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『あの日、君が祈っていたこと』  作者: 整備士
さよならは、また逢う日まで
17/35

EP17 動き出すもの

 土曜日、午前十一時五十分。


 俺は軽トラックを運転しながら、住宅街の細い道をさまよっていた。


「……本当にこっちで合ってんのか?」


 スマホの地図では、もう目的地のすぐ近くにいるはずだった。


 しかし、似たような路地がいくつも続いていて、どこを曲がればいいのか分からない。


 おまけに道が狭い。


 軽トラだからまだいいものの、普通車だったら曲がるのをためらうような角もあった。


「……こっちか?」


 慎重にハンドルを切り、一本奥の道へ入る。


 すると、画面に表示されていた目的地と同じ場所に、小さな平屋が見えてきた。


「……あった」


 少し年季の入った建物だった。


 瓦屋根に白い外壁。小さな庭には手入れされた植木鉢がいくつか並んでいる。


 表札はない。


 邪魔にならない場所に軽トラックを停め、エンジンを切る。


 車から降りて玄関へ向かうと、ちょうど扉が開いた。


「あっ、陽一君!」


 ナオさんだった。


「こんにちは。すみません、少し早かったですか?」


「全然! ちょうど片付け終わったところ。入って入って!」


「お邪魔します」


 玄関で靴を脱ぎ、案内されるまま廊下を進む。


 家の中は、想像していた以上に綺麗だった。


 古い家ではあるものの、床には埃一つ見当たらない。窓際には小さな観葉植物が置かれ、棚には本や雑貨が整然と並んでいる。


「……綺麗にしてますね」


「えっ、そう?」


「はい。もっとこう……」


「もっと?」


「ドラムのスティックとか、そこら辺に転がってるのかと」


「あはは! 何それ!」


 ナオさんが笑った。


「私だって普通に生活してるんだからね?」


「すみません」


「まあ、スティックは結構いろんなところに置いてるけど」


「置いてるんじゃないですか」


「すぐ使えるようにね!」


 どうやら本人なりの理由があるらしい。


 案内された居間には、小さなテーブルとソファが置かれていた。


 壁際には本棚があり、音楽関係の雑誌や教則本が並んでいる。


「お茶でいい?」


「あ、ありがとうございます」


「そこ座ってて。すぐ持ってくるから」


 俺がソファに腰を下ろすと、ナオさんは台所へ向かった。


 何となく部屋を見回す。


 女性の一人暮らしの家に上がるなんて、考えてみれば初めてかもしれない。


 もっとも、今日はドラムを教えてもらいに来ただけだ。


 余計なことを考える必要もない。


「はい、お待たせ!」


 ナオさんがお茶を二つ持って戻ってきた。


「ありがとうございます」


「それで、陽一君。練習は続けてる?」


「一応、毎日少しずつ」


「偉いじゃん!」


「まだ全然ですけど」


「最初はみんなそうだよ。動画見た感じ、結構よくなってたし」


 そう言われると、少し嬉しい。


「じゃあ、早速やってみよっか!」


「お願いします」


 ナオさんは立ち上がり、廊下の奥にある部屋へ向かった。


「こっちこっち!」


 扉を開けると、その向こうにはもう一つ、大きな箱のようなものがあった。


「……何ですか、これ」


「防音室!」


「これが?」


「そう。組み立て式のやつ。中古で買ったんだけどね」


 部屋の中に、さらに部屋がある。


 防音室の扉を開けると、そこにはドラムセットが置かれていた。


「おお……」


 思わず声が漏れた。


 バスドラムにスネア、タム、シンバル。


 スタジオで見たものと同じような、本格的なドラムセットだ。


「どう? 私のお城!」


 ナオさんが得意げに胸を張る。


「すごいですね」


「でしょ!」


「これ、家で叩けるんですか?」


「時間は気をつけてるけどね。完全に音が消えるわけじゃないし」


 ナオさんはスネアを軽く叩いた。


 乾いた音が小さな室内に響く。


「ここ借りたのも、ドラムを置ける場所が欲しかったからなんだ」


「なるほど」


「アパートじゃ、なかなか難しいからね」


 確かに、俺のアパートでこんなものを叩いたら、三浦さんが飛んでくるだろう。


 下手をすれば神崎も飛んでくる。


