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『あの日、君が祈っていたこと』  作者: 整備士
さよならは、また逢う日まで
15/40

EP15 Riding High

今回めちゃくちゃ長くなりました

きり所探したけどもう全部乗っけちゃいました

よろしくお願いします

 ドンドンドンドン!!


「神崎! 起きろ!!」


 午前六時。


 まだ薄暗いアパートの廊下に、山本さんの怒鳴り声が響き渡った。


 俺が玄関を開けると、山本さんは隣の部屋の扉を遠慮なく叩いていた。


「神崎! いつまで寝てやがる!」


「……んぁ?」


 しばらくして、隣の扉が開いた。


 顔を出した神崎は、寝癖だらけの頭を掻きながら、半分しか開いていない目で山本さんを見上げた。


「……山本さん? 何すか、こんな朝っぱらから……」


「着替えろ。仕事だ」


「……はい?」


 山本さんは持っていた作業着を神崎に放り投げた。


「うわっ!」


 神崎は顔面でそれを受け止めた。


「五分で出てこい」


「ちょ、ちょっと待ってください! 今日休みっすよね!?」


「だから呼んだんだろうが」


「理由になってないっすよ!?」


 神崎が手元の作業着を広げる。


 胸元には、いつもの会社のロゴ。


 その下には『神崎』と書かれた名札まで付いていた。


「……あれ?」


 神崎が目を擦った。


「これ、俺の作業着じゃないっすか?」


「そうだ」


「何で山本さんが持ってるんすか?」


「会社のロッカーから持ってきた」


「何で!?」


「お前のだからだろ」


「そういうこと聞いてんじゃないっすよ!!」


 山本さんは腕時計を見た。


「あと四分だぞ」


「いや、そもそも何の仕事なんすか!?」


「着けば分かる」


「どこに!?」


「いいから早くしろ!」


 神崎は助けを求めるように俺を見た。


「陽一さん! 何なんすかこれ!?」


「……俺にも分からん」


「えっ?」


「山本さんに朝六時に集合って言われただけだから」


「何でそれで普通に準備してるんすか!?」


「……山本さんだからな」


「理由になってないっすよ!!」


 山本さんが俺の肩を叩いた。


「陽一、先に車乗っとけ」


「はい」


「陽一さんまで行っちゃうんすか!?」


「あと三分!」


「分かりましたよ! 着替えますよ!!」


 神崎は勢いよく扉を閉めた。


 山本さんは満足そうに頷く。


「よし」


「……山本さん」


「何だ」


「昨日のうちに言っておけばよかったんじゃないですか?」


「言ったら来ねえだろ」


「……まあ、そうかもしれませんけど」


「それに、あいつなら喜ぶかもしれねえしな」


「……?」


 山本さんはそれ以上何も言わず、駐車場へ歩き始めた。


 どうやら俺にも、まだ教えるつもりはないらしい。



     ◇



「……あの」


 高速道路に乗って三十分ほど経った頃。


 後部座席から、神崎が恐る恐る声を掛けてきた。


「何だ」


「どこ行くんすか?」


「着けば分かる」


「それ、もう六回くらい聞いたっす!」


「なら七回目だな」


「数の問題じゃないんすよ!!」


 神崎は朝からずっとこの調子だった。


 作業着に着替えてハイエースに乗り込んだまではよかったが、山本さんが行き先も仕事の内容も教えないので、段々不安になってきたらしい。


「陽一さん!」


「ん?」


「本当に何も聞いてないんすか?」


「聞いてない」


「じゃあ何でそんな落ち着いてるんすか!?」


「……今さら騒いでも仕方ないだろ」


「俺は騒ぎますよ!?」


 山本さんが運転席で笑った。


「朝から元気な奴だな」


「誰のせいだと思ってんすか!!」


「少し寝とけ。まだ掛かるぞ」


「……まだ?」


 神崎の声が止まった。


「あと何分っすか?」


「一時間半くらいだな」


「ええっ!? 二時間も走るんすか!?」


「そうだ」


「俺、どこに連れてかれるんすか!?」


「だから着けば分かるって」


「もしかして県外っすか!?」


 ちょうどその時、県境を知らせる標識が見えてきた。


 神崎もそれに気付いたらしい。


「……あ」


 標識が後ろへ流れていく。


「県外じゃないっすかぁ!!」


 俺はとうとう吹き出した。


「陽一さん! 笑い事じゃないっすよ!」


「悪い……」


「俺、朝飯も食ってないんすからね!?」


「サービスエリアで食わせてやるよ」


 山本さんが言った。


「そこはちゃんと考えてるんすね!?」


「腹減ったらうるせえだろ、お前」


「もう十分うるさいっすよ!!」


 自分で言ってから、神崎は頭を抱えた。


 山本さんは鼻歌交じりにハンドルを握っている。


 どうやら今日一番楽しんでいるのは、この人らしい。



     ◇



 目的地に着いたのは、午前八時を少し回った頃だった。


 高速を降りてしばらく走ると、町外れの工場や倉庫が並ぶ一角に出た。


 その中に、小さなバイク屋があった。


 古びた看板。


