見えない敵との戦い 十一
2026年9月21日
待ち合わせの時間になっても主人は来なかった。麻木は腕時計を見るのをやめるとたばこに火をつけた。古い雑居ビルの前に麻木はいた。約束の時間になるまで麻木はたばこを12本吸っていた。たばこの吸い殻は影がざわつくので懐に仕舞える防火小袋に入れている。
「これはなにかあったかな」
しばらくたばこを吹かしていると物音が聞こえてきた。麻木がここまで歩いてきた道からだった。振り向くと主人が走ってやってくるのが見えた。
「いや…そんなに急がなくてもいい…」
「ヤバいから走れ!俺の後ろを見ろ!」
ぼーっと主人を見ていた麻木に主人は声を荒げた。
主人の後ろを見ると巨大なトンボが飛んでいた。大きさは1mほど。この手の影は人の頭に憑りつくものだった。頭に憑りつかれた人は人ではなくなる。生きた屍になってしまう。そしてこの影の対処法は虫取りカゴしかなかった。その虫取りカゴの場所は決められている。助かるためにはその方向に走るしかない。追いつかれたら死ぬ。自分としての人生が死ぬ。この影は麻木のような者たちを排除するためのものだった。
「当たり前ですけど家はダメです!あそこに住めなくなります!」
「わかってます!じゃあお達者で!」
「お前が逃げる道で行く!先を走れバカ!」
このような影に対して、いくつか巻くためのポイントはある。ただ、今回は捕えておかないと後々厄介になる影だった。麻木が雑居ビルに来る道中、この影の仕掛けを見つけることがなかった。この影自体が主人を狙った影だろう。いま必ず捕獲することをしないとこの業界から去らないといけなくなる事態だった。仲間がひとり、この影の送り主にやられた可能性を示唆していた。
「死んでないといいですね」
主人がぽつりとつぶやく。そして主人は麻木に追いついて、そして麻木を追い越した。
高架下、廃線になった駅、先が行き止まりの交差点。そこは必ず安全だったが麻木たちがいる場所からは遠すぎた。そうなると河川敷に向かって走るしかなかった。
「なんか笑い声が聞こえますよ!虫さんから!」
「楽しいんでしょうね!獲物を見つけたやつってのは大概笑うもんです!」
前後に揺れながら麻木の後ろに迫る影。麻木は主人の背中を蹴りたい気持ちになった。
主人は影との距離を開くために様々な小道に入っていった。麻木も後を追って走る。
そうやって目的地にしていた河川敷にようやくたどり着いた。
そこは60m四方の整備されたグラウンドになっていた。角には四本の時計が設置されていた。
二人はグラウンドに入ると肩で息をして追ってきていたトンボの姿を探す。トンボは自分たちの5m頭上で固まっていた。
「僕はこの手の影は初めてです…死ねばいい…」
「はは…僕は4回目です。僕と一緒にいると退屈しないかもしれません。ですが今回は僕狙い。僕狙いは初めてです。だから安心してください。3回は巻き添えでしたから」
主人は固まったトンボ型の影に向かって懐から取り出したペンをかざす。そのペンにはスイッチが付いていて、そこを押すとペンの頭が光った。
「これでいい。このトンボの形の影はこれで僕を忘れました。こうしないと僕がいつまでたっても追いかけられることになります」
「対処療法しかできないのが歯がゆいですね」
「影を下手に壊すと僕が存在しているということが知られますからね。総量を減らしてはいけない」
主人は乱れた衣服を整えると麻木に向き直った。
「さて、依頼をこなさないといけません。戻ります」
麻木はさすがに持っていたたばこの吸い殻入りの防火子袋を主人に向かって投げつけた。




