↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
『あの日、君が祈っていたこと』  作者: 整備士
さよならは、また逢う日まで
12/36

EP12 夢で逢えたら

 波の音が聞こえる。


 ざあ、と寄せては、さらさらと砂を引いていく。


 空は青く、雲は白い。

 照りつける日差しが眩しくて、加奈は目を細めた。


「加奈ー! 早く来いよ!」


 少し離れたところで、男の子が手を振っている。


 黒い髪。

 日に焼けた顔。

 いつも少しだけ寝癖の残った頭。


 田島陽一。


 十二歳の、陽一君だった。


「ちょっと待ってよ!」


 加奈は砂浜を駆け出そうとして、ふと足を止めた。


 そうだ。

 今日は、せっかく新しい水着を着てきたのだ。


 お母さんと一緒に選んだ、お気に入りの水着。


 色も形も、何度も迷った。


 昨日の夜だって、鏡の前で何度も確かめた。


 変じゃないかな。

 似合ってるかな。


 陽一君は、どう思うかな。


 そんなことばかり考えて、なかなか眠れなかった。


「ねえ、陽一君」


「ん?」


「……どう?」


「どうって?」


「だから……これ」


 加奈は自分の水着を指さした。


 陽一はようやく意味が分かったらしい。


「ああ、水着か」


「うん」


 加奈は少しだけ胸を張った。


 陽一がこちらを見る。


 目が合った。


 途端に、陽一の視線が泳いだ。


「……お、おう」


「…………」


「……泳ぎやすそうだな」


「…………」


 違う。


 そうじゃない。


 泳ぎやすいかどうかなんて、聞いてない。


「……それだけ?」


「え?」


「ほかには?」


「……えーっと」


 陽一は困ったように頭を掻いた。


 耳が、少し赤い。


「……似合ってんじゃねえの」


「…………」


「ほら、行こうぜ!」


 そう言って、陽一は逃げるように海へ走っていった。


「……もう!」


 加奈は頬を膨らませた。


「可愛いって言ってくれてもいいじゃん!」


「なんか言ったー?」


「何でもない!」


 腹が立ったので、追いかけて海水を掛けてやった。


「うわっ! 冷てえ!」


「ふん!」


「何すんだよ!」


「知らない!」


「よーし、そっちがその気なら!」


「きゃっ!」


 今度は陽一が水を掛けてきた。


 加奈も負けじと掛け返す。


 どちらが先に始めたのかも忘れて、二人で笑いながら水を掛け合った。


 陽一は、昔からそうだった。


 人が真剣に悩んでいることを、ちっとも分かってくれない。


 でも。


 水着を見た時、耳まで赤くなっていた。


 目が合うと慌てて逸らして、妙に落ち着かなくなって。


 あんなに分かりやすく照れていたのに、本人は隠せているつもりだったのだろう。


 ……可愛かったなあ。


「加奈!」


 名前を呼ばれる。


 振り向くと、陽一が笑っていた。


「こっち来いよ!」


「うん!」


 加奈は笑って、手を伸ばした。


 あと少し。


 もう少しで、その手に届く。


 ――その時だった。


 波の音が、遠ざかっていった。



     ◇ ◇ ◇



「…………」


 加奈は目を開けた。


 見慣れた天井があった。


 白い天井には、大きな染みが一つ。


 端の方は少し剥がれていて、雨が降ると時々水が垂れてくる。


 海ではない。


 もちろん、陽一もいない。


「……夢かあ」


 ぽつりと呟く。


 しばらく天井を眺めてから、加奈は寝返りを打った。


「……可愛いって言ってくれてもよかったじゃん」


 七年近くも前のことなのに、まだ少しだけ腹が立つ。


 でも、思い出すと笑ってしまう。


「……ふふっ」


 あんなに照れていたくせに。


「……可愛かったなあ」


 加奈は毛布に顔を埋めた。


 もう一度眠れば、夢の続きが見られるだろうか。


 そんなことを考えて、目を閉じる。


「…………」


 やっぱり、やめた。


 夢は夢だ。