 店先に並ぶ数台の中古バイク。


 シャッターの開いた整備工場には、何台かの車両が置かれている。


「……バイク屋?」


 神崎が窓に張り付いた。


「山本さん、バイク屋っすよ!」


「見りゃ分かる」


「ここで仕事するんすか!?」


「そうだ」


「最初からそう言ってくださいよ!!」


 ハイエースが駐車場に止まった。


 山本さんはエンジンを切ると、しばらく店の看板を見上げていた。


「……変わってねえな」


 小さく呟いてから、車を降りる。


 俺たちも後に続いた。


 店の入口から、年配の女性が出てきた。


「あら……源一さん!」


「お久しぶりです」


 山本さんは帽子を取り、深く頭を下げた。


「このたびは……ご愁傷さまでした」


「ありがとうございます。遠いところ、本当にすみません」


「いや。電話もらって驚きましたよ」


 女性は少し寂しそうに笑った。


「主人、最後までバイクに乗ってましたからね」


「……そうですか」


「本当に、困った人でした」


 その言い方には、どこか懐かしむような響きがあった。


 俺と神崎も挨拶をする。


 すると店の奥から、作業着姿の男性が出てきた。


 四十代後半くらいだろうか。


「山本さん、お久しぶりです。今日は助かります」


「おう。大変だったな」


「いやあ、もう何から手を付けたらいいのか……」


 男性は困ったように頭を掻いた。


 そこでようやく、俺たちは今日呼ばれた理由を知った。


 この店の主人が、少し前に事故で亡くなったのだという。


 山道の見通しの悪い場所で、突然Uターンしてきた車と衝突したらしい。


 店にはまだ修理中の車両もあれば、引き渡しを待っているバイクもある。


 従業員はこの男性一人。


 店を引き継ぐつもりはなく、残っている仕事を終わらせたら閉める予定なのだという。


 ただ、長年営業してきた店だけに、在庫も部品も相当な量があるらしい。


「……そういうことだったんですね」


 俺が言うと、山本さんは頷いた。


「電話もらってな。人手が足りねえってんで、手伝いに来たんだ」


 神崎が腕を組んだ。


「なるほど……それならそうと早く言ってくれればいいのに」


「言ったら来たか?」


「……」


「どうした?」


「……来ましたよ!」


「今、ちょっと考えただろ」


「考えてないっす!!」


 奥さんがくすりと笑った。


「賑やかな方ですね」


「……すみません」


 俺が頭を下げると、神崎が慌てた。


「いやいや! ちゃんと働きますからね!?」


「頼むぞ」


 山本さんは腕まくりをした。


「よし。何からやる?」


 従業員が工場を振り返る。


「まず、引き渡し予定の車両を出したいんです。それから部品の整理と、在庫の確認を……」


「分かった。陽一、神崎。始めるぞ」


「はい」


「了解っす!」


 神崎が元気よく返事をした。


 どうやらバイク屋で働けると分かって、機嫌が直ったらしい。


 ……本当に分かりやすい奴だ。



     ◇



 作業は思っていた以上に大変だった。


 修理が終わった車両を移動させ、鍵と書類を確認する。


 店先の中古車を並べ直し、奥にある部品を種類ごとに仕分ける。


 山本さんは従業員と一緒に、引き渡し予定の車両を確認していた。


「こいつ、キャブは?」


「洗浄してあります。負圧も合わせてます」


「そうか。じゃあ一回掛けてみろ」


 エンジンが始動する。


 山本さんはしばらく音を聞いていた。


「……いいんじゃねえか。あとは客に説明してやれ」


「はい」


 昔バイク屋をやっていたという話は聞いていた。


 けれど、実際にこうして店で働いている姿を見るのは初めてだった。


 普段の工場とは少し違う。


 山本さんは、何十年もここで仕事をしてきたように自然に動いていた。


「陽一、その箱は奥の棚だ」


「はい」


「神崎! そっちのバイク動かせ!」


「了解っす!」


「隣にぶつけんなよ!」


「分かってますって!」


「……スタンド出てねえぞ」


「あっ!」


「お前、本当に免許持ってんのか?」


「持ってますよ!!」


 神崎の声が工場に響いた。


 従業員が笑い、奥さんも少しだけ表情を緩めた。


 その後も客が何人か訪れた。


 修理を終えたバイクを引き取りに来た人。


 店主が亡くなったと聞いて、顔を出しに来た人。


 中には、山本さんを知っている人もいた。


「……あれ? 山本さんじゃないですか?」


「おう。久しぶりだな」


「まさかここで会うとは。昔、よく一緒に走ってましたよね」


「昔の話だよ」


「いやあ、懐かしいなあ」


 そんなやり取りが何度かあった。


 この店の主人が、どれだけ多くの人と関わっていたのか。


 少しずつ分かってきた気がした。



「おおおおおっ!! 源ちゃんじゃねえか!!」


 昼前。


 店先に、突然とんでもない大声が響いた。


 俺と神崎が同時に振り返る。


 そこには、がっしりした体格の年配の男が立っていた。


 山本さんと同じくらいの年だろうか。


