71日目
グラスを傾け、とろりとした液体を喉に流し込む。焼けるような感覚が咥内に拡がった。
オリーブを口にし、種をペッとグラスに吐き出す。……顔は火照っているが、酔えている感じは全くしない。
「……ドライマティーニ」
「畏まりました」
俺は拳を組み、大きな溜め息をついた。マティーニは、もう何杯目だろうか。
昨日のことを思い出す。
叔父貴は死んだ。俺が殺した。
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「那珂川の叔父貴が見付かったそうです」
田袋が俺のマンションに駆け込んできたのは早朝だった。
「どこだ。どうして分かった」
「苅田町のアパートです。若いのに捜索を頼んでたら、それらしき人が乗った車を見たと」
叔父貴を連れ去った車種は護衛が覚えていた。断片的だがナンバーも。それで分かったというわけか。
「それで、その車が停まっていたのが、そのアパートということでいいな」
「はい。昨日こっそり見に行って、犯人っぽいのもいたそうです」
「……そうか。ガセだったらどうなるか、分かってるな?」
「……はい」
田袋は身を固くした。確証は全くないが、行かないよりは大分マシだろう。
問題は、もし叔父貴を見付けたら、どうするかだ。
叔父貴には色々恩がある。俺を拾ったのは叔父貴だし、ここまで取り立ててくれたのも叔父貴だ。
本来なら、これ以上嬉しいことはないはずだ。もし殺されずに生きていたなら、尚更だろう。
……だが、俺は叔父貴を疑い始めている。叔父貴が黒原とつるんでいたこと。川口財務大臣と付き合いがあったこと。そして、あの動画。
どれも俺が今まで知らなかったことだ。10年以上下にいて、あんな叔父貴の姿を俺は見たことがない。
あるいは、俺は今まで体のいい駒でしかなかったのだろうか。その真実を、俺は叔父貴本人から聞かなきゃいけない。
俺は田袋を玄関に待たせ、急いでスーツを着た。季節外れだが、これは俺にとっての戦闘服だ。着ることで、俺は「宮東会の柳澤」になる。
「今行く。若いのは要らない、俺とお前だけで行くぞ」
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「ここです」
着いた先は新しいアパートだった。
苅田は大手自動車メーカー、N産の城下町だ。最近はN産の系列部品メーカーが、相次いで工場を建てている。
その関係上、工員向けのアパートも多い。ここはその一つのようだが……
「まだできたばかりか」
アパートには、人の気配がない。監禁を悟られないために、そういう真新しい物件を選んだのかもしれない。
ただ、どの部屋かは分からない。一つ一つ、試すしかないか。
「……この部屋から、変な臭いが」
田袋が部屋の一つを指差した。……アンモニアのような、すえた臭いがドアの隙間から微かにする。
ドアの取っ手を握る。……鍵は掛かってない。俺は懐の銃を取り出し、ゆっくりドアを開けた。
臭いが一気に強くなる。何かがあるのは明白だった。
「……誰、だ」
臭いの元と思われる場所から、弱々しい声がした。……これは!?
「叔父貴ぃっ!!」
ドアを開けると、そこには痩せ細って点滴を受けている叔父貴がいた。両手両足を手錠で繋がれている叔父貴は、虚ろな目で俺を見ている。
「……柳澤、か……!!」
「叔父貴っ、大丈夫ですかっ!!何がありました」
「……俺にも、分からん。ただ、10日近く……俺はずっとこうされていたと」
ベッドからは尿の臭いがした。……これは耐えられない。
「やったのは」
「……見たことがない奴らっちゃ。黒原じゃ、なか」
間違いない。戸倉だ。
「……後で話があります。その前に、これを何とかしないと」
手錠を拳銃で壊すのは無理だ。せめて、何かの工具がないと……
「柳澤さんっ、ここの机に鍵が」
田袋が興奮ぎみに叫んだ。まさか、手錠の鍵?
