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『あの日、君が祈っていたこと』  作者: 整備士
さよならは、また逢う日まで
16/36

EP16 友情のカタチ

 八月。


 朝から蝉がうるさい。


 窓を開ければ熱風が入り、閉めれば部屋が蒸し風呂になる。どちらにしても暑い。


 せっかくの休日だというのに、俺は朝っぱらから隣人に叩き起こされていた。


「陽一さーん! 起きてますー!?」


 ドンドンドン!


「……うるせえ」


「陽一さーん!」


「聞こえてる!」


 玄関を開けると、神崎が満面の笑みで立っていた。


「おはようございます!」


「……今何時だと思ってんだ」


「九時っす!」


「知ってるなら聞くな」


「いや、聞いたの陽一さんじゃないっすか」


 ……そうだった。


「で、何の用だよ」


「バイクっすよ! バイク!」


「ああ……」


 そういえば、今日は部品を探す約束をしていた。


「ちょっと待ってろ。顔洗ってくる」


「了解っす!」


 扉を閉めようとしたところで、神崎がひょいと顔を覗かせた。


「あ、飲み物持ってきた方がいいっすよ」


「なんで?」


「今日、めっちゃ暑いんで!」


「……お前は外で何するつもりなんだよ」


     ◇


 アパートの駐輪場。


 屋根の下に置かれたFTR250を前に、俺たちは二人揃ってうんこ座りしていた。


 目の前には、先日譲り受けたばかりのフラットトラックレーサー。


 古びた車体には、長年走り続けてきた傷が残っている。


 エンジンは掛かる。走ることもできる。


 ただし、公道を走るための装備がない。


「で、何から探す?」


「とりあえず安いヤツからっすね!」


「……そういう意味じゃねえよ」


「え?」


「ヘッドライトとかウインカーとか、必要なもんから探すんだよ」


「ああ、なるほど!」


 神崎はスマホを取り出し、早速画面を操作し始めた。


「おっ! 陽一さん、これ!」


「早えな」


「ヘッドライト、二千円っす!」


「どれどれ……」


 差し出された画面を覗き込む。


 小ぶりな丸型ライト。


 見た目は悪くない。


 だが。


「……これ、どうやって付けるんだ?」


「え?」


「ステー付いてねえぞ」


「あー……ほんとっすね」


「しかも取付寸法も書いてねえ」


「でも安いっすよ?」


「安けりゃいいってもんじゃねえだろ」


「陽一さんなら何とかできません?」


「俺を何だと思ってんだ」


「頼れる先輩っす!」


「都合のいい先輩だろ」


「バレました?」


「バレバレだよ」


 神崎は悪びれもせず笑っている。


 こいつ、本当に調子がいい。


「そもそも、お前のバイクだろ。少しは自分で考えろよ」


「考えてるじゃないっすか!」


「値段しか見てねえだろ」


「予算って大事っすよ!」


「それはそうだけどな……」


 否定できないのが腹立たしい。


 俺だって、できるだけ安く仕上げたい。


 ただ、安いものを買っても取り付けられなければ意味がない。


「じゃあ、こっちはどうっすか?」


「……お、いいんじゃねえか」


「マジっすか!」


「寸法も載ってるし、これならステー作れば付けられそうだな」


「よっしゃ!」


「ただし、配光と明るさは確認しろよ。公道走るんだから」


「了解っす!」


 そう言って神崎は画面を保存した。