 声がやたらとでかい。


「……げっ」


 山本さんが露骨に嫌そうな顔をした。


「何だよその顔! 久しぶりだってのによ!」


「……うるせえのが来たな」


「がっはっは! 相変わらずだな、源ちゃん!」


 男は山本さんの肩をばしばし叩いた。


「元気だったか!?」


「見ての通りだ」


「そうかそうか! いやあ、お互い爺さんになっちまったなあ!」


「お前と一緒にすんな」


「大して変わんねえだろうが!」


 俺と神崎は顔を見合わせた。


「……陽一さん」


「ん?」


「山本さんのこと、源ちゃんって呼ぶ人いるんすね」


「……俺も初めて聞いた」


「聞こえてんぞ若いの!!」


「うわっ!?」


 男がこちらを向いた。


「お前ら、源ちゃんの弟子か!?」


「いや、弟子っていうか……」


「まあ、そんなもんだ!」


 山本さんが勝手に答えた。


「そうかそうか! こいつに教わってんなら苦労してんだろ!」


「……まあ、それなりに」


「陽一!?」


 俺が答えると、男は腹を抱えて笑った。


「がっはっは! いいねえ! 若いのは正直だ!」


「お前、何しに来たんだよ」


「何しにって、顔出しに決まってんだろ。あいつの奥さんにも挨拶しときたくてな」


 男の声が、ほんの少しだけ落ちた。


「……まさか、あいつが先に逝くとは思わなかったな」


「……ああ」


 山本さんが短く答える。


 けれど男は、すぐにいつもの調子に戻った。


「しかし懐かしいなあ! この店も随分変わったな!」


「お前が来なくなっただけだろ」


「そうとも言う!」


 また豪快な笑い声が響いた。


 男は奥さんに挨拶を済ませると、当然のように作業を手伝い始めた。


 大声で喋りながらも、手は止まらない。


 工具箱を持ち上げ、部品棚を整理し、古いタイヤを運び出す。


 山本さんと一緒に作業している姿は、長年の付き合いを感じさせた。


「おい源ちゃん、この棚の奥どうすんだ?」


「使えそうなもんは残しとけ。捨てるのは後だ」


「おう。……ん?」


 男が奥の方を覗き込んだ。


「源ちゃん、あれ見たか?」


「あれ?」


「あいつと作ったバイクだよ。まだ奥にあるんだぜ」


 山本さんの手が止まった。


「……何?」


「八耐の時のやつだよ」


「……あの馬鹿、まだ持ってたのか」


 山本さんはしばらく黙っていた。


 それから、手に持っていた工具を置いた。


「……見せろ」


「おう!」


 男は嬉しそうに笑うと、工場のさらに奥へ歩き始めた。


 俺たちも、その後を追った。



     ◇



 工場の一番奥。


 使われていない作業台や部品棚の向こうに、古いカバーを掛けられた大きなバイクが一台置かれていた。


「これだよ」


 男がカバーに手を掛ける。


 ばさり、と布が外された。


「……うわ」


 思わず声が出た。


 そこにあったのは、見たことのない形のレーサーだった。


 大きなエンジンを抱え込むように組まれたフレーム。


 低く構えたカウル。


 前後には耐久レース用の灯火類も付いている。


 古いカラーリングには所々傷が残っていたが、車体は綺麗に手入れされていた。


 市販車を改造したというより、最初から一台のレーサーとして作られたような姿だった。


「……何すか、これ」


 神崎が呆然と呟く。


「俺たちが作ったバイクだよ!」


 男が胸を張った。


「昔な、俺たち鈴鹿の八耐に出たかったんだよ!」


「……金もねえくせにな」


 山本さんが呆れたように言った。


「お前だって乗り気だったろうが!」


「そりゃそうだ。あんなもん見せられたら、出たくなるだろ」


「でも俺たちじゃ走れねえ。だから腕のいい若い奴を捕まえてきたんだ!」


「捕まえたって……」


「ここの店主だよ。あの頃まだ十九でな」


「……えっ?」


 俺と神崎は顔を見合わせた。


「店主さん、レーサーだったんですか?」


「おう! 全日本ロードレース選手権を走ってたんだ!」


「……すごい人じゃないっすか」


「そうだぞ! 速かったんだよ、あいつ!」


 山本さんがレーサーを見つめた。


「俺たちはバイクを作りたかった。あいつは八耐を走りたかった。ちょうどよかったんだよ」


「『お前、八耐走りたくねえか?』って聞いたら、あいつ『バイクは何ですか?』って言うんだ」


「……そりゃ聞きますよね」


「だから『これから作る!』って言ってやった!」


「ええっ!?」


「がっはっは! あいつも呆れてたよ!」


「……次の日には店に来てたけどな」


 山本さんが笑った。


「そうそう! 『エンジン何使うんですか?』ってな!」


 男はレーサーのエンジンを指さした。


「当時、ZX-12Rが出たばっかりでよ。世界最速を狙ってるって話だったろ? だったらそれ積んじまおうって!」


「……随分簡単に決めたんですね」


「簡単じゃねえよ! そこからが地獄だ!」


 男は大笑いした。


「八耐のXフォーミュラってクラスでな。大排気量で改造の自由度が高かったんだ。だったら好きなもん作ってやろうって話になってよ!」