 ……いや、あいつの場合は喜んで飛んできそうだ。


「じゃあ、座ってみて」


「はい」


 ナオさんに促され、ドラムの椅子に腰を下ろした。


 目の前にはスネア。


 足元にはバスドラムのペダル。


 練習パッドとは、ずいぶん景色が違う。


「まず、いつもやってるやつ見せて」


「分かりました」


 持参したスティックを取り出し、スネアを叩く。


 右、左、右、左。


 メトロノームの音を頭の中で思い浮かべながら、一定の速さを意識する。


 しばらく叩いたところで、ナオさんが声をかけた。


「はい、ストップ!」


 俺は手を止めた。


「どうですか?」


「うん、前よりずっといいよ!」


「本当ですか?」


「本当! ちゃんと練習してるの分かる」


 ナオさんは俺の右手を指さした。


「ただ、ちょっと力入りすぎかな」


「力、ですか」


「うん。特に右手。スティックを握り込んじゃってる」


 言われて自分の手を見る。


 確かに、かなり強く握っていた。


「落としそうで」


「あー、分かる分かる。最初はそうなるよね」


 ナオさんは自分のスティックを持った。


「でも、そんなに握らなくても大丈夫。ほら」


 軽くスティックを振る。


 タン。


 スティックがスネアの表面で跳ね返り、そのまま自然に元の位置へ戻った。


「……あれ?」


「分かった?」


「いや、今のどうやったんですか?」


「ふふっ、こう」


 もう一度。


 タン、タン、タン。


 ほとんど力を入れていないように見えるのに、音は綺麗に揃っている。


「スティックって、叩いたら跳ね返ってくるでしょ?」


「はい」


「その力を利用するの。毎回腕で持ち上げようとすると疲れちゃうから」


 ナオさんは俺の手元を覗き込んだ。


「ちょっと貸して」


 スティックを受け取ると、握る位置を見せてくれる。


「この辺を支点にして、あとは軽く支える感じ。ぎゅっと握らない」


「……なるほど」


「じゃあ、もう一回」


 言われた通りに握り直してみる。


 タン。


 ……何か違う。


 もう一度。


 タン。


 今度はスティックが変な方向へ跳ねた。


「あっ」


「おっと!」


 ナオさんが笑う。


「最初はそんなもんだよ。無理に動かそうとしないで」


「難しいですね」


「でしょ? でも、できるようになるとすっごく楽になるよ」


 何度か繰り返す。


 手首の力を抜いて、跳ね返ってきたスティックを受け止める。


 最初はぎこちなかったが、少しずつ感覚が掴めてきた。


「おっ!」


 ナオさんが声を上げた。


「今の! 今の感じ!」


「これですか?」


「そうそう! もう一回!」


 タン、タン、タン。


「いいじゃん! さっきより全然いい!」


 ナオさんは自分のことのように喜んでいた。


「……なんとなく分かってきました」


「よし! じゃあ次は左手!」


「まだあるんですか」


「当たり前でしょ! ドラムは両手使うんだから!」


 そりゃそうだ。


 そこからしばらく、左右の手を交互に動かす練習が続いた。


 ナオさんは細かいところまでよく見ていた。


 手首の角度。


 スティックの高さ。


 音の強さ。


 少しでも変な癖が出ると、すぐに教えてくれる。


 ただ、決して頭ごなしに否定したりはしなかった。


「うん、そこはいいね!」


「今のはちょっと惜しい!」


「そうそう! その調子!」


 褒められると、ついもう一度叩きたくなる。


 気がつけば、ずいぶん時間が経っていた。


「……ふう」


 スティックを下ろす。


 額に少し汗が滲んでいた。


「疲れた?」


「結構」


「あはは! 最初は余計なところに力入っちゃうからね」


 ナオさんは椅子を持ってきて、俺の隣に座った。


「じゃあ、最後にちょっとだけドラムセット使ってみようか」


「えっ、いいんですか?」


「もちろん!」


 ナオさんが足元を指さす。


「右足がバスドラム。左足がハイハットね」


「はい」


「まず右手でハイハットを一定に叩いてみて」


 言われた通りに叩く。


 チッ、チッ、チッ、チッ。


「そうそう。じゃあ一拍目と三拍目で右足」


 ドン、チッ、ドン、チッ。


 ……あれ?


