見えない敵との戦い 六
9月18日
高速道路の運転をする主人は鼻歌混じりだった。どこか機嫌がよさそうだ。一方の麻木はこの高速道路上で眠らないよう気を付けていた。麻木は後部座席に座っていた。
「今日の依頼は遠いんですか?」
麻木はバックミラーに映る主人の顔を見た。
「ちょっと北上するだけですね。2時間ぐらいです」
「まあそこそこ遠めですね」
「2時間が遠いかと言われたら…まあそうですね。高速道路に乗ると片道2時間が遠いのかどうかわからなくなりますよ」
「今回は急ぎですか?」
「いえ、今回はあらかじめの予定通りに開催です。ちょっとした祭りの調査なんです」
「嫌な予感しかしない」
「どうしたことなんですかね。楽しいお祭りなのに」
麻木は走行する車中、窓の外の視界の端に映ったものを振り返って、またそれを確認をした。あれを夢で見たくはなかった。木に人の形をしたものが引っ掛かっていたのだ。
「人が増えると変なものも増えますね」
主人の言葉に麻木は買っていたコーヒーの蓋を開けた。
「あればかりは嫌です」
「ああいうのは麻木君が嫌いですから」
「おかげで居眠りひとつできやしない」
「帰りはのんびり休憩を取りながら帰ります」
高速道路から見える山々にはちらちらと色づき始めた広葉樹林が見えた。
途中で一度パーキングエリアで休憩を挟んでから、車は高速道路を降りた。高速道路から一般道路に入ると車は海沿いを目指して走る。
「今回の依頼なんですけどね」
右折のために車が止まったときに主人は口を開いた。
「いつの間にか祭りの神輿が変わっていたというものなんです。どういうことだと思います?」
「祭りの神輿が変わっていた、ですか」
「そう」
「だれも前の神輿を覚えていない?」
「いや、変わらないんです。依頼人によれば、必ず今のお神輿は前の神輿と違う。それを周囲に確認しても『そんなはずはない』と言われた」
「まず僕は依頼人を疑います」
「ははは。そうですね。ですが、依頼人は僕たちの知り合いの、その知り合いなんです」
「え。そうですか」
「その辺も気になります。楽しみですよ」
海沿いの道をそれから30分ほど走ると、目的地に到着した。宿はというと、仲介者の使うマンションの一室を借りることが出来た。荷物を部屋に運び込んで仲介者からあらためて話を聞くこととなった。
仲介者の名前は白石。顔にやけどのような跡がある男だった。
「狭いかもしれんが、まあ使えるもんは使ってくれや」
「ありがとうございます。助かります」
主人はマフラーを備え付けてあったハンガーにかけ、白石が陣取るソファーの前の席に腰を落ち着けた。麻木もジャケットをハンガーにかけ、なにも身体に装備がついていないことを見せると主人の隣に腰かけた。
「聞きたい事あるか?」
「依頼内容はお伺いしています。神輿の形が変更されていた件ですが、前の形と今の形の違いを具体的に、わかる範囲で教えていただけませんか」
「俺にはわからん。ただ写真がある。見せたるわ。これは表に出すことが出来へん写真やねん。一緒に提出することできんで堪忍な」
「いえいえ」
白石が封筒から写真を4枚取り出した。
「兄貴がこれは現物でしか見せたらあかんって言うたんや」
「ほう」
麻木も一緒に覗き込んだ。麻木の目には神輿は見えなかった。代わりに写真そのものが真っ赤に見えた。ちらりと麻木は主人を見た。
「そうですね。特に変わった様子はありませんね」
「ええ、こわ」
麻木は苦笑いした。
「ほう。この写真が本物ということが分かったそうです」
「おー。そうやろ?あんたみたいなやつはみんな怖いっていうからな、俺らみたいなんの会話」
麻木は気になることがあった。
「この4枚って、ぜんぶ同じ時期の写真じゃないですよね。古いもの、新しいもので分けてある」
「当たり前やろ。日付も見れへんか?」
「僕にはすべてが真っ赤に見えてわからないんです」
「ああ、ほうか。すまんな。左から日付が古い順に並べてあんねん」
そういって白石は背筋を伸ばして写真を指差した。
「麻木君、どのぐらいの赤さですか?」
「赤以外見えない赤さです」