「……金はなかったけどな」


 山本さんがぼそりと言う。


「そう! 金がねえ!」


 男が勢いよく頷いた。


「レースなんて、一秒縮めるのに百万円かかるって言われてた世界だぞ!」


「ひゃ、百万円!?」


「でも俺たちにそんな金あるわけねえだろ!」


「……なかったな」


「だから作れるもんは自分たちで作った! 削って、溶接して、走らせて、駄目ならまた作り直しだ!」


 俺はもう一度、フレームに目を向けた。


 よく見ると、部品の形状や加工の仕方に、どこか山本さんらしい癖があった。


 今まで工場で何度も見てきた、あの人の仕事だ。


「……これ、何回くらい作り直したんですか?」


「さあな。数えてねえよ」


「源ちゃん、都合の悪いことは全部忘れるからな!」


「うるせえ」


 男は笑いながら、車体の横にしゃがみ込んだ。


「でもなあ、あいつが乗ると速いんだよ」


 その声が、少しだけ変わった。


「俺たちが何日も掛けて作ったバイクで、昨日より速いタイム出して帰ってくるんだ」


「……ああ」


「そりゃ面白くなっちまうだろ?」


 山本さんは何も言わなかった。


 ただ、少しだけ口元を緩めた。


 俺はフロント周りに目を向けた。


 太い倒立フォークに、大きなブレーキキャリパー。


 どちらも市販車の純正品には見えない。


 フォークを固定するステムも、削り出しで作られていた。


「……これ、すごい足回りですね」


「おう。いいもん付いてるだろ」


 山本さんが少し得意そうに笑った。


「最初からこんなの付いてたわけじゃねえぞ」


「……そうなんですか?」


「ああ。何年も掛けて、少しずつ変えていったんだ」


 男も頷いた。


「最初の頃なんか、使えるもんは何でも使ってたからな!」


「……どうやって手に入れたんですか?」


「まあ、色々あってな」


 山本さんは笑った。


「その話は長くなるぞ」


 俺はもう一度、レーサーを見つめた。


 このバイクには、まだまだ知らない話がありそうだった。


「それより源ちゃん、ここのステム覚えてるか?」


 男がフロント周りを指さした。


「……おう。お前が寸法間違えたやつだろ」


「違う! お前の図面が間違ってたんだ!」


「俺の図面は合ってたよ!」


「がっはっは! そうだったか!?」


「そうだったよ!」


 山本さんが笑いながら男の肩を小突いた。


 そのやり取りを見て、俺は少し驚いた。


 普段の山本さんは、仕事中にこんなふうに笑わない。


 少なくとも、俺の知っている山本さんはそうだった。


「そのステム作った頃だったか? あいつがハンドル振れるって騒いでたの」


「ああ、あったな」


「コーナーの進入でハンドルがプルプルするって言うから、足回り弄ってやったんだよ!」


「それで直ったんすか?」


「直った! ところがタイムが落ちやがった!」


「えっ、何でっすか?」


「俺たちもそう思ったよ! 戻ってきたあいつに聞いたらな、『ハンドル振れなくなって、だいぶ楽になりました!』だと!」


「……それで?」


「源ちゃんがブチ切れた!」


 男は山本さんの方を指さした。


「『楽になったんなら、まだ突っ込めるだろうが! お前が楽するためにセッティングしてんじゃねえんだよ!』ってな!」


「……」


「しまいには『一秒のために死ね!!』だぞ!」


「ええっ!?」


 神崎が山本さんを振り返った。


「山本さん、そんなこと言ってたんすか!?」


「……若かったんだよ」


「いや、若さで済ませていいんすか!?」


 男は腹を抱えて笑った。


「ところがあいつも負けてねえんだ! 次の走行で本当に突っ込んでいきやがった!」


「……タイム出たんですか?」


 俺が聞くと、山本さんが答えた。


「……出してきたよ」


 その声は、どこか嬉しそうだった。


「だから困るんだ。こっちも、もっと速いバイク作ってやりたくなる」


 男が大きく頷く。


「そうなんだよ! あいつ、俺たちの無茶に付き合ってくれるんだ!」


 俺はレーサーのフレームに目を向けた。


 削り出しの部品。


 溶接の跡。


 何度も作り直したという、その形。


「……これ、夜も作業してたんですか?」


「夜どころじゃねえよ!」


 男が笑った。


「徹夜なんかしょっちゅうだ! 酒飲みながらな!」


「……酒飲みながら?」


「おう! こいつ、焼酎二本空けやがって!」


「お前だって飲んでただろうが!」


 山本さんが即座に言い返す。


「お前が一本目空けたから、俺も負けられねえと思ってな!」


「何の勝負してたんすか!?」


 男は腹を抱えて笑った。


「いやあ、あん時は最悪だった! 二日酔いでピット立ってよ!」


「お前、途中で吐いてただろ」


「あれは暑さだ!」


「二日酔いだよ」


 神崎が目を丸くする。


「……そんな状態でレースしてたんすか?」


「そうだぞ! こっちは死にそうなのに、あいつは元気に走ってやがってな!」


「走る奴まで飲んでたら終わりだろうが」


「いやいや、あいつもやらかしたことあったぞ!」