 どれだけ眠っても、あの日には戻れない。


「……よし」


 加奈は身体を起こした。


 壁に掛かった時計は、午前八時を少し過ぎている。


 十九歳になった今でも、鏡に映る姿は十四歳の頃とほとんど変わらない。


 背も伸びなかった。

 顔立ちも、あまり変わらない。


 髪だけは伸びるので、時々自分で切っている。


 今日も少し寝癖がついていた。


「……もう」


 水を入れた洗面器に手を浸し、顔を洗う。


 鏡代わりに使っている小さな手鏡を覗き込み、櫛で髪を整えた。


 淡い金色の髪。


 青みがかった瞳。


 昔は、この見た目が嫌いだった。


 周りの子供たちと違うことが、何より嫌だった。


 でも、一人だけ。


『綺麗な目だな』


 そう言ってくれた男の子がいた。


「…………」


 加奈は手鏡を伏せた。


 着替えを済ませると、部屋の隅に置いた小さな棚へ向かう。


 そこには、パンの入った袋と、昨日買った缶詰があった。


「……今日はこっち」


 パンを一つ取り出し、湯を沸かす。


 古い建物だが、水道と電気は使える。


 もっとも、いつまで使えるかは分からない。


 この部屋に来てから、もう三ヶ月ほどになる。


 最初は埃だらけで、窓も一枚割れていた。


 割れた窓は板で塞ぎ、床を掃除し、使えそうな家具を少しずつ集めた。


 小さな机。

 脚の長さが微妙に違う椅子。

 拾ってきた本棚。


 それから、柔らかい毛布。


 特に毛布は気に入っていた。


 冬が来ても、きっと暖かい。


「……まあ、冬までいられたらだけど」


 加奈はパンをかじった。


 少し硬い。


 でも、悪くない。


 食事を済ませ、使った食器を洗う。


 それから、首元へ手を伸ばした。


 細い紐の先に、小さな指輪が下がっている。


 安物の金属に、青い石。


 よく見れば傷だらけで、石も本物ではない。


 それでも、加奈にとっては何より大切なものだった。


 指輪を両手で包む。


 目を閉じた。


 父のこと。


 母のこと。


 そして、もう会えない男の子のこと。


 昔、二人で教会へ通っていた頃から続けている、朝の習慣。


 特別な言葉はない。


 ただ、静かに祈る。


 しばらくして、加奈は目を開けた。


 指輪を服の下へ戻し、鞄を肩に掛ける。


「……行ってきます」


 返事はない。


 加奈は鍵を掛け、部屋を出た。



     ◇ ◇ ◇



 戦争が終わって五年。


 街には、まだ戦争の跡が残っていた。


 新しい建物の隣に、壁だけになった古い家が立っている。


 舗装された道路の脇には、砕けたコンクリートが積まれたままだ。


 それでも、人は暮らしている。


 店が開き、車が走り、子供たちが笑いながら歩いていく。


 加奈はその中を、買い物袋を提げて歩いていた。


「……高くなったなあ」


 袋の中にはパンと野菜、それから少しばかりのお菓子。


 昨日より卵が高かった。


 あの値段では、さすがに買う気になれない。


 もう少し待てば安くなるだろうか。


 そんなことを考えながら、加奈は路地を曲がった。


 表通りの賑やかさが遠ざかる。


 代わりに、煙草の匂いと油の匂いが漂ってきた。


 建物と建物の間に、無数の露店が並んでいる。


 戦後、自然に出来上がった闇市だった。


 正規の店では見かけない品物が、当たり前のように売られている。


 古い電子機器。

 出所の怪しい工具。

 軍の払い下げ品らしい衣類。


 何に使うのか分からない部品を山積みにした店もあった。


「おっ、嬢ちゃん! 今日も可愛いねえ!」


 露店の男が声を掛けてきた。


「……どうも」


「どうだい、こいつ! 新品同様だぜ!」


 男が掲げたのは、どう見ても中古の懐中電灯だった。


「……いらない」


「冷てえなあ!」


 加奈はそのまま通り過ぎた。


 何度も来ているので、顔を覚えられている。


 それがいいことなのかは、少し微妙だった。


 奥まった路地の先に、小さな店がある。


 店というより、物置に机を置いただけのような場所だ。


