六
「……ということは、あなたは絶対に、殿下と一緒だったの?」
「そうでございます。奴は眠りが浅いので、殿下がお目覚めになったらすぐにわかりますし、なにより、閨房のまわりに宦官や宮官が大勢居ました」
檗の証言は次の通りだ。
あの晩、枰良娣は太子・晌を侮辱し、怒りを買って打擲され、追い出された。晌は檗を呼び、酌をさせたが、ろくにのみくいもできない。それほど腹をたてていた。
その後、ふたりは牀へ行った。晌は檗の膝を枕にして、しばらくしたら眠ったので、檗は器用に、枕へ場所を譲り、自らも横になった。同じ牀である。
それから日の昇る前に目を覚まし、朝衙の為に太子が準備をはじめたくらいで、周囲が騒がしくなり、火事だと叫ぶ声が聴こえたので、檗は外へ出た。桶に水を汲んで運ぶ者に加わり、消火にあたった。火をけしとめて、榎某が太子妃の許へ向かうのを見送り、太子の殿へ戻ろうとした。幾らか行ったところで、宮官が泣き喚きながら走ってきた。
太子に怪しいところはない。実際、太子は宮官や宦官に囲まれていて、外へ出ることなどできなかった。
ただ、檗が当人のいうとおりの動きをしたかはわからない。現場は混乱していた。誰がどこに居たかなど、はっきりしない。年嵩で頼られ、指示を飛ばしていた榎某くらいしか、確実なことはいえない。
しかし、檗は郡主に悪さをする理由はない。太子の権力を笠に着て、内廷で大きな顔をしているといったって、檗自身はいたって危険性のない人間だ。破滅的な行動に走ったことはない。それもすべて、彼がなににおいても銭をかき集めることを趣味としているからである。
檗は損得勘定に強い。太子に少々気にいられていると気付き、上手におもねってその寵をほしいままにしている。檗の上手なのは、禄と月俸、それに太子からの下賜で満足しているところだった。
長い目で見れば、賄をもらうより、禄米と月俸をためこみ、太子からの下賜をちまちまともらうほうが得である、とわかっている。まったく清浄な性根とはいえぬが、太子にはきちんとお仕えしているのだし、それに相応の下賜があるのは桍穿耳達も否定したくはなかった。銭の好きな人間などめずらしくもないし、太子の為には必要な人材と割り切っていたのだ。
桍穿耳は口を噤み、柳緑黛がいう。
「殿下は何故、そこまで怒ったの」
「さあ? 奴はその場におりませんでした。呼び出されて房へ行くと、枰良娣が泣きながら、宮官達にひきずられていって、殿下は顔をまっかにしていらして……なにか承服しかねることがあったのでしょう。あんまりおそろしいので、お酌をする手も震えてしまって」
檗は畏まって、頭をさげる。「奴のような愚か者にはわかりかねます」
檗らしからず、随分ぺらぺらと喋ったが、つまり、なにがなんでも内容は話さぬ、という意味だ。この宦官が、太子から、ことの経緯を聴いておらぬ筈がない。
桍穿耳はそれから目を逸らした。「ああ、そう。じゃあ、もういいわ。お前の話で、殿下の潔白は間違いないとわかったし、それだけでも収穫だもの」
「お役に立てたのなら嬉しゅうございます」
桍穿耳達はまた、車にのった。今度は掖庭へ向かう。
しかし、晌も健気なことである。枰良娣が朱家のことを悪くいおうとした時、檗が払子を落として妨害した。そうせよと、晌に命ぜられたのだろう。檗は美貌だけで太子のお気にいりになっているのではない。目端は利くし、仕事はできる。なにより、太子に忠実である。
あの直後、枰良娣は話をかえた。つまり、晌が腹をたてたのは、朱家についての悪口だったのだ。
果たして、どんな悪口なのか。桍穿耳はいやな話を聴くことになりそうだと思いつつ、しかし調査を辞めるつもりはないのだった。
掖庭宮は内廷の西にある。太倉と隣り合っており、あまりひろいところではない。大勢の戸婢がひしめき、それに、后妃でも下級の世婦(婕妤、美人、才人)や御妻(宝林、女御、采女)などが、房を与えられて、そこで暮らしていた。后妃、とひと口にいっても、階級は違う。