 男が嬉しそうに身を乗り出した。


「決勝前日に、俺たちが『お前は早く寝ろ!』って宿に帰したんだよ!」


「……あったな」


「ところが翌朝、死人みてえな顔で来やがった!」


「何したんすか?」


「近くの飲み屋で朝まで飲んでたんだと!」


「何やってんすかその人!?」


「しかもそのまま走って、結構いいタイム出してきやがるんだよ!」


「走って帰ってきて何て言ったと思う?」


 山本さんが口を挟んだ。


「……何て言ったんですか?」


「『走ってたら酒抜けました!』だとよ!」


「無茶苦茶じゃないっすか!!」


 俺が呆れていると、男がさらに笑い始めた。


「まだあるぞ! あいつが二十歳過ぎた頃なんか――」


「おい、その話はやめろ」


「風俗行って股が痒くなって帰ってきやがってよ!」


「言うなっつってんだろ!」


「走ってる間も痒くて仕方ねえって、ピット戻ってきて股掻いてんだぞ!」


「ぶっ!」


 神崎が吹き出した。


「ちょっ、何すかその話!」


「こっちは何事かと思ったよ!」


「……病院には行ったんですか?」


 俺が聞くと、山本さんが呆れた顔で答えた。


「連れてったよ。本人が行きたがらねえからな」


「がっはっは! あの時の源ちゃんの怒りようったら!」


「……ろくでもねえ話ばっかり覚えてやがる」


「そりゃ忘れられるか!」


 男は目尻に涙を浮かべながら笑っていた。


 その笑い声につられて、俺も神崎も笑ってしまう。


 亡くなった人の話をしているのに、随分と賑やかだった。


 その時、奥さんが工場の奥へやって来た。


「あら、またその話ですか?」


「おう! ちょうど昔の話してたんだ!」


「懐かしいですねえ。主人、あの頃は本当に楽しそうでしたから」


「……奥さんもレースに来てたんですか?」


 俺が聞くと、奥さんは頷いた。


「ええ。ほとんど毎回ついて行ってましたよ」


「そりゃそうだ! うちの専属レースクイーンだったんだからな!」


「……レースクイーン!?」


 神崎が目を丸くした。


「ええ。主人と知り合ったのも、サーキットだったんです」


「そうそう! あいつ、よく口説き落としたよな!」


「……失礼ですねえ」


 奥さんが笑った。


「主人、結構積極的だったんですよ?」


「えっ!? そうだったのか!?」


「あなたたちが知らないだけですよ」


「がっはっは! こりゃ一本取られた!」


 奥さんは懐かしそうにレーサーを見つめた。


「でも、あの頃は本当に賑やかでしたね。ピットに行くと、いつも誰かがお酒飲んでて」


「そうそう! 俺たちのピットって、酒だけは絶対切らさなかったんだよ!」


「工具より酒の方が種類あったんじゃねえか?」


「がっはっは! 違いねえ!」


 神崎が目を丸くする。


「……レースのピットに酒置いてたんすか?」


「おう! そしたらどこで聞きつけたのか、メーカーのお偉いさんが寄ってくるようになってな!」


「メーカーの?」


「そうだ! 最初は一人だったんだよ。それが二人になって、三人になって……」


「しまいにゃ、うちのピットで八耐の常連会議が始まってたな」


「そうそう! こっちは明日のセッティングで忙しいってのによ!」


「……追い返さなかったんですか?」


 俺が聞くと、山本さんは笑った。


「追い返すわけねえだろ。面白え話が聞けるんだから」


「そうそう! 青いホンダの連中なんか、毎晩のように来てたぞ!」


「T〇Rの偉いさんもいたな」


「オー〇ーの人間も来てたろ!」


「山〇レーシングの連中もな」


「……えっ?」


 神崎が固まった。


「ちょっと待ってください。その人たち、めちゃくちゃ有名なチームじゃないっすか!?」


「そりゃそうだろ。八耐の常連だぞ」


「何でそんな人たちが山本さんたちのピットに集まるんすか!?」


「だから酒があるからだって言ってんだろ!」


「いや、そういうことじゃなくて!!」


 男は豪快に笑った。


「しかもあいつら、勝手に集まって八耐の常連会議始めやがるんだよ!」


「うちのチームの作戦会議より人数多かったな!」


 奥さんも笑っていた。


「皆さん、ちゃんと自分のお酒を持ってくるようになったんですよ」


「そうそう! 最初は飲むだけ飲んで帰ってたのによ!」


「主人なんて、自分のピットなのに隅っこに追いやられてましたから」


「がっはっは! そうだったな!」


 神崎が呆れた顔をする。


「……それ、誰のチームのピットだったんすか?」


「俺たちのだよ!」


「分かんなくなってきたっす……」


 奥さんは懐かしそうに笑っていた。


「でも、あの頃は本当に賑やかでしたね」


「……ああ」


 山本さんも頷いた。


 それから、俺がさっき見ていたフロントフォークを指さした。


「そういや陽一。さっき、これをどうやって手に入れたか聞いてただろ」


「……はい」


「こういう付き合いがあったからだよ」


「……え?」


「最初は金がなくてな。部品も何も、作れるもんは全部自分たちで作ってたんだ」


「それがよ! 酒飲みながら『あの部品が手に入らねえ』って愚痴ってたらな!」