 加奈は入口の布をめくった。


「……こんにちは」


「おう、おう! 誰かと思えば!」


 机の向こうで、太った男が顔を上げた。


 脂ぎった髪を撫でつけ、金歯を光らせて笑う。


「嬢ちゃんじゃねえか! 今日も別嬪さんだねえ!」


「……それ、毎回言うよね」


「本当のことだからな!」


「じゃあ、情報は?」


「おいおい、いきなり仕事の話かい? 世間話くらい付き合ってくれよ」


「……じゃあ帰る」


「待った待った! 冗談だって!」


 男は慌てて手を振った。


「相変わらずせっかちだねえ」


「おじさんが長いんだよ」


「はっはっは! 言ってくれる!」


 男は引き出しから、薄い紙の束を取り出した。


「例の件だがな」


「……うん」


「名簿に載ってた男、軍を辞めてるらしい」


「……生きてるの?」


「そこまでは分からねえ。戦後は足取りが途絶えてやがる」


「そう」


「ただな、ちょいと面白い話がある」


 男は声を潜めた。


「そいつ、辞める前に妙な部署へ移ってるんだよ。表向きは存在しねえ部署だ」


「……名前は?」


「それが分かりゃ苦労しねえよ」


「…………」


「まあ、もう少し時間をくれ。俺の方でも探りを入れてみる」


「……前もそう言ってた」


「難しい仕事なんだって!」


「お金は払ったよね?」


「分かってる、分かってる!」


 男は揉み手をしながら笑った。


「嬢ちゃんとは長い付き合いだ。俺を信用してくれよ」


「……信用はしてないよ」


「ひでえ!」


「でも、仕事は頼んでる」


「……へへっ。そいつはどうも」


 男は金歯を見せた。


「ところで嬢ちゃん、今日はもう帰るのかい?」


「うん」


「随分早いじゃねえか」


「買い物も終わったから」


「へえ。今日は何買ったんだ?」


「……何で?」


「いやいや、ただの世間話さ」


「パンと野菜」


「お菓子は?」


「…………」


「はっはっは! 図星か!」


「……うるさい」


 加奈は買い物袋を持ち直した。


「情報が入ったら、いつもの方法で知らせて」


「おう、任せときな!」


「……じゃあね」


「あいよ! また来な!」


 男は愛想よく手を振った。


 加奈も軽く手を上げて、店を出た。


 布が下りる。


 男はしばらく入口を眺めていた。


 やがて、にやりと笑う。


「……へへっ」


 机の下へ手を伸ばした。



     ◇ ◇ ◇



 帰り道、加奈は本屋に寄った。


 小さな古本屋だ。


 店主は無口なおばあさんで、余計なことを聞いてこない。


 加奈はその店が好きだった。


 棚を眺めていると、一冊の本が目に留まった。


 古い冒険小説。


 表紙の端が少し破れている。


「……これ、いくらですか?」


「そこに書いてあるよ」


「……あ、ほんとだ」


 値札を見て、少し考える。


 今日のお菓子を一つ減らせば、買えた値段だった。


「…………」


 加奈は鞄を開けた。


 買ってきたお菓子を見つめる。


「……また今度にしよう」


 結局、本を棚に戻した。


 帰り際、おばあさんが声を掛けてきた。


「その本、気に入ったのかい?」


「……うん」


「なら、次に来るまで取っといてあげるよ」


「えっ、いいの?」


「どうせ、すぐ売れる本でもないからね」


「……ありがとう!」


 加奈は笑った。


 おばあさんは小さく頷き、また本を読み始めた。


 店を出ると、夕方の風が吹いていた。


 少し涼しい。


「……次は買おう」


 加奈は小さく呟いた。



     ◇ ◇ ◇



 部屋に戻った頃には、日が傾いていた。


 加奈は買ってきたものを棚にしまい、窓を少し開けた。


 風が入ってくる。


 悪くない部屋だ。


 雨漏りはするし、床も少し傾いている。


 でも、静かだった。


 近くに小さな店もある。


 古本屋だって、歩いて行ける距離だ。


「……うん」


 加奈は満足そうに頷いた。


 夕食を済ませると、机に向かう。


 古い地図と、何枚かの紙。


