
「知らねえって。そういや、さっきも似たようなこと聞いてきたねぇちゃんがいたぞ」
「……ねぇちゃん?」
「ああ。背が高くて、スタイルもよくてな。なかなかの美人だったぜ」
「ふーん。その人も親父を探してたの?」
「そうみたいだな。愛想もよかったし、いいねぇちゃんだったなぁ。お前の知り合いか?」
「知らない。それより、あの親父が行きそうな場所とか――」
「あー、知らねえ知らねえ。しつけえなぁ」
親父は面倒くさそうに手を振った。
「ったく、お前みてえな無愛想で、まな板みてえな胸した乳臭えガキの相手してるより、さっきのねぇちゃんと話してた方が百倍楽しかったぜ」
「…………は?」
「なんだよ、その顔は」
「……今、何て言った?」
「耳まで悪いのか? 無愛想で、まな板で、乳臭えガキだっつったんだよ」
「…………っ!」
こ、このクソ親父……!
「だいたい、聞き込みってのはもうちっと愛想よくするもんだろ。そんな仏頂面で睨まれたって、教える気にならねえよ」
「……あんたみたいなクソ親父に振りまく愛想なんて、持ち合わせてないのよ」
「あん?」
「聞こえなかった? 耳の穴にクソでも詰まってんの?」
親父の眉がぴくりと動いた。
「……へえ。ずいぶん威勢がいいじゃねえか、嬢ちゃん」
「そっちが喧嘩売ってきたんでしょ」
「はっ! その減らず口、母ちゃんに躾けてもらわなかったのか?」
「…………」
私は親父をじっと見つめた。
そして、にっこり笑った。
「……ねえ、おじさん」
「ああ?」
「その腐った脳みそ、もう一度ママに作り直してもらってきな。マザーファッカー」
「…………」
一瞬、店内が静かになった。
古びたラジオから、陽気な歌だけが流れている。
「……ぶっはははは!!」
親父は突然、腹を抱えて笑い出した。
「おいおい! どこでそんな汚ねえ言葉覚えてきたんだ、このクソガキ!」
「クソガキじゃないわよ!」
「がはは! いいねえ! 口の悪さだけなら一人前じゃねえか!」
「……あんたに褒められても嬉しくないんだけど」
「へっ。まあ、胸の方はまだまだ半人前みてえだがな!」
「~~~~っ!!」
こいつ……!
「……もういい。お邪魔しました!」
「おう、二度と来んなよ! 次はもうちっと愛想よくしろ、お嬢ちゃん!」
私は出口へ向かい、扉に手をかけた。
そして最後に振り返る。
「……ああ、そうだ」
「あん?」
私は親父に向かって、にっこり笑った。
そして、思いっきり中指を立ててやった。
「くたばれ、クソ野郎!」
「がははは! お前、ほんっとに可愛げのねえガキだな!」
バタン!
私は勢いよく扉を閉めた。
一歩、二歩、三歩。
「……あのクソ親父ぃぃ!!」
店の脇にあった木箱を思いっきり蹴飛ばした。
ガンッ!!
「いっっったぁぁぁぁ!?」
木箱の下から飛び出していた鉄の金具に、小指が直撃した。
「~~~~~~っ!!」
いったい!!
なんでまた小指なのよ!!
私はその場にしゃがみ込み、足を押さえた。
そのとき、背後で扉が開いた。
「……おい、何の騒ぎだ?」
「…………っ!」
「なんだ、まだいたのか。お前」
親父は私の足元と木箱を見比べた。
「……はっ。何だよ、ガラクタに喧嘩売って返り討ちか?」
「う、うるさい……!」
「そりゃ傑作だ。うちの店じゃ壊れたラジオでももうちっとマシな喧嘩するぜ」
「……この、クソ親父……!」
「おいおい、そんな怖え顔すんなよ。せっかくの可愛いツラが台無しだぜ」
「……は?」
「まあ、胸は台無しになるほどありゃしねえけどな」
「ぶっ殺すわよ!!」
「はっ! いいねえ、その威勢。で、次はどのガラクタに負けるつもりだ?」
「~~~~っ!!」
私は立ち上がろうとした。
「いっだぁぁぁ!!」
小指に体重がかかって、再びしゃがみ込む。
「がはははは!!」
親父は腹を抱えて笑った。
「おいおい、勘弁してくれよ! こっちはまだ何もしてねえぞ!」
「……覚えてなさいよ、このクソ親父……!」
「おう、覚えといてやるよ。うちの店でガラクタに負けた、口だけ達者なチビ助ってな」
バタン!
親父は笑いながら扉を閉めた。
「…………」
……殺す。
いつか絶対、あのクソ親父をぶん殴ってやる。
……でも、その前に。
「……痛いぃぃ……」
***
夕方になっても、情報屋の親父は見つからなかった。
あれから何軒も店を回った。
親父の知り合いだという男にも会った。
以前使っていたという宿にも行ってみた。
全部、空振り。
「……はぁ」
足が重い。
お腹も空いた。
朝からずっと歩きっぱなしだ。
しかも、途中で買った串焼きは冷めていたし、近道しようと入った路地は行き止まりだった。
……何なの、今日。
何か悪いことした?
……いや。
したけど。
それとこれとは別でしょ。
「……あーもう!」
結局、日が暮れるまで探し回ったけれど、何の手掛かりも得られなかった。
あの親父、いったいどこまで逃げたのよ。
見つけたら絶対に文句言ってやる。
***
部屋に戻った頃には、すっかり夜になっていた。
靴を脱ぎ、荷物を置く。
「……疲れたぁ」
そのままベッドに倒れ込んだ。
ぎしっ、と嫌な音がした。
「……壊れないでしょうね、これ」
仰向けになって、天井を見上げる。
朝と同じ、見慣れない天井。
結局、何一つうまくいかなかった。
住み慣れた部屋は失った。
情報屋には逃げられた。
一日中歩き回って、手掛かりはゼロ。
おまけに、知らない親父から散々な言われよう。
「……はぁぁぁ」
大きなため息が漏れた。
せめて、今朝の夢の続きを見られたらなぁ。
陽一の顔を思い出す。
久しぶりに見た、あの笑顔。
浴衣を褒めてくれたときの、少し照れくさそうな表情。
「……ふふっ」
思わず頬が緩んだ。
……。
……あ。
そうだ。
指輪。
私は大切にしまっていた青い石の指輪を取り出した。
指先でそっと撫でる。
「……陽一」
小さく名前を呼んだ。
……。
しばらく指輪を眺めてから、私は枕に顔を埋めた。
「……あーもう!」
硬い。
やっぱり、この枕は硬い。
「……ねえ、神様」
私は天井を睨んだ。
「アメとムチって言葉、知ってる?」
当然、返事はない。
「…………」
「ムチ、多すぎない!?」
私の声だけが、狭い部屋に響いた。
……ほんっと、最悪な一日だった。