「『それ、うちで余ってるぞ』って言われたんだよ」


「……余ってる?」


「ワークスや有名チームじゃ、毎年新しい部品が出るだろ? そうすると、まだ使える前の型が余るんだよ」


「それを格安で売ってくれるようになってな!」


 男が嬉しそうに笑った。


「レース用のフロントフォークにブレーキ、まともに買ったらとんでもねえ値段するもんが、びっくりするくらい安く手に入るんだ!」


「もちろんタダじゃねえし、全部が全部そのまま使えるわけでもねえけどな」


 山本さんが続けた。


「フォークが手に入れば、それに合わせてステムを作る。ブレーキが手に入れば、取り付けを考える。そうやって少しずつ変えていったんだ」


「業販で部品出してくれる会社もあったし、図面持ってこいって言ってくれるところもあったぞ!」


「……すごいですね」


 俺はもう一度、フロント周りを見た。


 今なら分かる。


 この車体には、色んなメーカーの部品が組み合わされている。


 けれど、それらを一台のバイクとして成立させているのは、山本さんたちの加工技術だった。


「まあ、酒代だけは一向に減らなかったけどな」


「そりゃ必要経費だ!」


「経費で落ちるわけねえだろ!」


 奥さんが笑った。


「主人も毎年楽しみにしてましたよ。今年は何が変わるんだろうって。レースが終わると、もう次の年の話をしてましたから」


 山本さんはレーサーを見つめた。


「……あいつ、速くなったからな」


「そうだな」


 男も頷く。


「俺たちが作ったもんを、ちゃんと速く走らせてくれるんだ。そりゃ面白くなっちまうよな」


 俺はレーサーを眺めた。


 このバイクは、ただの機械じゃない。


 何年も掛けて、色んな人の手で作られてきたものなんだ。


 その時、神崎が車体の横に置かれた古い写真立てを見つけた。


「……あれ? これ、皆さんっすか?」


 写真には、若い頃の山本さんたちが写っていた。


 今よりずっと若い山本さん。


 隣には、さっきから大声で笑っている男。


 そして、レーシングスーツを着た若いライダーが二人。


 周囲には、作業着姿の男たちが何人も並んでいた。


「……これが、店主さん?」


 俺が指さすと、奥さんが頷いた。


「ええ。まだ若い頃の主人です」


 写真の中の青年は、満面の笑みを浮かべていた。


 その隣には、レースクイーン姿の若い女性が立っている。


「……えっ!?」


 神崎が写真を覗き込んだ。


「これ、奥さんっすか!?」


「そうですよ」


「めちゃくちゃ美人じゃないっすか!!」


「……神崎」


「えっ?」


「それ、今の奥さんに失礼だぞ」


「ええっ!? いや、今も綺麗っすよ!? そういう意味じゃなくて!!」


 男が腹を抱えて笑った。


「がっはっは! 若いの、墓穴掘ったな!」


 奥さんも楽しそうに笑っていた。


「ありがとう。主人も最初はそんなこと言ってましたよ」


 写真の端には、他にも何人かの男たちが写っていた。


「……この人たちもライダーですか?」


 俺が聞くと、山本さんが答えた。


「いや。うちの店の常連客だ」


「常連客?」


「ああ。レースの時は仕事休んで、みんな手伝いに来てたんだ」


「そうそう! タイヤ運んだり、工具並べたり、給油の準備したりな!」


「……すごいっすね」


 神崎が感心したように言った。


「皆さん、そこまでして手伝ってたんすか?」


「好きじゃなきゃ、あんなことできねえよ」


 山本さんが笑った。


 男が写真の端を指さした。


「ほら、こいつ! 覚えてるか源ちゃん!」


「……ああ。うちの客だった奴な」


「こいつが三人目のライダーだよ!」


「……えっ?」


 神崎が首を傾げた。


「ライダーって三人いたんすか?」


「そうだぞ! 八耐に出るためにな!」


「じゃあ、その人も走ったんすか!?」


「いや、一回も走ってねえ!」


「ええっ!?」


 山本さんが説明した。


「全日本で走ってる奴が二人いたからな。あいつは基本的にスポンサー兼ピットクルーだ」


「スポンサー?」


「ああ。うちの店の常連でな。金も出してくれて、毎年手伝いにも来てたんだ」


「でも、国際ライセンス持ってたんすよね?」


「おう。頑張って取ったんだよ」


「すごいじゃないっすか!」


「本人はあんまり走る気なかったけどな!」


 男が笑う。


「『俺は二人の走り見てる方が楽しい』って言ってたんだ!」


「じゃあ、何でライダー登録してたんすか?」


「万が一のためだよ」


 山本さんが答える。


「だから毎年ツナギとヘルメット持ってこさせてた」


「……走らないのに?」


「そうだ」


「本人、嫌がらなかったんすか?」


「嫌がってたぞ!」


「嫌がってたんすか!?」


「毎年『今年も着なくて済みますように』って言ってたな!」


 男が腹を抱えて笑った。


「しかもあいつ、誰よりも早くサーキット来るんだよ!」


「そうそう! タイヤ運んで、工具並べて、給油の準備して……」


「……ライダーっていうより、メカニックじゃないっすか」


