第一章 第五話:南800メートルの崖の調査記録
食事を終えた東雲と雪月は次の行動を話し合った。南800メートルの崖を調査することは確定していたが、相手の情報はほとんどない。おそらく連盟関係だろうという憶測だけだ。そこで一旦おやっさんからの情報を聞くことにした。
「不審船が現れた当時は警戒態勢が敷かれていたな。少なくともこの町で発見の情報や戦闘音は聞いていないな」
「それは俺たちの想定と同じだな。少数とはいえ、軍人街に入ればすぐに噂も広まるだろう。国防軍になりすまさない限りな」
「なりすますにしろ装備が必要だ。国防軍から行方不明者情報が出されているわけでもない。物資の紛失処理もされていなさそうだ」
「盗難被害も確認されずか」
「しかし行方不明はともかく、紛失などの情報は処理が後回しになったり漏れがあったりしませんか?」
いくら効率化されても、処理を行うのは人間である以上、漏れや遅れはある。それに紛失は重大ではないため優先順位が低く見積もられがちだ。
「たしかにそういうこともあるだろう。だが、物資の管理がどこで行われているかを考えてみると良い。国防軍において物資支給は基地施設の軍需所で行われる。例外として前線から要請があれば都度補給品として送られることはあるがな」
「しかし、ここ一週間で送られた補給品は通常の食料や消耗品、弾薬類ぐらいだ。補給と同時に廃棄品の回収もされるが、記録に不審な点はない」
国防軍の物資補給管理は厳しく監督されている。横流しといった行為はほぼ不可能と言われている。
「となると予定通り南に向かうとしよう」
「今から向かうのか?」
「その予定だが……もう16時前か」
「明日にするという考えがおまえさんにないことはわかってる。泊まる用意はいるか?」
「いつも通り頼む。……いや、二部屋で頼む」
「わかってるさ。今回はあまり遅くなりすぎないようにな」
「夜間行動の教育ついでだ。そこまで遅くなるつもりはない」
そう言いながら東雲は出口へと向かう。雪月もそれに続いた。
外に出て歩き始めた二人は、目的の崖へと向かっていた。日は傾き始めて夕暮れの様相を醸し出している。こんな時間に動き出して痕跡が見つかるのかと思った雪月は疑問をぶつけてみた。
「確かに明るいほうが見つけやすいだろう。人間は基本的に日の下で活動するものだからな。だが、事案発生からすでに半日以上だ。痕跡は波や草木によって徐々に消されていっているだろう。それに、侵入者の目線に近づくこと──そのために近い時間にというのも、たまには役に立つ」
まるで狩りをするようだ。これが彼の経験則から来る行動なのだろう。確かに今回の捜査は、自然が相手の部分もある。狩人のような嗅覚も必要なのだと雪月は理解した。
「教育課程でも追跡の訓練はありました。主に市街地においてでしたが」
「基本は同じだ。痕跡を見つけて追跡する。それだけだ。しかし、痕跡の残りやすさは状況によって変わる。今回のように草木や動物、天候に消される場合もあれば、人の行き来がある場所では人によって消されてしまう。訓練施設では追跡方法に偏っていて、現場で使えるやつが来ることはめったにない。まあ訓練施設の限界もある。ここは経験で補うしかないな」
「なるほど。では気合いを入れて捜索しましょう!」
「入れすぎても見落とすから程々にな」
そして二人は目的の岸壁へと到着した。日はほぼ沈み、薄暗さが際立ってきている。南800メートルといっても、崖自体は左右に100メートルほどは続いている。見渡す限り不自然な部分は見当たらない。ただでさえ薄暗いのに、草木に覆われてより暗くなっている。
「凪、何もわからないという顔をしているな」
「研修では最低限の明かりはありましたから。全くの暗闇というのは……」
「こういうときは、自分ならどう動くかということに重点を置いて考えるんだ」
そう言われ、もう一度見渡す。確かに、相手の思考を考え追跡する方法は存在する。この場所は入江のようになっている。海に繋がる部分は岩が多く、波を防ぐことに一役買っているようだ。ただし、崖下のほとんどは海水に浸かっている。そう──一部に砂が堆積し陸地を形成している部分を除いて。
「登りだすとしたら、あの砂地ですか?」
「その可能性は高いだろう。ここの崖がいくら他の場所より低いといえ、登るには相応の準備が必要だ。ロッククライミングが得意なら話は変わるがな」
そう話しながら二人は砂地を見下ろせる場所へ移動していく。砂地自体は小さく、海水に浸かっている部分はかなり急斜面で深い。足の踏み場を考えればここが有力だ。周りを見てみると、違和感を感じる部分があった。
「その木、樹皮が剥がれて枝が折れた跡がありますね」
視線の先には、ロープのようなもので擦ったような痕がある枝木がある。枝に生えた細枝も数本折れている。しかし人を数人支えても差し支えないほど、しっかりとした枝だった。
「おそらくラインスローワーだな。鈎縄を掛けたとき、樹皮と細枝が巻き込まれたのだろう」
「動物が傷つけるような高さでも跡でもないですからね」
「ここまで見えているなら、この先も見えてくるはずだ」
雪月は視線を移していく。この場所から登ったとして、この先どこへ行くのか。対象の目的は不明だ。だから直近の行動を予測することに集中する。相手からすれば、第一にはここから離れることだろう。すぐそこで不審船への対応が行われていた。この場所がすぐ軍によって封鎖されることは想像に難くない。森を数分進めば舗装道にたどり着けるが、軍用道だ。道に沿って進むなど論外に等しい。ここから南には国防陸軍の駐屯地がある。北は言わずもがなだ。──となれば、短時間で誰にも見られず移動するなら、東だ。だが……。
「ここから東に進んだところで、山林が広がっているだけですよね?」
「第1エリア以外は基本的に開発されていないからな。そう思うのも仕方ないだろう。端末でマップを確認してみろ。ここからおよそ13キロの地点だ」
指示を受け確認する。13キロ地点まで鬱蒼とした木々が広がっている。どこまでも続いているのではないかと思えるほどだ。そして指定された地点を重点的に確認すると──森の中に明らかに人工的な建物が確認できた。コンクリート造の廃墟だ。よく見るとグラウンド設備のようなものも見えるが、ほとんどが森に還ろうとしている。
「このあたりに学校があったとは記憶していませんが……」
「ここから南にある国防陸軍の旧駐屯地だ。と言っても100年ほど前の話だ。連盟の侵攻時のダメージが大きく、修復するよりも新設したほうがコストが低いと判断された。そもそも駐屯地は一時的な施設だ。必要に応じて移動する」
聞いた話は大まかに知っていたものではあったが、実際に見て感じたことを思考に繋げられるかは別だと感じた。今も昔もこのエリアが前線であることは変わらない。忘れられた廃施設など山ほどあるのだろう。それはそれとして、最初の潜伏先として候補になる可能性は高い。13キロと言えば近場に思えるが、山中移動においては相応の距離だ。
「さて、次の行き先が決まったところで町に戻ろう」
「流石にこのまま行ったりはしないんですね」
「俺一人なら行ってもいいが、今回は凪の初任務だからな。これくらいの進捗になることは神代も把握しているだろう。おやっさんにも遅くなる前に戻ると言って来てるしな」
そして二人は町へ引き返し始めた。雪月にとって配属初日ではあったが、訓練のみだった彼女には刺激的な一日になったのは間違いなかった。