この頃は妃も九嬪もそれぞれの殿を宛がわれるが(皇后は別格なので俎上に載せない)、世婦や御妻は自分の殿を持つことはなく、掖庭に房があるだけだ。名目上、というか、決まりの上では彼女らも皇帝の下妻であったが、ほぼ確実に手のついている妃、九嬪と違い、世婦や御妻は、皇帝の顔を見ずに掖庭を去る場合すらあった(『棠書』后妃伝より、杈美人はこの二代前の皇帝の美人となったがお召しはなく、掖庭へはいって三日で皇帝崩御に伴い仏尼となった)。
桍穿耳達にとっては、幼い時分を過ごした場所であり、良娣・良媛となるに伴い出て行って、才人・宝林として戻り、またしばらく過ごした場所である。今でも度々顔を出しており、まともな家族もおらず実家もないふたりにとって、実家のようなところであった。
ちなみに、桍穿耳の母は、桍穿耳が良娣となった折り、一緒に官婢の籍を外れている。先帝が再嫁先をさがそうとしてくださったが、再婚相手とその一族が娘の障害となることをおそれ、願い出て坤道(女道士)となり、義寧里の道観に暮らしていた。
時折、時節の野菜など持って娘を訪ねてくるが、聖上のゆるしを得て、会見はいつも掖庭で行われた。その為、柳緑黛よりも桍穿耳は度々、掖庭へ来ていた。彼女の母が持ってきた野菜は、皇后がおいしく料理してくれたそうだ。
車を降り、嘉猷門を潜って這入る。通訓門、武徳門も通ったので、詰めている内給使達に知られたし、そこから太子に伝わるかもしれないが、太子は掖庭に手を出すことはできない。ここは、聖上の妻達の住まいであり、東宮へ居を移した太子は、ゆるしを得ねば這入れないからだ。
今、聖上は、皇后、柳緑黛、桍穿耳以外の妻を持ってはいなかった。本来、妃四人、九品九人、世婦二十七人、御妻は八十一人すべてが揃っているべきなのだが、聖上は実にあっさりと、要らない、とおっしゃった。それで、聖上に娘や妹を献上しようとしていた官人達は、出鼻を挫かれた。
天命が革まる以前の朝であれば、戦で父も兄も失った、官人や武人の娘などは、とりあえずは掖庭へいれていたのだが、聖上はそれもなされない。まず、この三十年ほど戦がないので、戦で一家の男性すべてを失い路頭に迷う女性というのが居ない。病などでそうなったとしても、先帝も聖上もすぐによい縁組みをまとめてやり、掖庭へいれようとはしなかった。先帝は件の宦官・棔を失ってからは女色を絶っていたし、聖上もいつも、要らない、のひとことですませる。皇后、桍穿耳、柳緑黛を愛するのが精一杯で、ほかの女は要らぬということだ。
掖庭には今、后妃の類いはおらず、宮官と宦官ばかりであった。特に、この頃から宦官の数は爆発的に増えており、朝をひらいた頃には五十人かそこらだったのが、この少し後、柏貴妃の時代には五百人から六百人程にふくれあがっている。桍穿耳達の時代も、昼食にかかった費用などから計算すると、三百人は下らなかったようだ。
先帝が宦官を重用したのがあって、志願する者が急激に増えたのだという。たしかに、昼食の記録からわかるのは、先帝が三十歳を過ぎたあたりからその費用が跳ね上がっている、ということだ。宦官の数がそのあたりから加速度的に増えている。
桍穿耳達の時代に到り、聖上は后妃をこれ以上持つのを拒否し、樟という美貌の宦官をお傍において、中書令としている。宦官がお好きなのだろうと考える者らが自ら浄身し、或いは、美童を浄身させては送り込んでいたという。
先帝の時期から、宦官は腐刑に処された者ばかりではなく、檗のように自分で浄身した者もめずらしくなくなっていた。六十年ほど前にはじまった科挙だが、合格率は低く、そんな苦労をするくらいならと宦官になる者があとを絶たなかった。科挙に通れず、数人居る息子のうち容色のいいのを浄身させて、時の寵姫へ献上するなどという悍ましい虐待もあった。