「本人は最後までライダーだって言い張ってたぞ!」


 奥さんが口を挟んだ。


「でも、あの人がいなかったら大変でしたよ。お金も出してくださって、毎年お仕事を休んで手伝いに来てくださって」


「……ああ」


 山本さんが頷く。


「他にも、うちの店の客が何人も手伝いに来てたからな」


「そうそう! みんな仕事休んで鈴鹿来るんだよ!」


「……すごいっすね」


 神崎がぽつりと言った。


「何が?」


「いや……みんな、本当にレース好きだったんすね」


 山本さんは少しだけ笑った。


「……そうだな」


 男も頷く。


「好きじゃなきゃ、あんな馬鹿なことできねえよ」


 しばらく写真を眺めていると、神崎がまた口を開いた。


「……他のチームも色んなバイクがいたんすか?」


「そりゃいたぞ!」


 男が嬉しそうに答えた。


「中でも、あのBMWのチームは面白かったな!」


「……ああ、シャフトのやつか」


「そうそう! 同じクラスにシャフトドライブのBMWがいたんだよ!」


「シャフトドライブ?」


 神崎が首を傾げる。


「チェーンじゃなくて、シャフトで後輪を駆動するんだ」


 俺が説明すると、神崎は頷いた。


「へえ……それで?」


「そいつら、レース中にプロペラシャフト交換してたんだよ!」


「……何でですか?」


「知らねえ!」


「知らないんすか!?」


「知らねえけど交換してたんだ!」


 男は豪快に笑った。


「最初の年なんか一時間くらい掛かってたのによ!」


「……翌年には十五分くらいだったか?」


「そうそう! その次なんか十分ちょっとで終わってたぞ!」


「……すごいっすね」


「すごかったぞ! あれは見事だった!」


 山本さんも頷いた。


「……よそのピットの作業なのに、みんな見に行ってたな」


「お前なんか工具持って見に行こうとしてたじゃねえか!」


「持ってねえよ!」


「持ってたって!」


「……この人たち、自分のレース大丈夫だったんすか?」


 神崎が小声で聞いてきた。


「……さあな」


 俺には何とも答えられなかった。



 ひとしきり笑い終えると、奥さんがレーサーを見つめながら言った。


「でも、主人は源一さんたちのこと、本当に尊敬してたんですよ」


「……そうか?」


「ええ。『あの人たちは何でも作っちゃうんだ』って、いつも自慢してました」


 山本さんは少し困ったように笑った。


「……あの馬鹿、そんなこと言ってたのか」


「ただ、その後で必ず『でも酒癖は最悪』って言ってましたけど」


「余計なことまで言いやがって!」


 男がまた大声で笑った。


 山本さんも、つられて笑っていた。


 俺はレーサーを見つめた。


 このバイクには、何年分もの思い出が詰まっている。


 速く走るために作られたはずなのに、今はこうして静かに置かれている。


 けれど、その周りでは、当時と変わらないような笑い声が響いていた。



 しばらくして、従業員が工場の奥へやって来た。


「ああ、ここにいたんですね」


「おう。こいつ、まだあったんだな」


 山本さんがレーサーを見ながら言う。


「ええ。社長、これだけは絶対に手放さなかったんですよ」


「……そうか」


「何年か前までは店頭に飾ってたんですけどね。場所がなくなって、こっちに移したんです」


 従業員は車体を見つめた。


「それでも時々カバー外して、磨いてましたよ」


 山本さんは、フレームにそっと手を触れた。


 指先が、古い溶接の跡をゆっくりとなぞる。


「……ここの溶接、俺がやったんだよ」


 ぽつりと呟いた。


「最初は失敗してな。こいつに散々笑われた」


 男が小さく笑った。


「……覚えてるよ。あいつも横で見てたな」


「……ああ」


 山本さんはしばらく黙っていた。


 それから、少しだけ顔を上げた。


「……あの馬鹿、まだ持ってやがったのか」


 その声は、さっきまでとは違っていた。


 嬉しそうでもあり、寂しそうでもあった。


 誰もすぐには答えなかった。


 声のでかい男も、その時だけは黙っていた。



     ◇



「……あれ?」


 沈黙を破ったのは神崎だった。


「こっちのバイク、何すか?」


 レーサーの隣。


 部品棚の陰に、もう一台のバイクが押し込まれていた。


 小柄な車体に、細身のタンク。


 外装は傷だらけで、シートもあちこち擦れている。


 お世辞にも綺麗とは言えない。


「ああ、それですか」


 従業員が振り返った。


「社長のFTRですよ」


「FTR?」


「ええ。フラットトラックで走らせてたやつです」


 神崎が目を輝かせた。


「へえ! でも、すげえボロボロっすね!」


「そりゃ転がしてますからね。先月も乗ってましたよ」


「えっ、これ動くんすか?」


「普通にエンジン掛かりますよ。調子も悪くないです」


「マジっすか!?」


「掛けてみます?」


「いいんすか!?」


 従業員が頷き、FTRを少し前に引き出した。


 燃料コックを確認し、キックペダルを踏み込む。


 数回のキックの後。


 バババババッ!!


