88日目-2
「就業規則第52条-2違反として、君に停職1ヶ月を命じる」
飯山報道局長は、部屋に入るなり無感情にこう告げた。横にいる鷺沢チーフディレクターの顔は真っ青だ。
「第52条-2違反?」
「『公序良俗に反し、社の名声を傷付けた』ということだ。身に覚えはあるだろう」
「……どういうことですか」
「自分の心に聞いてみろ」
飯山報道局長は相変わらず淡々と言う。本社での権力争いに負けてこちらに来たということだったけど、その理由が分かる気がする。この人には、感情が欠けている。
本来なら、私は「何でですかっ!!」と叫んだだろう。でも、これは予想していたことだ。心は驚くほど穏やかだった。
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「……正気ですか?」
NTV北九州支局に向かうタクシーの車内で、私は洋さんに聞き返した。彼の提案は余りに突拍子もなく、かつ明らかに報道倫理に抵触していた。
洋さんは静かに頷く。
「川口を一気に追い込むなら、これしかない。ただ、確実な方法でもない。社内に、信用できる人は」
「鷺沢デスクはいい人だけど……」
「分かった。処分が出てから、彼を説得してくれ。成功した時の見返りは、莫大だ」
「いや、それはそうだけど……洋さんはいいの?」
「こういうのはテレビの方が強いさ。私は翌日の紙面に掲載できればいい」
確かにそうかもしれない。文字でしか伝えられない新聞より、映像で伝えられるテレビの方が、多分このニュースを伝えるには適切だ。
「でも……本当にできるの?」
「そこは、鷺沢デスクの胆力次第だな。あとは、君の取材能力」
ゴクリ、と唾を飲み込む。心拍数が一気に増えるのを感じた。
「……『落とせ』ということ」
「私より君の方が向いてる。多分、処分は停職だろう。そして、停職期間中に自殺か事故に見せ掛けて殺す。そういう流れだと思う。深沢支局長も、どこかに避難しているそうだ。
ただ、君をフリーにするということは、その分自由に動けるということでもある」
「停職期間中にやれ、ということね」
「……君が頼りだ」
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「反論は?」
「ありません」
飯山報道局長が一瞬戸惑ったような感じになった。
「……なら、私から言うことはない。鷺沢君には別途沙汰を言い渡す」
「……はい」
私だけではなく鷺沢デスクにも圧力か。……反吐が出る。
部屋を出ると、彼が涙目で私を睨んだ。
「……何をしてくれたっっ!!」
「鷺沢さんなら知ってるのでは?」
「読日の記者と付き合っているらしいな。それ自体感心しないが、この前の川口のスクープに一枚噛んでるんだろ?」
「むしろ何で私の記事を取り上げないんです?新規情報も加えた、谷川記者の『追っかけネタ』だったでしょう?
普通なら流すはずです!若いから?女だからですか?」
「……危なすぎるだろ!?思えば、君が川口財務大臣のインタビュアーに選ばれた点からして妙だった。あれも関係があるんだろう?」
恐怖の記憶がフラッシュバックする。川口は、私を餌食にしようとしていた。
洋さんではなく、私を狙ったのは……趣味と実益を兼ねてだろうか。思えば、勇人君の場合も彼本人じゃなくその彼女を狙っていた。川口は、弱い相手しか手を出さないヤツなのかもしれない。
怒りが沸々と湧いてくる。でも、それをぶちまける相手は、鷺沢デスクじゃない。
「……ご相談があります」
「ふざけるなよ、僕はもうコリゴリだっ」
「飯山報道局長のクビを取れるとしても、ですか?」
「何ぃ!!?」
呆れたように私を見た。
「僕がどういう立場か分かってるだろ?東京から飛ばされ、飯山報道局長にイビられ……もうたくさんなんだよ!」
「勝てる見込みがあると分かっても、ですか?」
「川口財務大臣のネタだろ?そんなもん、握り潰されるに決まって……」
「だからです。無許可で流すんですよ」
「……はああっっっ???」
私は人気のない所に行き、小声で計画を簡単に話した。鷺沢デスクの顔が、困惑で歪む。
「……馬鹿かよ。そんなことしたら、余裕でクビが……」
「でも、川口にとっては致命的打撃です。クビになってもお釣りが来ます。それも、山ほど」
「できるのか?そもそも、本当に『そこにある』のか??」
「恐らくは。行ってみないと分からないですけど」
「……そんな不確かな話、乗れるか」
そう言いながら、鷺沢デスクの目は揺れている。
「もっと細かい話なら、あとで話します。多分、これからの人生で最大のネタだと思いますけど。
それに、このまま行ってもジリ貧です。私も、デスクも」
「…………『あとで』と言ったよな。どうすればいい」
食い付いた。
「絶対に情報が漏れない場所があります。そちらで」
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「上手く行ったか?」
「うん、バッチリ。……あまりさえないね」
洋さんの表情は暗かった。理由は何となく想像は付く。
「辰夫はギリギリで逃げたらしい。一応、善村刑事が追ってくれているみたいだが……」
「そんなに逃げられるものかな?」
「だが、今まで逃げている。警察が割ける労力も限られているし……難しいな」
「そもそも、どうして善村さんが来るのに気付いたんだろう?」
タクシーは、鷺沢デスクとの待ち合わせ場所に近付いていた。「XYZ」がなぜそこまで安全な場所なのかは、イマイチ理解してないけど。
洋さんは腕を組んで考えている。
「……スマホは、辰夫に日常会話を聞かれないように別のにした。君も知ってるよな」
「うん、そうだね」
「盗聴されたとも考えにくい。そこまで勘がいいのか……?」
何か引っ掛かってるようだ。……どういうことなんだろう。
♪胸の中にあるもの~
「恋」のメロディと共にスマホが震えた。鷺沢さん……ではない。見知らぬ番号だ。出るかどうか、一瞬躊躇した。
「出た方がいい」
洋さんに促され、私は「受信」をタップする。
「もしもし」
「突然のお電話失礼します。私、衆議院議員、川口の第一秘書で木ノ下と申します」
ゾクンっ
身体に震えが走った。どうしてこの番号を??洋さんも驚きを隠せないようだった。
「ど、どういう用件でしょうか」
「以前キャンセルになってしまった取材を、改めてお受けしたく。明明後日はいかがでしょう」
「えっ、でもっ、私停職処分中で……」
「構いません。川口たっての希望です。如何しますか?」
「お断りします」と言うのが当然なのに、言葉が出てこない。意味が分からない。
絶句していると、木ノ下という秘書が静かに、しかし重く言った。
「何なら、こちらから事情を上にお話ししてもいいのですが?」
有無を言わせぬ感じだ。……これは、逃げられない。
全身から冷や汗が吹き出る。涙も滲んできた。
洋さんが私のスマホをひったくる。
「どういうつもりだっっ!!!」
「どちら様で?」
「シラを切るなっっ!!なぜ私を狙わないっっ!!芙美は関係ないだろう!!?」
「私はただ、川口が宮崎様とお会いしたいと言っているだけですが?」
「……何??」
おかしい。何かが変だ。……川口の狙いは、洋さんじゃなくて私?
弱いものしか狙えないのが川口だと、私は推測した。でも、この執着は……明らかに不自然だ。
明明後日か。……洋さんの提案を実行に移すには、余裕がある。
それまでに勝負をかければ、きっと何とかなるはずだ。
私はワンピースの裾で涙を拭い、大きく深呼吸した。
「変わって」
「え」
「大丈夫、覚悟は決めたわ」
スマホを受け取ると、私は木ノ下秘書に告げた。
「分かりました、受けます」