 次はウインカー。


 その次はテールランプ。


 ミラー、ホーン、ナンバー灯。


 次から次へと候補が出てくる。


「陽一さん、これ四個セットで安いっすよ!」


「どれ……って、おい。これ車用じゃねえか」


「え? でもウインカーっすよ?」


「フェンダーに埋め込むタイプだろ。どこに付けるつもりなんだよ」


「……ステー作ればいけません?」


「ステー作ってどうにかなる形じゃねえだろ!」


「いやあ、陽一さんなら何とかしてくれるかと」


「だから俺を何だと思ってんだ!」


「頼れる先輩っす!」


「それさっき聞いた!」


 神崎は腹を抱えて笑っている。


 ……絶対わざとだろ、こいつ。


「じゃあ、これは?」


「それは取付穴が合わねえ」


「こっちは?」


「配線が短い」


「これは?」


「高え」


「陽一さん、注文多くないっすか?」


「お前が適当すぎるんだよ!」


「そういや、フロントブレーキはどうするんすか?」


「純正はもう廃番だけど、同じ部品を使ってた車種があるみたいだから、中古で探してみる」


「おお! 安く済みそうっすね!」


「……お前、本当にそればっかだな」


「大事なことっすから!」


「……まあ、そうだけど」


 何度目かのやり取りのあと、俺たちは揃って黙り込んだ。


 スマホの画面を睨みながら、同じ姿勢で車体を眺める。


 ……暑い。


 汗が顎から落ちた。


「……なあ、神崎」


「なんすか?」


「俺たち、どれくらいこうしてた?」


「えーっと……一時間半くらいっすね」


「……マジか」


 道理で足が重いわけだ。


「そろそろ休憩するか」


「そうっすね!」


 俺はゆっくり立ち上がろうとした。


 その瞬間。


「ふぉあっ!?」


 足の裏から膝まで、電気が走った。


 思わずその場にしゃがみ込む。


「ブハッ! 陽一さん、今の声なんすか!?」


「……足が痺れたんだよ!」


「ふぉあっ、って! ハハハハ!」


「うるせえ! お前も立ってみろよ!」


「余裕っすよ!」


 神崎が勢いよく立ち上がる。


「……んひっ!?」


「…………」


「…………」


「お前もじゃねえか!」


「いや、今のは違うっす!」


「何が違うんだよ!」


「ちょっと足が……」


「痺れたんだろ?」


「……はい」


 神崎はゆっくりとしゃがみ直した。


 二人揃って、また元の姿勢に戻る。


「……どうする?」


「……どうしましょう」


 しばらく沈黙が流れた。


 蝉の声だけがやけに大きく聞こえる。


 そのとき。


 神崎が足元に落ちていた小枝を拾った。


「……陽一さん」


「なんだよ」


「もう一回、さっきの声聞かせてくださいよ」


「は? おい、やめ――」


 ツン。


「ひゃうっ!?」


「ブハハハハ!!」


「てめえ!!」


「ちょっ、今の! 今の何すか!? ハハハ!」


「笑ってんじゃねえ!!」


 俺も近くに落ちていた枝を拾った。


「……神崎」


「はい?」


「お前も鳴かせてやるよ」


「ちょっ、待っ――」


 ツン!


「ほぎゃあっ!!」


「ブハハハハ!!」


「陽一さん!! それ反則っす!!」


「先にやったのお前だろ!」


 神崎が再び枝を伸ばしてくる。


 ツン!


「ふにゃあっ!!」


「ハハハハ! 陽一さん、猫みたいっすよ!!」


「うるせえ! この野郎!!」


 ツン!