 乾いた排気音が工場の奥に響いた。


「うおおっ!!」


 神崎が目を輝かせた。


「いい音っすね!!」


「社長、エンジンだけはちゃんと面倒見てましたからね」


 従業員が笑った。


 確かに、外装はボロボロでも、エンジンの調子は悪くなさそうだった。


 神崎は嬉しそうにバイクの周りをぐるぐる回り始めた。


 俺も近づいてみる。


 なるほど。


 確かに、ただのボロい中古車ではなさそうだ。


 ハンドルやステップの位置も、普通の街乗り仕様とは違っている。


 そして何より――。


「……あれ?」


 神崎が前輪を覗き込んだ。


「陽一さん、これ……フロントブレーキなくないっすか?」


「……は?」


 俺も隣にしゃがみ込む。


 確かに、ディスクもキャリパーもない。


「……本当だ。ブレーキ付いてねえ」


「えっ!? じゃあどうやって止まるんすか!?」


「リアブレーキだろ」


 山本さんが平然と答えた。


「いやいやいや! 前ブレーキないんすよ!?」


「フラットトラックじゃ普通だろ」


「頭おかしいんすか!?」


「……本人は相当なバイク馬鹿だったからな」


「いや、そういう問題じゃないっすよ! 止まれないじゃないっすか!!」


「止まるぞ。リアブレーキで」


「そういうことじゃないんすよ!!」


 ……俺も神崎に同感だった。


 よく見ると、ライトもウインカーもメーターもない。


 完全に競技用の車両だ。


「……これ、公道は無理ですよね」


「無理だな」


 山本さんが即答した。


「……でも、エンジンは掛かるんすよね?」


 神崎が従業員に聞いた。


「掛かりますよ」


「…………」


 神崎はしばらく考え込んだ。


 そして、突然顔を上げた。


「……これ、売り物っすか?」


「いやあ、商品にはしてないですね。こんな状態ですし」


「……」


「奥さんも処分に困ってまして。欲しいなら、一度聞いてみましょうか?」


「お願いします!!」


 即答だった。


「おい神崎、ちょっと待て」


 山本さんが呆れた声を出す。


「お前、これで何するつもりだ?」


「え? 乗りますけど?」


「だから公道走れねえっつってんだろ」


「直せばいいじゃないっすか!」


「簡単に言いやがって……」


 神崎は今度は俺を振り返った。


「陽一さん! これ、何とかなりますよね!?」


「……まあ、必要な部品揃えて、ちゃんと整備すれば可能性はあるけど」


「ほら!!」


「いや、まだ何も決まってないからな?」


 神崎はもう聞いていなかった。


 FTRの前にしゃがみ込み、傷だらけのタンクを眺めている。


 その顔は、まるで子供みたいだった。


「……神崎」


「何すか?」


「さっき、頭おかしいって言ってなかったか?」


「言いましたけど?」


「……」


「でも、これめちゃくちゃ格好よくないっすか!?」


「お前も頭おかしいだろ!!」


 山本さんと男が同時に吹き出した。


「がっはっは! こりゃいい!」


「……まったく。バイク好きってのは、どいつもこいつも」


 山本さんは大きくため息をついた。


 そう言いながら、少し笑っていた。



 奥さんに話をすると、最初は驚かれた。


 けれど、神崎が本気で欲しがっていると知ると、嬉しそうに笑った。


「主人が遊んでいたバイクですから、綺麗ではありませんけど……それでもよければ」


「はい! 大事にします!」


「それなら、ぜひ」


 車両の書類も残っているらしい。


 従業員が確認し、引き渡しに必要なことを後で整理するという話になった。


 神崎は何度も頭を下げていた。


 あまりに嬉しそうなので、俺まで少し嬉しくなってしまう。


 もっとも、その後も作業は山ほど残っていた。


 今日一日で店を片付けられるわけではない。


 残った修理車両の引き渡し、在庫の確認、売却できる部品の仕分け。


 奥さんは従業員の給料も含め、店を閉めるためのお金を何とかしなければならないと話していた。


 山本さんは、必要ならまた来ると伝えていた。


 俺たちも、今日はできるところまで手伝うことにした。



 夕方。


 ようやく一段落したところで、FTRをハイエースに積み込んだ。


 車体を固定し終えると、神崎は何度も何度も確認していた。


「……おい、もういいだろ」


「いや、ちょっと待ってください。こっちから見た方が格好いいんすよ!」


「積み方の確認しろよ」


「してますって!」


「絶対してないだろ……」


 山本さんは奥さんと従業員に挨拶をしていた。


 俺も神崎を連れて、もう一度頭を下げる。


「今日はありがとうございました」


「いえ、こちらこそ。本当に助かりました」


 奥さんは神崎を見て笑った。


「そのバイク、主人が見たら喜ぶと思います」


「はい! 絶対大事にします!」


 神崎は胸を張って答えた。


 山本さんは何も言わずに、工場の奥を一度だけ振り返った。


 そこには、カバーを掛け直された古いレーサーが眠っていた。


「……じゃあな」


 小さな声だった。


 誰に向けた言葉なのか、俺には分からなかった。



     ◇



「いやー!! 今日は最高の一日だったっすねえ!!」


 帰りのハイエース。


 後部座席から、朝とはまるで違う声が響いていた。


「……朝はあんなに帰りたがってたくせに」


 俺が言うと、神崎は不思議そうな顔をした。


「何言ってんすか陽一さん! 最高の休日じゃないっすか!」


「県境越えた時は誘拐だって騒いでただろ」


「いやいや! そんな昔のこと覚えてないっすよ!」


「今日の朝だよ!」


 神崎は笑いながら、荷室のFTRを振り返った。


「いやあ……俺のバイクっすよ。俺の!」


「まだ公道走れないけどな」


「いいんすよ! これから直せば!」


「部品代も掛かるぞ」


「頑張って働きます!」


「工具も必要だぞ」


「山本さんに借ります!」


「おい」


 運転席から低い声が飛んできた。


「勝手に決めんな」


「ええっ!? 貸してくださいよ!」


「まず自分で何が必要か調べろ」


「はいっ!」


 神崎は元気よく返事をした。


 山本さんがバックミラー越しに、その顔をちらりと見る。


「……次も仕事があったら呼んでやるぞ」


「ぜひお願いします!!」


「行き先も聞かずにか?」


「もちろんっす!!」


 俺は思わず吹き出した。


「……お前、ほんと現金な奴だな」


「何とでも言ってくださいよ! 俺、今めちゃくちゃ幸せなんで!」


 神崎はそう言って、また荷室を振り返った。


 何度見ても同じバイクなのに、どうやら飽きないらしい。


 山本さんも、もう何も言わなかった。


 ただ、ハンドルを握ったまま、少しだけ笑っていた。


 行きは悲鳴。


 帰りは満面の笑み。


 同じハイエースの後部座席で、神崎は今日一日、随分と忙しかったらしい。


 ……まあ。


 いい休日だったんじゃないだろうか。


 少なくとも、神崎にとっては。

今回は曲名です

映画汚れた英雄の主題歌ローズマリーバトラーのRiding Highになります

映画古いですがバイク好きなら見てみるといいと思います

昔の若い頃のTEC21の平さんも見れるし草刈正雄も若いです

硬派な映画なので多分次バイク乗る時は押しがけでエンジンかけると思いますw

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