自分でできないのに息子にさせるとは、むちゃくちゃな親が居たものだが、宦官は后妃、或いは皇帝や太子や親王に気にいられれば、あっという間に出世できるのだ。そして、この時期はその可能性が高いと思われており、その結果一気に数がふくれあがった。なんとも悍ましい話だが、この時代の価値観であるので、筆者の凄まじい嫌悪感を記すことはよす。筆者がこの制度をよしとしているような誤解はしないで戴きたい、とだけ強調しておこう。
桍穿耳と柳緑黛は、掖庭のとある房に、太子妃、また枰良娣の世話をしている宮官、宦官達を集め、話を聴いた。残念なことに、彼らの名は史書にはほぼない。彼らは桍穿耳達に、事件のその時自分がどういうことをして、どこに居たかを、各説明した。
榎某のいったとおり、ほとんどが消火に躍起になって、持ち場をはなれていた。ふたりほど、仮眠室でねこけていた。お毒味役は、薬になにもおかしなところはなく、味だけでなく色やとろみもいつもどおりで、毒がはいっていたとは知らなかったと、怯えた顔でいった。それから、郡主の首にまきついていた裱は、太子妃のものであったという者があった。桍穿耳達は顔を見合わせた。
その話をしたのは、榎某がききつけた悲鳴をあげた、ふたりの宮官である。『棠書』には櫓、柚とあるのみ、『鵄尾子』には櫓万、柚花影とある。この小説では、物語としての見栄えを重視して、櫓万、柚花影と表記する。
このふたりは第一発見者であるので、とりしらべをうけていたが、ふたり一緒であったこと、どちらも太子や太子妃にきちんと仕えていてこれまで問題を起こしたことがないこと、太子妃の服用している薬には一切近付いていないこと、話に矛盾がないことなどの理由で、つい昨日、掖庭に戻ってきていた。櫓万は裱について、太子妃が気にいっていたものであったといい、柚花影は可哀相な郡主について、まだあたたかかったといった。
その後、桍穿耳達は、枰良娣のいいそうになったこと、つまり朱家について、なにか聴いていないかと問うた。
宮官の末(残念ながらこちらは、『鵄尾子』において末とあるのみだ)というのが、朱蒼児の実家の朱家について、噂を聴いたと話したとある。ほかの宮官、宦官にもその話をしたのは居たのだが、末だけが姓か名かわからぬものの名を残しているのは、彼女が口火を切ったのと、その後にまた出てくるからであろう。
彼女が噂を聴いたことを認めたので、その結果、自分も聴いたと、数人が手をあげた。しかし、全員ではなかった。桍穿耳達はその者らを残し、後はさがらせた。櫓万、柚花影は、噂を聴いた者らにははいっていなかったようである。
「どのような話を聴いたの?」
聖上の寵姫に萎縮する宮官、宦官達だったが、噂を聴いたといった以上、末宮官に逃げる方法はなかった。身をすくめ、小さな声でもごもごという。
「それは……申し訳ございません。口にしとうございません」
「わたくしの命令でも?」
柳緑黛が末をじっと見詰めると、末は怯えた顔で、その場へ這いつくばった。がたがたと震え、泣き声を出す。「罰をお与えください。罰をお与えください」
「落ち着きなさいな」
「申せません。あのようなことは口にしとうございません」
末宮官の怯えようは凄まじく、それが伝染したか、やはり噂を聴いたといった数人も這いつくばった。「罰をお与えください。どうぞ、罰をお与えください」
「おやめ」
桍穿耳がいうと、皆黙った。怯えた顔でこちらを覗う彼らに、桍穿耳はゆっくりといった。
「誰も、お前達が好んで噂を流したなどとは思いません。噂の根を見付け、絶つ為に訊いているの。それでも答えられない?」
宮官も宦官も、しばらく黙った。末が震えながら上体を起こし、項垂れた。
「本当にお咎めはないのでしょうか」
「約束するわ」
柳緑黛が応じた。