「んぎゃっ!!」


「ハハハハハ!!」


 もはや部品探しどころではなかった。


 互いに枝を突き出しては、痺れた足を庇ってのけぞる。


 しかし、立ち上がれないので逃げ場がない。


「おい! そこはやめろ!」


「じゃあ陽一さんもやめてくださいよ!」


「お前が先に枝を捨てろ!」


「信用できないっす!」


「俺もだよ!」


 神崎が俺の足を狙って枝を伸ばす。


 俺は避けようとして、思わず片足を突き出した。


「うぉああっ!?」


 神崎が体勢を崩す。


 倒れまいと俺の肩を掴んできた。


「ちょっ、お前!」


「陽一さん、支えて!」


「無理だって!」


 今度は俺まで引っ張られ、反対側へ倒れそうになる。


 慌てて神崎の腕を掴んだ。


「動くな!」


「俺だって動きたくないっすよ!」


「じゃあ足どけろ!」


「陽一さんの足が邪魔なんすって!」


 互いに足を動かそうとするたび、痺れた部分に電気が走る。


「ふぉああっ!!」


「うひゃあっ!!」


 右へ傾き、左へ傾き、何とか倒れないように踏ん張る。


 気がつけば、二人の手足が複雑に絡み合い、まるでツイスターゲームでもしているような格好になっていた。


「……おい、神崎」


「……なんすか」


「これ、どうやって戻るんだ?」


「俺が聞きたいっすよ……」


「…………」


「…………」


 そのとき。


「……君たち」


 背後から声がした。


 恐る恐る振り返る。


 買い物袋を提げた三浦さんが、こちらを見ていた。


「…………」


「…………」


 三浦さんは俺たちの絡まった手足を見た。


 次に、互いの肩を掴んだ手を見る。


 そして、地面に転がった二本の枝に目を落とした。


「……ツイスターゲームかね?」


「違います!!」

「違うっす!!」


 声が揃った。


「そうか……枝まで使うのか」


「使いません!!」


「いや、使ってましたけどね」


「神崎!! お前っ、ふぉああっ!?」


「だから動かないでくださいって!!」


 三浦さんはしばらく俺たちを眺めていた。


 そして、何かを納得したように頷く。


「……まあ、今はそういう時代だからな」


「……はい?」


「私は別に、偏見はないよ」


「……何の話ですか?」


「いやいや。何も言わなくていい」


 三浦さんは穏やかに微笑んだ。


「若い二人のことだ。色々あるだろう」


「ちょっと待ってください!?」


「……お幸せにな」


「いや、違いますって!!」


 三浦さんは俺たちの言葉を聞くことなく、アパートの中へ消えていった。


「……神崎」


「……はい」


「今の、絶対何か勘違いしてるよな?」


「……してますね」


「おーい! 三浦さーん!!」


 俺は慌てて立ち上がろうとした。


「ふぉあああっ!?」


 足に電気が走り、その場に崩れ落ちる。


「陽一さん! 大丈夫っすか!?」


「大丈夫じゃねえ! 追いかけろ!」


「了解っす!」


 神崎も立ち上がろうとした。


「ほぎゃあっ!?」


「お前もかよ!!」


「無理っす! まだ痺れてるっす!!」


「くそっ! 三浦さーん!!」


 しかし、玄関の扉はすでに閉まっていた。


「……どうすんだよ、これ」


「……誤解、解けますかね?」


「解くんだよ!!」


 そのとき。


 ガチャリ。


 アパートの玄関が開いた。


「あっ! 三浦さん!!」


「おお、まだいたのか」


「いや、足が痺れて動けなくて……」


「そうかそうか」


 三浦さんは何やら小さな箱を手に持っていた。


「ちょうどよかった」


「……何がですか?」


 三浦さんは俺たちの前にしゃがみ込むと、そっと箱を地面に置いた。


「…………」


「…………」


 箱には、大きくこう書かれていた。


『痔のお薬』


「…………」


「…………」


 三浦さんは俺たちを交互に見て、優しく微笑んだ。


「……そういう遊びも、程々にね」


「違あああああう!!」


「違うっすううう!!」


 しかし三浦さんは満足そうに頷くと、そのまま家の中へ戻っていった。


 バタン。


「…………」


「…………」


 蝉が鳴いている。


 目の前には痔の薬。


 俺たちは、まだ立ち上がれない。


「……陽一さん」


