見えない敵との戦い 二
2026年5月3日
「さて、用意ができましたよ」
麻木がそういうと玄関先で待っていた主人が振り向いた。
「じゃあ行きますか」
玄関先には山吹色の小さな実をつけた木が植わっている。棘のある樹木でよく生垣として利用されている庭木だった。深い緑色の葉を茂らせ、他者からの接触を拒むように佇んでいた。
季節は夏だというのに雪が降り始めるような冷夏だった。
重めの雲が昼下がりだというのに暗く広がり、今にも雪が降りだしそうな様子をしていた。
「今日はまたどこへ行くんですか?」
麻木は車の助手席に乗り込んで運転席で地図を見る主人に尋ねた。
「だいぶ山の方に向かいます。依頼人から宿を用意してもらってます。野宿ではないですから安心ですね」
「今回はあぶない方面だと思いますよ」
「そうかもしれません。まあなんとかなります」
主人はエンジンを掛けると静かに車を前進させた。
車が向かうのは県の境目の小さな集落だった。麻木は自分が住んでいる街のことをあまり知らなかった。なのでどこに向かうかそこまで興味がなかったが、主人が話すことなので景色を横目に話を聞いていた。
「街から離れて、そんな場所にいるんですか?」
「いるという話です。行かないとわからないんですよ。依頼の話は現地で話します。私は運転に集中したい方なんです」
車から見える景色はどんどん街から離れ、木々が多くなり、道も狭くなってゆく。
やがて車は目的地の集落にまでやってきた。
つく頃には雪がちらつきだし、道の脇にあるまばらに溶けた雪が今夜も降るであろう雪の寒さを予感させていた。
「まだ17時ですけどね。夏だから日は明るめでも雲で暗いですね」
「街よりこの辺が明るい気がするのは雪のせいですかね」
「でしょうね。まだ解決してませんから。宿はこの先の大きな屋敷です。民宿ではなさそう」
「民宿があるような雰囲気ではないですよ」
舗装されてない集落の狭い緩やかな坂を車で登るのはやめ、入口に車を停めると荷物を持って主人の先導のもと用意された宿に向かった。寒さのせいか人の姿はない。とある家の前には小さな雪だるまがあったが子どもの姿は見当たらなかった。
「どういう依頼なんですか?」
麻木が主人に尋ねる。
「まあ、このような場所なんですけどね。山の裏手に神社があるんです。そこに数日前から藁人形が打ち付けられるようになったんですって。調べてほしいと言われたんですよ」
「ああ。やっぱり嫌だな」
「夜に調べないでほしいと言われていますが、藁人形を打ち付けるなら夜ですよね。なのでこの時間の到着になるようにしました」
「ふぅ」
「本日向かってもよろしいですか?とお伺いを立てたらいいですよとおっしゃってもらえました。できるだけ早く終わらせてほしい問題なんでしょう」
「そうですか」
「軽い荷物でも持って歩くと疲れますね」
「持ち物の問題でしょう」
「そうですね」
麻木は立ち止まって集落の中ほどまで来たところから周りを見渡した。特に集落の家々に目に付くものところはない。主人は疲れると言いながらも先に進んでいっている。主人はあまり自分の手荷物を人に持たせることはない。今日のような依頼は街にいる影とは少し違うことをしないといけない。その為の準備の道具を主人は持ってきていた。麻木は止めていた足を動かした。
「鳥の鳴き声すらしませんね」
「そうですね。避難しているんでしょうね」
「人もいない」
「いや、いますよ。まあいないようなものですけど」
話しているうちに泊まる場所に着いた。他の隣家より大きめの屋敷だった。
「すみませーん。だれかいませんかー?」
主人は開いていた玄関を少し開け、中にいる人に向かって呼びかけた。返事はない。
麻木は辺りの様子を伺っていた。やはり変わったことはない。玄関の脇には以前は手入れをしていただろう植木鉢が置かれていた。植木鉢の土には名札が刺さっている。名札にはラナンキュラスと書かれていた。
何度か主人が中の人に向かって呼びかけていると家の中から足音がしてきた。
「すみません、お夕飯の支度をしていたので気づくのが遅くなってしまいまして」
「いやいや、急な訪問申し訳ございません」
出てきたのは女中と思われるややお年を召した女性だった。
「お客様をお家にあげていいと言われていますので、どうぞこちらに」
「はい」
通されたのは広めの和室だった。畳の上に白いカーペットを敷き、その上に背の低い背もたれのある椅子とガラスのテーブルが置かれていた。麻木は部屋の隅に腰を落ち着けると主人は椅子に腰かけた。
「うん。こんな感じですか」
「この屋敷の人が依頼人なんですか?」
