見えない敵との戦い 十五
2026年9月22日
主人はソファーに座っていた。依頼人が使っている住居のソファーだった。今回は仲介者がいない。仲介者が依頼人だった。名前を田中と名乗っている。家の中は簡素で余計なものがない。主人がいる部屋にあるのはソファーとテーブル、テーブルの上には灰皿。それだけの空間だった。
田中は以前境橋の仕事を持ってきた仲介人だった。今回は田中自身が依頼人ということで主人は少し緊張をしていた。
「お待たせしました」
開いた扉から田中が入ってきた。手には花を持っていた。花は花瓶に入れられていて、穏やかなピンク色をしている。
「おや、随分とこの部屋に似つかわしくないかわいらしい花ですね。しかも一輪挿し」
「うん。この部屋じゃないといけないんですよ。この花は人を殺しますから」
そういって田中は花瓶を机の上に置いた。そしてソファーの後ろから足の長い丸椅子を取り出して腰かける。
「ではお話しください。どういう依頼なのか」
「いいですよ。花に火をつけてみてください。マッチの火を近づけるだけでいい」
「説明をお願いします」
「いや、見た方が早いんだ。この説明は面倒だから。そして僕はこの花に火をつけられない」
言われてしょうがなく主人は持っていたマッチに火をつけて、花びらに近づける。すると変わったものが見え始めた。
「娘がお世話になります」
「あなたが殺しました」
「違わない」
「本当のことを教えてください」
主人はまばたきした。そしてマッチの火は消えた。花びらは燃えていなかった。
「これを送られた者には、この花の影の正体を見ることも取ることも出来ない。この花に影の技はない。見つけてくださいませんか?この花はただの投影機なんです」
主人は考えてみた。まずは質問をした。
「この花はいつからここにありますか?」
「3日ほど前からです。防犯カメラで確認しました。玄関先にあることに今日気が付いた。僕は三日前までこのマンションに来る機会がなかった。たまたまです。トラップに気づかなかったとでも言っておきます。引っ掛からないといけなかったなとも、いまでは思いますね。都合がよかった。じゃないと隠れられなくなります」
「そうですか」
「3日間気づかなかった。それほど強いものです。ですから入念なものとなっています」
「完全に田中さんひとりを狙ったものと言えますか?」
「この場所はたまにしか使わないんです。依頼者からお話を伺うためのもの。依頼を受ける場所です。ランダムで現れる依頼人を狙うというのは考えづらい」
「そうですか。まあいろんな線があります」
「そうですね。僕は影のかおりがしないとよく言われます。実際はそうでもありません。ですがそう言われるということは、影を使う者たちにどう映るのか。それが気になります」
「影がないものを困らせるためにやった。まあ不特定の方が自然なのか」
主人は頭をかいた。原因の特定も大事だが、影を不活性にすることの方が先という話になった。
「ある程度の影の情報は調べましたから。これは僕では力のオフができない。ロックされています。設置型の精神干渉するものです。僕を狙いたい者がそんなもので僕を狙うわけがないですがね」
「業界の者の中でも狙いがあなたですからね。田中さんを狙うやつは何も知らないやつしかいない」
「たぶん、気に食わなかったんでしょう」
主人は花瓶を触ろうとした。
「この花瓶は最初からですか?」
「はい。玄関の前の足元に置かれていました。それも不自然ですがね。仕掛けはいくらでもあります。この花に気づけないという仕掛けがありました」
「だとしたら、枯れる頃が終わりということだったんでしょうか」
「うーん。この花、生花だと思いましたか?」
「ええ。え、もしかして生花ではない?」
主人はじっとピンクの花を見た。
「とてもよくできていますが、これは造花です」
「へぇ…怖いです。生きているようにしか見えない」
「それも影の技です」
主人は目を細めた。田中は笑った。
「帰りたくなりましたか?」
「お金は昨日貰ってますからやります」
「これが原因だと分かっていたら、もっと向いている人に言っていました。すみませんね。今日この花のことを知った。そして僕の不調の原因がこれだった」
主人は目頭を押さえた。
「できなくはないんです。ただ、面倒なだけです」
「後払金も払います。よろしくお願いします」
主人はもう一度花を見た。たしかに花に影の気配はない。影の声が聞こえるのは花を燃やそうとしたときだけのようだ。この花は投影機。ということはこの部屋に何かがある。
「すみませんがお宅を拝見させていただきます」
「お好きにどうぞ」
