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『あの日、君が祈っていたこと』  作者: 整備士
さよならは、また逢う日まで
18/35

EP18 寄り道

「陽一さん! 早く帰りますよ!」


終業時間を告げるチャイムが鳴った途端、神崎が大声を上げた。


「……何だよ、いきなり」


「何だよじゃないっすよ! 今日こそ完成させるんでしょう!?」


「ああ。だからってそんなに急ぐことないだろ」


「何言ってんすか! 俺、昨日から楽しみで全然寝られなかったんすよ!」


「……仕事中、やけに眠そうだったのはそれか」


「じゃ、先行ってます!!」


「おい、まだ片付けが――」


最後まで言い終わる前に、神崎は走り去っていった。


「……早く帰れって言ったのはお前だろ」


まったく、忙しいやつだ。


俺は残った道具を片付けながら、思わず苦笑した。


神崎が持ち込んだFTR250。


最初は見るも無残な姿だったが、仕事終わりに二人で少しずつ手を入れてきたおかげで、ようやく完成が見えてきた。


足りない部品を探し、配線を引き直し、保安部品を取り付ける。


途中、ウインカーが左右逆に点灯したときは、神崎が配線図を前に頭を抱えていた。


あれも今となっては笑い話だ。


昨日までに組み付けはすべて終わっている。


必要な手続きも済ませ、ナンバーも取得してあった。


あとはブレーキフルードを交換して、エア抜きを済ませれば完成だ。


それにしても、あいつ。


本当に嬉しそうだったな。


*


帰宅すると、神崎は既にFTRの横で待ち構えていた。


「遅いっすよ、陽一さん!」


「……お前が早すぎるんだよ」


「準備はバッチリっす!」


「分かったから落ち着け」


神崎は工具を並べ、フルードの缶まで用意していた。


「じゃあ、始めるぞ」


「うっす!」


リザーバータンクに新しいフルードを注ぎ、ブレーキレバーを何度も握る。


神崎にレバーを操作させながら、俺はブリーダーから古いフルードと空気を抜いていった。


「握れ」


「はい!」


「そのまま」


「うっす!」


「……離していいぞ」


そんな作業を何度も繰り返す。


やがて気泡も出なくなり、レバーにしっかりとした手応えが戻ってきた。


「……よし。こんなもんだな」


「……え?」


「終わりだよ」


「…………」


神崎はしばらく黙ってFTRを見つめていた。


「……マジっすか?」


「ああ。最後に漏れがないか確認して、ブレーキの効きも確かめれば終わりだ」


各部を確認し、問題がないことを確かめる。


「……よし。完成だ」


「…………」


「神崎?」


「……っしゃああああああ!!」


突然、神崎が両手を突き上げた。


「やった!! やりましたよ陽一さん!!」


「うるせえ! 近所迷惑だ!」


「だって! だって俺のバイクっすよ!? ついに走れるんすよ!?」


「分かったから!」


神崎はFTRの周りをぐるぐる回り始めた。


……犬か、こいつは。


ひとしきり騒いだ後、神崎は勢いよくこちらを振り向いた。


「陽一さん!」


「……何だよ」


「走りに行きましょう!」


「……今からか?」


「今からっす!」


空を見上げる。


日は随分傾いていたが、まだ明るさは残っていた。


「……ちょっとだけだぞ」


「もちろんっす!!」


……本当に分かってるんだろうか。


*


二台のエンジン音が、夕方の住宅街に響いた。


俺のCB750Fと、神崎のFTR250。


神崎は何度も自分のバイクを見下ろしては、嬉しそうに笑っていた。


信号待ちで隣に並ぶ。


「陽一さん!」


「何だ?」


「最高っすね!!」


「……まだ五分も走ってないぞ」


「五分でも最高っす!!」


信号が青に変わる。


俺が先に走り出すと、神崎も後ろについてきた。


ミラー越しに様子を確認する。


……何だ、あいつ。


さっきからやけに左右に揺れている。