「いえ。この仕事の依頼人はこの屋敷の方ではないです。ここはお借りするだけですね」
「そうですか」
しばらくすると女中が湯呑に麦茶を入れて持ってきた。
いまはまだ屋敷の主が帰って来ていないので、もうしばらくお待ちくださいとのことだった。
麻木は柱に背中をもたれさせた。天井を見ると木が格子の様に組まれ、その内側が白かった。
「屋敷の主が来るのはまだ先になりそうな気がしますね」
腰を落ち着けてから10分は過ぎたころだった。
「ここの辺で反応を感じるのはやはり裏の神社の方面なんですかね。どうです?」
「なんというか。僕は眠いです」
麻木はあくびをした。
「今日の夜、忍び出ることはできそうですかね。僕はここでこの屋敷の主人を待たなければならないので、先に外を見て回っていてください。この辺は信心深い人が多いと聞きました。神社の方にこの時間に行く人はいないと思います。ちょうどいいでしょう」
麻木は屋敷の玄関から外へ出ると家をぐるりと観察し、山の裏に続く道を見つけると登りだした。
山に緑が茂るはずの季節。草花が芽吹いていても葉や花びらを固く閉じている。熱を逃がさないためだ。
「さすがに山を登ると体が温まるな」
麻木は着ていたコートを脱いだ。
コートを手に持ちながら道を進むとやがて神社の参道に繋がり、目的地の神社についた。集落の大きさに見合った大きさの神社だなと麻木は思った。古くはあるが手入れされていないという風でもない。だが神主がいそうな社務所はなかった。あるのは神輿を納めている納屋だけだった。集落の住民が管理している神社なんだろうなということは想像できた。
まあ夜に隠れて待機することは問題なさそうだと麻木は思った。集落にわざわざ降りて宿に戻る必要もない。集落の住民に見つかるようなこともなさそうだった。
藁人形は老人Oという人物が見つけ次第打ち付けられたヒノキから抜いているという話だ。
参道の脇の木はヒノキ、クスノキ、クワ、スギ、センダンといくつかの種類が植わっている。人工的に作られた樹木相であることがわかる。低木のアジサイ、イチジク、ボタン、ヤブツバキも彩のためか植えられていた。一般的な神社の参道というより、それは集落の神社といった風で庭木もいくつか植えられていた。
「わざわざヒノキ?」
ヒノキは真っ直ぐに伸びる木で樹高は最大10mほど。だいたいどの辺に打ち付けられているのか。
麻木はヒノキを中心に釘のあとを探してみた。何本か見ていると釘のあとのある木を見つけた。見つけた高さは2.5mほどのところだった。
「女性には無理でしょうこれは」
山の斜面に生えたヒノキに釘の跡はあった。足元は落ち葉が枯れたふかふかの地面だった。そこに人が踏み荒らしたであろう枯れ葉の下の濃い色の土がむき出しになっていた。
「駐在さんにはとくに連絡もしない…か。被害届なんて出したところで怖いか」
そのあと同じくヒノキの成木三本に釘のあとを発見した。どれも2~3mの辺りに打ち付けた跡があった。
「夜に来てだよね。足場が悪いのにわざわざ頭上に藁人形を打ち付けますか」
影がそういう現象を起こすかといったらそんなことはしない。実体がないから影と呼ばれている。影の正体は謎。しかし麻木は影の正体をこう思っていた。影とは人にとりつく悪意。しかしただの悪意ではない。増殖する悪意。増殖した悪意が時に超常的な変化を認識と空間に及ぼすことがある。そういうものだと。
もし釘をこの高さに打ち付けるような変化を及ぼす影がいたとしたら、肉体への変化になる。
異常な筋力の増加。しかしそこで出てくるのが “影の起こす異常で、なぜ他者への恨みの発散が藁人形を木に打ち付けるということにつながるのか” という疑問になる。
麻木は愉快犯であると予想をつけた。しかし実際に麻木は集落に来てかすかな影の気配を感じ、この藁人形のあったという場所により濃く影の気配を感じたので、予想は予想であってそれが自分の思い込みであることも諫めた。
「探したけど影の巣はここにはないかな」
日も落ちてきた。そろそろ帰ることにしよう。そう思って参道を降りていると視界の隅に人影を見たような気がした。木の合間からこちらを見るような姿が頭をよぎる。慌てて注視して見えた場所を見たが、なにもいなかった。
屋敷に戻ると主人と屋敷の主が話していた。麻木が挨拶をすると柔和そうな屋敷の主人と少し話すことになった。この仕事をして長いんですか?もう20年になります。お若いですよ?そんなことはないですよ。明日はいつ頃目覚める予定ですか?朝の6時頃です。朝食をそのころに用意いたします。いや、お構いなく。そのような会話だった。そして宿として使っていい部屋に正式に通してもらった。広い畳の座敷だった。布団も用意していただいていた。麻木はそこを使う予定はなく、外に続くことができる襖の近くを陣取った。主人はというと布団を使うようだった。