末はそちらを見て、小さな声でぼそぼそといった。「あのう……わたくしの、兄は、奇矯な言動があって……文字もあまり読めず、計算もできず……物覚えも悪く……悪い仲間に誘われて、盗みを働きました。それが、さるお邸で、偉いかたが怒って……あ、兄は市へとひったてられ、わ、わたくしは掖庭へ……ああ……兄は、最後まで、なにがなにかわかっていないようで、わたくしが泣いていたら、泣くな、うまいものを拵えてやるからといって……悪いひとではなかったんです。母が病で伏せっていたので、銭を遣るからといわれはしごを運んだだけで……それなのに兄は、わたくし以外にはきちんと話せなかったから、悪党どもが全部を兄にひっかぶせて……わたくしは母の看病をしていて、しらずに……」
桍穿耳達は、心苦しそうに話す末を、急かすようなことはなかった。末は涙を流したが、それ以上はこらえ、唾を嚥んで、ぼそぼそと結んだ。
「兄は出来が悪く、不器用で、心優しいひとでした。わたくしの為に独楽をつくってくれました。一緒に遊んでくれました。朱家にもそのような、心の優しいひとがいると聴きました。わたくしが聴いたのはそれだけです」
末は平伏した。「どうぞ、噂に耳を傾け、このように口にしたことを罰してください。わたくしの聴いたのと、この者達が聴いたのは別でしょうから、罰せられるのはわたくしひとりで充分でございます」
末は毅然とした態度でいい、叩頭した。
末達をさがらせ、柳緑黛は頬杖をついて、むっとしていた。桍穿耳はいう。「案外、枰良娣のいうのが正しいのかも」
「何故?」
柳緑黛は不機嫌に返し、桍穿耳は頭を振った。「珠絇、見ないふりをしないで。足りない子を殺してしまう親は居る」
柳緑黛はそれでも不機嫌なままだ。
末の兄の話は、ふたりに衝撃を与えた。末のいいたいことは明らかであった。彼女の兄は、知的障碍者だった。
末のつらさは如何程だったか、桍穿耳にははかりかねた。末は数年前から掖庭に居るが、怨みはまだおさまっていないのだ。あの口調、あの涙。末は、母親が司農寺に居る。数年前、京城はまた、疫病がはやり、大勢の人間が病んだ。京城は政策のおかげで充分な食糧を蓄えていたから、十六年前の疫病ほど酷いことにはならなかったが、寒波が襲ったのが痛かった。寒さの故か、なかなか疫病は収束しなかったのだ。末もそのあおりをくらったのだと、桍穿耳にはわかった。寒さで母が病み、知的障碍者の兄がそそのかされて刑死し、母と妹は官婢となる……哀しいとか虚しいとか、簡単に片付けることができず、桍穿耳は唸った。
そうして、末の言葉を思い出す。朱家に「そのようなひと」が居ると、末はいった。
噂が事実であれば、朱家には知的障碍者が居る。
柳緑黛はむっとしていた。
「我が子を殺す親が、どこに居るの。まさか葉珠に限ってそんなこと」
「どこにでも居るのよ、珠絇。自分に似ていないだの、逆らっただの、理由は幾らもあるわ。なんの障碍もない人間でもそうなの。なんの障害も持っていない子どもであっても、親に殺されることはある」
桍穿耳は頭を振る。「認めたくないけれど、それが現実。自分と似ても似つかないとか、障碍が気持ち悪いとか、そんな理由で殺してしまうものなの。そういうひとは居るのよ」
桍穿耳のいうのは事実である。実際のところ、この時代は少々その風は弱まっていたといえ、儒学の教えは多くの場所で根付いており、律令格式にもそれはあらわれていた。男女であれば男が尊、女が卑。親子であれば親が尊、子が卑。それが常識であった。
その為、官吏には男しかなれなかったし、勿論皇帝も男だけだった。父母の喪の期間は違ったし(後に、椿糈玉の願いで、聖上が一律半年に減らした。椿糈玉の数少ない「政への口出し」のひとつだが、この為に国はますます豊かになったという)、子が親を殺すのと、親が子を殺すのとでは、罰の重さが違った。卑属が尊属を殺すことはゆるされず、尊属が卑属を殺すのは、場合によっては罰金程度でゆるされた。それさえなかったこともある。