 右手につられて足が変なところで動いた。


「……難しい」


「でしょ!」


 ナオさんが楽しそうに笑った。


「でも、慣れたら勝手に動くようになるから!」


「本当ですかね」


「本当だって!」


 今度は二拍目と四拍目にスネアを入れる。


 ドン、タン、ドン、タン。


 右手はハイハットを刻み続ける。


 頭の中が忙しい。


 何度も止まりながら、少しずつ繰り返した。


 そして、何回目かの挑戦で。


 ドン、タン、ドン、タン。


 ほんの短い間だったが、全部の音が綺麗に繋がった。


「……おお!」


「できたじゃん!」


 ナオさんが手を叩いた。


「今の! ちゃんと八ビートになってたよ!」


「……これが八ビートですか」


「そう!」


 俺はもう一度ペダルを踏んだ。


 ドン。


 足元から響く低い音。


 今まで練習パッドでは味わえなかった感覚だった。


「……面白いですね」


「でしょ?」


 ナオさんが嬉しそうに笑った。


「ドラムって、楽しいんだよ」


 その言葉には、何の飾りもなかった。


 本当に好きなんだろうな。


 そう思った。


     ◇


「そういえば、電子ドラム見る?」


「あ、お願いします」


 練習を終えて居間に戻ると、ナオさんは隣の部屋から大きな箱を引っ張り出してきた。


「これこれ!」


「……結構大きいですね」


「まあ、ドラムだからね」


 箱の中には、黒いパッドや金属製のパイプが入っていた。


「前に使ってたやつなんだけど、今はほとんど使ってないんだ」


「動くんですか?」


「もちろん! 昨日確認したから大丈夫!」


 ナオさんはスマホを取り出し、組み立てた状態の写真を見せてくれた。


 黒いパッドがいくつも並んだ電子ドラム。


 これなら、ヘッドホンを使って練習できそうだ。


「いくらですか?」


「んー……五千円でどう?」


「……安すぎません?」


「そう?」


「普通、もっとするでしょう」


「中古だし、結構古いしね。それに使ってくれるなら嬉しいから」


「でも……」


「じゃあ、陽一君が上手くなったら、何か奢ってよ!」


「……それでいいんですか?」


「いいのいいの!」


 ナオさんは笑った。


「押し入れに眠らせておくより、誰かが叩いてくれた方がいいもん」


 俺はもう一度、箱の中を見た。


 これがあれば、家でもちゃんと練習できる。


「……じゃあ、お言葉に甘えます」


「はい、毎度あり!」


 代金を渡すと、ナオさんは嬉しそうに受け取った。


「そうだ、組み立て方も送っとくね。説明書の写真撮ってあるから」


「助かります」


「あと、ペダルの位置は自分が踏みやすいように調整してね」


「分かりました」


 時計を見ると、もう午後二時を回っていた。


「あっ、そろそろ準備しなきゃ」


「今日、練習でしたっけ?」


「うん。夕方からスタジオ」


 ナオさんは立ち上がった。


「ヒロト、また変な曲持ってきてないといいんだけど」


「……あいつなら持ってきそうですね」


「でしょー?」


 二人で笑った。


 神崎のことだから、きっと今日も何かしら騒ぎを起こすだろう。


「じゃあ、積み込みますか」


「うん! 私も手伝う!」


「いや、結構ですよ」


「いいからいいから!」


 結局、二人で箱を玄関まで運ぶことになった。


 外へ出ると、夏の日差しが容赦なく照りつけていた。


「……暑い」


「ほんとねー」


 軽トラックの荷台に箱を載せ、ロープで固定する。


「これなら大丈夫そうですね」


「うん! 気をつけて帰ってね!」


「はい。今日はありがとうございました」


「こちらこそ! また練習したら動画送って!」


「分かりました」


「次はもっと上手くなってるの、期待してるからね!」


