66日目
「……ここ、本当に201x年の日本ですか?」
芙美が呆れたように呟く。小倉から鈍行で揺られること小1時間。目的地の田川後藤寺駅の周りは、あまりに寂れていた。
駅前からタクシーを捕まえるために少し歩く。古いバスターミナル前の歩道橋の壁は、あちこちが割れていた。
「まるで『北斗の拳』だな」
「『ほくとのけん』?」
「ああ……独り言だ。住所通りなら、タクシーで数分か」
筑豊は飯塚辺りは存外に普通だ。しかし、内陸に行くほど雰囲気も治安も悪くなると聞く。古い鉱山町は立ち直ることなく、ただ朽ちてしまったのだ。
私も田川後藤寺に来たのは初めてだが、本当にここまで殺伐としている町とは思わなかった。ここに、辰夫がいるのだろうか。
後ろを振り返る。……柳澤や黒原の部下らしき人物はいない。やはり、那珂川の件で手一杯のようだった。
念のため、芙美を連れてきたがどうだったのだろうか。これほどのスクープで他社、それも系列でないTV局の記者を同行させるのは御法度もいいところだが、やはり彼女の身に万一のことがあると考えるのは怖かったのだ。
タクシーに乗り込む。車は山の方に向かっていった。家々は平屋の長屋ばかりが目立つ。
そして、その一つの前で私たちは下ろされた。
「ここに辰夫が……?」
長屋の他の部屋には、人が住んでいる気配はない。それどころか、全体的にしばらく誰も住んでいる感じがしなかった。
書かれていた部屋のドアノブを回す。……鍵はかかっていない。
薄暗い部屋からは、埃とカビの臭いがした。
「……電気は通ってないですね。ちょっと、スマホのライトを付けます」
芙美が部屋を照らした。……カップラーメンの器とコーラのペットボトルが幾つか転がっている。
ここに、誰かがいたのは疑いがない。しかし、人の気配はやはりなかった。
「……どういうことだ」
辰夫は何かがあってここを捨てたのだろうか。しかし、だとしたらここに私たちを呼び出した理由が分からない。
プルルル、とスマホが鳴った。深沢支局長からだ。
「どうだ、そっちは」
「藻抜けの空です。誰かがいたのは間違いないんですが」
辰夫はなぜここに私を呼んだのだろう。何か、資料を残しているのか。それともトラブルか。
ガチャ
誰かが入ってくるのが分かった。私は急ぎ支局長との電話を切る。
入ってきたのが宮東会の人間なら……柳澤の部下でも、黒原派でも、私たちは終わりだ。ここから逃げるにしても、その自信はない。
「芙美、どこかに隠れろ」
小声で言う。無駄とは分かっていたが、捕まるなら私一人でいい。
押し入れを芙美が開けるのと、部屋に誰かが入るのと、ほぼ同時だった。
そこにいたのは……小柄な男だ。見たことがない顔だ。リュックを背負い、手には何も持っていない。
童顔で、女性と言われても通りそうではある。ジーンズに無地のシャツ、そして胸の膨らみがないことから男と判断したまでだ。
「……あなたが、谷川さんですね」
高めの声が響いた。……宮東会の人間じゃない?
「君は」
「柏木悠人。その節はお世話になりました」
「……君がか!!?」
辰夫の師匠と聞いていたから、てっきり中年男性だと思っていた。目の前の男は、辰夫より年下に見える。
柏木は小さく頷いた。
「ええ。戸倉君から話は聞いてます。この隣に今は」
「ここはアジトのようなものなんですか」
「いえ、僕も詳しくは。ただ『しばらくここにいるといいけん』とだけ」
「じゃあ、辰夫の居場所は」
「いえ。解放されてからはLINEでのやり取りだけです」
芙美がこちらにやってきて訊いた。
「そういえば、柳澤の監視はどうしたんですか?」
「……監視?」
訝しげに柏木が言う。
「柳澤は、あなたを見張ってなかったのですか」
「……何のことですか?僕を解放したのが警察に偽装した宮東会の人間とは知ってますが」
気付いてない?いや、凄腕のハッカーである柏木が全く分からないのは変だ。……何か妙だ。
「それはともかく。あなたたちに協力するようにと戸倉君からは言われています。
彼は、しばらくは別にやることがあって動きにくいそうなので」
「別にやること?」
「そこまで詳しくは。ただ、必要なんでしょう?裏取りが」
私は芙美と顔を見合わせた。
「協力してくださるのですか」
「ええ、喜んで。戸倉君が撮った動画は、元々は僕のものです。ただ、あれだけでは川口は潰せない。
もっと確かで、より直接的な物証がいる。違いますか」
「例えば」
「金の流れ、物の流れ。そして何より、宮東会によって消された女性たちの行方です。
川口と宮東会は、転々と犯行場所を変えている。だから、あの動画以外の物証は、今のところないんです。
そして、おそらく犠牲者はそこそこ多いはずなのに、死体は出ていない」
「埋めているか、沈めているのでは」
「……そのはずです。ただどこかまでは分からない。そもそも、女性をどこから連れてくるのかも」
「それを見付け出すと?」
柏木が頷いた。
「差し当たり、戸倉君もそこは探っているようです。ただ、今彼は動けない、らしい。
そこで黒原の行動を、監視カメラへのハッキングから解析します。尻尾を出すのを、ひたすら待つんです」
「あなたは、これから」
「しばらくここにいて粘ります。当面は、お会いすることはないでしょうね。連絡は、電話かLINEで」
芙美が手を挙げた。
「なぜ私たちに会うことに?」
「僕のわがままですよ。人は実際に会わないと、信用なりませんから」
柏木が苦笑した。
「とにかく、です。本当の勝負はこれからですね。川口を倒さないと」
「川口に恨みが」
小さく柏木が首を縦に振った。
「……ええ。僕の姉も行方不明です。川口にやられたと思っています。
そして……戸倉君の彼女だった、指原夏海さん。彼女が、現在判明している唯一の、川口による被害者なんです」