 紙には名前や日付が書き込まれていた。


 加奈は今日聞いた情報を、余白に書き足した。


「……軍を辞めた、か」


 鉛筆の先が止まる。


 名前をじっと見つめた。


「…………」


 やがて、紙を折り畳む。


 今はまだ、分からないことが多すぎる。


 焦っても仕方がない。


 加奈は地図をしまい、椅子に座り直した。


 お菓子の袋を開ける。


 一つ口に入れて、読みかけの本を開いた。


 静かな時間だった。


 時折、外を車が通る。


 遠くで犬が吠えている。


 加奈は本を一枚めくった。


 もう一枚。


 それから、ふと顔を上げた。


「…………」


 車の音がした。


 一台。


 少し遅れて、もう一台。


 どちらも建物の近くで停まった。


 加奈は本を閉じた。


 足音がする。


 複数。


 表から。


 裏手にも、何人か回ったらしい。


「……あーあ」


 加奈は小さく息を吐いた。


 今日、闇市で会った男の顔が浮かぶ。


 妙に愛想がよかった。


 帰る時間ばかり気にしていた。


「……あのおじさん、売ったな」


 別に、驚きはしなかった。


 信用していないと言ったのは、本当だ。


 ただ。


 まさか、こんなに早く来るとは思わなかった。


 窓の外で、金属の触れ合う音がした。


 加奈は机の上を見た。


 食べかけのお菓子。


 読みかけの本。


 明日も使うつもりだった食器。


 それから、気に入っていた毛布。


「…………」


 古本屋のおばあさんの顔が浮かんだ。


 次に来るまで、あの本を取っておいてくれると言っていた。


「……買っとけばよかったな」


 加奈はお菓子を一つ摘まみ、口へ放り込んだ。


 それから立ち上がる。


 部屋を見回して、少しだけ眉を下げた。


「……ここ、結構気に入ってたんだけどなー」



     ◇ ◇ ◇



 同じ頃。


 闇市の外れにある、薄暗い倉庫。


 一人の男が、揉み手をしながら笑っていた。


「へへっ、旦那! 例の件、うまくいったんでしょう?」


「ああ。おかげさまでな」


「そいつは何より! いやあ、俺も苦労した甲斐がありましたよ!」


 情報屋の親父は、金歯を光らせた。


「なにせ、あのガキは用心深くてねえ。俺がどれだけ骨を折ったことか!」


「そうか」


「ええ、ええ! そりゃもう!」


 目の前の男は、黒い上着を着ていた。


 表情は薄暗くてよく見えない。


 だが、情報屋にとってそんなことはどうでもよかった。


 約束の報酬さえ貰えれば、それでいい。


「いやあ、旦那みたいな気前のいいお人とは、末永くお付き合いしたいもんですな!」


「……そうだな」


「へへへ……」


 情報屋は、さらに揉み手をした。


「それで旦那。そろそろ例のブツをいただけませんかね?」


「ブツ?」


「いやだなあ、約束の報酬ですよ。忘れちまったんですかい?」


「ああ」


 男は思い出したように頷いた。


「悪い悪い。まだ渡してなかったな」


「へへっ! そうこなくっちゃ!」


 男が上着の内側へ手を入れる。


 情報屋は嬉しそうに両手を差し出した。


「いやあ、旦那は本当に話が分かる! これからも何かありましたら、ぜひこの俺に――」


 パンッ。


 乾いた音が倉庫に響いた。


 情報屋は仰向けに倒れた。


 差し出していた両手が、力なく床に落ちる。


 黒服の男は拳銃を下ろした。


「……おっと」


 わざとらしく肩をすくめる。


「ちょいと大玉だったか?」


 返事はない。


 男は鼻で笑った。


「ま、サービスだ」


 倉庫の出口へ歩き出す。


 扉に手を掛け、振り返りもせずに言った。


「ゆっくり味わって舐めな、旦那」

今回の話は初めてヒロインの加奈のパートになります

重要な話なので好きな楽曲でシャネルズの夢で逢えたらを選曲してます

今はアニソン界の大型新人(過去形?)鈴木雅之で活動してます

良かったら聞いてみてください

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。