74日目
「ありがとうございます、助かりました」
私は息を付いた。やはり、辰夫は手を打ち始めていたらしい。それも、かなり前から。
阪神支局に連絡したところ、海甲組と名古屋の砂川組との対立が激化している、ということだった。
辰夫は2ヶ月半前に一度名古屋に向かった。恐らく、目的は2つ。整形と、砂川組への利益供与。それは、海甲組との対立が生じるような何かだろう。
もちろん、海甲組も砂川組も超大手の暴力団だ。表立った抗争にはまずならないだろう。奴らは宮東会と違い、すぐに分かるような殺しはしない。
ただ、黒原が海甲組に協力を求めても、簡単には動かない状況にはなっていそうだった。今頃、黒原派は焦っているはずだ。嫌でも膠着状態は長引くだろう。
「どうした」
「本格的な市街戦には、やはりならないかと」
「そうか。阪神の警察担当、よく動いてくれたな」
「私の後輩でして」
「意外に後輩遣い荒いな」
「悪いことをしたと思います」
深沢支局長が苦笑した。
「……にしても、だ。この川口問題、異常に根が深いぞ。
3年前の宮東組長暗殺も、この関係っぽいな」
「……ええ」
辰夫が3年前の宮東組長暗殺に関わっていたのは知っていた。ただ、暗殺に関与した人間は、大体が殺されている。
動機は金だと思われていた。ただ、その殺された犯人グループの全員の身内か、恋人が……行方不明になっていた。
そして、久住美里を監視していた黒子の男。袴田義明は、その犯行グループの一員の弟だった。恐らく、川口と宮東会に恨みがある人々を集めて、辰夫は動いているのだろう。
思えば浅尾が後見人だったのも妙だった。浅尾は、武闘派になる前の宮東会若頭であり、先々代の親友でもあった。
変質した宮東会を何とかしたい、あるいは潰したいと考えていても不思議ではない。
そして、気付いたことがある。これは、辰夫にとって2重の復讐なのだ。かつての恋人と、かつての仲間の。
3年前は、性急に動いてほぼ全滅した。だから今回は、計画を練りに練った。恐ろしく用意周到に。
人は変わる。温厚でお人好しで、意志は強くない。それが、私の知る戸倉辰夫だった。
しかし、絶望と怒りが、彼を復讐の鬼へと変えたのだろう。自ら手を下さず、自壊させていく。そのやり方に行き着くまでに、一体どれだけの艱難辛苦があったか。
……だが、私は止めねばならない。川口や宮東会はもちろん、辰夫もだ。
スマホを見ると、勇人との約束の時間が迫っていた。オフィスチェアから腰を上げる。
「取材か」
「のようなものです」
勇人からのメッセージには、いつどこで会いたいかとしか書かれていない。用件も理由もどこにもない。
しかし、それには相応の理由があるはずだ。
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「忙しいとこ、すみません」
K畑高校近くのファミレスに着くと、勇人が深々と頭を下げた。顔色は、最近では一番良さそうに見える。
「いや、いいんだが。クラスメートとか来るんじゃないのか」
「かもしれないですね。でも、構わんとです」
……変だ。かなり機密性が高い話だから、てっきり家で話すものと思っていたが。
ドリンクバーを2つ注文すると、勇人がノートを取り出した。
「……辰夫の話じゃないのか?」
「いえ、恋愛相談です」
と言いながら、勇人はノートに走り書きしている。
『筆談でお願いします、兄ちゃんには聞かれたくない』
……そういうことか!辰夫はスマホを通して盗聴している。自宅にも盗聴器があってもおかしくはない。
だからファミレスのようなオープンな空間で筆談を。……ということは。
「それは大変だな」
と言いながら、私もノートにペンを走らせる。
『辰夫に聞かれたくない話題か』
「はい、その通りです」
辰夫のノートには『兄ちゃんを捕まえる相談です』とあった。……合点が行く。
「美里さん、だったな。病気でも付き合いは続けているのか?」
「ええ、でも、正直に言って……不安で」
その一方で、勇人は文を書くのをやめない。
『来週の結婚式、兄ちゃんは多分来ます。そこを警察に捕まえてもらいます』
『本当か?だとしても、どうやって……』
勇人が少し黙った。
「美里の今後のことを考えたら、別れた方がいいんじゃないかって」
『兄ちゃんは、顔だけでも出してくるはずです。幸い、多分警察の人の顔は知らんはずです』
口で喋っていることと、筆談の内容があまりに違う。それが滑稽で、私は思わず笑った。
口での会話には、本音も多少なりとも含まれていそうではあるが。
「……それはどうだろう?治してしまえば済む話じゃないか?」
『警察をホテルスタッフに紛れ込ませるか?しかし、警察でこの件を知っているのは少ないぞ』
「それもそうですね……」
これは多分両方の答えだろう。勇人は腕を組んで考え始めた。
『要は手数ってことですか?』
『そういうことだ。川口問題には、警察は及び腰らしい。風間警視と善村刑事しか、辰夫を知る者はいない』
『……口が固くて、完全に僕らの味方をしてくれそうなのは……』
パンッ!!
勇人が手を叩いた。
「そうですよ!僕は後ろ向き過ぎてた」
『信頼できる仲間がいます。彼らに協力をお願いします』
「……??そうだな」
『彼らって誰だ?』
ニヤッと勇人が笑う。
「ええ、持つべきなのは、親友ってことです」
『友人何人かに声をかけます。兄ちゃんのことも、多少知ってる奴らです。彼らなら、力になるかも』
表の言葉と、筆談の言葉が時折交錯する。辰夫を騙すための工夫だろうか。
全く違う会話を同時平行できる頭の回転の早さは、私でも驚くべきものだ。
とにかく、提案内容は分かった。
「ちゃんと友人に相談するといい。勇人の助けになるはずだ」
『計画はまだ煮詰める必要があるが、悪くない。それで進めよう』
勇人の顔が明るくなった。
……その時、私のスマホが震える。芙美からだ。
「すまん、少し外す」
店外に出て、通話を始める。
「もしもし……洋さん?」
耳にしたのは、明らかに怯えている彼女の声だった。私の鼓動が、一気に早まる。
「どうした」
「それが……明後日、川口財務大臣に取材することになったの」
「何っ!!?」
「今度の選挙と福岡経済について、書けって……支社長直々に、私に指令が……」
おかしい。芙美は決してダメな記者ではない。むしろ優秀な部類だ。
しかし、川口財務大臣との取材なんて、明らかに変だ。本来なら報道部長が出るべき案件だ。それも、支社長同伴で。
それが平記者を直々に指名だなんて、不自然極まりない。恐らく、川口側が局ごと圧力をかけてきたのだ。
……芙美は狙われている。
……私は、その場に座りたくなる衝動を、必死でこらえた。どうすればいい??
時間に余裕は、ほとんどない。