「……なんだよ」


「三浦さん、どっちの心配してたんすかね?」


「知るかああああ!!」


     ◇


 それからしばらくして。


 ようやく足の痺れが治まった俺たちは、再び部品探しに戻っていた。


 今度は駐輪場の縁石に腰掛けている。


 さすがに、もううんこ座りは御免だ。


「……これで最後か?」


「そうっすね!」


 神崎がスマホを操作する。


 ヘッドライト、ウインカー、テールランプ、メーターにミラー。


 ホーンやナンバー灯、配線関係も一通り揃えた。


 フロントブレーキについても、中古の出物を見つけて注文した。


「……結構いきましたね」


「そりゃ一式揃えるんだからな」


「もっと安くならないっすか?」


「これ以上ケチると、余計な加工で手間が増えるぞ」


「うーん……」


 神崎はしばらく画面を睨んでいたが、やがて大きく息を吐いた。


「よし! 買います!」


「おう」


 注文を確定した瞬間、神崎が両手を上げた。


「やったー! これで来週には乗れますね!」


「部品が全部届けばな」


「楽しみっすねえ!」


「あと、届いても付けなきゃ走れねえぞ」


「そこは陽一さんの腕で!」


「……結局それかよ」


 神崎は笑いながらFTRのシートに腰を下ろした。


 ハンドルを握り、前を向く。


「いやあ……早く走りたいっすね」


「そんなに楽しみか?」


「そりゃそうっすよ。自分のバイクっすから」


 いつもの騒がしい口調だったが、その顔は本当に嬉しそうだった。


 俺は隣に置かれたCBをちらりと見る。


 初めてエンジンが掛かった日のことを、少し思い出した。


「……そうだな」


「え?」


「早く走れるようにしねえとな」


「おお! 陽一さん、やる気じゃないっすか!」


「お前がちゃんと手伝うならな」


「もちろんっす!」


 ……どうだか。


     ◇


 夜。


 風呂を済ませた俺は、部屋の隅から練習パッドを取り出した。


 椅子に腰掛け、スティックを握る。


 最近、寝る前の日課になっている。


 最初は左右交互に叩くだけでもぎこちなかったが、少しずつ手が動くようになってきた。


 机の上に置いたメトロノームの電源を入れる。


 カッ、カッ、カッ、カッ。


 一定のテンポに合わせ、スティックを振り下ろす。


 タン、タン、タン、タン。


 ……悪くない。


 少しテンポを上げる。


 タン、タン、タタン。


「……あ」


 ずれた。


 もう一度。


 タン、タン、タン、タン。


 今度はうまくいった。


 課題を一通り終えたところで、スマホを立てかけて動画を撮影する。


 最後まで叩き終え、録画を止めた。


「……こんなもんか」


 動画を確認し、ナオさんに送る。


 しばらくして、返信が届いた。


『おっ、結構できるようになったじゃん!』


 思わず口元が緩む。


 続けて、もう一通。


『でも動画だけじゃ分かんないところもあるんだよね』


『次のスタジオ練習の前に、一回うちに来られる?』


 ……直接見せるのか。


 少し緊張する。


 これまでは動画を送るだけだったから、多少失敗しても撮り直せた。


 目の前で叩くとなれば、そうはいかない。


『大丈夫です。何時ごろですか?』


 すぐに返信が来た。


『じゃあ土曜日の昼くらいで!』


『あと、前に話した電子ドラムも見せたいし』


 そういえば、そんな話もしていた。


 中古の電子ドラムを安く譲ってくれるという話だ。


 正直、少し迷っていた。


 部屋は広くないし、音の問題もある。


 それでも。


 スティックを握り直す。


 もう少し、ちゃんと叩けるようになりたい。


『分かりました。よろしくお願いします』


『おっけー! じゃあ楽しみにしてるね!』


 画面を閉じる。


 時計を見ると、もういい時間だった。


 ……あと十分だけ。


 メトロノームを鳴らし、もう一度スティックを構える。


 隣の部屋からは、神崎のギターが微かに聞こえていた。


 あいつはあいつで、今日も楽しそうだ。


「……負けてらんねえな」


 小さく呟き、俺は再びパッドを叩き始めた。

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