子どもの出来が悪ければ、或いは、体にはっきりと障害があれば、殺してしまう親は、居ない訳ではなかった。桍穿耳のいうとおり、五体満足、視覚も聴覚も問題なく、喋ることができ、読み書きに問題がなくとも、気にくわないとか親に似ていないとかいう理由で殺されることがあったのだ。障碍者がそれを免れるということはない。
子を殺す、という感覚が、現代とは違う。聖上のおかげで、飢える民は減っていたが、それでも子どもを養いきれずに殺すとか、捨てるということは起こっていた。切り捨てられるのはまず子どもであった。
貧しさからの子殺しは記録にあらわれにくくなっていたが、それでもあったし、妻の不貞を疑って殺すとか、夫の不倫に対する怒りの矛先が子へ向かうとか、それ以外にも下らぬ理由で子どもを殺す親は居た。そういう者は流石に罰をもらったが、やはり、親を殺すのよりは軽くすんだ。
「でも、郡主は、四肢も指も揃っていた」
柳緑黛は顔をしかめたままいう。桍穿耳は頭を振る
「知能のことはそれじゃわからない」
「まだ半年も経っていないじゃないの! そんなにはやくから、それってわかるものなの!? まともに喋らなくったってなんにも心配のない頃なのに」
「……場合によっては、あまり動かなかったり、泣かなかったり、乳をほしがらなかったりするらしいけれど」
「郡主がそうだったというの?」
「わからないわよ」
桍穿耳は鋭く返し、涙のういた目を拭った。「わたし達は殿下の母じゃないのよ。郡主がどのような様子かなんて、報されない。あなただってそうでしょう、珠絇。寝返りを打つようになったとか、乳だけでなく粥など召し上がるようになったとか、そういう場合には教えてもらえるというだけ」
「そりゃあそうだけれど、でも葉珠はそんな子じゃあないわ」
桍穿耳が色を失った。
彼女はおそろしいことを考えてしまったのだ。聖上、皇后は、毎日のように郡主の様子を聴いている。晌だってそうだ。
聖上や皇后が、郡主の育ったあとのことをおそれ、誰かに命じたのでは?
桍穿耳が顔色を失ったから、柳緑黛は彼女を問い詰めた。桍穿耳ははじめのらくらとかわしたが、抱え込んでおくことはできず、幼なじみに話した。
「そんなこと!」
柳緑黛は根の優しい女性である。自分によくしてくれた皇后や、愛する聖上がそのようなおそろしいことをするなど、考えられもしなかった。彼女は椅子から落ちそうになり、傍に居た宦官が慌てて支えた。后妃達であるから、ひとりにはされない。宮官も宦官もその場には居た。だからこそ、史書にこの会話が残っている。
「丹丹、あなた、自分がどれだけおそろしいことをいっているかわかってるの」
「わかってるわ。可能性の話をしているの。いい、珠絇。聖上も娘子も、昔とは立場が違うの。今は、もっと責任のある立場なの」
桍穿耳は立ち上がると、いらいらとその場を歩きまわりはじめた。「まずは、誰が流した噂かを調べなくては。それから、郡主の様子を見ていた子達……いえ、宦官にきかないと。報告に走るのは宦官でしょう。聖上も娘子もなにも知らないなら、動機はないということになる」
「ご存じでも動機などあるものですか! どのような子だって、おふたかたなら慈しみ、愛するでしょう。わたし達のような官婢だった者を、なんのこだわりもなく認めてくださっているのよ。それに」
「だから、昔とは違うの!」
桍穿耳の大声に、柳緑黛は驚いたように口を噤んだ。桍穿耳は頭を振って、いう。
「今日はもう遅いわ。わたし達は戻らなければならない。調べさせましょう。わたしだってこんなおそろしいことを考えていたくないの。違うという証拠がほしい」
調べるのを辞めるという選択肢は、柳緑黛にもなかった。それに、桍穿耳のいうことも幾らかはわかった。なので、彼女は頷いた。