主人は立ち上がるとまず玄関先に向かった。白を基調とした玄関には靴箱があり、スリッパが二つ立てかけられている。靴箱の上は物が置けるが、そこには何も置かれていなかった。玄関の外も何もなかった。このすぐそばの足元に先ほどの花が置かれていた。その近くに影の気配はない。主人は玄関の鍵を閉めると浴室、トイレとみる。しばらく使われた形跡がどれもなかった。ここは依頼を受けるだけのスペース。本当に使われていないようだった。主人は田中がいる部屋に帰ってくる。
「ないですね、あやしい場所には」
「あったら侵入したということになる」
「となると郵便物ですよ」
「そうですよね。僕は触らないほうがいいと言われたので触っていないんです。そこの引き出しの中です」
田中が指を差す部屋の隅、そこに白い引き出しが置かれていた」
「あれ。僕その引き出しにいま気づきました」
「うん。なるほど」
それは4段ほどの引き出しだった。
「緊張しますね」
そういいながら主人は上から引き出しを引いていく。まず最初の一番上の引き出しに変なものがいた。カエルだった。大きさは人のこぶし大で、目が赤い。喉をピクピク動かしている。
「ん」
主人はすぐに懐からハンカチを取り出すと口と鼻を押さえた。強烈なアンモニア臭がしてきたからだ。
田中は目をつぶって座っている。
主人は台所でコップに水を入れて戻ってきた。そしてそれをカエルに掛けた。するとカエルは小さくなっていき、雑巾が現れた。
「うん。これではない」
今度は台所で見かけた洗剤を取ってくる。そしてその洗剤を雑巾に掛ける。すると次は古いメモに変化した。そこには『ただいま』と書かれていた。
「ただいま?このメモに心当たりはありますか?」
田中の返事がないので振り向くと田中は床に倒れていた。
「おおおお、大丈夫ですか?」
主人は田中に駆け寄った。すると田中はソファーを指差した。ソファーには田中が座っていた。
田中の姿をしているが、目も虚ろで生気がない。影の技で作られた田中の影だった。
「こ…これが影。田中さんの影。怖いです」
「封印ではなく、取り押さえてください」
何処を見るわけでもない影の田中。主人は台所からワイングラスを取ってきた。
「これでどうですか?」
影の田中の前にワイングラスを置く。するとどこからともなく現れる赤い液体がワイングラスを満たしていった。ソファーに座っていた田中は目を閉じてそのまま横たわった。
「これはひどい。生きている人をそのまま陰にしてますよ」
「死の影の技ですからね」
田中はゆっくりと起き上がって机にもたれかかる。
「これは僕です。僕を影にしたもの。嫌ですね。死なないけどつらい」
「いまは死なないかもしれませんがね、そう長くは持ちませんよ」
主人は持ってきた荷物の中から空き瓶を見つけるとワイングラスの中身を空き瓶に移し、蓋をしっかりと締める。
「これで田中さんを困らせていた死の影は一旦おしまいです」
そのあとは田中の指示で倒れている田中の影を隣の部屋にある仮眠用のベッドに寝かせた。
主人は先ほどの引き出しをもう一度見ると、置いてあったメモが変化していた。それは一通のハガキだった。
「これが大本ですね。暑中見舞い申し上げます。どこかのお得意様ですか?」
「いや、その引き出しに入っているものはすべて遺留物です。調べた後の遺留物で封印するために置いていたものでした。これに目を付けたんですね。この家にある中で一番狙いやすいものですから」
「おちおち保管しておけませんね」
「僕のミスです。気をつけます」
「あのベッドに寝かせたものって、どうするんですか?」
「ああ、あなたはまだそれを見たことないですかね」
「いえ、何度かありますよ」
「見ていきますか?」
「是非」
田中の後について主人はベッドのある部屋に入った。田中の影はベッドで横になって目をつぶっている。田中は眠る影の側に寄るとつぶやいた。
「お前はだれ」
影は目を開いた。
「俺は俺じゃない」
そういって田中を見る。
「かわいそうだけどごめんね」
田中はその影の目を触った。すると目があった部分は黒くなった。目がなくなったように見える。次第に田中の影は薄くなっていき、最後には消えてしまった。
「これは僕じゃないんです。だけどね、この影は僕です。目に別のものが入っている。なので目を潰すと僕に帰ってくる。そうしないと僕が死ぬ」
主人は逸らしていた視線を田中の背中に向ける。そしてため息をついた。
「これを自分でしないといけない。見える側の者はつらいですね」
「ですね。見えない人のこれは手を貸してくださいって言ったらいいだけです」
田中は台所へ行って蛇口で手を洗う。主人は田中が座っていた足の長い丸椅子に腰かけた。
やがて水道を止める音が聞こえると、田中が封筒を持ってやってきた。
「お手数おかけしました。ここは引き払いませんが、しばらく僕たち用の対策を作る場所にするつもりです。今日はありがとうございました」
「本当に気を付けてくださいね。いなくなったら寂しいです」
「まあ大丈夫なように気を張ります。これ、今日のお代です」
封筒を受け取ると主人はその場をあとにした。