右へ。


左へ。


また右へ。


まるでバイクに乗ったまま踊っているようだった。


「……何やってんだ?」


次の瞬間、FTRがぐらりと傾いた。


「おい!?」


神崎が慌ててハンドルを立て直す。


車体が一瞬ふらついたものの、どうにか持ち直したらしい。


……危ねえな。


次の信号で止まると、神崎が隣に並んできた。


「……お前、今コケかけただろ」


「…………」


「神崎?」


「……いやあ、バイクって楽しいっすね!」


「誤魔化すな!」


「ちょっとテンション上がっちゃいまして!」


「ちょっとじゃねえだろ。普通に走れ!」


「うっす!」


そう返事をした神崎は、今度こそ大人しく走り始めた。


……最初からそうしろよ。


しばらく走ると、潮の匂いが漂ってきた。


海が近い。


夕日に照らされた水面が、遠くでゆっくりと輝いていた。


見慣れた景色だった。


けれど、こうして誰かと一緒に走るのは久しぶりな気がする。


俺は少しだけアクセルを開けた。


*


海辺の駐車場に二台を停めた。


神崎はヘルメットを脱ぐなり、大きく伸びをした。


「くぅーっ! 最高っすね!」


「さっきからそればっかりだな」


「いや、マジで最高なんすよ!」


「……そうかよ」


駐車場の端にある自動販売機で、缶コーヒーを二本買った。


一本を神崎に投げ渡す。


「おっと! あざっす!」


二人で浜辺の方へ歩き、適当な場所に腰を下ろした。


波が静かに寄せては返している。


夕日はもう水平線の向こうへ沈みかけていた。


プルタブを開け、コーヒーを一口飲む。


「……うまいっすねえ」


「そうだな」


「いやあ、ほんと陽一さんには感謝してるっすよ」


「……急にどうした?」


「だって、陽一さんがいなかったら、あのFTRまだバラバラだったと思いますもん」


「お前も随分頑張ってたじゃねえか」


「まあ、そうっすけど!」


神崎は照れくさそうに笑った。


「……また来ましょうよ、ここ」


「ああ。いいな」


「今度はもっとゆっくり走りたいっすね」


「だったら休みの日だな」


「それなら、いっそのこと泊まりで行きません?」


「泊まり?」


「そうっす! せっかくだし、バンドの連中も誘って!」


「……みんなバイク持ってるのか?」


「持ってますよ! 全員!」


「へえ」


「みんなでツーリングして、うまいもん食って、温泉でも入って! 最高じゃないっすか!」


「……楽しそうだな」


「でしょ!? じゃあ決まりっすね!」


「まだ誰にも聞いてないだろ」


「大丈夫っすよ! あいつら暇なんで!」


「勝手に決めるなよ……」


神崎は楽しそうに笑った。


そういえば、あいつらとはまだ知り合って間もない。


ライブで演奏を聴き、打ち上げに参加して、奈緒さんにはドラムまで教わっている。


けれど、昔のことはほとんど知らなかった。


「……そういや、お前らのバンドっていつからやってるんだ?」


「高校の頃っすね。最初は俺と黒川の二人だったんすよ」


「へえ。黒川さんとは長いんだな」


「そうっす。あいつ、昔からあんな感じなんすよ。何考えてんのか分かんないし、返事も適当だし」


「……今と変わらないんだな」


「全然変わんないっすね」


神崎は笑いながらコーヒーを飲んだ。


「で、途中から奈緒が入ってきたんすけど……」


そこで、神崎の表情が変わった。


「……どうした?」


「陽一さん」


「何だよ」


「あの頃の奈緒は、マジでヤバかったっす」


「……そんなに?」


「ヤバいなんてもんじゃないっすよ! 今の奈緒なんか、あれでも相当丸くなった方なんすから!」


「……そうなのか?」


「もう鬼っすよ、鬼! まともに会話できなかったっすからね!」


「ははっ。大げさだな」


「いやいや! ちょっと当時の奈緒を再現してみますね!」


「……再現?」


神崎は飲みかけの缶コーヒーを地面に置いた。