麻木は主人が設えられている四角い木のテーブルの上に広げられた夕食を摂る音を聴きながら気づけば眠っていた。
暗い場所の中でぬるりとした感触があった。
麻木が目を少し上げると一筋の光が何かを照らしていた。白い。光に当たっている部分が白くて丸みを帯びている。なにか認識した麻木はそこにいる女の腰を掴んで覆いかぶさった。光は女の乳房を映し出していた。なぜ自分が裸でいるのかはどうでもよかった。女が裸で自分も裸で、女が自分の腰の上に乗っかっていた。探せばある。それだけに集中しながら腰を動かした。女の肉は触れられる部分はやわらかい。その肉厚でやわらかい足が暗闇の中のわずかの光で肌の白さで浮き立っていた。
数回目の射精で耳元で女がささやきをしようとした。麻木は小太刀を出現させると女の胸に一つ振り落とした。
「起きましたか?ちょうど起こそうと思ってましたよ」
薄明かりがついた見慣れない和室の隅で麻木は座ったまま眠っていた。
「ここにもありました」
「そうですか。まああるでしょうね」
「眠らなかったんですか?」
「はい。準備していました」
「もう時間なんですね」
「体調に問題はないですか?」
麻木は立ち上がろうとした。腕にしびれがあった。先ほど小太刀を握っていた手に力が入らない。
「ちょっとあと10分ほど待ってもらえますか?」
「わかりました」
この部屋に時計はなかった。部屋をぐるりと見まわして気づいた。隣の部屋とこの部屋を仕切るのは襖。外に続くのは木の格子に摺りガラスがはめ込まれた引き戸だった。
先ほどの女がつぶやこうとした言葉。これは大方相場がついた。前に師匠から聞いたことがある。必ず聞いてはいけないと言われた。「まだできますよ」。女がつぶやく理由は女が妊娠したからだ。
「もう大丈夫です」
腕のしびれが取れたので主人に声をかけた。
「そうですか。では参りましょう」
摺りガラスの戸を開けると廊下があり、その先に外に続くガラス戸があった。
「玄関から靴は持ってきてますから。表から出ると余計なものが付いてくる」
「仕掛けは外すというより感知させないようにしないと」
「これをすると盗みに入っている気分になります」
二人はさっさと家から出ると裏山に続く道を登り始めた。
「うん。しっかり踏み固められています」
「そこを気にしますか?」
「あるんですよ。家主が自分たちが作った道を使わないというのは。神社そのものに思い入れがないわけではない。ここは参道ではないですからね。この道は参道に続く道ですよね」
「はい」
「土がむき出しの道です。普段からここの道を使うから土は踏み固められ草も茂ってない。お社は小さいと伺いました」
「そうですね。集落に見合ってると思いました。僕が見た感じだと管理者は村の代表でしょうね」
「じつは違います。誰だと思います?」
麻木は主人の問いかけに巡らない想像を早めに終わらせたいと思った。
「誰ですか?」
「不思議なんですが、今はこの場所にいない一家です」
「ふーん。村八部?」
「さあね。宿にさせてもらっている屋敷の主に伺っても先代から聞いていないのでわからないそうです」
主人と麻木は道の終わりである参道に出ると辺りを見回した。明かりはない。主人は足元を照らすだけのランタンを消すと参道の石段を足で確かめながら登りだした。神社には一灯だけ電気の通った電灯が設えてあった。
「場所はどの辺りでした?」
「神社の下の参道から外れたヒノキに数本釘の跡があっただけです」
「麻木君が出ている間に主に藁人形を見せてもらいました。特に変わった施しもされていない藁人形でした」
「僕は見ることもできないでしょうね」
「かもしれません」
神社の裏手に行くとそこで物音が聞こえてくるのを待った。時刻は深夜一時ごろ。藁人形を打ち付けるなら音が聞こえてくるはずだろうという理由で裏で隠れて待つことになった。
麻木はたばこを吸う訳にもいかないので空を見上げてみた。神社の社を取り囲むように木々が生えている。見上げるが星は見えなかった。風もなく、夜の鳥の鳴き声も聞こえない。たまに小枝が折れるような音が聞こえてくるだけだった。
「なにかいますね」
時間も随分深くなったころ、石段を土の付いた靴で歩くような音が聞こえてきた。
「本当に来たんでしょうか」
「そうでしょう」
二人は気配を消して社の後ろから移動した。
釘を打ち付けるような音は参道の下の方から聞こえた。二人は上から音の発生源の場所を探した。光が自分たちの影を作り出さないように注意を払いながら茂みに身を隠すことをさせて目を凝らした。