「この4枚すべて?」
「はい」
主人は腕を組んだ。
「昔から影の影響があった。それがいま、わかる人にはわかるようになってきたということのようです」
「そうか。にーちゃん、窓の外見てくれへん?なにかあるか?」
麻木は立ち上がり、薄いカーテンがかけられた状態のベランダに続く窓の前に立った。
「カーテンを開けますよ」
「ええで」
麻木はカーテンを開けて窓の外を見た。ぐるりと視界を窓から見える範囲すべてに巡らせる。見終わると麻木はカーテンを閉めた。
「そうですね。よくわからないものが点々とあります。なんて言ったらいいんですかね。高い鉄塔のようなものって街中に、家々の間にありますか?」
「ないなぁ。それはヤバいなぁ」
主人は考えながらメモを広げた。
「ここの若い人は、なにも言ってこなかったんですかね。変なものがありますと」
「いや。そんなもの言ってきてたらすぐになくなってるやろ」
「なるほど。この僕たちが呼ばれたお祭り期間内なのか、それとも外部から来た人しかわからないものなのか。少しわかりかねますね、今の段階だと。調べないと分からない」
「たぶん今の期間やろうなぁ。一か月前に他の子にたまたま他のことで見てもらった。その時はなかった。ここもそれやらなあかんなぁ。ほんまにな」
「その方が安全ですね」
「かたじけない」
あとは実際に神輿を見せてもらうだけになった。当初の予定は遠目に祭りの神輿を観てもらおうと思っていたらしい。いまの状況だと直接祭りの最中に神輿を見ても身動きが取れない。どうなるかわからないということで、特別に今から神輿を見せてもらえることになった。主人と麻木は神輿が置いてある集会所の中に案内してもらった。道中、夕刻ということではあったが、町は明日の華やかな催しのためにあちこちで提灯が焚かれていた。組まれたやぐらからは突き出た四つの竹が飾られ、先端には紙垂が垂れ下がっていた。
麻木はやぐらから垂れる紙垂に違和感を感じたが、いまは神輿を見ることに意識を集中した。
集会所に入るとすぐに目的の神輿が置かれていたのが見えた。
集会所に置かれた神輿は別段おかしなところは見当たらなかった。
主人は麻木の様子がどうであるか麻木を見ると目を丸くした。
「大丈夫?鼻血出てるよ、麻木君」
「…あ?」
主人の言葉に麻木は自分の鼻を拭くが、次の瞬間には弾かれたように表に向かって走っていた。
麻木はすぐさま集会所から出て、走って隣の駐車場まで走った。
主人も麻木の後を追って駐車場へ走って行く。
「どうしました?これで拭いてください」
「いや、ある。大丈夫です」
麻木が一通り鼻血を拭くと主人を見た。
「本当にあぶないですあれ」
「なにを見ましたか?」
「大きな、大きな…アリがいました」
「アリ?」
主人は昆虫の蟻のことかと問うと麻木はうなづいた。神輿がそこにあったのかと聞くと「ない」と言った。
「つまり集会所にあったのは神輿ではなく巨大なアリだった。ちなみに何色でしたか?」
「赤かった」
なるほど、と主人はうなづいた。
「生きてましたか?」
「僕を見た。キンキンする鳴き声を出したんで逃げ出しました」
「そうでしたか。残念ですが、この話は僕たちではどうにもならないかもしれませんね」
主人は麻木が見たものを白石に報告した。翌日の祭りは神輿が壊れたという理由で練り歩きをすることを止める処置を取ると言った。また、白石は神輿はもうしょうがないから焼却処分すると言っていた。
「アリってのがデカいから神輿そのものを見ることすらできない。下手にいつものようにしていたら食われてましたね」
「ああいうのは関わりたくないです」
「おおきにな。すまんな。俺が見えんからわからんかったんや」
主人は白石から封筒を二つ貰うと、中身を確認し、ひとつを麻木に渡した。
そして麻木はここまでの道中にあったやぐらの紙垂についてのことも報告した。白石には燃やすとだけ言われた。
もう日が暮れたので今晩は用意したマンションで休むかと白石に聞かれた。
二人は顔を見合わせ「いや、ここにいたらどうにかなってしまいますから帰ります」と言って家路を急いだ。




