見えない敵との戦い 九
2026年9月20日
ただ転んだだけだった。買い出しの途中でつまずいて転んだ。缶のお茶が転がった。麻木が起き上がると周りには踊っている人が複数人いた。いつ現れたのかわからないが、男女入り乱れて踊っていた。お茶の缶はその踊る人々の足元に転がっていた。
「空間ごと変えるタイプがこんなところに」
麻木は踊る人にぶつからない様に缶を拾った。
踊る人の特徴は若者だった。だが、だれひとり見たことがない顔だった。
「どこから連れてこられたのか」
缶を拾うと麻木は買いだし袋の中に入れた。
踊る人の目を見ると虚ろだった。人ではないことは確かだ。触らないほうがいい。麻木が今いる場所は先ほどまでのいつもの道ではなく、ライトひとつが天井にある小部屋だった。
出口を探さなければいけない。この影を使った技は初めて見るものだった。麻木は今の状況に緊張はしていたが、この技の稚拙さも感じていた。どこかに抜け道があるはず。その抜け道を探すことに注力した。
踊る人は同じ動きをずっとしている。麻木はそれを見ないようにした。床を観察すると踊る人の足元に一枚ずつコインがあるのが見えた。緑色のコインだった。
「こいつはヤバいな」
緑色のコイン。麻木は聞いたことがある。緑色というのは魂の色なんだと師匠が言っていた。なので影が作り出す空間で緑色のものを見てもそれを壊してはいけない。必ず。そう言われていた。麻木はそのコインを一枚ずつ丁寧に拾っていった。全部で12枚だった。集めたコインは自分の懐のポケットに入れた。あとで主人に渡すつもりだ。
すると踊っていた人々が次々に黒い影になった。黒い影は動きを止め、「しらない」と口々につぶやき始めた。
「さて、どうする」
麻木は息をひそめて部屋の隅に立った。
「たすけて」
影が天井を見て「たすけて」と次々に言いだした。天井がどうやら出口らしい。麻木はそこで初めて自分の周りに影を作って身を隠した。
影の「たすけて」という連呼に、次第に地響きが混じりだした。麻木は身をかがめる。
天井にあるライトがチカチカし始めると、天井が遠くなっていくのが見えた。いや、この空間が箱だとすると、その箱が開いたという表現の方が近い。天井が開いて、そこに巨大な人の顔が現れた。男の顔だった。その顔はたすけてと言っている影たちをじっと見ると「あ。ない」と言った。地響きがまた鳴り響き、天井の蓋が閉じられると、麻木は最初に居た場所に帰ってきていた。
麻木の近くには転んだ時に他に転がってしまったのかトマトが落ちていた。ただ、そのトマトは赤色ではなく緑色になって腐ってしまっていた。