「……頑張ります」


 ナオさんは笑顔で手を振った。


 俺も軽く手を上げ、軽トラックに乗り込んだ。


     ◇


 アパートへ戻ったのは、午後三時前だった。


 神崎は夕方からバンドの練習だと言っていた。


 あいつは普段、バスで移動している。


 車は実家に置いてきたらしく、こちらには持ってきていない。


 だから、今日もそろそろバスに乗って出かける頃だろう。


 俺は軽トラックを停め、荷台のロープをほどいた。


 電子ドラムの箱を降ろそうとしたところで、隣の部屋の扉が開く。


「あれ? 陽一さん!」


「……おう」


 神崎だった。


 肩にはギターケースを背負っている。


「何してるんすか?」


「……ちょっとな」


「何すか、その箱」


「……買い物だよ」


「へえ! 何買ったんすか?」


「いろいろだ」


「いろいろ?」


 神崎が箱を覗き込もうとする。


 俺はさりげなく身体をずらした。


「お前、練習じゃないのか?」


「あっ、そうっす! バスの時間が!」


 神崎は慌ててスマホを確認した。


「やっべ! もう行かないと!」


「気をつけてな」


「はい! 今日も帰るの十時くらいになると思うんで!」


「おう」


「じゃ、行ってきます!」


 神崎はギターケースを揺らしながら走っていった。


 角を曲がるまで見送ってから、俺は息を吐いた。


「……危なかった」


 あと少し遅かったら、箱の中身を見られていたかもしれない。


 別に悪いことをしているわけじゃない。


 ただ、あいつに知られたら絶対に騒ぐ。


 それだけは避けたかった。


 俺は箱を抱え直し、部屋へ運び込んだ。


 それなりに重かったが、一人で運べないほどではない。


 箱を開ける。


 中からパイプを取り出し、ナオさんから送られてきた説明書の写真を確認する。


「……これがこっちで……」


 金属製のフレームを組み立て、パッドを取り付けていく。


 配線を繋ぎ、音源モジュールを固定する。


 機械の組み立てなら多少は慣れている。


 もっとも、エンジンと違って、どの部品が何の役割をしているのかはまだよく分からない。


 四十分ほど格闘して、ようやく形になった。


「……おお」


 部屋の隅に、黒い電子ドラムが鎮座している。


 なかなかの存在感だった。


 椅子に座り、ヘッドホンを繋ぐ。


 電源を入れると、小さな画面が光った。


 試しにスネアを叩く。


 タン。


 ヘッドホンの中に音が響いた。


「……すげえ」


 もう一度。


 タン、タン。


 ちゃんとドラムの音がする。


 今度はバスドラムのペダルを踏んでみた。


 ドン。


 思わず笑ってしまった。


「……面白えな、これ」


 ナオさんに教わったことを思い出す。


 手首の力を抜く。


 スティックの跳ね返りを利用する。


 右手でハイハットを刻み、右足でバスドラム。


 左手でスネア。


 ドン、タン、ドン、タン。


 途中で何度も間違えた。


 それでも、さっきより少しだけ上手くできた気がした。


 しばらく夢中になって叩いていたが、ふと足元が気になった。


 ヘッドホンから聞こえる音とは別に、ペダルを踏むたび床へ振動が伝わっている。


「……これ、下に響くよな」


 幸い、俺の部屋は一階だ。


 とはいえ、隣室には神崎がいるし、三浦さんに怒られるのも面倒だ。


 何か敷いた方がよさそうだな。


 とりあえず、今日はあまり強く踏まないようにしておこう。


 時計を見る。


 まだ夕方だった。


 神崎が帰ってくるまで、ずいぶん時間がある。


「……もうちょっとやるか」


 俺は再びスティックを握った。


 タン、タン、タン。


 さっき教わった動きを、一つずつ確かめていく。


 何度も失敗する。


