第一章 第七話:山中捜査
翌日の朝5時、雪月がいつもの席へ行くと、すでに東雲とおやっさんがいた。二人は装備のチェックを行っている。食料を始め、サバイバルキット、防具類、武器類と弾薬、さらには爆薬まで並んでいる。
「よくこの短時間で用意できましたね?」
「いつものことだ。こんな仕事をしている以上、無駄に伝手も多いからな」
「それにしても小銃もですか。あの場所に居ると予想されているのですか?」
「可能性はあるが、念の為だ。いれば排除するが、人気のないたった13キロの山中に侵入して目標が達成されるとは思えない。動物相手に撃つことのほうが多いんじゃないか?」
「となると爆薬は本当に予備なんですね」
「そうなるな。凪は銃火器の取り扱いはできるな?」
「訓練を受けた程度ですが……」
「十分だ」
そう言いながら一丁の拳銃を雪月に差し出す。受け取った雪月はショルダーホルスターに収め、軍用のジャケットを羽織る。今回は戦闘が主目的ではないため秘匿携行する。東雲の方を見ると、他の装備は背嚢に収めたようだ。
「その拳銃は念の為だ。戦闘になるようなら別途小銃などは支給する。俺がいない、または何か問題が発生し、拳銃の使用が検討されるような状況であれば、単独で撤退しても構わない」
「それは……」
「そんな状況になったときは緊急以外の何物でもない。確実に情報を持ち帰れ」
危機的な状況になった場合の心構えをしておけ。見捨てなければならない、あるいは見捨てられることも覚悟せよ。任務に絶対安全はない。肝に銘じなければならない。しかしそれを自分にできるのか──結局は起きてからしかわからない。
「……善処します」
それが雪月の返せた答えだった。
おやっさんの見送りを受けつつ、二人は南の崖へ向かった。もう一度上陸地点を確認する。地面の痕跡はかなり薄れていた。さすがに剥がれた樹皮などは回復していないが……。その後、目的の建物へ向かって山中を移動する。追跡できるような痕跡はほとんど残っていない。草木や動物が消す以前に、相手が追跡の知識を持っている可能性もある。そうなれば追跡を想定して痕跡を偽装していくだろう。
「追跡するときは足元だけでなく頭上にも注意しろ。痕跡を見つけることも大事だが、それを逆手にトラップを仕掛けられることもある」
「戦時にはよく用いられるものですね。爆発物などを扉や木々に仕掛けるものですね?」
「今はそれが多いな。市街地だと家電などにも仕掛けられていたりする。だが、山中であれば自然を利用したトラップもある。よく使われるのは落とし穴だ」
「自然といいますが、それは人の手によって作られたものでは?」
「落とし穴自体はそうだ。ただその穴に複数の杭を埋め込んでいたらどうだ?」
「……考えただけで痛いですね。それに山中でそのような怪我は、最悪足の切断にも繋がりますね」
山中での負傷は、通常の医療環境を前提にできない。死なない程度の処置しか受けられない可能性が高い。それだけ、同じ怪我でも状況によって意味が変わってくる。
「まあ今回は、相手は姿を隠すことが先決のはずだ。わざわざ痕跡を残すようなことはしないとは思うがな」
そのような話をしながら周囲を見渡す。どこまでも続いているかと思えるほど深い森だ。すでに時刻は12時頃、おやっさんのところを出てから6時間ほど経っている。今回は二人だけだが、その分機動力は高い。
「そろそろ飯休憩にしよう」
雪月に声をかけ、おやっさんから預かっていた弁当を広げる。手の込んだ料理が出るのは最初だけだ。次からは握り飯、その後はレーションで耐え凌ぐことになる。木々の隙間から差し込む光の中で、弁当の蓋を開ける。山中での食事に贅沢を言える立場ではないが、おやっさんの気遣いはありがたかった。
「このお弁当、冷えていてもちゃんと美味しいですね。おやっさん、本当に料理上手ですよね」
「うまい飯には軍人が勝手に集まる。情報収集にはちょうどいいんだろう。まあ、前に料理は趣味だからなって言ってたが……。あの風貌で家庭的なことを言われるとは思わなかったな」
おやっさんの店が軍人に人気なのは、味だけが理由ではない。量もある。常に高いストレスと消耗にさらされている軍人には、腹を満たせる店というだけで十分な価値がある。それに、店内でトラブルが起きる心配もない。ハメを外した若い新兵が毎年やってきては店内で暴れ出すが、店主であるおやっさんが直々に制圧する。毎年恒例のことなので、一度その場に居合わせた軍人はそれを肴に酒を飲むのを楽しみにしているほどだ。制圧された新兵がその後どうなるかは、想像に任せる。
「面白い人ですね。そうだ、東雲さんは料理できるんですか?」
「できるぞ」
「本当ですか!? どんな料理をされるんですか?」
心底意外だという顔をされた。心外な。俺も料理するときはある。まあ、どこまでを料理と呼ぶかという話ではあるが。
「まず獲物を仕留める」
「……獲物?」
雪月の箸が止まった。聞き間違いだろうか、という顔をしている。
「罠を仕掛けるか、直接仕留めるかだな。小動物なら罠が効率的だ」
「あの、東雲さん、料理の話ですよね?」
「そうだ。続きを言うと、捌いて血抜きをして」
「待って待って待って」
両手を前に出して制止しようとしている。
「火を通せば完成だ。シンプルだろう」
「それ料理じゃなくて狩りです!?」
「狩りも料理のうちだろう」
雪月はしばらく口を開いたまま固まっていた。東雲は至極真面目な顔をしているが、内心では少しだけ楽しんでいた。
「違います!? ちなみにどのような場面でされるんですか?」
「主に山中だな」
涼しい顔で答える東雲に、雪月の眉がぴくりと動いた。
「任務中ですよね絶対!?」
「任務以外でやる必要があるのか?」
「東雲さん、それは休日の料理じゃないですよね!? ……なら、休みの日は何をしてるんですか?」
東雲は手元の弁当に視線を落としながら、少し考えるような間を置いた。出会ってまだ僅かな時間しか経っていないが、こんなに興味津々の顔もできるのだな。少し付き合ってやるか。それにしても、私の話がそんなに面白いのか。
「軍施設でトレーニング、あとは本や新聞を読んだりだな」
「トレーニングは思ってた通りでした。新聞は情報収集ですよね絶対。本は……何を読まれるんですか?」
少し間があった。弁当の蓋を膝に置いたまま、東雲は特に表情を変えることなく答えた。
「軍の戦術書」
「結局全部仕事じゃないですか!?」
答えた瞬間、雪月が勢いよく身を乗り出した。なぜそこまで反応するのか、東雲には理解できない。もっとも、わかっていてやっている部分もないとは言えなかったが。しばらくして呼吸を落ち着けた雪月が、こちらに顔を向けてじっと目を見つめてくる。
「わかりました。この任務が終わったら、私が東雲さんに休日の過ごし方を教えてあげます。いえ、遠慮はさせません。仕事を教えてくれたお礼ですので」
「いや、そんなことしなくても……」
東雲が僅かに弁当を置き、身を引きかけたその瞬間、少し前のめりになった雪月の視線が真っ直ぐに東雲を捉えた。
「させてくれますよね?」
東雲はわずかに視線を逸らした。
「……わかった。わかったから、その獲物を見る目をやめてくれないか」
「約束ですよ?」
「……約束する。帰ったらな」
雪月は満足そうに弁当の続きに向き直った。東雲もそれに倣い、しばらく二人の間に静かな時間が流れた。遠くで鳥の声がする。珍しく、終始押され気味な東雲であった。