そして突然立ち上がると、両足を大きく開いた。


「……何してんだ?」


「ちょっと待ってください。喉作ってるんで」


「……喉?」


神崎は大きく息を吸い込み、何度か咳払いをした。


それから首を左右に振り、腰を落とす。


「……よし。いきますよ」


「お、おう」


「これが当時の奈緒っす!」


次の瞬間。


神崎は腹の底から、凄まじいデスボイスを響かせた。


「ヴォ゛ォ゛ォ゛イ!! テメ゛ェ゛ラ゛ァ゛!! レ゛ン゛シュ゛ウ゛シ゛テ゛キ゛タ゛ン゛ダ゛ロ゛ウ゛ナ゛ァ゛!!」


「ぶっ!?」


思わずコーヒーを吹きそうになった。


「カ゛ン゛ザ゛キ゛ィ゛!! キ゛タ゛ァ゛ヘ゛タ゛ク゛ソ゛ォ゛!!」


「ははははっ! 待て待て!」


「ク゛ロ゛カ゛ワ゛ァ゛!! ヘ゛ェ゛ス゛ユ゛カ゛マ゛セ゛ン゛ナ゛ァ゛!!」


「何言ってんのか分かんねえよ!」


「ヴォ゛ォ゛ォ゛ォ゛!!」


「はははっ! 最後の何だよ!」


神崎はぴたりと動きを止めた。


そして何事もなかったかのように缶コーヒーを拾い上げた。


「『もう一回、頭から合わせるぞ』っす」


「分かるかそんなもん!」


「いやあ、懐かしいっすね。毎日こんな感じだったんすよ」


「はははっ! お前、絶対盛ってるだろ!」


「何言ってんすか! ほぼ完コピっすよ!」


「……本人に聞いてみるか?」


「それだけはマジでやめてください!!」


神崎が慌ててこちらを向いた。


その必死な顔がおかしくて、また笑ってしまう。


「はははっ! そんなに怖いのかよ!」


「怖いっすよ! 今でも怒らせたらヤバいんすから!」


「……じゃあ、なんでそんな物真似するんだよ」


「本人がいないからに決まってるじゃないっすか!」


「最低だな、お前!」


「陽一さんだって笑ってたじゃないっすか!」


「……ははっ、まあな」


しばらく二人で笑っていた。


神崎は缶コーヒーを飲み干すと、海の方へ顔を向けた。


「……でもまあ、奈緒がいなかったら今の俺はいないっすね」


「……そうなのか?」


「ええ。散々怒られましたけど、あいつのおかげでちゃんと音楽やるようになったんで」


「……へえ」


「黒川も含めて、ずっと一緒にやってきた仲間っすからね」


神崎は少し照れくさそうに笑った。


「だから陽一さんにも、もっと仲良くなってほしいんすよ」


「……そうか」


「あいつら、変な連中っすけど、いいやつらなんで!」


「……お前も十分変だと思うぞ」


「ええっ!? 俺もっすか!?」


「自覚なかったのかよ」


「ひどいっすよ、陽一さん!」


また笑い声が上がった。


気づけば、辺りは随分暗くなっていた。


「……そろそろ帰るか」


「えー、もうっすか?」


「明日も仕事だぞ」


「あっ、そうだった!」


「……忘れてたのか?」


「いやあ、楽しくてつい!」


神崎は立ち上がり、砂を払った。


「じゃ、今度はみんなで来ましょうね!」


「ああ」


空になった缶をゴミ箱に捨て、二人でバイクの方へ戻る。


エンジンをかけると、夜の海辺に二台の排気音が響いた。


俺はヘルメットを被り、神崎に手を上げた。


「行くぞ」


「うっす!」


帰り道、神崎はもう蛇行運転をしなかった。


……少しは懲りたらしい。


*


家に帰り着く頃には、すっかり夜になっていた。


風呂を済ませ、久しぶりに祈りを捧げる。


そういえば、ここ最近は随分とご無沙汰だった気がする。


それから電子ドラムの前に座り、スティックを手に取った。


ふと、海辺での神崎の物真似が頭をよぎる。


「……ふっ」


思わず笑いが漏れた。


あいつ、奈緒さんの前でもあれができるんだろうか。


……今度、聞いてみよう。


そんなことを考えながら、俺はペダルに足を乗せた。


軽くスティックを振り下ろす。


いつもの部屋に、小気味よいリズムが響き始めた。

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