「いましたよ」
「顔はわかりません。見える場所に行きましょうか」
音を出している人物を確かめるために少し移動をした。やや体が木に隠れてしまっている。人物は男のようだった。辺りが暗いのでこの人物も神社に備え付けられた常夜灯を頼りに行動しているのがわかる。
「予想はあたっていましたね」
そこにいたのは宿の屋敷の主人だった。腕を伸ばし木に向かって何かを木槌で打ち付けていた。
「もうわかりましたから。帰りましょう」
二人は木に釘を打ち込む音を背後に神社の参道の生垣で身を隠しながら来た道を戻った。
「人物の予想はついていますか?」
「まあまあ。距離を詰めないといけません。まだです」
屋敷に戻ると部屋に入り主人は布団に入り込んだ。麻木はまた座りながらの休憩をした。
明るくなるころには屋敷の台所から賑やかな音と出汁の匂いが主人と麻木がいる部屋にもかすかに漂うようになっていた。
二人は朝食を食べず家をあとにした。昨日会った女中が主人のための朝食を作っていた。奥方は存在せず、女中は隣の集落に家があるが、この屋敷の主に雇われてこの集落に来ているそうだった。週末の二日間に家に戻ると言っていた。旦那さんは大丈夫なんですか?と聞けば旦那は5年前に他界したという。
この屋敷の主人はだいたいこの時間は眠っていると言っていた。
車に荷物を戻すと再び屋敷に戻り井戸を調べた。
「ここは井戸から水を引き上げていると言ってましたからね。水道がない」
「組み上げ式ですけど」
「よかったですよ。古めかしい井戸じゃなくて。中に入られてたら厄介です」
「ここですね」
「ではお願いします」
麻木は手袋をするとそこを擦った。黒く消えかけの三角の印が、やや装飾めいて描かれていた。
いつものような影は出てこず、麻木が擦っただけで消えてしまった。
「もう入ってますね」
「うん…それはここの屋敷の人間ですかね」
「わかりました。これは先代に対してのものです」
「複雑ですね」
いくつかの仕掛けがある。その仕掛けの中から藁人形のもとになっているものを探し出すことをするのが簡潔ではある。
「僕の予想を言ってもいいですか?藁人形はこの屋敷の主人の友人です。友人が原因です」
麻木の突然の言葉に主人は笑った。
「わかってますよ。わかってますが、場所です。それを探しましょう」
「簡単な依頼かと思ったら僕は昨日死にかけました」
「帰りたいですよね」
この集落の住民はほぼ朝から晩にかけては隣の町に行っているという。仕事や学校が隣の町にあるからだ。日中にいることはないということになる。今の時刻は朝の5時だった。
「隣町の人間ですよね。ここの主人の」
「川壁さんです。ここの主人の名前で、影に狂わされている人の名前です」
「川壁さんの仕事は何ですか?」
「教師です」
「うわっ」
麻木は心底疲れたようにしてたばこに火をつけた。
「しんどいです」
「どこに影をつけると思いますか?」
「ここの集落と隣の町って何㎞ぐらい離れてますか?」
「およそ7㎞です」
「じゃあ車ですね。とてもわざわざ来るとは思えない」
「そうですね。ちなみに藁人形を作って釘を打つという行為。これは殺すためです。川壁さんをですね」
「ふーん」
「こんなことを毎日続けてみなさい」
「そうですね。あの感じは本人は起きてない。違うものです」
「社会的に死ぬ。そして本人は病院に入れられるでしょう」
「薄汚いですね」
主人もたばこに火をつけるとたばこを吸い始めた。
麻木は二本目のたばこに火をつけ、それを吸い終わると二人は車庫に向かった。主人の川壁の車を調べると、車の助手席側のミラーに影の印を見つけることができた。
「今回は封印の依頼じゃないんです。なので壊しましょう」
「ケンカしてるんですかね」
「さあ」
麻木はマッチを取り出すと燐の付いたマッチの頭で印を擦った。マッチは青い炎を灯すとすぐに消える。
「終わりましたよ」
「見つけることができるまでが大変なんですよね。後処理はこんなにも簡単なのに」
「今回は簡単に終わらせることができてよかったです」
「この集落は集落でだいぶいけないことになってますけどね」
外からは車のエンジンの音が聞こえるようになってきた。出勤する人たちだろう。
「僕たちは。藁人形の依頼を今回受けました」
「はい」
「それ以上は骨が折れるから。今できることをしましたよ」
「一応ほかに見つけたもの、報告だけはしておきましょうよ」
麻木の言葉を聞き、主人は深呼吸を一つする。
「じゃあ集めてきてください。出発まで3時間はありますから」
「行ってきます」