挿し込むと、はたしてカチリと手錠は外れる。叔父貴の両手首は、赤黒く変色していた。
「……助かったっちゃ」
「連れ出す前に、少し身体を」
電気はついている。なら、水道もガスも通っているだろう。
洗面所を見ると、他にも誰かいたらしい痕跡があった。戸倉が見張りも兼ねて、住んでいたのかもしれない。
俺は喜びの一方、幾つかの強烈な違和感を覚えていた。何故叔父貴を拐ったのか、そして何故今まで生かしていたのか。
そして、戸倉辰夫はここにまた来るのか、来ないのか。
田袋が叔父貴を支え、洗面所に入ってくる。しばらくすると、ジャー、とシャワーの音が聞こえた。
「叔父貴、身体の具合は」
シャワールームの引き戸越しに俺は訊く。
「……大丈夫たい」
「犯人……多分戸倉だと思いますが、奴らは叔父貴に何を」
「何もせんかった。本当に、何も」
……何?
「脅しや、金か何かをくれとも?」
「……何もなか」
「戸倉からは、何か」
「……いや。ただ、昨日『もう来ないっちゃ』と言って消えた。このままだと死ぬとこだったけん、本当に助かったわ」
……違和感がさらに強くなった。何故都合良く、俺は叔父貴を見付けられた?
おかしい。これは、まるで仕組まれているようだ。
シャワーが止まった。どうやら、ここにはシャンプーなどの類いもあるらしい。芳香がかすかに漂った。
「叔父貴、一ついいですか」
「何とね」
タオルを巻いた叔父貴が現れた。体力がないのか、少しふらふらしている。
「……田袋、下着と適当な服をコンビニかどこかで買ってこい」
「了解です」
田袋が部屋を去った。テーブルのある部屋に俺たちは向かうと、向かい合って椅子に座った。
「……何か言いたいことがあるとね」
「川口財務大臣と黒原、そして叔父貴。つるんでたんじゃなかとですか」
一瞬の沈黙の後で、叔父貴がハッハッハと笑いだした。
「何アホなこと言っとるんね。そもそも川口財務大臣って、そんなお偉いさんとの繋がりがあるわけなか」
「……確たる証拠があります」
叔父貴が真顔になった。
「……証拠?」
「ええ。俺のPCの中に、それはあります。……何で嘘をついたんですか」
「……嘘……な」
皮肉めいた笑みを叔父貴は浮かべた。
「……お前は融通が効かん。世の中には、任侠道では通じないことがあるとよ」
「俺に極道としての生き方を教えてくれたのは叔父貴です。極道であっても、義理や筋は通せと。……何故それにもとるようなことをするんですか!?」
「お前は真っ直ぐやけん。それがいいとこやけど、知らんでいいこともあるっちゃ。
……黙ってくれれば悪いようにはせん。簡単なことっちゃ」
「……これからどうするんです」
「俺を拐った奴は、家族ごと皆殺しっちゃ。心当たりあるんやろ?」
今まで見たことがないような、残忍な笑い。……俺に、罪もないガキたちを殺せと?
戸倉の弟の顔がよぎった。……俺には、できない。できるはずがない。
しかし、断ることはできそうになかった。
叔父貴に対する親愛の情や信頼が、その時完全に崩れた。
俺の中にいた叔父貴は、全て偽りに過ぎなかった。俺はただの駒だと、やっと確信した。
そして、全てが終わったら……叔父貴は俺を消すだろう。
とすれば、この後やることは決まっている。
「……ええ。そいつの居場所に、これから案内します」
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そこから先は簡単だった。適当な山中に向かい、引き金を引くだけだった。
叔父貴は……那珂川は、銃口を向けられるまで俺を疑っていない様子だった。俺をただの駒と完全に舐めていたのだろう。
意外だったのは、田袋がすんなりと俺に従ったことだ。あいつにそんな度胸があるとは思わなかった。
ただ、お蔭で全てを黒原に擦り付けることができそうだった。……これからは、戦争になるだろう。
「どうぞ」
ドライマティーニが出された。俺はグラスを持つと、一気にそれを流し込む。
その時、ふとある考えが脳裏をよぎった。……まさか。
戸倉は、那珂川を俺に殺させるために拐ったのか?
一気に酔いが回ってきた。考えをまとめたかったが、そうするにはあまりに飲み過ぎていた。