 そのたびに、もう一度。


 気がつけば、外はすっかり暗くなっていた。


「……やべ、飯食ってねえ」


 時計は午後七時を回っている。


 腹も減ったし、そろそろ休憩にしよう。


 スマホを取り出し、ナオさんにメッセージを送った。


『無事に組み立てられました。ありがとうございました』


 しばらくして、返信が来た。


『おー! よかった! いっぱい練習してね!』


 続けて、もう一件。


『今度は曲に合わせて叩いてみよう!』


「……曲か」


 まだ先の話だと思っていた。


 でも、いつかできるようになったら。


 神崎たちと一緒に演奏するのも、面白いかもしれない。


 ……いや。


 まだあいつには内緒にしておこう。


 知ったら絶対に騒ぐ。


     ◇


 それから約一週間が経った。


「陽一さーん!!」


 土曜日の朝。


 玄関の向こうから、聞き慣れた声が響いた。


「……うるせえな」


 扉を開けると、神崎が大きな段ボール箱を抱えて立っていた。


「来ましたよ!」


「何が?」


「部品っすよ! 部品!」


「ああ、FTRのか」


「そうっす!」


 神崎は嬉しそうに箱を持ち上げた。


「これで公道走れますね!」


「まだだ。取り付けて確認して、登録も済ませなきゃならん」


「分かってますって!」


「本当か?」


「……たぶん!」


「分かってねえじゃねえか」


 俺はため息をつき、作業着に着替えた。


 駐車場には、例のFTR250が置かれている。


 レース用として使われていた車両だ。


 エンジンは動くが、公道を走るための装備が足りない。


 今日はその保安部品を取り付ける予定だった。


「じゃあ、まず中身確認するぞ」


「了解っす!」


 箱を開け、注文した部品を並べていく。


 ヘッドライト。


 ウインカー。


 テールランプ。


 ナンバー灯。


 ホーン。


 ミラー。


 スピードメーター。


 配線関係の部品も一通り揃っている。


「おお……なんかバイクっぽくなってきましたね!」


「まだ並べただけだろ」


「気持ちの問題っすよ!」


「そうかよ」


 俺はヘッドライトを手に取った。


「まずこいつから付けるか」


「はい!」


 ライトステーの位置を確認する。


 フロント周りはレース用に変更されている部分もあり、そのまま取り付けられるわけではなかった。


「……ちょっと加工が必要だな」


「マジっすか?」


「ステー作れば済む」


「おお! さすが陽一さん!」


「まだ何もしてねえよ」


 寸法を測り、使えそうな材料を探す。


 工場で余っていた金具を加工すれば、何とかなりそうだった。


 神崎にはウインカーの取り付け位置を考えてもらう。


「ここなんかどうっすか?」


「ハンドル切って当たらないか確認しろ」


「……あっ」


「当たったか?」


「当たりました!」


「だろうな」


「じゃあ、こっち!」


「配線の取り回しも考えろよ」


「……奥が深いっすね」


「普通に付けるだけでも、考えることはあるんだよ」


 そんなやり取りをしながら、少しずつ作業を進めていく。


 途中、神崎が配線を一本間違えた。


「陽一さん!」


「なんだ?」


「ウインカー点きました!」


「おお」


「でも、反対側が点きます!」


「……左右逆だな」


「なんでっすかね?」


「お前が逆に繋いだからだろ」


「なるほど!」


「感心してる場合か!」


 昼を挟み、作業は夕方まで続いた。


 ヘッドライトとウインカー、テールランプはひとまず取り付けられた。


 スピードメーターやフロントブレーキ周りは、まだ調整が必要だ。


「……今日はここまでだな」


「えー! もうちょっとやりましょうよ!」


「暗くなる。配線の確認は明るい時にやった方がいい」


