79日目
「……なるほど」
「勇人君から?」
私は無言で芙美に頷き、指に口を当てた。察したのか、「あっ、ごめん」と彼女が口を覆う。
一応、メインのスマホの電源は切っている。会社支給のスマホだけにしているが、それでも万一のことがあるといけない。
勇人からのメールも、全く違うフリーメールを使うなど回りくどいものになっていた。
最初送られてきた時は、ウイルスが混じっているのではと警戒したほどだ。
恐らく、送ったのも別の端末からだろう。メールは辰夫に聞かれてもよい内容……むしろ知られた方が都合のいい内容がほとんどだが、明日についてはそうもいかない。
メールには、明日の計画について書かれていた。辰夫は恐らく給仕に変装しているであろうこと、それを見越して友人を配置したこと……筋は通っている。
問題は、それで捕まえられなかった時だ。善村刑事には入り口付近で待機してもらうつもりだが、万全ではない。せめて、警察がもう少し配置できれば違うのだがそうもいかない。
現時点で辰夫が「サマー」として捕まることは、川口の逃げ切りを意味する。辰夫を捕まえるにしても、川口に対する嫌疑ではなく、別件……例えば私や勇人へのハッキングといった微罪にとどめる必要があった。
辰夫を拘留している間、私たちが川口に対する決定的な証拠を押さえ、奴を「落とす」。全てを明らかにするのは、それからでいい。
そのためには、川口の息のかかっている可能性がある人物は、徹底して排除しないといけない。つまり、明日動ける人間は極々少なくならざるを得ないのだ。
しかし、この計画で本当に辰夫を捕まえられるかと問われると、正直自信はない。可能性は良くて五分だろう。それでも、ここで辰夫に会えないなら、もう会えない気がした。
芙美がそっと紙を差し入れた。
『柳澤は明日結婚式があること、気付いてるのかな』
私は黙りこんだ。そう、最大の懸念はここだ。柳澤……ひいては宮東会がこのことを知っているなら、結婚式に乗り込んできても不思議ではない。
奴らもまた川口の手の者だ。辰夫は3年前の暗殺事件の関係者でもある。間違いなく、どんな手を使ってでも殺しに来るはずだ。
……本当にそうだろうか?
読めないのは柳澤だ。清原刑事の指摘通りなら、奴が那珂川を殺した。その事実は、まだ宮東会の誰も気づいていない。
奴が行方不明になったという話も聞かない。組の中での立場がどうなったかは知らないが、多分まだ健在だ。
とするなら、奴は何を考えている?辰夫は奴にとっての敵ではあろうが、川口もまた奴にとっての敵である可能性はある。少なくとも、黒原が支配する宮東会は柳澤にとっては終わらせるべき対象だ。
そして、柳澤は死んだ自分の弟と勇人を重ねている。辰夫に対するある種の共感みたいなものもあるだろう。
とすれば……奴を宮東会黒原派に対する防波堤にできる可能性は、ある。
では、どうする?少なくとも、明日宮東会の介入を防ぐために、柳澤を使えないか?
私は芙美に、紙とペンを持ってくるよう手振りで伝えた。
『夕方、少し出る。一緒に来てくれないか』
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「……俺を呼び出すとは、何の用だ」
「XYZ」で久々に会った柳澤は、10歳ぐらい一気に老けたように思えた。心労や葛藤がそうさせたのは、想像に難くない。
「大丈夫ですか」
「……何が言いたい」
「宮東会内部の話です。黒原派にやられているんじゃ」
ギロリと睨まれた。
「貴様には関係なか」
「……失礼しました。注文はマティーニでしたね」
「奢るのか」
「そういう気分なんです。私はギムレット、宮崎記者はジントニックで」
柳澤が訝し気に私を見る。
「どういうつもりだ。宮東会内部の話をしろというなら、即刻帰るぞ」
「いえ、幾つか『土産』を」
「……『土産』?」
芙美がUSBメモリを取り出した。
「こちらも色々動いてます。まだ生焼けのものですけど」
「生焼け?」
「黒原と海甲組の裏取引の情報、それとRPGの取引記録。あれ、北からなんですね」
柳澤の顔色がさっと変わった。
「何だと??」
「まだ裏を取り切ったものじゃないです。でも、黒原派のうちの何人かを寝返らせるには十分かと」
これは柏木に頼んで取ってもらったものだ。川口についてはまだこれからというところだが、黒原についてはかなりの情報が掴めつつあった。
宮東会と北、そして海甲組の関係だけでかなりのスクープではある。だが、私たちが狙うのはあくまで川口だ。
「……嘘じゃなかね」
「嘘をついて得することは何一つないです」
「これを渡すということは、何かの要求がある、違うか」
私は小さく頷く。3人の前に、カクテルがそっと出された。
「明日、何があるか御存知ですね」
静かに、しかし具体的には語らず切り出した。もし、柳澤が巴の結婚式を知らないなら、そして辰夫の捕縛を優先するなら、結婚式について話すのは藪蛇でしかない。
柳澤は答える代わりに私の目を見た。
「戸倉巴か」
「ええ」
「俺は黙っているつもりだ。戸倉を殺すのはまだ先だし、一般人を巻き込むのは論外だ。だが、黒原は違う」
「……知っているのですか」
「確証は持てていない。だが、何人か念のため人をやろうという話は聞いている。もちろん、事と次第によっては……だな」
ゴクリ、と私は唾を飲み込んだ。それは最悪のシナリオだ。
「止められませんか」
マティーニを一気に半分ぐらい飲み干して、柳澤が黙る。
「……お前らは何をするつもりだ」
「結婚式を無事に終わらせる。それだけです」
「嘘だな。お前らはお前らで、戸倉を捕まえようとしている。それで奴を守ろうとしている。違うか」
鋭い視線が私を射抜く。動揺を悟られないよう、努めて落ち着いて話した。
「その通りです。死のうとする男を死なせる人間が、どこにいます?まして、それが親戚なら」
「だろうな。だが、こちらもケジメを付けないといけねえ。奴がやったことは、理由がどうあれ然るべき報いを受けさせる必要がある。それが極道の論理だ」
「ですが、勇人の治療が一服つくまでは待ってやる。そうですよね」
「……」
柳澤が残りの半分を飲み干し、マティーニをまた頼んだ。
「お前らが成功するにしても、失敗するにしても……黒原派は止めてやる。女、早速情報は使わせてもらうぞ」
「えっ」
「黒原派をこれから切り崩す。差し当たりは、明日Rホテルに行く連中だ」