「うーん……」


 神崎はFTRを眺めた。


 朝よりずいぶんバイクらしくなっている。


「……でも、いいっすね」


「ああ」


「なんか、自分のバイクって感じしてきました」


 神崎は嬉しそうに笑った。


「早く乗りたいっす」


「焦るなよ。ちゃんと仕上げてからだ」


「分かってますって。でも、毎回バスで移動するの、結構面倒なんすよ」


「まあな」


「スタジオ行くにも買い物行くにも、いちいち時刻表確認しなきゃいけないし」


「車、実家に置いてきたんだっけ?」


「そうっす。こっちに持ってくるつもりもないですし」


「だったら、バイクがあればだいぶ楽になるな」


「そうなんすよ!」


 神崎はFTRのタンクを軽く撫でた。


「早くこいつで走りたいっすね」


「……そうだな」


 俺もFTRを眺める。


 まだ完成には程遠い。


 それでも、一つずつ形になっていくのは悪くない。


 昔、山本さんとCBを直していた頃を思い出した。


 あの時も、こんなふうに少しずつ部品を取り付けていたっけ。


「陽一さん?」


「ん?」


「何笑ってるんすか?」


「……別に」


「えー、気になる!」


「いいから片付けろ」


「はいはい!」


 神崎は笑いながら工具を片付け始めた。


     ◇


 同じ頃。


 街外れの古い倉庫の前に、一台のトラックが停まっていた。


「おお、源ちゃん! 本当に来たのか!」


 倉庫の奥から、野太い声が響いた。


 声の主は荒牧大悟。


 大柄な身体に、白髪交じりの髪と髭。かつてレースの世界で腕を振るった、山本源一の古い友人である。


「来るって言っただろうが」


「いやあ、まさか本当に持って帰るとは思わなくてな!」


「お前が持っていけって言ったんだろ」


「そうだったか?」


「……もうボケ始めたのか?」


「ガハハハ! まだまだ現役だっての!」


 荒牧は笑いながら山本の背中を叩いた。


「いてえな! 加減しろ!」


「おっと、すまんすまん!」


 二人の視線の先には、一台のバイクがあった。


 低く構えた車体。


 大きなカウル。


 市販車とは明らかに違う、独特の造形。


 かつて鈴鹿のサーキットを走った、ワンオフのレーシングマシン。


 搭載されているのは、ZX-12Rをベースにしたエンジンだった。


「……しかし、よく残ってたもんだな」


 山本が呟く。


「あいつが大事にしてたからな」


 荒牧の声が、少しだけ静かになった。


 倉庫の中には、古い油と埃の匂いが漂っている。


「……源ちゃん」


「なんだ?」


「こいつ、また走らせるつもりか?」


「ああ。そのつもりだ」


 山本は短く答えた。


 荒牧はしばらく黙って車体を眺めていた。


 そして、口元を大きく歪める。


「……いいねえ!」


「なんだよ」


「面白えじゃねえか! 何年ぶりだ? こういう話は!」


「さあな」


「で、どうするつもりなんだ?」


「まあ、見てろって」


「おいおい! 俺にも教えろよ!」


「うるせえな。いいから積むぞ」


「ったく、相変わらず人使いの荒い野郎だ!」


 荒牧はそう言いながらも、嬉しそうにトラックの荷台を開けた。


「よし! 久しぶりに、こいつを外へ出してやるか!」


 山本も車体へ近づき、カウルに手を置く。


 かつてサーキットを駆け抜けた一台のレーサー。


 もう二度と走ることはないと思われていた機械が、再び動き出そうとしていた。


「……さて」


 山本は小さく笑った。


「久しぶりに、面白くなりそうだな」


「ガハハハ! そうこなくっちゃな、源ちゃん!」


 古い倉庫に、二人の笑い声が響いた。

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